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【自国の味にしていく大切さ】

日本で中華料理は人気があるが、それが日本料理だと日本人は言わない(というか、日本発祥の中華料理もあるのに、それさえも中国にある料理だと思っている)。
ただ、日本の中華料理はアレンジをされており、本場中国とは味付けや材料が少し違うローカライズをされている。

この大きな立役者は中国系日本人1世で、来日後に日本に帰化した中国系日本人1世の陳健民で、日本人向けにローカライズした料理にして受け入れられたものである。
この人が言った言葉に「私の中華料理少しウソある。でもそれいいウソ。美味しいウソ」と言うのがあり、日本の味覚に合わせたアレンジを行った。
現在の日本では当たり前になっている「回鍋肉にキャベツを入れる」、中国では一般的な汁無しに対する「ラーメン風担担麺」、「エビチリソースの調味にトマトケチャップ」、「麻婆豆腐には豚挽肉と長ネギ」というレシピは建民が日本で始めたものだと言われている。このアレンジこそが今日の日本での中華料理の普及に多大なる効果を発揮することになったのだ。
トマトケチャップアレンジについては、中国本土でも現在はそのような料理が見受けられると息子の建一が見聞したという。

こういう「いい嘘」であればいいのだが。
韓国では、その来歴やルーツを捏造歪曲する「悪い嘘」が横行している

【韓国の料理】

韓国の料理は、幾つかの時期で大体が出来ています。
古い料理であれば『料理独案内:西洋朝鮮支那日本』に幾つか載っています。
【1920〜30年代】
日本統治で農業や産業などで余裕が出来てきた時代ですね。
識字率も上がってきており、独自の雑誌なども沢山出版されるようになります。
また、日本の演劇を学んだ人なども出てきたので、エンタメ産業も色々と出てきます。
この時期に出来た料理も多く、『ピビンバ』や『参鶏湯』『海苔巻き』などや、日本からやって来た食べ物、タイ焼きやライスパフ菓子などもこの頃です。
鶏肉が庶民でも食べれるようになった時期でもあります。
【1960年代】
日韓国交正常化もあり、日本からの輸入が増える時期です。
豚肉も日本から輸入されており、『焼肉』も伝わり『ブルコギ』『サムギョプサル』などの肉料理が生まれます。
現在の韓国の料理を象徴する『辛さが大変に効いた料理』もこの1960年代以降にできた物が殆どで伝統的な料理ではなく新しい料理、今の『キムチ』などもその1つです。
【1980年代】
韓国で民主化運動が起こった時期です。
1948年の弾圧で日本に逃れた在日韓国人も多く、この韓国の民主化運動を支援していました。
日本のチェーン店なども上陸し始め、『焼肉』が大変に流行ります。
また、豚肉が韓国の国内生産をされ、安価で安定した豚肉供給がされたので『トンカス』などの料理も出てきます。

【朝鮮時代から戦前の料理】

色々と記録に残っているものがあります。
朝鮮時代は、魚も新鮮なものを食べていたのは沿岸部ぐらいで、少し内側に入るととても塩辛くした保存魚です。
肉食もそれほどされておらず、食事で一番多いのは野菜です。
【朝鮮料理が残っているのは日本人の影響】
日韓併合期にわずかに残された朝鮮王宮に入ってそこでほぼ一子相伝のように宮女の間で伝えられてきた朝鮮宮中料理を外部から入って学んで習得し、後世に伝えた偉人でその成果は、黄彗性・石毛直道著『韓国の食』に残っています。
この本では、今は失われた朝鮮王宮のしきたりなどについても多く語らられていて、朝鮮王宮の内実を知るのには必須の本のひとつ。朝鮮王宮の残り香ともいえる尹大妃が住む昌徳宮楽善斎に入ってその尚宮(宮女の位)について王宮料理の伝統を学ぶと共に、口伝どころかまさに目で見て盗むを地で行く修行の末にしか受け継がれていなかった宮廷料理を計量化し、レシピとして後世に残したもので、大変に貴重なものですね。

黄彗性は韓国で重要無形文化財の指定を受けています。
この女性が淑明女子専門学校(現「淑明女子大」)の若い女教師だったのですが、若い教師が王宮に入って料理を学ぶということが出来たのにもきちんと理由と経緯があり、回顧談が残っています。
そのときの(淑明女子専門学校)校長先生は小田省吾先生ですが、その先生に私は本当に感謝しなければいけないんです。そのころ李王朝は滅びて、李王職を日本が管理していましたが、校長も、李王職の管理を兼ねていたわけです。李王職というのは、王家の財産を管理する職です。
(中略)
小田先生は朝鮮史の研究家です。それで、曲がったことが嫌いで、曲がったことが嫌いで、「正しくやりなさい」と言う方でしたから、私を呼びつけて「あんたは朝鮮の人がやらなければならないことをひとつやりなさい。」と。その時は食文化なんていう大きいことではなくて、「とにかく調理法から教わりなさい。あんたのお家でやっているのも、もちろん大切なことだけど、いま正確に韓国の伝統的なものが継承されているのは宮殿の中だ。まだ最後の王様の王妃が生きておられるのだから、その人についている厨房女官に習いなさい。」と言われたので、恐る恐るついていって、宮廷料理を勉強するようになったのです。
小田省吾(1871〜1953年)は元京城帝国大学教授で、朝鮮史の大家です。

ただ、これも日韓併合後の話ですので、やはり開国後の西洋の影響を強く受けているようで、料理も材料や手法にその影響が見られます(それでも大韓帝国末期の料理は多く記録として残されています)。

また、『李王朝は滅びて、李王職を日本が管理していましたが、校長も、李王職の管理を兼ねていたわけです。李王職というのは、王家の財産を管理する職』とあるように、日本統治下では李王朝は滅びていますが、王族は王族待遇で遇しています。「日本が王族を奪った」というのは嘘だと判りますね。

歴史を調べていくと、『朝鮮の歴史や文化を壊し消そうとした』のが実は朝鮮人で、『朝鮮の近代化』も邪魔や抵抗していたのは朝鮮人で。そして『朝鮮の歴史や文化を残す様に朝鮮人に働きかけ活動していた』のが実は日本人で、『朝鮮の近代化』に必要な事を提案したり助けていたり、実行していたのは日本人だった。
というのが明らかになるばかりですね。
【主に菜食だった】
野菜が多いのは、
◇儒教の影響
李氏朝鮮時代から儒教が国家のイデオロギーとして根付いており、肉食よりも菜食を推奨する傾向があり、これが影響を与えています。特に野菜は「五倫」に繋がる「仁」の象徴とされ、徳の高い食事には欠かせないと考えられていたのです。
◇地理的条件
朝鮮半島は山岳地帯が多く水田が少ない土地柄、肉類よりも野菜の方が栽培しやすく、安定して供給できる。特に葉野菜は栽培期間が短く、限られた土地でも育てやすかったんです。
◇経済的理由
李氏朝鮮時代は肉類は高価な食材、庶民は日常的に食べるのは難しい。一方、野菜は比較的安価で手に入れられ、栄養価も高く、庶民の食生活においてメインに。
といった理由があります。
そんな穀物や芋も含めた、肉や魚以外の食料も統治時代に格段に増えています(芋については『芋料理』を参照)。
【朝鮮時代の食事】
高麗時代だと、国教が仏教でしたので、菜食を推奨されていました。
まぁ、高麗や李氏朝鮮時代の王族や両班の食事は、主に中国の北東から陸路で伝わって来たものが多く、料理もその伝来してきた痕跡が見られますよ。李氏朝鮮時代末期に、朝鮮に来た外国人の手記にもありますが、「朝鮮の王族や貴族の料理は中国の料理の真似で、中国より美味しくない」というのも記録で残っています。
【1887年の朝鮮料理】
【1909年の料理】
1909年発刊の『新食道楽』に朝鮮料理が載っている(1887年の『料理独案内 : 西洋朝鮮支那日本』をだいぶ参考にしているようですが)。

ここにある料理は、
  • 赤飯:常食だったらしい。豆が多く、米より安いと書いてある。
"赤飯"というのは「赤飯(せきはん)」ではなく、野生種の形質を残した赤米の事。
しかし、実際の記録を見ると、一般では米ではなく粟・稗なども含んだ雑穀米に豆や北部では芋を混ぜて嵩増しした飯の事になり、庶民以下では稲米は殆ど口にする事は出来なかったとある。
そのため、この『新食道楽』の記載内容も、上級両班での食事の事だと判る(外国人に対して、恰好を付けて見せる文化がやはりあり、やっていた客が来ると肉を潰したりして贅沢な食事を振る舞っていたらしいことは、別の記録にある)。
  • 乾肉:牛肉を薄く切って日に干した。干し肉
この「乾肉」だが、牛の屠畜数は厳しく制限を掛けられており、乾肉作りというのは官の仕事となっており、それが渡される事は別の記録にある。
そのため、この「乾肉」もたいそうなご馳走であり、食べる事が出来たのは王族や上級・裕福な両班に限られる。
  • 油卵:溶き卵を脂の引いた鍋に半焼きして、刻んだ葱・韮を加えた物
  • 肉蒸:牛肉を芹や葱など野菜と一緒に鍋に入れ、苦醤油に水を混ぜて煮た物
  • 豆菜:もやしで、油煮や酢漬けにしたもの
  • 膾:牛の肝臓や舌などを生で和え、辛子や大蒜唐辛子を加味したもの。魚などもあるが、生臭い。
  • 沈菜:漬物
  • 餅:粳(うるち)米が多いがとあるが、ここで言う"粳米"は野生種の形質を残した赤米。粟や雑穀で作る場合の方が多い。
19世紀の初期頃でも、当時、所謂現代の粳米に近い栽培種の白米の栽培は全体の15%かそれ以下程度しかない。
また、栽培量も日本統治前では限られている上に、主に中国への輸出品として多くを輸出しています。具体的には、日本統治時代に日本統治開始より2.5倍ほどにした年度=1923年の米収穫量時の輸出量:約3割より少し多い量が統治前には中国に輸出されている。これは、日本統治前では朝鮮半島は米の大半を中国に輸出していたという事になる。
そのため、「白米」というのは王族や一部の両班以外では口にする事が難しく、一般的に食べられている穀物ではないという事である。。)
  • 膺肉:牛の首下の肉で、蒸して、それを薄切りにして醤油や辛子に漬けて食べる
  • 乾魚:干した水産物を焼かずそのまま食べる
  • 炙魚:魚肉を薄切りにして炙った物。
  • 饅頭:小麦粉団子の中に牛肉・鶏肉・卵黄・茸類や野菜、魚肉などを刻み入れ、これを汁に入れて食べる。
  • 豚和え:豚肉を油で煎り、さっと煮た上で生葱刻みや南蛮味噌と敢えて食べる(茹で豚と塩の豚炙り以外では珍しく見掛けた豚料理。牛肉料理はよく見掛けるし、鶏肉は主に薬の原料とされていたが)
  • 飛龍丸煮:鯉の油煮
  • 玉粲:糯米の粉を蒸して乾かし、紅を入れて乾かした後に油で煎り、砂糖と水飴に混ぜて遠火に掛け練り、それを冷やして切る物
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【1922年の記録】
1922年の『絵の旅 朝鮮支那の巻』にはこうある。

「朝鮮料理は支那料理に比べて淡白で、味も支那料理にも比べるべくもない。総じて大蒜と唐辛子で味付けされている」
【資料など】
まぁ、こういう学術論文
「朝鮮時代の食生活における菜食主義の受容と実践」
「高麗時代の食文化と仏教の関係」
「李氏朝鮮時代の地域食文化と社会階層」
だと、李氏朝鮮時代や高麗時代の食生活における野菜の重要性についてがより深く考察されています。特に、儒教の影響、地理的条件、経済的理由に加え、仏教の影響や地域差なども分析されています。

他にも
「朝鮮王朝五百年食文化史」
「韓国の食文化の歴史」
「韓国の伝統食」
これらの書籍では、李氏朝鮮時代や高麗時代の食文化全体について幅広く解説されています。日本でも翻訳されたのが入手できます(まぁ、中身を確認すると、嘘や歪曲も多々見られますが)。

https://numlk02.blogspot.com/
https://numlk05.blogspot.com/
ここにも沢山書いてあるので、参考にしてみてください。

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