「全国古書籍商連合会」(全古書連)加盟の古書店です。在庫のみならず、店主のコラム・古本エッセイ・趣味の野草写真などを掲載して参ります。



              OUT9ホール(10〜18番) 
       (結構フェアウェイを外して、打数は多いです。10月1日-最新のを上位に並べ替えました)
 

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🚩14番hole 参加していないのに確かに奴がそこにいる

録音した曲を聴いて「彼はいなかったはずなのに一緒に演奏ヤッてるなあ」というような、奇妙な感覚にとらわれる事がよくある。ギターもヴォーカルも、タンバリンでも参加していないのに、和気藹々、一緒に録音したような気分。まあ、作詞・作曲の段階から、相手-仲間をイメージして作っているし、一番近い聴き手は仲間なんだから完璧に意識の中に溶け込んでいるのである。
最たるものがこの私。自慢気に書けば(これ自慢か?)当時は「ジョニーが参加してない曲の方が、バランス良く演奏できてる」という定説があった。録音日に、ひどい風邪をひいて参加できなかった時、いい録音が出来たのからきている。私は演奏が下手、音程もイマイチ、ただ高音が出せるというだけの上、あれこれ注文が多く、技量的に無理な事をして折角のマトマリを混ぜっ返すという、わがままリーダーだから、不在の方が出来が良いのは当然かも知れない。ただイメージは決めたのである。だからいなくてもいたのである。
まあ、そんな不在の存在も、DDという相棒が、演奏、コーラス、何でもこなせたというのがあっての話。
彼はJLの対極の重い曲想のものも作れるし、裏声で幻想的なものも作れた。ふたりがプロレスのように技(曲)を出し合って、それに、ガシ君、水内君、マサキ君などが絡み多彩なバリエーションが出来、飽きないアルバムが完成したのだ。
''当時の我々は「鬱屈した自分の思い」も作品にしてはいたが、「流行りそうな曲」「インパクトのある曲」も作ろうとしていた。そこがフォークギターだけで録音していた時代でも、四畳半フォークに堕さなかった
最大の理由だ。簡単に言えば、「ビートルズ」をやろうとしていたのだ。1970年にビートルズ-ロス症候群に見舞われた時「自分たちが後を引き継ごう」と起き上がった、という事である。
 さてさて、爺の曲、メンバーの誰かの為に詞を書いたり、歌ってもらったものに名曲が多い。
本人にしてみれば、すっかり流行作家モード(気取り)になっていた、という事だろう。

★輝く渚 [作詞:きだたいし 作曲:ガッシー・スチュワート(山本雅史)]
音声ファイルへのリンク 

 ガシの曲に詞を付けた「輝く渚」の出来栄えの良さ。彼の作った曲のNo.1の名曲と断定する。
「曲はひっかかりが必要」「どっかに『インパクト』が欲しい」とコーダの部分を作って「シャウトして」と言い残して、爺は寝込んでしまったのだが、彼らしくソフトにまとめたのも良かった。
 マサキが唄ってくれた「枯葉の航空券」の楽しさ。山根弟として、このコーナーにもすでに登場してきた
マサキ君は、1973年に上京、この頃からベーシストとして腕をふるっている。この奇妙な曲は、彼がCCRが好き、という事を意識してササッと書いたようだ。まあジョン.フォガティへのオマージュという事で。

 ここに貼った2曲は、いずれも1974年録音編集の、2枚組のアルバム「ASPHALT」に収録した曲。実はこの室内録音バンド、PANA-PANAはこれで解散し、ロックグループLOUISを結成して、LIVE活動に入っていくという時期のものだ。小倉MH、時代が錯綜して申し訳ないが、この「名盤」を制作後、ヤマハのポプコンなどのコンテストに出場していく事になるのだ。

★枯葉の航空券 [作詞・作曲:ジョニー・レモネード 歌:スティービー・ブーマン(山根雅樹)]
音声ファイルへのリンク

【枯葉の航空券】                     【輝く渚】                                                            
1:見知らぬ島からエアーメールで手紙が着いた        輝く波 見つめて 今想い出す             
 宛名は白いサインペンで まさしく僕だった        焼けつくままに 陽を浴びた海を
  拝啓 お変わりありませんか もう秋ですね       
 見知らぬ紙には 見知らぬ文字で そうあった       飛び立つ鳥 見つめて 今繰り返す
  どれ どれ 返事を書こうかな             焼けつくままに 君につぶやいた愛を     
  どれ どれ 大切な人に    (リフレイン)       風は夏雲運び去り 
                              まだ夏のままでいたいのに
2:見知らぬ島からエアーメールで手紙が着いた        
 中には見知らぬ黄色い枯葉 一枚入って          ゆらめく浜歩いて 今消し直す
  追伸 いつでも待っています もう秋ですね       焼け付くままに二人 抱き合った朝を
 見知らぬ枯葉は 見知らぬ空の航空券 (リフレイン)    君を抱きしめ きつく抱きしめ 夏を続けたい


ASPHALTは、巻頭写真のTASCAMのミキサーで録音したとばかり思っていたが、オープンリールのテレコで採ったようだ。先日の帰省で、その貴重な証拠物件を、伊豆山中の自宅倉庫で発見した。5号テープ2本組。
当時パウエル・マックファイアと名乗っていた吉田隊長のアルバムデザインである。中身のTapeはすっかり黴が出てしまい、修復は無理だろう。ワープロなど無い時代、文字は英文タイプで打ったようだ。写真担当が
ガッシーとなっているので、ビートルズの2枚組のような、写真集が付いていたと思う。これは散逸。昔の記憶は確かだったはずだが、流石にボヤケてきた。さっき置いた眼鏡や帽子を探し回る今日此頃だ。
パウエル・マックファイアという芸名は勝手に私が命名したのかも知れない。当時、吉田隊長は「君達いつまで英語名なんかで遊んでるの...」と言っていたような記憶があるからだ。)
※15番ホールには、満を持して、デイブ・ディランとの共作登場。若くして逝ったギタリストの話も。
【画像クリックして頂ければ、拡大表示されます】
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🚩13番hole 『恋の仮面』Hey-Baby 来いよ!Comeonカメン
ラジオ関東のアナウンサー氏曰く出場最高齢のオジサン聖路易ルイスを率いて本選で優秀賞!
確かに当時は爺、「オトーサン」と自称してました。
👇は神奈川県民ホール(広いっす)

ラジオ関東ヤマハ第13回POP-CON開催案内CMとラジオ番組『ポプコンハウス』音声ファイルへのリンクマークで再生されないようなら、ブルーのリンクから
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当時、ラジ関といえば競馬中継しか聞いた事が無かったが、ベースのクラウス.ブーマンこと、山根MASAKI君(弟)が、放送時、ラジオの前にカセットを置いてポプコンのライブ録音をエアチェックしてくれていた。
👇のパンフ類もマサキが保存していてくれ、以前送ってくれたもの。(サンキュー)


 ♪恋の仮面♪  LIVE録音From-radio関東 音声ファイルへのリンクマークで再生されないようなら、ブルーのリンクから 写真は、会場入りの前の聖路易ルイスのメンバー。
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ポプコンに提出する楽曲は、著作権をヤマハに提供する、という事で参加ができるシステムになっていた。かの甲斐バンドの甲斐君は
「そんなの嫌だ」と拒否。大会に出なかった。偉い!!売れる奴は根性が違う。爺は「R&Rなんて同じコードでホイホイ出来ちゃうんだから別に1曲位どうって事ないじゃん」との軟弱なスタンスで、ポプコンの後、更にEastWestにも参加。こっちはカシオペアとか、サザンなんかを輩出した大会。ウチは排出されてしまったけど...(笑)(注b)
当時、ヤマハのスタジオで何曲かサンパチで録音して貰ったり、随分良くしてもらった。(今となっては38再生できない)
さて、あれからまだ50年が経過してない現在「恋の仮面」の著作権はヤマハが所有しているはず。吉田隊長が、ブログで「好きなEP」とか紹介する際、サワリをUPして上手に規制を回避している。
爺もこの方法で4分余りの熱演の頭だけをUPしてみる。ヤマハさん、そこんとこ4649ヨロシク!! (注c)

※(注a)Wカセットが出てから、ビートルズもどきの多重録音が楽になった。いわゆるピンポン録音、という奴で、最初に入れる音の音質は落ちるが、落ちてもいいものから入れて、ヴォーカルも一人3声とかやれるようになった。シャープさんに感謝。
(注b)EastWestには、♪ハイウェイ横の安酒場 恋にふられ泣いている それがオイラの成れの果て いいさ ろくでなし-ろくでなし と人は言う♪ という『ろくでなし』を引っさげて参加したものだ。
こっちは少しブルージーなナンバー。この曲もヤマハさんに差し上げた一曲ですけどね。
(注c)ライヴは実は毎回アレンジ変えていて、(というか飽きちゃって同じにやれない)此の時は、実は後半がR&Rからハードロックと化していって迫力が凄い。本来R&Rは2分位でサッと終わるのが王道なんだけどね。
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🚩次のティーまで、紅茶でも飲みながら聴いてぃ〜 
広島留学時代に作った、1曲をここに貼っておこう。あの美味いファースト・フード、何故止めた?たしか
タカキベーカリーじゃった、と思うんじゃが...(野球だからfast.foodをファストと書かずファーストと)
 スティックサンド・ベイビー ◆作詞・作曲・演奏・歌=Johnny・Lemonade(1981)
音声ファイルへのリンクスティックSもええが、広島定番のsoul foodいやあ「おこのみ」よね。神宮球場から応援の帰り、よく新宿まで歩いて帰ったが、途中にあった本場「お好み焼き」の店で飲んだもの。東京じゃあオタフクソースが買えんかった時代。市販の有名ソースじゃと広島の味にゃーならん。一度その店で、解説の金山次郎さんに遭遇し、リュックにサインして貰ったのを覚えてる。「RCC金山次郎」。1982年まで、氏の74盗塁がセの最高記録だった。松竹時代の記録ではあるが、盗塁王を有するのは、カープファンの誇りだった。(CARP移籍後3度目の盗塁王)
金山さん、地元も地元、門司大里柳町の豊国商業(現豊国学園高)出身と知った。知ってたら、お会いした夜「私『豊国』のそばの寺の娘婿です」と話せたのに残念!北九州都市高速の大里ICから小倉方面に向かい、すぐ右手に同校があり野球部の高いネットが聳えている。過去の不祥事にめげず甲子園を目指せ!
 的を得た解説は、安仁屋さんに尽きるが、金山さんのファン丸出しの辛口解説も懐かしい。なにせ負けてくると無言。なあに我々も、何度途中でラジオをブチ切ったか!!空に雲が多い日は、東京でもRCC-中国放送が微かに聞こえたのだ。雲に電波が当たるせいらしい。TV中継は読売だけの頃だ。今はネットで全試合見られるのだからファンは幸せだ。だけど、みんなで
トランジスタラジオを囲み、雑音の中からアナウンサーの声を聞き分けて、拍手したり落胆したりしていたあの頃も、本当に幸せだったなあ、と思う。
※広島じゃあ「おこのみ」広島風とは言わない。大阪、東京のは邪道と思うとる。他国生まれの爺、告白すれば、甘うて今だに苦手。ヘラで食うのも金属が口に当たる感触が...「お好み」でビールを飲むというのはどうもね。球場近くの店でも、他のツマミで飲んでた。広島の人は子供の頃は水を飲みながら食べてたと推察する。まだ戦後食生活が貧しい頃の、東京の「モンジャ焼き」北九州の「一銭洋食」のような、
子供のオヤツだったのではないだろうか?
※Chinaを中国と言うの止めて貰いたいな。古代日本で、畿内からの距離によって国を、近国きんごく-中国ちゅうごく-遠国おんごくに分けたところから来ているんで、かの国は明確に中共と呼んで貰いたい。本邦中国地方の人には甚だ迷惑。

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🚩12番hole 『アンブレラ・ガール』レコーディング? 友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 
 唐突に、水戸一高時代の親友の一人に神蔵君という男がいた、という思い出から。(以下神蔵君の敬称略)
これは、ホームランBro.のメンバーも「聖路易」ルイス関係の仲間も知らない時代の話。
二人無事同じW大に合格しまして、更に同じクラブ、WHK(放送研究会)に入部したのであります。放研には4つの部門があり、爺は脚本を書く為-演出部。神蔵は音楽部。他には技術部とアナウンス部があった。(※1)
神蔵は当時「0茶」ゼロッチャという筆名で、ジャズ評論を書き溜めていた。少し大橋巨泉に風貌が似ていて、同じように音楽関連の仕事に就く積りだったのだ。ネーミングは勿論、レイ.ブラウンのもじり。
2年生の時の大学祭で、吉田君とオリジナル曲を作ったのは既出。この中の『アンブレラ・ガール』という曲に神蔵が惚れ込み「これ必ずヒットするから、レコード会社に売り込もうよ」と提案してきた。
 曲を作った二人がまずレコードの自費出版を企画していたのか、神蔵の熱意が先か、思い起こしても判然としないが、結局、作曲-唄の吉田君が「二人で最初に作った『五月の空』をレコーディングしたい」という事で、地味な一曲を新橋の「飛行館スタジオ」でレコーディングしたのだった。
 B面『花』の録音時、間奏の口笛は山根兄の担当で(いつもは得意なのに)当日ポテトチップを食べすぎ、音が上手く出せず「一世一代の失敗」と本人が振り返るエピソードも生まれた。
 あの頃の爺達ふたりは「曲なんてドンドン作れるさ」と、自分たちの才能に妙な自信を持っていて「いつか絶対メジャーになれる」というモードに入っていたから、一枚目の行末なんて無頓着。当時、吉田君が言った「ビートルズの一曲目の『Love Me Do』も、流行る訳ない曲をわざと出したのさ。最初に流行るグループは長続きしないのだ。」という話に同感していた。「二曲目からが勝負だ!」いずれにしても、素人の大それた夢想に近いが、当時はオリジナルが作れて演奏できる、というのはそれ程自慢して良く、画期的だったのだ。
 その時、神蔵は相当落胆していたと思う。今思えば、彼の進言通り「アンブレラ・ガール」を世に出してれば、と夜中にフト思う事もある。違う人生なんか夢想しても始まらないのだけれど...吉田隊長のブログに、復刻された同曲のさわり部分がUPされています。『アンブレラ・ガール』
(サビまでが長過ぎるアレンジで少し違和感ありだが)
本人は「当時編曲が思いつかなかった」と述懐しているが、今思えば、素材(テープでも)をレコード会社持ち込めば、どうにでも料理してくれたとは思う。
 その後、爺は放研を脱退し、残った神蔵とは疎遠になっていった。彼は卒業後、無事文化放送JOQRに入社。後に名物ディレクターとなって大活躍をする事になるのです。セイ!ヤング「神蔵のくれた5分」等。(※2)
 最後に彼から爺に届いた手紙は、結婚式の招待状だったかと思う。当時売出し中のアナウンサー、みのもんたの司会で挙式する、といった内容だった。極貧の爺は祝儀を包む金が無く、やむなく欠席に◯したのでした。
 話は飛ぶが、古本屋になってからの無二の親友、長谷川書店の自宅が、四谷の文化放送のそばにあり「親が料理屋を閉めた時の道具類があるから持って行って」と誘われて出かけた事がある。その店とは、久保田万太郎の贔屓にした、あの銀座「はせ川」である。
 その時の笊やら、皿やらはまだ使わせて貰っている。最後に本の話もすると、店主の長谷川春草の詩画集、「水のふるさと」(大正13)は、現在2万円近い値になっている。
 春草俳句をふたつ書き留めておく。
    かげ口に淋しきものや 水羊羹
    かりそめに置きて 久しや 金魚玉
 

※1:WHKの制作は、企画検討会に報道やドラマ、音楽番組の案を提出され通ると、オーディションを開催。演出が4つの部門からメンバーを集めて完成までの期間チームとなって制作に当たった。

※2:今、文化放送で爺が最も評価しているラジオ番組は「おはよう寺ちゃん活動中」である。篠原丈一郎氏も出演。他のマスコミ各社の伝えない真実を放送してくれてます。ラジコに加入すれば全国どこでも聴取可能。朝早い番組だが、録音機能で後から聞けます。

※巻頭の写真は、高校時代の仲良しグループで卒業後の夏、伊豆の田牛にキャンプに行った時のスナップ。屈んでいる爺の上が神蔵。その左隣が大橋君。自慢になるが、彼のプロフィールも披露しておく。
大橋俊夫:1949年茨城県水戸市生まれ。信州大学医学部医学科卒業。医学博士。英国ベルファストクイーンズ大学講師を経て、信州大学医学部教授。2003年より5年間、信州大学医学部長。2006年~2008年全国医学部長病院長会議会長を歴任。2001年より日本リンパ学会理事長を務め、本邦におけるリンパ学研究の推進に専念。専門は循環生理学、特に微小循環、リンパ循環の生理・薬理並びに病態生理学。

専門的な論文のみならず、一般の人に健康で長生きしてもらう為の噛み砕いた本を多数出されている。

大橋君、爺が癌発病の時も色々心配しサポートしてくれました。
持つべきものは真の友である。



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 🚩Fairway端の ラフ・スケッチ
あの娘がこの町やってきて きまって雨の降る訳は (a) 
         きまってレモンを買ってく訳は 
あの娘が雨の妖精の第三番目のお使いだからさ   (a-ref)
アンブレラガール アンブレラガール That's my lovely girl

アンブレラ・ガール
曲のイラストを書こうと、お絵かきソフトで描いてはみた。
自分で詞書いててナニなんだけれど、一体「雨の妖精の第三番目の召使い」ってどんな姿?まるでイメージが沸かない。当然だ。
曖昧模糊、意味のあるような歌詞ではなかった。「何となくカッコよければ良し」という奴。「ブルー・シャトー」だって意味分かんないけど、カッコイイ!!ではないか。こういう歌の方が、案外ウケるのを本能的に知っていたんだな。
まあそれと、爺が若すぎて、悲惨な恋愛経験をまだしてなかった、という事もある。恋して数曲、失恋して何曲、
が通り相場かな。カミさんにはご内分に。

「古楽夢33」のフレーズが閃いた事を書いた。
ノンステップバス・ノンストップ
眼前の光景からの単なる思いつき。
それをこの間ずっと考えあぐね、バス停観察を続け
やっと完成。(まあ推敲の鬼なんでとりあえず)
一瞬で3番まで書けちゃう詞もあれば、手こずるのも
ある。これは後者でちと説明的すぎる。
そりゃあパッと出来た詩に軍配が上がるに決まっている。メロディもそうで、名曲はサッと天から降りてきてパッと出来ちゃうのだ。
【ノンステップバス ノンストップ】
おばあちゃんたちは 日向ひなたを避けて
バス停横の木陰に みんな集まる
陽傘を肩に ハンカチで汗拭き 
バスの来る方に 何度も目をやる
  バスは来たけれど 誰も乗らない
  総合病院へは そのバスは行かぬ
ノンステップバス ノンストップ
ノンステップバス ノンストップ
「通過します」の声で 走り去っていく

おじいさんはひとり 中折帽なかおれを被り
傾いだかし白いベンチで 時計を見ている
バッグを襷にかけたすき ステッキに顎乗せ 
背中を伸ばして 髭をさすってる
  バスは来たけれど 彼は乗らない
  奥さんの眠る所には そのバスは行かぬ
ノンステップバス ノンストップ
ノンステップバス ノンストップ
陽炎かげろうの中を 走り去っていく

お目当てのバスが着いた
底床型のバスだけと
みんな乗るまで 時間がかかる
走り出したら(ノンストップ-総合病院まで)
走り出したら(ノンストップ-公営墓地まで)
早く-早く 着いてあげてよ〜

ノンステップバス ノンストップ 入道雲が
ノンステップバス ノンストップ 沸き立つ先へ
ノンステップバス ノンストップ 燕が飛ぶように
ノンステップバス ノンストップ 風が舞うように
ノンステップバス ノンストップ 連れて行ってくれ
※緑字=コーラス

🚩11番holeフェアウェイ逸れて-俺のバンカー?ああまだボブ・ディランの話かイヤだね
「いまさらボブ・ディランの話かよ」だが、中山氏の「超入門ボブ・ディラン」がたまたま入荷したので、読んだところなのである。「ボブ・ディラン」が日本でいわゆるヒットしない、というのが、まずあのダミ声と、メロディがはっきり分からん、というのに加え、ともかく難解な「詩」にある、と云われている。確かに「シー.ラブズ.ユー」からみたら、やたら長いし、これアメリカ人でも分かるの?という詩である。何せ現代に現れた「吟遊詩人」なんすから。物語(現代の神話)を語ってる。
 問題は「お酒は温めの燗でいい 肴は炙った烏賊でいい」って文句、オクラホマの人に分かるか?って事である。翻訳して読んでも、DNAの奥底から、分かるのか?という事なんである。
スヌーピー!日本じゃカワイイ犬の代表格だけど、新書判のスヌーピーブックを読んだ事ある人、あの世界で起こる出来事、学校とか地域とか行事とか、ちょっとした事件、行き違いのドタバタ...サッパリ分からないのではないか?下世話なポップスの歌詞でさえ、その国の文化伝統常識が身についていて初めて感動するのだ。特に日本は2680年余りの歴史-文化が積み上がってきた上の感性である。(キーンさんは日本人以上に理解してるけど)
きだたいしの話だが、吉田隊長とコンビを組んでから、ずっと自分は作詞家、と自負してやってきた。音楽に向かうスタンスがかなり違う。現に、隊長の出す新しいCDアルバムには、歌詞カードが付いていないのである。爺のものには、しっかり歌詞カードが付いている。というか、「どうじゃ!いい詞じゃろう」と自慢気に付けている。
 爺の回りに、Mr.ジョーンズ(ディラン信者)がいなかったお陰で、吉田隊長やら、山根Bro.とは毛色の違った曲を書く為、せっせと聞いたボブ・ディランは格好の栄養源だったのである。画像の左側のアルバム「バックファイア」なぞ、吉田氏から「こんなにボブディランの影響あったんだ」と近年感想が寄せられたが、これは「どれだけ、長々と歌って付いてこれるか?」という、実験で、付いてこれなかったようなので、長い曲は半分に削って、30年ぶりに復刻したりしたのである。やっぱりボブ.ディランはカリスマである。みな付いて来たのである。しかし、ボブ.ディラン風に唄うと、気持ちのいいものなのだ。
 「ボブディランはパクリの元」で、結構使えるのである。不謹慎と言うこと勿かれ。「木綿のハンカチーフ」だってパクリやん。でも日本人にとっては、こっちの方が大ヒットするのだ。大体、御神体のディランでさえ、原曲を銭で買ったとか報じられてる。ノーベル賞のスピーチまで、剽窃とか言われて、何堅い事言ってんだ、ポップス-歌謡曲なんか、パクリでいいのだ。演歌もR&Rもみんな同じ曲と言えば、同じじゃん。殿上人のディランだって、売れるはずもない爺だって、小説や映画からパクってって「ソンナノ関係ない!」なのだ。それでいいのだ。
今回の結論、なぜボブ.ディランは日本でヒット曲が出なかったのか?ナンデカ?「それはね、吉田拓郎と中島みゆき」がいたから。そうなんやー。
男女のスーパー・スターが、ディランのエキスを十二分に日本の風土に置き換えて発露し続けてくれたので、民衆はこの快感に浸れば良かったのであります。
「ファイト」!!やっぱり日本人の心に沁みる歌詞は良か。涙は心を浄化してくれる。(シミジミ...)
アーどうせオレ、そんな詞書いた事なかっぺよ!!いつもチャンスに3タコデンス。背中丸めてエビデンス。

ノーベルショウ受賞!!
🚩10番holeああ、またボブ・ディランの話かイヤだね/「超入門ボブ・ディラン」
 吉田拓郎の歌の自嘲的セリフ。当時フォークにかぶれていた連中にとっては、ディランは聳え立つ山脈。山があるから登りたくなる。自分こそディランを理解する者だと、語りたくなる。このセリフが出てくる「親切」という曲、実は拓郎は自分の事を書いているんじゃないか。特定の誰かなら、こりゃ相手は凹むよ。爺は「いわゆるフォーク」が苦手なんで、あえて聞こうとは思わない。ジョーン.バエズ・ブラザース.フォー、日本で言えば、岡林信康とか、赤い風船とか、加川良とか...勘弁して欲しい。ところが、その加川良作詞の「加川良の手紙」は拓郎が即興で作った名曲だ。「クリントイーストウッドっていいですね」って奴だ。この二曲が入ったアルバム「元気です」は井上陽水の「氷の世界」と並ぶ名盤だ。才能とエネルギーが圧縮-爆発-排気された瞬間だ。
 スタートの「春だったね」は爺の一番好きな曲。当時、拓郎が「ディラン、ディラン」と騒ぎまくって、ボブ・ディランが日本で知られるようになったという。彼は最初から、ディランからロックを読み解いていたのである。当時は皆、チャックベリーとかリトル.リチャード、ヒット歌謡曲とかやりたいけど、貧乏、というか、まだエレキは一般には手に入らないし、ドラマーが見つからない、という時代だから、「ハモニカ肩に、フォークギター一本で唄う」てな事ですよ。これディランも同じ。中山康樹氏の見立て通り。1965年ニューポート・フォーク・フェスティバルにエレキをひっさげて登場しブーイングを受けたというのは、中山氏の検証によれば、ディランの捏造で、実際は熱烈に歓迎されたようだ。逆に抜群にカッコイイのに、わずか3曲しか演らなかったのでブーイングが起き、仕方なく急遽、生ギターで2曲追加した、という事らしいっすよ。まあアル.クーパーとかと事前の打ち合わせしてなかっただろうから、仕方ないところ。「エレキが否定されて生ギター」とか「お笑い草の伝説」だ。アメリカじゃ有り得ぬ。ポール・バターフィールドと演った「マギーズ・ファーム」なんかサイコーに決まっている。
 ここで取って置きのエピソードを。吉田隊長は(CD製作等はジョン.ポール.吉田名義)現在もDTM(Desktop Music)というかDAW(Digital Audio Workstation)で、
旧作・新作を取り混ぜたCDアルバムを年に一枚、という超ハイペースで製作し続けている。この中でも傑作との誉れも高い『1971』。グレートレガシーというサブタイトルの通り、10代から20代頭の頃、爺と隊長とのコンビで作った曲が
12作収録されている。その中に「イングリットの森」という一風変わった曲がある。言い遅れたが、このアルバムのライナーノートは、D.Dこと山根兄が担当している。このイングリッドの解説で、当時オリジナルを作っていたのはかなり珍しかったようで、まだ広島にいた山根弟に(その後、爺とLOUISを組む事になる)この曲を伝授した、とあるのだ。弟は「国士無双」というバンドをやっていて、広島見真講堂(見真大師って親鸞聖人の事だよ)という大舞台で臆面もなく演奏したという。実はこの時のトリが、誰あろう、まだ全国的には売れてない頃の吉田拓郎。どことなく「マークII」が、この曲に似ているような...とDDは書いている。高校生がこんなオリジナル唄うんか!と彼を発奮させたのだとしたら、歴史の変わった瞬間だったのかも知れない。
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【アレー池ポチャかな?】 軽いインサート 【エビデンス】
 爺ヤマハのポプコンで、今日のコンサートと言うところをインサートと言い。顰蹙を買いました。「来ん」より「IN」の方がよかろうに。
さて、2020年の流行語と言えば?絶対【エビデンス】でしょ!?爺はすぐに詞にしようとする。♬ハアッ-エビデンス・レジデンス・アデランス・サイデンスなんて語呂合わせ。自分で作っててツマラン。一貫してやってきた模擬訓練。「もしテーマソング制作の依頼が来たら?」という想定で作るとしたら?スーパーの鮮魚売り場のあの曲!!『サカナ-サカナ-サカナ-魚を食べるとォ体-体-体にいいのさぁ』はもう爺なんか、売り場でスキップしちゃう!!全国民が知ってる隠れた大衆歌謡。(隠れてないか)「あれのニュータイプ作ってよ」との依頼がきたら?という、もう爺の妄想も病膏肓である。
エビデンス・イカデンス・トビウオデンス・サバデンス-食べたら元気にデンスを踊ろ(合の手=目出度い.食べタイ.ありがたい、ウォーウォーウォーエイ)...あまりに下らんので、案外流行るかも知ないデンス。お魚業界の方、依頼をお待ちしてます。築地の仲卸の旦那、いつもネット見てますよ!!【文化人放送局】
 惚けが進んで、話がとっ散らかる傾向があり、大変ご迷惑をおかけ致しております。
当MH、吉田隊長との邂逅から、聖路易ルイスからホームランBro.までの長い道のりを辿るのでした。
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INへ(1番〜9番) ➡ ♬小倉ミュージック・ホールINへ♫♪ 
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 あらためましての口上 
バンドの思い出を語るのに、音をUPできず見切り発車してしまい。情けない限りでした。
昔の音源や、写真、資料などが伊豆の自宅に分散してしまっているし、昨今の情勢でなかなか帰れずにいる。(実は交通費捻出できず)そんな袋小路にいる爺に、D.Dこと、山根HARUKI(兄)君が、昔の個人LPやライヴ公演の音源をMPEGに変換して、USBメモリに入れて送ってくれた!!1968年から70年代頭はオープンリールのテレコで録音していたのだが、後にカセットテープにダビングして、大事に所有してくれていたのだ。(注a)
ただ、D.D復刻のMP3盤はアルバムA面6曲入りでも1曲という扱いなので、分割をしなくてはならない。また、WIKIでUP可能なのは、5MB以下のファイルという事で、2分程でフェードアウトさせないといけない。ところが以前使っていた使いやすいシンプルなAEditorというソフトがWin10に対応してなくて、ダウンロードできないなんてトラブルに見舞われ...まあこの間、色々試行錯誤して、何とか曲の貼り付けまで漕ぎ着けました。ただ未だ暗中模索の内におります。アイデアも浮かばない状態。まあ「ここまで来たらサクセス」かな。
PCやスマホから、昔の曲流れるのも、新鮮なもんでがんす。D.Dのデジタル化作業に感謝感激雨あられだ。
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ジェイムズ.ヤッフェ著
「ママは何でも知っている」

ハヤカワミステリが多数入荷した。その中に「ママは何でも知っている」が混じっていた。これが好みの「安楽椅子探偵物」だった。しかも連作短編は傑作揃い。一気に読み終えた。主人公の"ママ"の息子や世間に対する「情愛」と、インテリを鼻にかける嫁に対する「皮肉」が、とても微笑ましく、難事件を見事解決するママの人を見る眼の確かさに、地に足をつけて生きてきた人柄に大いに頷かされるのだ。
ブロンクスに住むユダヤ人の母親の名推理物語は、日本ではあまり知られてない。巻末の解説によれば、本国アメリカで単行本化されなかった為らしい。そこで、HPBで独自に編集発行という英断をした訳だ。さすが早川書房!見る目がある。
その解説、タイトルは文字通り「安楽椅子探偵の系譜」。その探偵の祖はM.P.シールが創造した「プリンス・ザレスキー」だという。シール氏は「ザレスキーこそが、ポーのデュパンの正統的後継者で、ポームズは私生児に過ぎない」と自ら評した。確かに、アクションシーンの多いホームズ物はお気に召さなかったのだろう。

本書は現在、法月綸太郎氏の解説で文庫化もされていて、入手可能な一冊なので是非お読み頂きたい。ちなみに訳者は小尾芙佐さん。店主が続いて読んだ、オールディスの「世界も涙」も訳されていたのだ!最近こういう事が多い。爺が引きずり込まれて読んでしまったのは、名訳のせいだったのかも知れない。翻訳物は訳者によっては、すぐ投げ出したくなるケースが多いからだ。「世界も涙」は『本棚の本だな』に書き継ぐ。

【本棚の本だな】

自家用の積ん読本を読む

ヤフオク出品一覧約2,000点

藤秀翠選集 全8巻42,000円

ヤフオク出品抄直近のUP

The Arthropoda
Habits.FunctionalMorphology.and Evolution
節足動物:習慣.機能形態.および進化

Sidnie Milana Manton著/1977年
オックスフォード大学出版発行

16,500円

創刊号【草木染】〜30号迄
【月刊 染織α】創刊号-40号迄 【月刊 染織α】115-257号迄

北九州.福岡.九州の歴史

ヨット.航海記.海洋文学

古銭研究書

店主フォト散歩222〜68回



45年前の音源デジタル化!
音声ファイルへのリンク

 緊急企画 
『リメンバー・広島』 
1981年広島留学時の自作応援歌音源公開! 

小倉 Music hall !!新設】

本欄で「エド山口のOh!エド日記」
を紹介していたら、今まで自分が
辿ってきた音楽の想い出が次々と
蘇ってきて、音楽だけのコラムを
別枠で!という気持ちになった。
【小倉 Music hall !!】と題して
新しい頁を作りました。
音楽好きの方、覗いて頂けたら、
幸いです。写真はホームランブラザーズ

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『吉田隊長の後悔日誌』
MusicLife.映画や本の話.オリジナル曲.
八王子アドベンチャーズなど掲載の、
盛り沢山のブログ。
※店主の古い友人で共作した曲もココで聞けます

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◆ビートルズ.マガジン
ノーウェアビートルズ関連本



彷書月刊大量在庫有










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最新 古楽夢
【今更?今頃?今一度】
【第25話=補足を更に追加!!】
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古楽夢BN目次:1〜23話

幕間の小咄
鳥取砂丘-さくら貝の歌


【あとがき ほいほい】
「古楽夢」の補遺を集めました

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 再録 
山頭火俳句のパロディ



店主の書いた古本屋コラム
「松本清張旧宅を買う?!」



■古本乙女の日々是口実
カラサキアユミ

■本屋になりたい-この島の本を売る
宇田智子著.高野文子絵

■古書まみれ/中川道弘

北九州各地を散策中 1-21回 22-52回 atwiki時代の写真紀行のデータ発見-復刻掲載


北九州各地の「小さな旅」


◆フォト旅行記-(出不精店主の遠出編)
旧フォトアルバム-吉祥寺の藤
[ヤフーフォトに掲載していた組写真、ヤフーBOXに移換されました。]

昔の古書コラム。資料あちこちに分散していて、再録も進みませんが、ボチボチと。お付き合い下さい。

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第一回「小倉駅ナカ蚤の市」の賑わい・スナップ

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