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kyo_miyato 2017年04月27日(木) 16:25:56履歴
(1) 平安京の地相は玄武・朱雀・青竜・白虎の「四神相応之地」である。そのうち、青竜は( )にあたるとされる。
(2) 平安京は大内裏を北部に置き、朱雀大路で画された( )の2つの京からなっていた。これらは大行政区で、それぞれ「京職(きょうしき)」が設置された。
(3) 平安京の東への拡大が進み、貴族の住宅が造営され「六勝寺」が建立された。その主要道路となったのは、( )であった。
(4) 室町幕府8代将軍の足利義政は、3代将軍の義満を慕って( )を造った。
(5) 天正19年(1591)、( )は京都の町を囲む全長約23kmに及ぶといわれる「御土居」を建設を始めた。
(6) 徳川政権は二条城の築城し、( )や京都町奉行を置き、京都の支配体制を強化した。
(7) 八条宮家の智仁(としひと)親王と智忠(としただ)親王の父子は、二代50年間に渡って、江戸初期の代表的な山荘のひとつである( )を造営した。
(8) 明治初期の府政を担った( )は、三条〜四条間の旧寺町に南北約500mの歓楽地「新京極」を開発した。
(9) 明治41年(1908)、第2代京都市長の西郷菊次郎が着手した京都の都市基盤整備のための三大事業は、第二疎水開削、道路拡築・電気軌道敷設、( )である。
(10) 明治41年(1908)、京都の( )に駐屯した陸軍第十六師団の司令部が置かれていた建物は、現在は聖母女学院本館として使用されている。
(2) 平安京は大内裏を北部に置き、朱雀大路で画された( )の2つの京からなっていた。これらは大行政区で、それぞれ「京職(きょうしき)」が設置された。
(3) 平安京の東への拡大が進み、貴族の住宅が造営され「六勝寺」が建立された。その主要道路となったのは、( )であった。
(4) 室町幕府8代将軍の足利義政は、3代将軍の義満を慕って( )を造った。
(5) 天正19年(1591)、( )は京都の町を囲む全長約23kmに及ぶといわれる「御土居」を建設を始めた。
(6) 徳川政権は二条城の築城し、( )や京都町奉行を置き、京都の支配体制を強化した。
(7) 八条宮家の智仁(としひと)親王と智忠(としただ)親王の父子は、二代50年間に渡って、江戸初期の代表的な山荘のひとつである( )を造営した。
(8) 明治初期の府政を担った( )は、三条〜四条間の旧寺町に南北約500mの歓楽地「新京極」を開発した。
(9) 明治41年(1908)、第2代京都市長の西郷菊次郎が着手した京都の都市基盤整備のための三大事業は、第二疎水開削、道路拡築・電気軌道敷設、( )である。
(10) 明治41年(1908)、京都の( )に駐屯した陸軍第十六師団の司令部が置かれていた建物は、現在は聖母女学院本館として使用されている。
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