武器使用と戦争の原則
最終更新:
skywalker_laurence 2016年03月09日(水) 19:25:29履歴
まぁ、最近のどっかの国にも当てはまることだと思いますが、武器や戦争、交易、貿易、経済などこの世界を構成する諸原理には必ずベースとなる基本ルールあるいは基本原則というものがあるわけで、それはヨーロッパでは少なくとも中世から近世にかけて腐るほどの戦争や紛争が行われた結果からも分かる通り例え戦争をしてもこの世界をぶっ壊さずに済むルール、基本原則のようなもの、が必ずあるわけです。どこが作った、誰が管理している、ということは到底知ったこっちゃないですしそんなもん、あったら世界公認のものにしてしまえばいい、というようにも思いますがそれは置いておいて、個々の国や国家の法規の存在以前にこの世界には、「少なくとも近世、中世以前からの、誰が作ったとも言えない、ルールのようなもの」があるのです。それは言わば暗黙の了解のようなものでもあるし、不文律でもあるのです(ある特定の人たちの間、あるいはある特定の集団の中において暗黙的にルールとして存在する事柄。またあるいはそれが法的に正当な集団である場合にも限る)。その、暗黙の了解というものは、タダでは掴みづらいかもしれませんが、歴史書や通俗史を見ていれば所々にそのような存在が書き表されているところにも出くわすようにも思います。それが、不文律、暗黙の了解のようなもので、この世界を形成してきた、いわゆる基本原則のようなものなのです。まぁ、言ってしまえば個々の人間レベルでのマナーにでも等しいものですし、おそらくは世の中の倫理にもつながるものであろうとも思います。それはさておき、先述のとおり世の中、というかこの世界というものには基本的なルール、あるいは基本原則というのがあるわけで、ここではそれについてのお話を書こうか、と思います。簡単に書きますし、どこかの言い伝えのような通俗的なものでもあるので、どうか気構えずに気軽にお読み下さい。
武器使用に関しては、映画「スターウォーズ」がある意味一番詳しいようにも思いますが、武器というものはそもそも基本的に使ってはいけないもの、あるいは使用すると必ず自分に災いが降りかかるもの、とでも言えるような、いわゆる「使った者に災いが降りかかるもの」でもあるわけです。業物、という呼び方をするモノも存在するくらいですがやはり他人を害し殺めることのできる物、というのは結局のところ災いの種そのもの以外の何物、でもないわけです。戦争では、それらが「合理的に使用の許可される偶発的な状況」が常に想定されるわけですが、それをいじるにはまず戦争が法的に正しいものなのか、という点についてまず論議しなければならないでしょう。答えは、完全に「NO」でまず戦争が法的に正しいわけはありませんね。そもそも、法的に解決できないから「戦争」に踏み切るわけで、戦争法というどこかに決まりが存在することからもそもそも戦争とは特殊な状況でもある、ということも簡単に言えてしまうわけです。なので、戦争犯罪はいつになっても訴訟が終わらなかったりします。(そもそも法的な物を無造作に破壊してしまう行為自体、法的であるとはとてもではありませんが、言えませんね。)そういった意味では、論議を引っくり返すようで申し訳ありませんが、そもそも戦争や「武器使用状況」が合理的に法的であるはずがなく、結果的に「自衛権」という形で護衛あるいは護身のための反撃が認められているだけで、そもそも戦争であれ相手を殺める行為は法的に認められていないのです。となると、武器の使用そのものは法的に認められていないので(例えそうであってもどこかの国の法律で「自衛権」の範囲内で定義される程度)結果的に戦時であってもそうでなくても武器の使用は、原則認められていない、ことになるのです。となると、戦争でも武器を使用できない、あるいは戦争そのものが否定される、ということにもなるのですが、結果的には先述の通り、戦争とは、そもそも「法的に正しくない状況で、それを法的以外の方法で解決する方法」と呼ぶこともできるので、その言葉の通り「やってはいけないけども偶発的に起こり得ること」というようにも言う事ができるわけです。こうなると、何がなんだか分からなくなってしまうかもしれませんが、とにかく、戦争というものは「リーガルでない」状況で起こり得るものなのです。その上で、「合理的に使用の許可される(偶発的な)状況」となるわけですが、そもそもそのロジックでは許可されている、というのは自衛権のことで、「自衛権は許可されているけども、武器の使用が漫然と認められたわけではない」、ということにもなります。交易や貿易、経済でもそのような暗黙のルールのようなものがある、と書いておいてなんだ、かもしれませんが、とにかく、法的でないものは「法的ではない」のです。ただ、自衛として使用の認められているものが戦争で使う武器だったりするので、気を付けなければいけませんが、とにかく、戦争あるいはそこでの武器使用というものは法的には原則認められているものではない、ということは十分頭に入れておいていただきたいことだ、というように思います。
さて、さんざん軍略や兵法について書いてきて、ここではなんだ、となっている方も多いのかもしれませんが、戦争、あるいは戦略ゲームを愛すものだからこそ分かること、知っておかなければならないこと、でもありますがそもそも戦争というのは法的に許可されたものではない(一国で許可されても他方では「不合理」となるため)というものでもありますし、もちろん、武器に関しても基本的には使用できない、扱いになっていると思います。それでもシミュレーションゲームなどで、シミュレートしたり戦略を練ったりするのは「その考え方、あるいはゲーム的選択やその思考方法」が後に必ず役に立つからであって、そもそも戦争そのものを楽しんでいる人は「戦争ゲームをやったりしてはいけない」はずなのです。実際の場合でもそうだと思いますが、それそのものを楽しんでいる人は(特にそれが犯罪だったり戦争だったりする場合は)必ずその現状にて見落とす点があるので、そもそも合理的にシミュレーションをしたり、戦略を練ったりできない、はずです。そこから分かることが多い、からこそ現代においても中世や近世、あるいはそれ以前の古代などの戦術・戦略が重んじられたりするわけなのですが、そもそも、それそのものを「楽しむためだけに」やるようなものではない、ということは周知の事実のはずです。戦略やシミュレーションを「楽しむ」ためにそもそも兵法や軍略の話を引き合いに出すのであって、戦争やあるいはその武器の使用の状況を楽しむ、ためではないはずです。まぁ、これを読む多くの人は十分分かっていることだと思いますが、早い話、戦争あるいは戦略シミュレーションゲームをする段階でも武器使用の原則や戦争の原則などについては重々承知しておかなければいけないことだ、ということです。また、他の場合においてもそうですが、いかなる場合も、「法的でない状況」は作ってはならない、ということです。この世界は、「法的なものが支配する世界である」というところで、基本的には法的でないものは「正しくない」世の中、でもあります。そのために、基本的には新しいことを認めさせようと思えば、まずはどこかで法的に認めさせる必要が出てくるわけなのですが、それが法的なやり方、というものでもあったわけです。なので、ここでの記事は、基本的にこれらの「世界の」原則が基本的に理解できる人たち、に読んでもらうためのもので、それが分かる、という方のみ先へお進みください。そうでない、という方がもしいらしたら、「最初から出直してきて」ください(笑)。というのは脅しでもなんでもありませんが、その点留意して読んでおいて下さい、ということです。法的でないものは、正しく読めない、世界でもありますのでね。
武器使用に関しては、映画「スターウォーズ」がある意味一番詳しいようにも思いますが、武器というものはそもそも基本的に使ってはいけないもの、あるいは使用すると必ず自分に災いが降りかかるもの、とでも言えるような、いわゆる「使った者に災いが降りかかるもの」でもあるわけです。業物、という呼び方をするモノも存在するくらいですがやはり他人を害し殺めることのできる物、というのは結局のところ災いの種そのもの以外の何物、でもないわけです。戦争では、それらが「合理的に使用の許可される偶発的な状況」が常に想定されるわけですが、それをいじるにはまず戦争が法的に正しいものなのか、という点についてまず論議しなければならないでしょう。答えは、完全に「NO」でまず戦争が法的に正しいわけはありませんね。そもそも、法的に解決できないから「戦争」に踏み切るわけで、戦争法というどこかに決まりが存在することからもそもそも戦争とは特殊な状況でもある、ということも簡単に言えてしまうわけです。なので、戦争犯罪はいつになっても訴訟が終わらなかったりします。(そもそも法的な物を無造作に破壊してしまう行為自体、法的であるとはとてもではありませんが、言えませんね。)そういった意味では、論議を引っくり返すようで申し訳ありませんが、そもそも戦争や「武器使用状況」が合理的に法的であるはずがなく、結果的に「自衛権」という形で護衛あるいは護身のための反撃が認められているだけで、そもそも戦争であれ相手を殺める行為は法的に認められていないのです。となると、武器の使用そのものは法的に認められていないので(例えそうであってもどこかの国の法律で「自衛権」の範囲内で定義される程度)結果的に戦時であってもそうでなくても武器の使用は、原則認められていない、ことになるのです。となると、戦争でも武器を使用できない、あるいは戦争そのものが否定される、ということにもなるのですが、結果的には先述の通り、戦争とは、そもそも「法的に正しくない状況で、それを法的以外の方法で解決する方法」と呼ぶこともできるので、その言葉の通り「やってはいけないけども偶発的に起こり得ること」というようにも言う事ができるわけです。こうなると、何がなんだか分からなくなってしまうかもしれませんが、とにかく、戦争というものは「リーガルでない」状況で起こり得るものなのです。その上で、「合理的に使用の許可される(偶発的な)状況」となるわけですが、そもそもそのロジックでは許可されている、というのは自衛権のことで、「自衛権は許可されているけども、武器の使用が漫然と認められたわけではない」、ということにもなります。交易や貿易、経済でもそのような暗黙のルールのようなものがある、と書いておいてなんだ、かもしれませんが、とにかく、法的でないものは「法的ではない」のです。ただ、自衛として使用の認められているものが戦争で使う武器だったりするので、気を付けなければいけませんが、とにかく、戦争あるいはそこでの武器使用というものは法的には原則認められているものではない、ということは十分頭に入れておいていただきたいことだ、というように思います。
さて、さんざん軍略や兵法について書いてきて、ここではなんだ、となっている方も多いのかもしれませんが、戦争、あるいは戦略ゲームを愛すものだからこそ分かること、知っておかなければならないこと、でもありますがそもそも戦争というのは法的に許可されたものではない(一国で許可されても他方では「不合理」となるため)というものでもありますし、もちろん、武器に関しても基本的には使用できない、扱いになっていると思います。それでもシミュレーションゲームなどで、シミュレートしたり戦略を練ったりするのは「その考え方、あるいはゲーム的選択やその思考方法」が後に必ず役に立つからであって、そもそも戦争そのものを楽しんでいる人は「戦争ゲームをやったりしてはいけない」はずなのです。実際の場合でもそうだと思いますが、それそのものを楽しんでいる人は(特にそれが犯罪だったり戦争だったりする場合は)必ずその現状にて見落とす点があるので、そもそも合理的にシミュレーションをしたり、戦略を練ったりできない、はずです。そこから分かることが多い、からこそ現代においても中世や近世、あるいはそれ以前の古代などの戦術・戦略が重んじられたりするわけなのですが、そもそも、それそのものを「楽しむためだけに」やるようなものではない、ということは周知の事実のはずです。戦略やシミュレーションを「楽しむ」ためにそもそも兵法や軍略の話を引き合いに出すのであって、戦争やあるいはその武器の使用の状況を楽しむ、ためではないはずです。まぁ、これを読む多くの人は十分分かっていることだと思いますが、早い話、戦争あるいは戦略シミュレーションゲームをする段階でも武器使用の原則や戦争の原則などについては重々承知しておかなければいけないことだ、ということです。また、他の場合においてもそうですが、いかなる場合も、「法的でない状況」は作ってはならない、ということです。この世界は、「法的なものが支配する世界である」というところで、基本的には法的でないものは「正しくない」世の中、でもあります。そのために、基本的には新しいことを認めさせようと思えば、まずはどこかで法的に認めさせる必要が出てくるわけなのですが、それが法的なやり方、というものでもあったわけです。なので、ここでの記事は、基本的にこれらの「世界の」原則が基本的に理解できる人たち、に読んでもらうためのもので、それが分かる、という方のみ先へお進みください。そうでない、という方がもしいらしたら、「最初から出直してきて」ください(笑)。というのは脅しでもなんでもありませんが、その点留意して読んでおいて下さい、ということです。法的でないものは、正しく読めない、世界でもありますのでね。
タグ



このページへのコメント
以上は、メモ代わり。
して、同国軍内の、陸上戦力と海上戦力は、然るに相容れない。しかるに、それを相中和しえるのは、上陸敵襲戦力、つまり「海兵隊」の存在だけなのである。
つまり、陸上に於いては常にいかに飛ばすか、洋上においてのそれは、常に如何に近付いてかわすか、にそれぞれ重点が置かれる。
陸上における遠隔攻撃と、洋上での艦船同士の接近は、どうしても避けられない。
つまり、距離が最大になることで、最も人的被害が多くなるのが陸上同士の戦いで、距離がもっとも近くなる代わりに、被害が装備・艦船に集中するのが、海上でのそれである。