779 名無し募集中。。。@無断転載は禁止 2017/09/01(金) 20:48:00.19 0
その消印のない封筒は、まとめて置かれていた自分宛の封書の中にまぎれていた。
裏を返すと、差出人はなかったが、ファンレターの類いだと察しはついた。
以前からたまにあることだった。その経緯を考えるのも面倒な、直接自宅に投函される手紙は
いずれにせよ事務所を通していない時点で処遇は任されているようなもので
気まぐれに開封してみたこともあったがそのほとんどはそのままケースに放り込まれた。ルール違反だ。
芸能界を引退します。そうは言っても完全に誰知らぬ一般人になれるわけもない。
過剰に反応せずやり過ごすほかにない。
それでもほんのりとした懐かしさが胸をくすぐった。
久し振りの気まぐれに、私はその封筒に鋏を入れた。
切り口から覗くと、折り畳まれた便せんが一枚だけ入っているようだった。
指先でつまんで引っ張り出すと、何か大きな文字が透けて見えた。
ああ。
好意的ではないものだ。
こんなことに労力を費やすなんて、無駄なことをする人がまだいるんだな。
とっくに痛くも痒くもないんだけど。
そう思いながら、畳んだままの便せんを封筒と重ね、捨てようと立ち上がる。
同時に、はらりと何か小さなものが舞い落ちた。
目で追うと、テーブルの下に入り込んだそれは、花びらのようなピンク色のハートだった。
拾い上げると、それは布だった。便せんに挟まれていたのだろうか。
考えるより先に便せんを開いていた。そこには一行だけ、見覚えのない字で書かれていた。
『みやのことどう思ってるの?』
780 名無し募集中。。。@無断転載は禁止 2017/09/01(金) 20:53:44.37 0
ハートはそのままゴミ箱に捨てた。封筒は宛名の部分をスタンプで消してから、便せんと一緒に捻って、これも捨てた。
陸なもんじゃない。わかっていたはずなのに、うっかり気まぐれを起こしてしまった。
家は無人で、時計の音だけが響いていた。時間を見る。
午後から大学へ行く予定だった。私は身支度を整え、忘れ物がないか確認して、だいぶ早めだったが家を出ることにした。
玄関を出ると少し肌寒かったが、日差しは明るかった。秋晴れ。予報でも夜まで晴れだった。
帰りに家族に何か買って帰ろうかな。
そんなことを考えながら、門扉を閉め、振り返ると、間近で人影が動いた。
声が出そうになるのをすんでのところで堪え、私はその場で棒立ちになった。
こわごわ顔を向けると、すぐ目の前に女の子が立っていた。
たぶん十代かそこら、花柄のブラウスにスカートはおとなしめで、肩くらいまでのゆるく内巻きの髪。
顔立ちはまあ、普通。見覚えのない子だった。
そこまでを、一瞬で見た。
前に立ち塞がっているのを、どう除けようか考えていると、女の子が口を開いた。
「手紙見てもらえましたか?」
私は瞬時に踵を返し、門扉を細く開けて滑り込み、中から掛け金をした。
振り返らずに玄関を開け、静かにドアを閉め、ロックをかけた。
参った。
二階の自室へ上がると、ベッドに腰掛けた。そこでようやく息を吐く。
困るのは、これからはこういう事態を自分で解決していかなければいけないこと。
よほどであれば事務所に相談することも考えなくはないが、この程度では躊躇われるところだ。
781 名無し募集中。。。@無断転載は禁止 2017/09/01(金) 20:57:21.05 0
見覚えがまるでないということは、ライブやイベントに来てくれていたファンではないのだろう。
或いはみやのファンだろうか。だとすれば、比較的新しい。
さっき見た手紙と考え合わせると、そのような気もしてきたが
「でもなぁ、私のところに来るか?」
思わず独り言ちていた。まるでわからない。
閉め切っていたカーテンを細く開け、窓から覗くと、門扉の人影は見えなくなっていた。
みやに連絡を取ってみることを考える。
二人のファンであれば、みやに向けても何か、行動を起こしているのではないだろうか。
警察のお世話になるかどうかは、もし二回目以降があったら考えるとして
みやが知っているか、知らないかだけでも。
私はそこまで考えてスマホを手に取ってみたが、下手な言い方をすれば余計な心配をかけそうな気もした。
とりあえず、当たり障りのないメッセージを送った。
通話できれば一番早い。
返事は待つことにして、もう少し時間を置いてあらためて出かけよう。
そう思った次の瞬間、カンッと窓に何か当たる音がして、飛び上がった。
血の気が引く。私は胸に手を当て動悸をなだめた。
震える手でカーテンを手繰る。人影はない。窓ガラスにも異常はないようだった。
しばらくの間、息を殺した。5分がとてつもなく長く感じた。窓の外はそれきり何の音もしなかった。
しかしこれでは、このまま出かけられる気がしない。
落ち合う予定だった友人に連絡を取ると、迎えに来てもらえることになった。
友人と一緒に家を出るときにはもう、辺りに不審な気配はなかった。
念のため警察に行くことを勧められたが、気乗りしなかった。
これきりかもしれない。もう少し様子を見てからでも。どこか大事にしたくない気持ちも働いた。
784 名無し募集中。。。@無断転載は禁止 2017/09/01(金) 21:02:30.42 0
みやに送ったメッセージは、翌朝になっても既読がつかなかった。
昨日今日、みやの予定はどうなっていたのだろう。私はみやのインスタをチェックしてみた。
みやは相変わらず、忙しくしているようだった。
そのまま過去へ、最近見ていなかった分を追った。充実振りも伝わってきて知らず知らず頬がゆるんでいた。
再び戻り、最新の投稿時間をチェックする。
昨日、私がメッセージを送ってから三回の更新がある。
これは、どういうことだろう。
電話番号の方にコールしてみる。
着信だけでも残そうと思ったが、流れてきたアナウンスに思わず「え」と声が漏れていた。
電話番号をお間違えではないですか?この電話はお繋ぎできません。
スマホを耳から離し、画面を見直した。間違えてはいない。
胸騒ぎしかしない。何かが起きた。それは間違いないだろうと私は思った。
では、何が起きた?
誰に確認できるだろう。思いめぐらせた。
私は茉麻に電話をかけた。
786 名無し募集中。。。@無断転載は禁止 2017/09/01(金) 21:05:58.55 0
「最近、みやと連絡取った?」
私がそう訊くと、茉麻は「忙しくて最近はしてなかったかな」と言った。
みやの名前を出しても、特に動揺しているような様子もない。茉麻はこの件には絡んでいないのだろう。
「お願いがあるんだけど」
「え?お願い?」
「みやに連絡取ってもらえない?」
少しの沈黙があった。訝しんでいるのだろう。それはそうだろうと思った。
「……なんで」
「いやあのさ、ちょっと喧嘩して」
「えっ?ケンカ?今更何で」
茉麻に電話して良かった。そう思った。
「まあ、あの、つまんないことなんだよ。それはいいんだけどさ、こっちから連絡つけられなくなっちゃって」
「ほえー。そんなことあるんだ」
「伝言お願いできないかな。連絡欲しがってるって」
「なに、そんなことでいいの」
「うん。いいの。……お願いしてもいい」
「わかった。伝えるだけでいいんだね」
「ありがと」
「こちらこそ、ももの役に立てて嬉しいよ」
茉麻の声を聞いて、私はだいぶ気持ちが落ち着いてきたのを感じた。再び礼を言って通話を切った。
一階に降り、ダイニングのゴミ箱を開けた。昨日捨てた手紙はまだそこにあった。
ハート型の布も一緒に拾い出す。
「なに?ゴミ漁ったりして」
母親の声にびくっとして振り返った。
789 名無し募集中。。。@無断転載は禁止 2017/09/01(金) 21:09:49.24 0
「……昨日間違えて捨てちゃったの。良かった。まだあって」
「気をつけなさいな。今日は出かけるの?」
「ううん」
「じゃ、朝ご飯の支度手伝って」
「これ仕舞ったらすぐ降りてくる」
自室に戻ると、適当な袋に手紙を入れ、棚に置いた。捨てずに取っておいた方がいいような気がした。
置きっぱなしにしていたスマホを手にする。茉麻からメッセージが入っていた。
『ごめん、頼まれた件、少し時間もらっていい?』
顔が引き攣るのを感じる。
お願いしたすぐのタイミングで、電話ではなくメッセージを寄越すということは
この件について今直接には、私と話せないということだろうか。
私は何もしていない。それは自信があった。するも何も、みやとはしばらく連絡を取っていなかった。
みやの件についても、あの女の子が関わっているのではないだろうか。
どうにかして、みやと直接話せないだろうか。
下に降りると、キッチンは湯気が立っていた。
「何すればいい?」横に立とうとすると
「何か手紙来てるわよ」そう言われて、私はダイニングテーブルを見た。
昨日の封筒と同じもの。心臓がズキンと跳ねた。気が逸るまま、急いで手に取り封を切った。
昨日の手紙と同じ字だった。
『みやに会いたくなった?』
つづく
その消印のない封筒は、まとめて置かれていた自分宛の封書の中にまぎれていた。
裏を返すと、差出人はなかったが、ファンレターの類いだと察しはついた。
以前からたまにあることだった。その経緯を考えるのも面倒な、直接自宅に投函される手紙は
いずれにせよ事務所を通していない時点で処遇は任されているようなもので
気まぐれに開封してみたこともあったがそのほとんどはそのままケースに放り込まれた。ルール違反だ。
芸能界を引退します。そうは言っても完全に誰知らぬ一般人になれるわけもない。
過剰に反応せずやり過ごすほかにない。
それでもほんのりとした懐かしさが胸をくすぐった。
久し振りの気まぐれに、私はその封筒に鋏を入れた。
切り口から覗くと、折り畳まれた便せんが一枚だけ入っているようだった。
指先でつまんで引っ張り出すと、何か大きな文字が透けて見えた。
ああ。
好意的ではないものだ。
こんなことに労力を費やすなんて、無駄なことをする人がまだいるんだな。
とっくに痛くも痒くもないんだけど。
そう思いながら、畳んだままの便せんを封筒と重ね、捨てようと立ち上がる。
同時に、はらりと何か小さなものが舞い落ちた。
目で追うと、テーブルの下に入り込んだそれは、花びらのようなピンク色のハートだった。
拾い上げると、それは布だった。便せんに挟まれていたのだろうか。
考えるより先に便せんを開いていた。そこには一行だけ、見覚えのない字で書かれていた。
『みやのことどう思ってるの?』
780 名無し募集中。。。@無断転載は禁止 2017/09/01(金) 20:53:44.37 0
ハートはそのままゴミ箱に捨てた。封筒は宛名の部分をスタンプで消してから、便せんと一緒に捻って、これも捨てた。
陸なもんじゃない。わかっていたはずなのに、うっかり気まぐれを起こしてしまった。
家は無人で、時計の音だけが響いていた。時間を見る。
午後から大学へ行く予定だった。私は身支度を整え、忘れ物がないか確認して、だいぶ早めだったが家を出ることにした。
玄関を出ると少し肌寒かったが、日差しは明るかった。秋晴れ。予報でも夜まで晴れだった。
帰りに家族に何か買って帰ろうかな。
そんなことを考えながら、門扉を閉め、振り返ると、間近で人影が動いた。
声が出そうになるのをすんでのところで堪え、私はその場で棒立ちになった。
こわごわ顔を向けると、すぐ目の前に女の子が立っていた。
たぶん十代かそこら、花柄のブラウスにスカートはおとなしめで、肩くらいまでのゆるく内巻きの髪。
顔立ちはまあ、普通。見覚えのない子だった。
そこまでを、一瞬で見た。
前に立ち塞がっているのを、どう除けようか考えていると、女の子が口を開いた。
「手紙見てもらえましたか?」
私は瞬時に踵を返し、門扉を細く開けて滑り込み、中から掛け金をした。
振り返らずに玄関を開け、静かにドアを閉め、ロックをかけた。
参った。
二階の自室へ上がると、ベッドに腰掛けた。そこでようやく息を吐く。
困るのは、これからはこういう事態を自分で解決していかなければいけないこと。
よほどであれば事務所に相談することも考えなくはないが、この程度では躊躇われるところだ。
781 名無し募集中。。。@無断転載は禁止 2017/09/01(金) 20:57:21.05 0
見覚えがまるでないということは、ライブやイベントに来てくれていたファンではないのだろう。
或いはみやのファンだろうか。だとすれば、比較的新しい。
さっき見た手紙と考え合わせると、そのような気もしてきたが
「でもなぁ、私のところに来るか?」
思わず独り言ちていた。まるでわからない。
閉め切っていたカーテンを細く開け、窓から覗くと、門扉の人影は見えなくなっていた。
みやに連絡を取ってみることを考える。
二人のファンであれば、みやに向けても何か、行動を起こしているのではないだろうか。
警察のお世話になるかどうかは、もし二回目以降があったら考えるとして
みやが知っているか、知らないかだけでも。
私はそこまで考えてスマホを手に取ってみたが、下手な言い方をすれば余計な心配をかけそうな気もした。
とりあえず、当たり障りのないメッセージを送った。
通話できれば一番早い。
返事は待つことにして、もう少し時間を置いてあらためて出かけよう。
そう思った次の瞬間、カンッと窓に何か当たる音がして、飛び上がった。
血の気が引く。私は胸に手を当て動悸をなだめた。
震える手でカーテンを手繰る。人影はない。窓ガラスにも異常はないようだった。
しばらくの間、息を殺した。5分がとてつもなく長く感じた。窓の外はそれきり何の音もしなかった。
しかしこれでは、このまま出かけられる気がしない。
落ち合う予定だった友人に連絡を取ると、迎えに来てもらえることになった。
友人と一緒に家を出るときにはもう、辺りに不審な気配はなかった。
念のため警察に行くことを勧められたが、気乗りしなかった。
これきりかもしれない。もう少し様子を見てからでも。どこか大事にしたくない気持ちも働いた。
784 名無し募集中。。。@無断転載は禁止 2017/09/01(金) 21:02:30.42 0
みやに送ったメッセージは、翌朝になっても既読がつかなかった。
昨日今日、みやの予定はどうなっていたのだろう。私はみやのインスタをチェックしてみた。
みやは相変わらず、忙しくしているようだった。
そのまま過去へ、最近見ていなかった分を追った。充実振りも伝わってきて知らず知らず頬がゆるんでいた。
再び戻り、最新の投稿時間をチェックする。
昨日、私がメッセージを送ってから三回の更新がある。
これは、どういうことだろう。
電話番号の方にコールしてみる。
着信だけでも残そうと思ったが、流れてきたアナウンスに思わず「え」と声が漏れていた。
電話番号をお間違えではないですか?この電話はお繋ぎできません。
スマホを耳から離し、画面を見直した。間違えてはいない。
胸騒ぎしかしない。何かが起きた。それは間違いないだろうと私は思った。
では、何が起きた?
誰に確認できるだろう。思いめぐらせた。
私は茉麻に電話をかけた。
786 名無し募集中。。。@無断転載は禁止 2017/09/01(金) 21:05:58.55 0
「最近、みやと連絡取った?」
私がそう訊くと、茉麻は「忙しくて最近はしてなかったかな」と言った。
みやの名前を出しても、特に動揺しているような様子もない。茉麻はこの件には絡んでいないのだろう。
「お願いがあるんだけど」
「え?お願い?」
「みやに連絡取ってもらえない?」
少しの沈黙があった。訝しんでいるのだろう。それはそうだろうと思った。
「……なんで」
「いやあのさ、ちょっと喧嘩して」
「えっ?ケンカ?今更何で」
茉麻に電話して良かった。そう思った。
「まあ、あの、つまんないことなんだよ。それはいいんだけどさ、こっちから連絡つけられなくなっちゃって」
「ほえー。そんなことあるんだ」
「伝言お願いできないかな。連絡欲しがってるって」
「なに、そんなことでいいの」
「うん。いいの。……お願いしてもいい」
「わかった。伝えるだけでいいんだね」
「ありがと」
「こちらこそ、ももの役に立てて嬉しいよ」
茉麻の声を聞いて、私はだいぶ気持ちが落ち着いてきたのを感じた。再び礼を言って通話を切った。
一階に降り、ダイニングのゴミ箱を開けた。昨日捨てた手紙はまだそこにあった。
ハート型の布も一緒に拾い出す。
「なに?ゴミ漁ったりして」
母親の声にびくっとして振り返った。
789 名無し募集中。。。@無断転載は禁止 2017/09/01(金) 21:09:49.24 0
「……昨日間違えて捨てちゃったの。良かった。まだあって」
「気をつけなさいな。今日は出かけるの?」
「ううん」
「じゃ、朝ご飯の支度手伝って」
「これ仕舞ったらすぐ降りてくる」
自室に戻ると、適当な袋に手紙を入れ、棚に置いた。捨てずに取っておいた方がいいような気がした。
置きっぱなしにしていたスマホを手にする。茉麻からメッセージが入っていた。
『ごめん、頼まれた件、少し時間もらっていい?』
顔が引き攣るのを感じる。
お願いしたすぐのタイミングで、電話ではなくメッセージを寄越すということは
この件について今直接には、私と話せないということだろうか。
私は何もしていない。それは自信があった。するも何も、みやとはしばらく連絡を取っていなかった。
みやの件についても、あの女の子が関わっているのではないだろうか。
どうにかして、みやと直接話せないだろうか。
下に降りると、キッチンは湯気が立っていた。
「何すればいい?」横に立とうとすると
「何か手紙来てるわよ」そう言われて、私はダイニングテーブルを見た。
昨日の封筒と同じもの。心臓がズキンと跳ねた。気が逸るまま、急いで手に取り封を切った。
昨日の手紙と同じ字だった。
『みやに会いたくなった?』
つづく
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