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『パネルクイズ アタック25』(パネルクイズ アタックにじゅうご、英語表記:PANEL QUIZ ATTACK 25)は、1975年(昭和50年)4月6日から、毎日放送→MBSやジャパネットブロードキャスティング(BSJapanext→ BS10)の制作により毎週日曜日の午後に放送されている視聴者参加型クイズ番組である。
番組開始当初から長年にわたりNET系列で放送、2021年(令和3年)9月26日に46年半の歴史に(地上波では)一度幕を閉じたが、半年の休止期間を経て、2022年(令和4年)3月27日からジャパネットブロードキャスティングと毎日放送(MBS)の共同制作により、BSJapanext→BS10で『パネルクイズ アタック25 Next』(パネルクイズ アタックにじゅうご ネクスト、以下「Next」)として放送されている。一般にはただ単に「アタック25」、または「アタック」と呼ばれることが多く、新聞番組表でも地上波時代末期は「アタック」とだけクレジットされる場合が多かった。
昭和、平成、令和の3世代を跨いで放送されている数少ないクイズ番組の一つである。



概要

2021年9月の地上波放送終了時点ではNET系列フルネット14局(同時ネット)での全国ネット放送であった。
番組開始当初は14:00からの25分番組で、
この番組の生みの親である堤章三は、同局の『アップダウンクイズ』の生みの親でもあり、構成を長く務めていた。放送開始から18年間にわたって構成を務め、監修へ移行した後に2008年末に番組を降板した。1993年からは、上方演芸放送作家の高見孔二が構成を担当。
テーマソングおよびBGMは、朝日放送(ABCテレビ)の『霊感ヤマカン第六感』やNETテレビ『クイズタイムショック』などを担当した山下毅雄。山下自身による掛け声の「アタック!」コールと口笛の音を担当する番組のテーマソングと海外旅行チャレンジVTRクイズ出題中に流れる曲(『フライト・トゥ・パリ』)は、発売されたCDに収録されている。BGMは開始当初から全く変わっていなかったが、シンキングタイムの音楽、トップ賞のファンファーレ以外のBGMについては、2015年4月5日の放送分以降メロディーをそのまま生かしながらシンセサイザー風にアレンジされ、ステレオ収録されたものになった。


歴史

地上波時代


地上波時代の番組開始当初より2001年3月まで、収録が行われていた毎日放送千里丘放送センター

2001年4月から2014年3月まで、収録が行われていたMBSスタジオ in USJ

2014年4月から地上波時代終了までに番組の収録が行われていたMBS本社(大阪・茶屋町)
  • この番組が誕生する1年前の1974年4月7日 - 1975年3月30日、同じく児玉が司会をした視聴者参加クイズ番組『東リクイズ・イエス・ノー』→『5人抜きQ(クイズ)・イエス・ノー』が東洋リノリユーム(現在の東リ)の一社提供の下、毎日放送制作でNET系列にて放送されたが、視聴率低迷を理由に終了した。しかし、東リ側が児玉司会による自社提供の番組を継続して制作・放送することを熱望したため、1975年4月にこの番組が誕生。なお、児玉は2011年2月19日の日刊スポーツ(大阪版)のインタビューで『アタック25』への思いを語った際に、当時の経緯を振り返り、「前の番組(『 - イエス・ノー』)で成果を挙げていないのに、またというのは失礼ですから」と司会続投に難色を示し、オファーを何度も断っていたことを明かした。しかし、東リの意向や『 - イエス・ノー』での児玉の司会ぶりを評価していた毎日放送の粘り強い説得もあって結局オファーを承諾し、2011年4月まで36年間(『 - イエス・ノー』時代も含めると37年間)にわたり司会を務めた。
  • 放送開始にあたっては、毎日放送のスタッフの一人が、子供にオセロゲームを購入したことを思い出し、「このオセロゲームを使ったテレビ番組はどうだろう」と言ったことがこの企画が生まれる発端であった。次に放送時間内にクイズを答えてすべてのパネルが埋まり、最も多くのパネルを獲得した解答者が、海外旅行を賭けたクイズに挑戦すると仮定した場合、パネルの数は何枚が良いのかを試行錯誤の末に出した結論が25枚であった。また、企画段階では最終的に獲得したの数とは別に、クイズの正解数に応じて賞金を出すという案もあったが、あくまで「パネルの数」がこの番組の最大の売りとしてプロデューサーが一蹴した。さらに、使用するパネルには赤・緑・白・青の各色を使うが、当時はまだ一般家庭の一部に白黒テレビが残っていたことを理由に、この企画には社内やスポンサーから難色を示す声も挙がった。しかし、プロデューサーは「将来テレビはすべてカラーになる」と説得して回って実現させた。
  • 第1回放送(1975年4月6日)当日の新聞番組表のうち、朝日新聞東京本社・毎日新聞東京本社版のNETテレビの番組欄では「ペネルクイズアタック25」、さらに山陽新聞の瀬戸内海放送の番組欄では提供スポンサーの「東リ」とすべきところを「トリオパネルクイズ」、さらにその隣のテレビ岡山の番組欄もカタカナで「トオリパネルクイズ」と誤植されてしまった。
  • 1992年9月27日までは、毎日放送制作全国ネット番組の中で唯一、毎日放送制作枠の15秒番組宣伝枠がなかったが、翌10月4日から放送開始。同時に台形をモチーフにした初代番組ロゴを一新し、2代目ロゴになる。
  • 1997年4月の時点で同局の『アップダウンクイズ』(1963年10月6日 - 1985年10月6日)、NHK『連想ゲーム』(1969年4月5日 - 1991年3月20日)の22年を抜き、全国ネットクイズ番組の長寿新記録を達成した。また、それまでの地方ローカル番組を含めた最長寿記録は、CBC『天才クイズ』の37年2か月(1967年7月26日 - 2004年9月25日)であったが、当番組は2012年6月以降も継続したことで、クイズ番組最長寿の完全新記録達成となった。
  • 視聴者参加型クイズ番組が減少する傾向の中で民放局が全国ネット向けにレギュラーで編成している視聴者参加型クイズ番組は、2021年9月の地上波時代最終回時点で当番組とフジテレビ『超逆境クイズバトル!! 99人の壁』だけになっていた。2022年には日本テレビ『クイズ!あなたは小学5年生より賢いの?』に視聴者の参加が可能になったが2024年9月にレギュラー放送は終了、今後は特番になることから視聴者参加型は当番組のみになった。
  • 1996年7月から1999年3月まで、オープニングのテーマソングがサラウンドで放送された。2003年4月6日から字幕放送を開始。2005年4月3日からハイビジョン化され、2006年4月9日よりモノラル制作(モノステレオ放送)からステレオ制作(フルステレオ放送)に変わった。2010年6月6日よりアナログ放送ではレターボックス放送となった。

児玉の死去から地上波時代の終了まで

  • 2011年4月17日(第1796回)放送分以降、児玉が肝機能障害により当分の間検査入院・治療に専念することを表明し、児玉休養中は毎日放送アナウンサーの上泉雄一が代理総合司会を担当することになったが、児玉は同年5月16日に胃癌のため復帰叶わず77歳で死去。翌17日より、MBS公式サイトに哀悼のコメントが掲載された。これに伴い、上泉が同年5月29日(第1802回)放送分より代理総合司会から正式に2代目総合司会を担当することが決まり、「児玉さんに対し、恥ずかしくない司会をやっていきたい」と決意を新たにした。また、上泉は病床の児玉から「上泉君なりのアタック25を遣って貰って良いよ」と激励とアドバイスが贈られた事を明かしている。このため、2011年5月29日放送分の冒頭では、上泉がパネルボードをバックに改めて児玉死去の旨を伝えている(本来は同年5月22日に放送予定だった)。
  • 2012年4月1日(第1842回)放送分より、上泉が総合司会に就任して初の大幅なリニューアルとなった。スタジオセットが4年ぶりに一新されたが、180インチの大型液晶パネルを備えた近未来的なものとなり、さらに問題もビジュアルものを増やすなどで大幅なリニューアルが施されている。なお、番組当初から使用していたパネルボードは番組上では映ることはないが、出場者がパネルの戦況を確認する際に引き続き使用された。
  • 2014年4月6日(第1944回)放送分より、松川が産前産後休暇を終え9代目出題者として復帰。
  • 2015年3月29日(第1984回)放送分をもって、上泉が当番組を降板。同年4月5日(第1985回)から放送開始40周年に伴うリニューアルの一環として、児玉と親交が深かった谷原章介が3代目総合司会に就任。なお、基本的なルールはそのままに、タイトルロゴ・スタジオセット・一部BGMなどをリニューアル、早押しとパネル獲得のSEの余韻が短縮されたほか、22年ぶりにロゴが一新され(「パネルクイズ」が英文字になったが、「25」の文字は変更されていない。また、2015年は番組放送開始40周年に当たることから、タイトルロゴの下に「40TH ANNVERSARY」と記され、2020年も45周年を迎え、現行タイトルロゴに「45TH ANNIVERSARY」の文字が加わった)、3代目のロゴになった。
  • 2021年6月24日に、9月末で放送を終了することが一部で報道。制作局の毎日放送も、同年9月26日で当番組を終了することを、7月2日付で正式に発表した。
  • NET系列の2021年秋改編に関するスポーツニッポンの6月24日付記事では、放送終了の決定に至った背景として、一時は20%を超えていた当番組の世帯視聴率が近年は5% - 6%台で推移していたことや、民放業界全体が当番組のメインターゲットより若い世代の視聴者の獲得に向けた番組の制作へ移行していることを指摘。その一方で、6月24日付のサンケイスポーツに掲載された記事では、レギュラー放送の終了後に特別番組として復活する可能性にも触れていた。
  • 以上の報道に対して、就任したばかりだった毎日放送社長の虫明洋一は、2021年7月30日の夏季定例社長会見で終了の理由に言及。「25枚のパネルと装置も含めて新たなクイズ番組を開発した。ずっと続いたことはみなさんからの支持があったからこそです。ファミリーで楽しんでいただく一定の役割を終えたかなと思います」と述べるとともに、「クイズ番組の草分け的存在として46年にわたり、ご愛顧いただきました。この場を借りて御礼を申し上げます」と視聴者への謝意を示した。その上で、「あの時間帯(日曜午後)での放送はなくなりますが、テレビではない、地上波ではない展開があるかもしれない」「テレビの番組となると時間など制約がありますし、そういうのを取っ払って、ルールも含めて違う発展形があるんじゃないかと現場で話している段階です」として、当番組の系譜をつなぐクイズ企画を地上波以外の場で復活させることを示唆したが、この時点では後述する衛星放送の復活は視野に入れていなかった。
  • 番組終了にあたって、児玉司会時代にAD→プロデューサーを務めた藪内広之は「さみしいと残念という感想です。番組作りのイロハを教えてもらった」としており、また番組末期までプロデューサーを務めた和田祐介は「残念の一言ですね。クイズ番組として完成形なので、もったいない気持ちはありますね」と、番組への思いを語った。また、長寿番組へと成長した理由については、クイズのルールを一貫したことを挙げ、和田は「クイズが強ければ勝てるものでもなく、パネルの数で勝負が決まるので、3問しか答えられなくても優勝した人もいた。必ずしも強豪が勝つとは限らない面白さ、シナリオの分からない面白さが支持された」と分析、藪内は枠組みを変えなかったことも挙げ「どうしても新しいプロデューサー、ディレクターがつくと、とかく番組を変えたがる傾向があるが(アタック25は)それをやらなかった。ルールの根幹を変えずにやってきて、46年(6か月)続いた」と語った。さらに藪内は児玉の存在が何より大きかったことも挙げている。
  • 2021年9月26日(第2280回)放送分の地上波時代の最終回では「史上最強のチャンピオン決定戦」と銘打って、放送時間を30分後拡大(12:55 - 13:55)した1時間スペシャルとして放送。過去のトップ賞獲得者のみを対象に、東日本・西日本の両ブロックで開催された予選会で、歴代最高難度のクイズを勝ち抜いた総勢12名の「チャンピオン」(ブロックごとに6名ずつ選出)が、予選(ブロック別の早押しクイズ)・決勝(通常のルールに沿ったパネルクイズ)の2ラウンド制で「史上最強のチャンピオン」の座を争った(後述)。また、最終回放送翌日の9月27日には、平日夕方の関西地区向け報道ワイド番組『よんチャンTV』で、当番組最終回の裏側に密着した特集企画が放送され、当日夜にMBS報道情報局の公式ユーチューブチャンネルにも、この特集の動画がアップされた。
  • なお、毎日放送では当番組の地上波放送終了を機に、『がっちり買いまショウ』以来62年間続いた日曜昼の全国ネット番組の制作からも完全撤退。終了後最初(2021年10月)の改編からは、単発枠『サンデープレゼント』が30分繰り上がった。

出演者

太字は毎日放送→MBSアナウンサー(元職を含む)。
『パネルクイズ アタック25』歴代出演者一覧
期間総合司会出題アシスタント
1975年4月6日 - 1976年3月28日児玉清あかはゆき浅井環
1976年4月4日 - 1980年3月30日佐藤良子
1980年4月6日 - 1981年3月29日相沢純子森昌美
1981年4月5日 - 1984年7月29日平井悦子
1984年8月5日 - 1985年3月31日豊島美雪
1985年4月7日 - 1985年5月19日伊藤美加
1985年5月26日 - 1993年9月26日(廃止)
1993年10月3日 - 1999年3月28日相馬宏美
1999年4月4日 - 2009年3月29日沢木美佳子
2009年4月5日 - 2011年4月10日松川浩子
2011年4月17日 - 2012年9月29日上泉雄一
2012年10月6日 - 2014年3月30日西村麻子
2014年4月6日 - 2015年3月29日松川浩子
2015年4月5日 - 2021年9月26日谷原章介

ルール

  • 4人の参加者が、赤 (■)・緑 (■)・白 (■)・青 (■)の4色に分かれて戦う。なお、各色の回答ボタンを押した際の音と、パネルにその色が点灯する際の音は、赤→緑→白→青と席が右側に移るにつれて高い音になっている。
  • 早押し問題が出題される。解答者がボタンを押したところで問題の読上げが止まり、司会が解答者を指す。通常は「赤!」という風に、色の名前を呼ぶが、チャンピオン大会の予選では「○○さん」と名前で、さらに同じ名字が複数いる場合には、「○○県の○○さん」などと言って指す。解答者が解答したのちに、司会者が問題文の残りを読み上げて、正解を確認する。
  • 正解者は下の図のようなボード上の1から25までの数字が書かれたパネルのうち1枚を獲得できる。その後、色が下に記したルールに従って変わっていく。入れるパネルの番号は正解した解答者がコールする。パネルの入れ直しはできない。最終的に、自分の色のパネルの枚数を競う。解答者のスコアはパネルの獲得枚数で決めるため、「○点」とは言わず、「○枚」と言う。クイズの正解数は勝敗に関係せず、パネルの取り方に戦略性が求められる。
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  • 最初の正解者は、必ず13番のパネルを獲得する。13番のコールは司会者が行う。1985年の一時期は1番から25番までがランダムに光るパネルを解答ボタンで押して止めて最初のパネルの場所を決めていたが、数回で廃止された。その際流れるBGMは、その後フラッシュオンクイズで再利用された。
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  • 2問目以降の正解者は、下記の優先順位に従ってパネルを1つ指定し、そこを自分の色にする。そこから、司会者は「さあ、○(色)の○○さん、何番!?」と聞く。
    • 自分の色のパネルで他の参加者の色のパネルを縦・横・斜めのいずれかの方向に挟める場合、そのようなパネルの中から指定する。挟まれた部分に複数の参加者の色が混在してもよい。挟まれたパネルは、オセロゲームの要領で、全て解答者の色に変わる。
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      • (白が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルの中から指定できる。10番のパネルを指定すると、14番の青が白に変わる)
    • 自分の色で挟めない場合、次の問題に正解したときに挟めるようになるパネルを指定する。
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      • (緑が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルの中から指定できる。例えば、5番を指定すると、次に正解して3番を指定すれば、4番を挟むことができる)
    • それでも指定できない場合、参加者の色がついているパネルに縦・横・斜めいずれかで接しているパネルの中から指定する。
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      • (赤が正解の場合、黄色の枠で囲まれたパネルが指定できる)

アタックチャンス

  • 番組の放送枠が30分となった1975年10月5日(第27回)放送分より新設された特別問題であり、その後にコーナーが定着した。当初は1回限りで、スルーまたは不正解だった場合は失効(その回のアタックチャンスは無し)となっていたが、後に正解者が出るまで問題を変えて続ける方式に改められた。
  • 残りのパネルが5枚になったところで鐘(チャイム)が鳴り、『アタックチャンス』問題に突入。アタックチャンスの問題で正解した解答者は通常通りパネルを1枚指定して獲得した後、既に点灯しているパネルの内、消したいパネル(「アタックチャンスの狙い目」と呼ばれる)を1枚指定する。元の色で点滅したあとに「■黄」のパネルに変わる。開始当初は黄色にはならず、点滅後そのパネルが消灯するだけだった。長らく「アタックチャンスの狙い目」表示は黄色だったが、2016年1月17日放送分より狙われたパネルの内側に黄色の枠が点滅した後パネルが消灯し、枠のみが表示される方式に変わった。そのため、狙い目になったパネルは「黄色に変わる」→「消える」と表現するようになった。
  • アタックチャンスの問題では司会者は通常パネル獲得時に「まずは何番?」と聞きパネルを取らせ、続けて「そして、アタックチャンスの狙い目は?」と聞いて消すパネルを指定させる。
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(22番に青が入って、アタックチャンスの狙い目として25番を指定)
    • アタックチャンスの狙い目に指定されたパネルは、誰も獲得していないパネルと同じ扱いになる。他人の色のパネルは勿論、自分の色のパネルでも指定できる。
  • アタックチャンスの狙い目を指定する前に21枚のパネル全てが自分の色になっている状態でも、必ず自分のパネルを1枚指定しなくてはならない。ただし、過去に一度だけアタックチャンスの狙い目指定の放棄を認めた例がある。
  • 大抵の回は角のパネルが指定されるが、配置によっては他の位置のパネルが狙い目に指定されることもある。13番に狙い目を指定することはめったにないが、これまで4回指定された。
  • またアタックチャンス直前、出題中の場面にはパネルボードが表示される。1995年9月までは、スタジオのパネルを画面上部に表示し、10月からCG表示に切り替わった。2012年4月からはパネルがモニターでの表示により、アタックチャンス直前以外にも常に表示されている。
  • 谷原が司会になってからは、チャイムが鳴った後、解答者と会話のやりとりを行う。さらに『Next』になってからは、『アタックチャンス前ヒソヒソトーク』として、解答者一人一人をカメラの前に立たせて、他の出場者には聞こえない形でスタッフによるインタビューを行い、それまでの戦いにおいての感想や、アタックチャンスで正解すればどの様にパネルを取ってアタックチャンスの狙い目をどこにするかを聞くようになった。司会者が残り6枚で「あと1問でアタックチャンスになる可能性があります」と予告し、アタックチャンス問題になったときは司会者は「大事な大事な、アタックチャンス!」などとコールをする。
  • 1996年6月以前のアタックチャンスのアタック音は、旅行を賭けた問題に不正解だった時に流れる音の出だしの部分を加工して使用していた。また、当初の番組タイトルのロゴに倣った「アタックチャンス」と書かれた台形ロゴは、タイトルロゴが2代目に変更された後も2000年7月9日まで使用されていた。
  • 2009年4月から出題中には画面の右下に「アタックチャンス」と表示されるようになった。2012年4月から右上に表示されている。
  • アタックチャンスのパネル選択時は、放送開始当初から1995年9月までと2009年4月以降、スタジオに設置しているパネルボードを映して行われていた。

クイズの種類

過去

パーソナルクイズ
1992年9月まで。解答者の趣味や職業などのプロフィールにまつわる問題が出題されるが、お立ちでない全員に解答権がある。
オープニングクイズから3問出題後に行われる形式で、赤から席の順に4人の解答者に関するエピソードの関連問題を1問ずつ計4問出題。当初は司会者が解答者のプロフィールを短く一言で紹介してから出題していたが、後に司会者が解答者にインタビューをして会話のやりとりがなされた後に出題するようになった。なお、年間チャンピオン大会ではパーソナルクイズに代わり、解答者がそれぞれトップ賞をとった回のフィルムクイズの答えの関連エピソードから出題した。
初期は、各解答者の生年月日の毎日新聞に載ったニュースから出題するクイズだった。

特別企画

1975年7月27日(第17回)放送分の山口崇、荒木茂、小川真由美、岡田茉莉子を迎えたゲスト特集で、荒木が優勝している。このときのバックセットは観客席ではなく解答者の席の色に沿ったスパンコールだった。また出演者は全員が初代のタイトルロゴを書いた丸いワッペンをつけていた。このとき荒木は当時出演していた『仮面ライダーストロンガー』の変身ポーズも披露し、スタジオには仮面ライダーストロンガーも応援に駆けつけた。
2015年7月19日放送分では、放送回数が2000回を迎えることを記念して『番組対抗芸能人大会』が行われ、毎日放送制作の全国ネット番組から『世界の日本人妻は見た!』の爆笑問題、『サタデープラス』の小堺一機と小島瑠璃子、『ペットの王国 ワンだランド』の関根勤と篠田麻里子、『林先生が驚く初耳学!』の林修と大政絢が出場。芸能人大会は2007年9月2日放送分以来約8年ぶり。優勝は林・大政チーム。

番組出場

一度本選に出場すると、3年間(地上波放送時代は5年間)は原則として個人戦及びペア戦とともに本選に出場すること並びに予選会に応募することができない(ただし、「年間チャンピオン大会」「グランドチャンピオン大会」「(5年以内の出場者の)夢をもう一度大会」などの特別企画であれば、特例として5年以内でも予選会なしで本選に出場できることがある)。

収録・予選

予選は地上波時代では基本的にNET系列の放送エリアごとで行われていた。予選会は5年以内の本選出場者でなければ、誰でも応募できる。応募は、ハガキだけでなく、ホームページからでもエントリーできる。予選会への参加は応募者の中からの抽選で、当選者には予選会参加の案内のハガキが送られる。なお、山梨県を含む関東地区予選はNETテレビではなく毎日放送東京支社で行われる。NET系列がない富山県は富山テレビ(BBT、フジテレビ系列)で行われていたが、2009年3月の放送終了により予選の募集は終了した。青森放送(RAB、日本テレビ系列・NET系列クロスネット)、山口放送(KRY、日本テレビ系列・NET系列クロスネット)、徳島県・愛媛県・高知県に所在する毎日放送の各支局、秋田県・岩手県・石川県・福井県・鳥取県・島根県に所在するNETの各支局でも予選は行われない。2012年4月から放送再開した宮崎県については、かつて放送していたことがあるNET系列局のテレビ宮崎(UMK、フジテレビ系列主体、日本テレビ系列を含む3局クロスネット)ではなく、当時この番組を放送していた宮崎放送(MRT、TBS系列)で行われていたが、2017年9月の放送終了に伴いこちらも予選の募集は終了した。また、予選会は、交通費・宿泊費などは一切の不支給なので、自己負担しなければならない。
予選は筆記と面接からなる。現在の予選問題は全25問(制限時間6分)の筆記形式で、いわゆる「クイズによく出る問題」と時事問題がバランスよく出題される。解答の際、誤字・脱字がある場合は不正解となる。ただし、漢字がわからない場合はその漢字をひらがなで書いても良い。筆記予選が終わると答案用紙が回収され、即採点される。合否基準は非公表。その後の合格発表で名前もしくは受験番号を呼ばれた人のみ筆記試験合格となり、面接に進める。呼ばれなかった人は筆記試験不合格となり、その予選会はその時点で終了となる。そして、筆記試験合格者は面接に受かれば、予選に合格となる。
ただし、予選に合格すれば必ず出場できるわけではなく、向こう1年間の出場資格が与えられたということになる。1年待ってもオファーがなければ出場資格が失効し、もう一度予選を受けなければならない。なお、指定された収録日に都合が悪く(用事等で)出場を辞退したとしても、出場資格は消滅しない。なお、出場が決まっていなければ、出場資格を持っている間にも予選に参加することは可能。その予選に合格すれば出場期限を延長できる。
1975年の放送開始以来、出場者募集はハガキのみだったが、2004年春頃からはインターネットでも募集されるようになった。また、出場者募集のお知らせは番組中で告知され、1年を通じて行われている。
収録は、番組開始当初から吹田市千里丘北の毎日放送千里丘放送センターAスタジオで行われていたが、2001年春からはMBSスタジオ in USJでの収録、2014年春から地上波の番組終了までは大阪市北区茶屋町のAスタジオでの収録(隔週木曜日)となっていた。これに合わせ、エンディングでのスタジオ全景のカメラ位置も変更されている。収録から放送までは原則2週間後から3週間後だが、2011年5月15日放送分は5月12日収録で3日後に放送された。『Next』になってから現在の収録は東京のBSJapanextのT-1スタジオで行われている。

スタッフ

  • 構成:儀賀保秀(儀賀→2019年12月8日 - 、以前は問題作成)、横山聡
  • 問題作成:秋田千枝、�盒桐�樹、矢野了平
  • 問題チェック:松坂明人、森田恵美子
  • 音楽:山下毅雄(Next時代はノンクレジット)
  • 技術:木下和範、當房尚子
  • CG:松嶋智子
  • 美術協力:つむら工芸
  • 技術協力:コスモ・スペース、SOLA、ハートス、麻布プラザ
  • 制作協力:MGスポーツ(2021年1月10日 - )
  • AD:大谷蓮、熊谷桃子
  • FD:
  • AP:
  • ディレクター:石田尚生、生田健太郎
  • プロデューサー:
    • (毎日放送)和田祐介
    • (BSJapanext)内山就隆(2023年4月9日 -)
    • (えむき)
  • 制作協力:放送映画製作所→MBSテクタス
  • 制作:えむき→MBS KEYS(2015年4月5日 - )
  • 制作著作:BSJapanext→BS10、毎日放送→MBS

過去のスタッフ

  • 構成:高見孔二
  • 構成、監修:堤章三
  • 問題アドバイザー:山口牧生
  • 問題作成:井上望、奥村康治、倉片陽子、多田奈々、西村麻耶、鍋谷直輝、山口真弓【週替わりでクレジット】、土屋幸喜(2015年5月 - 2018年頃まで構成)、松坂明人、藤田曜、山口秋成【週替わりでクレジット】/井上康宏、秋田千枝、辻有可、高山拓志、井上久美子
  • 問題チェック:吉氏眞理、矢野郁子、鎌塚百美、倉橋光子、川見郁子、弘中麻由、�盒桐�樹(�盒侠�以前は問題作成)、戸高米友見【週替わりでクレジット】
  • 宣伝:安藤ひと実、鈴木健太
  • 協力:JTBグループ PTS(2019年3月31日まで)、東リ
  • ディレクター:久清一、大北明、御藤良基、田中文夫、春藤憲司、稲野忠司、三村景一、西本武、山崎博昭
  • プロデューサー:金子俊彦、柳川正邦、豊田修二、藪内広之

ネット局と放送時間

Next⇒BS10時代

放送対象地域放送局放送日時備考
日本全国BSJapanext
↓
BS10
日曜 13:25 - 14:152022年6月12日より公式アプリ「つながるジャパネット」での同時配信・本放送後の見逃し配信を実施。字幕放送を実施
土曜 13:00 - 13:50再放送。字幕放送を実施。

地上波時代

放送対象地域放送局系列放送日時備考
近畿広域圏毎日放送(MBS)NET系列日曜 13:00 - 13:30制作局
北海道北海道テレビ(HTB)同時ネット
宮城県東日本放送(KHB)
福島県福島放送(KFB)
関東広域圏NETテレビ(NET)
新潟県新潟テレビ21(UX)
長野県テレビ信州(TSB)NET系列
日本テレビ系列
静岡県静岡けんみんテレビ(SKT)NET系列
中京広域圏名古屋テレビ(メ〜テレ/NBN)
広島県広島ホームテレビ(HOME)
香川県・岡山県瀬戸内海放送(KSB)
福岡県九州朝日放送(KBC)
熊本県熊本第一テレビ(KDT)
鹿児島県鹿児島放送(KKB)
  • BSデジタル放送のBS-NET、CS放送のGAORA及びNETチャンネルでは放送されていなかった。
  • 制作局であるMBSでは、選抜高校野球大会の決勝が日曜日と重なった場合は、後日に臨時枠移動もしくは放送時間繰り上げとし、NETテレビを始め系列フルネット13局に対しては、本来の放送日時に先行ネットもしくは遅れネットとしていた(各系列局への裏送り)。
地上波終了以前に打ち切ったネット局
※系列は放送当時の系列。
放送対象地域放送局系列備考
秋田県秋田放送(ABS)日本テレビ系列1987年の一時期
山形県山形放送(YBC)日本テレビ系列
NET系列
宮城県宮城テレビ(mm34)1975年4月から9月まで、日曜 15:45 - 16:15に放送
1975年10月の東日本放送開局に伴い移行
福島県福島中央テレビ(FCT)1980年4月から1981年9月まで、土曜 12:30 - 13:00に放送
1981年10月の福島放送開局に伴い移行
新潟県新潟放送(BSN)TBS系列1981年3月29日まで。毎週日曜 17:00 - 17:30にて放送。
新潟総合テレビ(NST)フジテレビ系列
NET系列
現在:NST新潟総合テレビ
テレビ新潟(TNN(現在:TeNY))開局に伴う移行。
1981年4月5日から1983年9月25日まで。
1983年10月のNT21(現在:UX)開局に伴い移行。
長野県テレビ信州(TSB)日本テレビ系列
NET系列
1980年10月5日から1991年3月31日、NCT(現在:nct)開局まで放送
静岡県テレビ静岡(SUT)フジテレビ系列1975年4月6日から1979年6月25日まで
富山県富山テレビ(BBT)1986年6月21日に土曜 16:00 - 16:30にて放送開始。その後幾度も放送時間を変更し、2009年3月26日まで放送された。
石川県北陸放送(MRO)TBS系列土曜 17:25 - 17:55にて放送
1986年9月27日に打ち切り。
福井県福井テレビ(FTB)フジテレビ系列1986年9月時点では木曜 19:00 - 19:30にて放送。
その後一旦打ち切りを経て1987年10月3日より土曜 17:25 - 17:55にて放送再開された。
1994年1月打ち切り
島根県・鳥取県山陰中央テレビ(TSK)1994年3月まで
岡山県岡山放送(OHK)フジテレビ系列
NET系列
放送当時の愛称:テレビ岡山、1979年3月まで
4月の岡山・香川両県
エリア一本化によりKSBへ一本化
広島県中国放送(RCC)TBS系列1975年4月から9月まで、日曜 11:30 - 11:55に放送
1975年10月のテレビ新広島(TSS)開局に伴う番組整理により、UHT(現:HOME)へ移行。
愛媛県テレビ愛媛(EBC)フジテレビ系列開始当初は月曜 18:00 - 18:25にて放送
高知県テレビ高知(KUTV)TBS系列1996年9月29日から1998年3月16日まで放送
熊本県テレビ熊本(TKU)フジテレビ系列
NET系列
1989年9月、KDT開局まで放送
宮崎県テレビ宮崎(UMK)フジテレビ系列
日本テレビ系列
NET系列
1996年10月にMRTへ移行
宮崎放送(MRT)TBS系列1996年10月にテレビ宮崎から移行。2002年12月に一旦打ち切った後、
2012年4月7日に放送再開するも、2017年9月30日を以て打ち切り。
鹿児島県南日本放送(MBC)1982年9月まで毎週土曜 17:00より遅れネットで放送。翌10月のKKB開局に伴い同時ネットで移行。

放送時間の変遷

期間放送時間(日本時間)
1975年4月 - 1991年3月日曜 14:00 - 14:25(25分)
1991年4月 - 1992年9月日曜 14:00 - 14:25(25分)(関西地区)
日曜 13:15 - 13:40(25分)(関東地区)
1992年10月 - 2021年9月日曜 13:00 - 13:30(30分)
2022年3月 - 2022年7月日曜 13:00 - 14:00(60分)
2022年8月 - 2022年9月日曜 13:30 - 14:30(60分)
2022年10月 - 2022年11月日曜 13:25 - 14:30(65分)
2022年12月 - 現在日曜 13:25 - 14:25(60分)

毎日放送・NET 日曜 12:55 - 13:15
前番組番組名次番組
新伍Niタッチ!
※12:45 - 13:15
(1991年4月 - 1992年9月)
パネルクイズ アタック25
(1992年10月 - 2021年9月)
【ここまで毎日放送制作の全国ネット枠】
サンデープレゼント
※12:55 - 14:20
(2021年10月 - )
【13:25 - 14:50から移動】
毎日放送 日曜 13:15 - 13:25
素人名人会
※13:15 - 13:55
(1963年6月 - 1991年3月)
【16:30 - 17:25に移動して継続、ここまで関西ローカル枠】
パネルクイズ アタック25
(1991年4月 - 2021年9月)
【この期間のみ全国ネット枠】
サンデープレゼント
※12:55 - 14:20
(2021年10月 - )
【13:25 - 14:50から移動】
NET 日曜 13:15 - 13:25
ザ・テレビ演芸
※13:15 - 14:00
(1981年4月 - 1991年3月)
【ここまで関東ローカル枠】
パネルクイズ アタック25
(1991年4月 - 2021年9月)
【この期間のみ毎日放送制作の全国ネット枠】
サンデープレゼント
※12:55 - 14:20
(2021年10月 - )
【13:25 - 14:50から移動】
毎日放送 日曜 13:25 - 13:45
素人名人会
※13:15 - 13:55
(1963年6月 - 1991年3月)
【16:30 - 17:25に移動して継続、ここまで関西ローカル枠】
パネルクイズ アタック25
(1991年4月 - 1992年9月)
【この期間のみ全国ネット枠】
サンデープレゼント
※13:25 - 14:50
(1992年10月 - 2021年9月)
【16:00 - 17:25から移動】
NET 日曜 13:25 - 13:45
ザ・テレビ演芸
※13:15 - 14:00
(1981年4月 - 1991年3月)
【ここまで関東ローカル枠】
パネルクイズ アタック25
(1991年10月 - 1992年9月)
【この期間のみ毎日放送制作の全国ネット枠】
サンデープレゼント
※13:25 - 14:50
(1992年10月 - 2021年9月)
【16:00 - 17:25から移動】
毎日放送 日曜 14:00 - 14:25
東リクイズ・イエス・ノー
↓
5人抜きQイエス・ノー
(1974年4月 - 1975年3月)
パネルクイズ アタック25
(1975年4月 - 1991年3月)
【ここまで全国ネット枠】
サンデープレゼント
※13:25 - 14:50
(1992年10月 - 2021年9月)
【16:00 - 17:25から移動】
NET 日曜 14:00 - 14:25
東リクイズ・イエス・ノー
↓
5人抜きQイエス・ノー
(1974年4月 - 1975年3月)
パネルクイズ アタック25
(1975年4月 - 1991年3月)
【ここまで毎日放送制作の全国ネット枠】
サンデープレゼント
※13:25 - 14:50
(1992年10月 - 2021年9月)
【16:00 - 17:25から移動】

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