最終更新:
mitsuko_tada 2025年07月15日(火) 21:07:56履歴
これもよく勘違いされているもので、『参鶏湯』のルーツは伝統的なものではなく、日本統治時代に出来たものです。
というか、日本統治が無ければ存在が出来なかった料理です。
また韓国になって少し変わり、大きな違いは、スープなのか、鶏の煮込みなのか、というものです。
『朝鮮半島に古くから伝わる料理』と書いている記事を見掛けますが、それは嘘です。
というか、日本統治が無ければ存在が出来なかった料理です。
また韓国になって少し変わり、大きな違いは、スープなのか、鶏の煮込みなのか、というものです。
『朝鮮半島に古くから伝わる料理』と書いている記事を見掛けますが、それは嘘です。
朝鮮時代には『参鶏湯』というのは存在せず、かろうじて似ている物で『鶏膏』というものが存在します。
元々、朝鮮時代では鶏を『薬』として扱っている料理がかなりある(まぁ、現在の韓国にほとんど残っていないが)。
当時だと鶏も農家が放し飼いをして飼育しており食べる場合も廃鶏になってからというもので、中流以下であれば正月や盆などの祭祀の際に口にする機会があるかも?ぐらいに希少なものです。
元々、朝鮮時代では鶏を『薬』として扱っている料理がかなりある(まぁ、現在の韓国にほとんど残っていないが)。
当時だと鶏も農家が放し飼いをして飼育しており食べる場合も廃鶏になってからというもので、中流以下であれば正月や盆などの祭祀の際に口にする機会があるかも?ぐらいに希少なものです。
韓国では「伝統的な薬膳料理からのものである」と信じている人もいるようですが、嘘です。
『参鶏湯』は、日本統治時代の朝鮮で鶏肉料理が発展する過程で誕生したものです。
どうも、日本の薬膳と水炊きの朝鮮風アレンジとして生まれた料理のようですね。
当時朝鮮を統治していた朝鮮総督府は鶏卵生産のため、朝鮮全土の農村にそれまで普及していなかった養鶏を副業として始めるよう奨励。その結果、朝鮮でも鶏肉を使った料理が1910年代から徐々に普及するようになり、1917年には朝鮮料理研究家の方信榮が著書の『萬家必備・朝鮮料理製法』で『タックク(닭국、鶏肉の入ったグク)』を、1924年には李用基が著書の『朝鮮無双新式料理製法』で調味料無しで材料を長時間煮込む『ペクスク(백숙、丸鶏の水炊き)』をそれぞれ紹介している(両方とも、日本の料理が基になっている)。
そもそも、参鶏湯の原型ができるには、それが出来る過程で大きな要素が2つあります。
『参鶏湯』は、日本統治時代の朝鮮で鶏肉料理が発展する過程で誕生したものです。
どうも、日本の薬膳と水炊きの朝鮮風アレンジとして生まれた料理のようですね。
当時朝鮮を統治していた朝鮮総督府は鶏卵生産のため、朝鮮全土の農村にそれまで普及していなかった養鶏を副業として始めるよう奨励。その結果、朝鮮でも鶏肉を使った料理が1910年代から徐々に普及するようになり、1917年には朝鮮料理研究家の方信榮が著書の『萬家必備・朝鮮料理製法』で『タックク(닭국、鶏肉の入ったグク)』を、1924年には李用基が著書の『朝鮮無双新式料理製法』で調味料無しで材料を長時間煮込む『ペクスク(백숙、丸鶏の水炊き)』をそれぞれ紹介している(両方とも、日本の料理が基になっている)。
そもそも、参鶏湯の原型ができるには、それが出来る過程で大きな要素が2つあります。
- 鶏肉の一般的な普及
日本統治前は、日本統治後の半分以下しかない。 - 高麗人参の市場の普及
高麗人参は両班の、それも上位の者が持つ利権であり、中国に高く売れますから李氏朝鮮内ではほとんどありません。高級な薬剤ですので、それを料理に使うなどは考えられない。これを日本統治で両班解体になり、それで市場に出てくるようになるものです。
『参鶏湯』は遅くとも1920年代には存在しており、当時は『鶏参湯(「けいじんとう」の朝鮮読みで「ケサムタン」)』と呼ばれていた料理。
日本では『独参湯(どくじんとう)』という日本独自の呼び方の「漢方で、朝鮮人参を煎じて作る気付け薬」がある。万病に効く起死回生の気つけ薬で、朝鮮人参を用いた薬湯のことで、元は中国のもので中国では『安神药(ānshényào)』と呼ぶ。「参」は「人参」を指している言葉で、『鶏』と『朝鮮人参』を使った『湯(汁物)』という意味で『鶏参湯』と名付けられている「薬用スープ」であり、つまり日本料理で朝鮮料理ではない。それの朝鮮読みが「ケサムタン」になる。
1930年刊行の『日本地理風俗大系・十六巻』には 「夏の三カ月間、人参と糯米の少しばかりを雌鶏の腹腔中にうずめて、その姿のまま煎じ出した液を鶏参湯と称し、一碗ずつ飲用すれば、滋強に効あり万病に冒されずとなし、富者はこれを摂用する」とあり、元は日本料理。当時の朝鮮の富裕層がそれを真似して水炊きに粉末の高麗人参を入れて『参鶏湯』の原型をつくったことが分かる。
ただし、当時の『参鶏湯』は現在のように「食べる」ものではなく、煮込み続けているものを数日にわたって少しずつ薬用スープとして飲むものであった。また、1935年刊の冊子『伸びゆく京城電気』に「真の朝鮮料理は貴族・上流階級の占有であって、平生、京城っ子の口に入らぬ」とあるように、特権階級の習慣は一般に知られていなかった。
今の時代で同じようなのを作りたいなら、缶詰や粒状の鶏ガラスープの素と、漢方薬の粉を買ってきて鍋に入れて煮れば同じようなのが出来るでしょう。
日本では『独参湯(どくじんとう)』という日本独自の呼び方の「漢方で、朝鮮人参を煎じて作る気付け薬」がある。万病に効く起死回生の気つけ薬で、朝鮮人参を用いた薬湯のことで、元は中国のもので中国では『安神药(ānshényào)』と呼ぶ。「参」は「人参」を指している言葉で、『鶏』と『朝鮮人参』を使った『湯(汁物)』という意味で『鶏参湯』と名付けられている「薬用スープ」であり、つまり日本料理で朝鮮料理ではない。それの朝鮮読みが「ケサムタン」になる。
1930年刊行の『日本地理風俗大系・十六巻』には 「夏の三カ月間、人参と糯米の少しばかりを雌鶏の腹腔中にうずめて、その姿のまま煎じ出した液を鶏参湯と称し、一碗ずつ飲用すれば、滋強に効あり万病に冒されずとなし、富者はこれを摂用する」とあり、元は日本料理。当時の朝鮮の富裕層がそれを真似して水炊きに粉末の高麗人参を入れて『参鶏湯』の原型をつくったことが分かる。
ただし、当時の『参鶏湯』は現在のように「食べる」ものではなく、煮込み続けているものを数日にわたって少しずつ薬用スープとして飲むものであった。また、1935年刊の冊子『伸びゆく京城電気』に「真の朝鮮料理は貴族・上流階級の占有であって、平生、京城っ子の口に入らぬ」とあるように、特権階級の習慣は一般に知られていなかった。
今の時代で同じようなのを作りたいなら、缶詰や粒状の鶏ガラスープの素と、漢方薬の粉を買ってきて鍋に入れて煮れば同じようなのが出来るでしょう。
『参鶏湯』が現在の形となるのは1960年代の韓国になってからで、『参鶏湯(サムゲタン)』という料理名称も『鶏参湯(「けいじんとう」の朝鮮語読みである「ケサムタン」)』を言い換えただけの日本語由来の借用語(『参鶏湯』は『삼계탕』と書くが、朝鮮語で『삼・계』は「鶏と犬」を指しており、字面だと「鶏と犬の汁物」になってしまうので、『삼계탕』はただの当て字である)。日本からのお金やODAによる畜産試験場や畜産技術を整えられてから今の形が出来ている。
1950年代まで『鶏参湯』は『タックク』や『ペクスク』と比べるとマイナーな鶏料理であり、日本統治下で格段に成長を遂げた畜産業も、戦後の韓国では、韓国政府の無策で畜産業は壊滅的な状態になっており鶏肉も希少で、食され方も従来の方法が採られていた。だが、1953年の朝鮮戦争休戦後から『鶏参湯』も本格的に飲食店で提供されるようになり、粉末で入れていた高麗人参が丸のままとなったほか、1960年代には高麗人参の効能を強調するために名称が『鶏参湯』から『参鶏湯(つまり人参を頭に持ってきた名前)』へと変わっていった(そして本来の朝鮮語では「鶏と犬の汁物」という意味になるのだが……なんでそんな名前に変えたのか、語彙を知らないから付けたのでしょうね)。
これ以降、『参鶏湯』は「三伏に食べる料理」として夏の料理を代表しています。
「三伏に食べる料理」というのは、
まぁ、日本がいなくては、そして日本料理がなくては存在しなかった料理です。今は犬肉鍋がどんどん食べられなくなっていますので、残っているのは韓国曰く『日帝残滓』の料理だけとなります。
1950年代まで『鶏参湯』は『タックク』や『ペクスク』と比べるとマイナーな鶏料理であり、日本統治下で格段に成長を遂げた畜産業も、戦後の韓国では、韓国政府の無策で畜産業は壊滅的な状態になっており鶏肉も希少で、食され方も従来の方法が採られていた。だが、1953年の朝鮮戦争休戦後から『鶏参湯』も本格的に飲食店で提供されるようになり、粉末で入れていた高麗人参が丸のままとなったほか、1960年代には高麗人参の効能を強調するために名称が『鶏参湯』から『参鶏湯(つまり人参を頭に持ってきた名前)』へと変わっていった(そして本来の朝鮮語では「鶏と犬の汁物」という意味になるのだが……なんでそんな名前に変えたのか、語彙を知らないから付けたのでしょうね)。
これ以降、『参鶏湯』は「三伏に食べる料理」として夏の料理を代表しています。
「三伏に食べる料理」というのは、
- 『参鶏湯』
- 『タッハンマリ』
- 『補身湯(ケジャングッ)』
まぁ、日本がいなくては、そして日本料理がなくては存在しなかった料理です。今は犬肉鍋がどんどん食べられなくなっていますので、残っているのは韓国曰く『日帝残滓』の料理だけとなります。
歴史としては今の辛いキムチと同じで60年ぐらいしかなく、その前のスープの時を入れても100年程度しか経っていない「新しい料理」です。
もし、『参鶏湯』の伝統を求めると、日本料理になってしまいます。
日本の『トンカツ』や『ラーメン』『カレー』『焼肉』『オムライス』の方が古い。『ジンギスカン』が『鶏参湯』と同じぐらいで、『ドリア』は1930年ぐらい、『たこ焼き』が1933年なのでスープの『鶏参湯』のすぐ後ぐらいだが、今の『参鶏湯』は日本の『ナポリタン』より新しく、『クリームシチュー』『インスタントラーメン』の方が少し古い。
今挙げたものなどを古いものから時系列で並べると、
日本では、どの料理も様々な経緯や変化を伴う歴史があり、それを知る事は調べればできるのですが。
韓国の『伝統料理』は、それが出来るまでの経緯が無くある日突然に表れているのですよね。
というか、『韓国伝統料理』はぶっちゃけて今の辛いキムチと一緒でかなり新しい料理。『参鶏湯』や『プルコギ』を「伝統料理」と言うなら、『インスタントラーメン』も『ナポリタン』も『たこ焼き』も「伝統料理」になってしまうぐらい。『カレー』や『トンカツ』は前世紀ですから「古代から続く料理」と言ってもいいぐらいになりますね。
体調が悪ければ固形物が喉を通らなくて「栄養が溶け込んでいるから」とスープだけ飲む、なんて人もいるかもしれませんが、そうしたら元の『鶏参湯』ようになります。
ちなみに、日本の『牛丼』は1899年に名付けられた物ですので、韓国の伝統料理基準だと「古くからある日本の伝統的な和食」になってしまいます。
ましてや、パンは1543年に日本に伝わって来たもの。確かに日本独自のパンになっていくのは明治時代からなのだが、パン自体は江戸時代より前に日本に来ている。ということは、パンはもう「古代からの料理(韓国基準)」と言ってもいいのかもしれませんね。
また、並べると判るのですが、『キンパ』『豚キムチ』『参鶏湯』『サムギョプサル』『プルコギ』『韓国チャンポン』『韓国焼肉』『トンカス』などは、日本の料理の模倣であり。
『ピビンバ』『韓国海苔』は日本統治中に、朝鮮人の口に合わせて日本料理をローカライズした日本人が考えたでものである。
ちなみに『ホトック』というのも、元は日本の『アメリカンドッグ』であり、これを名前を変えたものである。
古い料理であれば『ナムル』『チャプチェ』『トック』『チヂミ』『クッパ』『ユッケ』そして『キムチ』などは、中国からのもので、そのローカライズである(『ジャジャ麺』もそうですね)。
こう見ると、韓国の代表的な料理といっても、独自性のある料理というのは、ほんっとうにほとんど見当たらない(あるんですよ? 本当にきちんと伝統的な料理という、史料にある料理とかは。でも、韓国では見向きもされなかったり、別の料理で上書きして消し去ったりされています)。
特に今の「辛い料理」なんかは1960年代以降であり、味を辛さで誤魔化す伝統も何もない料理ですし。
鶏を丸まる使い、高麗人参以外にも食材を詰め込んで煮込んで食べるというものですが、このスタイルは1960年代以降の話。日本統治時代でも超贅沢な滋養強壮スープで庶民が口にするのはまず無理なものですが、そもそも、庶民が鶏料理を作りだし始めるのは養鶏を推奨して広めた日本統治が必要になります。
例えば、韓国人は「キンパは巻きずしの起源だ!」なんてウルジナルを言いますが、歴史や現れた時代で的外れな歪曲俗説だという事がよく分かります。
日本では、その食べ物がどう出来てきたのかが、時系列的に分かる物が多いのですよね。
例えば「巻き寿司」は、
もし、『参鶏湯』の伝統を求めると、日本料理になってしまいます。
日本の『トンカツ』や『ラーメン』『カレー』『焼肉』『オムライス』の方が古い。『ジンギスカン』が『鶏参湯』と同じぐらいで、『ドリア』は1930年ぐらい、『たこ焼き』が1933年なのでスープの『鶏参湯』のすぐ後ぐらいだが、今の『参鶏湯』は日本の『ナポリタン』より新しく、『クリームシチュー』『インスタントラーメン』の方が少し古い。
今挙げたものなどを古いものから時系列で並べると、
- 時代不詳:『なれ鮨』
- 平安時代:『焼き鳥』
- 927年:『獣肉の醤油漬け』(焼肉など漬け込み肉焼きのルーツ。延喜式の記述で、醤油漬け自体はそれ以前からある)
- 1543年:『パン』
- 1577年:『カステラ』
- 江戸時代:牛肉・豚肉の味噌漬けの「焼肉」が既にある
- 1699年:『天婦羅』(名前がこの時で、天婦羅自体は16世紀からある。「素材に衣をつけて油で揚げる」という料理法は既に精進料理や卓袱料理などによって日本で確立されてい)
- 1700年頃:『幽庵焼き』(焼肉など漬け込み肉焼きのルーツ)
- 1728年:『箱鮨』
- 1750年:『海苔巻き』(1750年刊行「料理山海郷」)
- 1829年:『握り寿司』
- 1868年:『カレー』
- 1870年前後:『長崎チャンポン』
- 1899年:『トンカツ』(それより古いものもある)
- 1899年:『牛丼』(「牛めし」としてはそれ以前からある)
- 1900年:『オムライス』
- 1910年:『ラーメン』(それより古いものもある)
- 1910〜20年:『ジンギスカン』
- 1910〜20年:『鶏参湯』(参鶏湯の原型だが、日本の『独参湯』の朝鮮呼びで日本料理)
- 1919年:『(韓国)海苔』(ごま油を塗って焼いて塩をかけた四角い海苔の記録がある。日本人が朝鮮人に合う味付けとして、『佐飯(ご飯のお供)』として作った物)
- 1922年:韓国『焼肉』(初めて「焼肉」と記載がある)
- 1925年:『マヨネーズ』(初の国産マヨネーズ)
- 1930年:『ドリア』
- 1932年:『若鳥の唐揚』(唐揚げ自体はそれ以前でもあるが、これは外食としての唐揚げ)
- 1933年:『たこ焼き』
- 1933年:『朝鮮混ぜずし』(ピビンバの源流で、日本のちらし寿司で朝鮮総菜を使った料理。つまり日本料理の朝鮮アレンジ)
- 1939年:『朝鮮ホテルの朝ごはん』(ピビンバの原型で、「朝鮮混ぜすし」から酢飯ではなく普通の飯にしたもの)
- 1905〜1945年:『ナポリタン』
- 戦後:『クリームシチュー』
- 戦後:『キンパ』(日本の海苔巻きを、朝鮮アレンジしたもの)
- 1948年:韓国政府の国語醇化政策で国民食と定め『ピビンバ』と名付ける
- 1958年:『インスタントラーメン』
- 1958年:『豚キムチ』(『家庭料理百科』に掲載、日本)
- 1960年代半ば:『豚キムチ』(韓国で出てくる。1966年8月8日付の京郷新聞に記述がある)
- 1960年代:『参鶏湯』『サムギョプサル』『プルコギ』『(今の辛い)キムチ』
- 1970年代:『韓国チャンポン』
- 1980年代:『韓国焼肉』『トンカス』
日本では、どの料理も様々な経緯や変化を伴う歴史があり、それを知る事は調べればできるのですが。
韓国の『伝統料理』は、それが出来るまでの経緯が無くある日突然に表れているのですよね。
というか、『韓国伝統料理』はぶっちゃけて今の辛いキムチと一緒でかなり新しい料理。『参鶏湯』や『プルコギ』を「伝統料理」と言うなら、『インスタントラーメン』も『ナポリタン』も『たこ焼き』も「伝統料理」になってしまうぐらい。『カレー』や『トンカツ』は前世紀ですから「古代から続く料理」と言ってもいいぐらいになりますね。
体調が悪ければ固形物が喉を通らなくて「栄養が溶け込んでいるから」とスープだけ飲む、なんて人もいるかもしれませんが、そうしたら元の『鶏参湯』ようになります。
ちなみに、日本の『牛丼』は1899年に名付けられた物ですので、韓国の伝統料理基準だと「古くからある日本の伝統的な和食」になってしまいます。
ましてや、パンは1543年に日本に伝わって来たもの。確かに日本独自のパンになっていくのは明治時代からなのだが、パン自体は江戸時代より前に日本に来ている。ということは、パンはもう「古代からの料理(韓国基準)」と言ってもいいのかもしれませんね。
また、並べると判るのですが、『キンパ』『豚キムチ』『参鶏湯』『サムギョプサル』『プルコギ』『韓国チャンポン』『韓国焼肉』『トンカス』などは、日本の料理の模倣であり。
『ピビンバ』『韓国海苔』は日本統治中に、朝鮮人の口に合わせて日本料理をローカライズした日本人が考えたでものである。
ちなみに『ホトック』というのも、元は日本の『アメリカンドッグ』であり、これを名前を変えたものである。
古い料理であれば『ナムル』『チャプチェ』『トック』『チヂミ』『クッパ』『ユッケ』そして『キムチ』などは、中国からのもので、そのローカライズである(『ジャジャ麺』もそうですね)。
こう見ると、韓国の代表的な料理といっても、独自性のある料理というのは、ほんっとうにほとんど見当たらない(あるんですよ? 本当にきちんと伝統的な料理という、史料にある料理とかは。でも、韓国では見向きもされなかったり、別の料理で上書きして消し去ったりされています)。
特に今の「辛い料理」なんかは1960年代以降であり、味を辛さで誤魔化す伝統も何もない料理ですし。
鶏を丸まる使い、高麗人参以外にも食材を詰め込んで煮込んで食べるというものですが、このスタイルは1960年代以降の話。日本統治時代でも超贅沢な滋養強壮スープで庶民が口にするのはまず無理なものですが、そもそも、庶民が鶏料理を作りだし始めるのは養鶏を推奨して広めた日本統治が必要になります。
例えば、韓国人は「キンパは巻きずしの起源だ!」なんてウルジナルを言いますが、歴史や現れた時代で的外れな歪曲俗説だという事がよく分かります。
日本では、その食べ物がどう出来てきたのかが、時系列的に分かる物が多いのですよね。
例えば「巻き寿司」は、
- 1685年、早ずしが誕生し、酢飯と寿司種を使用する江戸の料理として広く広がった。
- 1716年、品川で海苔の養殖が始まり、江戸の町に海苔が普及することになった。
- 1750年刊行「料理山海郷」で初めて巻き寿司は「巻鮨」として紹介された。
- 1776年刊行「新撰献立部類集」では巻き寿司の料理法が紹介されている。
- 以降、「豆腐百珍 続編」「万宝料理秘密箱 前篇」「名飯部類」など複数の書物に、巻き寿司が紹介されるようになる。
- 明治時代までは、巻き寿司は屋台などで提供されるのが主流だったが、明治時代〜大正時代には、家庭でも食べられるようになった。
- 稲荷寿司と海苔巻きを組み合わせたものを「助六」というが、これは同題の歌舞伎演目の登場人物名に寄せ、油揚げと巻寿司で「揚巻」とした洒落である。
参鶏湯を作る際に使われる高麗人参。
これは朝鮮時代は両班の特権で管理されていたものであり、中国との取引でも使われていたものです。ですので、庶民が使えるようなものではありません。
統治時代になり、両班特権が無くなったので、この高麗人参も朝鮮内の市場で出回るようになります(それでも高価なものです)。
実際に庶民まで使うようになるのは、朝鮮戦争後になります。
が、それもそもそもが日本統治時代に朝鮮人参の生産量を爆増させたからですね。朝鮮総督府がなければ、朝鮮人参は全滅していてもおかしくなかったのです。
これは朝鮮時代は両班の特権で管理されていたものであり、中国との取引でも使われていたものです。ですので、庶民が使えるようなものではありません。
統治時代になり、両班特権が無くなったので、この高麗人参も朝鮮内の市場で出回るようになります(それでも高価なものです)。
実際に庶民まで使うようになるのは、朝鮮戦争後になります。
が、それもそもそもが日本統治時代に朝鮮人参の生産量を爆増させたからですね。朝鮮総督府がなければ、朝鮮人参は全滅していてもおかしくなかったのです。
朝鮮時代の鶏の飼育は、農家が放し飼いで数羽を飼うようなものであり、この肉を食べる機会があるのはやはり特別な時(結婚や祭祀)の時ぐらいなものです。
まだ馬肉や羊肉・鹿肉といったものを食べられていた時期で、鶏も飼育は幾らかされていましたが野鳥の方が多く食べられていた時期でもあります。
これが統治時代になり、朝鮮総督府府は養鶏を推奨(日本では養豚と同じく養鶏も歴史が古い。江戸時代まではやはり小規模飼育が殆どでしたが、羽数は大変に多く鎌倉時代から武士の副業としてやっていた人もいたので、江戸時代後期ともなれば養鶏数自体は数百万羽と多かったのですが)し、また養鶏技術も持ってきて技術を教えている。養鶏数は1910年時に比べ1920年で約2倍、1935年頃で約2.8倍になります。

この朝鮮総督府が養鶏を推奨し、養鶏家が増え、生産性がいい養鶏種と持ち込み(ただし、在来種も羽数が減らないように気を使っている)、養鶏技術を日本が持ち込んだ事により、鶏肉が市場に流通し庶民でも鶏肉を気軽に食べる事が出来るようになったのです。そこで、鶏肉を主役とした料理としての『参鶏湯』が誕生します。
まだ馬肉や羊肉・鹿肉といったものを食べられていた時期で、鶏も飼育は幾らかされていましたが野鳥の方が多く食べられていた時期でもあります。
これが統治時代になり、朝鮮総督府府は養鶏を推奨(日本では養豚と同じく養鶏も歴史が古い。江戸時代まではやはり小規模飼育が殆どでしたが、羽数は大変に多く鎌倉時代から武士の副業としてやっていた人もいたので、江戸時代後期ともなれば養鶏数自体は数百万羽と多かったのですが)し、また養鶏技術も持ってきて技術を教えている。養鶏数は1910年時に比べ1920年で約2倍、1935年頃で約2.8倍になります。

この朝鮮総督府が養鶏を推奨し、養鶏家が増え、生産性がいい養鶏種と持ち込み(ただし、在来種も羽数が減らないように気を使っている)、養鶏技術を日本が持ち込んだ事により、鶏肉が市場に流通し庶民でも鶏肉を気軽に食べる事が出来るようになったのです。そこで、鶏肉を主役とした料理としての『参鶏湯』が誕生します。
日本風に言えば、昔の『参鶏湯』における鶏は、出汁を取る為の材料でしかなかったわけです。
少し違いますが、日本にも脇役の食材が主役の食材にとってかわった料理はありますね。
江戸の郷土料理『ねぎま鍋』です。
「ねぎま鍋」は、まぐろとねぎを醤油で調理した、江戸発祥の庶民の味。
現代ではトロと呼ばれる油の多いマグロの腹身は、江戸時代、お客には出せない下品な食材だったんです。赤味の部分は醤油につけてヅケにして寿司などで供されていますが、トロなどの脂身の部分は痛みも速く保存に適さないため、冷蔵庫など保存方法のない当時は加熱で調理をしています。そこでこの脂身を食べる工夫として、ねぎと醤油で一緒に火を通したことから「小鍋たて」の「ねぎま鍋」が誕生したと言われる。
また、江戸中期以降、七輪が開発されたことで、客間に火を持ち出せるようになったことから、鍋を調理器具だけではなくそのまま食すスタイルが普及し、汁物と煮物を合わせたような鍋料理は大変重宝されていました。
ここでの主役は、脂のうまみを吸い込んだ『葱』です。「ネギを美味しく食べるための料理」とも言えるかもしれません。
それがマグロ人気から、今やマグロの身の方が人気となり「マグロを美味しく食べるための料理」の1つとなっています。
少し違いますが、日本にも脇役の食材が主役の食材にとってかわった料理はありますね。
江戸の郷土料理『ねぎま鍋』です。
「ねぎま鍋」は、まぐろとねぎを醤油で調理した、江戸発祥の庶民の味。
現代ではトロと呼ばれる油の多いマグロの腹身は、江戸時代、お客には出せない下品な食材だったんです。赤味の部分は醤油につけてヅケにして寿司などで供されていますが、トロなどの脂身の部分は痛みも速く保存に適さないため、冷蔵庫など保存方法のない当時は加熱で調理をしています。そこでこの脂身を食べる工夫として、ねぎと醤油で一緒に火を通したことから「小鍋たて」の「ねぎま鍋」が誕生したと言われる。
また、江戸中期以降、七輪が開発されたことで、客間に火を持ち出せるようになったことから、鍋を調理器具だけではなくそのまま食すスタイルが普及し、汁物と煮物を合わせたような鍋料理は大変重宝されていました。
ここでの主役は、脂のうまみを吸い込んだ『葱』です。「ネギを美味しく食べるための料理」とも言えるかもしれません。
それがマグロ人気から、今やマグロの身の方が人気となり「マグロを美味しく食べるための料理」の1つとなっています。
ねぎま鍋のように歴史的な変化が分かっていれば、それもまた食の歴史だとなるのですが。『今の参鶏湯』を「朝鮮時代からある料理だ」と主張するようであるならば、「それは統治時代の料理だよ」と言うだけになります。
近いものだと『鶏膏』はあるが、朝鮮時代にはなかった料理。
統治時代に積極的に養鶏を推進し、日本の養鶏技術が導入され養鶏家が増え、庶民でも鶏を食べられやすくなる。それと共に両班特権も剥奪され高麗人参など朝鮮の市場に流れ、日本料理を基に新しい鶏肉料理を考案されている中で『参鶏湯』という料理ができた。と言うだけでいいものが、自大主義で歴史を歪曲捏造する故に、本来はその料理にある歴史価値を韓国人は自分で損なわせているのである。

