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doraemon19731979 2026年09月10日(木) 16:56:54履歴
『すてきな出逢い8時半』(すてきなであいはちじはん)は、1983年5月7日から2001年9月29日まで、毎日放送の制作により、NETテレビ系列で土曜日の朝に生放送されていたワイドショー・情報番組である。
『八木治郎ショー』の司会者だった八木治郎が、1983年4月18日に出張先の福岡市で急逝。同年5月7日放送分からタイトルを本タイトルに変更して再スタートを切った。八木が亡くなる3週間前からアシスタントを務めていたうつみ宮土理と『八木治郎ショー』放送開始からレギュラー出演していた野村啓司(当時MBSアナウンサー)は引き続き出演。同年8月6日放送分から司会は立川清登に引き継がれオール阪神・巨人のほかに月亭八方、今いくよ・くるよらもこの時代からレギュラーとして出演、毎回数組のタレント・著名人を迎えてのトークコーナーと料理のミニコーナー、そしてエンディングは出演者全員で「朝食会」で構成されていた。
ところが1985年の大晦日に司会の立川も急逝、翌1986年1月からはうつみが正式に司会者となり、同年10月からは第14回参議院議員通常選挙に当選したばかりの西川きよしも司会に加わった。きよしは司会就任以前から同じMBSのラジオ『ありがとう浜村淳です土曜日です』のコーナー出演者であったため、スタジオ入りのスケジュールを確保するのは容易であった。この頃から「芸能色」が強くなり、10%程度の安定した視聴率を維持していた。また、その時期には番組での出演者の発言が放送翌日のスポーツ新聞の芸能面で取り扱われることもあった。
1996年3月末を以って『八木治郎ショー』時代からアシスタントを務めた野村が降板し、同年4月からは同じくMBSアナウンサーの西靖にバトンタッチ。西はそれまで番組内で放送されていた江崎グリコの生コマーシャルに出演していた。
更に、1998年6月に長年にわたり司会・レギュラーを務めたきよしが3度目の参議院選挙出馬を機に降板、同年10月改編では渡辺正行を司会陣に起用。次の1999年4月改編では八方に代わりトミーズ雅らをレギュラーに加えるという大刷新が図られる。
また、次回のゲスト紹介に関しては野村が担当し、後任の西も担当していたが、1998年10月より司会を務めるようになってからは渡辺が担当した。
1990年9月に毎日放送が茶屋町の現社屋へ移転し、多くの番組が茶屋町からの放送となった後も本番組は諸々の事情から千里丘にスタジオを置いたまま放送を続けていた。2001年3月、MBSスタジオ in USJが完成。3月31日の本番組の生放送がこけら落としとなるのに合わせて全面リニューアルを行った。峰竜太を司会陣に迎え、WAHAHA本舗出身の柴田理恵や吉本新喜劇の辻本茂雄をレギュラーに加えたものの、MBSは最後まで従来からの芸能人をゲストとするトーク中心の基本姿勢を崩さなかった。また、同年4月14日から当番組の後に『せやねん!?』が放送開始した為、トミーズ雅は降板。同時に西アナウンサーも降板となる。
最終的に毎日放送社長(当時)の柳瀬璋は打ち切りを決断。2001年9月29日放送分で『ウィークエンドモーニングショー』から通算35年6か月、『八木治郎ショー』からでも31年9ヶ月続いた番組シリーズはその歴史の幕を閉じた。
最終回はビートたけしがゲストで登場。また、最終回の前の回(同年9月22日放送)には、生放送の有無に関わらず、東京制作を含む全国ネットの番組には原則出演しないやしきたかじんがゲスト出演した。
2001年3月まで使用されていた番組のオープニングテーマ曲はCD「ブロードキャスト・トラックス 毎日放送編」に収録されている。
ところが1985年の大晦日に司会の立川も急逝、翌1986年1月からはうつみが正式に司会者となり、同年10月からは第14回参議院議員通常選挙に当選したばかりの西川きよしも司会に加わった。きよしは司会就任以前から同じMBSのラジオ『ありがとう浜村淳です土曜日です』のコーナー出演者であったため、スタジオ入りのスケジュールを確保するのは容易であった。この頃から「芸能色」が強くなり、10%程度の安定した視聴率を維持していた。また、その時期には番組での出演者の発言が放送翌日のスポーツ新聞の芸能面で取り扱われることもあった。
1996年3月末を以って『八木治郎ショー』時代からアシスタントを務めた野村が降板し、同年4月からは同じくMBSアナウンサーの西靖にバトンタッチ。西はそれまで番組内で放送されていた江崎グリコの生コマーシャルに出演していた。
更に、1998年6月に長年にわたり司会・レギュラーを務めたきよしが3度目の参議院選挙出馬を機に降板、同年10月改編では渡辺正行を司会陣に起用。次の1999年4月改編では八方に代わりトミーズ雅らをレギュラーに加えるという大刷新が図られる。
また、次回のゲスト紹介に関しては野村が担当し、後任の西も担当していたが、1998年10月より司会を務めるようになってからは渡辺が担当した。
1990年9月に毎日放送が茶屋町の現社屋へ移転し、多くの番組が茶屋町からの放送となった後も本番組は諸々の事情から千里丘にスタジオを置いたまま放送を続けていた。2001年3月、MBSスタジオ in USJが完成。3月31日の本番組の生放送がこけら落としとなるのに合わせて全面リニューアルを行った。峰竜太を司会陣に迎え、WAHAHA本舗出身の柴田理恵や吉本新喜劇の辻本茂雄をレギュラーに加えたものの、MBSは最後まで従来からの芸能人をゲストとするトーク中心の基本姿勢を崩さなかった。また、同年4月14日から当番組の後に『せやねん!?』が放送開始した為、トミーズ雅は降板。同時に西アナウンサーも降板となる。
最終的に毎日放送社長(当時)の柳瀬璋は打ち切りを決断。2001年9月29日放送分で『ウィークエンドモーニングショー』から通算35年6か月、『八木治郎ショー』からでも31年9ヶ月続いた番組シリーズはその歴史の幕を閉じた。
最終回はビートたけしがゲストで登場。また、最終回の前の回(同年9月22日放送)には、生放送の有無に関わらず、東京制作を含む全国ネットの番組には原則出演しないやしきたかじんがゲスト出演した。
2001年3月まで使用されていた番組のオープニングテーマ曲はCD「ブロードキャスト・トラックス 毎日放送編」に収録されている。
| 放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 近畿広域圏 | 毎日放送(MBS) | NETテレビ系列 | 制作局 |
| 北海道 | 北海道テレビ(HTB) | ||
| 青森県 | 青森放送(RAB) | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 | |
| 宮城県 | 東日本放送(KHB) | NETテレビ系列 | |
| 秋田県 | 秋田放送(ABS) | 日本テレビ系列 | |
| 山形県 | 山形放送(YBC) | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 | |
| 福島県 | 福島放送(KFB) | NETテレビ系列 | |
| 関東広域圏 | NETテレビ(NET) | ||
| 山梨県 | 山梨放送(YBS) | 日本テレビ系列 | |
| 新潟県 | 新潟総合テレビ(NST) | フジテレビ系列 NETテレビ系列 | 1983年9月まで |
| 新潟テレビ21(NT21) | NETテレビ系列 | 1983年10月開局から | |
| 長野県 | テレビ信州(TSB) | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 | 1989年9月まで |
| 長野テレビ(NTK) | NETテレビ系列 | 1989年10月開局から | |
| 静岡県 | 静岡けんみんテレビ(SKT) | ||
| 富山県 | 北日本放送(KNB) | 日本テレビ系列 | |
| 石川県 | 北陸放送(MRO) | TBS系列 | |
| 福井県 | 福井放送(FBC) | 日本テレビ系列 | |
| 中京広域圏 | 名古屋テレビ(NBN) | NETテレビ系列 | |
| 鳥取県 島根県 | 日本海テレビ(NKT) | 日本テレビ系列 | |
| 広島県 | 広島ホームテレビ(UHT→HOME) | NETテレビ系列 | |
| 山口県 | 山口放送(KRY) | 日本テレビ系列 NETテレビ系列 | |
| 徳島県 | 四国放送(JRT) | 日本テレビ系列 | |
| 香川県 岡山県 | 瀬戸内海放送(KSB) | NETテレビ系列 | |
| 愛媛県 | 南海放送(RNB) | 日本テレビ系列 | |
| 高知県 | 高知放送(RKC) | ||
| 福岡県 | 九州朝日放送(KBC) | NETテレビ系列 | |
| 熊本県 | 熊本放送(RKK) | TBS系列 | 1989年9月まで |
| 熊本文化放送(KCC) | NETテレビ系列 | 1989年10月開局から | |
| 大分県 | 大分放送(OBS) | TBS系列 | |
| 宮崎県 | 宮崎放送(MRT) | ||
| 鹿児島県 | 鹿児島放送(KKB) | NETテレビ系列 |
- 1986年1月4日、前年(1985年)の大晦日に急逝した2代目司会者の立川清登を偲んで、番組内容を変更して立川の追悼特番を放送した。
- 1989年6月24日、番組内容を大幅に変更し、全編この日未明に急逝した美空ひばりの追悼特番を放送した。

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