「オタクにネトウヨが多い」と決め付ける人達は、
「ツイッターで政治のニュースに群がってる奴らを見てみろ。見れば一目瞭然だろ」
「俺は腐るほどオタクのネトウヨを見てきた」などと、自分の印象や経験を元に言う。
これらの事を言う本人からすると、100人や1000人見たら多くのネトウヨオタクを見た事になるだろうが、
日本人は1億人以上いて、オタクは定義にもよるが数百万人はいるだろう。
なのに、100人や1000人見たからといってオタクのネトウヨの多さを証明する事になるのだろうか?
「オタクにネトウヨが多い」と判断できる基準として必要なのは、
「オタクの中に占めるネトウヨの割合」、つまり統計など、全体像の目安となる信用性のある情報であるはずだ。
オタクにネトウヨが「多い」と判定する条件も、何を基準に多いとみなしているのだろうか。
たとえば、「オタク1000人中850人がネトウヨだから、圧倒的な割合である」とか、
「非オタクの一般人だと、1000人中50人がネトウヨだけど、オタクだと1000人中500人にもなる」というものなら
確かに「多い」と言えるだろう。
しかし、「非オタクの一般層だと、1000人中50人がネトウヨだけど、オタクだと1000人中150人いる」のような例では、どうだろうか。
確かに一般層より大幅に多くなるが、オタク全体からするとかなりの少数派である。
「オタクにネトウヨが多い」と言う人は、恐らく「オタク内で大多数を占める」と言う意味で言っているのであろうが、
どちらにせよ、批判者はこういった割合も分かっていないのに、漠然と「オタクにネトウヨが多い」と批判している状況である。
批判者の「オタクにネトウヨが多い」とする根拠を見ていると、
「ツイッターの政治の話題でオタク(アニメアイコン)が右派的な言論をしているのをよく見る」、
「左派的発言をするオタクより、右派的発言するオタクが多い」というもののようだ。
そして一覧に並んでいる「オタクの左派」と「オタクの右派」を見比べ、「オタクにはやはりネトウヨが多い」と結論づける。
しかしちょっと待って欲しい。
「並んでるオタクの意見に右派的主張が多い、それが問題だ」とするならば、
非オタクの一般層だと、左派と右派では左派の方が多くなるというのだろうか?
そもそもネット上の言論状況は右派的言論の方が活発で、左派側の苦戦は左派自身も認める所であろう。
「非オタク一般層は左派が多く本来は優勢だが、少数派のオタクにネトウヨが多いせいでネットはネトウヨが多くなっている」とでも
言うのだろうか。
そうではないだろう。オタクであれ、非オタクであれ左派はどっちにしろ少ないというだけの事である。
それをオタクの場合のみ注目して「ほらやっぱりオタクにネトウヨが多い」と言うのはフェアでないのではないか。
さらに、ここが最も重要な部分だと思うのだが、
ある政治的なニュースにコメントが集まっているのを見て、そこの右派・左派の数や割合が、
「現実の右派・左派の割合と同等の分布になっている」と考える事自体が間違いである。
政治のニュースは政治的な事に関心を持ち、主張をしたいと思う人ほどコメントをし、
政治に関心がない層ほどコメントをしなくなる。
政治に興味ない層がコメントしないため、実際は存在するはずの「ノンポリ&政治に興味ないオタク層」の割合が少なくなる。
現実の選挙でも40〜50%は投票に行かない。
これだけでもツイート一覧の割合から判断することの誤りが分かるだろう。
また、ネトウヨがコメントしたがる傾向のニュースかどうかでも、ネトウヨが多いか少なくなるかの偏りが生じる。
左派界隈で広まったニュースは左派コメントが多くなり、逆もまた同様だ。
条件によって書き込み割合の結果が変わりやすいのだから、パッと見の印象で判断できるものではない。
アニメアイコンが「目立つ」事については、アニメやキャラクターのアイコンが、
ツイッター等SNSで最も多く使われているアイコン画像であるため、印象に残りやすいというだけだろう。
(詳しくはこちらの記事参照アニメアイコンはネトウヨなのか?)
ちなみに、当ページの内容に関連して、実際の割合が分かろうが分かるまいが、
どうであってもオタク全体をネトウヨとその協力者という事にできる、
「連帯責任論」というオタク=ネトウヨ論法の一種もある。
「身内のネトウヨを辞めさせず放置している。これは他のオタクもネトウヨを問題視していないということ。
だからオタク全体に責任があり、オタク全体がネトウヨとみなされても仕方がない」という理屈だ。
「オタクにネトウヨが多いというが、オタクの中のネトウヨ割合を知っているのか?」と反論したとき、
このような言葉が返ってくる事もあるだろう。
勝手に思い込みで「オタクにネトウヨが多い」と決めつけたあげく、「多い状態はお前ら全員のせいだ。責任取れ」と
迫られる理不尽な話である。
「ツイッターで政治のニュースに群がってる奴らを見てみろ。見れば一目瞭然だろ」
「俺は腐るほどオタクのネトウヨを見てきた」などと、自分の印象や経験を元に言う。
これらの事を言う本人からすると、100人や1000人見たら多くのネトウヨオタクを見た事になるだろうが、
日本人は1億人以上いて、オタクは定義にもよるが数百万人はいるだろう。
なのに、100人や1000人見たからといってオタクのネトウヨの多さを証明する事になるのだろうか?
「オタクにネトウヨが多い」と判断できる基準として必要なのは、
「オタクの中に占めるネトウヨの割合」、つまり統計など、全体像の目安となる信用性のある情報であるはずだ。
オタクにネトウヨが「多い」と判定する条件も、何を基準に多いとみなしているのだろうか。
たとえば、「オタク1000人中850人がネトウヨだから、圧倒的な割合である」とか、
「非オタクの一般人だと、1000人中50人がネトウヨだけど、オタクだと1000人中500人にもなる」というものなら
確かに「多い」と言えるだろう。
しかし、「非オタクの一般層だと、1000人中50人がネトウヨだけど、オタクだと1000人中150人いる」のような例では、どうだろうか。
確かに一般層より大幅に多くなるが、オタク全体からするとかなりの少数派である。
「オタクにネトウヨが多い」と言う人は、恐らく「オタク内で大多数を占める」と言う意味で言っているのであろうが、
どちらにせよ、批判者はこういった割合も分かっていないのに、漠然と「オタクにネトウヨが多い」と批判している状況である。
批判者の「オタクにネトウヨが多い」とする根拠を見ていると、
「ツイッターの政治の話題でオタク(アニメアイコン)が右派的な言論をしているのをよく見る」、
「左派的発言をするオタクより、右派的発言するオタクが多い」というもののようだ。
そして一覧に並んでいる「オタクの左派」と「オタクの右派」を見比べ、「オタクにはやはりネトウヨが多い」と結論づける。
しかしちょっと待って欲しい。
「並んでるオタクの意見に右派的主張が多い、それが問題だ」とするならば、
非オタクの一般層だと、左派と右派では左派の方が多くなるというのだろうか?
そもそもネット上の言論状況は右派的言論の方が活発で、左派側の苦戦は左派自身も認める所であろう。
「非オタク一般層は左派が多く本来は優勢だが、少数派のオタクにネトウヨが多いせいでネットはネトウヨが多くなっている」とでも
言うのだろうか。
そうではないだろう。オタクであれ、非オタクであれ左派はどっちにしろ少ないというだけの事である。
それをオタクの場合のみ注目して「ほらやっぱりオタクにネトウヨが多い」と言うのはフェアでないのではないか。
さらに、ここが最も重要な部分だと思うのだが、
ある政治的なニュースにコメントが集まっているのを見て、そこの右派・左派の数や割合が、
「現実の右派・左派の割合と同等の分布になっている」と考える事自体が間違いである。
政治のニュースは政治的な事に関心を持ち、主張をしたいと思う人ほどコメントをし、
政治に関心がない層ほどコメントをしなくなる。
政治に興味ない層がコメントしないため、実際は存在するはずの「ノンポリ&政治に興味ないオタク層」の割合が少なくなる。
現実の選挙でも40〜50%は投票に行かない。
これだけでもツイート一覧の割合から判断することの誤りが分かるだろう。
また、ネトウヨがコメントしたがる傾向のニュースかどうかでも、ネトウヨが多いか少なくなるかの偏りが生じる。
左派界隈で広まったニュースは左派コメントが多くなり、逆もまた同様だ。
条件によって書き込み割合の結果が変わりやすいのだから、パッと見の印象で判断できるものではない。
アニメアイコンが「目立つ」事については、アニメやキャラクターのアイコンが、
ツイッター等SNSで最も多く使われているアイコン画像であるため、印象に残りやすいというだけだろう。
(詳しくはこちらの記事参照アニメアイコンはネトウヨなのか?)
ちなみに、当ページの内容に関連して、実際の割合が分かろうが分かるまいが、
どうであってもオタク全体をネトウヨとその協力者という事にできる、
「連帯責任論」というオタク=ネトウヨ論法の一種もある。
「身内のネトウヨを辞めさせず放置している。これは他のオタクもネトウヨを問題視していないということ。
だからオタク全体に責任があり、オタク全体がネトウヨとみなされても仕方がない」という理屈だ。
「オタクにネトウヨが多いというが、オタクの中のネトウヨ割合を知っているのか?」と反論したとき、
このような言葉が返ってくる事もあるだろう。
勝手に思い込みで「オタクにネトウヨが多い」と決めつけたあげく、「多い状態はお前ら全員のせいだ。責任取れ」と
迫られる理不尽な話である。