(91) 山科の地名「御陵(みささぎ)」は、「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」の歌を詠んだ( )の御陵があることに由来する。
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(ア)天智天皇(てんぢてんのう)
(イ)持統天皇
(ウ)光孝天皇
(エ)三条天皇
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《解答》天智天皇(てんぢてんのう) 公式テキスト[増]??ページ/[新]??ページ
(92) 宇治田原町にある( )は、「奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき」を詠んだ歌人を祀っている。
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(ア)柿本神社
(イ)融神社(とおるじんじゃ)
(ウ)猿丸神社
(エ)関蝉丸神社(せきせみまるじんじゃ)
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《解答》猿丸神社 公式テキスト[増]??ページ/[新]??ページ
(93)「因幡薬師」として知られる平等寺は、「立ち別れ いなばの山の 峯に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」の歌を詠んだ中納言行平が、薬師如来を祀ったことに始まる。
※この短歌を詠んだ中納言行平とは
在原行平のことであり、当該の薬師如来を祀った橘行平とは別人のため、問題自体が無効とされ全員正解扱いとなった。
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(ア)行願寺
(イ)平等寺
(ウ)引接寺(いんじょうじ)
(エ)頂法寺
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《解答》平等寺 公式テキスト[増]??ページ/[新]105ページ
(94) 大原野の十輪寺には、「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」の歌を詠んだ( )の塩竈跡にちなむ伝説が残る。
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(ア)菅原道真
(イ)在原業平(ありわら の なりひら)
(ウ)小野小町
(エ)小野篁(おの の たかむら)
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《解答》在原業平(ありわら の なりひら)} 公式テキスト[増]75ページ/[新]94ページ
(95)「嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くるまは いかに久しき ものとかは知る」の歌を詠んだ右大将道綱母は、「( )」に不安定な結婚生活の苦悩などを書き綴った。
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(ア)土佐日記
(イ)蜻蛉日記(かげろうにっき)
(ウ)更級日記(さらしなにっき)
(エ)明月記
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《解答》蜻蛉日記(かげろうにっき) 公式テキスト[増]??ページ/[新]??ページ
(96) 新京極にある( )には、「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」の歌を詠んだ和泉式部の墓と伝えられる石塔がある。
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(ア)誠心院
(イ)誓願寺
(ウ)蛸薬師堂
(エ)染殿地蔵
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《解答》誠心院 公式テキスト[増]80ページ/[新]100ページ
(97)「玉のをよ たえなはたえね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする」の歌を詠んだ( )は、後白河天皇の皇女であり、和歌を藤原定家の父俊成に学んだ。
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(ア)祐子内親王(ゆうしないしんのう)
(イ)式子内親王(むねこないしんのう)
(ウ)式子内親王(しょくしないしんのう)
(エ)亮子内親王(りょうしないしんのう)
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《解答》式子内親王(しょくしないしんのう) 公式テキスト[増]??ページ/[新]??ページ
(98)「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くやもしほの 身もこがれつつ」の歌を詠んだ藤原定家の御子左近は、のちに三つの家に分かれるが、そのうち冷泉家(れいぜいけ)の
祖となったのは( )である。
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(ア)為家
(イ)為氏
(ウ)為教(ためのり)
(エ)為相(ためすけ)
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《解答》為相(ためすけ) 公式テキスト[増]??ページ/[新]??ページ
(99) 従二位家隆の歌「風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける」にある「ならの小川」は、( )の境内に流れている。
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(ア)上賀茂神社
(イ)大田神社
(ウ)下鴨神社
(エ)城南宮
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《解答》下鴨神社 公式テキスト[増]??ページ/[新]??ページ
(100)「人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は」の歌を詠んだ( )は、鎌倉幕府と対立し、倒幕の兵を挙げた。
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(ア)白河上皇
(イ)崇徳上皇
(ウ)高倉上皇
(エ)後鳥羽上皇
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《解答》後鳥羽上皇 公式テキスト[増]??ページ/[新]??ページ