はじめにキリスト教ありき。ギリシャ人やローマ人はアナルセックスで羽目を外していたことで有名である。他の数多くの文化、特に部族や遊牧民の文化では、人口統制の目的でアナルセックスやホモセクシュアリティさえも推奨されている。キリスト教に先立つユダヤ教も、アナルセックスの実行に対して咎めはない。
「適法なkosher性的関係は、妊娠につながるものだけに必ずしも制限されてはいない。婚姻関係にある両人が喜ぶところであれば、アナルセックスやオーラルセックスも許されている。」
Kosher Sexより引用
西洋世界におけるアナルセックスの非難は新約聖書とキリスト教から始まっている。特に生殖を目的としないあらゆる性行為を、カトリックは今でも問題視している。しかし、過去500年の間、キリスト教は様々な性行為に関する姿勢を概して軟化させつつある。今日では、キリスト教の多くの宗派は同性婚を認可している。これは宗教的な信念と教徒の実際の行動との間で矛盾が生じている一例である。ゲイ的関係の重要な結末としてのアナルセックスの存在を理解せずに、同性婚や同性間の恋愛を認めるということはできないだろう。
また別の教義と実際の活動との食い違いとしては、避妊具の使用がある。研究によると、性的に現役であるカトリック女性の98%以上はバチカンにより禁止されているにも拘わらず何らかのかたちの避妊具を使用したことがあるようだ。カトリック教会が説教を垂れたところで、性行為にどハマりする教徒人口はどうやら減少したりはしないようである。
ここで新たな問いが投げかけられる。「何故アナルセックスは他の快感を伴う性行為よりも遥かに貶められているのか?」遠い過去において、アナルセックスは未成年男児への性的暴行と強く関連づけられていた。これは同性愛者が何故あんなに酷く処刑されてきたか、あるいは場合によっては今なお処刑され続けているかのほぼ確実な理由になっている。故に、アナルセックスがかくの如き悪名を被る羽目になったのは、他の外道頽廃の所業との連想に他ならないのだ。そういった連想、関連付けがなかったとして、アナルセックスはクンニリングスやフェラチオ、避妊具の使用と比べてどこがいけないのであろうか? バチカンの司教ならこれらのあらゆる罪業に対して地獄への片道切符をもぎってくれることだろう。