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【雨量計(測飴計)】

韓国は「雨量計は朝鮮が最初に作った」と言っている。
が、これは嘘である
正しくは「韓国で現存する雨量計という中で最古」というものであって、世界には雨量計自体はもっと昔から存在している事が分かっている。
【記録にある雨量計】
雨量計が記述されている世界最古の書は、紀元前4世紀頃に古代インドのマウリヤ朝初代チャンドラグプタ王の宰相であり軍師だったカウティリアの書いた「実利論(Arthastra)」に書かれており、当時の穀物の種まきの時期を決めるために直径約45 cmの鉢で定期的に雨量が観測された
朝鮮のものが15世紀ですから、約2000年前には既に存在している。
【近隣国での雨量計】
中国では13世紀に既に確認されている。
洪水に悩まされていた中国では、数学者である秦九韶が1247年「数書九章」の中で、各地点に置かれた雨量計の値を使ってどうやって面平均値を出すかを議論した記録がある。つまり、この13世紀当時に中国では各地点に雨量計が既に置かれていたのである。
また、更に古くは南宋時代(1127〜1279年)の『数书九章』の中にも「天池测雨」と測雨をしていたという記述がありますので、12〜13世紀には中国で雨量測定をしていた事が分かります。
当時の測雨計自体は残っていませんが、最古の測雨計は『乾隆庚寅五月』とあるので、乾隆帝の治世のものですから、1770年のものですね。
【韓国にある最古の雨量計】
現存する測雨器は、韓国の宝物第561号に指定されている錦営測雨器(금영측우기、1837年製作)のみである。「この雨量計を用いた観測は朝鮮で独立に発達したもので、李氏朝鮮はこれを各地方に配置することによって、世界初の組織的観測網を構築した」というのも、中国では既にされていた事が分かっているので、この俗説も嘘である。

朝鮮半島に残る測雨台遺物に清の元号「乾隆庚寅」が刻まれており、測雨計とその台座自体が中国に作られた物である可能性が高いとされる。
朝鮮が「独自に作った」と残るのは、口伝であり噂話の範囲を越えない(つまり、きちんと記録で残っているものではない)のもあるし、実際、朝鮮時代は中国の元号も使っているのだが。『増補文献備考』に伝えられる英祖の言葉によれば、「英祖は『実録』から学んだ測雨器に「至極の理致」を見出し、正確に復元して八道および二都(当時の松都、江都)に設置するよう命じた。英祖46年(1770年)5月1日、世宗時代と同じ規格の測雨器およびその台座(測雨台)が完成した」とあるのだが、これからわかるように、記載するなら「英祖四十六年」と刻まれているはずだとは思うし、もし、中国の元号を使っていた場合だとしても、この当時の朝鮮の書き方だと『乾隆庚寅』ではなく『庚寅』になるだろうからだ(当時、それより以前にあった中国の支配的な不平等条約を結び、迎恩門を作っているのだが、これに対して中国におもんはばかるような元号の利用に否定的な社会状況にあり、元号を使わず『庚寅』とだけ記載する事が多くなっていた)。

なにより、朝鮮説と中国説の大きな差は、中国の測雨計は、瓢箪から器になり、専用の機材になると、きちんと測雨する機材の歴史がある事もありますし。朝鮮時代の初期から、朝鮮時代には中国技術を知ろうと度々人員を派遣しており、様々な中国の気象観測技術(当時だと東洋における最新科学技術)を取り入れようとしていたのが分かっているからである。また、その取り入れた技術を自己で研鑽する事がされていないので発展が余りされていない(ひたすらに、『中国の進んだ技術を自国に持ち帰る』ということをしているだけである)。
【日本の場合】
日本は、きちんとどこから来たもので、何を参考に作ったかなどが記録され残っている。
参考になるサイトがあったので、確認して見てください
日本と朝鮮との大きな違いは、日本も勿論、その技術を得ようとするが。得た後に「それがどういう理屈であろうか知ろうとする」事である。その為、文献だけでも取り寄せて、それを試行錯誤をして作り上げるというのを昔からしている。動力機関も、文献資料から自作し、西洋諸国がそれを見て驚いたという記録もある(たった2馬力でしかなかったのだが、資料のみで西洋技術者の指導もなく独力で模倣し、それ故に理論が判るので自力で発展させる事が出来る訳である。戦国時代の鉄砲なども同じ民族性である)。

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