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mitsuko_tada 2025年07月06日(日) 21:12:37履歴
これもよく勘違いされているもので、『参鶏湯』のルーツは伝統的なものではなく、日本統治時代に出来たものです。
というか、日本統治が無ければ存在が出来なかった料理です。
また韓国になって少し変わり、大きな違いは、スープなのか、鶏の煮込みなのか、というものです。
『朝鮮半島に古くから伝わる料理』と書いている記事を見掛けますが、それは嘘です。
というか、日本統治が無ければ存在が出来なかった料理です。
また韓国になって少し変わり、大きな違いは、スープなのか、鶏の煮込みなのか、というものです。
『朝鮮半島に古くから伝わる料理』と書いている記事を見掛けますが、それは嘘です。
朝鮮時代には『参鶏湯』というのは存在せず、かろうじて似ている物で『鶏膏』というものが存在します。
元々、朝鮮時代では鶏を『薬』として扱っている料理がかなりある(まぁ、現在の韓国にほとんど残っていないが)。
当時だと鶏も農家が放し飼いをして飼育しており食べる場合も廃鶏になってからというもので、中流以下であれば正月や盆などの祭祀の際に口にする機会があるかも?ぐらいに希少なものです。
元々、朝鮮時代では鶏を『薬』として扱っている料理がかなりある(まぁ、現在の韓国にほとんど残っていないが)。
当時だと鶏も農家が放し飼いをして飼育しており食べる場合も廃鶏になってからというもので、中流以下であれば正月や盆などの祭祀の際に口にする機会があるかも?ぐらいに希少なものです。
韓国では「伝統的な薬膳料理からのものである」と信じている人もいるようですが、嘘です。
『参鶏湯』は、日本統治時代の朝鮮で鶏肉料理が発展する過程で誕生したものです。
どうも、日本の薬膳と水炊きの朝鮮風アレンジとして生まれた料理のようですね。
当時朝鮮を統治していた朝鮮総督府は鶏卵生産のため、朝鮮全土の農村にそれまで普及していなかった養鶏を副業として始めるよう奨励。その結果、朝鮮でも鶏肉を使った料理が1910年代から徐々に普及するようになり、1917年には朝鮮料理研究家の方信榮が著書の『萬家必備・朝鮮料理製法』で『タックク(닭국、鶏肉の入ったグク)』を、1924年には李用基が著書の『朝鮮無双新式料理製法』で調味料無しで材料を長時間煮込む『ペクスク(백숙、丸鶏の水炊き)』をそれぞれ紹介している(両方とも、日本の料理が基になっている)。
そもそも、参鶏湯の原型ができるには、それが出来る過程で大きな要素が2つあります。
『参鶏湯』は、日本統治時代の朝鮮で鶏肉料理が発展する過程で誕生したものです。
どうも、日本の薬膳と水炊きの朝鮮風アレンジとして生まれた料理のようですね。
当時朝鮮を統治していた朝鮮総督府は鶏卵生産のため、朝鮮全土の農村にそれまで普及していなかった養鶏を副業として始めるよう奨励。その結果、朝鮮でも鶏肉を使った料理が1910年代から徐々に普及するようになり、1917年には朝鮮料理研究家の方信榮が著書の『萬家必備・朝鮮料理製法』で『タックク(닭국、鶏肉の入ったグク)』を、1924年には李用基が著書の『朝鮮無双新式料理製法』で調味料無しで材料を長時間煮込む『ペクスク(백숙、丸鶏の水炊き)』をそれぞれ紹介している(両方とも、日本の料理が基になっている)。
そもそも、参鶏湯の原型ができるには、それが出来る過程で大きな要素が2つあります。
- 鶏肉の一般的な普及
日本統治前は、日本統治後の半分以下しかない。 - 高麗人参の市場の普及
高麗人参は両班の、それも上位の者が持つ利権であり、中国に高く売れますから李氏朝鮮内ではほとんどありません。高級な薬剤ですので、それを料理に使うなどは考えられない。これを日本統治で両班解体になり、それで市場に出てくるようになるものです。
『参鶏湯』は遅くとも1920年代には存在しており、当時は『鶏参湯(「けいじんとう」の朝鮮読みで「ケサムタン」)』と呼ばれていた料理。
日本では『独参湯(どくじんとう)』という日本独自の呼び方の「漢方で、朝鮮人参を煎じて作る気付け薬」がある。万病に効く起死回生の気つけ薬で、朝鮮人参を用いた薬湯のことで、元は中国のもので中国では『安神药(ānshényào)』と呼ぶ。「参」は「人参」を指している言葉で、『鶏』と『朝鮮人参』を使った『湯(汁物)』という意味で『鶏参湯』と名付けられている「薬用スープ」であり、つまり日本料理で朝鮮料理ではない。それの朝鮮読みが「ケサムタン」になる。
1930年刊行の『日本地理風俗大系・十六巻』には 「夏の三カ月間、人参と糯米の少しばかりを雌鶏の腹腔中にうずめて、その姿のまま煎じ出した液を鶏参湯と称し、一碗ずつ飲用すれば、滋強に効あり万病に冒されずとなし、富者はこれを摂用する」とあり、元は日本料理。当時の朝鮮の富裕層がそれを真似して水炊きに粉末の高麗人参を入れて『参鶏湯』の原型をつくったことが分かる。
ただし、当時の『参鶏湯』は現在のように「食べる」ものではなく、煮込み続けているものを数日にわたって少しずつ薬用スープとして飲むものであった。また、1935年刊の冊子『伸びゆく京城電気』に「真の朝鮮料理は貴族・上流階級の占有であって、平生、京城っ子の口に入らぬ」とあるように、特権階級の習慣は一般に知られていなかった。
今の時代で同じようなのを作りたいなら、缶詰や粒状の鶏ガラスープの素と、漢方薬の粉を買ってきて鍋に入れて煮れば同じようなのが出来るでしょう。
日本では『独参湯(どくじんとう)』という日本独自の呼び方の「漢方で、朝鮮人参を煎じて作る気付け薬」がある。万病に効く起死回生の気つけ薬で、朝鮮人参を用いた薬湯のことで、元は中国のもので中国では『安神药(ānshényào)』と呼ぶ。「参」は「人参」を指している言葉で、『鶏』と『朝鮮人参』を使った『湯(汁物)』という意味で『鶏参湯』と名付けられている「薬用スープ」であり、つまり日本料理で朝鮮料理ではない。それの朝鮮読みが「ケサムタン」になる。
1930年刊行の『日本地理風俗大系・十六巻』には 「夏の三カ月間、人参と糯米の少しばかりを雌鶏の腹腔中にうずめて、その姿のまま煎じ出した液を鶏参湯と称し、一碗ずつ飲用すれば、滋強に効あり万病に冒されずとなし、富者はこれを摂用する」とあり、元は日本料理。当時の朝鮮の富裕層がそれを真似して水炊きに粉末の高麗人参を入れて『参鶏湯』の原型をつくったことが分かる。
ただし、当時の『参鶏湯』は現在のように「食べる」ものではなく、煮込み続けているものを数日にわたって少しずつ薬用スープとして飲むものであった。また、1935年刊の冊子『伸びゆく京城電気』に「真の朝鮮料理は貴族・上流階級の占有であって、平生、京城っ子の口に入らぬ」とあるように、特権階級の習慣は一般に知られていなかった。
今の時代で同じようなのを作りたいなら、缶詰や粒状の鶏ガラスープの素と、漢方薬の粉を買ってきて鍋に入れて煮れば同じようなのが出来るでしょう。
『参鶏湯』が現在の形となるのは1960年代の韓国になってからで、『参鶏湯(サムゲタン)』という料理名称も『鶏参湯(「けいじんとう」の朝鮮語読みである「ケサムタン」)』を言い換えただけの日本語由来の借用語(『参鶏湯』は『삼계탕』と書くが、朝鮮語で『삼・계』は「鶏と犬」を指しており、字面だと「鶏と犬の汁物」になってしまうので、『삼계탕』はただの当て字である)。日本からのお金やODAによる畜産試験場や畜産技術を整えられてから今の形が出来ている。
1950年代まで『鶏参湯』は『タックク』や『ペクスク』と比べるとマイナーな鶏料理であり、日本統治下で格段に成長を遂げた畜産業も、戦後の韓国では、韓国政府の無策で畜産業は壊滅的な状態になっており鶏肉も希少で、食され方も従来の方法が採られていた。だが、1953年の朝鮮戦争休戦後から『鶏参湯』も本格的に飲食店で提供されるようになり、粉末で入れていた高麗人参が丸のままとなったほか、1960年代には高麗人参の効能を強調するために名称が『鶏参湯』から『参鶏湯(つまり人参を頭に持ってきた名前)』へと変わっていった(そして本来の朝鮮語では「鶏と犬の汁物」という意味になるのだが……なんでそんな名前に変えたのか、語彙を知らないから付けたのでしょうね)。
これ以降、『参鶏湯』は「三伏に食べる料理」として夏の料理を代表しています。
「三伏に食べる料理」というのは、
まぁ、日本がいなくては、そして日本料理がなくては存在しなかった料理です。今は犬肉鍋がどんどん食べられなくなっていますので、残っているのは韓国曰く『日帝残滓』の料理だけとなります。
1950年代まで『鶏参湯』は『タックク』や『ペクスク』と比べるとマイナーな鶏料理であり、日本統治下で格段に成長を遂げた畜産業も、戦後の韓国では、韓国政府の無策で畜産業は壊滅的な状態になっており鶏肉も希少で、食され方も従来の方法が採られていた。だが、1953年の朝鮮戦争休戦後から『鶏参湯』も本格的に飲食店で提供されるようになり、粉末で入れていた高麗人参が丸のままとなったほか、1960年代には高麗人参の効能を強調するために名称が『鶏参湯』から『参鶏湯(つまり人参を頭に持ってきた名前)』へと変わっていった(そして本来の朝鮮語では「鶏と犬の汁物」という意味になるのだが……なんでそんな名前に変えたのか、語彙を知らないから付けたのでしょうね)。
これ以降、『参鶏湯』は「三伏に食べる料理」として夏の料理を代表しています。
「三伏に食べる料理」というのは、
- 『参鶏湯』
- 『タッハンマリ』
- 『補身湯(ケジャングッ)』
まぁ、日本がいなくては、そして日本料理がなくては存在しなかった料理です。今は犬肉鍋がどんどん食べられなくなっていますので、残っているのは韓国曰く『日帝残滓』の料理だけとなります。
歴史としては今の辛いキムチと同じで60年ぐらいしかなく、その前のスープの時を入れても100年程度しか経っていない「新しい料理」です。
日本の『トンカツ』や『ラーメン』『カレー』『焼肉』『オムライス』の方が古い。『ジンギスカン』が『鶏参湯』と同じぐらいで、『ドリア』は1930年ぐらい、『たこ焼き』が1933年なのでスープの『鶏参湯』のすぐ後ぐらいだが、今の『参鶏湯』は日本の『ナポリタン』より新しく、『クリームシチュー』『インスタントラーメン』の方が少し古い。今挙げたものを古いものから時系列で並べると、
というか、ぶっちゃけて今の辛いキムチと一緒でかなり新しい料理。『参鶏湯』を「伝統料理」と言うなら、『インスタントラーメン』も『ナポリタン』も『たこ焼き』も「伝統料理」になってしまうぐらい。『カレー』や『トンカツ』は前世紀ですから「古代から続く料理」と言ってもいいぐらいになりますね。
体調が悪ければ固形物が喉を通らなくて「栄養が溶け込んでいるから」とスープだけ飲む、なんて人もいるかもしれませんが、そうしたら元の『鶏参湯』ようになります。
ちなみに、日本の『牛丼』は1899年に名付けられた物ですので、韓国基準だと「古くからある日本の伝統的な和食」になってしまいます。
ましてや、パンは1543年に日本に伝わって来たもの。確かに日本独自のパンになっていくのは明治時代からなのだが、パン自体は江戸時代より前に日本に来ている。ということは、パンはもう「古代からの料理(韓国基準)」と言ってもいいのかもしれませんね。
鶏を丸まる使い、高麗人参以外にも食材を詰め込んで煮込んで食べるというものですが、このスタイルは1960年代以降の話。日本統治時代でも超贅沢な滋養強壮スープで庶民が口にするのはまず無理なものですが、そもそも、庶民が鶏料理を作りだし始めるのは養鶏を推奨して広めた日本統治が必要になります。
日本の『トンカツ』や『ラーメン』『カレー』『焼肉』『オムライス』の方が古い。『ジンギスカン』が『鶏参湯』と同じぐらいで、『ドリア』は1930年ぐらい、『たこ焼き』が1933年なのでスープの『鶏参湯』のすぐ後ぐらいだが、今の『参鶏湯』は日本の『ナポリタン』より新しく、『クリームシチュー』『インスタントラーメン』の方が少し古い。今挙げたものを古いものから時系列で並べると、
- 江戸時代:牛肉・豚肉の味噌漬けの「焼肉」が既にある
- 1868年:『カレー』
- 1899年:『トンカツ』(それより古いものもある)
- 1900年:『オムライス』
- 1910年:『ラーメン』(それより古いものもある)
- 1910〜20年:『ジンギスカン』
- 1910〜20年:『鶏参湯(参鶏湯の原型)』
- 1930年『ドリア』
- 1933年『たこ焼き』
- 1905〜1945年:『ナポリタン』
- 戦後:『クリームシチュー』
- 1958年:『インスタントラーメン』
- 1960年代:『参鶏湯』『サムギョプサル』『プルコギ』『(今の辛い)キムチ』
というか、ぶっちゃけて今の辛いキムチと一緒でかなり新しい料理。『参鶏湯』を「伝統料理」と言うなら、『インスタントラーメン』も『ナポリタン』も『たこ焼き』も「伝統料理」になってしまうぐらい。『カレー』や『トンカツ』は前世紀ですから「古代から続く料理」と言ってもいいぐらいになりますね。
体調が悪ければ固形物が喉を通らなくて「栄養が溶け込んでいるから」とスープだけ飲む、なんて人もいるかもしれませんが、そうしたら元の『鶏参湯』ようになります。
ちなみに、日本の『牛丼』は1899年に名付けられた物ですので、韓国基準だと「古くからある日本の伝統的な和食」になってしまいます。
ましてや、パンは1543年に日本に伝わって来たもの。確かに日本独自のパンになっていくのは明治時代からなのだが、パン自体は江戸時代より前に日本に来ている。ということは、パンはもう「古代からの料理(韓国基準)」と言ってもいいのかもしれませんね。
鶏を丸まる使い、高麗人参以外にも食材を詰め込んで煮込んで食べるというものですが、このスタイルは1960年代以降の話。日本統治時代でも超贅沢な滋養強壮スープで庶民が口にするのはまず無理なものですが、そもそも、庶民が鶏料理を作りだし始めるのは養鶏を推奨して広めた日本統治が必要になります。
参鶏湯を作る際に使われる高麗人参。
これは朝鮮時代は両班の特権で管理されていたものであり、中国との取引でも使われていたものです。ですので、庶民が使えるようなものではありません。
統治時代になり、両班特権が無くなったので、この高麗人参も朝鮮内の市場で出回るようになります(それでも高価なものです)。
実際に庶民まで使うようになるのは、朝鮮戦争後になります。
が、それもそもそもが日本統治時代に朝鮮人参の生産量を爆増させたからですね。朝鮮総督府がなければ、朝鮮人参は全滅していてもおかしくなかったのです。
これは朝鮮時代は両班の特権で管理されていたものであり、中国との取引でも使われていたものです。ですので、庶民が使えるようなものではありません。
統治時代になり、両班特権が無くなったので、この高麗人参も朝鮮内の市場で出回るようになります(それでも高価なものです)。
実際に庶民まで使うようになるのは、朝鮮戦争後になります。
が、それもそもそもが日本統治時代に朝鮮人参の生産量を爆増させたからですね。朝鮮総督府がなければ、朝鮮人参は全滅していてもおかしくなかったのです。

朝鮮時代の鶏の飼育は、農家が放し飼いで数羽を飼うようなものであり、この肉を食べる機会があるのはやはり特別な時(結婚や祭祀)の時ぐらいなものです。
まだ馬肉や羊肉・鹿肉といったものを食べられていた時期で、鶏も飼育は幾らかされていましたが野鳥の方が多く食べられていた時期でもあります。
これが統治時代になり、朝鮮総督府府は養鶏を推奨(日本では養豚と同じく養鶏も歴史が古い。江戸時代まではやはり小規模飼育が殆どでしたが、羽数は大変に多く鎌倉時代から武士の副業としてやっていた人もいたので、江戸時代後期ともなれば養鶏数自体は数百万羽と多かったのですが)し、また養鶏技術も持ってきて技術を教えている。養鶏数は1910年時に比べ1920年で約2倍、1935年頃で約2.8倍になります。

この朝鮮総督府が養鶏を推奨し、養鶏家が増え、生産性がいい養鶏種と持ち込み(ただし、在来種も羽数が減らないように気を使っている)、養鶏技術を日本が持ち込んだ事により、鶏肉が市場に流通し庶民でも鶏肉を気軽に食べる事が出来るようになったのです。そこで、鶏肉を主役とした料理としての『参鶏湯』が誕生します。
まだ馬肉や羊肉・鹿肉といったものを食べられていた時期で、鶏も飼育は幾らかされていましたが野鳥の方が多く食べられていた時期でもあります。
これが統治時代になり、朝鮮総督府府は養鶏を推奨(日本では養豚と同じく養鶏も歴史が古い。江戸時代まではやはり小規模飼育が殆どでしたが、羽数は大変に多く鎌倉時代から武士の副業としてやっていた人もいたので、江戸時代後期ともなれば養鶏数自体は数百万羽と多かったのですが)し、また養鶏技術も持ってきて技術を教えている。養鶏数は1910年時に比べ1920年で約2倍、1935年頃で約2.8倍になります。

この朝鮮総督府が養鶏を推奨し、養鶏家が増え、生産性がいい養鶏種と持ち込み(ただし、在来種も羽数が減らないように気を使っている)、養鶏技術を日本が持ち込んだ事により、鶏肉が市場に流通し庶民でも鶏肉を気軽に食べる事が出来るようになったのです。そこで、鶏肉を主役とした料理としての『参鶏湯』が誕生します。
日本風に言えば、昔の『参鶏湯』における鶏は、出汁を取る為の材料でしかなかったわけです。
少し違いますが、日本にも脇役の食材が主役の食材にとってかわった料理はありますね。
江戸の郷土料理『ねぎま鍋』です。
「ねぎま鍋」は、まぐろとねぎを醤油で調理した、江戸発祥の庶民の味。
現代ではトロと呼ばれる油の多いマグロの腹身は、江戸時代、お客には出せない下品な食材だったんです。赤味の部分は醤油につけてヅケにして寿司などで供されていますが、トロなどの脂身の部分は痛みも速く保存に適さないため、冷蔵庫など保存方法のない当時は加熱で調理をしています。そこでこの脂身を食べる工夫として、ねぎと醤油で一緒に火を通したことから「小鍋たて」の「ねぎま鍋」が誕生したと言われる。
また、江戸中期以降、七輪が開発されたことで、客間に火を持ち出せるようになったことから、鍋を調理器具だけではなくそのまま食すスタイルが普及し、汁物と煮物を合わせたような鍋料理は大変重宝されていました。
ここでの主役は、脂のうまみを吸い込んだ『葱』です。「ネギを美味しく食べるための料理」とも言えるかもしれません。
それがマグロ人気から、今やマグロの身の方が人気となり「マグロを美味しく食べるための料理」の1つとなっています。
少し違いますが、日本にも脇役の食材が主役の食材にとってかわった料理はありますね。
江戸の郷土料理『ねぎま鍋』です。
「ねぎま鍋」は、まぐろとねぎを醤油で調理した、江戸発祥の庶民の味。
現代ではトロと呼ばれる油の多いマグロの腹身は、江戸時代、お客には出せない下品な食材だったんです。赤味の部分は醤油につけてヅケにして寿司などで供されていますが、トロなどの脂身の部分は痛みも速く保存に適さないため、冷蔵庫など保存方法のない当時は加熱で調理をしています。そこでこの脂身を食べる工夫として、ねぎと醤油で一緒に火を通したことから「小鍋たて」の「ねぎま鍋」が誕生したと言われる。
また、江戸中期以降、七輪が開発されたことで、客間に火を持ち出せるようになったことから、鍋を調理器具だけではなくそのまま食すスタイルが普及し、汁物と煮物を合わせたような鍋料理は大変重宝されていました。
ここでの主役は、脂のうまみを吸い込んだ『葱』です。「ネギを美味しく食べるための料理」とも言えるかもしれません。
それがマグロ人気から、今やマグロの身の方が人気となり「マグロを美味しく食べるための料理」の1つとなっています。
ねぎま鍋のように歴史的な変化が分かっていれば、それもまた食の歴史だとなるのですが。『今の参鶏湯』を「朝鮮時代からある料理だ」と主張するようであるならば、「それは統治時代の料理だよ」と言うだけになります。
近いものだと『鶏膏』はあるが、朝鮮時代にはなかった料理。
統治時代に積極的に養鶏を推進し、日本の養鶏技術が導入され養鶏家が増え、庶民でも鶏を食べられやすくなる。それと共に両班特権も剥奪され高麗人参など朝鮮の市場に流れ、日本料理を基に新しい鶏肉料理を考案されている中で『参鶏湯』という料理ができた。と言うだけでいいものが、自大主義で歴史を歪曲捏造する故に、本来はその料理にある歴史価値を韓国人は自分で損なわせているのである。