☆ただし、以下のワードについては、小論文内に必ず含むこと
- 応挙の出身地
- 応挙の絵の特徴
- 応挙自らの流派
- 応挙に学んだ呉春を開祖とする流派
- 応挙の下絵を刺繍した前懸・胴懸をもつ平井保昌と和泉式部の恋物語をテーマとした祇園祭の山の名
解答チェック
《解答例》※これらのポイントうち、赤字のキーワード部分を含む解説を適正に記述することができて正答 公式テキスト[増]215ページ/[新]267ページ
◦ 円山応挙は、享保18年(1733)に丹波国桑田郡穴太村(現在の京都府亀岡市)の農家に生まれ、20代の頃に浮世絵の一種である西洋画の遠近法を応用した「眼鏡絵」の制作に携わり絵画の修行を
進めた。
◦ この頃の代表的な作品に、「四条河原遊涼図」、「賀茂競馬図」、「円山座敷図」、「三十三間堂図」など、京都の風景を描いた眼鏡絵を描いている。
◦ 応挙の絵の特徴としては「写生」を重視していることで、繊細な線と少ない色使いながら迫力のある画風が類稀なる個性となっている。その後、応挙が築いた写生画法は、「円山派」と呼ばれ後世に
引き継がれている。
◦ 応挙に学んだ弟子の呉春は「円山派」の画風をさらに発展させ、1780年代に「四条派」を始祖した。
◦ 祇園祭の山のひとつである「保昌山」は平井保昌と和泉式部の恋物語をテーマにしている山で、応挙が下絵を描いた絵が前懸・胴懸に刺繍してある。
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