京都検定の学習ノートです。 興味がある方は、ご自由に覗いてみてください。

平安京以前の京都

(1) 4世紀初頭には、巨大な前方後円墳が多数出現し、その副葬品である鏡などから、ヤマト政権の支配が及んでいたと見られる。

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(2) 実際、この頃の京都盆地には「アガタ」が認定されており、その経済基盤が存在していたと見られる。

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(3) これが行政的な「やましろ」の誕生で、5〜6世紀には「ヤマシロ」という字があてられ、8世紀になると畿内制の成立とともに「ヤマシロ」に変わった。また、平安京の遷都に合わせて、
  国名も「ヤマシロ」に改められた。

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(4) 5世紀頃の京都盆地には国内外から多くの移住者が進出し、特に渡来系の巨大氏族であったハタ氏は、桂川流域で持ち前の土木技術により葛野一帯を田園地帯に変えた。

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(5) さらに、養蚕・機織り技術を扶植することにより、のちに地名にもなった絹をうずたかく積むことを意味する「ウズマサ」という豊かな産業地帯への発展にも貢献した。

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平安時代の京都 (平安遷都)

(6) 延暦13年(794)にカンム天皇が、長岡京から新たに平安京へと都を遷した。

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(7) その経緯については、長岡京遷都の責任者であった藤原タネツグが、大伴一族によって暗殺されたことに端を発した。

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(8) 首謀者とされた大伴一族のほか、その裏で糸を引いていたのではないかと噂されたサワラ親王ら関係官人全員が粛清された。

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(9) それでも、無実を主張し続けた親王は、幽閉先のオトクニ寺で一切食事を摂らずに餓死してしまった。

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(10) 親王の死後もなお天皇の怒りは収まらず、さらにその亡骸をアワジ島に死後流刑する凄まじい行動は、やがて「怨霊」問題へと発展する。

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(11) 怨霊による祟りという概念は奈良時代からあったが、長岡京では親王の極刑以降に天皇の生母である高野新笠や皇后の藤原オトムロが相次いで死去。また、連年のように
  大雨や洪水に加え流行病など、親王による祟りではないかと噂されるようになった。

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(12) そこから体制を立て直すため、わずか10年で再び遷都されることになった。この遷都事業の責任者には、初代造宮太夫となった藤原オグロマロが就いた。

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(13) その際、新京予定地の葛野郡では、地相「シジンソウオウ之地」であるか否か判別の基準として用いられた。

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(13) その概念は各方角に地形上のシンボルがあり、北にはゲンブが守る大岩、南にスザクの大池、東にセイリュウの大川、西にビャッコの大道が存在していることが条件とされた。

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(14) 結果としてその候補うちには、北に大岩といえるフナオカ山、南にオグラ池、東にカモ川、西にサンイン道が存在したことから新都にふさわしいとされた。

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(15) こうして造られた平安京は、唐の都であった長安城をモデルとして、大内裏が京域の北部に置かれたホッケツ型都市である。

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(16) その構造は大内裏に座する天皇から見て右側を「右京」、左側を「左京」として、その真ん中を南北にスザク大路が貫いていた。また、その南端にある平安京の正門はラジョウ門と称された。

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(17) この両京は同時に大行政区でもあり、それぞれ「キョウシキ」が置かれ長官が主導していた。

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(18) 平安京は大路・小路よって碁盤の目状にブロック分けされており、これを「ジョウボウ制」と呼ぶ。

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鎌倉時代の京都 (平安・鎌倉時代の京都)

(19) 均斉美を誇った平安京も遷都から100年も経たないうちに右京が著しく衰退し、逆に左京に人口が流入。特に二条大路周辺が六勝寺(ホッショウ寺・ソンショウ寺・サイショウ寺・エンショウ寺・ジョウショウ寺・エンショウ寺)の建立など発展した。

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(20) また、平安時代末期から鎌倉時代に、鴨東の南域では平氏の政権がロクハラテイを作り3200件余という武家町に変貌させた。

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(21) 平氏に替わって源氏が政権を執ると、鎌倉に幕府を置きながら平氏政権当時の基盤であったロクハラに京都の拠点を置いた。

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(22) これが「ロクハラタンダイ」の先駆けとなり、朝廷の監視と洛中の警護に加え、西日本全体に強い成敗権を行使していた。

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(23) また、京中の48ヵ所の辻々に「カガリヤ」を設置して、治安の安定と同時に行政権も行使していた。

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(24) 一方、朝廷も令外官である「ケンビイシ庁」が治安警護として敏腕ぶりを発揮しており、特に強盗・殺人などの警備には、都の人々から強い信頼を得ていた。

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室町時代の京都

(25) 平安時代は京中には国営寺院である東寺と西寺以外には寺院の建立を認められていなかったが、それ以前から存在した町堂(六角堂やイナバ堂など)は黙認されていた。

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(26) 鎌倉時代になって京中でも徐々に寺院の建立が認められ、室町時代には新仏教のジョウド宗・ジョウドシン宗・宗・リンザイ宗をはじめとする禅宗・ホッケ宗が京中に支持者や拠点を拡大していった。

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(27) 中でも法華宗はニチレンニチゾウが説いて布教拡大に努め、室町時代には「洛中二十一ヵ寺本山」と呼ばれる寺院群を建立。戦国時代には、「カイホッケ」といわれるほどになっていた。

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(28) 室町幕府の隆盛を築いた足利ヨシミツは晩年に、のちに金閣と称される山荘「キタヤマドノ」を造営。それに倣って8代将軍ヨシマサはのちに銀閣と称される山荘「ヒガシヤマドノ」を造営した。

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(29) 室町政権の安定とともに、京中の商工業者たちは自立するために同業者の協同組合である「」という連携帯を組織して、朝廷の貴族や寺社に、仕事の確保と権利の保障を求めた。

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(30) 商工業者が増大すると自然に市民の増加にも繋がり、都市における地縁的結合を促し「チョウ」の再編成が進んだ。16世紀になるとさらに拡大し、「上京」と「下京」というより大きな地域共同体へと発展した。

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(31) そのそれぞれには「トシヨリ」「オトナ」「月行事」と呼ばれる各リーダーを、それぞれ「イレフダ」という選挙システムによって選出していた。

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第14回京都検定

実施概要

▽試験日
平成29年12月10日(
[3級]10:00〜11:30
[2級]13:30〜15:00
[1級]13:30〜15:00
※開始20分程度、注意説明あり
▽受験料(予定)
[3級]3,240円(2,600円)
[2級]4,320円(3,460円)
[1級]6,480円(5,190円)
※カッコ内は団体割引適用額
▽試験会場(予定)
◦ 京都学園大学 太秦キャンパス
◦ 同志社大学 新町キャンパス
◦ 龍谷大学 深草キャンパス
◦ 明治大学 駿河台キャンパス

出題範囲

▽歴史・史跡

京都の史跡

▽神社・寺院

京都の神社

京都の寺院

▽建築・庭園・美術

京都の建築

京都の庭園

京都の美術

▽芸術・文化

伝統工芸

伝統文化

花街

▽生活・行事

祭と行事

京料理

京菓子

京のならわし

ことばと伝統

京都の地名

▽公開テーマ問題
〔3級〕京都駅界隈
〔2級〕京都 茶の文化
〔1級〕京都の塔

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  • 京都新聞出版センター/発行

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