マイソフの創作と資料とチラシの置き場です。

ミリタリ関係






ドイツの貴族軍人

ユンカー


 ユンカーというのは主にエルベ川以東(一部はエルベ川西岸)の地主貴族を言い、1871年のドイツ帝国で考えれば、この領域でドイツ領であればすべてプロイセンに含まれる。ただドイツ騎士団というものの性質を考えると、ポーランドやらバルト三国やらに散らばった騎士の末裔たちも少なくない。

 マンシュタイン元帥はレヴィンスキー家の出身だが、養子先の6代前のErnst Sebastian von Mansteinはロシア帝国の将軍だった。そのころはリトアニア-プロイセン国境のJuckstein(現在はカリーニングラードとともにロシア領)に領地も持っていたが、手放してしまった。成功した将軍が出たせいで富裕だったが、農地を持っているわけではなかった。実家のレヴィンスキーはポーランド北部のレヴィノに本拠を置く地主一族だったが、マンシュタインが育った館はBurgwitz(現Borkowice)にあった。これはポーランドでも南西であり、一族の故地ではないから館だけ買ったのだろう。 シュテュルプナーゲル一族がLübbenowに持っていた館も19世紀になって購入したものである。

他国の軍人一家


 ドイツ騎士団は成り上がりを夢見た市民を多数含み、たくさんの小地主がいたが、もちろんドイツの他の地方にも騎士や貴族がいた。後で出てくるハンマーシュタイン家、ベーゼラーガー家などはその典型である。プロイセンが北東辺境から西に勢力を伸ばすにつれ、そうした一族がプロイセンにも就職するようになったわけである。

 ルントシュテット家は14世紀からザクセンのSchönfeldに城館と農地を持っていた。エルベ川の20km西である。元帥の祖父はプロイセン軍では少佐どまりだったが、Schönfeldで死んでいる。おそらく祖父の代に分家したのである。父は騎兵少将(ただし営門名誉少将)だった。装具に金のかかる騎兵になれたのは、実家の援助があったということかもしれない。そしてゲルト・フォン・ルントシュテット少尉は騎兵はカネがかかるから歩兵になったのである。

 逆に言えばドイツ西部諸侯に仕えてきた軍人一家は、主家の流転に巻き込まれた。ワイマール共和国期に陸軍総司令官に相当する職に就いたクルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルト上級大将の祖父の弟に当たるWilliam Friedrich von Hammersteinは、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国軍(ハノーファー選帝侯国軍)に入ったが、ナポレオンに負けて公国軍が廃止になるとプロイセン軍に移った。1806年に捕虜になってみると、故国はヴェストファーレン王国に併合され、ナポレオンの弟が国王だった。このため、その軍務につくことで捕虜を脱した。そういう軍隊だから職業軍人は貴重であったろう。順調に出世して2個騎兵連隊を率いる旅団長となった。1813年6月から8月、第6次対仏大同盟とナポレオンの間には様々な思惑から休戦が合意され、それが明けると同時に向背を怪しまれていたオーストリアはナポレオンに宣戦した。これをみたWilliam Friedrich von Hammersteinは決意し、旅団ごとオーストリアに降った。その後は大佐・連隊長として遇され、Feldmarschall-Leutnant(後世の中将相当)・軍団長まで出世してウィーンで没した。カイテル家も同じハノーファー選帝侯国の成功した一族出身で、父がプロイセンの軍服で里帰りしてくると祖父が怒って家に入れようとしなかった……という話を自伝に残している。

 例えばバイエルン軍はプロイセン軍ほど貴族士官の比率が高くはなかったが、何代も続く軍人一家はあった。ハルダーやヨードルはそうした一家の出身である。

土地所有と大貴族の軍人一家


 シュトラハヴィッツ、ヴィッツレーベン、ベーゼラーガーといった一族は、伝来の領地を(農地ごと)第二次大戦期まで維持していた。ただし軍人として有名になった人物が宗家ないし有力分家として土地や館を持っていた場合もあるし、どうもそうではなさそうな場合もある。

 クルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルト上級大将は、何代かさかのぼるとvon Hammerstein zu Equordと名乗っていた。つまり、エクヴォルトに住みついたフォン・ハンマーシュタインである。ただし分家を重ね、日本語訳もある評伝によると、生涯持ち家に住んだことがなかった。

 人を使えるほどの農地を持つというのは一種のステータスであったらしく、カイテルの祖父は農地を買い、カイテルは早く引退して農業がやりたかったが父が元気でそれを許してくれないので軍務につき、父が死んだときに実際に辞職を願い出たが、師団長のポストを示されて慰留された。わずか1年でカイテルは軍務局長に補されて、以後辞職を何度申し出ても許されず、ご存じの苦労多い一生を過ごすのである。

管理人/副管理人のみ編集できます