京都検定 学習ノート - 【過去問】2009年 第6回京都検定2級(1/10ページ)

第6回京都・観光文化検定試験《2級》

[1]歴史・史跡に関する記述について、(   )に入れる最も適当なものを(ア)〜(エ)から選びなさい。
(1) 桓武天皇の皇太弟であった(   )は、長岡京造営の中心人物であった藤原種継暗殺の関与を疑われ、乙訓寺に幽閉された。

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(2) 平安京には朱雀大路を挟んで、東西に外国使節の宿泊施設である(   )があった。

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(3) 平安時代の儒学者で漢詩文の大家といわれた慶滋保胤(よししげ の やすたね)は、『池亭記』で、平安京の(   )が早く廃れた様子を書き記している。

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(4) 元久2年(1205)、後鳥羽上皇が中心となり『(   )』が編纂された。

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(5) 応永8年(1401)、将軍の(   )は使者を明に派遣、長らく絶えていた国交が開かれ、日明貿易が始まった。

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(6) 永禄11年(1568)、(   )は、将軍の足利義昭を奉じて入京し、東寺に陣を構えた。

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(7) 江戸初期の代表的山荘である桂離宮は、(   )家の智仁親王(としひとしんのう)と智忠親王(としただしんのう)の父子によって造営された。

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(8) 万治2年(1659)、修学院離宮を訪れた(   )は、日記『隔蓂記(かくめいき)』に「御庭の滝風景凡そ眼を驚かせ、肝胆に徹するものなり」と記した。

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(9) 幕末政局の主導権を握った雄藩のひとつであった(   )は、高瀬川沿いの旧立誠小学校から河原町通にかけての一帯に藩邸を構えていた。

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(10) 明治初期、第2代京都府知事であった槇村正直によって招聘された(   )は、陶磁器や七宝の釉薬・ガラス・レンガ・石鹸製造などを指導し、府の勧業政策に貢献した。

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