今は亡き耳かきコリッの避難所

Prologue
「はぁ〜、さっぱりしたぁ」
すっかり聞きなれた声と足音に気づいて振り返ると、
紫陽花さんがバスタオルで髪を拭きながらリビングに入ってくるのが見えた。
・・・しかし、ワイシャツ一枚という格好は何とかならないものか。
自然と顔が赤くなるのを感じながら、僕は彼女から視線を逸らす。
「なによ、それがご主人様に対する態度なワケぇ?」
「す、少しは恥じらいとか慎みを持ってください・・・僕だって一応男ですよ?」
それを聞いて遥か頭上でからからと笑う紫陽花さん。
以前から思っていたのだが、どうもこの人は無防備で困る。
人間の男性はどうだか知らないが、女性というのはもっとこう、
しとやかで理性的であるべきだと僕は思う。
「鉄之助は小心者だもんねぇー・・・やっぱ小人だから?」
冷蔵庫から出してきたコーラをグラスに注ぎながら、紫陽花さんはまた笑い出した。
ここでいう鉄之助とは無論僕の名前で、彼女がくれた名だ(由来はわからないが)。
白い喉をコクッ、コクッと鳴らしながら、一息にコーラを飲み干す紫陽花さん・・・。
彼女のあられもない、しかし美しい肢体に、いけないと思いながらも見とれてしまった。

「さて、と・・・例の奴、頼めるかしら?」
「まだ三日しか経ってませんよ」
長期間自粛できた後の耳掃除は格別よ、とは彼女の弁。
そういうわけで数日前から我慢していたのだが、早くも限界が来たらしい。
だが無理もない、この人は日本人でも数少ないウェットタイプ(飴耳)なのだ。
その上新陳代謝が人並み以上に良く、一日二回以上耳掃除を頼まれることも多い。
ドライタイプの人に比べ、さぞかし痒みも強いことだろう。
僕がそんなことを考えている間に、紫陽花さんは自分で掃除用具一式を揃え始めた。
凹凸綿棒にローション、更に僕のケイジから「十得」まで摘みだしてきてくれる。
「はい、これで良しっと・・・あぁ〜、もうガマンできないっ」
本当に辛そうな様子を見て、さすがに辛抱しろとは言えなくなってしまった。

1.
非常にテキパキとした動作で準備を終え、鉄之助は私の左耳へ辿り着いた。
一秒毎に増していく耳内の痒さを知ってか知らずか、ご丁寧に確認を取ってくる。
「それじゃ、始めますね」
「ん」
期待と苛立ちが入り混じる中、ガサリと耳の中に入ってくる耳掻きの先端…。
その刹那、ぞわりとした感触が爪先から肩までを駆け巡った。
鉄之助が操る耳掻きは、まだほんの入口付近を軽くゴシゴシ擦っているに過ぎない。
それなのにこの鋭い快感はどうだろう。
痒みの中枢にはまだ程遠いというのに、
底部をゆる〜くコリコリ掻いてもらっているだけで、声が出てしまいそうな気持ちよさ。

ゴシゴシ………ガサッ…ゴロゴロゴロ…ガサッ
ローラーのようにクルクル回る動作が加えられ、
耳の深部に向かってまんべんなく心地よい刺激が伝わってきた。
さながらマッサージのようである。
ネチョッとした感のある私の耳をほじくるのに、普通の耳掻きは適さないらしい。
数ヶ月前、ウンザリする程の書類審査をパスして購入した「小人」…鉄之助。
少し長めの茶色い頭髪と硝子細工のような黒く小さな瞳、
そして全身黒いスーツに身を包んで私の家にやって来たこの子を、
私は一目で気に入り、終生の相棒と決めた。
激務に追われ、憔悴した体で仕事から帰ってきた私をいつも丁寧に迎え、
そして輪をかけて丁寧に耳掃除を施してくれる鉄之助。
女は知らないようだが、耳のことに関しては知り尽くしているようで、
毎日耳が痒くてしょうがなく、その上自分ではうまく掃除できなかった私にとって、
鉄之助はまさしく救世主以外の何者でもなかった。

「ちょっと放置しただけでスゴい溜まりようですね…奥、やりますよ?」
回想に浸っていると、念願のお声がかかってきた。

2.
外耳道の中程を通過し、スパイラルヘッドの耳掻きはさらに奥へ。
綿棒もそうなのだが、私はこの凹凸型のやつが大好きだった。
私の耳垢は風呂上り時には耳壁に吸着し、一層痒みを増す。
以前は何の迷いもなく竹の耳掻きでガシガシ掻き回していたのだが、
鉄之助曰く、それは『最大のタブー』らしい。
そこで登場したのが件の耳掻きで、
何でも特殊金属製の先端は殺菌作用を持ち、その上肌触りも極めてソフト、
蒸気で軟らかくなった耳の中にも優しく、傷をつける心配はないと言う。

ゴソゴソ………ゾロリッ…ガサガサガサ………。
先ほどから少し捻りを入れ、呆れるくらい慎重な動きで耳の奥をほじくる鉄之助。
しかも一番掻いてほしい部分には直接触れず、その周囲を密かに引っかく程度の感触。
正直じれったいが………これはこれで気持ちがよかった。
ソファにゆっくりともたれて、快楽に集中すべく目を閉じる。
こりこりと、ものすごく近い距離で耳を擦る音が響いた。
視界が闇に染まれば、自然と意識は聴覚と触覚に集中するものだ。
「ここ、狭くなってて…痛くないですか?」
「ないよぉ…いい………キモチ…」
気配りを絶やさない鉄之助の声に、我ながら情けない声で返事を返す。

私は妄想した。
外耳道に、さながらコールタールのようにべっとりと染み付いた耳垢。
そしてそれを無心にコリコリ掻き出していく凹凸のついた耳掻きの先端を。
頑固にこびりついた耳垢を地肌と共に細かく擦り、丁寧に掻きとってくれる。
…そんな他愛のない妄想が、より快楽を高めるエッセンスの一つだと私は思う。
やがて鼓膜付近からゴソリと一際大きな音と共に耳掻きが抜かれ、
「こちらは済みましたが、いつも通り洗浄しますね?」
無論、私の答えは決まっている。

Epilogue
洗浄液に浸した綿棒で、入口から奥、奥から入口までを拭き掃除していく。
紫陽花さんは全身から力が抜けたようにくったりとし、リラックスしきっていた。
「冷たくて気持ちいいよ」
「そうですか…それにしてもしつこい汚れでしたよ」
そう言って、チラリと彼女の肩にかかったティッシュに目をやる。
掻き出した耳垢は奥へ進むにつれて粘性と赤黒さを増していき、
綺麗にするのも一苦労である。
たった三日でここまで悪化したことを考えると、少々怖いものがあった。
記憶が確かなら、紫陽花さんは自粛開始当初こう宣言したはずだ。
『一週間、いや一ヶ月間ガマンしてみせるから』
結果的には一週間どころか三日でギブアップだったが、これで良かったのだ。
もしそれが実現なぞしていたら、僕は恐らく耳の中を直視できなかっただろう…。
そんなことを考えながら、僕は綿球が白から茶褐色に変色してしまった綿棒を取り替えた。

「ねぇ鉄之助」
「なんですか?」
「夏服、作ってあげよっか? ひらひらのカワイイやつ」
掌の上にいる僕に向けて紫陽花さんが言った。
“ナツフク”とは何だろう? 僕はちゃんと服を着ているし、着替えも支給されてる。
小首を傾げる僕を、紫陽花さんは愛しげに見つめるばかりだった。

                                                  《終》

このページへのコメント

次回作楽しみにしてます(・∀・)

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Posted by たけまる 2012年01月12日(木) 07:14:25 返信

これ初めて読みました。いつも更新楽しみにしてます。

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Posted by 応援してます 2011年12月29日(木) 23:43:26 返信

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