まとめ:雅ちゃんがももちの胸を触るセクハラ

438 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/02/22(水) 01:45:17.42 0

分厚い防音扉を開けると、スタジオの中は真っ暗で静まり返っていた。
当たり前だ、練習開始時間までは1時間以上ある。
桃子と約束した時間だって、もう少し先。
手近なソファに腰を落ち着けると、不意に頭の奥が鈍く痛んだ。
こめかみをぐっと指で押さえながら、深呼吸をしてみる。
少しでも気持ちが落ち着けばと思ったが、頭がクラクラしただけだった。

昨晩の、一か八かの行動。
鳴らし続けた電話がどうにか通じた時には、それだけで声をあげて喜びたいほどだった。
後で自分の発信履歴を見て、我ながら少し呆れもしたけれど。
今回ばかりは頑張ったと褒められても良いと思う。
桃子が来る保証はさらさらないが、きっと来るだろうと信じていた。
根拠なんてものは、茶柱が立っていた程度で良い。

不意に、ガチリという硬質な音が耳に届いた。
ごつごつとした金属のドアノブが、ぐるりと回る。
おずおずと開かれていく扉の隙間から、こちらを伺う二つの眼。
ここで逃げられては元も子もない。
努めて平静を装いながら、久しぶりと手を挙げる。
そんな雅に対して、ゆるゆると桃子は室内へと入り込んできた。
ぎゅむ、と防音扉の閉まる音がして、二人きりの空間のできあがり。
壁に沿うように移動した桃子は、部屋の隅っこの椅子にちょこんと腰掛ける。
全身から発せられる警戒オーラに、ついつい苦笑が漏れそうになった。
さて、どう切り出したものか。

「……遠くない?」

手始めにと何気ない風で声をかけてみると、桃子の小さな体は面白いほど跳ねた。

「だって……みや、怒ってる」

そんなことをつぶやく様子は、叱られてしょぼくれている幼児みたいで。
不意にそのほっぺの柔らかさが目に入った。
本当、子どもみたいで可愛——じゃなくて。

「怒ってないから。こっち、来てよ」

嘘だあ、と眉間に皺を寄せつつも、桃子は素直に席を立つ。
警戒オーラはそのままに、桃子は雅が座るソファの端へ。
欲を言えばもう少し近づいて欲しかったけれど、昨日の様子を思えば上出来だろう。

「か、傘は?」
「後で渡す」
「ねえ……やっぱり、怒ってる?」
「怒ってない」

部屋に響く自分の声色が少し低いことくらい、自覚している。
ミラクルハッピーとは言い難いけれど、怒っているのとも少し違うのだ。
ソファの端で身を硬くしている桃子に対して、構わず雅は言葉を放った。

「用事、傘返すだけだと思ってる?」
「……あんまり、思ってない」

それならば話が早い。
ゆるりと座り直して体の向きを変えると、なぜか桃子がきゅっと姿勢を正すのが見えた。

440 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/02/22(水) 01:46:07.11 0

「前の続き。ちゃんと話そうと思って」
「ちゃんと、って」

話したじゃん、とでも言うように、桃子の唇がわずかに尖る。
以前のやりとりで、本当に全てが終わったと捉えているのだろうか。
だとしたら、勘違いも甚だしい。

「ももが言いたいことは、なんとなく分かった」

けれど知りたいのは、もっと奥底の部分。
表層をなぞるだけの言葉でお茶を濁されるのは、もうたくさん。

「でも、まだももの気持ち聞いてない」
「だからそれは、この前、言った通りで」

あくまであのまま押し通すつもりなのか、この頑固者。
前回と変わらない態度に、スイッチを踏み抜かれたような気がした。
穏やかに、冷静に、という意識なんてものは、あっさりと消え失せる。
代わりに湧き上がるのは、じりじりとした感情。

「あれは、テッパン論——」

じゃん!と勢い込んで立ち上がった後、音の響きに覚える妙な違和感。
目を丸くした桃子が、小さく「一般論?」と呟くのが聞こえた。

「そ、そう! イッパン論! 一般論だから」

肝心な時に言い間違いなんて決まりが悪い。
こほんと大袈裟に咳払いをして、仕切り直し。
こつ、と雅が距離を詰めると、緩みかけていた桃子の顔が引きつった。

「うちは、ももがどうしたいのか、聞きたい」

好きだけではどうしようもないことなんて、数え始めたらきっとキリがない。
どんなに備えたところで、石には躓くだろうし、時にはこけることもある。

「難しいこととか、なしで。教えてよ、もも」
「あ、う、その、でも」

ぐいと顔を近づけると、雅の間に壁を築くかのように両手のひらが差し出された。
ここまで歩み寄っているというのに、桃子は未だ及び腰。
まだ逃げるつもりなのか、目の前の、このバカは。

441 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/02/22(水) 01:46:53.89 0

「あーっ、もうっ!」
「な、え」

いきなり声を張り上げた雅に対し、何事かと目を見開く桃子が見えた。
溢れる感情に任せ、視界を邪魔する両手を掴んで押し開く。
両手をそのままソファに押し付けると、焦ったように桃子の視線が泳ぐのが分かった。

「もものバカッ! ほんっとにバカ、マジで、バカ!」
「ひ、ひどっ……! ていうか、みや、やめっ」

言いながら、雅の手から逃れようと桃子が体をひねる。
そんな抵抗は、雅の中の感情をさらに煽るだけ。

「逃げんな! バカ!」

肺に勢いよく酸素を満たし、一気にそれをぶちまけた。
分からずや。
頭でっかち。

——弱虫。

思いつく限りの言葉を並べ立て、桃子の顔面へと投げつける。
雅の剣幕に気圧されたのか、気がつくと桃子の抵抗は少し弱まっていた。
掴んだ腕から伝わる脈は、とくとくと早い。
それに負けないくらい、雅の心臓も早く脈を打っている。

「うちも——うちだって、同じなのに」
「……みや?」

たくさんいる中の一人じゃなく、桃子だから臆病になる。
一緒に学校へ行って、帰って、他愛ないおしゃべりをして、並んで座って。
そんな当たり前の関係性を壊してまで、その先へと進むことが怖くなる。
そんなの、お互い様ってやつじゃないだろうか。

「もも、聞いて」

いつの間にか胸の中にあった感情。
自覚したのはつい最近だけれど、その時には既に深く根付いていた。
その種はいつ、どこで撒かれたのだろう。
今までにも、何人かと恋人めいた関係になったことはあった。
けれど、表情一つに振り回されて。
忙しくて。
楽しくて。
鮮やかで。
そんな経験は、今までなかった。

「ももは、うちのこと……嫌い?」

それには力強く首が振られて、雅は密かに安堵する。

「じゃあ、」

続きを促すと、桃子は何度か目を瞬かせて。
やがて、ゆっくりと口を開いた。

442 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/02/22(水) 01:47:13.21 0

「……ももだって……たくさん、考えたの」

努力ではどうしたって解決できないことがある。
大変なことだって、たくさんある。
そうだとたら、みやは普通に暮らした方が幸せだろうなあって思ったの。
まとめるならばそんなことを、桃子はぽつりぽつりとぎこちなく形にした。
曖昧だったことが、一つ一つ実感を伴って体に染み込んでいく。
本当に、考えてくれていたんだ。
まだ手を伸ばしても触れられないほど、遠くの未来のことまで。
温もりが胸に、お腹に、体全体に満ちていくのを感じながら、でもね、と雅は息を吐いた。

「一個まちがってるよ、もも」

掴んでいた手をずらして指先を絡ませると、同じだけの強さで握り返された。
その指先がくれるのは、温かな勇気。

「うちの幸せはさ」

——うちが決めるの。

一直線に見据えた先で、桃子の目の端に溜まっていく水滴。
数回の瞬きがあって、それが桃子の頬を伝い落ちるのが目の端に映る。
それは、一度溢れてしまったら止まらなかった。
はらはらと溢れる雫に、反射する光の粒。
そのきらめきは、きっと、この世の何よりも美しいと思う。

「……分かった?」
「う、ん」

こくり、と微かな頷きを確かめて、ようやく張り詰めていた糸が緩んだ気がした。
長かった、遠かった、ここにたどり着くまで。

「……ていうか、ももマジ重すぎだから」
「う、それは……」

言葉の端に非難の色を含ませると、桃子の眉が困ったように下がる。
それに構わず、雅は浮かぶ言葉をそのまま舌に乗せた。

「なんでそういうの、全部自分でやんなきゃって思うわけ?」

一人では重すぎるのなら、二人で背負えばいい。
だから。

——もっと頼れ、バカ。

桃子へと向けた視線は、瞳の奥へ吸い込まれていく。
もっと、奥へ。
導かれるように顔を寄せたのは、ほとんど無意識で。

「まっ、て……顔、ちか、い」

桃子の掠れた声が聞こえて、ぱちんと何かが弾ける音がした。

211 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/02/27(月) 17:17:02.43 0

自然と閉じる瞼。
あと数ミリ。

「みやああああっ! ももおおおおっ!」

背中に加わる鈍い衝撃に、息が詰まった。
顔面から桃子と衝突しそうになって、雅は必死で顔を逸らす。

「ひゃぁっ」
「ふごっ」

桃子が小さく声をあげたのと、自分の体から間抜けな音が漏れたのはほぼ同時。
勢い余って突っ込んだソファのカビ臭さが鼻に抜けた。

「二人とも、本当に、本当に、心配してたんだからね!」

背中に擦りつけられる温かさと声は、きっと愛理のもの。
雅の頭が何が起きたのかをようやく理解したあたりで、桃子が困ったように声を漏らす。

「あー……ごめ、ん」
「本当だよっ! もうっ!」

背中をペシペシと叩かれる感触があり、それに対して桃子が小さく笑ったのが分かった。
そのことに、ふと桃子との近さを意識させられる。
それと共に、さっきまでの自分の行動を自覚して頬が熱くなったのを感じた。

「……愛理、そろそろ離れないとみやが」
「え? あ、あれ、みや? ごめん!」

今気づいたのかよ、とか。
地味に首が痛いんですけど、とか。
ちょっと、桃子と離れるのが名残惜しい、とか。
言いたいことは様々に浮かんできたが、今はひとまず心の中にしまっておく。
ゆるゆると体を起こして立ち上がると、首にじんわりとした痛みが広がった。

212 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/02/27(月) 17:17:22.31 0

「二人がいるの、嬉しくって、つい」
「いいよ、別に。怒ってないし」

まだかすかに残っている体温を、振り払うように手を振る。
その横で、桃子が慌てたように立ち上がって。

「ちょっと、あの、お手洗い」

その言葉に、雅の脳裏にちらりと不安がよぎる。
ぴくり、と勝手に手が震えたのを感じた。

「ち、ちゃんと……戻ってくるから」

桃子が、そんな雅の様子に気づいたのかどうかは分からない。
けれど、桃子はふわりと笑ってそんなことを言った。
小走りに、扉の向こうへと消えていく背中。
こんなに穏やかな気持ちで、その背中を見たのは初めてかもしれないと、ふと思った。

「……もしかして私、なんか邪魔した?」
「いや……むしろ、来てくれてよかった、かも」

桃子の態度に何かを感じたのか、尋ねてくる愛理は恐る恐るといった雰囲気。
その頭をぽんぽんと撫でながら、雅の脳内は蘇ってくる桃子の表情や声に埋め尽くされていた。
お互いの初めて——桃子が本当に初めてかは知らないが——を、勢いに任せてあんな形で迎えるなんて夢がなさすぎる。

「仲直り、できたんだね」
「ま、ね」

仲直りよりも更に大層なことを告げてしまったような気がするけれど、後悔はしていない。
何より、愛理が心底嬉しそうに笑うものだから、雅もつられて顔を崩した。


しばらくして戻ってきた桃子を交え、三人で机を囲む。
さて、と息をつく愛理はやけに神妙な面持ちで、次に出てくる言葉を予感して。

「ところで二人とも、本番まであんまり日がないの知ってる?」
「あー……」
「うん……」

すっと低くなった愛理の声音に、雅も桃子も視線を逸らす。
自覚があるだけに、気まずさも倍増。

「ここからビシビシいくからね!」

突きつけられる人差し指からは、愛理の熱意が立ち上っているようだった。
雅は桃子と顔を見合わせ、これから数日間のスパルタ指導を覚悟した。

213 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/02/27(月) 17:17:55.10 0


練習の後は、慌ただしくバイト先へ移動しなければならなかった。
ここ数日お休みをもらっていたが、さすがにそろそろ金欠の危機。
本当は桃子ときちんと話す時間がほしかったが、シフトを入れてしまったのは自分なのだから仕方ない。
久しぶりとはいえ、体はきちんと動きを覚えてくれていた。
そういえば、桃子と鉢合わせしたこともあったっけ、と不意に蘇る。
随分と前に感じたが、カレンダーで数えればまだ2ヶ月ほどしか経っていない。
仲良し大作戦!とか言いながら愛理に背中を押され、臆病な桃子の背中を追いかけて。
過ぎてみればあっという間だったけれど、心も体も忙しすぎる2ヶ月だった。

「はぁ……」

誰もいないのをいいことに、少しだけ脱力してカウンターにもたれかかる。
そこで、ふと目の端に映ったモニターの向こう側に、雅は動きを停止した。

「な……なっ」

防犯カメラの荒い画質であっても、何をしようとしているかはすぐにピンときた。
カメラが捉えているのは、制服姿で恐らくは高校生くらいの男女。
二人きりだからって、薄暗いからって。
そんな密着しなくたって。
そんな、盛り上がらなくたって。
そんな……キ、キスしなくたって。

「わっ、わあぁっ」

見ていられなくなって目を閉じると、なぜか浮かぶのは桃子のこと。
自分だって、同じこと、しようとしたのに。
どくん、と痛いほどに心臓が大きく打って、体温が少し上がったような気がした。

「——の、あのー、すみません」
「ひゃっ! はいっ」

知らぬ間に新しいお客さんが雅のことを待っていた。
腕を組んだ、若い男女。
女性の方は不機嫌そうに、男性の方は少し苛立った表情で。

「あ、す、すみませんっ」

手早く受付を済ませ、空いている部屋を案内する。
個室の中で、二人きり。
彼らもまた、歌を歌いに来ただけではないのだろうか。

でも、あれが俗に言う"付き合う"というもの?
そもそも、付き合うって、なんだろう。
そんなことを思ってしまったが最後、頭から離れなくなってしまった。

543 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/03/03(金) 03:45:10.96 0

付き合っているということ。
2人で出かけること?
メールを送り合うこと?
でもそのくらいは、普通の友達だってすることだ。
だとしたら?

わしゃわしゃと髪の毛を洗いながら、自問自答のくり返し。
少しは参考になればと、奥底にしまっておいた中学生時代の記憶も引っ張り出してみた。
確かに2人で休日にお出かけをした。
他愛もないことで連絡をした。
そして、その先は。

「———〜〜〜!!」

頭を洗う手を強めると、方々に水滴が跳ねた。
熱めのシャワーにあたりながら、ふと堂々巡りの思考を一時停止。
さて、今洗い流したのはシャンプーだったかリンスだったか。

「……もっかい、洗うか」

仕方なくシャンプーを手に取って、泡立てる。
その間にも、今までの経験や記憶が蘇っては消えていく。
2人きりになって、求められること。
好きだと言って、言われて、でもどうしても進めなかったその先。

「あ……」

好きだという気持ちは伝えたし、伝わっていると信じたい。
そして、桃子も雅のことをきっと好いてくれている。
少なくとも、嫌われてはいないはずだ。
けれど、だからといって。
雅が期待していることと、桃子の思いがイコールで結べるとは限らない。

——まって。

あの日の桃子の声が鮮明に再生されて、雅は手を止めた。
かつて自分がされたことを、今度は自分が桃子に対してしたのではないか。
お風呂に入っているはずなのに、背筋を冷たいものが下りていく。
触れてくる手を拒絶した部屋の薄暗さ。
カラオケのモニターで目にした男女の陰。
ぎゅっと閉じた桃子の瞼と震えるまつ毛。
様々な光景が、走馬灯のようにフラッシュバックした。
それはどんなに綺麗な湯を浴びても、石鹸で洗っても、こびりついて取れない汚れのようで。
今度は、シャワーなんかでは誤魔化しきれなかった。

544 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/03/03(金) 03:46:53.30 0

*  *  *

ステーキと、ライス、スープ、ドリンクバー。しめて、1300円ちょっと也。
学生の財布には痛いが、相談に乗ってもらうことを思えば安いもの。
悪いねえ、なんて笑いながら、目の前に座っている千奈美はフォークとナイフを手に取った。

「晴れて想いを伝えられたってわけですか、夏焼さん」
「よく知ってんね」
「まーね、うちの情報網は優秀ですから」

自慢げにこちらへと向けられるフォークが、鈍く店内の光を反射する。
さすがにそれは行儀が悪いと、すぐに下げさせたけれど。
そんな雅の前にはオムハヤシと、ウーロン茶。

「んで? 単純にご報告って感じの雰囲気じゃないけど」
「……よくお分かりで」

今までお世話になった分のお礼として、いつか何かしらを奢るつもりではいた。
桃子に想いを伝えられた時が、きっとその時なのだと思っていた。
もっとも、高校生のお小遣いでは、ファミレスでステーキセットが関の山だったけれど。
しかしながら、ここに来て新たな問題が急浮上。
結局、ステーキセットはお礼というより相談料へと変化していた。

「あのさあ。つ……」
「つ?」
「つ……きあうって、どういうことだと思う?」
「はあ?」

千奈美は、半ば呆れたような声をあげるのも無理はない。
自分だってきっとそんなことを聞かれたら「はあ?」と聞き返すだろう。
理解はできるが、実際の反応を突きつけられると少々つらいものがある。
広く開いた窓の外に視線を逃がしながら、雅はどうにか事の顛末を説明した。

「なんだかなー。みやも相当めんどくさいよね」
「は?」
「んーん、なんでもない。こっちの話」

あれ以来、眠れば妙な夢は見るし、実際の桃子を前にすると何故か気まずい気持ちに襲われるようになった。
愛理と3人で顔を合わせる分には問題ない。練習自体もスムーズに進んでいて仕上がりも順調だ。
だが、2人きりになると意識しすぎて何も話せない。
結局、バイトを言い訳にして、逃げるようにスタジオを出る日々が続いていた。

「別に、何かしなきゃってもんでもなくない?」
「そんなもん?」
「逆に聞くけどさあ」

そこで千奈美は言葉を切った。
かちゃり、と銀色の食器が鉄板にぶつかって音を立てる。

「みやは、何かしたいことがあるわけ?」
「……え?」

思いもよらぬ方向からの言葉に刺激され、願望がちらりと顔を覗かせた。
初めて"みや"って呼んでくれたあの日、伝えたかったこと。
2人で出かけたあの日、言えなかったこと。
勉強を教えてもらったあの日、望んでしまったこと。
補習を受けながら見た夢の中で、したかったこと。
それらを言葉にするのが躊躇われて、雅は返答に詰まった。

545 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/03/03(金) 03:47:25.14 0

「なくは、ない、かな」
「んじゃ、それをすればいいじゃん」
「そ、それは……」
「なんで?」

何か問題があるのかとでも言いたげに、千奈美の表情が曇る。

「だ、だって! それ、ももが、したいかどうかは、分かんない、し」
「ちょいまち。嗣永さんから、返事もらったんだよね?」

念のため、といった様子で確認する千奈美に対し、雅は頬を掻いた。
返事をもらったような気になっていたが、きちんとした言葉はもらっていないような気がする。
桃子からはっきり答えてもらったことといえば、「嫌いなのか」という問いに対する否定のみ。

「いやいやいや! 言いなよ! ちゃんと!」

まずそこからじゃない?!と主張する千奈美はごもっとも。
ことはそう容易く進まないから困っているのだけれど。

「言……え、たら、苦労、してない」

抜けるように白い肌。
薄くて整った唇。
小さくて柔らかな手。
毎晩とまでは行かずとも、結構な頻度でそれらの光景は夢に登場した。
そして、そのことに対して軽い自己嫌悪を覚えるまでがワンセット。

「いやさあ……」

言おうよ、と千奈美がつぶやく。
簡単に言ってくれるな、と視線を向けたが、千奈美の注意はすでに手元の携帯に注がれていた。

「時間ヤバイ?」
「ううん、全然。」

言いながら、千奈美は立てかけられていたメニューを手に取る。
あれ?と雅が思うよりも早く、呼び鈴を押す千奈美の指先。
近くにいたらしい店員が即座に飛んできて、ものの数秒で千奈美は注文を終えていた。
千奈美の口からは、スッペシャルパフェと聞こえたような。
確か800円はする代物だった気がするが、仕方がない。
それにしたって、断りくらい入れてくれたって良いものを。

「パフェ、追加しちゃった」
「……そりゃ、どーも」
「追加料金。お節介代ってことで」
「や、意味分かんないし」

料金を追加するくらいで悩みが解消されるなら、いくらでも喜んで課金してやる、と思った。
いくらでもと言ったって、バイト代の範囲内ではあるけれども。
パフェが来たら二口くらいもらってやろう。
そんなことを考えていると、テーブルに放置していた携帯が鈍く振動する。
液晶画面に映る名前を認識した瞬間、手に取った携帯を危うく取り落としそうになった。

「ごめ、あの、電話」
「んー、いってら」

千奈美の声を背中に聞きながら、逸る気持ちのまま店の外へと飛び出る。
焦れったい気持ちで画面に触れると、もしもし、と雑音混じりの声が耳に届いた。

546 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/03/03(金) 03:48:29.24 0

「……もも?」
「あー、みや?」

受話口の向こうから届いた声に、じわじわと実感が湧いてくる。
それと同時に、喉のあたりが突っ張って声が震えそうになった。

「な、なんか、用?」
「用、っていうか……今、どこにいる?」
「い、今?」

どうにか平静を装おうとしたが、思いがけぬ問いに声は容易く裏返る。

「え、と……ファミレス?」
「駅前の?」
「あ、うん」

バイト早く終わったから、晩ごはん食べようと思って。
お母さん、今日遅くなるらしいから、外食で。
自分の口から出てきた言葉の全てが、言い訳めいているような気がした。
なぜか心臓はどくどくと早く大きく脈打っていて、雅はぐっと拳を握りしめる。

「ふーん、そうなんだ」
「な……?!」

ありえない方向から聞こえた声に、今度こそ本当に携帯は手からすり抜けた。

「……ど、うして、ここに」
「通りがかったら、みやっぽい人が見えたから?」
「え、あ……そう」

千奈美と雅が通されたのは、確かに窓際で通行人からも見える可能性の高い席だった。
けれど、こんな偶然ってあるだろうか——現にあるから桃子は雅の前に立っているのだけれど。

「ごめん。邪魔しちゃって」
「へ?」
「友達。一緒だったでしょ?」
「あ。あー……うん」

自分でも笑ってしまいたくなるほど間抜けな返答。
何も悪いことなんてしてないはずなのに、どうして居心地の悪さを覚えるのだろう。

「でも、もう、その。出るとこだった、し」
「そっか」

桃子と目が合わせられなくて、視線は自然と下に落ちた。
そんな雅の視界に入ってくる桃子の影。固まったままそれを見つめていると、桃子が携帯を拾ってくれるのが見えた。

「あ、りがと」

ふらりと泳ぎかけた視線は、かちりと音を立てて捕らえられる。
それは今までに見たことがないような色をしていて、雅はどきりとした。

「途中まで、一緒に帰ってもいい?」
「あ……うん」

荷物取ってくるね、と何とか答えて、雅は再び店内へ。
軽く事情を説明すると、利子は高くつくからね、なんて笑われた。
後でいくら請求されるのかが怖くもあるが、今はそうも言っていられない。

547 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/03/03(金) 03:48:58.54 0

「おまたせ」

いつも通りに、と心の中で幾度も幾度も唱えながら桃子と並んで歩く。
こんな風に2人きりで歩くのはいつぶりだろう。
そう意識した途端、きゅっと体の中心が強張ったような感覚を覚えた。

「最近、忙しそうだね」
「ま、まあね。バイトいっぱい入れてるから」
「……でも、徳永さんとはご飯行く時間はあるの?」
「え?」

続く沈黙が途切れてほっとしたのも束の間。
桃子が言ったそれは、独り言だったのだろうか。

「……なんでもない」

聞き返されたことには答えず、話はここで終わりだと扉が閉ざされる。
そろそろ分かれ道が迫っていたが、このままでは終われないと声がした。

「ももっ!」

突然声を上げた雅に驚いたのか、桃子の体がわずかに跳ねる。
それに構わず、雅は言葉を続けた。

「駅まで、一緒に行ってもいい?」
「いい、けど」
「……けど?」

何かを逡巡するように、桃子の手が握られては開かれて。
やがて、無言で差し出されたそれの意図を汲み取るのに、数秒かかった。
まさか、でも、そういうこと?
おずおずとそこに手を重ねると、桃子の指先はぎこちなく閉じられた。
幼稚園児がするような、拙くて幼い握り方。
それが、今の精一杯。
触れた場所が脈打つ速度は思いのほか早く、桃子の緊張がそのまま伝わってきたようだった。

——あ、抱きしめたい。

せり上がってくる欲求を、ぐっと抑え込んで雅は桃子の横に並ぶ。
それからは、会話らしい会話もないまま黙々と歩き続けた。
つながった場所から運ばれてくるリズムだけで、十分だった。

——付き合ってください。
その一言はついに形にできないまま、2人は駅前までたどり着いてしまった。

「じゃあ、また明日」
「うん。またね」

当たり障りのない言葉は簡単に出てくるのに。
小さく手を振った後、桃子の背中が改札の向こうへと消えていく。
それをゆるりと見送って、雅は両手で頭を抱えた。

本番まで、あと2日。


707 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/03/04(土) 23:55:46.13 0

翌日、アラームに揺り起こされた雅の頭は、一通のメールで一気に覚醒した。
内容はあくまでもあっさりとしたもので、今日の練習の後にバイトはあるのかという問いのみ。
差出人は、嗣永桃子。
まさか、向こうからアクションがあるなんて思いもしなかった。
シフトは入っていないが、だとすれば桃子が期待していることは何だろう。
昨晩の記憶が蘇って、かっと体温が上がった気がした。
期待してもいいのだろうか? いや、何を?
もやもやとした思いを抱えたまま、ギターケースを背負い込む。
ほのかな緊張を覚えながら、簡単に返信をして家を出た。


今日が、本番前の最後の練習。
そう思うと、自ずと姿勢はまっすぐになった。

「おはよー」

防音扉を開けると、先に来ていた桃子と愛理が手を挙げる。

「おはよ、みや」
「おはよう」

挨拶もそこそこに、練習は開始された。
確認の意味で通し練習、細かい部分の修正、そしてまた通して最後まで。
皆の音を重ね合わせて、一つのものを作り上げていく。
その快感は、何にも代えることのできない感覚だった。
喉の方も絶好調だし、指も思い通り滑らかに動く。
おかげで、爽やかな気持ちのまま練習を終えることができた。
持ち物や衣装の確認をして、挨拶など簡単な段取りの最終チェック。
細かなことがはっきりとしてくるにつれ、明日が本番なのだという実感は増していった。
3人で納得いくまで話を詰め、心地よい充実感と共に練習は幕を閉じる。
皆で一緒に帰るのかと思いきや、スタジオを出たところで愛理がついと足を止めた。

「今日寄ってくとこあって」

こっち、と愛理が指さすのはいつもと違う道だった。

「じゃあね」
「明日、がんばろ」
「うん」

嬉しげに大きく手を振って、くるりと踵を返す愛理を見送って。

708 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/03/04(土) 23:56:07.33 0

不意に、2人きりが襲ってきた。
すうっと冷えていく指先。

「あ、明日、楽しみだね」
「うん」

沈黙が重みを増す前にと、話題を探して頭がフル回転する。
何となく桃子の方を向けなくて、雅は背後に桃子の声を聞きながら足を進めた。

「お客さん、どのくらいいるかな」
「さあ……」

放り投げた言葉は、簡単な動作で返ってくる。
その度に、次はどう投げたものか悩まなければならなかった。

「他のバンドの演奏もさ、——」

言いかけて、ようやく背中に触れる空気の冷たさに気がついた。
そこで初めて、雅はゆっくりと振り返った。
距離にして、四、五歩の場所。
そこで立ち止まったまま、俯いた桃子の姿が目に映る。

「……もも?」

調子でも悪いのだろうか。
痛いところでもあるのだろうか。
不意に2人で出かけた日のことを思い出して、嫌な予感が頭をかすめた。

「もも、どうしたの」

二歩、三歩。
雅の声が聞こえてないわけではないだろうに、反応はない。
そんな桃子の様子に不安を覚えて、もう一歩、距離を詰めた。
両肩に手を添えたのは自然な気持ちから。

「も、」

709 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/03/04(土) 23:56:25.48 0

そのまま顔を覗き込もうとしたところで、手の甲に触れた桃子の両手に雅は動きを止めた。
伝わる体温は思ったよりも熱く、冷えていた指先がじんわりと解かれる。
何だろう、この状況は。
戸惑いを覚える一方で、どこか浮かれている自分がいた。

「……あの、もも?」

桃子は相変わらず何も言わないままだったが、少しだけ指先の熱が増して。
しばらくこのままでいるのが良い、そう直感して雅は口をつぐむ。
その間にも、少しずつ早まっていく鼓動。
それを10数えたところで、雅はゆっくり脈5回分くらいの時間をかけて息を吐いた。
ゆっくり、ゆっくり。何かあったらすぐに止められるように。
そうやって体を屈めていきながら、そっと桃子の横顔を伺う。
流れる黒髪の間から見え隠れする頬は、これ以上ないほど朱に染まっていた。
それを目にした瞬間、雅はごくりと唾を呑み込んでいた。

「……もも」

——嫌だったら、突き飛ばして。

そんな言葉が自然と口から滑り落ちていた。
ずるい言い方。
突き動かされるままに両手を桃子の背中へと回して、素早くその小さな体を腕の中に収める。
桃子の体は雅の思っていたよりもずっと小柄で、その小ささがとてつもなく愛おしく感じた。
鼻先をくすぐる甘い香りに、ぐらりと揺らぐ自分をどうにか支える。
おずおずと、けれど、しっかりと。
桃子の手のひらの感触が背中に与えられて、うっかり何かが溢れそうになった。

「……みや、すごい、ドクドクいってる」
「当たり前、じゃん」

自分の鼓動が、直接桃子に聞かれている。
剥き出しの自分に触れられたような感覚で、それは少し気恥ずかしくて。
けれど、一方でなぜか心地よさを覚える自分もいた。
そうだ、桃子に触れて、どきどきしないことなんてないんだから。

「みや」
「うん?」

桃子の声が、腕の中に響く。

「明日、がんばろうね」
「……うん」

雅が頷くと、返事の代わりなのか回された腕にきゅっと力が込められて。
それから、ゆっくりと桃子の熱が離れていく。
名残惜しさを覚えながら、雅もゆるりと腕の力を抜いた。

「ありがと」
「……あ、うん」

帰ろ、と小さくつぶやかれて、今度は昨日よりもずっとすんなりと2人の手は合わさった。


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