最終更新: kyo_miyato 2017年04月28日(金) 20:28:30履歴
宇治は京都の南東に位置し、古くから水陸交通の要衝として、また、平安貴族の別業の地として栄えたことから、現在も多くの史跡が残っている。 宇治橋のそばには、橋を管理していたことから通称・橋寺と呼ばれる( 91 )があり、境内には宇治橋創建の経緯が記された「宇治橋断碑」が立っている。宇治川河畔では、豊臣秀吉が( 92 )築城のあと、宇治川を改修するために築いたとされる堤防「太閤堤」の一部が近年見つかった。 平安後期、父の別荘であった宇治殿を、( 93 )が寺にしたのが平等院の始まりといわれる。本尊の阿弥陀如来像は、( 94 )の代表的な作品で国宝に指定されている。宇治川対岸にある( 95 )の本殿(国宝)は、神社建築として最古の遺構であり、平等院とともに世界遺産に登録されている。 ( 96 )宇治は中国文化の影響も多く受けている。鎌倉時代には明恵(みょうえ)を通じて( 97 )が伝わり、今では日本有数の産地となっている。江戸前期に開祖された萬福寺は、中国風の建築様式で( 97 )を食することができる。近くには西国三十三所観音霊場の( 98 )札所の三室戸寺があり、アジサイやツツジなど四季折々の花の名所として知られている。 宇治はまた、『万葉集』や『平家物語』など数多くの古典文学にも登場する。中でも( 99 )が書いた『源氏物語』の最後の十帖は、宇治が主な舞台となっていることから「宇治十帖」と呼ばれている。『源氏物語』の総合的な展示施設である「源氏物語ミュージアム」までは、宇治橋から「( 100 )」が整備され、多くの観光客が散策を楽しんでいる。 |
(91) 宇治橋のそばには、橋を管理していたことから通称・橋寺と呼ばれる( )があり、境内には宇治橋創建の経緯が記された「宇治橋断碑」が立っている。
(92) 宇治川河畔では、豊臣秀吉が( )築城のあと、宇治川を改修するために築いたとされる堤防「太閤堤」の一部が近年見つかった。
(93) 平安後期、父の別荘であった宇治殿を、 ( )が寺にしたのが平等院の始まりといわれる。
(94) 平等院の本尊の阿弥陀如来像は、( )の代表的な作品で国宝に指定されている。
(95) 宇治川対岸にある( )の本殿(国宝)は、神社建築として最古の遺構であり、平等院とともに世界遺産に登録されている。
(96) 宇治は中国文化の影響も多く受けている。鎌倉時代には明恵(みょうえ)を通じて( )が伝わり、今では日本有数の産地となっている。
(97) 江戸前期に開祖された萬福寺は、中国風の建築様式で( )を食することができる。
(98) 萬福寺の近くには西国三十三所観音霊場の( )札所の三室戸寺があり、アジサイやツツジなど四季折々の花の名所として知られている。
(99) 宇治はまた、『万葉集』や『平家物語』など数多くの古典文学にも登場する。中でも( )が書いた『源氏物語』の最後の十帖は、宇治が主な舞台となっていることから
「宇治十帖」と呼ばれている。
(100)『源氏物語』の総合的な展示施設である「源氏物語ミュージアム」までは、宇治橋から「( )」が整備され、多くの観光客が散策を楽しんでいる。
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