最終更新:
kyo_miyato 2017年05月04日(木) 14:19:19履歴
(11) 足利義満が春屋妙葩(しゅんおく みょうは)を開山に迎えて建立した寺院( )は、嵐山を遠景に、二層宝形の舎利殿を中心とした石組と、苔地が広がる穏やかな枯山水庭園で
知られる。
(12) 京狩野の祖とされる( )は、永徳風の豪壮な筆法に装飾性を加味した画風で知られ、大覚寺の宸殿や妙心寺などに優れた作品を残した。
(13) 二条城の二の丸御殿(国宝)は、車寄に続いて6棟が雁行(がんこう)して立ち並ぶ武家風書院造で、大広間と黒書院を繋ぐ板敷きの大廊下は( )と呼ばれている。
(14) 桜の名所として有名な平野神社の本殿(重文)は、( )あるいは平野造と呼ばれる珍しい建築様式を持つ。
(15) 修学院離宮の中の茶屋客殿にある五段の違棚は( )と呼ばれ、醍醐寺の塔頭である三宝院の「醍醐棚」、桂離宮の「桂棚」とともに「天下の三大名棚」のひとつとして
知られている。
(16) 江戸前期の儒学者である伊藤仁斎(いとう じんさい)は、堀川東の居宅に私塾「( )」を構え、孔子や孟子の教えに立ち返えることを説いた。
(17) 藪内家の代表的な茶室「( )」(重文)は、相伴席付の三畳台目の茶室で、古田織部の作風がよく現れていることで知られる。
(18) 会津藩主の( )は、文久2年(1862)に京都守護職に任命され、配下の新選組とともに尊王攘夷運動を弾圧した。
(19) 昭和13年(1938)、近衞文麿(このえ ふみまろ)が創設した( )には、藤原道長自筆の日記『御堂関白記』(国宝)など、近衛家伝来の名宝が数多く収められている。
(20)「土と炎の詩人」こと陶芸家の( )は、民芸運動に深く関わり、五条坂の自宅兼工房は、現在は記念館として公開されている。
知られる。
(12) 京狩野の祖とされる( )は、永徳風の豪壮な筆法に装飾性を加味した画風で知られ、大覚寺の宸殿や妙心寺などに優れた作品を残した。
(13) 二条城の二の丸御殿(国宝)は、車寄に続いて6棟が雁行(がんこう)して立ち並ぶ武家風書院造で、大広間と黒書院を繋ぐ板敷きの大廊下は( )と呼ばれている。
(14) 桜の名所として有名な平野神社の本殿(重文)は、( )あるいは平野造と呼ばれる珍しい建築様式を持つ。
(15) 修学院離宮の中の茶屋客殿にある五段の違棚は( )と呼ばれ、醍醐寺の塔頭である三宝院の「醍醐棚」、桂離宮の「桂棚」とともに「天下の三大名棚」のひとつとして
知られている。
(16) 江戸前期の儒学者である伊藤仁斎(いとう じんさい)は、堀川東の居宅に私塾「( )」を構え、孔子や孟子の教えに立ち返えることを説いた。
(17) 藪内家の代表的な茶室「( )」(重文)は、相伴席付の三畳台目の茶室で、古田織部の作風がよく現れていることで知られる。
(18) 会津藩主の( )は、文久2年(1862)に京都守護職に任命され、配下の新選組とともに尊王攘夷運動を弾圧した。
(19) 昭和13年(1938)、近衞文麿(このえ ふみまろ)が創設した( )には、藤原道長自筆の日記『御堂関白記』(国宝)など、近衛家伝来の名宝が数多く収められている。
(20)「土と炎の詩人」こと陶芸家の( )は、民芸運動に深く関わり、五条坂の自宅兼工房は、現在は記念館として公開されている。
タグ
コメントをかく