最終更新: kyo_miyato 2016年07月13日(水) 15:14:01履歴
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☆京都盆地は三方を山に囲まれている約300平方kmの内陸盆地で、北方と東西の三方を山に囲まれている
◦ 北側・・・丹波高原に連なる北山
◦ 南側・・・大きな平野部が展開
◦ 東側・・・比叡山・東山・醍醐山など
◦ 西側・・・西山山地が広がる
☆京都盆地には大小様々な河川が流れ、やがて合流して淀川に流れつき大阪湾に至る
◦ 北域・・・鴨川・高野川・桂川など
◦ 南域・・・木津川・宇治川など
☆京都盆地の原型が出来たのは約80万年前のこと
☆京都盆地の地形は気候にも大きな影響を与え、夏は酷暑・冬は酷寒といわれる
[増] ◦ 1971年から2000年の平均で、真夏日は66.4日・冬日は27.4日、年間平均気温は15.6℃と平均気温以上に寒暖差は大きく感じられる(年間平均降水量は1545.4mm)
[新] ◦ 1981年から2010年の平均で、真夏日は71.3日・冬日は22.9日、年間平均気温は15.9℃と平均気温以上に寒暖差は大きく感じられる(年間平均降水量は1491.3mm)
☆京都盆地には生活の営みを示す遺跡が、時代別に多く発見されている
◦ 旧石器時代・・・右京区にある [増]大沢池遺跡 [新]梅ヶ畑菖蒲谷遺跡
◦ 縄文時代・・・北白川一帯で土器や石器
◦ 弥生時代・・・桂川流域で多数の集落や水田の遺跡
◦ 弥生時代中後期・・・向日市や長岡京市周辺に大規模な集落跡
◦ 4世紀初頭・・・盆地東南部に巨大な前方後円墳
◦ 北側・・・丹波高原に連なる北山
◦ 南側・・・大きな平野部が展開
◦ 東側・・・比叡山・東山・醍醐山など
◦ 西側・・・西山山地が広がる
☆京都盆地には大小様々な河川が流れ、やがて合流して淀川に流れつき大阪湾に至る
◦ 北域・・・鴨川・高野川・桂川など
◦ 南域・・・木津川・宇治川など
☆京都盆地の原型が出来たのは約80万年前のこと
☆京都盆地の地形は気候にも大きな影響を与え、夏は酷暑・冬は酷寒といわれる
[増] ◦ 1971年から2000年の平均で、真夏日は66.4日・冬日は27.4日、年間平均気温は15.6℃と平均気温以上に寒暖差は大きく感じられる(年間平均降水量は1545.4mm)
[新] ◦ 1981年から2010年の平均で、真夏日は71.3日・冬日は22.9日、年間平均気温は15.9℃と平均気温以上に寒暖差は大きく感じられる(年間平均降水量は1491.3mm)
☆京都盆地には生活の営みを示す遺跡が、時代別に多く発見されている
◦ 旧石器時代・・・右京区にある [増]大沢池遺跡 [新]梅ヶ畑菖蒲谷遺跡
◦ 縄文時代・・・北白川一帯で土器や石器
◦ 弥生時代・・・桂川流域で多数の集落や水田の遺跡
◦ 弥生時代中後期・・・向日市や長岡京市周辺に大規模な集落跡
◦ 4世紀初頭・・・盆地東南部に巨大な前方後円墳
☆弥生時代の盆地開発により、集落を豊かにし、強大な氏族が誕生
◦ 副葬品の鏡などから大和政権の支配が及んでいたことが明らか
◦ 京都盆地には「県(あがた)」が認定されており、大和政権の公領あるいは直轄地が存在した
☆この頃、大和政権の支配により、行政的な「やましろ」が誕生
◦ 5〜6世紀頃・・・「山代」という字があてられる
◦ 8世紀・・・機内制の成立と共に「山背」となり
◦ 794年・・・平安京遷都と共に国名が「山城」となった
☆5世紀になると京都盆地に多くの渡来人を含む移住者が進出し、大きく発展した
◦ 北域・・・賀茂氏・出雲氏 ※列島内移住者/小野氏・秦氏・土師(はじ)氏・八坂氏 ※渡来系移住者
◦ 南域・・・高麗(こま)氏(あるいは狛氏) ※渡来系移住者
☆特に巨大氏族集団であった秦氏は、西部の桂川流域と東部の深草の鴨川流域に進出し開発
◦ 特に桂川(葛野川)流域に移住した秦氏は、土木技術を駆使し葛野一帯を田園地帯に変え
◦ 養蚕・機織技術を扶植することにより豊かな産業地帯に変貌させた
⇒絹をうずたかく積むことを「うずまさ=太秦」と呼んだことから、この一帯の地名にもなった ←[新]では削除
◦ 副葬品の鏡などから大和政権の支配が及んでいたことが明らか
◦ 京都盆地には「県(あがた)」が認定されており、大和政権の公領あるいは直轄地が存在した
☆この頃、大和政権の支配により、行政的な「やましろ」が誕生
◦ 5〜6世紀頃・・・「山代」という字があてられる
◦ 8世紀・・・機内制の成立と共に「山背」となり
◦ 794年・・・平安京遷都と共に国名が「山城」となった
☆5世紀になると京都盆地に多くの渡来人を含む移住者が進出し、大きく発展した
◦ 北域・・・賀茂氏・出雲氏 ※列島内移住者/小野氏・秦氏・土師(はじ)氏・八坂氏 ※渡来系移住者
◦ 南域・・・高麗(こま)氏(あるいは狛氏) ※渡来系移住者
☆特に巨大氏族集団であった秦氏は、西部の桂川流域と東部の深草の鴨川流域に進出し開発
◦ 特に桂川(葛野川)流域に移住した秦氏は、土木技術を駆使し葛野一帯を田園地帯に変え
◦ 養蚕・機織技術を扶植することにより豊かな産業地帯に変貌させた
⇒絹をうずたかく積むことを「うずまさ=太秦」と呼んだことから、この一帯の地名にもなった ←[新]では削除
- 京都盆地は ___ を山に囲まれる、___ 平方kmの内陸盆地である。
- 京都盆地の北側は丹波高原に連なる ___ 、南側は ___ 、東側は ___ ・ ___ ・ ___ など、西側は ___ が広がる。
- 京都盆地を流れている主な河川は、北域では ___ ・ ___ ・ ___ 、南域では ___ ・ ___ などが合流して淀川に流れ込む。
- 京都盆地はこのような地形のため、夏と冬の寒暖差が ___ 。また、この地形の原型が形成されたのは、___ 年前とされている。
- 京都盆地の生活の営みを知る上で多くの遺跡が発掘されており、___ では数万年前の旧石器、___ では縄文時代の土器や石器、___ では弥生時代の多数の集落や水田跡、___ および___
では弥生中後期の大規模な集落跡など貴重な歴史的資料となっている。 - 弥生時代の盆地開発により、集落を豊かにし、強大な ___ が誕生した。
- 4世紀初頭には盆地東南部に巨大な ___ が出現し、副葬品の鏡などから ___ が支配していたと見られる。
- 実際、京都盆地には「 ___ 」が認定されており、大和政権の ___ あるいは ___ が存在したと見られる。
- この頃、行政的な「 ___ 」が誕生であり、5〜6世紀頃は「 ___ 」の字があてられ、8世紀には畿内制の成立と共に「 ___ 」となる。また、平安京に遷都されたことにより、国名も「 ___ 」となった。
- 京都盆地が大きく発展したのは ___ 頃で、北域では ___ ・ ___ の列島内移住者や ___ ・ ___ ・ ___ ・ ___ の渡来移住者、南域では ___ などの渡来移住者が進出してきたことに起因する。
- 特に桂川流域に移住した ___ は、 ___ 技術を駆使して葛野一帯を田園地帯に変え、さらに ___ ・ ___ 技術を扶植することにより豊かな産業地帯へと変えた。
- 絹をうずたかく積むことを「 ___ 」と呼んだことから、この一帯の地名にもなった。
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