最終更新: kusakidoshoten 2020年03月02日(月) 16:04:44履歴
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WIKI-BN
孤狼(古老)の市場綺譚 (序)
ゆきがくれ ききがき
古書肆心得
◆序章=夜飲の歓談 (やいんのかんだん)
私が古書組合に入りました折には、翁はすでに雪深い地方都市に隠遁されておりました。
駆け出しの私が、「市場の孤狼」と異名とる、伝説の「経営員」の翁の元に度々訪れ、
後世に残すべき翁の遺訓をこうして記録するに至ったのは、もう四年前にもなりましょうか、
ある市会の大市の打ち上げ慰労会に袖がテカテカに光ったジャンパーを身に纏った、痩躯の
老人が紛れ込んできた事に端を発しているのであります。「現在の市会の会長の同期」
という紹介があり、壇に立たれたのが、その御老体で、尾羽打ち枯らした姿に、誰も憐憫の情を
持ちこそすれ、尊敬の念を抱くといった雰囲気には到底なれませんでした。
翁は「会長の召喚により、いささか市場の経営員(市場を運営する係)の心構えや、古本屋としての
あるべき姿などの指針を話しに参った」と前置きし、30分程話された。
私にとっては幾つかの膝を打つ箴言を伺う事ができたと感激したのだが、回りの同僚若手からは、
「時代が違うんだよな」とか「年寄りの自慢話かよ」、挙句は「あいつ、まだ生きてたのかよ」
などというひそひそ話が聞こえてきた。
確かに翁の全盛の時代は高度成長期からバブル期の頃で、その頃の市場の規律や問題点、
そのなすべき行動規範を現在にそのまま敷衍されたのですから、古本屋自体の存在の危機が囁かれて
いる昨今、日々どん詰まりのような売上の中でもがいている若手には(何せ本が売れた時代を知らない
のですから)反発しか起こってこないのも、当然であったかも知れません。
私は宴が終わり、翁が席を立たれる際、お側に近づき、貴重な訓話に対して感謝の意をお伝えし、
心ない同僚の陰口をも詫びました。翁は歯のない口を開けて、快活に笑われ、
「もう二度と皆さんの前には現れないだろうよ」とおっしゃられ、
「今は古書の氷河期、人類の開闢以来の知的財産、先人の熱い思いも白く冷たい雪に覆われ隠されている。しかし、書物、「知」が無くなった訳ではない。わしの拙い経験から導き出された規範も純白の真実である。その白さの故、皆には見えないのであろうが、いつか雪が溶ける日もあろう。その時、きっと白い真理が知の平原に光輝くであろうよ」
といった意味の事(勿論訥々と語られたのではありますが)を語られました。
私は会長が翁を遠路東京まで呼び寄せ、我々に理解させたかった中身をもう少し知りたくなり、
実家が丁度、翁の移住された町、という奇縁もあり、菓子折など持参して翁を訪ねる事にしたのである。
翁は実は、出家され、廃寺のような崩落寸前の山寺に住んでおられた。さすがに元古本屋で、庫裏には
背丈を越す書物が積まれ、その山脈のむこうから、私の訪問を大変喜んでくだすった。
歯の不自由な翁にはいいだろうと持参した、生シュークリームをお渡しすると、
「女子供の食する西洋菓子か。まあ寺に近所の子供らも来るから、あれらに食べさせようか。みやげなど
気を使うな、まあ今度は酒の一本でも下げて参れ、一献酌み交わそう」
とおっしゃられ、私は赤面の至りだった。
しかし、翁の古書市場や経営員の心得などの聞書をしてみたいと、お伝えすると、
「講演などで、分かって貰おうというのがどだい無理じゃな。文字に書き残しておくのは、あながち
無意味な事ではないかも知れないな」と、受け入れて下さったのでした。
そして、その第一回は、「古本屋必携四請願」と後に呼ばれる、次の4つの心得だったのであります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
一、古本道に於いて、おくれ取り申すまじき事。
一、読書子、研究者の御用に立つべき事
一、諸先輩、親に孝行仕るべき事
一、大慈悲を起こし、周圍の人、後の人の為になるべき事
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
明日は無き身と覚悟し、日々この四請願を心に念じ、一歩一歩尺取虫のように、先ににじり進むべきものが、古本屋である。と申されました。
この度不肖わたくし、翁の「遺訓」に 【雪隠(ゆきがくれ)】という名を冠し、長く後世に伝えんとするものであります。
次回から、具体的な生き方についての道話を記して参る積りです。拙い文章にて、正確に翁のご意思を伝える事ができますか、不安もありますが、翁の人柄も併せて記して、人間味溢れる聞書になればと念じております。是非ご一読くださいますよう、伏してお願い申し上げます。
追記。最初の訪問日、今にも振りそうな空模様で、折り畳み傘を持参していたのを翁の居間に忘れ、
山門から引き返して、玄関でその旨声をかけましたら、翁は親切にも傘を持って出て来られました。
その時、翁の口の回りには、白いクリームがべったりと付いておりましたのを、忘れもしません。
※実は、このコラムに対して、発表当時反響が皆無だったので「葉隠」のパロディ企画は、
この前文のみでボツにしてしまった。続きをどう書く、とか頭の中では決めていたはずだが、
惚けて、すっかり忘れてしまった。
先日、今井書店さんのツイッターに、古本屋入門のノウハウが書かれたものが無いか?
とのお客様の依頼があった、という一文が掲載されていた。「無い事もないが、相場など
激変していくし、難しい」とご返事されたようだ。
確かに個別の商いはやはり各自が考えるしかなく、むしろ自分で考えるところが、
古本屋冥利に尽きる、ところではないのでしょうか?
むしろ、継続していく力の源泉、と申しましょうか、「理念」とか「理想」とかを
持たないと半年も続けられない仕事だと言えましょう。「儲け」とか「採算」などを
考えたら、到底できる仕事ではないのですから..
「理念」なら、こんなお巫山戯のパロディでも、何かのお役に立てば?と再掲載した次第です。
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孤狼(古老)の市場綺譚 (序)
ゆきがくれ ききがき
古書肆心得
◆序章=夜飲の歓談 (やいんのかんだん)
私が古書組合に入りました折には、翁はすでに雪深い地方都市に隠遁されておりました。
駆け出しの私が、「市場の孤狼」と異名とる、伝説の「経営員」の翁の元に度々訪れ、
後世に残すべき翁の遺訓をこうして記録するに至ったのは、もう四年前にもなりましょうか、
ある市会の大市の打ち上げ慰労会に袖がテカテカに光ったジャンパーを身に纏った、痩躯の
老人が紛れ込んできた事に端を発しているのであります。「現在の市会の会長の同期」
という紹介があり、壇に立たれたのが、その御老体で、尾羽打ち枯らした姿に、誰も憐憫の情を
持ちこそすれ、尊敬の念を抱くといった雰囲気には到底なれませんでした。
翁は「会長の召喚により、いささか市場の経営員(市場を運営する係)の心構えや、古本屋としての
あるべき姿などの指針を話しに参った」と前置きし、30分程話された。
私にとっては幾つかの膝を打つ箴言を伺う事ができたと感激したのだが、回りの同僚若手からは、
「時代が違うんだよな」とか「年寄りの自慢話かよ」、挙句は「あいつ、まだ生きてたのかよ」
などというひそひそ話が聞こえてきた。
確かに翁の全盛の時代は高度成長期からバブル期の頃で、その頃の市場の規律や問題点、
そのなすべき行動規範を現在にそのまま敷衍されたのですから、古本屋自体の存在の危機が囁かれて
いる昨今、日々どん詰まりのような売上の中でもがいている若手には(何せ本が売れた時代を知らない
のですから)反発しか起こってこないのも、当然であったかも知れません。
私は宴が終わり、翁が席を立たれる際、お側に近づき、貴重な訓話に対して感謝の意をお伝えし、
心ない同僚の陰口をも詫びました。翁は歯のない口を開けて、快活に笑われ、
「もう二度と皆さんの前には現れないだろうよ」とおっしゃられ、
「今は古書の氷河期、人類の開闢以来の知的財産、先人の熱い思いも白く冷たい雪に覆われ隠されている。しかし、書物、「知」が無くなった訳ではない。わしの拙い経験から導き出された規範も純白の真実である。その白さの故、皆には見えないのであろうが、いつか雪が溶ける日もあろう。その時、きっと白い真理が知の平原に光輝くであろうよ」
といった意味の事(勿論訥々と語られたのではありますが)を語られました。
私は会長が翁を遠路東京まで呼び寄せ、我々に理解させたかった中身をもう少し知りたくなり、
実家が丁度、翁の移住された町、という奇縁もあり、菓子折など持参して翁を訪ねる事にしたのである。
翁は実は、出家され、廃寺のような崩落寸前の山寺に住んでおられた。さすがに元古本屋で、庫裏には
背丈を越す書物が積まれ、その山脈のむこうから、私の訪問を大変喜んでくだすった。
歯の不自由な翁にはいいだろうと持参した、生シュークリームをお渡しすると、
「女子供の食する西洋菓子か。まあ寺に近所の子供らも来るから、あれらに食べさせようか。みやげなど
気を使うな、まあ今度は酒の一本でも下げて参れ、一献酌み交わそう」
とおっしゃられ、私は赤面の至りだった。
しかし、翁の古書市場や経営員の心得などの聞書をしてみたいと、お伝えすると、
「講演などで、分かって貰おうというのがどだい無理じゃな。文字に書き残しておくのは、あながち
無意味な事ではないかも知れないな」と、受け入れて下さったのでした。
そして、その第一回は、「古本屋必携四請願」と後に呼ばれる、次の4つの心得だったのであります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
一、古本道に於いて、おくれ取り申すまじき事。
一、読書子、研究者の御用に立つべき事
一、諸先輩、親に孝行仕るべき事
一、大慈悲を起こし、周圍の人、後の人の為になるべき事
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
明日は無き身と覚悟し、日々この四請願を心に念じ、一歩一歩尺取虫のように、先ににじり進むべきものが、古本屋である。と申されました。
この度不肖わたくし、翁の「遺訓」に 【雪隠(ゆきがくれ)】という名を冠し、長く後世に伝えんとするものであります。
次回から、具体的な生き方についての道話を記して参る積りです。拙い文章にて、正確に翁のご意思を伝える事ができますか、不安もありますが、翁の人柄も併せて記して、人間味溢れる聞書になればと念じております。是非ご一読くださいますよう、伏してお願い申し上げます。
追記。最初の訪問日、今にも振りそうな空模様で、折り畳み傘を持参していたのを翁の居間に忘れ、
山門から引き返して、玄関でその旨声をかけましたら、翁は親切にも傘を持って出て来られました。
その時、翁の口の回りには、白いクリームがべったりと付いておりましたのを、忘れもしません。
※実は、このコラムに対して、発表当時反響が皆無だったので「葉隠」のパロディ企画は、
この前文のみでボツにしてしまった。続きをどう書く、とか頭の中では決めていたはずだが、
惚けて、すっかり忘れてしまった。
先日、今井書店さんのツイッターに、古本屋入門のノウハウが書かれたものが無いか?
とのお客様の依頼があった、という一文が掲載されていた。「無い事もないが、相場など
激変していくし、難しい」とご返事されたようだ。
確かに個別の商いはやはり各自が考えるしかなく、むしろ自分で考えるところが、
古本屋冥利に尽きる、ところではないのでしょうか?
むしろ、継続していく力の源泉、と申しましょうか、「理念」とか「理想」とかを
持たないと半年も続けられない仕事だと言えましょう。「儲け」とか「採算」などを
考えたら、到底できる仕事ではないのですから..
「理念」なら、こんなお巫山戯のパロディでも、何かのお役に立てば?と再掲載した次第です。
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