最終更新: kusakidoshoten 2018年08月04日(土) 23:55:45履歴
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NEW 古楽夢
今更?今頃?今一度 この話、あるいは皆さんご存知でしたかね。
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NEW ◆(25)後から知るのも また愉し
"名所巡りて 温泉浸 かり その思い出に 浸 る日々"
"立てば名勝 座れば手酌 歩く順路は 風まかせ"
耄碌爺、枕が変わると眠れないという質で、生来の出不精。一人旅も家族旅行も行ったためしが無い。それでも随分、名所旧蹟名湯名刹を訪ねてきた。35歳で古書組合に加盟させて頂き、「福利厚生」の「組合旅行」で、各地を巡り歩かせて頂いたような按配で...
古本屋さんはみなさん旅行がお好きで、東京組合の時代は、支部旅行・展覧会同人旅行・神田の中央市の経営員旅行と年に何度も方々行かせて貰いました。ただ一泊と限られるので、行ける範囲は自ずと決まってきます。北は鬼怒川、会津、南は伊豆、伊東・下田、千葉の白浜・鴨川てなところ。
静岡組合は、年に二回の旅行があり、こちらは豪華に新幹線を使って、飛騨高山-高山祭屋台会館-奥飛騨温泉-新穂高ロープウェイ...岡山まで足を伸ばした時は、備前焼体験-夢二記念館-鷲羽山-大原美術館...と盛りだくさんに回りました。
旅行、幹事を仰せつかった時は、行き先の計画を練りますが、それ以外は白紙の状態で参加するようにしている。これが実に新鮮な感動を生むのであります。ただ目で見ただけでは分からない事が知りたくなり、戻ってから訪ねた場所の歴史なぞを詳しく調べたりするんであります。後から知るのもまた愉しで、めったに行かない旅を反芻する訳であります。
今年は北九州の組合旅行は国東半島。六郷満山開山1300年という節目で、特別公開される宝物もあるとの事で、両子寺、富貴寺、熊野磨崖仏、宇佐神宮なんぞを巡ってきました。今回は運転の役目も免除されたので、どの道をどう走ったのか、行き先も幹事におまかせ。
新緑の山旅を満喫して帰宅し、部屋の隅を見たら、旅行雑誌「るるぶ」の束が積み重なっている。この中に偶然、国東半島編が挟まっていた。開いてみたら、何と何処も今回訪ねた場所。おまけに泊まった宿もそこに紹介されているホテル!!つくづく読まずに出かけて良かった。この雑誌の案内は下世話で軽薄、あまり訪問する気にならないからだ。しかし、本号の「るるぶ」。HPに旅行スナップ集をUPする際、説明文の参考として十分役立ったのである。※補記:更に6月15日の北九市場に渡辺了著「国東半島 六郷満山の伝承」が出ていた。少し高めに入れて落札した。売らずにじっくり読ませて頂く積りだ。こんな奇遇、邂逅があるから古本屋は堪えられない。
◆画像はクリックして頂くと拡大されます。
"美少女の読んでる本のカバー取り 書名知りたい 昼の汽車"
"新人が慣れぬ手付きでカバーかけ 微笑みながら 渡す本"
もひとつ「知らない事に出会うと、まだこの世に「知る」楽しみが残っているのだなあ」と、嬉しくなった話。「書皮 」つまり書店のカバーの話である。
昔お客様のお宅まで本を買いに伺ったら、全部丁寧に新刊書店のカバーが掛けられていて、値を踏めない事があった。本体のカバーや帯を買ってすぐお捨てになられるようなお客様からみれば、古本屋としては綺麗な本は大歓迎。随分と時間をかけて「本の皮」を一冊一冊剥がしてはみたものの....買受はご容赦頂き帰参という仕儀に相成った。
先月の市場で落札した口は、本のカバーの下に書店のカバーがかかっている、という一風変わった状態。しかし、これもまた取らねばなるまいと剥がしてみたら、多くが『小倉魚町金栄堂』のもの。面白い絵だなと耳の部分を見たら、伊丹十三のデザイン。こりゃ売れるかも?と助平根性を出して調べてみたら、これ、書店カバーの愛好会「書皮友好協会」の第三回目の大賞を取っている。1986年の事である。伊丹十三記念館では、この書皮を復刻したともある。ただ手元に広げたものは、切れ込みとセロテープ跡が無残に残っていて、とても売りものにはならない。印刷も濃淡があり、ややピンボケ印刷のようなものもあった。
昔の話ばかりで埒もないが、爺が本屋になりたての頃は、よくお客様から「ブックカバーは無いか?」との御下問があった。当方も「風雅な古本屋」というのを目指していたので、市販の包装紙で粋な柄のものを買い、文庫判・四六判とサイズを切り揃えておき、カバーをお掛けしたものだ。「西部展」や「サンプラザ古本まつり」などでも、本は包装紙で包んでから、手提げのビニール袋に入れるように決めていたものだが、今は各地の催事の現場は、どうなっただろうか?いきなりビニール袋に入れてはいないだろうか?
ネット上に「1円本」が出現以来、一冊一冊が貴重という感覚が、本屋-お客様、双方、益々薄らいだような気がする。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
眠れぬ旅の夜、窓辺に座り、酒を片手に本を読む。蕎麦畑の向こうの山から、ホトトギスの鳴く聲が聞こえてくる。本を閉じ酒を注ぎ足す。読み終えるのが惜しいような話が間もなく大団円。でも、いつものように短編集をもう一冊忍ばせてきた。読み終えたら、それを開き、独り夜の明けるのを待とう...
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
本こそ終生の友だと思うのだが...
この話、あるいは皆さんご存知でしたかね。
※国東半島旅行で宿泊したホテル。宴会の時、「焼酎、芋ね」と何のこだわりもなく頼んで出されたのが「のみちょれ」。これがめっぽう美味。北九州に戻ってあちこちの酒屋を探したが見つからない。通販ででも、と検索したら、雑誌「一個人」の芋焼酎黒麹部門で一位になった酒、とある。臼杵の藤居酒造製造で「『洞窟かめ囲い』風連鍾乳洞に連なる洞窟内に置かれた甕のなかで寝かせたこだわりの逸品!」という事なのだ。「一個人」もついつい買ってしまう雑誌だが、これは見逃した。というか、一升で1800円位迄の焼酎しか買う事が無く、ごだわりを持たないので、目に入らなかった。「のみちょれ」は720mlで1000円ちょっとなので、手に届く逸品だ。通販は送料が690円というので、断念したが、しばらく当地の酒売場で探す楽しみができた。
※書皮-ブックカバーは新刊書店のものと決めつけていたが、書皮友好協会選出の大賞受賞の第一回目は実は古本屋で、祐天寺の「あるご書店」。荻窪の「岩森書店」や、横浜の「黄麦堂」なども受賞している。草木堂も店を持っていた頃、自刻の版画か何かで、作っておけば良かったと反省するばかり。
※6月15日の市場で、山福康政著「風の道づれ -ふらふら絵草紙」という画集を入手した。他の本屋さんが皆、「これはすぐ売れるよ」と太鼓判を押してくれた。画集というより、「滝田ゆう」風の「ほのぼの漫画」のタッチで、郷愁を誘う一冊である。この中に、書皮の件の『小倉魚町金栄堂』の一コマがあった。街を写した古い写真スナップより、思い入れが溢れた絵の方が、感興を覚える典型的な例である。早速ネットにUPしたが、ご同業の推薦通り、間髪を入れず売れてくれるだろうか?「風の道づれ」現在こちらにUP中
◆画像はクリックして頂くと拡大されます。
※講談社新書「八幡神と神仏習合」は宇佐神宮〜全国に広がった八幡信仰について書かれた一冊。実に面白く、旅行後、読書中の一冊である。読み進むと、近くまで行きながら、随分と行きそびれた場所があり悔やまれる。最後にたまたま訪れた「鷹栖つり橋」。下を流れていたのが「駅館川 」。この左岸に辛島氏が東進して、住みつき「辛国」とした、というくだりが現れて、興味深かった。(著者つじ氏はネット上では表記できない。右端画像を拡大して御覧ください。)古代史に関しては諸説あり、ロマンとして読み継ぐしかないのであろう。「新羅」自体も、日本、中国、朝鮮各国で、違った伝承がされており、ちなみに日本側の伝承によれば、新羅の祖、「天之日矛」は日本から渡った稲飯命の開いた新羅王朝家の子孫という事になっている。むしろ倭人が半島に渡った訳である。とにかく書物は沢山読めば読む程、楽しみが深まるというものである。
※国東は鱧 料理が名物。一同昼食は蒲焼で、私はご遠慮。鱧の話、吉田健一著「私の食物誌」も参照あれ。
◆(26)六月は忙しい
六月は忙しい、といっても、古本屋の商いの話ではない。毎年この時期になると、「そぞろ神」が取り憑いたように保存食の制作にとりかかるのである。
スーパーの店頭に「辣韮 」が並び、「青梅」が出て、少しして黄色く熟した梅と「赤紫蘇」の束が積み上がる水無月。水が無いどころか梅雨の真っ只中だ。
田圃には用水路から清らかな水が引かれ、昔は早乙女、今はヤンマーの田植え機で一斉に六条植え。この時期畦道に立つのが一番好きな爺だ。甘く稲の若葉が香ってくると「ああ百姓の血が自分には色濃く流れているんだなあ」と感じるのだ。それでいて、稲刈りの頃は余りDNAを感じないのだから勝手なものだ。
父親から「お前は士族だ、武士の子だ。シャンとしろ。」と頭ごなしに言い聞かされてきたが、どうみても饅頭屋の子だし、母親は木更津の農家の出。できたら切腹覚悟の武士は遠慮蒙りたい。刈り取りは、鋭利な鎌を使うのが嫌いだったのかも知れない。(爺は刃物がともかく嫌いで、毎月台所の包丁を研ぐのも億劫な方、これではやっぱり菓子屋にはなれない。カステラなどを切る包丁は毎日研ぐのである。)
さて今年も2キロのラッキョウと(1/4は「塩らっきょう」に)梅酒を二瓶漬けた。連日の雨で土用干しが大幅にズレ込んだが梅干も何とか完成。夏至の頃は、ベランダに陽が差し込まないので、写真のような工夫で干すのだ。
関東一円のスーパーダイエーで古本祭をしていた30年程前、TVテキスト「今日の料理」は欠かせない商材だった。その中で最も売れるのが「おせち料理特集」号。時期を問わずいつでも売れるのだ。昔の主婦の「おせち」に対するプレッシャーというのが、如何ばかりだったか想像がつく。
次に売れるのが案外六月号なのである。果実酒、梅干し...こちらの内容は主婦にとって重荷というより、楽しみ。むしろ男の領域でもあるから、一家揃っての和気藹々とした料理といえる。
爺も子供の頃、土用に庭中に梅干しを並べる作業を毎年手伝わされたものだ。水戸は烈公の「戦にそなえて梅を植えよ」のご下命で城下、梅干づくりが盛んで、どの家庭でも大量に作る風習が残っていた。特にウチは店と工場の裏に30坪程の庭があリ、オヤジが道楽の植木、作庭、盆栽に凝る以前は実に広々していた。ここ一面に家人職人、総出で赤く染まった梅を干したものだ。
更に我が家、冬には大樽で3つも4つも白菜を漬けた。これも男連中の仕事だった。どちらも漬ける時、大きな重しの石を使うからだろう。
ベランダから紫蘇の香りが漂って、空には雲無く風そよぎ、爺は子供の頃の思い出に浸りながら、
「今年の夏も何とか乗り切ろう」と決意するのである。
この話、あるいは皆さんご存知でしたかね。
※補記:今年はトウガラシのストックが底をついたので、苗木をプランターに植えつけた。スーパーなどで売っている鷹の爪は中国産なので、自分で栽培するしか無いのだ。鯵の南蛮漬けやら、ラッキョウ漬け、白菜漬け、の必需品。ところが今年は日照時間が少なく、花の付きが悪く心配している。常備のパセリも根腐れた。他にも「胡麻」に困っている、これはさすがに栽培できない。メンマも筍の時期に自分で作ってみたが、見事失敗した。カレーライスの友、福神漬も中国産が圧倒的に多い。悔しいから、これもレシピを開いて挑戦したところ、まずまずの成功。ただレシピ通りだと、かなり甘い。(大体甘いものか...)これらの食品、少しつづ国産が流通し出してきたので、後は価格だけ、と楽しみにしている。100円ショップも食器類などから、少しつづ国産のものが並び始めてきて、一安心している。
当家のベランダは干し場だ。秋、渋柿が出回ると、干し柿作りだが、これが暖冬だと難しい。それと渋柿、もう少しお安くならないものか...結構な値段である。
当地に来て知り常食するようになった「連子鯛」は実にウマイ。多めに買った時は、干物にしている。むしろ干物の方がウマサがたつ。秋田名物の「ハタハタ」も旬には店頭に並ぶので、鍋にして一杯飲るが、こちらも干した方が断然美味い。ただ卵は固くて噛めない。水戸だけの名産と思っていた「鮟鱇」も鍋のシーズンには沢山魚売り場に並ぶので驚いた。(但、爺は食さない)また北海道産の生ダラが一匹300円程で買えるので、これを鍋やら塩焼きやら粕漬けやら色々アレンジして楽しむのだ。北九州市は本当に魚が良くて離れがたい地ではある。
※語源辞典の説によれば、「水無月」は水の無い月という意ではなく、「神無月」の「な」と同様、「の」の意味で、水の月、田にみずを引く月の意、という事だ。勿論、旧暦の7月だから「渇水」という意味だ、という説もある。渇水なら8月かな、という気もするが...
※梅干しは、一昨年水戸の「十銭屋」さんから頂いた梅干が随分残っているので、今年は少なめに。「十銭屋」さんは、生家のあった和菓子屋の三軒隣の瀬戸物屋さん。実に美味な南高梅の梅干。子供の頃から家族ぐるみで、いつも良くして頂いてきた。生家は現在「つくば銀行(元関東銀行)」にお売りしたが、新営業所は建築始めたのだろうか?東関東大震災で、ビルの内部が随分破損していて、立て直すしかない、との事だった。3.11当時当店も、他人 様にお貸ししていて、屋根などが被災破損して修理や休業補償などで大変だった。今回の西日本水害もそうだが、災害は他人事ではない。
水戸の実家の和菓子屋があった泉町商店街 (画像クリックで拡大されます)
↑広小路側からデパート2が軒向かい合う1丁目を望む。↑泉町2丁目↑角の泉町商店会館の隣が十銭屋。間3軒おいた二階屋(看板建築風)が我が家。(写真当時はまだ兄姉と所有)爺の子供の時分は、この国道50号線の中心を路面電車が走っていた。電停0分だった。夏になると、友達連れで乗車、大洗海岸まで泳ぎにいったものだ。この「水浜鉄道」も昭和40年に廃止された。爺はバスが嫌いなので、電車を存続して欲しかった。広島や熊本なぞを見るたび、羨ましく思う。
※冒頭の拙句のお口直しに、水無月の名句をいくつか
NEW 古楽夢
今更?今頃?今一度 この話、あるいは皆さんご存知でしたかね。
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NEW ◆(25)後から知るのも また愉し
"名所巡りて 温泉
"立てば名勝 座れば手酌 歩く順路は 風まかせ"
耄碌爺、枕が変わると眠れないという質で、生来の出不精。一人旅も家族旅行も行ったためしが無い。それでも随分、名所旧蹟名湯名刹を訪ねてきた。35歳で古書組合に加盟させて頂き、「福利厚生」の「組合旅行」で、各地を巡り歩かせて頂いたような按配で...
古本屋さんはみなさん旅行がお好きで、東京組合の時代は、支部旅行・展覧会同人旅行・神田の中央市の経営員旅行と年に何度も方々行かせて貰いました。ただ一泊と限られるので、行ける範囲は自ずと決まってきます。北は鬼怒川、会津、南は伊豆、伊東・下田、千葉の白浜・鴨川てなところ。
静岡組合は、年に二回の旅行があり、こちらは豪華に新幹線を使って、飛騨高山-高山祭屋台会館-奥飛騨温泉-新穂高ロープウェイ...岡山まで足を伸ばした時は、備前焼体験-夢二記念館-鷲羽山-大原美術館...と盛りだくさんに回りました。
旅行、幹事を仰せつかった時は、行き先の計画を練りますが、それ以外は白紙の状態で参加するようにしている。これが実に新鮮な感動を生むのであります。ただ目で見ただけでは分からない事が知りたくなり、戻ってから訪ねた場所の歴史なぞを詳しく調べたりするんであります。後から知るのもまた愉しで、めったに行かない旅を反芻する訳であります。
今年は北九州の組合旅行は国東半島。六郷満山開山1300年という節目で、特別公開される宝物もあるとの事で、両子寺、富貴寺、熊野磨崖仏、宇佐神宮なんぞを巡ってきました。今回は運転の役目も免除されたので、どの道をどう走ったのか、行き先も幹事におまかせ。
新緑の山旅を満喫して帰宅し、部屋の隅を見たら、旅行雑誌「るるぶ」の束が積み重なっている。この中に偶然、国東半島編が挟まっていた。開いてみたら、何と何処も今回訪ねた場所。おまけに泊まった宿もそこに紹介されているホテル!!つくづく読まずに出かけて良かった。この雑誌の案内は下世話で軽薄、あまり訪問する気にならないからだ。しかし、本号の「るるぶ」。HPに旅行スナップ集をUPする際、説明文の参考として十分役立ったのである。※補記:更に6月15日の北九市場に渡辺了著「国東半島 六郷満山の伝承」が出ていた。少し高めに入れて落札した。売らずにじっくり読ませて頂く積りだ。こんな奇遇、邂逅があるから古本屋は堪えられない。
◆画像はクリックして頂くと拡大されます。
"美少女の読んでる本のカバー取り 書名知りたい 昼の汽車"
"新人が慣れぬ手付きでカバーかけ 微笑みながら 渡す本"
もひとつ「知らない事に出会うと、まだこの世に「知る」楽しみが残っているのだなあ」と、嬉しくなった話。「
昔お客様のお宅まで本を買いに伺ったら、全部丁寧に新刊書店のカバーが掛けられていて、値を踏めない事があった。本体のカバーや帯を買ってすぐお捨てになられるようなお客様からみれば、古本屋としては綺麗な本は大歓迎。随分と時間をかけて「本の皮」を一冊一冊剥がしてはみたものの....買受はご容赦頂き帰参という仕儀に相成った。
先月の市場で落札した口は、本のカバーの下に書店のカバーがかかっている、という一風変わった状態。しかし、これもまた取らねばなるまいと剥がしてみたら、多くが『小倉魚町金栄堂』のもの。面白い絵だなと耳の部分を見たら、伊丹十三のデザイン。こりゃ売れるかも?と助平根性を出して調べてみたら、これ、書店カバーの愛好会「書皮友好協会」の第三回目の大賞を取っている。1986年の事である。伊丹十三記念館では、この書皮を復刻したともある。ただ手元に広げたものは、切れ込みとセロテープ跡が無残に残っていて、とても売りものにはならない。印刷も濃淡があり、ややピンボケ印刷のようなものもあった。
昔の話ばかりで埒もないが、爺が本屋になりたての頃は、よくお客様から「ブックカバーは無いか?」との御下問があった。当方も「風雅な古本屋」というのを目指していたので、市販の包装紙で粋な柄のものを買い、文庫判・四六判とサイズを切り揃えておき、カバーをお掛けしたものだ。「西部展」や「サンプラザ古本まつり」などでも、本は包装紙で包んでから、手提げのビニール袋に入れるように決めていたものだが、今は各地の催事の現場は、どうなっただろうか?いきなりビニール袋に入れてはいないだろうか?
ネット上に「1円本」が出現以来、一冊一冊が貴重という感覚が、本屋-お客様、双方、益々薄らいだような気がする。
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眠れぬ旅の夜、窓辺に座り、酒を片手に本を読む。蕎麦畑の向こうの山から、ホトトギスの鳴く聲が聞こえてくる。本を閉じ酒を注ぎ足す。読み終えるのが惜しいような話が間もなく大団円。でも、いつものように短編集をもう一冊忍ばせてきた。読み終えたら、それを開き、独り夜の明けるのを待とう...
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本こそ終生の友だと思うのだが...
この話、あるいは皆さんご存知でしたかね。
※国東半島旅行で宿泊したホテル。宴会の時、「焼酎、芋ね」と何のこだわりもなく頼んで出されたのが「のみちょれ」。これがめっぽう美味。北九州に戻ってあちこちの酒屋を探したが見つからない。通販ででも、と検索したら、雑誌「一個人」の芋焼酎黒麹部門で一位になった酒、とある。臼杵の藤居酒造製造で「『洞窟かめ囲い』風連鍾乳洞に連なる洞窟内に置かれた甕のなかで寝かせたこだわりの逸品!」という事なのだ。「一個人」もついつい買ってしまう雑誌だが、これは見逃した。というか、一升で1800円位迄の焼酎しか買う事が無く、ごだわりを持たないので、目に入らなかった。「のみちょれ」は720mlで1000円ちょっとなので、手に届く逸品だ。通販は送料が690円というので、断念したが、しばらく当地の酒売場で探す楽しみができた。
※書皮-ブックカバーは新刊書店のものと決めつけていたが、書皮友好協会選出の大賞受賞の第一回目は実は古本屋で、祐天寺の「あるご書店」。荻窪の「岩森書店」や、横浜の「黄麦堂」なども受賞している。草木堂も店を持っていた頃、自刻の版画か何かで、作っておけば良かったと反省するばかり。
※6月15日の市場で、山福康政著「風の道づれ -ふらふら絵草紙」という画集を入手した。他の本屋さんが皆、「これはすぐ売れるよ」と太鼓判を押してくれた。画集というより、「滝田ゆう」風の「ほのぼの漫画」のタッチで、郷愁を誘う一冊である。この中に、書皮の件の『小倉魚町金栄堂』の一コマがあった。街を写した古い写真スナップより、思い入れが溢れた絵の方が、感興を覚える典型的な例である。早速ネットにUPしたが、ご同業の推薦通り、間髪を入れず売れてくれるだろうか?「風の道づれ」現在こちらにUP中
◆画像はクリックして頂くと拡大されます。
※講談社新書「八幡神と神仏習合」は宇佐神宮〜全国に広がった八幡信仰について書かれた一冊。実に面白く、旅行後、読書中の一冊である。読み進むと、近くまで行きながら、随分と行きそびれた場所があり悔やまれる。最後にたまたま訪れた「鷹栖つり橋」。下を流れていたのが「
※国東は
◆(26)六月は忙しい
水無月や 梅酒梅干 辣韮漬け | 水無月の風 田をわたり 稲馨る | 観音様と笹酒酌みて竹供養 | 白骨 |
スーパーの店頭に「
田圃には用水路から清らかな水が引かれ、昔は早乙女、今はヤンマーの田植え機で一斉に六条植え。この時期畦道に立つのが一番好きな爺だ。甘く稲の若葉が香ってくると「ああ百姓の血が自分には色濃く流れているんだなあ」と感じるのだ。それでいて、稲刈りの頃は余りDNAを感じないのだから勝手なものだ。
父親から「お前は士族だ、武士の子だ。シャンとしろ。」と頭ごなしに言い聞かされてきたが、どうみても饅頭屋の子だし、母親は木更津の農家の出。できたら切腹覚悟の武士は遠慮蒙りたい。刈り取りは、鋭利な鎌を使うのが嫌いだったのかも知れない。(爺は刃物がともかく嫌いで、毎月台所の包丁を研ぐのも億劫な方、これではやっぱり菓子屋にはなれない。カステラなどを切る包丁は毎日研ぐのである。)
さて今年も2キロのラッキョウと(1/4は「塩らっきょう」に)梅酒を二瓶漬けた。連日の雨で土用干しが大幅にズレ込んだが梅干も何とか完成。夏至の頃は、ベランダに陽が差し込まないので、写真のような工夫で干すのだ。
関東一円のスーパーダイエーで古本祭をしていた30年程前、TVテキスト「今日の料理」は欠かせない商材だった。その中で最も売れるのが「おせち料理特集」号。時期を問わずいつでも売れるのだ。昔の主婦の「おせち」に対するプレッシャーというのが、如何ばかりだったか想像がつく。
次に売れるのが案外六月号なのである。果実酒、梅干し...こちらの内容は主婦にとって重荷というより、楽しみ。むしろ男の領域でもあるから、一家揃っての和気藹々とした料理といえる。
爺も子供の頃、土用に庭中に梅干しを並べる作業を毎年手伝わされたものだ。水戸は烈公の「戦にそなえて梅を植えよ」のご下命で城下、梅干づくりが盛んで、どの家庭でも大量に作る風習が残っていた。特にウチは店と工場の裏に30坪程の庭があリ、オヤジが道楽の植木、作庭、盆栽に凝る以前は実に広々していた。ここ一面に家人職人、総出で赤く染まった梅を干したものだ。
更に我が家、冬には大樽で3つも4つも白菜を漬けた。これも男連中の仕事だった。どちらも漬ける時、大きな重しの石を使うからだろう。
ベランダから紫蘇の香りが漂って、空には雲無く風そよぎ、爺は子供の頃の思い出に浸りながら、
「今年の夏も何とか乗り切ろう」と決意するのである。
この話、あるいは皆さんご存知でしたかね。
※補記:今年はトウガラシのストックが底をついたので、苗木をプランターに植えつけた。スーパーなどで売っている鷹の爪は中国産なので、自分で栽培するしか無いのだ。鯵の南蛮漬けやら、ラッキョウ漬け、白菜漬け、の必需品。ところが今年は日照時間が少なく、花の付きが悪く心配している。常備のパセリも根腐れた。他にも「胡麻」に困っている、これはさすがに栽培できない。メンマも筍の時期に自分で作ってみたが、見事失敗した。カレーライスの友、福神漬も中国産が圧倒的に多い。悔しいから、これもレシピを開いて挑戦したところ、まずまずの成功。ただレシピ通りだと、かなり甘い。(大体甘いものか...)これらの食品、少しつづ国産が流通し出してきたので、後は価格だけ、と楽しみにしている。100円ショップも食器類などから、少しつづ国産のものが並び始めてきて、一安心している。
当家のベランダは干し場だ。秋、渋柿が出回ると、干し柿作りだが、これが暖冬だと難しい。それと渋柿、もう少しお安くならないものか...結構な値段である。
当地に来て知り常食するようになった「連子鯛」は実にウマイ。多めに買った時は、干物にしている。むしろ干物の方がウマサがたつ。秋田名物の「ハタハタ」も旬には店頭に並ぶので、鍋にして一杯飲るが、こちらも干した方が断然美味い。ただ卵は固くて噛めない。水戸だけの名産と思っていた「鮟鱇」も鍋のシーズンには沢山魚売り場に並ぶので驚いた。(但、爺は食さない)また北海道産の生ダラが一匹300円程で買えるので、これを鍋やら塩焼きやら粕漬けやら色々アレンジして楽しむのだ。北九州市は本当に魚が良くて離れがたい地ではある。
※語源辞典の説によれば、「水無月」は水の無い月という意ではなく、「神無月」の「な」と同様、「の」の意味で、水の月、田にみずを引く月の意、という事だ。勿論、旧暦の7月だから「渇水」という意味だ、という説もある。渇水なら8月かな、という気もするが...
※梅干しは、一昨年水戸の「十銭屋」さんから頂いた梅干が随分残っているので、今年は少なめに。「十銭屋」さんは、生家のあった和菓子屋の三軒隣の瀬戸物屋さん。実に美味な南高梅の梅干。子供の頃から家族ぐるみで、いつも良くして頂いてきた。生家は現在「つくば銀行(元関東銀行)」にお売りしたが、新営業所は建築始めたのだろうか?東関東大震災で、ビルの内部が随分破損していて、立て直すしかない、との事だった。3.11当時当店も、
水戸の実家の和菓子屋があった泉町商店街 (画像クリックで拡大されます)
↑広小路側からデパート2が軒向かい合う1丁目を望む。↑泉町2丁目↑角の泉町商店会館の隣が十銭屋。間3軒おいた二階屋(看板建築風)が我が家。(写真当時はまだ兄姉と所有)爺の子供の時分は、この国道50号線の中心を路面電車が走っていた。電停0分だった。夏になると、友達連れで乗車、大洗海岸まで泳ぎにいったものだ。この「水浜鉄道」も昭和40年に廃止された。爺はバスが嫌いなので、電車を存続して欲しかった。広島や熊本なぞを見るたび、羨ましく思う。
※冒頭の拙句のお口直しに、水無月の名句をいくつか
水無月の竹を叩くや俄雨 (松瀬青々) | 水無月の蟻おびたゞし石の陰 (正岡子規) | 黒鯉は最澄の黒水無月会 (森澄雄) |
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