まとめ:雅ちゃんがももちの胸を触るセクハラ

551名無し募集中。。。2018/07/25(水) 01:43:26.420

目指すはお台場、観覧車。
30分も電車に揺られれば、目的の駅にはたどり着ける。
改札を抜けた先は、休日の家族連れでごった返していた。

「まじか」

思わずつぶやいた雅の頬を、ふわふわと漂う風船が掠めた。
風にさらわれて、ピンク色の風船が空へと舞い上がる。
慌てて手を伸ばすと、その紐はギリギリで雅の指に引っかかった。
危なかった、と安堵していると、後ろから軽い衝撃を受けて雅は小さくよろめいた。

「ふうせん!」
「……え?」

振り返れば、小さな両腕を精一杯にこちらへ伸ばす少女が目に入る。
懸命な表情に慌てて持っていた紐を差し出すと、少女は両手でそれを受け取った。
風船だけを見つめていた目が、ようやく雅の姿を捉える。
さっ、と少女の顔に緊張が走ったのを感じて、雅はゆっくりとしゃがんで少女を見つめた。

「その風船、あなたの?」

無言で小さな頷きが帰ってくる。「ママは?」と尋ねると、「あっち」と少女は指差した。
まだ昼前だというのに、ずらりと連なる長蛇の列。
その先には、鮮やかな色彩のアイスクリームの看板が掲げられている。

「——り、がと!」

勢いよく頭を下げると、少女はパッと駆け出した。
少女の後を追うようにして、風船がゆらゆらと揺れる。
それを見送っていると、不意に見知った横顔が横切った気がした。
え、と視線を引き戻すと、向こうも雅に気がついたようだった。

552名無し募集中。。。2018/07/25(水) 01:44:50.130

「な……夏焼さんやないですか!」

結のよく通る声が、雅の名前を呼んだ。その隣で、目を丸くした舞が棒立ちになっていた。
幽霊を目の当たりにしたかのような二人の反応がおかしい。

「お昼前にアイス?」

当たり障りのない話題を、と考えて、二人が両手に抱えていたアイスクリームが目に留まった。
アイスクリームは、ちょうど7人分。

「暑い、ので」
「どうせももが食べたいって言い出したんでしょ?」

二人が、言葉に詰まったのを感じた。
二人に——その他の子ども達にも——雅のことを、桃子はどう説明したのだろう。

「持つよ、アイス」

雅が差し出した手に、一つずつアイスが預けられる。
淡い黄色のシャーベットは、きっと桃子のもの。
ピンク色のアイスは、さて誰のものだろう。

「行こっか、みんなのとこ」

雅がすたすたと歩き始めると、二人が少し遅れてついてくる。

「観覧車は乗れた?」
「……まだです」
「お肉は?」
「……お昼に、食べようねって……ももち先輩が」
「じゃあ、最初はお買い物かあ」
「そう、ですね」

二人の足取りが緩んだのを感じて、雅も立ち止まって振り返る。
二人の顔に浮かぶ戸惑いは、先ほどよりも少し薄まっている気がした。

「……やっぱり、夏焼さんなんですね」

半分泣きそうな声で結が口にする。雅は深く頷いた。

553名無し募集中。。。2018/07/25(水) 01:45:27.650

二人が「あそこ」と示すより先に、雅の目はその姿を捉えていた。
地図を広げて話し合う話の中心にいるのは、紛れもなく桃子だった。
背中を向けていたって、すぐに分かる。
自然と速くなる足に任せて、まっすぐに桃子を目指した。
桃子の肩越しに、梨沙と目が合う。
つられて顔を上げた奈々美も雅を見つけ、結や舞と同じ顔をした。
奈々美の反応に気づいたのか、知沙希もゆるりと首を巡らせて、そしてぽかんとした表情になった。
一緒に暮らしていると、そんなところも似てくるものなのだろうか。

「先にここ、」
「——より、そっちの店の方がいいと思うけど」

両手が塞がっていて、良かったかもしれない。
そうでなければ、人目を憚らず抱きしめていたところだったから。

「はい、どーぞ」

持っていたシャーベットを、半ば押し付けるようにして桃子に手渡す。
その間も、ぽっかり開いた口からは一切声が聞こえてこなかった。

「……な」
「ん? あ、それもものでしょ?」
「……そう、だけど」

そうじゃなくて、と言うように、桃子の喉がひゅうと音を立てた。
とろり、と冷たいものが雅の指を伝い落ちる。
ふと、片手に残されたままだったアイスの存在を思い出した。
これは誰のものなのだろう。
結を見れば、どうぞどうぞと手のひらで促される。

「それ、夏焼さんのなんで」
「え、まじ? いいの?」

結の言う通り、この場にいるのは7人。
アイスクリームも7人分で、すでに全員が一つずつ手にしている。
ならば遠慮することもないか、と雅は持っていたストロベリーアイスに口付ける。

「で……どうしたらいいの、これ」

アイスの登場で少しは和らぐかと思ったが、空気は停滞したままだった。
桃子に目をやってみたが、呆然と固まったままで話になりそうにない。

「溶けるよ、アイス」
「……あ、うん」

ようやく動き出した桃子の両手が、アイスを彼女の口元まで運ぶ。
それすらも、ギシギシと軋んだ音がしそうな程に、ぎこちない。

「一体みんなに何言ったわけ」
「……え?」
「この空気、何?」

曖昧に視線を漂わせたまま、なんだっけ、と桃子が助けを求める。

554名無し募集中。。。2018/07/25(水) 01:46:06.190

「夏焼さんは……もう、みんなのこと覚えてらっしゃらないって」

奈々美の言葉に、皆も首を縦に振った。
その中で、桃子だけが顔を斜めに傾ける。

「そのはず、なんだけど」
「だから、全部覚えてんだってば」
「だよねえ」

少しの間、雅を見つめた桃子の視線が、ふと手元のアイスに落ちた。
溶けかけていることに気づいたのか、アイスを舐める。
その舌先の薄さが、勝手に雅をどきりとさせて。

「ま……いっか」
「ももち先輩?」
「今、考えても仕方ないし。時間もったいないし」

冷たいものを口にしたおかげか、桃子はさっぱりとした顔をしていた。

「みやがみんなのこと忘れてないのは本当だし、それでいいかなって」

うんうんと一人で頷いて、吹っ切れた様子で桃子は言い切る。

——もものことも忘れてないんだけど。

そう思ったことは、後でこっそり伝えようと思った。

「買い物なら、みやのが得意そうだしねえ」
「ん? 一緒に回って良いの?」
「もちろん。ね?」

最後の一言は、子ども達に向けられたものだった。
それに「やったー!」と返ってくるのだから、可愛いったらない。

「よーし、じゃあサクサク行くよ」

こうと決めたら桃子の行動は速い。
先陣を切って歩き出す桃子を、雅が追いかけようとした時だった。

「も、ももち先輩っ!」

結の声が響く中、桃子の体が通りすがる誰かにぶつかる。
驚きの声と共にバラバラとこぼれ落ちたのは、ポップコーンのようだった。

「す、すみませ……あれ?」
「ん? 桃子ちゃんじゃないか」
「て、店長?!」

桃子の声が、戸惑いに揺れるのが聞こえた。
一方、雅は桃子とは別の困惑の中にいた。

「……だ、れ」

店長にそっくりな表情でやあ、と微笑んだのは、小麦色の肌をした女性だった。

32名無し募集中。。。2018/11/10(土) 18:35:10.330

「え? まさか忘れちゃった?」

言いながら、目の前の女性は大げさに目を丸くさせた。
ついでに肩をすくめる仕草も、どれもこれも、雅の記憶にある店長の仕草と同じもの。
女性の姿の皮の向こうで、あの店長が蠢いているような薄気味悪さに雅は後ずさる。

「おーい、みやびちゃーん?」

混乱する雅の頭に、かつて桃子から聞いた言葉がかすめた。

——店長は女の人なんだけどね。

それに対して、自分が「はぁ?!」と声をあげたことも、桃子がその後に長ったらしい説明を加えたことも蘇る。

「店長が、女性って……本当、だったんだ」
「んー、何のことかな?」

とぼけた様子で、肩をすくめる女性の姿は異様だった。
これが店長の本当の姿なのだろうか。
ニカッと開いた彼女の口から、健康的に焼かれた肌とは対照的な真っ白い歯が覗く。

「あ、みやびちゃん、髪の毛にゴミが、」
「まって!」

耳に刺さる桃子の声に、雅の意識は女性から引き剥がされた。
知らぬ間に額へと迫っていた女性の手から、反射的に顔を伏せる。
あれに触れられたら、また。
その先を想像して、雅の全身が総毛立った。

「ふぅん……その辺も、全部思い出しちゃってるのかな?」
「……やめてください」

雅が聞いたこともないほどの低い声で、桃子が凄むように絞り出す。
だが、女性には全くもって効果がないようだった。

「ダメじゃないか、勝手なことをしちゃ」
「なんでそうなるんですか! してないですよ!」
「……本当に?」
「本当ですってば!」

少しの沈黙があって、女性がわざとらしくため息をついたのが聞こえた。
雅がそろそろと顔を上げた先で、桃子と女性が対峙していた。
桃子の真剣な横顔に、疑い混じりの女性の視線が刺さる。

「絶対に、桃子ちゃんは何もしてないと?」
「そうです」

女性が、ふっと肩を緩めたのが分かった。
途端、ヒリヒリとした空気が緩んで、雅の体からもふわっと力が抜ける。
一瞬、自分の息が止まっていたことを、今更自覚する。

33名無し募集中。。。2018/11/10(土) 18:37:25.070

「あー! つっかれた! おっさんはしんどい!」
「……は?」
「どうせ見えてんでしょー? あたしの見た目でおっさん口調とか最悪だし」

大きく伸びをした女性は、雅にニッコリと笑いかけてきた。
笑顔を向けられたら、笑顔を返してしまうのが人の性。

「ごめんね、せっかくの休日に」
「あ、いえ……」
「ポップコーンいる?」
「はい?」

強張った笑顔の雅の横から、「いりませんから!」と桃子が割り込む。
「ちぇー」と口を尖らせて、女性はポップコーンを引っ込めた。

「もういいですか? 用がないならこれで」
「はいはい、お邪魔しました……って言いたいところなんだけどさ。みやびちゃんの記憶が戻っちゃってるなら、話は変わるんだよね」
「てんちょ、」
「あー大丈夫大丈夫! 簡単に事情聞くだけだから」

一気に不安げな色を帯びた桃子を遮って、女性はあっけらかんと言ってのける。

「事情?」
「そ。なんでアタシの術が解けちゃったのかなー、と思ってさ」
「うちにも、何がなんだか……」
「記憶、戻ったのいつ?」
「……今朝、いや……昨日の夜、から?」

昨夜の記憶を辿ろうとすると、ピリピリとこめかみの辺りが疼いた。
薄皮で繋がった傷口を、再び裂ける時のような痛み。
夢を見たような気もするが、あれを夢と呼んでいいのかも定かでない。

「昨日の夜、ねえ?」

雅の答えを受けて、勘繰るような女性の声はそのまま桃子に向けられた。

「あのさ、ほんっとーに、桃子じゃないんだよね?」
「だから違いますってば!」

念を押す女性の言葉に、力強い桃子の声が重なる。
女性は、雅が記憶を取り戻したことに桃子が関与していると言いたいのだろう。
雅も、その可能性を考えないではなかった。
そもそも、昨晩桃子に打たれた何らかの薬が、本当に効き目があったのかも疑うべきだ。
——けれど。

「ももは、何もしてないと思います」

昨夜、桃子から溢れ出た感情の中に、きっぱりとした覚悟があったのは確かだった。
そうでもなければ、泣くはずがない。だって、あの桃子だから。

「やけに信頼してんだね?」
「そりゃ、まあ……」
「巻き込まれたようなもんなのに」
「はい?」

こつん、と床を叩く音が響く。
女性がヒールを履いていることを、今初めて意識した。

34名無し募集中。。。2018/11/10(土) 18:38:09.050

「巻き込まれたって、うちがですか?」
「違う? 桃子に関わんなきゃ、ムダに記憶もいじられなかったし、危ない目にも遭わなかったし」

——今日から、桃子達とは無関係に生きられるはずだったのにね?

最後の一言がずっしりと胸にきて、雅は唇を噛んだ。
正直なところ、まだ記憶はぐちゃぐちゃで頭は重たい。
自分で体験したはずのことが、他人の記憶にすり替えられたようで気味が悪い。
ある夜、桃子が男の子を抱えて現れたこともあった。
よく分からないままに攫われたこともあった。
その時、誰かに助けられた記憶も。ぱち、と繋がる音がする。

「……あ」
「ん?」
「あの時……助けて、くれました?」
「お、そこまで覚えてんの?」

すごーいと感心する女性の声は、耳の奥に残るものと一致する。

「あれだって、桃子に関わんなきゃ狙われることも」
「でもそれ、別にもものせいじゃなくないですか?」

緩やかに上がる女性の口角が、わずかに震えた。
その表情のままくるりと首を回し、女性が桃子と顔を見合わせる。
何あれ、と言うように女性の人差し指が雅へ向けられた。

「桃子。この子、脳みそに毛が生えてんの?」
「心臓には生えてるかもしれないですけど」
「あー、そうとも言うかも」
「……度胸は、あるんじゃないんですか」
「ま、そっか。……じゃなきゃ、桃子のことあっさり受け入れたりしないか」

ちら、と投げられる女性の視線。
試されているような気持ちになって、雅は身を固くした。

「あーもっといろいろ聞きたい!」
「それは困ります」
「わーかってるっって。今日は別件だから、そっちは自由にしてて」
「あんまり信じられないんですけど」
「えー、桃子ってばひどーい」

早く解放してくれという空気を滲ませて、桃子の爪先がぱたんと床を打った。
そんな桃子とは対称的に、女性は肩をすくめながらケラケラと笑う。

35名無し募集中。。。2018/11/10(土) 18:38:37.270

「ね、桃子はさ。なんで戻っちゃんたんだと思う?」
「……さぁ」
「あ! もしかしたら、薬打ったのが何かのきっかけになった……とか?」
「考えられなくはないですけど」
「薬に抗体ができちゃった、とか」
「それも、あるかもしれないですけど」
「ま! よく分かんないから、次の研究課題ってことでよろしく!」
「いや、よろしくって言われても……」

呆れた桃子を置いて、女性は楽しげに笑う。
みやびちゃん、と穏やかに呼ばれて、雅は首を傾けた。

「もしまた会えたら、今度は二人でご飯行こーね?」
「へ?」
「おしゃれなカフェあるんだよ。あのコンビニの近く」
「あぁ……はい」

雅の返事に満足したらしく、女性は手のひらを差し出した。
つられて彼女の手を取ると、雅の手は軽く握られる。
ふわりと、体が宙に浮いたような気がした。

「……あれ、私」
「店長っ!」

しっ、と人差し指を唇に当て、店長が桃子を黙らせるのが見えた。
恰幅の良い、柔和な中年男性。
雅にとっては見慣れた姿で、店長が手を上げる。

「店長……?」
「久しぶりだね、雅ちゃん」
「ああ……はい、まあ」

額の端がずきんと痛んで、雅は小さく顔をしかめた。

36名無し募集中。。。2018/11/10(土) 18:39:09.640

「あの……私に何かしました?」
「まあ、ちょっとね」
「……みや」

桃子に手首を掴まれて、控えめに引っ張られる。もう行こうと言うように。
雅が足を引こうとした時、「あ、そうだ」と店長が呑気な声を上げた。

「ポップコーン、一つあげよう」
「あ、ありがとうございます」

半ば強制的に押し付けられる、ビッグサイズのポップコーン。
店長の手には、同じものがもう二つ抱えられていた。
カップから溢れた山が崩れそうになって、慌てて雅はバランスを取る。

「じゃあ、またどこかで」

くるりと向きを変え、瞬く間に店長の姿は小さくなった。

「あれ、全部一人で食べるのかな?」
「え?」
「ポップコーン。二人分くらいあったよね」
「……やっぱ、みやは心臓に毛生えてるかも」
「……心臓に毛は生えなくない?」

ポップコーンから漂うバターの香りに、山の頂点をつまんでみる。
口の中に放った一粒は、なんてことはない平凡なポップコーンだった。

「もも、あーん」
「……こら」

気まぐれにつまんだポップコーンは、桃子に押し返される。
仕方なく、もう一つも雅が口に収めることになった。
やっぱり、何の変哲も無いバターの味。

「……前はしてたじゃん」
「してない」
「したよ。思い出したもん」
「聞こえないっ」

ふいっとそっぽを向いてしまったのが残念で、頬をつつこうとした指先は桃子に捕まった。

「早く戻ろ。みんな待たせてる」
「はぐらかさないでよ」
「そうじゃなくてっ」
「なくて?」
「……みんな、見てるでしょーが」

ほんのりと頬を染めて、そんなことを言われては敵わない。
「見てなきゃいいの?」と雅が囁くと、桃子は「うるさい」と目を逸らす。
その横顔がさらに赤くなっていたことを、雅は見逃さなかった。

492名無し募集中。。。2018/12/02(日) 13:54:20.260

皆の元へ戻ると、5人の真ん中に地図が広げられていた。
それぞれに行きたい店をチェックしていたのか、ボールペンを走らせた跡が目に入る。
真面目にきっちり行き先を決めなくとも、自由に回れば良いだろうに。
そう思って桃子を見やれば、同じことを考えていたらしい瞳をしていた。
ここには大抵のものが揃っているし、時間だってまだまだある。そうでしょ?
任せといて、と桃子が両目を——もしかしたらウインクだったかもしれない——瞑った。

「ぶらぶらして気になったら入ってみれば?」

桃子の提案はすんなりと採用され、子ども達がわっと立ち上がる。
1人が店の前で立ち止まると皆も停止して、一斉にこちらを伺う様子が見えた。
いいよ、と桃子が手を振ると、子ども達は楽しげに店内へと散ってゆく。

「こういうの、久々かも」
「もも一人だとショッピングって感じにならないもんね」

耳に届く自分の声は、いつもよりいたずらっぽく感じられる。
それは桃子にとっても同じだったようで、不満そうに尖る唇が見えた。

「なんかバカにしてない?」
「してないしてない。ももの買い物ドライだったなーって思い出しただけ」
「もー、いつの話よ」
「そりゃ……」

当然のように出てくる気がしていた答えがぽっかりと抜け落ちて、雅は言葉に詰まった。
頭の奥がずきんと痛み、鈍い痛みがこめかみ辺りに込み上げる。

493名無し募集中。。。2018/12/02(日) 13:55:36.800

「みや?」

不安そうに覗き込んでくる桃子に、眉間の皺を自覚する。
なんでもないと笑ってみたものの、桃子の表情は晴れなかった。
そんな表情をさせたいわけではないのに、と雅の唇は勝手に回り始める。

「あれ、たぶん高校生の時だって」
「は?」
「うん、そう、高校生。ほら、一緒に行ったじゃん、買い物。ももはもう買う物決めてて、一瞬で終わっちゃったやつ」

たどたどしく言葉を繋ぎながら、記憶の波からあの日の光景を手繰り寄せる。
雅は完全にデートのつもりで待ち合わせたのに、桃子は違った。
目当ての物も店も決めていた桃子の買い物は、さっぱりと終わってしまった。
さすがにそのまま解散するのは腹立たしくて、雅の買い物に桃子を付き合わせたのだった。
雅が記憶を詳細に話すにつれ、桃子の目は徐々に丸くなっていった。

「……そんなことまで思い出したの?」
「え? うん」
「そう……」

他のことも話そうか、と冗談交じりに雅が言うと、桃子は狼狽えたように首を横に振った。

「それより、見なくていいの?」
「んー……ここのはちょっとみやには若いかな」
「そっか」

途切れた会話の隙を狙ったように、ももち先輩、と声がする。
試着室の前に群がる5人分の視線が、桃子と雅を呼んでいた。

「あはは、みんなももに見て欲しいんだね」
「もも、見ても分かんないのに……」
「あ」
「え?」
「今、"もも"って」
「……いっ、言ってないっ!」

言い捨てて、桃子はぱたぱたと駆けて行ってしまう。
鼻の奥がツンとするような懐かしさに包まれながら、雅はその背を眺めた。

「……そっか、前は自分のこと、ももって呼んでたんだっけ」

頬がじわじわ緩むのを止められず、慌てて片手で覆い隠す。
ももって、あんな可愛かったっけ。
瞼を閉じてゆっくり呼吸をすると、様々な光景が万華鏡のように展開される。
——高校生、いや、もっと前の記憶から。
浮かぶ記憶の中で、雅は桃子と一緒に息を吸って、歩みをそろえ、感情を共有していた。
ちりちりとこめかみの辺りで疼いた痛みは、指で押さえつけてごまかした。

494名無し募集中。。。2018/12/02(日) 13:56:44.210


アパレルショップをいくつか巡り、ゆったりと歩いていると不意に雅の袖が引かれた。

「あー……あのぅ……コスメ、見てもええですか」
「ん? いいけど」

指先をもじもじさせながら、結が近くの雑貨屋に視線を移す。
許可なんていらないのに。
行こっか、と雅が微笑みかけると、結は照れ臭そうにひひっと笑った。
私も!と手が挙がり、次の目的地はあっさり定まる。
皆で同じ方向に足を向けようとした雅を、梨沙の声が背後に転がった。

「ももち先輩?」

振り返ると、桃子はぼんやりと視線を宙に漂わせていた。
数歩の隙間が不意に遠く感じて、雅の胸がざわざわと騒ぐ。
うっすらとした予感を断ち切るように、雅はすたすたと桃子の視界に入り込んだ。

「もも?」
「……あ」

間の抜けた声を上げて、桃子の目の焦点が合う。
取り繕うように、桃子の瞼がぱちぱちと高速に動いた。

「……何かあった?」
「何も」
「じゃあ、」
「みんな行っちゃうよ」

ほら、と桃子が示す先で、梨沙が心配そうに雅たちを眺めていた。
他の子らは、もう目当ての店に入ってしまったのだろうか。
「早く行こ」ときっぱりした声が、ぐっと雅の胸を押した。

495名無し募集中。。。2018/12/02(日) 13:57:44.320


少し遅れて店に入ると、結が待ってましたとばかりに手を振ってきた。
彼女らが囲むリップコーナーには、赤やピンクだけでなく、茶色や紫に至るまで多様な色が揃えられていた。
その中からいくつかピックアップされたらしいリップを前に、結は途方に暮れた顔をしていた。

「リップ欲しいんだ?」
「そうなんです。けど、よう分からんくて」

少女らしい、甘く柔らかなコーラルピンク。
目の覚めるような華やかさのルージュ。
大人っぽい深みのあるバーガンディ。
それぞれに個性の違う3色を前に悩む結の横顔に、雅はふと懐かしい気持ちになった。
化粧に興味を持ち始めた頃は、些細な色の違いに雅も思い悩んだものだった。
もっとも、悩む時間も楽しい思い出の一つとして残っている。

「どういう雰囲気が良いとか、ある?」
「んー……ちょっと、大人っぽい感じ?」

結が言ったのを聞いて、奈々美がふふふ、と笑いを漏らす。
「バカにしとるやろ!」と叫ぶ結だったが、「ふなちゃん、しー」と奈々美に言われておとなしくなった。

「大人っぽくなりたいんだ?」
「小さいから、子どもっぽいって言われることが多いんです」
「なるほどねえ」

結の服装や整った顔立ちを横目に見つつ、雅はずらりと並ぶリップに視線を走らせた。

「これなんか、渋くて良いんじゃない?」

雅が選んだのは、ワインレッドよりも少し明るいレッドのリップスティック。
手に取ったそれを手の甲に引いてみせると、結が「おお」と目を見開く。

「ほんまや、ちょっと大人っぽいかも」
「でしょ? けど、あんまり渋くてもねって思うしさ」

本音を言えば、まだまだ若いのだから思い切り可愛い格好をしたって良いんじゃないのとも思う。
だが、一方で少し背伸びをしたい年頃なのも、よく理解できた。
雅自身もそういった時期があって、落ち着いてきて今に至る。

「服に合わせて変えても良いだろうし、うちはメイクによっても変えてるんだけど」

リップと一口に言っても、リキッドやスティックタイプ、リップティントもある。
質感だって、マットなものからツヤツヤしたものまで様々。
そんなことを解説してやると、結の眉はみるみる八の字になってしまった。

「奥が深いんですね」
「ちょっとずつ覚えていけば良いんじゃない?」

うちだってそうだったよ、と添えると、結はほっとしたように胸に手を当てた。

496名無し募集中。。。2018/12/02(日) 13:59:23.240


桃子はと言えば、ハンドクリームのコーナーで遊んでいた。
雅が隣に収まると、それを待っていたように桃子が口を開いた。

「結ちゃん、何だって?」
「リップ探してるってさ。大人っぽいのが良いんだって」
「そう……」
「何? さっきから。楽しくない?」
「そういうんじゃないけど」

そう言いつつも、桃子の声の表面はわずかにざらついていた。
あ、これ拗ねてるやつだ。
一瞬でピンときて、未だクリームを弄ぶ桃子の両手に指を割り込ませた。

「何さ、言えないこと?」
「違っ」
「じゃー何」

一人で抱え込んで、勝手に思い詰めてみたり、意味深長な表情をしてみたり。
かつての桃子もそうだった、と思い返す。
おぼろげな記憶を辿ろうとすると、こめかみの疼きがぶり返した。
だんだん気持ちがささくれ立ってきて、八つ当たりのように桃子の指を握る。
痛い痛いと言いながら、桃子は何かを諦めたように息を吐いた。

「ちょっとフクザツな、だけ」
「フクザツ?」
「結ちゃんが……みんなもか。大人になっちゃうなーって」
「そりゃそうでしょ」
「そんなに急いで大人にならなくたって良いじゃん」
「何おばーちゃんみたいなこと言ってんの」
「いーもん、おばーちゃんでも」

冗談めかした台詞は、ばかみたいに明るいトーンだった。
わずかに唇を尖らせる子どもっぽい仕草。透き通った高い声。
何も変わらないような気がしていたが、その横顔はひどく大人びて見えた。

497名無し募集中。。。2018/12/02(日) 14:00:41.270

「今思ったけどさ、ちゃんとメイクしてんだね」
「失礼な! それくらいしますぅ」

昔は、化粧なんて興味ないって顔してたのに。
綺麗に整えられた頬をなぞると、桃子がくすぐったそうに目を瞑る。

「ももだって、大人になったんじゃん」
「……みやもね」

確かな重みのある言葉だった。
本音も何もかも包み込んで笑う桃子の表情に、過ぎ去った時をくっきりと感じる。
そんな顔で笑わないでほしい、とは言えなかった。
雅から視線を逸らすようにして、桃子がきゃいきゃいと騒ぐ少女たちを眺める。

「ホントはさ、ちょっと寂しいのもあるんだよね」
「ん?」
「みんなが大人になってくの、近くで見られないんだなって」
「もも……」

すっと静まる空気の中で、唐突に桃子の腹がきゅるると音を立てた。

「ちょっ、今お腹鳴るって、」
「もーっ! そういうのはせめて聞こえないふりしてっ」

ばつが悪そうな顔をして、桃子の手のひらがぺちんと肩に触れる。
図ったようなタイミングで、ももち先輩!と知沙希が手を振るのが見えた。

「みんなもお腹空いたってさ」
「みやもでしょ」
「そりゃーね。お肉食べんの?」
「もちろん!」

ステーキにしよ? 桃子の瞳がきょろりと動く。
いいね。雅はにやっと笑い返した。

393名無し募集中。。。2018/12/16(日) 22:22:37.320

午後からどうしよっか、と雅が尋ねると、一斉に手が上がった。
特大のステーキ――脂と肉のバランスが完璧だった――を腹に収め、ゆったりとした食後。
さっきまでおいしいおいしいと連呼していた桃子は、ソファで満足そうに寛いでいた。
舞と知沙希はペットショップに行きたいと主張し(めいくんとりゅうくんと、ぽんちゃんにお土産を買うらしい)、
奈々美はポ○モンショップが良いですよと勢いよくしゃべり出す。
その熱弁に圧倒されつつ、梨沙ちゃんはと目をやると「アクセサリー、ですかね」と控えめに返ってきた。

「あとは観覧車だっけ?」
「えっ!」
「『えっ』じゃないよー。乗りたいって言ったの梨沙ちゃんでしょうに」
「いやっ! い、言いましたけども……覚えてくださってるなんて」

ひっそりと付け足されるつぶやき。
雅がじわじわとした笑いに耐える中、知沙希が派手に吹き出した。
「失礼しちゃう!」と桃子が抗議した。

「ま、先にお買い物しちゃおっか。混むだろうけど、夜の方が綺麗だろうし」
「良いですね。あ、途中で甘いものも、」
「はいはいはいっ! アイスが良いー!」
「さっきアイス食べたでしょうが!」

桃子にあっさり切り捨てられて、舞の手のひらがしょんぼりとうなだれる。
そのせいかは分からないけれど、「まあ、何か考えとくよ」と桃子は付け足したのだった。

397名無し募集中。。。2018/12/16(日) 22:26:22.100


最初に向かったペットショップでは、桃子はほぼずっと水槽の前にいた。
涼やかに及ぐネオンテトラの背びれは、虹色に輝いている。
舞はケージの中のチワワと会話しようとしていて、知沙希はそれを止めようとしていた。
カエルを眺めてにやつく梨沙に、ガラス越しの猫と戯れる奈々美と結。
次に寄ったポ○モンショップでは、奈々美は一日中居座りそうな勢いで目を輝かせていた。
雅も、幼い頃にプレイしたことのあるゲーム。
懐かしいキャラクターもいれば、最近追加されたらしい新顔もいる。
よっぽどそのゲームに思い入れがあるのか、奈々美は端から端まで弾んだ声で解説してくれた。
奈々美の話に耳を傾けながら、ふと見た桃子はガチャガチャのコーナーにいた。
カプセルから現れた、紫のすらっとしたキャラクター。
「そろそろ行こうか」と近づいてきた桃子は、そいつを雅の手に押し付けてきた。

398名無し募集中。。。2018/12/16(日) 22:28:42.940


最後に訪れたアクセサリーショップの前で、梨沙が不意に「提案があるのですが」と切り出した。

「ももち先輩。……選んでもらえませんか?」

一斉に皆の視線が集中し、え?と桃子が目を剥く。

「記念になるもの、あったらいいなあって」

少し鼻にかかった声は、甘えるように響く。
ちらりと見えた梨沙の横顔は得意げだった。
元から計画していたことなのかも、と雅は思った。

「ももち先輩っ!」
「いや、でもねえ……」

期待に満ちた視線に耐えかねたのか、情けない顔で桃子が見つめてくる。
ももに選んでほしいんだと思うけどなあ。
そう思いながらも、「アドバイスくらいはしてあげる」と雅は親指を立てた。

桃子が、アクセサリーを選んでくれるなんて、求めたこともなかった。
豊富に揃えられたアクセサリーを眺めながら、雅はふと思う。
シュシュ、イヤリング、チョーカーに、ネックレス。
雅のわがままに付き合わせて、二人で見に行ったのはいつのことだったか。
桃子は「どれも同じに見える」と渋い顔をしていた。
本当は、桃子に選んでほしいと思っていた。
けれど、その顔を見てしまっては言い出せなかった。
そんな桃子が、今、アクセサリー選びに四苦八苦しているのだから不思議だった。
変わったね、と思う。
けれど、変わってないね、とも思う。特に、ヘルプを求める表情は。

「みやぁ。これどっちが良いと思う?」

2種類の青いイヤリングを掲げながら、桃子が振り返る。
小ぶりなガラスビーズのものと、大理石のような模様をした石でできた大きめのリング。

「舞ちゃんだったら大きい方が映えそうじゃない?」
「……耳たぶちぎれない?」
「ちぎれないから!」

そっかあ、となおも疑うような声をあげつつ、桃子は雅が指した方をかごに入れた。

「みやは? 何か買わないの?」
「ん? 良いのあったら買うよ?」

そう言いながら、雅はずらりと並ぶカラフルなアクセサリーに視線を走らせた。
いくつになったって、キラキラしたアクセサリーは心が躍る。

「あ、これ可愛い」

小ぶりなしずく型のガラスのピアス。
わずかに赤みがかった乳白色に惹かれた。
ちらりと盗み見た桃子の耳元に、揺れるしずくを想像する。
雅の手元を覗き込む桃子は、「へえ」とだけ言った。

399名無し募集中。。。2018/12/16(日) 22:29:08.810

「なんかヘン?」
「じゃないけど……意外な感じだなって思って」

分かってんじゃん。笑いそうになって、ぐっと堪える。

「ももはむしろつけてそうだよね」
「そぉ?」
「うん。似合う」

そっとピアスを掲げ、桃子の頬に近づけた。
抜けるような白い肌に、温かなピアスの色合いはぴったり馴染む。
良いな、と雅は目を細めた。
もぞもぞと動く唇が目に入る。
照れてる、と雅が思った途端、桃子はぱっと顔を伏せた。

「だってこれピアスでしょ? もも、穴開いてないし」
「イヤリングにもできるって」
「……そんなサービスあるんだ」
「じゃ、買いましょ!」

二人の間に、ぬっと首を突っ込んだ結がそう言った。
呆気にとられているうちに、結が陳列されていたピアスを二つもぎ取る。
二つ?と思っている間にも、結はレジの待機列へ。
既に並んでいた奈々美にバトンタッチすると、結が意気揚々と親指を突き出すのが見えた。

「……梨沙ちゃん?」
「みんなが言い出したんですよ。ももち先輩に、何かプレゼントしたいって」

咎めるような桃子の声に、梨沙は平然とした様子で返す。

「……まあ、結に『行け』って言ったのは私ですけど」
「おい、」
「やるねえ」

雅が二人に割って入ると、桃子は言葉を引っ込めたようだった。

「ももち先輩にも、喜んで欲しかったんです」
「……だってさ。愛されてるねー」

ちらりと見えた桃子の耳が、ほんのり赤いことに気がついた。
桃子と、目が合う。
にやついていたのは、バレたって構わない。
雅の表情に気がついたのか、桃子の唇がきゅっとすぼむ。

「あーもー! これ終わったら観覧車乗りに行くからねっ!」

少々荒っぽい声は照れ隠しに違いない、と雅は思った。

102名無し募集中。。。2019/01/07(月) 23:34:17.250

見上げた観覧車は、ゆったりと回転していた。
こんなにのろのろした動きだっけ。
雅が考えていたら、桃子が同じことを口にした。
嬉しい、とおもってしまうのが可笑しい。

「えーっと……みんなで乗る?」

桃子からの視線が、梨沙に移って他の子らにも伝播する。
4人乗りのゴンドラ。観覧車の下には7人。
子ども達が答えあぐねていると、桃子がぱちんと手を叩いた。

「分かった。一人ずつね。ほら早く」
「いや、それはそれで緊張、」
「はいはい、うだうだ言ってないで乗る乗るー!」

雑に結の手を掴んだ桃子が、ゴンドラに滑り込む。
二人を乗せた薄黄色のゴンドラは、のんびりしたペースで遠くなっていった。

「行っちゃいましたねー」

梨沙が見上げる先に、向かい合って座る二人が映る。
地上で手を振る雅達には気づく気配もない。

「やば。個人面談みたい」
「ちぃ! それ後で言ってよぉ」

笑いを含んだ知沙希の言葉は、面白がっているようでもあった。
そんな知沙希におどけた調子で返しながら、舞が自分の肩を抱く。

「ふなちゃん、何の話してるんでしょう」
「お説教だったりして!」
「ここまできて……結ならあり得るか」
「そんな怒られてるの?」

梨沙に突っ込んだ雅に、「そうですよ!」と全員の声がそろう。
こんなに良い子たちなのに、と思ってしまうのは、きっとあくまで雅が他人だからだろう。
桃子の説教エピソード大会が始まった横で、雅は薄黄色のゴンドラを仰ぎ見る。
本当に、この子達の先生だったんだねー。
心の中のつぶやきは、空気に溶けて消える。
ゴンドラの向こうに透けた陽光が、雅の瞳をちくりと刺した。

103名無し募集中。。。2019/01/07(月) 23:35:24.280


降りてきた結に続き、奈々美がゴンドラに乗せられた。
それを全員で見送った後、雅はベンチに座る結の隣に腰掛けた。
雅がやってきたのを感じてか、結がぴょこんと背を伸ばす。
その表情は、心なしか疲れているように見えた。

「どうだった? 個人面談は」
「緊張しましたよ! ももち先輩と二人っきりなんて、叱られる時が多いんやもん」

やっぱり怒られると思ったんだ。
過去の桃子も世話焼きではあったし、思ったことはまっすぐ言うタイプだった。
けれど、それがちゃんと子どもを叱れる大人へと変わったのが、なんとなく不思議だった。

「結、この前、めっちゃ怒られたんで」
「そう……」

なんで?と聞くべきだろうか。
迷う雅の横で、しょんぼりと背中を丸めた結がぽつぽつと話し始めた。

「結……ずるっ子してもうたんです」
「ずるっ子?」
「いや、あの……ちょっと、カンニングというか」

カンニング。
想像していなかった単語が飛び出して、雅はすぐには声が出てこなかった。
結の性格を思えば全く無縁の単語だ、と雅は思った。

「ホンマ、あの時はどうかしててん……。あかんことしたって思ってます」
「……でもちゃんと反省したんでしょ?」
「めちゃくちゃしてますよ! もう、絶対せえへん」

結の両手が、しっかりと握られたのが横目に見えた。

「じゃあ、良いんじゃない」

しっかり叱られて反省したなら、それ以上は不問に付しても良いだろう。
雅も勉強は苦手な方だったから、結の気持ちは分からないでもない。
ましてや、カンニングに繋がるようなチカラがあったとしたら。
それは、かなりの誘惑だろうと雅は想像する。

104名無し募集中。。。2019/01/07(月) 23:36:00.270

「でも、カンニングって……どうやって?」
「結、ほんのちょっとやねんけど、未来のことが見えるんです」
「予知的な?」
「そうです。まー思い通りってわけやないんですけど」

その時は、切羽詰まっていたせいか、テストの答えがはっきり見えてしまった。
それをそのまま書いたら、テストの結果はもちろん良いものだった。
けれど、点が良すぎて桃子には即座にバレてしまったのだ、と結は頬を掻いた。

「『チカラは正しく使いなさい』って、ももち先輩よく言ってるもんねー」

梨沙が結に缶ジュースを手渡しながら、会話に加わってきた。
気づけば太陽は傾いていて、じんわりと足下に寒さが漂う。
知沙希が差し出してくれたカフェラテを、雅はありがたく受け取った。

「舞が夏焼さんにチカラのこと話した時も怒られたんですよ」
「初めて会ったとき……だっけ?」

缶のプルタブを引き上げながら、雅はおぼろげな記憶をたどろうとした。
動物と話せるんだと言われてびっくりしたっけ。
そう思い立った途端、こめかみがピリピリと痛む。
深々と頷く舞の唇が、きれいなへの字に曲がるのが見えた。

「『言っちゃだめって言ったよね? 分かってるの?』って」

舞の真似た桃子の台詞は妙にドスがきいていて、雅は慌ててカフェラテを口から離した。
叱られた本人達にとっては、笑い事じゃないと分かっている。
けれど、桃子が怒っているイメージは、雅の中でユーモラスな想像になった。

「あの時も怖かったわ……」

当時のことを想起したのか、隣で結がぷるぷると首を振る。
そういえば、と雅は思い返す。
桃子も似たようなことを言っていた。確か、つい昨晩のことだ。
チカラのことが知られてしまったら、記憶を操作して誤魔化すのだ、とか。

「そんな厳しいんだ?」
「私たちが普通に生活するためには大事なことなんですけどね」
「なんだっけ? 悪いこと考える人がいるから?」
「よう分からんけど、そんなこと言ってた気もするなあ」

大袈裟やんなあ、と結は呑気に笑うと、缶ジュースを傾けた。

105名無し募集中。。。2019/01/07(月) 23:37:03.090


全員が桃子との個人面談を終えた頃には、すっかり日も落ちていた。
頬に触れる風の冷たさは、家路を急がせるようでなんとなく切ない。
そろそろ帰ろうか、と言いかけた雅は、手首を掴まれて固まった。

「乗るでしょ?」
「へ? うちも?」

振り返った桃子は、当然とでも言うように視線を投げてきた。

「えっ、乗らない?」
「……乗る、けど」

掴まれたままの手首を、雅は自分の方へ引き寄せた。
一歩、縮まる距離。
ほんの少し顔を傾けて、黒髪から覗く白い耳に近づく。

「もも、観覧車苦手じゃなかったっけ?」

そっと囁き声で確かめると、桃子がぴくりと瞼を震わせた。
誤魔化すとき、あるいは図星のときの桃子の癖。

「すごいね、覚えてたんだ」
「覚えてるっていうか……今、思い出した?」

苦手なら、別に無理しなくていい。
雅が付け足すと、「そうはいかないでしょ」と桃子は手首をぶらぶら揺らしてきた。

「乗りたい、の?」
「……隣座ってよ」

なんだって?
耳を疑う雅の目に、ほんのり染まる桃子の耳が映る。
雅は、「いいけど」と答えるのがやっとだった。
素直に「いいよ」と言えない感覚に、なぜか鼻の奥がツンとする。
けれど、そんな雅の返事に、桃子は満足したように微笑んだ。
心底嬉しそうに緩む表情を、ちょっとだらしない、と雅は思う。

「ちゃんと笑いなよ」
「えー?」

早く、と引かれる手首に従って、雅は桃子に続いてゴンドラに乗り込んだ。
ゴンドラを揺らさないよう、ゆっくりと。
そんな気持ちで桃子の隣に腰掛けると、ようやく雅の手首は解放された。
窓の向こうをちらっと見やる桃子が、びくっと肩を震わせて顔を伏せる。
本当に苦手なんだね。
淡い期待と下心を潜ませた雅の手のひらに、桃子の手のひらが重なった――時。
悲鳴に近い叫びが、雅の意識を奪った。

106名無し募集中。。。2019/01/07(月) 23:37:30.530

ガシャンと派手な音を立てて、掛け金が下ろされた。
ガラス越しに目があった結の表情は、これ以上ないほどに青ざめていた。
ぱくぱくと動く口から溢れた音が、ガラスの外にぶつかってくる。

「もも、今の」
「あー……嫌な感じだねえ」

視線は伏せられたままだったが、桃子の声は穏やかだった。

「なんか見えたんだろうね」
「見えた、って」
「結ちゃんの予知。聞いた?」
「……聞いた」

結をあそこまで青ざめさせる何かが、これから起こる。
ぞくっと背筋を這い上がる冷たさに、雅は息を呑んだ。

「なんでそんな落ち着いてんの」
「ん? まあ、ももがついてるし」

桃子の横顔は、やけに頼もしい。

「……せっかく、二人きりになったのになあ」

行こうなきゃか。
諦めたようにそう言って、膝の上で固くなっていた雅の手を桃子が取り上げた。
手のひらが、きつく握られる。雅は次に起こることを察した。

「……離しちゃだめだよ」
「うん」

桃子の言葉と共に、世界がぐにゃりと歪む。
頭のてっぺんが、ぐいっと釣り上げられるような感覚に襲われた。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

どなたでも編集できます