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''ゲルマニア・ドイツ内戦'’


背景

偉大なる帝国を導いていた総統、”アドルフ・ヒトラー”。彼の死はその帝国を崩壊させた。
政治闘争、外交的圧力、最早ヒトラー亡きゲルマニアは首の皮一枚で千年帝国を維持してきたが、その偽りの安寧は第二代総統ヨハン・ドレクスラーの爆殺事件によってあっけなくも崩れ去った。
親衛隊長官ヒムラーは爆殺をボルマン、シュペーア、リッベントロップの計画と断定。武装親衛隊に両名の逮捕を命令。しかし両者が大人しく従う訳もなく、ボルマンは武装親衛隊を突撃隊によって攻撃。シュペーア、リッベントロップは独自の武装組織を持たなかったが首都ベルリンを辛くも脱出。幹部や民間人を率いてミュンヘンへ逃亡した。
その中、首都ベルリンでは核兵器の管理や首都保全を目的として国防軍元帥マンシュタイン、ロンメルが決起。"ベルリン保全地域"を設立。どの組織にも属さない中立地域として確立。多数の国防軍将校もそれに同調し、兵力を結集し要塞化を施し、ゲルマニア各地の核兵器施設や戦略兵器施設を保全地域として宣言した。
その国防軍の動向をよくおもわないヒムラーは己の権勢を確立する為国防軍将校の逮捕、即決裁判も開始。武器庫の襲撃も始まった。一部の将校は反旗を翻してミュンヘンへ脱出。シュペーア派に合流した。

それぞれ親衛隊はドイツ西部ケルンを臨時首都、武力組織に武装親衛隊をドイツ騎士軍としてドイツ騎士団国を、
ボルマン派はドイツ東部ケーニヒスベルクを臨時首都に設置に突撃隊を武力組織にナチス・ドイツ正統政府を、
シュペーア派はドイツ南部ミュンヘンを臨時首都に、一部国防軍と学生を義勇軍として編成し、ドイツ共和国政府を宣言。

次代のドイツの座を争い、血塗れた内戦が開始された。

各勢力

ドイツ騎士団国ドイツ騎士団国ドイツ共和国政府ナチス・ドイツ正統政府国防軍中立地帯
騎士団総長
ハインリヒ・ヒムラー
親衛隊長官
ラインハルト・ハイドリヒ
臨時大統領
アルベルト・シュペーア
総統
マルティン・ボルマン
国防軍元帥
エルヴィン・ロンメル
臨時首都
ケルン
臨時首都
ミュンヘン、ウィーン
臨時首都
ケーニヒスベルク
中立地域
ベルリン、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州、プラハ、ペーネミュンデ
親衛隊騎士軍義勇軍突撃隊国防軍
参加人物
ラインハルト・ハイドリヒ
クルト・ダリューゲ
パウル・ハウサー
ヨーゼフ・ディートリヒ
参加人物
ヨアヒム・フォン・リッベントロップ
ハッソ・フォン・マントイフェル
アルベルト・ケッセルリンク
参加人物
コンスタンティン・フォン・ノイラート
コンスタンチン・ゲルツ
フランツ・ゼルテ
参加人物
エーリッヒ・フォン・マンシュタイン
ハインツ・グデーリアン
ヴァルター・モーデル
エーリヒ・レーダー

各勢力の兵力

ドイツ騎士団国ドイツ共和国政府ナチス・ドイツ正統政府国防軍中立地帯
・第一SS装甲師団"ライプ・シュタンダルテ・アドルフ・ヒトラー"
・第二SS装甲師団"ダス・ライヒ"
・第三SS装甲師団"トーテンコプフ"
・第四SS警察装甲擲弾兵師団
第五SS装甲師団"ヴィーキング"
・第六SS山岳兵師団"ノルト"
・ケンプフ装甲支隊
・フォン・マントイフェル義勇装甲師団
・ケッセルリンク空軍野戦師団
・ケルツ第一学生義勇軍
・エルザ第二学生義勇軍
・フェーレンバッハ国民擲弾兵師団
・第一SA装甲擲弾兵師団"ジーク・ハイル"
・第二SA装甲擲弾兵師団"エルンスト・レーム"
・第三SA装甲擲弾兵師団"ツォッセンバッハ伯爵"
・第四国民突撃隊
・第五国民突撃隊
・第六国民突撃隊
・第七女性挺身師団
・"グロース・ドイッチュラント装甲擲弾兵師団"
・第一装甲師団"フリードリヒ・デア・グローセ"
・第三装甲師団"ジークフリート"
・第一装甲海兵隊師団
・第四装甲海兵師団
・第十七装甲擲弾兵師団"ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン"

その他軍閥勢力

ウクライナ革命軍ウクライーネ国家弁務官区ベーメン・メーレン第19軍管区ゴーテンラント武装親衛隊
革命軍指揮官
ヴラジーミル・ウリヤノフ・ボロディン
国家弁務長官
エーリッヒ・コッホ
第19軍司令官
フェルディナント・シェルナー
ゴーテンラント駐留SS第九師団"ホーエンシュタウフェン"師団長
ヨシアス・ツー・ヴァルディック=ピルモント
ポーランド国内解放軍ポーランド総督府デンマルク海軍独立軍管区ドイツ革命
軍団長
スタニスワフ・ロマン・ヴァシレフスカ
ポーランド総督
ハンス・フランク
海軍元帥
カール・デーニッツ
革命指導者
ブリギッテ・イェッケルン

内戦の経過

ウクライナ反乱
総統ヒトラー死亡の報が届いた東方生存圏ウクライナの地下組織"イエッツァボイ"では、本国ゲルマニアの政争の隙に乗じて反乱を決行。ヴラジーミル・ウリヤノフ・ボロディンを革命指揮官としてスラヴ系農民と共に武装蜂起した。
当初は小銃や拳銃すら持たない農具を手にした兵士が大半であったが、総統国葬の準備により警戒態勢がおろそかになっていた国防軍を奇襲し、要衝ハリコフ、ヘルソンを陥落せしめると、そこにあった武器庫を襲撃し重武装化。それでも充足率はかなり低い程度であったものの、首都キエフではイエッツァボイのゲリラ兵が飛行機に搭乗しようとしていたエーリッヒ・コッホ国家弁務長官を自爆テロにより爆殺。現地軍は混乱状態に陥り、国の防軍はキエフ近郊に兵力を集結させ本国からの来援到着までどうにか防衛線を維持しようと戦闘を継続している。
クリミアの戦い
混沌広がるウクライナ反乱の中で、規律だって防御戦闘を行っている地域があった。それは武装親衛隊が直轄地域として支配していたゴーテンラント(クリミア半島)。ヨシアス・ツー・ヴァルディック=ピルモント親衛隊中将率いるSS第九装甲師団"ホーエンシュタウフェン"は、包囲されたクリミア半島、内戦状態にある本国からの補給さえ無い状況で決死の防衛線を展開している。精強なSS師団を前に攻めあぐねるウクライナ革命軍は強引な突撃をもってペレコープ地峡を突破しようとしているが、巧みな防御戦闘と反撃によって損害を増やしていくのみであった。もともと農民の兵士が大半のウクライナ革命軍では、対戦車戦闘等に慣れておらず、恐慌状態になり後退することがままあった。しかし、優勢であるホーエンシュタウフェン師団にしても武器弾薬の貯蔵はわずかであり、また食料に関しても限界が見え始めてきた頃であった。現在膠着している戦線、先に尽きるのは弾か、人か。
ゲルマニア内戦――ドレスデン
本国で行われる戦闘も、激化の一途を辿っていた。三つ巴の戦闘では、ボルマン派が全体的に優勢であった。親衛隊騎士団国の総長ヒムラーはオカルティズムに走った作戦計画に則って戦闘。親衛隊の精強さもあり瓦解は免れているものの状況は不利であった。その中でも武力基盤が弱体なシュペーア派は敗退を続けており、ボルマン派との間で起こったドレスデン近辺での戦闘では、ボルマン派の突撃隊が大部隊を率いて街を強襲。街中での戦闘においてシュペーア派義勇軍ドレスデン防衛指揮官リンツ大佐が戦死。そのまま義勇軍はドレスデンより撤退。重要拠点を失うことと相成った。
ゲルマニア内戦――ハノーファー
血みどろの内戦の中でも、ハノーファーでは特に悪辣な戦闘が展開されていた。死を前提とした狂気的な戦闘を行う親衛隊と、元犯罪者等の割合が多い突撃隊での戦闘では、民間人を半ば無視した戦いが行われている。親衛隊が火炎放射器や毒ガスを用いると、報復として突撃隊も同じ攻撃を行い、ハノーファーの美しかった街は最早死臭の漂う廃墟と化した。優勢な親衛隊ではあったものの騎士団総長ヒムラーが、占星術にて策定された攻勢計画が下達されると、状況は一変。親衛隊の荒唐無稽な攻勢を跳ね返した突撃隊は逆攻勢をかけると、疲弊していた親衛隊は死ぬまで戦い続けるものの陣地は分断され、小集団に分かたれて包囲されると、潰されるように敗北していった。
こうして凄惨な戦闘の末にハノーファーを奪い取ったボルマン派であったが、損害も大きく、埋め合わせるように後方地域からの動員が急速に行われている。故に見せた隙、その隙を虎視眈々と狙い続けている者たちに刺されてしまったのだ。
ワルシャワ蜂起
親衛隊、義勇軍との前線に戦力を割くボルマン派。その隙、その脇腹に、長年雌伏の時を過ごしていたポーランドの熊が喰らいついた。
ポーランド総督府は内戦に関して中立的な立場を取っていたが、突撃隊に治安維持を担当していた警察部隊等を戦力として徴兵されていた。機は熟したと判断した"ポーランド国内解放軍"はワルシャワ各地にて総督府関連施設を一斉に爆破。貯蔵していた武器を手に蜂起した。国内軍軍団長スタニスワフ・ロマン・ヴァシレフスカは急速に支配地域を広げ、わずか半日の内にワルシャワを奪取した。ポーランド総督ハンス・フランクは辛くもワルシャワより脱出。ベーメン・メーレン保護領を支配する第19軍の元に逃げ込んだ。
ヴァシレフスカはおよそ一世紀ぶりにポーランド人の手に奪還したワルシャワより、ポーランド全域に人民の解放、蜂起を要請。ルブリン。ビャウィストク、ウッチ等の都市部に向け進軍を開始した。
ウクライナ・ソヴィエト共和国
長く包囲が続いたキエフ。長い攻囲戦は守備隊長フリードリヒ・オーデン親衛隊大佐の戦死によって幕を下ろした。遂に指揮統制が崩壊した国防軍と親衛隊は散り散りになって逃亡した。国家弁務官区長官府に突入したボロディン率いるウクライナ革命軍は、頂点に赤い旗を打ち立てた。いまだ親衛隊が立てこもるクリミア半島を除いたウクライナ全土を解放したボロディンは、ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国の建国を宣言した。ウクライナに響く歓呼の声は、その熱気のまま、そのまなざしを東へと向けた。
次は、ワルシャワである、と、
ポーランド戦争
ウクライナ革命軍は、鹵獲した兵器をもって軍を充足させ、その軍靴をポーランドへ進めた。未だ燃えるワルシャワに向けて進軍したウクライナ革命軍。各地で抵抗を続ける国防軍であったが、それぞれ分断された上に包囲され、それでも圧倒的な練度で絶望的な防衛戦闘を継続していたが、それもポーランド国内解放軍とウクライナ革命軍が手を取り合うと、物量差によって押しつぶされるように敗走した。ヴァシレフスキはラジオから革命を宣言。ウッチ、ビゥウィストクを国内を半ば制圧した解放軍は、ポーランド人民共和国を樹立し、ウクライナ軍との協力関係を発表した(ルブリン宣言)。
そして、ポーランド、ウクライナ両国は正式にナチス・ドイツ正統政府に宣戦布告。なだれ込むように軍が国境を越えた。
金色の野獣、ハイドリヒ
ケルン、アウグストゥスブルク城。その古城の執務室にてヒムラー長官は作戦指導に当たっていた。円卓の騎士に憧れるヒムラーは、カルト的な占星術、予言に従って攻勢計画を立案していた。それに伴い先日、シュペーア派に対する一大攻勢"エインヒリヤル作戦"を実施したのだが、杜撰な作戦目標、そしてヒムラーによる前線に対する頭越しの指令。質、量ともに劣勢なはずのシュペーア派に敗北を喫した。最後まで前線に留まり防衛を指示していたパウル・ハウサー親衛隊上級大将は消息不明。親衛隊は今までの支配領域を大きく失い、後退した。

夜、その執務室にヒムラーを訪ねる者がいた。金髪の野獣と呼ばれ冷徹な男として恐れられる、親衛隊情報部長官ラインハルト・ハイドリヒ。信頼を寄せる部下に、ヒムラーは立ち上がって出迎えた。「部下の将軍達は役に立たない。君のような絶対零度の血液を持つ男が一番信頼出来るよ。」ヒムラーはそう語り掛け、ハイドリヒに歩み寄った。

雷のような音が耳をつんざく。

黒衣の頂点を務め、警察武力権力を司った男、ハインリヒ・ヒムラー。最期は貫く銃弾から脳漿を飛び散らせ、雨の降りしきる古城でその生命を終えた。かつて上官だった男を屠った金獅子ハイドリヒは、その死体を冷たく見下ろすと、部下を呼び出しヒムラー懇意の親衛隊幹部の逮捕を命じると、迅速に親衛隊を掌握。ハイドリヒ自身が親衛隊の玉座についたのであった。
崩壊
ナチス・ドイツ正統政府の命脈は、刻々と尽き欠けていた。ウクライナ革命軍、ポーランド解放軍に攻撃され、すでにマリーエンブルクは陥落寸前。ケーニヒスベルクにも避難民が押し寄せていた。三正面戦線を抱え込むことになったナチス。ドイツ正統政府では、既に残存兵力はなく、じりじりと戦線を後退。最早ボルマンもケーニヒスベルクに閉じこもり最後の時を待つのみ、となっいていた。
希望の命脈として、ボルマンはシュペーアと和解しようとしていた。しかしその交渉が纏まる前に、正統政府支配域のフランクルルト・アン・デア・オーデルが陥落。ウクライナ・ポーランド連合軍はベルリンを目指して進軍した。
ドイツ革命
内戦の開戦以来、ロンメル元帥、シュパイデル将軍らにより中立保全が保たれていた帝都ベルリン。その平穏は脆くも崩れさった。
フランクルルト・アン・デア・オーデルの陥落。その事態に機敏に対応したロンメル元帥は迅速にベルリンの防衛を強化すると、デンマークのマンシュタイン元帥、デーニッツ元帥と、シュペーア政府に連絡を取る為、それぞれホト上級大将、グデーリアン上級大将を派遣した。どうにかベルリン前面に軍を派遣し防衛を固めたロンメル元帥であったが、ここで彼ですら予測が出来なかった事態が発生した。

ベルリンの一角、ライニッケンドルフ区にてブリギッテ・イェッケルン率いるドイツ共産党が革命を起こしたのだ。

蒼天の霹靂にロンメル元帥は、直接現地に出て鎮圧を試みようとしたが、その瞬間にウクライナ・ポーランド連合軍がベルリン近郊ペータースハーゲンに到達。熾烈な戦闘が開始された。対応に追われる国防軍。革命鎮圧をシュパイデルに任せ、前線に赴き果敢な防衛を行うロンメル元帥であったが、偶然着弾した迫撃砲弾の破片が背中を裂いた。負傷し後送されると、前線の指揮はヘルムート・ヴァイトリング砲兵大将に移譲。圧倒的に物量に勝る革命連合軍相手に、じりじりと戦線を後退。

そしてベルリンの革命は、火が付いた油の様に、赤く燃え上がっていた。官庁省庁に押し寄せる共産党員、そして民衆の波は、ついに武器をとり鎮圧を試みる国防軍人、警察を襲撃。シュパイデルも負傷しながら指示を出していたが、最早一度燃えだした革命を、止めることは出来なかった。国会議事堂にすら突入した一部民衆は、屋上に登ると革命指導者ブリギッテ・イェッケルンが紅い旗を掲げたのであった。
彼女はマルクス思想の体現を目指すスパルタクス・ドイッチュラントの建国を宣言。国防軍はスパルタクスと革命連合軍に挟まれることとなった。
騎士団国の崩壊。
かつての上官ヒムラーを弑したハイドリヒは、既にこの騎士団国の崩壊は避けられぬと悟っていた。
支配する地域はケルンを含む一部地域のみとなり、歴戦の親衛隊の将官も大多数が投降、もしくは捕縛されるなどして残っておらず、親衛隊の幹部ですら逃走を始めている始末であった。シュペーアから降伏の伝達も届いていたが、ハイドリヒはあの若造に頭を下げる事など毛頭考えていなかった。

もともと第二代総統ヨハン・ドレクスラーを爆殺したのはハイドリヒの計画であった。その後の政治的動乱を自身の配下である秘密警察や己の能力でもって押さえつけ、ヒムラーが第三代総統に就任した所で彼を失脚させ自身が総統として帝国の玉座に座る算段を建てていた。
しかしその目論見は最初から躓いてしまった。当初はボルマンやシュペーアといった幹部を即時逮捕する予定であり、既に秘密警察を動かしている状態だったのだが、秘密裏に逮捕するのではなくヒムラーが大体的に逮捕令状を宣言してしまい、逮捕予定であった幹部の大部分を逃す結果になってしまったのだった。

己の上司の無能は把握しているつもりであったが、ここまで耄碌している事は想定していなかった。「俺が最初から長官であればな。愚かなものだ。総統も党のやつらも。」アウグストゥスブルク城の城下を冷たい目で睥睨した彼は、そう吐き捨てるように呟くと、執務室を後にした。親衛隊の機密文書を焼き払い、そして最後にアウグストゥスブルク城を爆砕すると、金髪の野獣と恐れられた男は忽然と姿を消したのであった。

組織の頂点が機能しなくなった親衛隊は最早統率のとれた戦闘など継続できず、前線部隊は次々と投降。幹部も次々と姿を消し、最後にケルンが陥落すると、親衛隊騎士団国はその短い歴史に幕を下ろした。

これにより西部ドイツを獲得したシュペーア派は、グデーリアンの到着によりベルリンでの事態を知る。押し寄せる東からの避難民やロンメルからの要請もあり、シュペーアはベルリン救援を決定。マントイフェル上級大将を派遣すると、戦線の再編を急ぐのでった。
ベルリンの戦い
ベルリンではヴァイトリング砲兵大将率いる国防軍が、決死の防衛線を行っていた。ほぼ包囲されたベルリンでは、シュプレー川を挟んでクロイツベルク区とリヒテンベルク区で激戦が繰り広げられており、防衛線を後退させてきた国防軍が確保している領域は、最早シュプレー川に囲まれたベルリン南部のみであった。最高指揮官のヴァイトリングですらボロボロの格好であり、片足を負傷し部下に肩を預けながら指揮をとっていた。その彼の元に、元親衛隊少将のモーンケが息も絶え絶えに帰還した。
モーンケは川の対岸、ミッテ区を保持し一番の激戦を繰り広げていた場所であったが、ついに防衛線が決壊し、ミッテ区を放棄。唯一の対岸であったミッテを失った事により、国防軍は完全に川に囲まれた区域に追い込まれ、包囲される事になった。

ケーニヒスベルク陥落。ベルリン救援に向かうマントイフェル装甲集団にその報が入ったのはベルリン目前にしたマクデブルクに進軍した時であった。ナチス・ドイツ正統政府の最終拠点であったケーニヒスベルクだったが、ドイツ革命軍とウクライナ・ポーランド連合革命軍により包囲を受け、街の防衛線が突破されると、命運尽きたと悟ったボルマンは自決。ドイツ革命軍はケーニヒスベルクに赤い旗を突き立てた。マントイフェルはこの報を受け、強行軍になるがベルリンへの進軍を再開。一刻も早いベルリン到着を目指したが、その彼の軍団にポーランド解放軍が急襲を仕掛けたのだった。

もはやこれまでと覚悟したヴァイトリング。脱出グループを組織し、ベルリンの脱出作戦を立案しだした時、北部より歓声が上がったのを聞いた。何ごとかと外に飛び出したヴァイトリングは、北部より国防軍の鉄十字を身に付けた軍隊が、解囲の為革命連合軍に対し攻撃しているのを確認した。なんと、デンマーク方面から状況を把握し出撃したマンシュタイン率いる軍団が気の緩んでいた革命連合軍を背後より奇襲したのだった。

もはやこの好機を逃せば脱出の機会は失われると判断したヴァイトリングは、配下の軍に残りの全力を挙げて内部より攻勢を開始。ベルリンを完全に確保し建国の大義名分を保全する為に革命指導者ブリギッテも後退は許せず次々に増援を派遣。
ベルリンにおいてこの内戦最大の激戦が繰り広げられることとなった。
内戦終結
そしてベルリンの戦いが始まって丁度一週間目、ついに革命連合軍の息が尽き果て、国防軍が北部と南部にて突破。ベルリンを解囲した。
しかし革命連合軍を掃討しようにも国防軍も体力は残っていなかった。分断されたベルリンにおいて、ドイツ革命軍と、国防軍の間で休戦協定が締結。現時点の戦線をもって全戦線での停戦が発効されたのであった。

これにより、西部ドイツ方面においてシュペーアを大統領としたドイツ連邦共和国、デーニッツが初代大統領のデンマルク共和国、ベルンハルトを政府首班のオーストリア共和国が成立。
そして東部方面において、旧プロイセン王国の領土に似た形でドイツ人民共和国、ポーランド人民共和国、ウクライナ・ソヴィエト共和国、チェコスロバキア民主主義人民共和国が成立。分断されたベルリンはそれぞれ東ベルリン 西ベルリンとしてそれぞれのドイツとして帰属。

こうして、分断されたドイツでもって血にまみれた内戦は終結したのであった。

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