最終更新: kyo_miyato 2017年04月26日(水) 20:39:03履歴
(31) 延暦寺について
(32) 醍醐寺について
(33) 妙心寺について
(34) 龍安寺について
(35) 吉田神社について
(36) 花の名所について
(37) 伝統文化について
(38) 花街について
(39) 西陣織について
(40) 京人形について
(ア)比叡山で修行した親鸞が、薬師堂を建立したのに始まる。
(イ)元亀2年(1571)に織田信長の焼き討ちにより焼失、その復興は徳川家光の時代までかかった。
(ウ)根本中堂は東塔にあり、全山の総本堂である。
(エ)園城寺の寺門に対して、山門と呼ばれる。
(イ)元亀2年(1571)に織田信長の焼き討ちにより焼失、その復興は徳川家光の時代までかかった。
(ウ)根本中堂は東塔にあり、全山の総本堂である。
(エ)園城寺の寺門に対して、山門と呼ばれる。
(32) 醍醐寺について
(ア)山の上の「上醍醐」と山の下の「下醍醐」からなる寺院である。
(イ)秀吉の醍醐の花見で知られる桜の名所である。
(ウ)国宝の金堂や五重塔は上醍醐にある。
(エ)園城寺の寺門に対して、山門と呼ばれる。
(イ)秀吉の醍醐の花見で知られる桜の名所である。
(ウ)国宝の金堂や五重塔は上醍醐にある。
(エ)園城寺の寺門に対して、山門と呼ばれる。
(33) 妙心寺について
(ア)花園上皇が、自らの離宮を改めて禅寺とした。
(イ)詩文芸術に秀でた禅僧を多数輩出したことから、俗に妙心寺の学問面(がくもんづら)といわれた。
(ウ)浴室は、光秀を追善するために建立されたといわれ、「明智風呂」と称される。
(エ)塔頭の東林院は沙羅双樹の寺として知られている。
(イ)詩文芸術に秀でた禅僧を多数輩出したことから、俗に妙心寺の学問面(がくもんづら)といわれた。
(ウ)浴室は、光秀を追善するために建立されたといわれ、「明智風呂」と称される。
(エ)塔頭の東林院は沙羅双樹の寺として知られている。
(34) 龍安寺について
(ア)鎌倉時代に創建された寺院である。
(イ)有名な枯山水庭園は、「虎の子渡し」とも呼ばれている。
(ウ)山門をくぐると鏡容池(きょうようち)と呼ばれる広い池がある。
(エ)水戸光圀が寄進したと伝えられる「吾唯足知」(われ ただ たるを しる)の文字が刻まれている手水鉢(ちょうずばち)がある。
(イ)有名な枯山水庭園は、「虎の子渡し」とも呼ばれている。
(ウ)山門をくぐると鏡容池(きょうようち)と呼ばれる広い池がある。
(エ)水戸光圀が寄進したと伝えられる「吾唯足知」(われ ただ たるを しる)の文字が刻まれている手水鉢(ちょうずばち)がある。
(35) 吉田神社について
(ア)藤原山蔭が、奈良の春日神を勧請したことに由来する。
(イ)重要文化財に指定されている大元宮(だいげんぐう)の本殿は、五角形である。
(ウ)神官の吉田兼倶(かねとも)が、吉田神道を興した。
(エ)節分祭の追儺式は、「鬼やらい」として有名である。
(イ)重要文化財に指定されている大元宮(だいげんぐう)の本殿は、五角形である。
(ウ)神官の吉田兼倶(かねとも)が、吉田神道を興した。
(エ)節分祭の追儺式は、「鬼やらい」として有名である。
(36) 花の名所について
(37) 伝統文化について
(ア)能は、唐から輸入した散楽から発達し、平安時代以降は「猿楽」と称された。
(イ)念仏狂言は、念仏の布教のために催されたものである。
(ウ)出雲阿国(いずものおくに)は、奈良の春日若宮で「ややこ踊り」を演じた女性芸能者である。
(エ)南座で師走に行われる歌舞伎興行を「まねき」という。
(イ)念仏狂言は、念仏の布教のために催されたものである。
(ウ)出雲阿国(いずものおくに)は、奈良の春日若宮で「ややこ踊り」を演じた女性芸能者である。
(エ)南座で師走に行われる歌舞伎興行を「まねき」という。
(38) 花街について
(ア)京都の五花街の芸舞妓による年一度の歌舞公演会を「都の賑い」という。
(イ)舞妓が晴れて芸妓となることを「襟替え」という。
(ウ)新年を迎えて芸舞妓が一堂に会して精進を誓う行事を「事始め」という。
(エ)「月はおぼろに東山・・・」で始まる舞の歌を「祇園小唄」という。
(イ)舞妓が晴れて芸妓となることを「襟替え」という。
(ウ)新年を迎えて芸舞妓が一堂に会して精進を誓う行事を「事始め」という。
(エ)「月はおぼろに東山・・・」で始まる舞の歌を「祇園小唄」という。
(39) 西陣織について
(ア)先染めした糸で紋様を織り出す高級絹織物である。
(イ)朝廷所属の織り手集団、大舎人座(おおとねりざ)以来の伝統を誇る。
(ウ)明治初期にはいち早くイギリスからジャカード機械織機を輸入した。
(エ)西陣の名は、応仁の乱で山名宗全らの西軍が陣地を構えたことから名づけられた。
(イ)朝廷所属の織り手集団、大舎人座(おおとねりざ)以来の伝統を誇る。
(ウ)明治初期にはいち早くイギリスからジャカード機械織機を輸入した。
(エ)西陣の名は、応仁の乱で山名宗全らの西軍が陣地を構えたことから名づけられた。
(40) 京人形について
(ア)嵯峨人形・賀茂人形・御所人形・伏見人形などを京人形と呼ぶ。
(イ)伏見人形には金襴・緞子などの布裂れも使う。
(ウ)京人形の歴史は平安時代の公卿社会で用いられた雛に始まる。
(エ)宝鏡寺は「人形寺」と呼ばれている。
(イ)伏見人形には金襴・緞子などの布裂れも使う。
(ウ)京人形の歴史は平安時代の公卿社会で用いられた雛に始まる。
(エ)宝鏡寺は「人形寺」と呼ばれている。
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