まとめ:雅ちゃんがももちの胸を触るセクハラ

915 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/02/16(木) 10:02:31.22 0

ふあぁ、とあくびをしてみても、頭はぼーっとしたままだった。
今日はずっとこんな調子で、まぶた辺りに睡魔が常に貼りついているみたい。
もちろん授業どころじゃなかったけど、何とか1日を終えることができた。
それもこれも、みやとももが何故かドロドロに汚れた状態でうちにいたからなんだけど。
あたしの睡眠時間が犠牲になった代わりに、二人とも綺麗にすることができた。
ついでに、部屋の後片付けも。
だから、気にしてない。
眠いのは眠いけど、それは今日帰ってからお昼寝で取り戻そう。
そんなことを考えながら歩いていたら、いきなり背後から呼び止められた。

「あーいり」

特徴的なアルトボイスは、耳に心地よく馴染む。

「あれ? 梨沙子」

振り返ると、紫の布に覆われた机を前に、梨沙子がひらりと手を振るのが見えた。
今日はここで商売?って聞いたら、まあねって梨沙子は唇の端を持ち上げる。
鮮やかな赤に彩られた唇が、今日は一段と華やかに映った。

「ひとつ、聞いてくれる?」
「いい、けど」

梨沙子が話を聞いてくれ、なんて珍しい。
いつもは、梨沙子の方が聞く側なのに。
そう思ったのが伝わったのか、梨沙子がそっと表情を崩す。

「私も聞いてほしいことのひとつやふたつ、あるわけ。たまにはね」
「そう、だよね」

なんでもないことみたいに言い出した割に、言葉の端に深刻さが見え隠れした気がしてどきりとした。
いつもはもっと浮世離れしてるというか、たまにこの世の人なのか疑いたくなるような空気をまとっているのに。
今日の梨沙子は、どことなく雰囲気が違う。
ちょっと弱々しい雰囲気というか、不安がっている、というか。

「愛理はさ、未来を知ることができたらどうする?」

だから、出てきた言葉がそれでちょっと拍子抜けした。

916 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/02/16(木) 10:02:49.40 0

「え、何それ。何かのたとえ話?」
「まあ、そんなとこ」

で、どうする?って梨沙子が流し目で催促してくる。
どうするって言われても、内容によらない?
そう尋ね返したら、確かに、と笑われた。

「じゃあ、それが……とてつもなく、悪いことだったとしたら?」
「悪いことだったら……それが起こらないように、頑張る?」

まだ起きてない未来なら、変えられる余地があるんじゃない?
そう思って答えると、梨沙子もそうだよね、と同意してくれた。

「もしそれが、変えられないとしたら?」
「え?」
「知らない方が良かったって、思う?」

知らない方が、幸せだったと思う?
梨沙子の問いかけが、ぽんぽんと脳みそに放り込まれる。
悪いことが起こることは決まっていて、それを変えられないとしたら。
未来を知ってしまうことは、とてつもなく残酷な話ではないか。
あたしが返事に困っている間に、梨沙子はそんなことを語った。
梨沙子が言わんとしていることはよく分からないけれど、確かにそれは残酷だろうと思う。
同感だって意味を込めて頷くと、梨沙子はふっと微笑んだようだった。

「……だよね、ありがと」

お礼を言われる意味も分からなかったけれど、言葉はそのまま受け取っておいた。
梨沙子が聞いて欲しかったことって、さっきのたとえ話だったの?
ふう、と小さく息をついて、梨沙子が再びこっちを見たのが分かった。

「……愛理」

あたしを呼ぶ声は、ひどく優しくて、勝手に胸が詰まる。
こちらを見つめる梨沙子の瞳は、夜明け前の空みたいだった。
不意に、何かが起こりそうな予感を覚えて、体が小刻みに震え始めて。
え、何、どうしたの?
あたしの体が、あたしのものじゃないみたい。

「前も言ったけど……気をつけなね」

そう言って、梨沙子が浮かべたのは笑顔のようで、きっと笑顔じゃなかった。

917 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/02/16(木) 10:03:21.45 0


気をつけなね、という言葉はもらったけれど、じゃあ何に気をつければいいのかってことを梨沙子は教えてくれなかった。
それ以上食い下がると、梨沙子がもっと辛そうな顔をするんじゃないかと思った。
だから、あたしはそっと口をつぐんだ。

——じゃあ、またね。

梨沙子が、そう言うのが聞こえて、一方的に打ち切られる会話。
それを繋ぎとめようとした時には、既に梨沙子の姿は忽然と消えていた。
一瞬、白昼夢でも見たのだろうかと疑いたくなった。
せっかくなら、ももがもらってきた(って言うべきか分からないけど)粉についても意見が欲しかったのにな。
でも、またねって言ってくれたってことは、きっと近いうちに会えるはず。

「それにしても、なんなんだろうね」

鞄の中に忍ばせておいた小瓶を取り出して、独り言。
手の中にある二つの小瓶の中では、細かい粒子がさらさらと流動している。
何のための粉なんだろう、太陽にかざそうとして顔を上げると、突然鼻先に当たる何か。

「げ、雨」

ぽつん、という感触を合図に、降り注ぐ雨は急激に勢いを増した。
通り雨特有の激しさで、雨粒は一気に大きくなる。
気をつけなねって言われたの、もしかしてこのこと?
もう梨沙子ってば、言ってくれればいいのに。
雨に降られる未来は避けられなくたって、傘を差すっていう選択肢は増えるのに。

「ひゃー、冷たーい」

鞄で雨を避けながら、ぱしゃぱしゃと駆ける。
あの横断歩道を渡った先で、雨宿りするのがいいかな。
きっと、これならすぐ止むだろうし。
そう思って、二歩、三歩、足を回転させた時だった。

ズシャアァ、と水しぶきが上がるのが見えた。
一台の車がゆるく回転しながら、まっすぐこっちに向かってくるのが見えた。


——あ、と思った。

504 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/02/22(水) 18:46:19.79 0


不思議な香りが、鼻を通り抜けたのを感じた。
甘さと苦さを綯い交ぜにしたような、よく分からない香り。
一度、二度、と息を吸うたび、体の中に香りが充満していく。
自分というものの輪郭が、ぼやけて曖昧になっていくみたいだった。

——あら、目を覚ましたみたいね。

耳に、というよりも頭に直接響いてくるような不思議な声。
目を覚ましたってことは気を失ってたってことなのかな……?
でも、目の前に広がる視界はどこまでも真っ暗で、思考は相変わらずぼやけている。

——ほら、まぶたの開け方忘れちゃったの?

ああ、まぶたか。まぶた開けないと、そりゃお先も真っ暗ってもんですよ。
よいしょ、と薄い膜を持ち上げると、ようやく何か目の前に光るものが見えた。
キラキラと揺れていて……これは、ランプ?

「おはよう……というべきかしら。ちょっとよく分からないけれど」

徐々にクリアになっていく視界の中で、不意に体へと重力が戻ってきたみたいだった。
ぐらつく体に、慌てて目の前のテーブルらしき場所に手をつく。
どうやら自分は座っているらしい。
つやつやと光を反射する木製のバーカウンター。
そこに並ぶのは、砂時計とか、ランプとか、あとは卵みたいな形の置物。

「……あ、の」

カウンターの向こう側。
様々な色や形の瓶が並ぶ棚を背にして、一人の女性があたしに微笑みかけてきた。
少しだけ傾けた首に合わせて、艶のある黒髪がさらりと流れる。
わずかに両端が持ち上げられた唇はとても豊かで——っていうかたらこ唇?

505 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/02/22(水) 18:46:48.48 0

「ふふ、いいでしょ? チャームポイントなの」
「え? あ、あぁっ! はい!」

なんだか、全部見透かされているみたい。
まあ、ゆっくりしなさいよ、とその人はのんびりした口調で言う。
でも、あたし、もっと大事なことがあった気がするんだけど。

「……あ」

女の人が持っているものが何気なく目に映って、それがちくりと記憶を刺激する。
ランプの明かりを反射して、きらりと光る二つの小瓶。
その形には、確かに見覚えがある。

「そ、それ! あたしの……!」
「ああ、これ?」

こつん、とカウンターに置かれる小瓶。
どうして、この人が持ってるんだろう。
そもそも、あたしはなんでここにいるんだろう。
そんな疑問が浮かんできたら、居ても立ってもいられなくなった。
早く、帰らなきゃいけない気がする。

「愛理ちゃん、だったかしら?」
「へ? そう、ですけど」

どうして、この人はあたしの名前を知ってるんだろう。

「まあ、これでも飲んで落ち着いて?」

はっと気がつくと、目の前にあった小瓶は忽然と消えていた。
その代わり、カウンターに現れたカクテルグラスが一つ。
中に入っている液体は、赤みがかった紫色。

「え、ど、そんな場合じゃ」

——ないんですけど。
なんてことも言えないまま、女の人が長い指先でグラスをぐいっと差し出してくる。
思わずそれを取ってしまって、気が付いたら、飲み干していた。

869 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/02/24(金) 22:55:46.47 0

*  *  *

ここで一つ、ある少女の話をしよう。
死してなお、愛する人の幸せを願った彼女は、座敷わらしへと姿を変えた。
その名を、桃子という。

ある時、鈴木家に一人の少女が誕生した。
親は、彼女を愛の理<ことわり>と書いて愛理と名付けた。
愛理はすくすくと元気に成長し、みるみるうちに自分の足で家中を駆け回る活発な女の子に育った。
親からは立ち入ることを禁止されていた離れにさえも、恐れず忍び込んでしまうほどのやんちゃぶり。
あなたはだあれ、と尋ねられ、桃子は返事をするのに躊躇った。
これまでも、桃子の雰囲気だけは感じ取れるらしい人間は数多くいた。
そして、彼らは決まって、まだ幼い少年や少女であった。
しかし、完全に桃子の姿を捉えた者は数えるほどしか存在しない。
しかも、その大半が、明後日の方向に向けて話しかける者や、とんちんかんな返答を返す者。
けれど、愛理は真っ直ぐに桃子を見据えて、だあれ、と尋ねたようだった。
期待しても良いのだろうかと考えあぐねて、桃子はその場では返答を見送った。
だが、愛理は次の日も、また次の日もやってきた。
部屋の片隅に、丸くなって座っている桃子を一直線に見つめて、あなたはだあれ、と尋ね続けた。
これは本当に見えているらしい、ようやくそう確信して、桃子は初めて名乗った。
それを聞いて、愛理は花が綻ぶように微笑んだ。
あたしは愛理、と言われた瞬間は、今でも鮮やかに思い描ける。
桃子が持つ、数少ない大切な思い出の一つがそれだった。


愛理が七つになった頃、桃子は半ば諦めた心地で部屋の片隅に丸まっていた。
今頃、愛理は七五三のために粧し込んでいることだろう。
さぞかし綺麗で、愛くるしく笑うのだろう。
けれど彼女の目には、もう桃子は映ることなどない。
今までにも、桃子と会話できる者は存在した。
けれど、彼らは皆、図ったように七つを過ぎるとぱたりと桃子のことが見えなくなった。
言葉は届かなくなり、触れるその手は彼らの体を通り抜けた。
片手で数えられるくらいまでは、それでもと一縷の望みを託したことはある。
しかし、その期待は悉く裏切られ、やがて桃子は期待をしなくなった。
彼らは、七つを過ぎれば自然と桃子のことを見えなくなる。
正確に言えば、意識に上らなくなるとでも言うのだろうか。
道端に転がっていた石ころを面白がって見つめていた時代は終わりを告げて、やがて彼らは別の誰かを見つめるようになる。
別の誰かに愛情を注ぎ、石ころなどには気にも留めずに生きていけるようになる。
そして、桃子のことなど知りもしなかったという顔で、彼らの歳月は過ぎていくのだ。
だから、桃子は期待をしない。
愛理にも、もしかしたらとは一欠片も思わない。
そのつもりだった。

「もも、似合う?」
「……愛理」

勢いよく障子を開けた向こう側で、愛理はいつもと同じように微笑んでいた。
やはり、彼女が笑うと空気が華やぐ。
今日は一段と、美しくて、桃子はふと泣きそうになった。

「よく、似合うよ」
「へへ、よかったぁ」


月日は流れて、愛理は美しい女性へと成長した。
けれど彼女は、桃子のことを忘れはしなかった。
そして、桃子は突然にある吸血鬼と出会う。
彼女は、「みや」と名乗った。

887 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/02/24(金) 23:29:49.28 0

*  *  *

ここでもう一つ、ある吸血鬼の話をしよう。
吸血鬼は、自分がいつ名付けられたのか覚えていない。
けれど、一つだけ確かなことは、「みや」と呼ぶ人の記憶だった。
穏やかな声色は、心地よい響きで「みや」と発音した。
いつ、どこで、誰が、そう呼んだのか。
その詳細は一切残っていないが、それはひどく愛しい人からの言葉だったように思う。
全てがそぎ落とされた中で「みや」という名前と、その声だけは確かだった。


みやが初めて目を覚ました時、そこは真っ暗で少し饐えたような臭いに満ちていた。
自分は死んだのだ、と緩やかに流れる思考の中でそれだけを思う。
何が理由で自分が命を落としたのかは分からないが、死んだということは確実だった。
そして、何かしらの力が働いて、自分が生き返ったらしいということも。
みやのいる場所は絶えず揺さぶられていて、不快感が顔に表れてしまった。
誰が見ているわけでもないのに、表情というものは勝手に顔に出てしまうものらしい。
次いで、自分は空っぽなのだということを実感した。
胸の中で、ある場所がぽっかりと抜け落ちていた。
確かにそこには、埋めるべき何かがあったはずだ。
けれどそれは、死んで、そして生まれ変わる過程でどこかに置いてきてしまったらしい。
ただ一つ、「みや」と呼ぶ誰かの声だけは片隅に残っていた。
固く固く自分が握り締めていたらしい、その記憶は、みやを少しだけ勇気付け、そして少しだけ切なくさせた。
きっとそれは、愛しい人からの言葉だった。
自分に愛しい人がいたという事実だけで、こんなにも勇気付けられる。
しかし同時に、それほどまでに愛しい人をすっかり忘れてしまったのだということを突きつけられた。
みやは誰にも見られないのをいいことに、一筋の涙を流した。

888 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/02/24(金) 23:30:14.62 0


次に目が覚めた時、二人分の視線がみやに注がれていた。
一人は「リサコ」と名乗り、もう一人は「チナミ」と名乗った。
なぜだろうか、今ここで目覚めるべきではなかったという思いがこみ上げてくる。
みやはもう一度眠ろうとしたが、それはリサコによって止められてしまった。

「よっぽど強い願いだったんだろうね」

不完全でも、ここまでできるなんて。
リサコの言葉に、自分が不完全であるという事実を突きつけられる。
それと同時に、この人ならば抜け落ちた場所を埋める術を知っているのではないかと期待した。
だが、リサコは無情にも首を振る。
そればかりは、どうにもならないのだとリサコは告げた。
ある生命が一度失われ、また蘇るためには対価が必要である。
それが、みやにとっては愛しい人との記憶だったのだと理解した。
唯一の手がかりは、自分が握っていたと思われる紙切れ1枚。
それも随分とボロボロになっていて、そこに書かれている文字は読むことなど不可能に思えた。

「なくなっちゃったもんは仕方ないとしてさ。新しく知るべきことはたくさんあるよ」

ひとまず吸血鬼の作法から勉強してはどうだろうか。
チナミの提案に、みやは首肯した。
そうして、三人の生活が始まった。

チナミはみやと同じ吸血鬼という生き物らしい。
みやはチナミから、吸血鬼の好きなもの、嫌いなもの、苦手なもの、得意なものを学んだ。
リサコは魔女という生き物らしかったが、それ以上のことはみやには分からない。
たまに彼女が大量の小瓶を抱えていたり、紙に何かしらを書き連ねているのは見たことがある。
だが、何をしているのかと尋ねても教えてはくれなかった。

そろそろお別れだとリサコが言うよりも前に、みやはそれを感じ取っていた。
行くべき場所に、あるべき場所に向かう時が来た。
リサコが用意してくれた入れ物の表面は、キラキラと輝いていた。
そこにみやが入り、そしてリサコたちが蓋を閉めれば準備は完了する。
リサコがくれた眠り薬を口に含むと、みやの意識はすぐさま暗闇へと落ちていった。


そして次に明るさを感じた時、懐かしい香りに包まれたような気がした。
蓋が開けられたことを知り、その時が来たのだと悟った。
みやはゆっくりと起き上がる。
彼女の目には、美しい女性と、まだ幼い子どもの姿が映った。
女性は「愛理」といい、そして子どもは「桃子」といった。

889 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/02/24(金) 23:32:50.75 0

*  *  *

もう少しだけ遡り、二人の少女の話をしよう。
一人は桃子といい、もう一人は雅といった。
二人の出会いは偶然に、興味本位で桃子が御簾を上げたところから始まる。
満月を見上げる雅の横顔があまりにも美しく、桃子は言葉を失った。
男の出で立ちをしていたものの、小さく漏らされた声は確かに女性のものだった。
視線が絡めばあとは転がり落ちるように、二人は互いに惹かれ合う。
人目を忍んで交わされる逢瀬は突然に、桃子の婿取りが決定したことで終わりを告げたかに思われた。
その日、雅が桃子の手を引かず、桃子が雅と共に駈け出さなければ、二人の人生は平凡に終わるはずであった。

890 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/02/24(金) 23:33:07.96 0


それは俗にいう駆け落ちであったが、勢いのみの逃亡劇はすぐに綻びを見せた。
歩き慣れない道を踏みしめたせいで、二人の足は容易く傷ついた。
金銭もすぐに底を尽き、二人の腹は常に空腹を訴えた。
そんな二人に対し、桃子を奪還するために追手は容赦なく二人を追い詰める。
やっとのことで手に入れた小舟を前にして、二人を阻む鋭い怒声。
小舟へと押し込まれ、桃子は果たして全てを目に収めることとなった。
轟々と吹き付ける風の中、雅を取り囲む複数の人影。
閃く刃を軽やかに往なしながら、雅の体はしなやかに躍動した。
転がる人体がそばに流れる川へと落下して、派手な水飛沫を上げた。
もう一つの肉体は、道の端へと転がった。
しかし、所詮は多勢に無勢。
雅も腕は立つ方であったが、まともな生活をしていない体では長くは持たない。
最後の一人が刃を振り下ろしたのと、雅の刃が相手を貫いたのとはほとんど同時であった。
どうと崩れ落ちた一方に桃子が駆け寄った時には、雅の瞼は美しく閉じられていた。
徐々に温度を失っていく体を抱きしめながら、桃子はほろほろと涙を流した。
葬儀を上げてやることさえできない、ならばせめてと小舟にその体を押し込む。
このまま川に流してやれば、少しは浮かばれるだろうか。
懐に忍ばせておいたなけなしの紙を取り出して、震える指で文字を刻んだ。

——どうか、この方が幸せになりますよう。

近くに降り積もっていた葉と共にそれを詰め、雅の体を覆い隠す。
残った力を振り絞り、桃子はその舟を流れの中へと押し出した。
そして、家族への懺悔と愛した人への想いを胸に、 後を追うように桃子も流れる川へと身を投じた。

585 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/03/03(金) 16:57:19.40 0

ほっぺに、何か冷たいものがあたっていた。
なんでだっけって思いながら体を起こすと、目の前にはカウンター。
あたし、いつの間にか寝てた?
じゃあ、さっき見てたのは——夢?
そういえば、さっきまで何か物悲しいお話を聞いていた気がする。

「夢だけど、夢じゃないわ」

声のした方を見ると、あの黒髪のお姉さんが微笑んでいた。
そうだ、この人に勧められて何か飲んじゃったんだっけ。
その後から、記憶が綺麗にすっぽりと抜けている。

「あ、あたしに、何飲ませたんですか」
「何と言えばいいかしら……記憶のダンペンってやつ?」
「ハンペン?」
「断片よ、断片。欠片と言ってもいいかもしれないわね」

言いながら、お姉さんが取り出したのはあの小瓶。
記憶の欠片と言われて、それが誰のものか考えるまでもなくピンときた。
さっきまであたしが見てた、あの夢はきっと。

「ももと、みやの」
「そういうこと。さて、少しはすっきりした?」
「した、ような。しない、ような?」

曖昧なあたしの返事に、女性はからからと笑う。
いや、あんまり笑い事でもないんですけど。

「あ、あたし、帰らないといけないんです」
「どこに?」
「どこって、みやと、もものところに」

どれだけ時間が経ってしまったのか分かんないけど、随分と長居をしてしまった気がする。
早く帰らないと、あの2人が心配するはず。
それに、あたしがいないとみやがお腹を空かせて干物になっちゃう。

「残念だけど、それはできないの」
「……え?」

神妙な顔でそんなことを言うお姉さんが信じられなくて、思わず聞き返していた。
待ってください、帰れないってどういうこと?

586 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/03/03(金) 16:57:39.00 0

「そのままの意味よ。愛理ちゃん、自分がどうなったか覚えてないでしょう?」
「どうって……どうもなってないですよ、だってあたし」

お姉さんと普通にしゃべってるじゃないですか。
そう言いかけたところで、頭の中に鋭い痛みが走った気がした。
何かを警告するように、サイレンが脳内で鳴り響く。

「落ち着いてって言っても無駄だと思うけれど……落ち着いて聞いて」
「何、ですか」

すっと低くなったお姉さんの声音に、じわりと緊張が増した。
お姉さんの唇が、ゆっくりと形を変えて。

「ここはね、あの世とこの世の間なの」
「……はい?」

あまりにも突拍子のない言葉が飛び出てきて、一瞬意味が取れなかった。
でも、そう言われると確かに、と納得するあたしもいて。
ぐるぐると渦巻く思考は、一向にまとまってくれない。

「ま、まってください。あたし……死んだんですか?」
「正確に言うと、死にかけ?」
「お、同じようなもんじゃないですか!」

つまり、いずれは死ぬってこと?
恐る恐る尋ねると、お姉さんは眉を下げながら、そうよ、と答えてくれた。
もう、家には戻れない。あの2人と一緒に笑えない。
ようやく……みやに託された願いが何か、知ったばっかりなのに。

「これ、何だと思う?」

ずーんと落ち込んでいるあたしの目の前に、お姉さんがこつんと何かを置いたのが分かった。

「砂時計、です」

答える間にも、真っ白な砂が光を反射しながらさらさらと流れ落ちていく。

「そう。そして、これはあなたに残された時間」
「……そん、な」

時間、と言われて、なぜか自然と納得できた。
上に溜まっている砂は、もうほとんど残っていなくて、きっと、ひっくり返したって意味がない。
だって、時は決まった方向にのみ流れていくものだから。
それを眺めながら、突きつけられた事実を受け入れるしかないんだってことがじわじわと頭に浸透してきた。

——ああ、あたし、しんじゃうんだ。

2人に言いたいこと、まだたくさんあったのになあ。

587 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/03/03(金) 16:58:04.46 0

「ママ……ッ!」

しんみりと重たくなった空気は、誰かの声によって引き裂かれた。
あれ、この声。聞き覚えがある、ような。

「あら、リサコ。思ったより早かったのね」
「梨沙子……?!」

お姉さんが呼んだ名前で、かちゃりと記憶の欠片が繋がった……のはいいんだけど。
なんで梨沙子がここに? どういうこと?

「ごめん、説明あとで。ママ、これ」

だいぶ焦っている様子で、梨沙子の手からキラキラとしたものが放り投げられる。
それは、くるくると回転しながらお姉さんの手の中に収まった。

「じゃあ、始めましょうか」
「な、なんですか、それ」

お姉さんが手にしていたのは、砂時計。でも、中身はまだ空っぽで。

「これが、あなたの新しい時間」
「新しい、時間……?」

と言われましても。
戸惑っているあたしをよそに、お姉さんはテキパキと何やら用意を進めていく。

「先に断っておくわね」
「へ? あ、はい」
「再び生を得るためには、犠牲がつきものなのよ」

だから、すべての記憶を完全にあなたに残してあげることはできないの。
お姉さんの言葉が何を意味するのか掴みきれないまま、不意に足元の床が柔らかくなったような感じがした。
あれ、あたし——。

閉じていく瞼の向こうで、砂時計の最後の一粒がさらりと落ちていくのが見えた。


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