中世・近世ヨーロッパ史(だいたい西暦1155〜1857)の歴史の研究および考証(意見・情報交換、議論など)をする研究会のwikiです。歴史の情報共有の場として、あるいは、単なる情報交換の場として。歴史好きの方、お待ちしております。認証されれば誰でも編集可能です。

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ルネサンスから近世にかけてヨーロッパを「世界の」支配者に押し上げたいわゆる海外の植民地支配ですが、その植民地支配で注目すべきはその手法にあります。何も、いきなり最初から軍事力で支配して力ずくで物品を奪い上げよう、というわけではないのです。未開の先住民ならまだしもインドなどのある程度の文明国を相手にそんなことをしても先のない戦争を戦うはめになるだけですから、やはりいくらあくどい植民地支配にもやり方というものがあるのです。ここではある仮説をもとにいかにしてヨーロッパ列強が海外の植民地を支配するに至ったかについて見ていきましょう。
いわゆる、大航海時代の先駆けとなったポルトガルですが、最初にヨーロッパから「海路で」インドに到達した国でもあります。ヴァスコ・ダ・ガマが有名ですね。15世紀の中頃から後半にかけて西アフリカ、南アフリカと何人もの提督を派遣してだんだん探検航海の数を重ねていき、ついには喜望峰を発見してインディアに至るルートを開拓したのです。バルトロメウ・ディアスが有名ですね。その後、いくらかの年月を経てヴァスコ・ダ・ガマがアフリカ周りルートでのインド到達に成功し、ポルトガルはインドとの商売を始めようとします。最初の頃こそ歓迎されなかったり香辛料を高く吹っ掛けられたりしてなかなか手厳しいスタートになったようですが、その時代にその後のインド・アジア貿易支配の足掛かりを作ったことには間違いありません。その過程で重要なのがフェイトリアと呼ばれる要塞(それ自体はあまり褒められたものではありませんが)を植民地にひとつずつ築いていって貿易・商売の拠点としたことです。要塞を築くだけなら、「なーんだ、ただの植民地支配じゃん」と思うかもしれませんが、ここで言いたいのはそこではありません。植民地支配は、最初は「借地」から始まる、ということです。
いきなりある程度の文明国に行ったとして、全く異なる文化圏であればそうそう簡単には商売は認められません。何しろ、そこにはすでに商売圏というものが存在するから、です。もちろん既存の商人もいますしインドの場合だとアラブの商人を通じてヨーロッパに香辛料を売っていたので、なおさら簡単に認められることではありませんね。となると、どうしても商売のきっかけというものが必要で、そのきっかけを作るのが、「借地」という手法です。借地、つまり、商売に必要な大使館だったりこの場合は総領事館ですね、あるいは商館を建てたりするのに、拠点となる土地が必要になるわけです。見知らぬ相手同士の商売となると、いきなり行って多少の香辛料を売ってくださいと頼むのならまだしも、いずれは植民地支配される危険性もあるのに総領事館、あるいは商館を建てるための土地を貸せ、など問答外の出来事かもしれませんよね。確かに、そこで行き詰ってしまうとその後の植民地支配どころか商売も怪しくなってくるのですが、そこが商売の上手な商人の腕の見せ所かもしれませんね。確かに一個人で現地で土地を借りるとなると、そのものの価値に加えてインドの場合だったりするとなおさらいろいろと吹っ掛けられますよね、そうなると一個人のレベルでは到底支払い得なくなりますがポルトガルのインドのケースだと何とか交渉して、最低限の土地を間借りすることに成功しています。もちろん妨害や嫌がらせなど、その後の植民地支配を知ってか知らずしてかインド側も何とかしようとしたようですが、結局海外で商売をするのにまずは土地を間借りしろ、の法則には惜しくも贖えなかったようです。ポルトガルの場合は土地の間借りに成功したからこそ、その後安定してインドで取引できるようになったのですが、植民地支配でもそうですが海外で商売するのに必要なのは、まずは借地、土地を間借りすることなのです。だいたいのケースで向こうに土地を貸す気がないとその地方での商売はそこで頓挫してしまいますが、その地方で安定して商売するにはあるいはそこを拠点に商圏を広げるのには、土地を間借りする、というのは欠かせないのです。逆に、借地にだけ成功すればあとは、(なし崩し的に、ではありませんが)影響力、支配力を持つことができるので、比較的労せずしてその地方のある方面向けへの商売を支配することができるのです。植民地支配といっても、基本的には貿易、商売を目的として行われれる場合が多いですから、(支配や略奪目的だと必ず後で失敗します)表向きな理由が何にしろ、とりあえずは商圏を広げるためにはまずは拠点となる現地で土地を間借りして、そこに商館やら総領事館やら建ててだんだんと海外に交易圏を広げていくのです。ポルトガルの海外進出にも随分とユダヤ商人が関わったともいわれていますが、ある意味借地をしてそこから商売的支配圏を広げていく、というのも彼らならではの方法とも言えなくもない、ですね。

このページへのコメント

結局は遠隔地と貿易する場合でも商館など貿易拠点の確保・接収を法規的に合理的に進めてしまえばなんにも力による支配にもならないわけで、ガマが教皇庁に送った書簡のやりとり曰くそこには人種的あるいはヒュミレイト的(人種的高圧的差別)思惑が大枠であったからこそ歴史の表的にはそういう容を取ったのだ、というように思います。

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Posted by skywalker 2016年07月14日(木) 09:03:56 返信

相手の国に乗り込んでいって支配や商売のための土地を半ば無理やり接収して法的支配のもと自分たちのやりたいようにやってしまうというのが所謂植民地支配というものですが、特に近世の場合において欧州人のそれらは専ら経済的もしくは政治的に観ても貿易的優越というものを目的に行われたと観ることができます。欧州人如かず遠隔地と貿易する際に相手国に貿易拠点となる商館を築かなければならないのはアラブ人でもアジア人でも同じで一緒なのですが、欧州人の場合はそれらを強圧的あるいは軍事力を背景に超法規的に強引にやってしまったことで、力による支配を築きまた力で押し切ったという印象を歴史的に与えることになってしまいました。

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Posted by skywalker 2016年07月14日(木) 09:03:07 返信

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