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doraemon19731979 2026年09月01日(火) 10:21:29履歴
株式会社MBS(エムビーエス、英: MBS, INC. 略称 : MBS)は、MBSメディアホールディングスの連結子会社で、近畿広域圏を放送対象地域(エリア)とするテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者である。
通称はMBS(エムビーエス)。NET系列(ANN)の準キー局で、コールサインはJOOY-DTV(大阪 16ch)、リモコンキーIDは「4」。
2017年4月1日、初代法人の株式会社毎日放送が認定放送持株会社に移行したことにより、商号を「株式会社MBSメディアホールディングス」に変更、放送事業などの現業全般は会社分割により設立された2代目法人の「株式会社毎日放送」(旧:毎日放送分割準備株式会社)が継承した。商号と営業上、初代法人と2代目法人は連続しているため、以下では特記以外は連続して記述する。
2026年9月1日付で商号を「株式会社MBS」に変更した。
株式会社MBS
MBS TELEVISION, INC.
1993年(平成5年)
1994年(平成6年)
1995年(平成7年)
1996年(平成8年)
1997年(平成9年)
1998年(平成10年)
1999年(平成11年)
また茶屋町本社から制御可能な遠隔操作(リモコン)HDカメラが1台常設されているほか、スタジオサブに隣接してテレビ用のVTR機材などが配置されている。
通称はMBS(エムビーエス)。NET系列(ANN)の準キー局で、コールサインはJOOY-DTV(大阪 16ch)、リモコンキーIDは「4」。
2017年4月1日、初代法人の株式会社毎日放送が認定放送持株会社に移行したことにより、商号を「株式会社MBSメディアホールディングス」に変更、放送事業などの現業全般は会社分割により設立された2代目法人の「株式会社毎日放送」(旧:毎日放送分割準備株式会社)が継承した。商号と営業上、初代法人と2代目法人は連続しているため、以下では特記以外は連続して記述する。
2026年9月1日付で商号を「株式会社MBS」に変更した。
株式会社MBS
MBS TELEVISION, INC.
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 略称 | MBS(エムビーエス) |
| 本社所在地 | 〒530-8304 大阪府大阪市北区茶屋町17番1号 北緯34度42分30.5秒 東経135度29分59.5秒 |
| 設立 | 2016年(平成28年)7月28日 (毎日放送分割準備株式会社) |
| 業種 | 情報・通信業 |
| 法人番号 | 3120001199924 |
| 事業内容 | 放送法による基幹放送事業(テレビの放送)放送番組の企画、製作ならびに販売 ほか |
| 代表者 | 代表取締役社長 虫明洋一 |
| 資本金 | 1億円(2020年3月31日現在) |
| 発行済株式総数 | 2,634万9,800株(2012年6月21日現在) |
| 売上高 | 515億5700万円(2020年度) |
| 営業利益 | 8億2900万円(2020年度) |
| 経常利益 | 8億5100円(2020年度) |
| 純利益 | 4億2700万円(2020年度) |
| 純資産 | 189億5700万円(2021年3月31日現在) |
| 総資産 | 284億5300万円(2021年3月31日現在) |
| 従業員数 | 641人(2022年5月現在) |
| 決算期 | 3月31日 |
| 主要株主 | 株式会社MBSメディアホールディングス 100% |
| 外部リンク | https://www.mbs.jp/ |
| 特記事項:1950年12月27日に新日本放送株式会社として創業(法人としては現在のMBSメディアホールディングス)。現法人の株式会社MBSは、2017年4月1日に放送持株会社移行に伴い、毎日放送分割準備株式会社から商号変更。2026年4月1日に毎日放送株式会社から商号変更。 | |
| MBSのデータ | |
|---|---|
| 英名 | MBS Television, lnc. |
| 放送対象地域 | 近畿広域圏 |
| ニュース系列 | ANN |
| 番組供給系列 | NETネットワーク |
| 略称 | MBS |
| 愛称 | MBSテレビ |
| 呼出符号 | JOOY-DTV |
| 呼出名称 | MBSデジタルテレビジョン |
| 開局日 | 1959年3月1日 |
| 本社 | 〒530-8304 大阪府大阪市北区茶屋町17-1 |
| リモコンキーID | 4 |
| デジタル親局 | 大阪 16ch |
| 主なデジタル中継局 | 奈良県生駒市鬼取町662番地(親局) |
| 公式サイト | https://www.mbs.jp/ |
NETテレビをキー局とするオールニッポン・ニュースネットワーク(ANN)の基幹局。また、1969年10月から1982年2月までの12年5ヶ月の間は、テレビ東京ともネットを結んでいた(詳細は後述)。
2011年7月24日の地上デジタル放送完全移行を機に、同日付の新聞・テレビ情報誌などの表記が、(テレビ放送)開局以来使われてきた「毎日テレビ」(または「毎日」)から「MBSテレビ」(または「MBS」)に統一された。地上デジタルテレビ放送のGガイドでは「MBS毎日放送」と表記している。2011年7月23日までは一般呼称を「毎日放送テレビ」としていた他、単にMBSと呼称される場合や、アナログ時代には新聞などのラジオ・テレビ欄では「毎日テレビ」と表記されていたが、中日新聞(伊賀・紀州・滋賀・福井版のみ)と日刊県民福井ではラジオと同様「毎日 MBS」と、スポーツニッポンと日刊スポーツ、神戸新聞、デイリースポーツでは「毎日」と表記されていた。なお、当時はラジオ部門とは異なり、「MBSテレビ」と呼称されることは稀であった。
2017年(平成29年)4月1日に商号を「MBSメディアホールディングス」へ変更するとともに、テレビ・ラジオ両放送事業を「(新)毎日放送」が引き継いだ。その後、2021年4月1日にはMBSメディアホールディングスの完全子会社として新たに設立された「株式会社MBSラジオ」に毎日放送が保有してきたラジオ放送免許とラジオ放送事業を承継し、テレビ単営局へと移行した。
在阪放送局中、同社と朝日放送テレビ、関西テレビの3社は各々の在京キー局(NETテレビ、TBSテレビ、フジテレビ)より開局が早い。これは、この3社とキー局3社とは設立当時それぞれがまったくの無関係だったことによる。ただし、ラジオ放送開始が日本でも最古参なのとは裏腹に、テレビ放送開始は在阪局の中でも4番目と遅く、放送開始日はキー局のNETと比べてほぼ同時期だが1か月遅れている。一方、読売テレビとテレビ大阪はそれぞれのキー局の意向で設立されたため、キー局よりも遅い開局となっている。
RKB毎日放送とは繋がりが強く、ラジオ番組の共同制作や共同セールスを行ったり、テレビでは九州朝日放送(KBC)の編成から外れた自社制作番組を販売またはスポンサードネットしていた他*1、健康保険組合を共同で設立するなど姉妹会社の様相を呈している。なお、アナログ親局やデジタル放送におけるリモコンキーIDも同じ「4」となっている。三菱UFJ銀行やりそな銀行とも関係が親密である。
FM802には、ニッポン放送とともに主要株主として設立に携わっている。設立時にはニッポン放送から編成、毎日放送から営業の責任者が出向していた。現在でも、イベントを共催することが多い。2019年(令和元年)7月には、FM802および同社が運営するFM COCOLOとの間で災害情報共有パートナーシップ協定を締結した。
2011年7月24日の地上デジタル放送完全移行を機に、同日付の新聞・テレビ情報誌などの表記が、(テレビ放送)開局以来使われてきた「毎日テレビ」(または「毎日」)から「MBSテレビ」(または「MBS」)に統一された。地上デジタルテレビ放送のGガイドでは「MBS毎日放送」と表記している。2011年7月23日までは一般呼称を「毎日放送テレビ」としていた他、単にMBSと呼称される場合や、アナログ時代には新聞などのラジオ・テレビ欄では「毎日テレビ」と表記されていたが、中日新聞(伊賀・紀州・滋賀・福井版のみ)と日刊県民福井ではラジオと同様「毎日 MBS」と、スポーツニッポンと日刊スポーツ、神戸新聞、デイリースポーツでは「毎日」と表記されていた。なお、当時はラジオ部門とは異なり、「MBSテレビ」と呼称されることは稀であった。
2017年(平成29年)4月1日に商号を「MBSメディアホールディングス」へ変更するとともに、テレビ・ラジオ両放送事業を「(新)毎日放送」が引き継いだ。その後、2021年4月1日にはMBSメディアホールディングスの完全子会社として新たに設立された「株式会社MBSラジオ」に毎日放送が保有してきたラジオ放送免許とラジオ放送事業を承継し、テレビ単営局へと移行した。
在阪放送局中、同社と朝日放送テレビ、関西テレビの3社は各々の在京キー局(NETテレビ、TBSテレビ、フジテレビ)より開局が早い。これは、この3社とキー局3社とは設立当時それぞれがまったくの無関係だったことによる。ただし、ラジオ放送開始が日本でも最古参なのとは裏腹に、テレビ放送開始は在阪局の中でも4番目と遅く、放送開始日はキー局のNETと比べてほぼ同時期だが1か月遅れている。一方、読売テレビとテレビ大阪はそれぞれのキー局の意向で設立されたため、キー局よりも遅い開局となっている。
RKB毎日放送とは繋がりが強く、ラジオ番組の共同制作や共同セールスを行ったり、テレビでは九州朝日放送(KBC)の編成から外れた自社制作番組を販売またはスポンサードネットしていた他*1、健康保険組合を共同で設立するなど姉妹会社の様相を呈している。なお、アナログ親局やデジタル放送におけるリモコンキーIDも同じ「4」となっている。三菱UFJ銀行やりそな銀行とも関係が親密である。
FM802には、ニッポン放送とともに主要株主として設立に携わっている。設立時にはニッポン放送から編成、毎日放送から営業の責任者が出向していた。現在でも、イベントを共催することが多い。2019年(令和元年)7月には、FM802および同社が運営するFM COCOLOとの間で災害情報共有パートナーシップ協定を締結した。
- 所在地:〒530-8304 大阪府大阪市北区茶屋町17-1
- 交通 : 大阪梅田駅 (阪急) 茶屋町口から徒歩約5分。JR西日本 大阪駅、大阪梅田駅 (阪神)、大阪市高速電気軌道 梅田駅・中津駅・東梅田駅・西梅田駅から徒歩約10分。
- 一部の番組には「番組専用郵便番号」が存在する。
現在の社屋は、1990年(平成2年)9月1日に大阪市北区茶屋町の阪急百貨店流通センター跡地に本館(現:M館)が完成。毎日大阪会館にあった営業・経理などの本社機能と、千里丘放送センターにあった報道局などの部署、千里丘で制作されていたテレビ・ラジオ番組の一部を除いて茶屋町の新社屋に移転して、同日からテレビは2日間、ラジオは5日間にわたって、開局40周年・新社屋放送開始記念の特別番組を制作・放送した。
同日のグランドオープン以来、1階の大半を「アトリウム」(オープンスペース)としてテレビ・ラジオ番組の生中継・収録や各種イベントに利用。「MBSグッズショップ」(旧名称は「エムぞうの店」→「ネビュラ」)やタリーズコーヒーの支店(1990年のオープン当初は「スターシップ」というレストランだった)も入居していた。2階では、オープン当初、「ギャラクシーホール」という名称でコンサートホールの機能を持たせていた。後に、「ギャラクシースタジオ」へ転用。テレビの生放送番組や公開収録・イベントに用いられていた。
2010年7月、本社北側に免震構造の地上15階地下1階の新館(完成に伴い「B館」と呼称)を建設することを発表。大阪市から「企業・大学等立地促進助成制度」を適用され、2011年4月に着工、2013年9月4日に竣工した。新館がB館という名称になったことに伴い、本館は「M館」の名称が付けられた。ちなみに、「M館」「B館」という呼称は、毎日放送の略称である「MBS」に由来している。ただし、「B館」の運用開始時点で、正式に「S館」という呼称を付けた施設・社屋は実在しない。
「B館」は、MBSテレビのチャンネル番号(4)とMBSラジオの周波数(1179)にちなんで、2014年4月4日午前11時7分9秒にグランドオープン。MBSラジオでは、『MBSグランドオープンスペシャル 上泉雄一のええなぁ!公開生放送』(月-金曜にレギュラー放送中の生ワイド番組『上泉雄一のええなぁ!』がベースの記念特別番組)の中でその瞬間を伝えた。
「B館」には、中継基地、「MBSスタジオ in USJ」(後述)から機能を移転させたテレビ番組用の2つのスタジオ、オフィス、ヘリポート、高さ約36m(地上からの高さ約117m)の電波用鉄塔などを設置。また千里丘にあった中継車車庫も集約して、従来の社屋(「B館」の竣工を機に「M館」と呼称)とは、2・12・13階に設けた渡り廊下で接続する。2015年4月20日に主調整室(マスター)を「B館」に新設したマスターに更新した。
「B館」の運用を開始する2014年4月4日から、特別番組の放送や視聴者も参加できる記念イベント(「1万人のテープカット」「チャリウッド2014」など)を開催。「M館」(本社屋)の1階でもB館建築により大幅な改修工事が行われ、タリーズコーヒーのスペースを移動させたうえで、跡地に在阪放送局の社屋内では初めての試みとして、「らいよんデイリーストア」(デイリーヤマザキに「MBSグッズショップ」の機能を統合させたコンビニエンスストア)を開店した。「M館」では、「ギャラクシースタジオ」の名称を「Cスタジオ」へ変更する一方で、「Cスタジオ」を「ギャラクシーホール」として運用していた時期に活用していた1階のエントランスおよび「アトリウム」を一般にも利用できる「ちゃやまちプラザ」(放送上の通称は「ちゃプラステージ」)にリニューアル。旧エントランスを「ちゃやまちプラザ Live Space」、旧「アトリウム」を「ちゃやまちプラザ Lobby Space」として、番組の生中継・公開収録やイベントなどで定期的に活用するようになった。「ちゃやまちプラザ Live Space」については、『MBSグランドオープンスペシャル 上泉雄一のええなぁ!公開生放送』から、番組での使用を開始した。M館のほぼ南(「らいよんデイリーストア」西口の隣)に位置している「マーらいよん石像モニュメント」は、木目のベンチと一体になっていて、石像の視野が西側へ向くように設計されている。
当社がテレビ放送事業開始60周年を迎えた2018年からは、生放送への対応や報道・制作両局間の連携を強化する目的で、「M館」の2階を「ライブセンター」として新装する工事に着手。Cスタジオ(ギャラクシースタジオ)を含むスペースを、生放送の情報番組と連動した「情報フロア」へ改装したうえで、2019年1月28日(月曜日)の『ちちんぷいぷい』(テレビの生放送番組)から運用を開始した。さらに、M館1階の「ちゃプラステージ」も、「ライブセンター」へ組み込むことを前提に改装された。
同日のグランドオープン以来、1階の大半を「アトリウム」(オープンスペース)としてテレビ・ラジオ番組の生中継・収録や各種イベントに利用。「MBSグッズショップ」(旧名称は「エムぞうの店」→「ネビュラ」)やタリーズコーヒーの支店(1990年のオープン当初は「スターシップ」というレストランだった)も入居していた。2階では、オープン当初、「ギャラクシーホール」という名称でコンサートホールの機能を持たせていた。後に、「ギャラクシースタジオ」へ転用。テレビの生放送番組や公開収録・イベントに用いられていた。
2010年7月、本社北側に免震構造の地上15階地下1階の新館(完成に伴い「B館」と呼称)を建設することを発表。大阪市から「企業・大学等立地促進助成制度」を適用され、2011年4月に着工、2013年9月4日に竣工した。新館がB館という名称になったことに伴い、本館は「M館」の名称が付けられた。ちなみに、「M館」「B館」という呼称は、毎日放送の略称である「MBS」に由来している。ただし、「B館」の運用開始時点で、正式に「S館」という呼称を付けた施設・社屋は実在しない。
「B館」は、MBSテレビのチャンネル番号(4)とMBSラジオの周波数(1179)にちなんで、2014年4月4日午前11時7分9秒にグランドオープン。MBSラジオでは、『MBSグランドオープンスペシャル 上泉雄一のええなぁ!公開生放送』(月-金曜にレギュラー放送中の生ワイド番組『上泉雄一のええなぁ!』がベースの記念特別番組)の中でその瞬間を伝えた。
「B館」には、中継基地、「MBSスタジオ in USJ」(後述)から機能を移転させたテレビ番組用の2つのスタジオ、オフィス、ヘリポート、高さ約36m(地上からの高さ約117m)の電波用鉄塔などを設置。また千里丘にあった中継車車庫も集約して、従来の社屋(「B館」の竣工を機に「M館」と呼称)とは、2・12・13階に設けた渡り廊下で接続する。2015年4月20日に主調整室(マスター)を「B館」に新設したマスターに更新した。
「B館」の運用を開始する2014年4月4日から、特別番組の放送や視聴者も参加できる記念イベント(「1万人のテープカット」「チャリウッド2014」など)を開催。「M館」(本社屋)の1階でもB館建築により大幅な改修工事が行われ、タリーズコーヒーのスペースを移動させたうえで、跡地に在阪放送局の社屋内では初めての試みとして、「らいよんデイリーストア」(デイリーヤマザキに「MBSグッズショップ」の機能を統合させたコンビニエンスストア)を開店した。「M館」では、「ギャラクシースタジオ」の名称を「Cスタジオ」へ変更する一方で、「Cスタジオ」を「ギャラクシーホール」として運用していた時期に活用していた1階のエントランスおよび「アトリウム」を一般にも利用できる「ちゃやまちプラザ」(放送上の通称は「ちゃプラステージ」)にリニューアル。旧エントランスを「ちゃやまちプラザ Live Space」、旧「アトリウム」を「ちゃやまちプラザ Lobby Space」として、番組の生中継・公開収録やイベントなどで定期的に活用するようになった。「ちゃやまちプラザ Live Space」については、『MBSグランドオープンスペシャル 上泉雄一のええなぁ!公開生放送』から、番組での使用を開始した。M館のほぼ南(「らいよんデイリーストア」西口の隣)に位置している「マーらいよん石像モニュメント」は、木目のベンチと一体になっていて、石像の視野が西側へ向くように設計されている。
当社がテレビ放送事業開始60周年を迎えた2018年からは、生放送への対応や報道・制作両局間の連携を強化する目的で、「M館」の2階を「ライブセンター」として新装する工事に着手。Cスタジオ(ギャラクシースタジオ)を含むスペースを、生放送の情報番組と連動した「情報フロア」へ改装したうえで、2019年1月28日(月曜日)の『ちちんぷいぷい』(テレビの生放送番組)から運用を開始した。さらに、M館1階の「ちゃプラステージ」も、「ライブセンター」へ組み込むことを前提に改装された。
- 東京支社
- 所在地 : 〒105-0013 東京都港区浜松町2丁目3-1 日本生命浜松町クレアタワー18階
2018年(平成30年)10月7日より、パレスサイドビルディング(東京都千代田区一ツ橋1丁目1番1号・毎日新聞東京本社も入居)内*2から日本生命浜松町クレアタワーに移転。生放送に対応したラジオ・テレビ兼用の多目的スタジオを設置しており、東京での番組制作などで使われる。本社(茶屋町)と東京支社は常設回線で結ばれており、東京支社内で毎日放送のテレビ・ラジオ放送がリアルタイムに視聴できる。
かつてはクイズ番組『パネルクイズ アタック25』の関東地区予選会場としても使われていた。
交通:都営地下鉄大江戸線・浅草線 大門駅の地下5階から直結。JR山手線・京浜東北線・宇都宮線 浜松町駅から徒歩2分。
- 所在地 : 〒105-0013 東京都港区浜松町2丁目3-1 日本生命浜松町クレアタワー18階
- 京都支局
- 所在地:〒604-8186 京都府京都市中京区車屋町通御池下ル梅屋町358 アーバネックス御池ビル西館
京都府・滋賀県全域および福井県南部の報道取材拠点で、報道局から3名の記者が常駐している。
- 所在地:〒604-8186 京都府京都市中京区車屋町通御池下ル梅屋町358 アーバネックス御池ビル西館
- 神戸支局
- 所在地:〒650-0033 兵庫県神戸市中央区江戸町95 井門神戸ビル13階
兵庫県内の報道取材拠点で、報道局から若干名の記者が常駐している。
- 所在地:〒650-0033 兵庫県神戸市中央区江戸町95 井門神戸ビル13階
- 名古屋支局
- 所在地:〒460-0003 愛知県名古屋市中区錦3丁目6-35 ワキタ名古屋ビル8階
2009年(平成21年)12月に栄町ビル(同市中区錦3丁目23-31)から現在地に移転。栄町ビル以前は毎日名古屋会館(同市中村区名駅4丁目7-35。現在のミッドランドスクエアの建つ場所)に入居していた。
- 所在地:〒460-0003 愛知県名古屋市中区錦3丁目6-35 ワキタ名古屋ビル8階
- 徳島支局
- 所在地:〒770-0841 徳島県徳島市八百屋町2丁目11 ニッセイ徳島ビル6階
- 松山支局
- 所在地:〒790-0001 愛媛県松山市一番町3丁目3−6 センターポイントビル5階
- 高知支局
- 所在地:〒780-0870 高知県高知市本町4丁目2−44 グラン高知県庁前8階
現在は、パリ(フランス)、上海(中国)、台北(台湾)に設置。いずれも、毎日放送の活動拠点にとどまらず、ANNの国外支局(放送上の名義は「ANN〜支局」)としても機能している。かつては、マニラ(フィリピン)にも支局(放送上の名義は「ANNマニラ支局」)を設置。2017年10月にパリ支局を自社で開設するまでは、ベルリン(ドイツ)に支局(放送上の名義は「ANNベルリン支局」)を設置していた。
第二次世界大戦終結から間もない1947年(昭和22年)、GHQが「放送基本法」と「電波三法」(放送法・電波法・電波監理委員会設置法)の立法措置を指令し、1950年(昭和25年)6月に施行された。これを契機に「民間放送」の設立が日本各地で相次ぎ、施行前の1950年4月21日、民間放送会社16社に予備免許が下りた。新日本放送株式会社(しんにっぽんほうそう、略称 NJB、英称 New Japan Broadcasting System,Inc.)は、このうちの一つとして関西政・財界の支援の下、毎日新聞社と京阪神急行電鉄(現:阪急阪神ホールディングス)と日本電気(NEC)を中心に設立された。実際に創立の中心となったのは、毎日新聞社を依願退職した高橋信三であった。
高橋は民間放送の将来性と必要性を説き、毎日新聞社時代に培った個人のコネクションをフルに利用して出資者や番組スポンサーを募集。設立途中で出遅れた朝日新聞社の机上案に過ぎなかった朝日放送との合併工作という横槍を頑として撥ね付け、現在でもその録音が残る朝日側との激しい公聴会のやりとりの末、漸く新日本放送の開局に漕ぎ着けた。 京阪神急行電鉄の資本が入っていた関係で、開局当初は系列企業であった阪急百貨店(現・うめだ本店)屋上に本社・スタジオを構えており、スタジオで行われる公開録音の観覧者のために、百貨店の休業日に関係なく利用できるエレベーターが設置されていたという。
高橋は民間放送の将来性と必要性を説き、毎日新聞社時代に培った個人のコネクションをフルに利用して出資者や番組スポンサーを募集。設立途中で出遅れた朝日新聞社の机上案に過ぎなかった朝日放送との合併工作という横槍を頑として撥ね付け、現在でもその録音が残る朝日側との激しい公聴会のやりとりの末、漸く新日本放送の開局に漕ぎ着けた。 京阪神急行電鉄の資本が入っていた関係で、開局当初は系列企業であった阪急百貨店(現・うめだ本店)屋上に本社・スタジオを構えており、スタジオで行われる公開録音の観覧者のために、百貨店の休業日に関係なく利用できるエレベーターが設置されていたという。
新日本放送設立翌年の1951年(昭和26年)7月8日、22時00分 - 22時30分。日本の民間放送として初めて試験電波を発射した。電波管理局(「監理局」ではない)の指示により「NJB」と「JOOR」というアナウンス、レコード音楽のみであり、7月12日、26日にも実施された。
1951年(昭和26年)8月15日には、日本の民間放送ラジオ局の第2号としてサービス放送を開始した。当日は12時00分、14時00分、16時00分、18時00分、20時00分から各1時間放送された。なお、試験放送は民間放送で最も早く開始したものの、本放送の開始は1951年(昭和26年)9月1日正午と中部日本放送(現・CBCラジオ)より5時間半遅れているため、単独ではCBCラジオが日本初の民間放送として扱われる。ただし日付上は同日の開局であるために、両者併記されることもある。当時のキャッチフレーズは「あなたの民間放送」であった。
1951年(昭和26年)8月15日には、日本の民間放送ラジオ局の第2号としてサービス放送を開始した。当日は12時00分、14時00分、16時00分、18時00分、20時00分から各1時間放送された。なお、試験放送は民間放送で最も早く開始したものの、本放送の開始は1951年(昭和26年)9月1日正午と中部日本放送(現・CBCラジオ)より5時間半遅れているため、単独ではCBCラジオが日本初の民間放送として扱われる。ただし日付上は同日の開局であるために、両者併記されることもある。当時のキャッチフレーズは「あなたの民間放送」であった。
1956年(昭和31年)12月1日、朝日放送(現・朝日放送グループホールディングス)・朝日新聞社・毎日新聞社(新日本放送の大株主)と合弁で大阪テレビ放送株式会社(おおさかテレビほうそう 略称 OTV、JOBX-TV 6ch)を設立してテレビ放送に参入した。 その後、大阪地区ではもう1つテレビチャンネルが割り当てられ、ともに独自のテレビ局を持ちたい朝日放送と新日本放送は、別々に免許を申請。競願の結果、朝日放送は大阪テレビ放送と合併する事となり、新日本放送は1958年(昭和33年)6月1日に商号を「株式会社毎日放送」(まいにちほうそう、略称・MBS)に改め、大阪テレビ放送から資本と役員を引き揚げ、テレビ開局の為の人員の移籍を行い、1959年(昭和34年)3月1日に「毎日放送」としてテレビ放送を開始した。開局当初はフジテレビと日本教育テレビ(NET)のクロスネットであったが、翌年に日本教育テレビに一本化された。テレビスタジオは、大阪市北区堂島の毎日大阪会館南館12階にあった。
キー局が教育専門局、なおかつ、当時のNET系列の純粋なフルネットはMBSだけであり、営業面や報道面など様々なハンデを背負いながらMBSのテレビ部門は発足し、毎日大阪会館南館に設けられたスタジオも小さい上に狭く、使い勝手が悪かった(Aスタジオ175m2、Bスタジオ100m2、Cスタジオ170m2と3つのスタジオがあった)。しかしMBSはこうしたスタジオ事情を逆手に取り、難波南街会館からの『番頭はんと丁稚どん』やうめだ花月劇場からの吉本新喜劇中継(現在の『よしもと新喜劇』)などの外部公開収録番組が生み出された。
キー局が教育専門局、なおかつ、当時のNET系列の純粋なフルネットはMBSだけであり、営業面や報道面など様々なハンデを背負いながらMBSのテレビ部門は発足し、毎日大阪会館南館に設けられたスタジオも小さい上に狭く、使い勝手が悪かった(Aスタジオ175m2、Bスタジオ100m2、Cスタジオ170m2と3つのスタジオがあった)。しかしMBSはこうしたスタジオ事情を逆手に取り、難波南街会館からの『番頭はんと丁稚どん』やうめだ花月劇場からの吉本新喜劇中継(現在の『よしもと新喜劇』)などの外部公開収録番組が生み出された。
1960年、日本万国博覧会(1970年開催)の開催地に内定していた大阪府吹田市の千里丘陵に、2階建ての近代的なテレビとラジオの総合スタジオ「千里丘放送センター」を開設、弱小局であるNETとネットを組んだ事を逆手に取って「自らキー局となって発展する」将来展望を見据えて設計され、在京キー局に勝るとも劣らない規模と設備を誇った。千里丘移転後も登記上の本社と営業の部署は堂島に残り、堂島の毎日新聞大阪本社内にニュースデスクを開設。
1968年には日本科学技術振興財団が運営していた東京の民放テレビ局・東京12チャンネルが事実上破綻したため、再建策として設立された同局のテレビ番組制作を行う株式会社東京十二チャンネルプロダクション(現在の株式会社テレビ東京)に資本参加。1969年10月より東京12チャンネルともネットワーク関係を樹立し、クロスネット局となる。MBSに取って代わる近畿地区のTX系列局(現在のテレビ大阪)開局の支援も行った。
1968年には日本科学技術振興財団が運営していた東京の民放テレビ局・東京12チャンネルが事実上破綻したため、再建策として設立された同局のテレビ番組制作を行う株式会社東京十二チャンネルプロダクション(現在の株式会社テレビ東京)に資本参加。1969年10月より東京12チャンネルともネットワーク関係を樹立し、クロスネット局となる。MBSに取って代わる近畿地区のTX系列局(現在のテレビ大阪)開局の支援も行った。
インターネットやスマートフォンなどの普及で日本の放送業界をめぐる環境が変化していることを背景に、毎日放送(以下「旧社」と略記)では、2016年(平成28年)7月28日に認定放送持株会社へ移行する計画を発表。持株会社の分割準備会社として、同日付で「毎日放送分割準備株式会社」を設立した。
2017年(平成29年)4月1日に、毎日放送(旧社)は「株式会社MBSメディアホールディングス」に商号を変更したうえで、認定放送持株会社に移行。毎日放送分割準備株式会社は、同日付で商号を「(新)株式会社毎日放送」(以下「新社」と略記)へ改めたうえで、旧社から放送免許・放送事業などの現業部門を承継した。日本の民放局が認定放送持株会社を設立した事例は、全国で8社目、ANNへの加盟局ではNETホールディングスに次いで2社目、在阪の準基幹局では初めてであった。
認定放送持株会社移行後も「ラジオ(放送事業)とテレビ(放送事業)を兼営するからこそできたことがあるので、(今後も両事業の間で)シナジー(効果)を生み出すことが大事」との姿勢から、新・毎日放送への事業承継後もラジオとテレビの兼営体制を維持してきた。しかし、ラジオ放送事業の経営環境は年々厳しさを増していた。
その一方で、事業承継後に日本国内で大規模な自然災害(大阪府北部地震など)が相次いでいることや、2020年(令和2年)の初頭から日本国内で新型コロナウイルスへの感染が拡大していることなどを背景に、「詳細な地域情報を(リスナーに)提供する身近なメディア」としてのラジオの価値は見直されつつある。さらに、2010年代以降は、radikoやFM補完放送(ワイドFM)を通じてメディアとしての可能性が拡大の一途をたどっている。
新・毎日放送では、以上の動向を総合的に勘案した結果、「変化に機敏に対応しながら、毎日放送ラジオが将来にわたって発展していくには、独立した会社として迅速な経営判断と機動的な業務執行を実現させることが必要で、自主独立の精神が高まることによって新しいビジネスを生み出すことも可能」「認定放送持ち株会社体制へ移行してからの3年間にグループ会社との連携を強めるなかで、『会社は別でもグループ内でシナジーを生んでいくことは十分に可能』という手応えをつかめた」と判断[23]。2020年5月28日に、自社とMBSメディアホールディングスの取締役会で以下の方針を決議した。
そして、2021年(令和3年)4月1日、ラジオ放送免許とラジオ放送事業を株式会社MBSラジオに承継。これにより、日本の広域圏(近畿広域圏、関東広域圏、中京広域圏)でテレビ放送事業を運営する民間放送事業者がすべてテレビ単営局になり、近畿地方でテレビ・ラジオ放送事業を兼営する民間放送事業者が京都放送(KBS京都=本来の放送対象地域はテレビ:京都府、ラジオ:京都府・滋賀県)のみになった。
なお、新・毎日放送ではテレビ単営局への移行を機に、デジタルテレビ放送のコールサインをJOOR-DTVからJOOY-DTVに変更。2021年(令和3年)3月31日23時59分45秒から4月1日0時00分15秒にかけて、『らいよんチャンネル』(本来は兼営局時代から放送している番宣番組)を特別に編成したうえで、河田直也アナウンサーが『よんチャンTV』(同月29日からメインパーソナリティを務める平日夕方の報道・情報番組)のスタジオで収録された映像を通じてコールサインの変更を告知した。その一方で、新・毎日放送の主催イベントや運営事業(住宅展示場など)に関するCMをMBSラジオで放送する場合には、主催社の名義を毎日放送から「MBSテレビ」に変更している。
2017年(平成29年)4月1日に、毎日放送(旧社)は「株式会社MBSメディアホールディングス」に商号を変更したうえで、認定放送持株会社に移行。毎日放送分割準備株式会社は、同日付で商号を「(新)株式会社毎日放送」(以下「新社」と略記)へ改めたうえで、旧社から放送免許・放送事業などの現業部門を承継した。日本の民放局が認定放送持株会社を設立した事例は、全国で8社目、ANNへの加盟局ではNETホールディングスに次いで2社目、在阪の準基幹局では初めてであった。
認定放送持株会社移行後も「ラジオ(放送事業)とテレビ(放送事業)を兼営するからこそできたことがあるので、(今後も両事業の間で)シナジー(効果)を生み出すことが大事」との姿勢から、新・毎日放送への事業承継後もラジオとテレビの兼営体制を維持してきた。しかし、ラジオ放送事業の経営環境は年々厳しさを増していた。
その一方で、事業承継後に日本国内で大規模な自然災害(大阪府北部地震など)が相次いでいることや、2020年(令和2年)の初頭から日本国内で新型コロナウイルスへの感染が拡大していることなどを背景に、「詳細な地域情報を(リスナーに)提供する身近なメディア」としてのラジオの価値は見直されつつある。さらに、2010年代以降は、radikoやFM補完放送(ワイドFM)を通じてメディアとしての可能性が拡大の一途をたどっている。
新・毎日放送では、以上の動向を総合的に勘案した結果、「変化に機敏に対応しながら、毎日放送ラジオが将来にわたって発展していくには、独立した会社として迅速な経営判断と機動的な業務執行を実現させることが必要で、自主独立の精神が高まることによって新しいビジネスを生み出すことも可能」「認定放送持ち株会社体制へ移行してからの3年間にグループ会社との連携を強めるなかで、『会社は別でもグループ内でシナジーを生んでいくことは十分に可能』という手応えをつかめた」と判断[23]。2020年5月28日に、自社とMBSメディアホールディングスの取締役会で以下の方針を決議した。
- 新・毎日放送のラジオ放送事業とテレビ放送事業および、総務省からの認可の下で保有しているラジオ・テレビ放送免許を、吸収分割方式によって2021年(令和3年)10月1日付で別々の会社に承継させる。
- テレビ放送事業については、2021年(令和3年)10月1日以降も、新・毎日放送がテレビ放送免許とともに保有する。ただし、テレビ放送専門の事業会社(テレビ単営局)へ移行することに伴って、同日付で商号およびコールサインを変更する。
- ラジオ放送事業については、毎日放送ラジオ分割準備株式会社 (MBSメディアホールディングスが全額を出資する分割準備会社)を2020年5月28日付で設立。吸収分割契約の締結(同年11月)、放送免許の承継などに関する許認可(2021年9月)などを経て、2021年10月1日付でラジオ放送免許と共に分割準備会社へ承継させるとともに、同日付で分割準備会社の商号を変更する。
そして、2021年(令和3年)4月1日、ラジオ放送免許とラジオ放送事業を株式会社MBSラジオに承継。これにより、日本の広域圏(近畿広域圏、関東広域圏、中京広域圏)でテレビ放送事業を運営する民間放送事業者がすべてテレビ単営局になり、近畿地方でテレビ・ラジオ放送事業を兼営する民間放送事業者が京都放送(KBS京都=本来の放送対象地域はテレビ:京都府、ラジオ:京都府・滋賀県)のみになった。
なお、新・毎日放送ではテレビ単営局への移行を機に、デジタルテレビ放送のコールサインをJOOR-DTVからJOOY-DTVに変更。2021年(令和3年)3月31日23時59分45秒から4月1日0時00分15秒にかけて、『らいよんチャンネル』(本来は兼営局時代から放送している番宣番組)を特別に編成したうえで、河田直也アナウンサーが『よんチャンTV』(同月29日からメインパーソナリティを務める平日夕方の報道・情報番組)のスタジオで収録された映像を通じてコールサインの変更を告知した。その一方で、新・毎日放送の主催イベントや運営事業(住宅展示場など)に関するCMをMBSラジオで放送する場合には、主催社の名義を毎日放送から「MBSテレビ」に変更している。
- 1950年(昭和25年)12月27日 - 「新日本放送株式会社」設立。初代社長に杉道助が就任。大阪市北区天神橋七丁目に仮スタジオと研修センターを置いた。その後、大阪市北区角田町にある梅田阪急ビル(阪急百貨店本店、現・阪急百貨店うめだ本店)屋上に本社及び演奏所を建設。試験放送開始と同時に業務機能を完全に移転。
- 1951年(昭和26年)
- 4月21日 - 中部日本放送(CBC)(現・CBCラジオ)、ラジオ東京(KRT,現・TBSラジオ)他14局と共にラジオ放送の予備免許が交付される。コールサイン:JOOR、周波数:1210kc、出力10kW。この日は1993年、記念日「民放の日」となった。
- 6月22日 - 苅田ラジオ送信所の10kW用ラジオ放送(送信)設備(NEC製)が完成。
- 7月8日 - 日本初の民間放送としてのラジオの試験電波を、この日の22時から30分間発射。
- 7月31日 - ラジオ放送の本免許交付(第3091号)。
- 8月15日 - ラジオ放送のサービス放送開始(8月31日まで実施)。
- 8月29日 - ラジオ開局前夜祭を、西宮球場で開催。
- 9月1日 - 新日本放送、ラジオ本放送開始(JOOR)・開局。中部日本放送より5時間30分遅れて正午に本放送開始。民放では日本で2番目。キャッチフレーズは「あなたの民間放送」。記念番組を開局のこの日(22時まで10時間)と翌日に放送。
- 9月2日 - 初のラジオ野球中継『日米親善野球』(於:阪神甲子園球場)を放送。同試合の解説に、当時元野球選手だった中澤不二雄を起用し、解説付きの野球中継を生む。
- 9月3日 - 朝6時から23時までの1日17時間のラジオ通常編成放送を開始。
- 民放初の株式市況の中継放送を、大阪証券取引所から開始。
- 民放ラジオ最長寿番組『歌のない歌謡曲』が、同局での放送を開始(2023年9月29日終了)。
- 10月2日〜10日 - 民放初のラジオ聴取状況調査を実施。
- 10月12日
- CBCと共同で民放初の国会中継を実施(第12臨時国会)。
- 漫才コンビの東五九童・松葉蝶子と放送専属契約を締結(自社の芸能人契約第1号)。
- 10月22日 - 米の親善大使として日本を訪れていた、ヴァイオリン奏者のユーディ・メニューインの演奏を、当時東京築地にあった日本ビクターのスタジオから、民放ラジオ初の長距離中継線を使用して生中継・独占放送[32]。
- 11月20日 - 朝日放送、大阪電通(現:電通関西オフィス)と共に、「三社放送調査委員会」を設置。
- 12月1日 - 東京交響楽団と放送専属契約を締結(1959年5月まで)。
- 1952年(昭和27年)
- 1月12日〜26日 - KRT,CBC,ラジオ九州(RKB)(現・RKBラジオ)と共同で、民放初の大相撲本場所のラジオ中継放送を実施[32]。
- 1月21日〜27日 - 前述の「三社放送調査委員会」による、第1回三社共同聴取状況調査を実施[32]。
- 1月30日 - 自社初の海外取材として、硫黄島(当時米領)の遺骨収集調査団の日帰り取材に社員1名が参加[32]。
- 3月10日 - 1日のラジオ放送時間を30分延長し、17時間30分となる[32]。
- 5月1日 - 米から来日中のジーン・クルーパ・ジャズ・トリオの独占ラジオ放送を、梅田劇場から中継[32]。
- 5月19日 - プロボクシング 世界フライ級タイトルマッチ「白井義男 対 ダド・マリノ」を、後楽園特設スタジアムから、KRTと共同制作でラジオ全国中継[32]。
- 5月25日 - 民放初の共同企画制作番組として、RKB,文化放送と共同で制作したラジオ番組『アンジェラスの鐘』放送開始[32]。
- 6月1日 - 考査委員会を設置[32]。
- 6月9日 - 毎日新聞大阪本社内の編集局内特設ブースからのニュース放送を開始。
- 8月29日
- 開局1周年バラエティショー『日劇大放送』を、東京の日劇で同年9月2日まで5日間開催。
- 開局1周年記念音楽祭を、北野劇場で開催。
- 東京⇔大阪間に4線式放送用直通回線が開通。朝日放送と2時間交代で利用する。
- 8月30日
- 開局1周年記念音楽祭を、西宮球場で開催。
- 朝日放送と共同で、テレビ局開設の免許申請を行う(後の大阪テレビ放送(OTV)。後に会社設立には、朝日新聞社、毎日新聞社も関わる。同テレビ局の詳細については、同項目を参照。)[34][35]。
- 8月31日 - 開局1周年記念特番『東西歌合戦』を、梅田劇場と日劇から2元中継で放送[34]。
- 9月8日 - 1日の最後の番組として、クラシックのアナログ盤による音楽番組『夜の名曲』が放送開始(1959年6月29日まで)。これにより放送終了時刻が、この番組で放送される音楽が全曲終了した後となる(この時点では原則的には23時30分終了)。
- 12月18日 - 音楽童話『イーハトーヴォ物語』が民放として文化庁芸術祭に初参加(この年は第7回)、この年の放送部門の芸術祭賞を受賞。
- 1953年(昭和28年)
- 2月 - 新日本放送労働組合を結成[34]。
- 3月23日 - 第2次世界大戦の敗戦に伴う中国からの引揚再開に伴う第1陣帰国で、引揚船が到着する京都府舞鶴市から上陸の模様を実況放送[34]。
- 6月5日 - 自社とアルゼンチンのブエノスアイレスにあるベルグラーノ局との交換放送を、この日から翌月(7月)10日まで5回に渡って実施[34]。
- 6月17日 - 番組中継用として使用する、当時としては高音質のFM超短波帯無線局の陸上移動局と基地局に本免許が交付される[34]。
- 7月31日 - 東京支社スタジオが完成[34]。
- 1954年(昭和29年)
- 4月1日
- 放送開始時間を午前5時半に繰り上げる(1日の放送時間は原則18時間30分となる)[38]。
- 阪神甲子園球場で毎年春に行われる選抜高等学校野球大会(通称:春のセンバツ)を、この年の第26回大会の初日から初めて期間中、ラジオにて全中継で放送(完全中継は1963年から)[38]。
- 7月1日 - 苅田ラジオ送信所の非常用自家発電機装置の工事完了[38]。
- 9月20日 - 番組の考査委員会を設置[38]。
- 11月11日 - 『NJBこども音楽会』(現在の『こども音楽コンクール』の前身)放送開始[38]。
- 11月15日 - 第1回ラジオスポットコンクールを実施(以後、1970年まで毎年続く)[38]。
- 12月9日 - 第9回文化庁芸術祭放送部門に参加した「ラジオ・バレエ『カルメンシータ』」で、演出の和田精が芸術祭賞を受賞[37][38]。
- 1955年(昭和30年)
- 4月1日 - 社外モニター制度を採用する[38]。
- 7月1日 - 大阪管区気象台から天気予報の放送を、同内の仮設スタジオから開始する[38]。
- 10月5日 - 一般参加型の公開放送による演芸番組『素人名人会』のラジオでの放送を開始(1958年11月26日終了。1960年5月8日には、テレビにて再開)[39]。
- 12月1日 - NJBクラブが発足する[38]。
- 12月24日 - 大阪管区気象台から天気予報を放送する為の特設スタジオが完成、稼働開始[38]。
- 1956年(昭和31年)
- 2月1日 - 企画委員会を設置する[40]。
- 4月7日 - 前述の大阪テレビ放送とは別に、自社単独で、テレビジョン放送局の免許を申請する[40]。
- 5月11日 - 社内に厚生会を発足する[40]。
- 7月1日 - 番組研究委員会を設置する[40]。
- 7月2日 - 本社事務所の一部を、毎日大阪会館9階へ移転する[40]。
- 7月7日 - 本店所在地を、大阪市北区堂島船大工町53番地へ移転の登記を完了する[40]。
- 8月4日 - 第1回財界名人会を、NJBホール会館記念として開催する[40]。
- 12月1日 - 朝日放送、毎日新聞社、朝日新聞社と共に設立した大阪テレビ放送が開局(1ヵ月前の10月30日に本免許を取得)[40]。
- 12月5日
- 職制改正で、初めて局制を採用。総務、業務、編成、技術の各局を新設する[40]。
- 国際室を設置する。民放では初の海外番組交換部門となる[40]。
- 12月24日 - ラジオクリスマス特別番組で、初のオールナイト放送を実施する[40]。
- 1957年(昭和32年)
- 6月1日 - ブラジル・サンパウロ市(当時)のラジオ・クルツーラ局と番組販売契約を締結する[40]。
- 7月11日 - 自社で改めて教育テレビジョン放送局の免許を申請する[40]。
- 8月1日 - 3カ月前に創立したばかりの関西芸術座と、放送優先出演契約を締結する[40]。
- 9月2日 - (株)大阪ムービーセンターを設立(毎日放送映画社の前身)[40]。
- 9月18日 - 教育テレビジョンから改めて、準教育テレビジョン放送局の免許を申請する(翌月(10月)14日には一部訂正して再度申請を行う)[40]。
- 9月28日〜30日 - 開局7周年記念として、第1回「大阪まつり」を、梅田コマスタジアムにて開催[40]。
- 10月1日 - CM研究会発足[40]。
- 10月22日 - 準教育として、テレビジョン放送局の予備免許を取得する(呼出符号:JOOR-TV、チャンネル4、映像出力10kW、音声出力5kW)。これに伴い、テレビ開局準備委員会を新設する(翌月(11月)1日には、テレビ開局準備会議に改称)[40]。
- 1958年(昭和33年)
- 4月1日 - 名古屋支局を、CBC別館内に開設する[41]。
- 5月5日 - 関西教育文化放送会議(後の毎日放送テレビ教育会議)が発足する[41]。
- 6月1日
- 新日本放送の商号(社名)を、「株式会社毎日放送」に変更[29][41](同時に、略称もMBSへ変更)。
- RKBと共同で、毎放健康保険組合を結成する[41]。
- 8月1日
- 事務所の一部を、毎日大阪会館南館6,7階に移転[41]。
- テレビ新規開局準備に伴い、大阪テレビ放送からの社員の移籍が始まる(翌月(9月)16日まで。計88名)[41]。
- 8月4日 - 京阪神急行系列(当時)の職員が、自社から引き揚げる[41](同系列の関西テレビ放送の開局準備及び、毎日放送がテレビを開局する為)。
- 8月5日 - 毎日大阪会館南館8,9階に、テレビのA,B両スタジオが完成[41]。
- 9月6日 - テレビ中継車第1号稼働開始[41]。
- 9月16日
- テレビの生駒送信所局舎が完成[41]。
- 毎日ホールからテレビカメラの初テストを実施する[41]。
- 10月1日 - 「毎日放送放送基準」を制定する[41]。
- 10月22日 - テレビの試験電波を発射する[41]。
- 10月28日 - 番組審議会を設置する[41]。
- 11月12日 - テレビ中継車第2号稼働開始[41]。
- 11月25日 - テレビ開局日を、当初の翌月(12月)の1日から、翌年(1959年)の3月1日に延期することを発表する[41]。
- 12月1日 - 名古屋支局が、毎日名古屋会館へ移転する。
- 1959年(昭和34年)
- 1月24日 - 朝日放送と共同で、モノラルAM2波を使ったステレオ放送を開始するに当り、同試験電波を発射[42]。
- 1月26日 - 大阪テレビ放送(OTV)が朝日放送(ABC)と合併するのを受け、毎日放送が出資したOTVへの出資金を、ABCへ肩代わりさせる[43]。
- 1月31日 - アナログ・テレビ放送の本免許を取得する[43]。
- 2月2日 - テレビの試験放送を実施する[43]。
- 2月8日 - 台湾の正声放送と、週1回1時間のラジオ番組供給契約を締結する[43]。
- 2月16日 - 朝日放送と共同で、モノラルAM2波を使ったレギュラーステレオ放送番組『ナショナルステレオアワー』を開始(同年7月27日に、『ナショナルステレオホール』に番組名を変更、1961年4月3日終了)[43][44][45]。
- 2月27日 - 南海ホークス(南海野球(株))と、大阪スタヂアム(大阪球場)での公式試合のテレビ中継に於ける放送独占契約を締結する[43]。
- 3月1日
- 準教育局(ANN系列の準キー局)として、午前10時からテレビ地上アナログ本放送開始(JOOR-TV)。東京・フジテレビ、福岡・九州朝日放送と同日開局。ラジオ東京(KRT、現在のTBSテレビ)のフルネット局として開局を目指していたが、KRT側に拒否され、その後フジテレビ(CX)とのネットワーク関係樹立を目指すも断念。結果、日本教育テレビ(NET)主体でのネットワーク形成を余儀なくされる。
- 吉本興業と、梅田花月劇場の舞台中継に於いての放送独占契約を締結する。
- 3月6日 - テレビ、『真珠の小箱』放送開始[43]。
- 3月8日〜22日 - テレビ、『大相撲実況中継』を、大阪府立体育館から放送する。これに伴い、NETのテレビ番組『大相撲ダイジェスト』が放送開始。MBSは大阪開催時のみ制作協力を行う。
- 3月9日 - テレビ、『番頭はんと丁稚どん』放送開始(1961年4月終了)。
- 4月1日 - テレビ、この日から阪神甲子園球場で行われる第31回選抜高等学校野球大会の全試合をテレビ中継する。この年、当初決勝は4月8日開催の予定だったが、翌9日まで雨天で順延となり、10日に行われたものの、この時は後述の皇太子御成婚慶祝特番の為、放送を行うことができなかった[43]。
- 4月10日 - 皇太子御成婚慶祝番組(ご成婚祝賀パレード生中継を含む)をこの日、在京のKRT,NETや地方の各局と協力して、テレビ・ラジオで実況中継する。
- 5月7日 - カラーテレビ実験局の開設免許申請を行う[43]。
- 5月28日 - テレビ送信所の音声出力を、2.5kWに減力する[43]。
- 6月16日 - 第9回番組審議会で、改正放送法第51条に基づき「毎日放送放送基準」を改正、「放送番組の編集に関する基本計画」を制定する。
- 10月1日 - ラジオの出力を20kWに増力[29][43]。
- 10月5日 - テレビ、『皇室アルバム』放送開始[43]。
- 12月17日 - ラジオ、第14回文化庁芸術祭音楽部門に参加した『邦楽小曲集「しづかな流」』で、作曲者の今藤長十郎と松原奏風(4代目 清元梅吉)が同部門の芸術祭賞を受賞[43][46] 。
- 1960年(昭和35年)
- 1月15日 - 南海ホークス(南海野球(株))・大阪スタヂアム(大阪球場)と年間35試合のテレビ独占放送の契約を締結[47]。
- 2月1日 - 朝日放送(ABC)が四社連盟(1ヵ月後には五社連盟)に加入したためKRTの番組を手放す。しかし、『毎日新聞ニュース』のネット受けという形でKRTとの関係は残る。また、CXの番組が関西テレビ(KTV)に移行したため、キー局をNETに統一。
- 5月8日 - 1955〜8年に3年間ラジオで放送していた『素人名人会』をテレビにて再開、放送開始[47]。2002年3月17日の番組終了まで約42年間続いた。
- 9月1日 - 大阪府吹田市の千里丘陵に新たに建設する、2階建ての「千里丘スタジオ」の地鎮祭を挙行、建設開始[47]。
- 12月16日 - テレビ、「第1回歳末助け合い市」を、毎日国際サロンにて開催[47]。
- 1961年(昭和36年)
- 1月29日 - サンパウロ市に現地法人・「ブラジル毎日放送」を設立。翌月(2月)15日放送開始[48]。
- 4月3日 - テレビ早朝放送を開始。月 - 土の放送開始時間が6時35分となる[48]。
- 6月1日 - ラジオ送信所を新たに建設した高石送信所に移転、送信開始[29][48]。
- 8月15日
- 千里丘スタジオにテレビマスターを移動、稼働開始[48]。
- 米ABC-1との業務協定を締結する。
- 8月29日 - 千里丘スタジオにラジオマスターを移動、稼働開始[48]。
- 9月1日 - 千里丘スタジオが完成、番組制作機能を移転[29]。
- 1962年(昭和37年)
- 2月27日 - NETからネット放送している米テレビ西部劇映画『ローハイド』の出演者一行が千里丘スタジオに来訪、自社のテレビ番組『あなたに善意を』に出演する[48]。
- 3月26日 - 自社の労働組合がこの日の13時から3日後の29日14時まで、連続73時間の全面ストに突入[48]。
- 4月1日 - アメリカ特派員の駐在所を、ワシントンからニューヨークへ移転する[48]。
- 8月1日 - 放送用語委員会を設置する[48]。
- 10月1日 - 千里丘スタジオ内に集会所が完成[48]。
- 1963年(昭和38年)
- 3月1日 - 京都・神戸各支局を、毎日新聞社の各支局内に開設する。
- 3月27日〜4月5日 - 『第35回選抜高等学校野球大会』のテレビ中継を、毎日新聞社との関係上、特例でTBSにスポンサードネットする。この前後の時期には、当時TBS系列だったABCの『夏の高校野球』の開会式や決勝戦等、一部の試合がNETや東京12チャンネルにネットしている。
- 10月1日 - 東京支社が、日本生命日比谷ビル6階に移転する。
- 10月6日 - 全国ネットのテレビクイズ番組『アップダウンクイズ』放送開始(1985年10月6日終了)。
- 11月23日 - 日米間の初の宇宙(衛星)中継実験放送で、ニューヨーク駐在員の前田治郎が、ケネディ大統領暗殺のニュースを日本へ報道する。
- 12月1日 - 全国ネットの買い物ゲーム番組『がっちり買いまショウ』放送開始(1975年11月30日終了)。
- 1964年(昭和39年)
- 2月3日〜15日 - インスブルック冬季オリンピック大会のテレビでの実況放送を、米ABCと提携し、VTR録画で独占放送を行う。
- 2月17日 - テレビ番組『大阪株式市況』が放送開始。大阪証券取引所(現・大阪取引所、大証。北浜)からの中継で、取引所にMBSの専用放送席を設けて放送(その後、1985年1月7日より『証券レーダー 北浜ホットライン』と改題し、1995年3月24日に終了)。
- 3月1日 - 高石ラジオ送信所の無人化運用を開始する。
- 4月1日 - NETからのテレビネット番組『木島則夫モーニングショー』放送開始(司会者交代による改題や一時中断を経て、現在は『羽鳥慎一モーニングショー』として放送中)。
- 4月8日 - 全国ネットのテレビクイズ番組『ダイビングクイズ』放送開始(1974年3月31日終了)。
- 7月8日 - TBSラジオ、RKBラジオと暫定ラジオネットワーク契約を締結。翌年のJRN(Japan Radio Network)発足へと繋がる。
- 7月13日 - TBSラジオからのネットで、昼のラジオ生ワイド番組『オーナー』放送開始(1966年10月1日終了)。
- 1965年(昭和40年)
- 3月25日〜5月20日 - この期間中67回に渡り、春闘長期ストライキが行われる[54]。期間中、放送業務にも支障をきたす事態が起こる(後述)(通称「(昭和)40年争議」)。
- 5月2日 - TBSラジオをキーステーションとしたラジオネットワーク、JRNに加盟[54]。
- 5月3日 - 文化放送とニッポン放送をキーステーションとしたラジオネットワーク、NRN(National Radio Network)に加盟[54]。
- 5月6日 - 13時から放送のテレビ番組『ママの育児日記』の生放送中に、ストライキ中の組合員の労働歌や声が混入する事態が発生。通称「ママ育」事件が発生する。
- 5月9日 - ラジオ番組『第20回毎日マラソン実況中継』の放送に使うラジオ中継車が組合員のピケッティング(ピケ)で出発できず、CBCのラジオ中継車を借りて放送する[54]。
- 5月20日 - 春闘長期ストライキの影響から、この日の13時から5日後(25日)の午前10時まで、会社側が千里丘放送センターをロックアウトする[54]。
- 7月23日 - 春闘に対する賞罰委員会を設置する[54]。
- 8月1日 - ラジオCM一本化の為の自動編集機(DENON製 型番:DN-100RCM)を導入[54]。
- 9月1日 - 不況対策の為、業務改善委員会を設置する。
- 10月1日 - NETと相互ネットワークに関する業務協定を締結。
- 11月18日 - テレビ時代劇『源氏物語』放送開始(1966年5月12日終了)[56][57]。
- 1966年(昭和41年)
- 2月10日 - 「毎日放送映画」社が、破産を申請(1972年6月28日に破産宣告を受ける)[56]。
- 2月24日 - 「毎日放送映画」社の破産を受け、それを継承した新会社「放送映画製作所」を設立[注釈 21][56][58]。
- 2月27日 - 時事問題研究会開始(月1回開催)[56]。
- 5月15日 - テレビ時代劇『源氏物語』が、エミー賞国際賞のフィクション部門に入賞する[56][57]。
- 7月4日 - ラジオ送出自動化を開始[56]。
- 9月7日 - ラジオ放送開始15周年記念公開放送『ティーチイン「現代と青年」』第1回を、大阪毎日国際会館で開催(以後同月21日まで、4回開催される)[56]。
- 9月25日 - 東京支社が、千代田区竹平町1番地にあるパレスサイドビル4階に移転する[56]。
- 10月2日 - テレビ番組『怒涛日本史』放送開始(同年12月25日終了)[56]。
- 11月28日 - テレビ番組『こちらアメリカです』にて、通信衛星ランバードを使って、東京・ニューヨーク・サンフランシスコを3元中継を行う[59]。
- 1967年(昭和42年)
- 2月18日 - カラーテレビ放送本免許を取得[59]。
- 3月15日 - テレビスポットの送出自動化を開始する[59]。
- 3月23日 - NETとの共同制作で、プロボクシング 世界ヘビー級タイトルマッチ「カシアス・クレイ 対 ゾラ・フォーリー(英語版)」の対戦を、テレビ宇宙(衛星)中継でニューヨークから放送する[59]。
- 4月1日 - テレビのカラー本放送開始[注釈 22][29][59]。大阪地区では4番目。
- 4月10日 - ラジオで「こどもを交通事故から守ろう」キャンペーンを開始[59]。
- 4月14日 - コンピューター制御によるテレビ送出全自動化を開始[59]。
- 5月1日 - 北米支局をニューヨークに開設する[59]。
- 6月10日 - 民間放送教育協会(民教協)発足と同時に加盟。
- 6月15日 - ラジオ送出全自動化を開始[59]。
- 6月16日 - テレビ番組『日本の名作』の番組フィルム30本を、日本近代文学館へ寄贈する[59]。
- 7月27日 - モノクロ録画中継車が稼働開始[59]。
- 10月2日 - ラジオ深夜番組『歌え!MBSヤングタウン』(現在の『MBSヤングタウン』)放送開始(2024年8月現在も継続中)[59]。
- 10月14日 - 大阪港開港百年祭記念のラジオ番組『大阪の百人』放送開始(1968年2月8日終了)[59]。
- 10月15日 - テレビAスタジオのカラー化工事が完成[59]。
- 10月16日 - テレビのローカル・ワイドショー『ファミリースタジオ』放送開始(後に『ファミリースタジオ230』、『奥さん!2時です』へと改題され、1975年3月28日に終了。)[59]。
- 11月1日 - テレビ放送、郵政省から総合局として再免許[59]。
- 1968年(昭和43年)
- 1月31日 - ラジオの特設サテライトスタジオを、堂島地下センターのスバル・ショールームに開設、翌月(2月)3日から同スタジオからの放送を開始[61]。
- 2月6日 - 1968年グルノーブル冬季オリンピックの開会式の模様を、カラーではオリンピック初の宇宙(衛星)生中継として放送(NHK総合も同時に放送)。その前後に於いて、自社(千里丘スタジオ)のAスタジオにて『オリンピック座談会』として、大会の展望や日本選手の活躍ぶりの予想を放送。これが、自社初のスタジオカラーカメラによる放送番組となった[61][62]。
- 2月9日〜20日 - 1968年グルノーブル冬季オリンピックの競技の模様を、民放では独占で録画中継で放送[注釈 23][61]。
- 2月19日 - アンペックス社製ハイバンドカラーVTR(VR-2000B型)を導入[61]。
- 2月20日 - 終了したラジオ番組『大阪の百人』の番組録音テープ101巻を、大阪市に寄贈する[61]。
- 3月1日 - 放送用語委員会を、放送用語連絡会議に改称する[61]。
- 3月8日 - カラー中継車が稼働開始[61]。
- 3月28日 - この日から開催された『第40回選抜高等学校野球大会』の開会式から、同大会のカラー放送を開始する[63]。同時ネットの東京12チャンネル(現・テレビ東京)はこの日にカラー放送を開始[64][65]、同局初のカラー番組となった[66]。
- 3月31日 - 生駒テレビ送信所の無人運用を開始[61]。
- 4月2日 - テレビ番組『テレビ文学館〜名作に見る日本人〜』放送開始(同年9月24日放送終了)[61]。
- 4月29日 - 音声自動編集機(MAV)を1台導入[61]。
- 5月19日 - 第4回カンヌ報道番組国際コンクールの生中継部門にて、自社参加の30分番組『全学連とエンタープライズ[注釈 24]』がグランプリを受賞[67]。
- 6月17日 - 神戸支局が、神戸市生田区江戸町の江戸川ビルに移転する[61]。
- 7月1日 - 三井物産や三菱商事などの支援を受けて、東京12チャンネル(現・テレビ東京)の番組制作を請け負う株式会社東京十二チャンネルプロダクション(現在の株式会社テレビ東京)を設立。
- 7月6日 - 初のテレビ中継局・栃原中継局が開局[61]。
- 7月31日 - (株)ミリカ音楽出版を設立する[61]。
- 8月4日 - テレビ政治討論番組『70年への対話』放送開始(1970年12月27日終了)[68]。
- 11月23日 - 第23回文化庁芸術祭テレビジョン部門参加のカラードキュメンタリー番組『日本音楽の生と死』(構成・脚本・解説:黛敏郎)を放送、同部門の奨励賞を受賞。後に英語版も制作され、翌年(1969年)の3月20日に、エミー賞国際賞のドキュメンタリー部門で入賞する[注釈 25][69][70][71]。
- 12月20日 - PR専門委員会を設置[61]。
- 1969年(昭和44年)
- 3月10日 - 「毎日放送非常災害対策要項」を制定[72]。
- 7月1日 - 欧州放送連合(EBU)に準会員として加入する[72]。
- 7月3日 - 桂三枝(現・6代桂文枝)が司会のテレビ全国ネットのバラエティ番組『ヤングおー!おー!』放送開始(モノクロ。1970年10月にカラー化。1982年9月19日終了)[72]。
- 8月23日 - 千里丘スタジオ内にミリカホールが完成、竣工修祓式を挙行する[72]。
- 8月24日 - 全国ネットのテレビ番組『がっちり買いまショウ』がカラー化[73]。これを機に、スタジオ・カラー・カメラを使ったスタジオ収録番組のカラー化が進んで行く。
- 9月1日 - ミリカホール完成記念式典を挙行。これを機に同日、千里丘スタジオを含む同地区社屋の呼称を、「千里丘放送センター」に決定する[72]。
- 10月1日
- 東京12チャンネル(現在のテレビ東京(TX))ともネットを結び、NETとのクロスネット局となる(1982年2月28日まで)。NETのみだった全国ネット番組を、一部東京12チャンネルへ切り替えて関西唯一のキー局宣言をする。このためNETとの関係が悪化し始める。ただ、MBSは、NETと東京12チャンネル→テレビ東京とのクロスネット局時代もNETが優位で、東京12チャンネル→テレビ東京とは、人気のある番組を中心とした非報道関係の番組の一部ネットにとどまった。
- 北米支局がマジソン街に移転する[72]。
- 10月5日 - 全国ネットのテレビクイズ番組『アップダウンクイズ』がカラー化[74]。
- 11月2日 - 全国ネットのテレビクイズ番組『ダイビングクイズ』がカラー化[75]。
- 11月15日 - 毎日放送懇話会が発足する[72]。
- 12月1日 - ミニFMカー「MBSパトロール」が活動開始[72]。
- 1970年(昭和45年)
- 1月1日 - NETをキーステーションとしたテレビニュースネットワーク、ANNが発足し加盟[76]。全国ニュースタイトルは、他の系列局に遅れて、4月より『ANNニュース』(スポットニュースは『MBSニュース ANN』)となる(それまでは従来通り『MBSニュース』だった)[注釈 28]。
- 1月3日 - 八木治郎司会による全国ネットの土曜朝の生ワイド番組『八木治郎ショー』放送開始(1980年10月4日に『八木治郎ショー・いい朝8時』に改題し、1983年4月18日に八木が急逝したことを受け、同年4月23日・30日に追悼特番が組まれ終了)。
- 7月1日 - ラジオのオールナイト放送を開始(日曜深夜を除く)[77]。
- 10月1日 - テレビキー局のNETがこの日、ゴールデンアワーの番組が全面カラー化[76]。
- 11月13日 - 第25回文化庁芸術祭テレビジョン部門に参加のカラーテレビドラマ『わが父北斎』放送[78]、同部門の優秀賞を受賞[71]。翌々年(1972年)9月25日には、第14回イタリア賞のテレビドラマ部門を受賞[79]。
- 1971年(昭和46年)
- 2月24日 - 京都支局が、京都市中京区御池通り鳥丸東入るの京ビルへ移転する[77]。
- 3月24日 - 生駒テレビ送信所に、双ループ1段の予備アンテナを設置する[77]。
- 4月3日 - 石ノ森章太郎原作のテレビ特撮ヒーロードラマ番組「仮面ライダーシリーズ」の第1作『仮面ライダー』放送開始(1973年2月10日終了)。
- 4月14日 - 千里丘放送センターのフィルム・テープ・ライブラリー室が完成、修祓式を挙行する[77]。
- 5月26日 - 民放連記録保存所毎日放送支所を、千里丘放送センター内に開設する[80]。
- 6月2日 - ソビエト連邦テレビ・ラジオ委員会と番組交換に関する基本協定を締結する[79]。
- 7月13日 - 米シカゴのWGNコンチネンタル放送と業務提携契約を締結する[79]。
- 9月1日 - (ラジオ)放送開始20周年。その記念として、大阪市に植樹資金100万円を寄贈する[79]。
- 9月4日 - 放送開始20周年記念番組として、ラジオでは『ラジオでいこう30時間50分』が、テレビでは『ミリカの丘』をそれぞれ放送する[79]。
- 9月24日 - 放送開始20周年記念番組として、花園ラグビー場から「全イングランド 対 全日本」戦を、ラジオ・テレビ共に独占中継する[79]。
- 11月1日 - 高石ラジオ送信所の出力を50kWへ増力する[29][79][81]。
- 12月31日 - この日を最後にNETの『23時ショー』のネットを打ち切り[79]、金曜日分の制作からも撤退。地方からの問題提起として話題を撒く。
- 1972年(昭和47年)
- 2月25日 - うめだ花月劇場のカラー放送設備が完成。翌々日の27日から使用開始[79]。
- 3月5日 - 高石ラジオ送信所の非常用予備アンテナ設備が完成する[79]。
- 3月24日 - 生駒テレビ送信所の非常用予備アンテナ設備が完成する[79]。
- 4月10日 - 梅田・阪急ファイブ4階にサテライト・スタジオを開設、使用を開始[79]。
- 5月9日 - ラジオ・アイデア懇談会が発足する[79]。
- 6月16日 - チェコスロバキア国営テレビジョン放送と業務協定を締結する[79]。
- 9月14日 - テレビ番組保存会議が発足する[79]。
- 9月30日 - ラジオのオールナイト放送を中止する[79]。
- 10月9日 - ラジオ平日朝の生ワイド番組『ごめんやす馬場章夫です』放送開始[79]。2003年9月26日終了まで、31年間も続いた。
- 10月14日 - ラジオ土曜朝の生ワイド番組『ごめんやす浜村淳です』放送開始[79]。
- 11月23日 - 『第1回フェニックスゴルフトーナメント(後の「ダンロップフェニックストーナメント」)』のテレビ実況中継を、宮崎フェニックスカントリークラブから、宮崎放送との共同制作で放送。以後同トーナメントは毎年開催され、テレビ中継も行われている(2023年時点も継続中)[79][82][83]。
- 12月4日 - ポーランド・ラジオ・テレビジョン放送委員会と友好業務協定を締結する[79]。
- 12月15日 - 千里丘放送センターに、ラジオの予備送信所(出力:1kW)が完成、郵政省(近畿電波管理局)から使用許可を取得[84]。
- 1973年(昭和48年)
- 1月28日 - ラジオ・テレビの『毎日新聞ニュース』の編集・リライト業務が、毎日新聞社から自社の報道局へ全面移行する[84]。これに伴い、ニュースタイトルを『毎日ニュース』に変更。
- 4月2日 - テレビ情報生番組『おはよう!4チャンネル』放送開始(途中中断を挟み、2024年8月現在も放送中)。
- 6月4日 - 西ドイツの第2ドイツテレビジョン協会と友好業務協定を締結する[84]。
- 6月7日 - 高石ラジオ送信所のフェーダー線の故障で、23時26分から翌日0時22分までの56分間、ラジオが停波する事故が起こる[84]。
- 6月13日 - ラジオ放送の千里丘放送センターから高石ラジオ送信所への(STLプログラム)中継回線の経路を、千里丘→生駒→高石に切り替える[84]。
- 10月 - テレビ、キー局のNETがこの月、全放送時間が100%完全カラー化(過去の再放送や故意の演出の場合等を除く)[85]。
- 10月7日 - テレビ番組『アップダウンクイズ』10周年記念番組を放送[84]。
- 11月22日 - 2号カラーテレビ中継車が稼働開始[84]。
- 11月25日 - テレビ番組『がっちり買いまショウ』10周年記念番組を放送[84]。
- 11月27日 - 生駒テレビ送信所の代替2号放送機(型番:PCN-10BAH)の火入れ式を挙行[84]。
- 12月2日 - テレビ番組『素人名人会』700回記念番組を放送[84]。
- 1974年(昭和49年)
- 1月14日 - 「第1次オイルショック」に伴い、内閣が前年(1973年)11月16日に「石油緊急対策要綱」を閣議決定したのを受け、それに沿った在阪民放テレビ4社の申し合わせで、24時以降のテレビ深夜放送を打ち切る処置を開始(同年5月19日まで)[84]。
- 4月1日 - ANN正式発足。ニュース協定締結[84]。
- 4月8日 - ラジオの生ワイド番組『ありがとう浜村淳です』放送開始[84]。
- 6月20日 - 高石ラジオ送信所の1号放送機を代替(型番:MB-136,100kW対応型)、火入れ式を挙行[86]。
- 8月20日 - 高石ラジオ送信所の送信アンテナに落雷事故発生、17時26分から33分間停波する[86]。
- 9月20日 - ラジオのオールナイト放送が、月〜金の深夜に於いて復活する[86]。
- 1975年(昭和50年)
- 1月7日 - テレビアニメ番組『まんが日本昔ばなし』放送開始。同年3月25日の放送を以って一旦中断するも、翌年(1976年)1月3日から新たに放送を再開、レギュラー放送は1994年3月31日終了。その後も、NET系列でデジタル・リマスター版を含めての再放送が行われた。尚、同番組は同年5月12日に、昭和50年度の児童福祉文化賞を受賞している。
- 4月6日 - 全国ネットのクイズ番組『パネルクイズ アタック25』放送開始。地上波全国ネットとしては46年半もの長寿番組となり、2021年9月26日に放送終了。その後2022年3月27日からBSJapanextにて自社が共同で制作し、著作権も共同で所有することで番組を再開、2024年8月現在も継続中。
- 9月29日 - MBSスカイサテライト(お天気カメラ)を大阪市東区・大阪大林ビル塔屋へ移設、使用開始[86]。
- 10月15日 - 生駒テレビ送信所のアンテナの故障で、テレビが21時から約90分間停波する[86]。
- 1976年(昭和51年)
- 1月5日 - 近畿広域圏では初のローカルワイドニュース『MBSナウ』放送開始。
- 5月24日 - ANN系列調査「アトラス」発足。
- 8月24日 - 1965年に起きた春闘長期ストライキによる争議(通称「(昭和)40年争議」)が発生から11年して解決し、労資双方が協定書に調印(翌月(9月)1日には和解協定書を交換)。
- 9月1日 - ラジオ開局25周年記念特番『人間バンザイ・ふれあいの1日』を、この日の正午から24時間連続放送。
- 9月25日 - テレビ番組『生きものばんざい』が、第1回優秀動物愛護映画コンクールの最優秀賞(内閣総理大臣賞)を受賞。
- 11月15日 - 自動番組制御装置(APM)に、新型(ゲンロックレス方式)を導入。
- 1977年(昭和52年)
- 4月8日 - 全国ネットのテレビドラマ『横溝正史シリーズ?』放送開始(全2シリーズ。第1シリーズはこの日から同年10月1日まで、第2シリーズは1978年4月8日から同年10月28日まで放送。)。
- 5月11日 - テレビ、VTR-CMの専用再生機(型番:ACR-25)の運用を開始。
- 5月15日 - ラジオ、周波数を1210kHzから1180kHzに変更。記念として、この日の放送開始の朝5時から24時まで19時間に渡り、記念特別番組を編成する。
- 7月2日 - 全国ネットの2時間のテレビドラマ番組『土曜ワイド劇場』放送開始(2017年4月8日終了)。自社は不定期に番組を制作・放送。
- 8月8日 - 阪急グランドビル31階に、ラジオ・サテライト・スタジオ「ラジオポートMBS」を開設、同所からの放送を開始。
- 9月1日 - 『まちがいやすい放送のことば』刊行。
- 11月21日 - フランス第1テレビジョン(TF-1)と業務協定を締結する。
- 1978年(昭和53年)
- 1月1日 - 『全国高等ラグビー大会』のテレビ放送を、この年の第57回から毎年放送(この年は、同月9日まで隔日毎に放送、決勝戦は全国33局ネットで放送。放送は2023年現在も継続中)。
- 1月2日 - ラジオ、『1日子供放送局』を放送。そこでの利益金800万円を、毎日新聞社社会事業団を通じて、施設に寄贈(1987年まで毎年行われた)。
- 5月15日 - 「テレビCMのビデオ一本化システム(CMバンクシステム)」稼働開始。
- 5月23日 - 生駒テレビ送信所の故障で、テレビが19時40分から27分間停波する。
- 6月1日 - 皇太子ご夫妻が、千里丘放送センターへ行啓。
- 7月1日 - 番組相談室を設置(2か月後の9月1日より業務開始)。
- 7月11日 - テレビ中型中継車(1号)稼働開始。
- 8月15日 - 西ドイツに、ボン支局を開局。
- 10月25日 - 毎放クラブを発足する。
- 11月1日 - オーストラリアの民放テレビ局「チャンネル・テン」と業務協力協定を締結する。
- 11月15日 - 緊急報道中継用の4号中継車が稼働開始。
- 11月23日 - 国際電気通信連合(ITU)の取り決めにより、中波のラジオ周波数が9kHzステップへ移行。それに伴い、午前5時をもってラジオの周波数を1180kHzから1179kHzに変更。
- 12月10日 - テレビの音声多重放送を開始(実用化試験放送)。
- 1979年(昭和54年)
- 5月11日 - 千里丘放送センタ内に、放送文化館竣工、4日後の15日から一般公開を行う(2003年4月閉館)。
- 6月20日 - テレビ、新APM(電算室からオンライン方式)への切り替えを完了。
- 7月16日 - ラジオ、新APMへの切り替えを完了。
- 8月10日 - ルーマニア・ラジオテレビジョンと業務協定を締結する。
- 0月1日 - MBSスカイサテライト神戸(お天気カメラ)を、神戸商工貿易センター屋上に設置、使用開始。
- 11月22日 - 毎年テレビ放送している『ダンロップフェニックストーナメント』に於いて、この年(同月25日まで開催)からMBSが主催社に加わる(2023年現在も継続中)。
- 12月9日 - テレビ番組『素人名人会』1000回記念番組を放送。
- 1980年(昭和55年)
- 1月17日 - 生駒テレビ送信所が落雷事故で17時23分から約55分間停波[90]。
- 2月20日 - 高石ラジオ送信所の電力設備代替工事が竣工[90]。
- 4月23日 - 報道専用のBスタジオ更新工事が竣工、使用開始[90]。
- 5月5日 - 30周年記念のテレビ番組『まんが日本昔ばなしスペシャル−火の国物語−』を放送[90]。
- 8月11日 - 高石ラジオ送信所の送信アンテナ支線更新工事が完了[90]。
- 9月1日 - 開局30周年記念のラジオ番組『ビバ!ラジオ 世界のヒット曲』を放送[90]。
- 9月23日 - 30周年記念のラジオ番組『ラジオジョギング・地球の資源を考える』を放送。
- 10月4日 - 30周年記念のテレビ番組『上方お笑いまつり』を、2部構成で5時間に渡り放送。
- 10月6日 - 30周年記念の全2シリーズに渡るラジオ番組『ニューミュージックフィエスタ1179kHz』放送開始(第1シリーズ:同月6〜10日、第2シリーズ:11月3〜7日)。
- 1981年(昭和56年)
- 1月15日・2月11日 - 開局30周年記念テレビ番組『萬里長城』を、2回(2部構成)に渡って放送[91]。
- 2月22日 - 30周年記念のテレビ番組『遥かなり厳冬のエベレスト・植村直己 壮絶の58日』を放送[91]。
- 3月24日 - VTR車が完成、使用開始。
- 4月1日 - 大阪腎臓バンク、大阪府医師会と共同で、ラジオによる腎臓提供登録キャンペーンを開始する。
- 6月1日 - テレビ・トータル・オンライン・システムの運用を開始。
- 7月23日 - Dスタジオの照明装置を、一点吊りのクロスバトン昇降装置に代替する。
- 8月31日 - 30周年記念ラジオ番組『ありがとう ラジオとともに30年』を、この日の正午から翌日(9月1日)の18時まで、30時間連続生放送。
- 9月1日 - 30周年記念テレビ番組『君はメニューインを聴いたか〜民放30年の問いかけ〜』を放送(年表内の1951年10月22日の項目も参照)。
- 9月5日 - 30周年記念テレビ番組『上方芸能まつり〜上方爆笑伝〜』を放送。
- 9月20日 - 30周年記念テレビ番組『さらば適塾』を放送。
- 9月23日 - 30周年記念テレビ番組『イスタンブールの宝石たち』を放送。
- 10月1日 - 東京12チャンネルが社名を「テレビ東京」に変更。
- 10月5日〜9日 - 30周年記念ラジオドラマ番組『炎のごとく〜日蓮の生涯〜』を、1日(1回)30分単位で5日間連続で放送、JRN30局へネットする。
- 10月30日 - 30周年記念公演「小澤征爾指揮 ボストン交響楽団演奏会」を、大阪フェスティバルホールにて開催。同時に公演のテレビ収録と音声では当時最先端のPCMデジタル録音も行う。その公演後半の演目「ストラビンスキー作曲 バレエ音楽『春の祭典』」が、翌年(1982年)の1月16日に、テレビ制作としては当時最先端のPCMデジタル録音を行った番組『小澤征爾と春の祭典・迫真のPCMライブ』(ステレオ放送)として全国放送。
- 1982年(昭和57年)
- 1月7日 - 『第61回全国高校ラグビー大会』の決勝戦を、民放テレビ完全独占で全国ネット放送する(以後、民放独占放送となる)。
- 2月11日 - 第1回『毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク』を実施。毎年初春の風物詩として毎年2月に開催。年2回の開催を経て、2012年(平成14年)の第31回から、開催日を3月20日(春分の日)に固定している(新型コロナウイルス感染が拡大している2020年(令和2年)は中止)。
- 3月1日 - テレビ大阪の開局に伴い、テレビ東京とのネットワーク関係を解消。
- 4月8日 - ラジオ送信機能にプリエンファシス方式を導入、放送開始。
- 6月20日 - 三笠宮ご夫妻が千里丘放送センターを見学。
- 7月1日 - 30周年記念公演として招聘した、スペインのモンセラート少年聖歌隊一行44名が来日。同月13日の離日まで各地で8回公演を行う。その際、神戸での演奏会の模様を中心にして、翌月(8月)1日に30周年記念のテレビ番組『カタロニアの風の歌「モンセラート少年聖歌隊演奏会」』(ステレオ放送)として全国放送。
- 9月1日 - 神戸支局と千里丘放送センター間のENG伝送ラインが開通する。
- 10月4日 - 第7スタジオをラジオ生ワイド番組放送用に改装、使用開始。
- 10月1日 - テレビ公開バラエティ番組『突然ガバチョ!』放送開始(1985年9月27日終了)。
- 12月8日 - テレビ音声多重本放送の免許を、第1号として取得する。
- 1983年(昭和58年)
- 1月7日 - テレビ紀行バラエティ番組『夜はクネクネ』放送開始(1986年12月23日)。
- 3月17日 - 生駒テレビ送信所にて、全固体化方式による新テレビ送信機が使用開始。
- 5月2日 - ラジオ番組『MBSヤングタウン』放送15周年記念イベント「ヤンタン野球大会」(第1回)を、西宮球場にて開催(以後、1986年〜1988年に毎年開催)。開催日の深夜には、テレビで特別番組の生放送を実施。
- 5月7日 - 全国ネットの土曜朝の生ワイド番組『八木治郎ショー・いい朝8時』の司会の八木治郎が急逝により同番組が前月終了したのを受け、その後継番組『すてきな出逢い いい朝8時』がこの日から放送開始(2001年9月29日終了)。
- 5月10日 - テレビAスタ改修工事完了、運用開始。
- 7月1日 - 京都支局と千里丘放送センター間のENG伝送ラインが開通する。
- 8月30日 - ファクシミリ(FAX)放送実験局の免許を取得。翌月(9月)7日から、随時実験放送を行う。
- 9月16日 - 新型テレビ中継車(ふくらむ中継車)導入。
- 10月9日 - 大阪築城400年まつりのオープニングパレード(第1回御堂筋パレード)を、大阪の民放テレビ5社(毎日放送・朝日放送・関西テレビ・読売テレビ・テレビ大阪)の共同制作による特別テレビ番組として、5社リレー形式で5時間に渡り生放送。5局によるリレー放送の初の試みとなる。
- 10月10日 - 川村龍一がパーソナリティーのラジオ平日早朝の生番組『おはようMBSです』放送開始(後に1986年10月からは『おはようMBS 川村龍一です』に、更に後には『おはよう川村龍一です』に改題し、2001年10月1日からは放送時間も拡大、2002年10月4日終了)。
- 10月14日 - ラジオ番組『それゆけ!』放送開始(1994年9月30日終了)。
- 12月4日 - 交響曲第9番 (ベートーヴェン)の第4楽章を1万人前後で合唱する『サントリー1万人の第九』の第1回公演を、主催(サントリーの協賛→特別協賛)事業として大阪城ホールで開催[96]、テレビ(ステレオ放送)での全国放送も行う。翌1984年(昭和59年)以降も、毎年12月の第1日曜日に催されている。
- 12月16日 - "光ファイバーケーブル・映像電送回線"が、千里丘放送センターと堂島本社間に開通する。
- 1984年(昭和59年)
- 兵庫県の独立局サンテレビジョンと業務提携を締結する。これに伴い、同社との報道協定も締結され、素材交換を開始した他、自社のプロ野球中継・選抜高校野球中継の放送時間外のトップ&リレー中継を同局で開始(2024年8月現在も継続中)。
- 1月25日 - 毎日放送アナウンサーが総出演のテレビバラエティ番組『あどりぶランド』放送開始。放送局のアナウンサー総出演のバラエティ番組の先駈けとなった。
- 4月9日 - ラジオ平日昼の生ワイド番組『すみからすみまで角淳一です』放送開始(途中、3年間の中断を挟み、1999年9月30日放送終了)。
- 6月3日 - テレビ『'84全米女子プロゴルフ選手権』の模様を、米現地にスタッフを送り、衛星中継による全国ネットで2日間放送(以後、毎年中継を行う)[96]。
- 6月9日 - 奈良支局と千里丘放送センター間のENG伝送ラインが開通する[96]。
- 7月7日 - 自社が企画・制作の一社として携わった劇場用映画第1号『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(SFアニメーション映画、東宝配給)が、関西地区で封切り(以後、全国各地で劇場公開)[96]。
- 9月1日 - 「新・まちがいやすい放送のことば」刊行[98]。
- 9月4日 - ラジオスポット・オンラインシステム稼働開始[98]。
- 10月1日 - 阪急航空とAS-350ヘリコプターを報道取材用に契約する[98]。
- 10月4日 - 東京支社制作の全国ネットのテレビドキュメンタリー番組『中村敦夫の地球発22時』放送開始(後に放送時間移動、中村敦夫の番組降板を経て、1991年9月18日放送終了)[98]。
- 10月8日 - 諸口あきらがパーソナリティーのラジオ平日夕方のニュースワイド番組『MBSイブニングレーダー』放送開始(後に1986年10月6日から『諸口あきらのイブニングレーダー』に改題し、2002年3月21日終了)[98]。
- 10月30日 - 米ABC放送との業務協定を締結する[98]。
- 1985年(昭和60年)
- 3月1日
- テレビ録音編集室「Fサブ」完成。
- MBSスカイサテライト(大阪のお天気カメラ)のカメラを2号機に代替する。
- テレビCMバンクのデーターオンライン化を開始する。
- 3月20日
- テレビ新CM編集システムの運用を開始。
- Cスタジオの副調整室(サブ)に新MA装置を導入、使用開始。
- 3月25日 - テレビ大型中継車を更新。
- 3月28日 - この日から開催された『第57回選抜高等学校野球大会』の自社の放送時間外のリレー中継を、初めてサンテレビにて行う。
- 4月1日 - コンピューターグラフィック(CG)室(Gサブ)稼働開始。
- 4月11日 - 米ABC放送と、相互協力に関する同意書を交換する。
- 8月29日・9月5日 - 35周年記念テレビ番組『仏法東漸』を、2回に渡って放送。
- 8月31日 - 35周年記念テレビ番組『MBS祭り 関西芸能人全員集合!祭りだ!!笑いと歌の大競演』を放送。
- 9月1日
- 35周年記念テレビ番組『御堂筋ライブパフォーマンス・はじめまして あした』を放送。
- 35周年記念ラジオ番組『昭和26年生まれ こうしてぼくらはラジオに出会った』を放送。
- 12月8日 - 『毎日甲子園ボウル』のテレビ独占放送権を取得。
- 12月27日 - テレビ年末年始編成にて、初の連日オールナイト放送を、翌年(1986年)の1月4日まで9日間実施。
- 3月1日
- 1986年(昭和61年)
- 1月2日 - 35周年記念ラジオ番組『100万人のメッセージ』を放送。
- 1月6日 - 労使間で「正常な労使関係の維持・形成」の覚書を調印する。
- 2月1日 - ラジオ放送のタイム契約設定のオンライン化稼働開始。
- 3月28日 - テレビ文字多重放送局の免許を取得(呼出符号:JOOR-TCM)。
- 4月1日 - マニラ支局を開設。
- 4月7日 - アナログ・テレビの文字多重放送を開始。
- 5月1日 - 徳島支局・高知支局と千里丘放送センター間のENG伝送ラインが開通する。
- 5月12日 - テレビ放送のタイム契約設定のオンライン化が稼働する。
- 5月19日 - ファクシミリ放送の実験調査を、テレビ放送終了後に実施する。
- 6月7日 - 電通と共同製作した35周年記念劇場映画『植村直己物語』(東宝配給)が全国で封切られる。。
- 7月12日 - 35周年記念テレビ番組『小澤征爾・ボストン交響楽団演奏会』(PCMデジタル録音・ステレオ放送)を、世界初の1インチのデジタル音声VTR(映像はアナログ)で送出、全国放送。
- 8月30日 - 35周年記念テレビ番組『ランドらんどランド』を放送。
- 9月1日 - 35周年記念ラジオ番組『ラジオヒューマンアンケート〜100万人が創る明日〜』を放送。
- 10月20日 - 自動指向装置搭載の新ヘリコプター(AS-355)の運用を開始。
- 12月25日 - 生駒テレビ送信所に付設するマイクロ受信基地の、ヘリコプター自動追尾付の第2回転マイクロ受信施設の運用を開始。
- 1987年(昭和62年)
- 1月7日 - 『第66回全国高校ラグビー大会』の決勝戦を、ハイビジョンで実験収録する。
- 2月19日〜21日 - LPGA公式戦・第1回『ツムラハワイアンレディースオープン』を、ハワイ・オアフ島で主催し、衛星中継でテレビ放送する。
- 3月26日 - 『第59回選抜高等学校野球大会』のこの日の開会式からのテレビ中継にて、国内テレビ初のサラウンド・ステレオ放送を実施する。
- 6月3日 - 高石ラジオ送信所の第2号送信機を、全固体化50kW送信機に更新。
- 6月7日 - ENGマイクロ伝送車の運用を開始。
- 8月18日 - 堂島本社、京都・神戸両支局からの顔出し放送設備が運用可能となる。
- 9月1日 - 関連事業6社に、"MBSグループ"の呼称使用を表明。
- 1988年(昭和63年)
- 3月1日 - MBS製作ビデオ第1作、オリジナルアニメ『ザナドゥ XANADU ドラゴンスレイヤー伝説』のビデオソフトを発売。
- 3月2日〜3日 - デジタル方式によるテレビファクシミリ試験電波を、テレビ放送終了後に発射する。
- 6月21日 - ラジオCM放送装置 "オーディオファイル" 運用開始。
- 9月1日 - テレビ文字多重放送で、4H(TVの走査線525本の内の4本)使用の番組放送を開始。
- 10月10日 - ラジオの新電話中継車が稼働。
- 10月15日 - プロ野球パ・リーグの南海ホークスの大阪球場での最終戦と "さよならセレモニー" を、テレビで独占中継。
- 12月6日 - 生駒テレビ送信所に、付設のVHF連絡無線基地局が開局する。
- 1989年(昭和64年/平成元年)
- 1月7日 - この日午前6時33分に昭和天皇の崩御に伴い、ラジオ・テレビ共に、(平成元年)1月8日放送終了時(翌日早朝)まで特別編成となる。
- 2月24日 - テレビ・ラジオで、大喪の礼の中継を中心とした特別番組を放送。
- 3月31日 - 高石・生駒両送信所に送信所監視システムを設置し、保管監視装置も導入。
- 4月1日 - アナログ・テレビの文字多重放送の放送時間を、朝6時開始の18時間放送に拡大し、その中で「MNNニュース」(日テレ系のNNNとは完全に別)を開始する。
- 4月2日 - 全国ネットのテレビ報道番組『サンデープロジェクト』放送開始(2010年3月28日終了)。
- 4月22日 - 人工衛星を使った中継システム "サテライト・ニュース・ギャザリング(SNG)"の千里仮設基地局を設置する。
- 6月2日 - 日本初のファクシミリ公開実験放送を、近鉄百貨店阿倍野店(現:あべのハルカス近鉄本店)で展示する。
- 6月9日 - VHF・UHF連絡無線システムの六甲基地局を開設する。
- 7月3日 - SNG完成式を、ミリカホール前広場で挙行。
- 7月8日 - 自社でのANN系SNG(A-SAT)初運用を、自社の土曜朝の全国ネットのテレビ番組『すてきな出逢い いい朝8時』にて行う。
- 7月12日 - "ミリカ音楽出版" が、"(株)MBS企画" に社名を変更、総合ソフト会社として再発足する。
- 9月1日 - テレビ・クリアビジョン(EDTV)の放送を開始。
- 12月1日 - 住友商事と共同で、スペースビジョンネットワーク(SVN)(現在の "GAORA" )を設立。
- 1990年(平成2年)
- 2月5日 - 神戸に、簡易FPU受信装置を設置する。
- 4月16日 - お笑いタレント明石家さんまによるテレビ番組『痛快!明石家電視台』放送開始(2024年8月現在も継続中)。
- 5月4日 - ボン支局にベルリン分室を開設する。
- 5月27日 - 『第1回北京国際トライアスロン選手権』をテレビで衛星中継録画にて放送。
- 5月31日 - 大阪市北区茶屋町に建設した15階建ての新本社・放送センターの竣工式を挙行。
- 6月6日 - 茶屋町の新社屋と千里丘放送センター間に新たにマイクロ回線を2回線新設、翌々月(8月)1日には更に1回線増設し、3回線となる。又、これとは別に、7月1日には同区間に新たに光ファイバーも開通する。
- 7月 - 毎日放送の社名ロゴタイプを変更。前代ロゴを少し細く・丸帯びたようなものであった。但し、MBSのロゴは従来通り。新しいデザインによる社旗(三色旗)、社章(バッジ)制定。
- 7月28日 - 新社屋への移転を開始する(9月末まで)[105]。
- 8月20日 - ラジオのマスターを新社屋に移動、同所からの放送を開始[105]。
- 8月21日 - 新社屋SNG基地局の運用を開始[105]。
- 8月27日
- テレビのマスターを新社屋に移動、同所からの放送を開始[105]。
- 開局40周年記念スペシャルウィークとして、翌月(9月)2日までテレビで特別番組を編成[105]。
- 9月1日 - この日、(ラジオ)開局40周年。
- 大阪市北区茶屋町に新本社・放送センターが完成。同区堂島(毎日大阪会館内)にあった登記上本店機能と吹田市の千里丘放送センターの機能の一部を移転・統合[29][105]。
- 併せて、本社ビルの放送機器の火入れ式を挙行[105]。
- 『開局40周年・新社屋放送開始記念の特別番組』を、同日からテレビは2日間、ラジオは5日間にわたってを制作・放送(詳細は同項を参照)[105]。
- 10月7日
- ドキュメンタリー番組『テレメンタリー』放送開始[111]。当初は関西ローカルだったが、半年後の翌年(1991年)4月からANN系列のフルネットの地方局が少しずつ参加し始めるようになり、1992年4月からはANN系列のフルネット局全局が番組に参加、各局週替わりで制作を担当し、2024年8月現在も継続中。
- 西岸良平原作の全国ネットのテレビアニメ番組『三丁目の夕日』放送開始(1991年3月31日終了)。1992年3月9日には、当番組が中央児童福祉審議会の推薦文化財に決定する[106]。
- 10月29日 - 東京支社が、パレスサイドビル9階へ移転する[105]。
- 1991年(平成3年)
- 1月17日 - ラジオ、この日未明、「湾岸戦争」に於いて「多国籍軍による攻勢作戦」が開始されたのを受け、この日の午前9時から翌月(2月)28日まで、合計90番組・延べ188時間の同関連番組を編成[107]。
- 1月21日 - 前述の湾岸戦争の動きを受け、『湾岸プロジェクトチーム』を発足する[107]。
- 1月26日 - 前述の湾岸戦争の動きを受け、テレビ番組『MBS特集 どうなる戦争、どうする日本』を放送。
- 3月26日〜4月5日 - 『第63回選抜高等学校野球大会』の模様を、大会期間中NHKの協力を得て、ハイビジョンによる中継を、NHK衛星第2テレビジョン(BS2)の『ハイビジョン実験放送』枠内で連日行う[注釈 38][107]。
- 4月13日 - 40周年記念テレビ番組『不東(ひがしせず)〜薬師寺・三蔵院建立の記録〜』を放送。
- 4月20日 - 自社が「1979年プロ野球日本シリーズ第7戦」の放送の際に、9回裏に広島東洋カープのピッチャーとして登板していた江夏豊が、自らピンチを招くも後続の打者を打ち取って日本一を決めた際の模様を収録したビデオソフト『Numberビデオ「ドキュメント 江夏の21球」』を、文藝春秋社と共同で出版発売する。
- 5月13日 - MBS(ANN)ベルリン支局を発足。これに伴い、ボン支局はベルリン支局ボン分室となる。
- 7月6日 - キャンペーン "近畿は美しく" のイメージテレビ番組『きんきに拍手』放送開始(同年10月から『近畿は美しく』に改題)。
- 8月6日 - 本社と甲子園球場間に光ファイバー伝送回線が開通[107]。
- 9月27日 - 40周年記念テレビドラマスペシャル『藤山寛美物語〜笑いはいつも涙と夫婦である〜』を放送[108][109]。
- 10月9日 - 全国ネットのテレビドキュメンタリー教養番組『地球ふしぎ体験紀行 新ビーグル号探検記』放送開始(同年12月25日終了)。同年12月24日には、当番組が中央児童福祉審議会の推薦文化財に決定する[106]。
- 10月10日 - ラジオ番組『ごめんやす馬場章夫です』放送20周年記念の公開生放送を、本社内の「ギャラクシーホール」にて行う[106]。
- 10月20日 - 「第11回 大阪まちなみ賞(大阪都市景観建築賞)」に於いて、「毎日放送本社ビル、クラレ・ニッセイビル(梅田ロフト)とちゃやまちプロムナード」が、大阪市長賞を受賞[106][110]。
- 1992年(平成4年)
- 3月12日 - AMステレオ放送の本免許を取得。
- 3月15日 - 午前9時、ラジオのAMステレオ放送開始(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、朝日放送と同時)。
- 10月6日 - (10月5日深夜)平日深夜に、大阪うめだ花月シアター(後のうめだ花月)から生放送の情報バラエティーテレビ番組『テレビのツボ』放送開始(1995年9月30日(29日深夜)終了)。
- 10月10日 - ラジオ番組『おはようMBS 川村龍一です』の10周年記念公開生放送を、本社ギャラクシーホールにて行う。
- 1月6日 - 「骨髄移植キャンペーン」のテレビスポット放送を開始。同年5月27日には、このキャンペーンに対し、厚生大臣から感謝状が贈られる。
- 1月8日 - "近畿は美しく" キャンペーン企画「私の好きな近畿の道50選」を発表(毎週土曜日に、報道テレビ番組『MBSナウ』内で紹介)。
- 3月8日 - ラジオの新しいロゴ「?!」(ハテナ、ビックリ)を発表。
- 10月1日 - (1989年12月に共同設立した)スペースビジョンネットワーク(SVN)が、CSテレビ放送を、チャンネル名「GAORA」で放送開始。
- 年内 - 在阪AM4局(NHK大阪、MBS、ABC、ラジオ大阪(OBC))で、"在阪AMラジオ災害問題協議会"(翌々年の1995年に、現在の "AMラジオ災害問題協議会" に名称を変更)を発足する。
- 3月20日 - 『平安建都1200年記念「京都国際ハーフマラソン」』を、KBS京都とテレビ共同中継を行う。
- 3月28日 - 平成5年度のテレビ年間視聴率が、14年ぶりに全日で首位を記録。
- 6月15日 - この年の9月4日に開港する関西国際空港内に、MBS記者室を開設する。
- 7月1日 - 大阪府教育委員会から、千里丘放送センター内の放送文化館の開設から15年間の放送教育振興への寄与に対し、感謝状が授与される。
- 8月2日 - MBSグループマルチメディア連絡会が発足する。
- 8月20日 - ラジオ番組『それゆけ!』の中で、自社の某アナウンサーが行った"カンボジアの国内旅客機操縦" というリポートが問題化する(詳細は「該当項目」を参照)。
- 9月1日 - "在阪AMラジオ災害問題協議会" の第1回放送として、加盟局4局で、"地下で聴けるAMラジオ"を、なんばCITYから公開リレー放送を行う。
- 10月1日 - MBSライブラリー検索システムのデータ入力作業を開始する。
- 1月15日 - 45周年記念の月1回のテレビ番組『心の残像 関西・戦後50年の風景』放送開始。
- 1月17日 - 午前5時46分、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生。
- これにより、自社の本社社屋内も、ニューススタジオにあったセットが倒壊する等の被害を受ける。
- 発生後、テレビ・ラジオ共に緊急の震災特別編成に変更。当日午前からすべてのCMをおよそ2日間中止し、その放送枠に安否情報や生活情報を挿入。CM再開後もミニ番組などを休止し同様の情報を1月28日まで連日放送。尚特別編成は、テレビでは同月19日まで、ラジオでは同月28日まで続いた。
- 3月24日 - テレビ番組『証券レーダー 北浜ホットライン』が放送終了。31年余の大阪証券取引所からの中継を終了する。
- 4月1日
- インターネットにMBSホームページを開設する(同年8月1日に、本格運用を開始)。
- テレビ『まんが日本昔ばなし』20周年記念特別編を放送(同月21には記念ビデオソフトも発売する)。
- 4月6日 - 45周年記念テレビ番組『自然と人間スペシャル 椎名誠のモンゴル紀行』を放送。
- 4月15日 - 震災関連ラジオ番組『ネットワーク1・17』放送開始(2023年8月現在も随時放送中)。
- 5月1日 - NTTのテレドームに加入。MBSラジオが同サービスを通じて、関東地区での聴取が可能となる(料金は聴取者負担)。
- 5月7日 - ラジオ番組『蜂谷薫のサンデー競馬』がこの日スペシャルとして、米クラシック三冠の第1戦「ケンタッキーダービー」を現地から中継する。
- 5月28日 - 45周年記念ラジオドラマ番組『深い河』を放送。
- 6月4日 - テレビ番組『素人名人会35周年記念スペシャル』を放送。
- 7月1日 - 書籍『阪神淡路大震災・MBS報道の記録』(毎日放送報道局:編)を刊行する。翌月(8月)10日には、ビデオソフト『映像記録 阪神淡路大震災』を発売する。
- 7月30日〜8月3日 - 45周年記念テレビ番組として、5日間にわたり、大阪フィルハーモニー交響楽団の創設者で当時音楽監督・常任指揮者でもあった朝比奈隆の特集番組を、5日間に渡って放送。
- 9月1日
- 従来の"在版AMラジオ災害問題協議会" にラジオ関西が加盟し、 名称を"AMラジオ災害問題協議会" に変更、加盟AMラジオ5局によるラジオ番組『神戸発・命のラジオ』を、共同制作で放送。
- 45周年記念事業として、写真集『近畿は美しく』を、毎日新聞社から発刊する。
- 9月10日 - ラジオ番組『蜂谷薫のサンデー競馬』がこの日スペシャルとして、フランスのG1レースを現地から生中継する。
- 11月26日 - 千里丘放送センターの敷地内に、ミリカ天然温泉 "千里の湯" が開業する(2006年12月31日で閉鎖)。
- 12月17日 - 45周年記念テレビ番組『第50回記念毎日甲子園ボウル』を放送。
- 12月24日
- 45周年記念テレビ番組『桜散る日に〜出陣学徒の交響楽「第九」歓喜の歌〜』を放送。
- 甲山マイクロ中継基地が完成する。
- 和歌山放送社屋内に、和歌山ENG伝送基地が運用開始。
- 2月3日 - 京都支局が移転。同支局内に報道スタジオを設置する。
- 4月23日 - 「TBSの坂本弁護士のビデオテープ問題」が起きたのを機に、自社で放送番組検討委員会と放送番組問題対策委員会を設置する。同年8月1日には、「制作・取材における素材の取り扱いについて」の小冊子を作成し、社内に配布する。
- 5月1日 - 番組アドバイザーを、ラジオ・報道・テレビ制作の各局に設置する。
- 5月23日 - 同社のイメージキャラクター「エムぞう」のスポット放送を開始する。
- 8月31日
- ラジオ開局45周年記念番組『21世紀への大航海〜ラジオdeマルチコミュニケーション』にて、インターネット上のホームページでのサイマル放送等を展開する。
- 45周年記念テレビ番組『MBS超ワイド祭クイズマラソン!』、『8.31カラオケ決戦』を放送。
- 9月1日 - 45周年記念テレビ番組『大阪上海・爆笑電視台』を放送。
- 10月6日 - 45周年記念テレビ番組『藤山寛美7回忌追善「届け!天国の父へ」』を放送。
- 10月24日 - テレビ『日本シリーズ第5戦 オリックス・ブルーウェーブ 対 読売ジャイアンツ』の試合を、グリーンスタジアム神戸から全国生中継。関西地区で、40.2%の視聴率を記録する。
- 12月4日 - 在阪のANN系列支社長の親睦会「ANN虹の会」がスタートする。
- 12月17日 - 淀川6番館の8階に、"MBS分室プラネット" を開設する。
- 1月23日 - 自社のラジオ局が、「タクシー防災リポーター」制度を発足する。
- 3月6日 - テレビ・ラジオのネット回線用に使う、MBSとNTT大阪端局間の伝送を、光ケーブル化する。
- 3月17日 - 45周年記念テレビドラマ番組『古都の恋歌』を放送。
- 3月31日 - LANによる視聴率閲覧システム "MIRACLE" 運用開始。
- 4月1日 - 京都AMラジオ中継局が開局する(周波数:1179kHz、出力:300W)。
- 7月1日 - ベルリン支局が移転する。
- 10月10日 - ラジオ番組『おはよう河村龍一です』の記念イベント "15回目の10月10日" を、本社ギャラクシーホールにて開催。
- 11月10日 - MBS自動アナウンス装置 "MAAS" が完成。
- 11月23日 - ラジオ番組『ごめんやす馬場章夫です』の25周年記念イベント「ひと足早いバンちゃんの還暦イベント」を、本社ギャラクシーホールにて開催。
- 1月11日 - テレビ番組『真珠の小箱』2千回目を放送[118]。
- 2月3日 - 報道局奈良支局を開設する[118]。
- 3月16日 - 「テレビ番組ライブラリー検索システム」のLANでの運用を開始[118]。
- 3月18日 - テレビ番組『あどりぶランド』放送終了(全放送回数:690回)[118]。
- 3月25日 - アナログ・テレビのデータ多重放送「MBS DATA PARADE」「EPG」を開始[29][118]。
- 4月26日 - 自己検証のテレビ番組『MBSマンスリーリポート』放送開始[118]。
- 11月29日 - 平成10年度(第53回)文化庁芸術祭ラジオ部門参加ドラマ『ハート オブ ゴールド』放送。翌年(1999年)1月8日に、同部門の大賞を受賞する。
- 3月18日 - ラジオ、自社の3番組に於いて、インターネットでの配信を開始する[119]。
- 4月1日 - テレビデータ多重放送「ADAMS」放送開始[135]。
- 4月4日 - 20年3カ月続いたラジオ番組『末次攝子の日曜サロン』放送終了[119]。
- 5〜6月 - この期間内に、自社のローカル番組の視聴率が相次いで過去最高の新記録を生み出す(5月27日『おはようコールMBS』9.1%、6月9日『おはよう4チャンネル』が19.2%)。
- 5月6日 - 名古屋支局を移転する[119]。
- 5月8日 - ラジオ番組『ありがとう浜村淳です』25周年記念イベントを、フェスティバルホールにて開催。その後、同記念イベントを年内計5回開催する[119]。
- 5月12日 - 「コンピューター西暦2000年問題対応(Y2K対策)連絡会」が発足する[119]。
- 7月9日 - ラジオキャンペーン「1179ラジオの日」(キャッチコピーは "耳のごちそう" )を実施[119]。
- 10月1日 - ラジオ番組『MBSヤングタウン』月 - 金曜分の放送を終了[119](土・日曜分は放送を継続。後に、2018年(平成30年)4月6日から金曜分、MBSラジオへのラジオ放送事業移管後の2021年(令和3年)10月4日から月 - 木曜分の放送を再開)。
- 10月11日 - テレビ情報生番組『ちちんぷいぷい』放送開始(2021年3月12日終了)[119]。
- 11月1日 - ビデオソフト『皇室の二十世紀』を発売[119]。
- 11月22日 - テレビドキュメンタリー番組『映像'90「ふつうのままで」』が、第29回国際エミー賞の最優秀賞を受賞する[121]。
- 12月13日 - 放送情報管理システムが、Y2K対策として、旧ACOSから「MEISTER」へ交代、稼働開始[122]。
- 12月29日 - 年末年始のY2K対応で、翌年(2000年)1月3日までにのべ357人が出勤する[122]。
- 2000年(平成12年)
- 1月16日 - 50周年記念テレビ番組『京都・尼門跡』を放送[122]。
- 2月28日 - Y2K問題第2次対応を実施、影響なし[122]。
- 2月29日 - ベルリン支局が、ZDFベルリン支社内へ移転する[122]。
- 3月6日 - 「毎日放送テレビ教育会議」が、42年間の活動を終了する[122]。
- 3月24日 - 同社のホームページにおいて、1954年(昭和29年)12月から1960年(昭和35年)9月まで日活系映画館で上映されたニュースフィルム『日活世界ニュース』をデジタル化して一般公開するサイト "MBSモノクローム" を一般公開する(2024年8月現在閉鎖。閉鎖時期は未定)[122][123]。
- 7月28日 - プロ野球 阪神タイガースのゲームを、インターネット生中継開始(翌月(8月)1日から、有料配信となる)[122]。
- 8月26日 - 50周年記念テレビ番組『MAKE-A-WISH 夢叶え人』を放送[122]。
- 8月28日 - 社屋内の分煙がスタートする(オフィス内が原則禁煙となる)[122]。
- 9月1日 - 開局50周年記念ロゴマークを制定する[122]。
- 9月29日 - 平日夕方のテレビ報道番組『MBSナウ』放送終了。同年10月2日より『VOICE』へとリニューアル、放送開始(2019年3月29日終了)[124]。
- 12月18日 - NTTドコモの「iモード公式サイト」に参画する[125]。
- 12月21日 - テレビ番組『乾杯!トークそんぐ』放送終了(計554回)[125]。
- 2001年(平成13年)
- 3月31日 - ユニバーサル・スタジオ・ジャパン内に「MBSスタジオ in USJ」完成[29]。
- 4月14日 - 土曜デイタイムの情報生番組『せやねん!』放送開始。
- 2003年(平成15年)
- 10月7日 - なんばパークス内にラジオ局のサテライトスタジオとなるパークスラジオパラダイスをオープン。
- 6月2日 - テレビ放送部門における番組宣伝のメインキャラクターとして、「らいよんチャン」がデビュー。後に同局を代表するキャラクターに成長する[126]。
- 12月1日 - 午前11時に地上デジタルテレビジョン放送(JOOR-DTV)を開始(ISDB-T方式)[29]。
- この際、社長・山本雅弘(当時、後に会長を歴任)の提案で、地域に根ざした放送局を目指す「スーパーリージョナルステーション」にすることを宣言。
- 2004年(平成16年)
- 3月1日 - アナログ・デジタル統合マスター(NEC製)運用開始。
- この頃発行していたベリカード(テレビ・ラジオ共通)は、前述のアナログ・デジタル統合テレビマスターの全景写真(パノラマ撮影)がデザインされていた。
- 3月29日 - 平日朝のテレビ報道・情報バラエティ番組『あん!』放送開始。
- 7月 - 在阪放送局主体のイベントとしては初となる「オーサカキング」を大阪城公園一帯で開催、40万人を超える人出となる。好評につき、2008年(平成20年)まで開催された。
- 3月1日 - アナログ・デジタル統合マスター(NEC製)運用開始。
- 2006年(平成18年)
- 4月1日 - 地上デジタルテレビのワンセグ放送を開始。
- 年内 - 2005年度テレビ年間視聴率において、全日・プライム・プライム2(午後11時〜翌日午前1時の時間帯)において首位を獲得し、三冠を達成した。三冠御礼として、4月6日・7日の2日間、局内の社員食堂の昼食が無料となった。
- 2007年(平成19年)
- 4月26日 - ソニー製の大型ハイビジョン中継車システムを納入(車体には、自社のキャラクター「らいよんチャン」のイラストが描かれている)。ソニーとしてはこれが国内製造100台目のHD中継車システムとなる。
- 2008年(平成20年)
- 2月6日 - 千里丘ミリカセンターがオープン。
- 2010年(平成22年)
- 3月1日 - 未明の放送終了を以ってラジオのAMステレオ放送を終了。早朝4:30の放送開始よりモノラル放送に移行。
- 3月15日、ほかの在阪ラジオ5局と共同でインターネットでのサイマル放送「radiko」を試験的に開始(大阪府・京都府・兵庫県・奈良県。2010年(平成22年)12月1日からは滋賀県・和歌山県にも拡大)。「radiko」ではステレオ配信を実施している。
- 2011年(平成23年)
- 7月24日 - この日正午をもって地上アナログテレビ放送を終了(テレビ朝日制作『スーパーベースボール オールスターゲーム第3戦』の放送中に終了)。23時58分からはアナログ完全終了の為の特別のクロージングが流され、23時59分にアナログ放送が完全に停波。新聞・テレビ情報誌の表記が「毎日テレビ」「毎日ラジオ」から「MBSテレビ」「MBSラジオ」に変更される。アナログ放送停波前に特別な局名告知が放送され、こちらの映像は同局の公式Youtubeチャンネルにアップロードされている。
- 9月1日 - 開局60周年を迎えることを記念として、CIを刷新。"MBS"及び"毎日放送"ロゴマークの現行のものに変更、コーポレートカラーに黄緑色を制定する。(テレビ中継車の一部を黄緑色を基調としたデザインに変更。同時に4マーク及び1179マークも変更。社旗は黄緑地に白抜きで「MBS」の新ロゴ、その下に黒字で「Mainichi Broadcasting System,Inc.」と表記された物に変更。また社章(バッジ)は2011年(平成23年)度入社分までは従来の物を使用しているが、2012(平成24年)度分から新デザインにて使用される。)テレビでの製作・著作クレジット表示を毎日放送からMBSに統一。
- 2013年(平成25年)10月1日 - 高石ラジオ送信所(大阪府高石市)の敷地内で「毎日放送高石太陽光発電所」の運営を開始。これを機に、在阪の放送局では初めて太陽光発電事業に乗り出した。なお、同発電所で生み出された電力は、20年間の予定で全量を関西電力に販売する。
- 2014年(平成26年)4月4日 - 午前11時7分9秒に、本社「B館」がグランドオープン。このオープンを機に、「あらためまして、MBS」というキャッチフレーズを使用。
- 2015年(平成27年)4月20日 - 本社B館に災害時でも確実に放送を継続できるように対応した新しい主調整室(マスター)に移転更新され、運用を開始(NEC製)。
- 2016年(平成28年)
- 3月19日 - この日の正午放送の在阪3局共同制作特別番組『ほんまもんのワイドFMをハッキリ愛して』より、朝日放送ラジオ・ラジオ大阪と共に、奈良県生駒市の生駒山にある生駒FM補完中継局からFM補完放送(ワイドFM、90.6MHz)を開始(ステレオ放送)[29][129]。
- 7月28日 - 認定放送持株会社に移行する計画であると発表、同日付で分割準備会社である「毎日放送分割準備株式会社」を設立[29][130]。
- 9月 - 在阪の放送事業者では初めて、気象庁から予報業務許可事業者としての実施許可を受けた(許可第202号)[131]。この許可によって、近畿地方などを対象に、毎日放送が独自に調査した天気予報(ピンポイント予報など)をテレビ・ラジオ番組で放送できるようになった[132]。
- 9月6日 - 同月1日にラジオの本放送開始65周年を迎えたことから、ワイドFMの周波数 (90.6 MHz) にちなんで、9月6日を「MBSラジオの日」にすることを発表。日本記念日協会に申請したところ、記念日として正式に認定されたため、この日に放送された『ありがとう浜村淳です』内で登録証の授与式が催された。放送局によるワイドFM用周波数にちなんだ記念日の登録・認定は日本初の事例で、AM用周波数にちなんだ記念日を含めても、文化放送・ニッポン放送に次ぐものである[133]。また、当時と同じ阪急百貨店うめだ本店屋上に、「民間放送誕生の地」記念プレートを設置。
- 10月 - 開局65周年を記念した特別企画として、13日から16日までの期間に、クルーズ客船「ぱしふぃっくびいなす」のチャーターによる有料のスペシャルツアー「MBSプロデュース 豪華客船 神戸発着3泊4日の旅『ドリームズ・カム・クルーズ』」を開催。船上では、テレビ番組(『ちちんぷいぷい』『せやねん!』)・ラジオ番組(『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』『ヤマヒロのぴかいちラジオ』)向けの生中継や、テレビ・ラジオのレギュラー番組(『プレバト!!』『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』)からの派生企画などのイベントを連日実施した。最終目的地の屋久島に到着した15日には、『あっぱれ!屋久島ツアー 神秘の島でパワーをもらっちゃおうスペシャル』を生放送(11:57 - 12:54)。また、近藤光史(元・アナウンサーで『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』パーソナリティ)や山中真アナウンサーの案内によるオプショナルツアーを開催した。
- 2017年(平成29年)
- 1月6日 - 前年9月に気象庁から気象予報業務の実施許可を受けたことを背景に、この日放送の『ちちんぷいぷい』から、毎日放送の独自調査による「ピンポイント天気予報」(特定の地点に向けた天気予報)の放送を開始。同年9月29日まで、毎週金曜日の第2部(関西ローカルパート)エンディングで放送していた。
- 4月1日 - 放送法などの手続や総務大臣の認可などを経て、同日付で(旧)毎日放送の商号を「MBSメディアホールディングス」に変更[29]。全国で8社目、在阪準キー局では初めて放送持株会社体制へ移行した。また、分割準備会社である毎日放送分割準備に放送事業などを承継させたうえで、「(新)毎日放送」(以下「新社」と略記)を発足。新社ではテレビ放送事業とラジオ放送事業を分割せず、従来のラ・テ兼営体制を維持する[1][130] ほか、旧社に所属していたアナウンサーや番組スタッフも新社に自動転籍したうえで引き続き勤務している。
- 4月3日 - テレビの『ちちんぷいぷい』に続いて、ラジオの平日生ワイド番組『松井愛のすこ〜し愛して♥』『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』や、ラジオのプロ野球中継『MBSベースボールパーク』(阪神甲子園球場から阪神タイガースの主催試合を中継する場合)でも毎日放送の独自観測に基づく天気予報のレギュラー放送を開始。
- 2018年(平成30年)7月29日 -(28日深夜)午前3時半頃〜午前6時10分まで、台風12号の影響で高石ラジオ送信所に落雷があり、約2時間半中波での放送が停止した。落雷による放送停止は同社が1951年にラジオ放送を開始して以来初めて。茶屋町の本社にある予備送信所を使用して代替放送したが、出力が1kWなため電波は大阪市内と北摂地域周辺にしか届かなかったと見られる[134]。なおFM補完中継局やradikoでの放送に異常は無かった。
- 2019年(平成31年/令和元年)
- 1月8日(7日深夜) - 対話型ヒューマノイドロボット「CommU(コミュー)」3体(せんた・れふた・らいた)が人間の悩みに答えるテレビ番組『ロボロボ』を、この日からレギュラーで放送。石黒浩(大阪大学特別教授)を初めとするロボット工学の研究者と毎日放送による産学連携プロジェクトに沿った共同研究実験(番組表上の略称は「阪大MBS」)の一環で、人間が一切登場しない代わりに、ロボットだけで進行するテレビのレギュラー番組は日本の放送局で初めてとされる[135]。
- 1月28日 - 本社M館の2階に新装された「ライブセンター」の運用を、この日の『ちちんぷいぷい』の生放送から開始。
- 4月1日 - 『ちちんぷいぷい』のレギュラー放送枠を番組史上最短の1時間55分(13:55 - 15:50)まで短縮したうえで、同日から全編を同時ネット番組として放送。また、同番組の関西ローカルパートと『VOICE』の放送枠を統合したうえで、平日の15:50 - 19:00で総合情報番組『ミント!』の放送を開始。
- 7月16日 - 千里丘ミリカセンターが閉鎖[29]。
- 11月1日 - 「日本一早い2025大阪万博応援番組」と銘打ったラジオ番組『ばんぱく宣言 われら21世紀少年団』を、この日から2025年(令和7年)までの6年間にわたってレギュラーで放送。
- 2020年(令和2年)
- 4月 - 年頭から日本国内で新型コロナウイルスへの感染が拡大していることへの対応策として、テレビ・ラジオ番組の制作・放送体制を平時から大幅に変更。その一方で、テレビ制作局のプロデューサー時代に『ちちんぷいぷい』などの番組を立ち上げた岡田公伸取締役が、感染に伴う心筋症のため9日に60歳で急逝した。以上の事態を受けて、20日(月曜日)からは、同番組と『ミント!』の放送枠を暫定的に統合。『おうちにいようよ ちちんぷいぷい&ミント!』(5月最終週のみ『あしたのために ちちんぷいぷい&ミント!』)というタイトルで、5月29日(金曜日)まで放送している。
- 2021年(令和3年)
- 1月14日 - 『ありがとう浜村淳です』に第1回から(放送休止期間や休暇期間を除いて)出演を続けてきたパーソナリティの浜村淳(当時86歳)が、検査入院を理由に、同番組を初めて完全に休演。前日(13日:水曜日)の出演後に受けた定期検診で脳内の血管にごく小さな梗塞が見付かったことに伴う入院で、15日(金曜日)放送分にも出演を見合わせたが、16日放送分の土曜版(『ありがとう浜村淳です土曜日です』)に電話で出演。18日(月曜日)放送分からスタジオに復帰した。
- 3月5日 - 新型コロナウイルス感染拡大の影響で毎日放送グループ全体の収益が急速に悪化していることなどを背景に、「Newsミント!」を除く『ミント!』の関西ローカルパートの放送をこの日で終了[136]。「Newsミント!」については、『VOICE』と同様の単独番組として、8日(月曜日)以降も26日(金曜日)まで放送した。
- 3月10日 - 株式会社毎日放送が保有するラジオの中波(AM)放送と超短波(FM)補完放送の免許を、4月1日付で「毎日放送ラジオ分割準備株式会社」が承継することについて、総務省が武田良太総務大臣(当時)の名で許可[137]。
- 3月12日 - 『ミント!』と同様の事情で、『あん!』『ちちんぷいぷい』の放送をこの日で終了。『ちちんぷいぷい』の関西地方における放送期間はおよそ21年半、放送回数は5,115回であった。
- 3月29日 - 平日・土曜朝のテレビ報道・情報バラエティ番組『よんチャンTV モーニング』、平日夕方のテレビ報道・情報バラエティ番組『よんチャンTV』放送開始。
- 4月1日 - 毎日放送(新社)が保有するラジオ放送事業とラジオ放送免許を、吸収分割方式で毎日放送ラジオ分割準備株式会社[138](MBSメディアホールディングスの全額出資で2020年5月28日に設立)へ承継[27][139]。毎日放送ラジオ分割準備会社は、商号を「株式会社MBSラジオ」に変更した[29]。毎日放送(新社)については、テレビ放送事業とテレビ放送免許を保有するテレビ単営局として、「株式会社毎日放送」という商号を引き続き使用[136]。その一方で、デジタルテレビ放送のコールサインを、JOOR-DTVからJOOY-DTVに変更した[140]。このため、毎日放送(新社)では、変更時刻の前後(0:00)に『らいよんチャンネル』(番宣番組)を編成。『よんチャンTV』のスタジオセットで収録された映像を通じて、同番組MCの河田直也アナウンサーが変更を告知した。
- 7月23日 - 新日本放送の設立へ尽力した後に、毎日放送で社長などを歴任した高橋信三の遺志に沿って1993年(平成5年)5月に設立された公益信託高橋信三記念放送文化振興基金が、放送関連の活動に対する助成金の2021年(令和3年)度交付式を大阪市内で開催。この基金では助成の公募・選考と助成金の給付を1993年(平成5年)度から29年間続けてきたが、2021年(令和3年)度で終了した。
- 10月 - 毎日放送と株式会社MBSラジオが、「TEAM EXPO 2025」(公益社団法人2025年日本国際博覧会協会がSDGsの達成と同年の大阪・関西万博開催に向けて展開しているプログラム)の「共創パートナー」として登録[141]。
- 2022年(令和4年)
- 10月 - 土曜日の6:00 - 16:30を対象に、「在阪の民放テレビ局では初めて」とされる自社制作番組の10時間半連続レギュラー編成を関西ローカルで開始。『皇室アルバム』『京都知新』『土曜のよんチャンTV』『サタデープラス』(全国ネット向け)『せやねん!』『住人十色』(いずれも関西ローカル向け)といった番組のレギュラー放送を続けながら、前月まで長らく平日の深夜に編成されてきた自社制作のバラエティ番組から、『ごぶごぶ』の放送枠を14時台・『痛快!明石家電視台』の放送枠を15時台に移動させた。月曜日の深夜(火曜日の未明)に放送されてきた『明石家電視台』がレギュラー放送の曜日・時間帯を変更することは、上記の放送開始から32年半にして初めて[143] だが、「MBSウイークエンドスペシャル」としてスポーツ中継などを編成する週には『ごぶごぶ』『明石家電視台』から少なくとも1番組を休止することで対応。
- 2023年(令和5年)
- 池上通信機から、FPU集中制御システム、情報カメラ集中制御システム、SNG中継車を納入。
- 2024年(令和6年)
- 10月5日 - 自社と読売テレビとの取材ヘリコプターの映像を互いに共有し、南海トラフ地震及びそれに伴う津波等を想定しての非常災害放送の訓練を実施。テレビ局の同放送訓練に於いて他局との連携は大阪では初。
- 2026年(令和8年)
- 9月1日 - 商号を「株式会社MBS」に変更予定*3。
新日本放送時代に発行した1冊も入れて、以下の7冊を発行している(2021年11月時点)。
- NJBの四年(新日本放送株式会社・編) 1954年発行、108ページ。
- 毎日放送十年史(毎日放送株式会社・編) 1961年12月15日発行、284ページ。
- 毎日放送の40年(毎日放送40年史編纂室・編) 1991年9月発行、697ページ。
- 毎日放送の40年・資料編(毎日放送40年史編纂室・編) 1991年9月発行、382ページ。
- 毎日放送50年史(毎日放送50年史編纂委員会事務局・編) 2001年9月発行、519ページ。
- 社報で綴るMBSのあゆみ 開局60周年記念誌(毎日放送総務局60周年記念誌編集室・編)2011年9月発行、134ページ。
- 社報で綴るMBSのあゆみ 開局70周年記念誌(毎日放送総務局70周年記念誌編集室・編)2021年9月発行、ページ。
下記の東京12チャンネル→テレビ東京ともネットを組んでいた期間中、NETとは、しばしば番組編成や内容を巡る衝突が起きていたという。その典型的な例が『23時ショー』打ち切り事件で、他にも『ヤングおー!おー!』打ち切り、『大正テレビ寄席・サモン日曜お笑い劇場』相互打ち切りなど実際の番組編成にまで響いたケースがある。
このような関係性が影響してか、NETでネットされる毎日放送製作のローカル番組は、2000年代以降の『よゐこ部』や『ロケみつ〜ロケ×ロケ×ロケ〜』のレギュラー放送など一部に限られる。また、NET製作の深夜番組が毎日放送で同時・遅れネットされることも比較的少ない。
このような経緯も関係して他の在阪局と異なり、在京キー局との関係が上下関係のある「親子」あるいは「上司と部下」の関係ではなく、対等に近い「夫婦」の協定であるため、自社制作番組を中心に「MBS・NET系列」という表記が許されている*4。その意味で、在阪の中で唯一キー局としての立ち位置を全国系列局に対して持っている局でもあり、そのため、NETから番組編成の変更を要請されても、頑なに辞退することがあった他、逆にNETや番組スポンサー側が、毎日放送やローカル番組のスポンサーに就く関西地区の地場大手企業に配慮した形で関西地区での編成変更に対応しやすい編成とすることがあった。
ただし、『日曜洋画劇場』は番組スポンサー4社のうち3社*5が当時毎日放送の放送エリア内に本社を置いていたこともあり、NETの選択した内容を毎日放送もそのまま放送した。
一方のNETも番組制作能力が高くなかったこともあり、放送番組確保のため、特撮ドラマの再放送(「仮面ライダーシリーズ」など)を相当数購入して放送していた。また毎日放送もNET制作のアニメ(「東映魔女っ子シリーズ」など)・ドラマ(「ナショナルゴールデン劇場」や時代劇など)・特撮ドラマ(「スーパー戦隊シリーズ」など)から人気作品を中心に相当数の再放送を行った。
アニメ・特撮では本局とNETの両局が関連している作品が多く、『ガンダムシリーズ』のように両局が異なるシリーズを制作した例があるほか、2012年から2017年までは「仮面ライダーシリーズ」と「スーパー戦隊シリーズ」のキャラクターが共演する劇場映画「スーパーヒーロー大戦シリーズ」が製作・公開されており、同作品の公開時期には共同制作による合体スペシャルも放送されていた。また『愛の戦士レインボーマン』、『エースをねらえ!』、『波よ聞いてくれ』はドラマ版をNET、アニメ版をMBSが制作していた。
2000年代の後半以降はNETによる毎日放送株の保有比率が上昇したほか*6、両局による人材交流が活発化し、2009年には早河洋が毎日放送の非常勤取締役にテレビ朝日関係者として初めて就任した。近年はNETの番組制作能力が年月を経て向上したこともあって、NET制作の番組や主催イベントを積極的に宣伝し、NETと共同で制作する番組が増加している。実際に金曜21時台のドラマ(2011年4月改編で廃枠)がNETとの共同制作体制へ移行している。また、過去に自社で制作した番組(『世界ウルルン滞在記』や『仮面ライダーシリーズ』など)が、BS-NETやNETチャンネルで改めて放送されている。東京支社が制作する『プレバト!!』では、2017年8月から「NET系人気番組対抗戦」(NET制作の新番組・レギュラー番組出演者が登場する「才能査定ランキング」の番組対抗戦)を改編期に実施している。2017年10月1日から毎週日曜日の早朝にNETの本社から放送されている『サンデーLIVE!!』と2024年10月からその後継番組として放送される『グッド!モーニング』の日曜版には、同局およびメ〜テレと並ぶ共同制作局として、キャスターやスタッフを派遣している。さらに、これまでMBS主導(NETは制作協力団体扱い)で制作・配信していた関西圏で開催のプロ野球オールスターゲームは、放映権獲得が広告代理店関与による日本野球機構主導となった影響もあり、2012年以降はNET主導の制作・配信(MBSは制作協力団体扱い)に移行している。
2010年代になると、自社制作番組とNET制作番組の合体スペシャルも多くみられるようになった*7
その一方で、日曜以外の曜日の早朝、平日の夕方、深夜などの時間帯には自社制作番組を数多く編成。平日の早朝には『おはよう4チャンネル』、土曜日の早朝や昼には『皇室アルバム』や『せやねん!』などの自社制作番組を優先しているため、NET制作の情報番組(2025年4月改編時点では『グッド!モーニング』*8)を一切放送していない。
ちなみに、2004年度までは、プロ野球シーズン中の水曜夜間に阪神主催のナイトゲームとサッカー日本代表の国際試合が重なった場合に、NETによる後者のサッカー中継枠を自社制作による阪神戦の中継に差し替えたうえで、同局制作の『ニュースステーション』(2003年度まで)→『報道STATION』以降に録画で放送することが多かった。サッカー日本代表の中継と『報道STATION』が連結されるようになった2005年度からは、阪神戦と同時に開催される日でもサッカー中継の同時ネットを優先。阪神戦については、同じ時間帯にサンテレビで中継する一方で、技術協力局として制作に携わっている。
その他、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の発生時に行った『MBS東日本大震災義援金』での募金は、NET福祉文化事業団を各団体への寄付の中継窓口としている。
毎日放送制作の2時間・3時間番組枠が放送当日に、NET制作による生放送の緊急特別番組(一例として2017年4月11日の『ありがとう! 真央ちゃん』)に差し替えとなった場合は、スポンサーがそのままスライドすることを考慮して、NETでCM素材を再度準備する手間を省くため、提供クレジット表示やCMの送り出しを含めた全国配信を毎日放送を発局として行うことがある。このため、当該番組はNET制作でありながら提供クレジットが毎日放送の書式での表示となり、アナウンスも毎日放送側で行われる。
このような関係性が影響してか、NETでネットされる毎日放送製作のローカル番組は、2000年代以降の『よゐこ部』や『ロケみつ〜ロケ×ロケ×ロケ〜』のレギュラー放送など一部に限られる。また、NET製作の深夜番組が毎日放送で同時・遅れネットされることも比較的少ない。
このような経緯も関係して他の在阪局と異なり、在京キー局との関係が上下関係のある「親子」あるいは「上司と部下」の関係ではなく、対等に近い「夫婦」の協定であるため、自社制作番組を中心に「MBS・NET系列」という表記が許されている*4。その意味で、在阪の中で唯一キー局としての立ち位置を全国系列局に対して持っている局でもあり、そのため、NETから番組編成の変更を要請されても、頑なに辞退することがあった他、逆にNETや番組スポンサー側が、毎日放送やローカル番組のスポンサーに就く関西地区の地場大手企業に配慮した形で関西地区での編成変更に対応しやすい編成とすることがあった。
ただし、『日曜洋画劇場』は番組スポンサー4社のうち3社*5が当時毎日放送の放送エリア内に本社を置いていたこともあり、NETの選択した内容を毎日放送もそのまま放送した。
一方のNETも番組制作能力が高くなかったこともあり、放送番組確保のため、特撮ドラマの再放送(「仮面ライダーシリーズ」など)を相当数購入して放送していた。また毎日放送もNET制作のアニメ(「東映魔女っ子シリーズ」など)・ドラマ(「ナショナルゴールデン劇場」や時代劇など)・特撮ドラマ(「スーパー戦隊シリーズ」など)から人気作品を中心に相当数の再放送を行った。
アニメ・特撮では本局とNETの両局が関連している作品が多く、『ガンダムシリーズ』のように両局が異なるシリーズを制作した例があるほか、2012年から2017年までは「仮面ライダーシリーズ」と「スーパー戦隊シリーズ」のキャラクターが共演する劇場映画「スーパーヒーロー大戦シリーズ」が製作・公開されており、同作品の公開時期には共同制作による合体スペシャルも放送されていた。また『愛の戦士レインボーマン』、『エースをねらえ!』、『波よ聞いてくれ』はドラマ版をNET、アニメ版をMBSが制作していた。
2000年代の後半以降はNETによる毎日放送株の保有比率が上昇したほか*6、両局による人材交流が活発化し、2009年には早河洋が毎日放送の非常勤取締役にテレビ朝日関係者として初めて就任した。近年はNETの番組制作能力が年月を経て向上したこともあって、NET制作の番組や主催イベントを積極的に宣伝し、NETと共同で制作する番組が増加している。実際に金曜21時台のドラマ(2011年4月改編で廃枠)がNETとの共同制作体制へ移行している。また、過去に自社で制作した番組(『世界ウルルン滞在記』や『仮面ライダーシリーズ』など)が、BS-NETやNETチャンネルで改めて放送されている。東京支社が制作する『プレバト!!』では、2017年8月から「NET系人気番組対抗戦」(NET制作の新番組・レギュラー番組出演者が登場する「才能査定ランキング」の番組対抗戦)を改編期に実施している。2017年10月1日から毎週日曜日の早朝にNETの本社から放送されている『サンデーLIVE!!』と2024年10月からその後継番組として放送される『グッド!モーニング』の日曜版には、同局およびメ〜テレと並ぶ共同制作局として、キャスターやスタッフを派遣している。さらに、これまでMBS主導(NETは制作協力団体扱い)で制作・配信していた関西圏で開催のプロ野球オールスターゲームは、放映権獲得が広告代理店関与による日本野球機構主導となった影響もあり、2012年以降はNET主導の制作・配信(MBSは制作協力団体扱い)に移行している。
2010年代になると、自社制作番組とNET制作番組の合体スペシャルも多くみられるようになった*7
その一方で、日曜以外の曜日の早朝、平日の夕方、深夜などの時間帯には自社制作番組を数多く編成。平日の早朝には『おはよう4チャンネル』、土曜日の早朝や昼には『皇室アルバム』や『せやねん!』などの自社制作番組を優先しているため、NET制作の情報番組(2025年4月改編時点では『グッド!モーニング』*8)を一切放送していない。
ちなみに、2004年度までは、プロ野球シーズン中の水曜夜間に阪神主催のナイトゲームとサッカー日本代表の国際試合が重なった場合に、NETによる後者のサッカー中継枠を自社制作による阪神戦の中継に差し替えたうえで、同局制作の『ニュースステーション』(2003年度まで)→『報道STATION』以降に録画で放送することが多かった。サッカー日本代表の中継と『報道STATION』が連結されるようになった2005年度からは、阪神戦と同時に開催される日でもサッカー中継の同時ネットを優先。阪神戦については、同じ時間帯にサンテレビで中継する一方で、技術協力局として制作に携わっている。
その他、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の発生時に行った『MBS東日本大震災義援金』での募金は、NET福祉文化事業団を各団体への寄付の中継窓口としている。
毎日放送制作の2時間・3時間番組枠が放送当日に、NET制作による生放送の緊急特別番組(一例として2017年4月11日の『ありがとう! 真央ちゃん』)に差し替えとなった場合は、スポンサーがそのままスライドすることを考慮して、NETでCM素材を再度準備する手間を省くため、提供クレジット表示やCMの送り出しを含めた全国配信を毎日放送を発局として行うことがある。このため、当該番組はNET制作でありながら提供クレジットが毎日放送の書式での表示となり、アナウンスも毎日放送側で行われる。
テレビ東京は同社設立以来、毎日放送が大株主の一角に加わっており、1969年10月1日より1982年2月28日まで相互ネットを行っていた。そのため、毎日放送は東京12チャンネルを買収して、局名も「東京毎日放送」に変更、新テレビネットワークを構築する計画もあったが、毎日新聞社を始め、郵政省や自由民主党といった政界からも猛反発を受けたため、この計画は頓挫した。
これらの経緯から、現在もMBSはテレビ東京の大株主であり、アニメ(主に深夜アニメ)や特撮、ドキュメンタリー番組の制作を得意とし、コーポレートカラーが青と赤でロゴのカラーに緑色を採用するなど、系列外となった現在でも両局には共通点が多く残っている。
これらの経緯から、現在もMBSはテレビ東京の大株主であり、アニメ(主に深夜アニメ)や特撮、ドキュメンタリー番組の制作を得意とし、コーポレートカラーが青と赤でロゴのカラーに緑色を採用するなど、系列外となった現在でも両局には共通点が多く残っている。
フジテレビとは、高橋信三と鹿内信隆との親交関係や、ラジオでのニッポン放送・文化放送との結びつきから、開局当初ネットワークを組むことを考慮していたという。実際、本放送開始当初はフジテレビからの番組が毎日放送へも流れ(『チエミのかわら版太平記』などのフィルム番組が12本)、また逆に毎日放送制作の番組をフジにネットすることもあった(鉄腕アトム (実写版)など)。
最近では、フジテレビが製作局となった深夜アニメ『刀語』に毎日放送が企画協力で参加し、他系列ながら2010年(平成22年)1月期に放送している。
TBSとは毎日新聞との関係やラジオでの結びつきから、開局当初ネットワークを組むことを考慮していたという。実際に『まぼろし探偵』『チャージマン研!』『世界の結婚式』などが毎日放送でネットされたことがあるほか、逆に第35回選抜高校野球中継(1963年)がTBSでネットされていた。
日本テレビとの関係は、1959年のプロ野球日本シリーズ中継を共同制作・放送した実績がある。また、日本テレビホールディングスが株式の大半を保有するラジオ局のアール・エフ・ラジオ日本も、開局時に毎日新聞社が関与していたことを理由に、プロ野球・中央競馬中継で交流関係を有している。
最近では、フジテレビが製作局となった深夜アニメ『刀語』に毎日放送が企画協力で参加し、他系列ながら2010年(平成22年)1月期に放送している。
TBSとは毎日新聞との関係やラジオでの結びつきから、開局当初ネットワークを組むことを考慮していたという。実際に『まぼろし探偵』『チャージマン研!』『世界の結婚式』などが毎日放送でネットされたことがあるほか、逆に第35回選抜高校野球中継(1963年)がTBSでネットされていた。
日本テレビとの関係は、1959年のプロ野球日本シリーズ中継を共同制作・放送した実績がある。また、日本テレビホールディングスが株式の大半を保有するラジオ局のアール・エフ・ラジオ日本も、開局時に毎日新聞社が関与していたことを理由に、プロ野球・中央競馬中継で交流関係を有している。
大阪地区のアナログテレビ放送の第4chは元々NHK大阪放送局が総合テレビで使用していた。既に開局していた大阪テレビ放送(OTV)(現・朝日放送テレビ。6ch)、既に設立されていた大関西テレビ放送(現・関西テレビ放送。8ch)に続く大阪地区に割り当てられた民放3・4波目のチャンネルを巡り、大阪讀賣新聞系の新大阪テレビ放送(NOTV)(開局直前に讀賣テレビ放送(YTV)に改称、現・読売テレビ放送)、近畿教育文化テレビ及び関西教育文化放送と競願になり事態が硬直した際、NOTV側は兵庫県姫路地区のNHK向けに割り当てられていた第2chを大阪地区へ持ってくることを提案。これが通って第2chはNHK大阪(アナログ総合)に割り当てられることになり、更に大阪地区には民放へ2波、第4chと第10chが準教育局として免許を与えられることになった。
しかし教育専門局2社の処遇を巡り、当時郵政大臣であった田中角栄がMBS・NOTVにそれぞれ合併するよう示唆したのに対し、NOTVが断固拒否した。次いで教育2社が合併してMBS・NOTVのいずれかと合併することとなり、押し付けあった挙句MBSは第4chの獲得を条件に教育局と合併することを呑み、NOTVはキー局の日本テレビ(NTV)(東京地区を含む関東広域圏)と同じ第4chを断念する代わりに単独開局の道を選んだ。このことがアナログ放送終了まで東京地区と大阪地区でNTV系とNET系でチャンネル番号が系列ベースで逆転することとなった*9。
MBSが第4chを選択した理由は、当時テレビ受像器の多くのチューナーが6chまでしかないのが多く、端の番号に当たる第10chは営業政策上不利といわれたことと、従来NHKテレビが使用していたために視聴者になじみがあったことによるもの。
開局以降、MBSは「4マーク」を導入する等で4を強調していた。こうして、「4チャンネル」が定着していたこともあり、デジタルテレビ放送のリモコンキーIDも「4」になった(他の在阪広域局も揃ってアナログと同じリモコンキーIDを使用)。
リモコンキーIDの「4」はほかに、北海道の北海道テレビ放送が「4」を使用しているほか*10、福岡県のJNN系列局であるRKB毎日放送が同様の理由で「4」が使われる。
なおリモコンキーIDの「4」は原則として多くの日本テレビ系列が使用しているが、同じ在阪広域局及び日本テレビ系列の準キー局の読売テレビ放送のリモコンキーIDはアナログ放送チャンネルの親局と同じ「10」を使用される。
しかし教育専門局2社の処遇を巡り、当時郵政大臣であった田中角栄がMBS・NOTVにそれぞれ合併するよう示唆したのに対し、NOTVが断固拒否した。次いで教育2社が合併してMBS・NOTVのいずれかと合併することとなり、押し付けあった挙句MBSは第4chの獲得を条件に教育局と合併することを呑み、NOTVはキー局の日本テレビ(NTV)(東京地区を含む関東広域圏)と同じ第4chを断念する代わりに単独開局の道を選んだ。このことがアナログ放送終了まで東京地区と大阪地区でNTV系とNET系でチャンネル番号が系列ベースで逆転することとなった*9。
MBSが第4chを選択した理由は、当時テレビ受像器の多くのチューナーが6chまでしかないのが多く、端の番号に当たる第10chは営業政策上不利といわれたことと、従来NHKテレビが使用していたために視聴者になじみがあったことによるもの。
開局以降、MBSは「4マーク」を導入する等で4を強調していた。こうして、「4チャンネル」が定着していたこともあり、デジタルテレビ放送のリモコンキーIDも「4」になった(他の在阪広域局も揃ってアナログと同じリモコンキーIDを使用)。
リモコンキーIDの「4」はほかに、北海道の北海道テレビ放送が「4」を使用しているほか*10、福岡県のJNN系列局であるRKB毎日放送が同様の理由で「4」が使われる。
なおリモコンキーIDの「4」は原則として多くの日本テレビ系列が使用しているが、同じ在阪広域局及び日本テレビ系列の準キー局の読売テレビ放送のリモコンキーIDはアナログ放送チャンネルの親局と同じ「10」を使用される。
以下のケーブルテレビ(CATV)局では、MBSテレビが再放送されている。なお、徳島県では区域外再放送がすべてのケーブルテレビ局で開始された(MBS側が同意したため。在阪広域民放局での地上デジタル放送による区域外再放送同意はMBSが初である)。徳島県は地上波系列局が1局(NNN/NNS系列の四国放送)しかないので、いわゆる区域外再放送の特例が認められている。
太字で記したCATV局は、リモコンキーID4で再放送されている局である。
太字で記したCATV局は、リモコンキーID4で再放送されている局である。
- 徳島県
- 阿波市ケーブルネットワーク
- 石井町有線放送農業協同組合(IHK 石井CATV)
- エーアイテレビ
- 上板町有線テレビ(KCI)
- ケーブルテレビあなん
- ケーブルネットおえ
- ケーブルテレビ徳島(テレビトクシマ)
- 国府町CATV(KBC)
- テレビ阿波
- テレビ鳴門
- 徳島県南メディアネットワーク(MTC)
- 徳島中央テレビ(JCTV)
- 那賀町ケーブルテレビ(KHK)
- 東阿波ケーブルテレビ(e-あわネット)
- ひのき(CUEtv)
- 牟岐中村テレビ共同受信組合
- 三重県
- アドバンスコープ
- 伊賀上野ケーブルテレビ (ICT)
- ZTV - 東紀州(紀南)地域のみ。
- 福井県
- 嶺南ケーブルネットワーク
- ケーブルテレビ若狭小浜(チャンネルO)
- eo光テレビ(大飯郡高浜町の区域のみ、旧高浜町ケーブルテレビからサービス移行)
- 福井ケーブルテレビ南えちぜん支局(他の福井ケーブルテレビのエリアは北陸毎日放送を区域外再放送)
- 鳥取県 - NET系列局が置局されていないことから中国地方で唯一、一部局で区域外再放送が行われている。
- 鳥取テレトピア(いなばぴょんぴょんネット。デジタル5ch)
- 日本海ケーブルネットワーク(鳥取局のみ)
- 早朝のオープニング - 9:52.40・10:25 - 13:00・15:45 - 19:00(ナイター中継時は - 18:15)
- 『よんチャンTV モーニング』(『グッド!モーニング』を同時ネットする5:50 - 5:59も含む)『羽鳥慎一モーニングショー』『大下容子 ワイド!スクランブル』ではCM中を除きNET準拠の各番組仕様のカスタムフォントで、『よんチャンTV』ではCM中を除いて同番組仕様の番組ロゴ入りカスタムフォントで表示(ただし、後者ではCM中は表示オフとなるほか、『スーパーJチャンネル』を同時ネットする17:50 - 18:15の間は「4Chan TV」と書かれた部分が外される)。
- 早朝のオープニング - 9:29・17:30 - 17:52.55
- 『おはよう4チャンネル』では同番組仕様のカスタムフォントで、『ANNスーパーJチャンネル』ではNET準拠の同番組仕様のカスタムフォントでそれぞれ表示(いずれもCM中を除く)。
- 早朝のオープニング - 8:55:30頃(通常表示は8:27.20まで)・17:30 - 17:52.55
- 『グッド!モーニング』『ANNスーパーJチャンネル』ではNET準拠の同番組仕様のカスタムフォントでそれぞれ表示(CM中を除く)。
- 大阪府
- 北浜 NEXU BUILD(高麗橋)、大阪駅、天保山(大阪府咲洲庁舎)、関西国際空港。
- 兵庫県
- 神戸ポートピアホテル・本館(サンテレビと共同使用、サンテレビが管理)、東遊園地付近、大阪国際空港、明石海峡舞子ビラ、王子動物園(臨時)、姫路城(臨時)、豊岡市内・城崎温泉(春季・夏季限定)、竹田城跡(秋季・冬季限定)。
- 和歌山県
- 白浜(テレビ和歌山と共同使用)
全てハイビジョン対応
Cスタジオ(ギャラクシースタジオ)を含むM館2階のスペースについては、当社のテレビ放送事業60周年記念事業の一環として、生放送への対応や報道・制作両局間の連携を強化する目的で「ライブセンター」として新装。2019年1月28日の『ちちんぷいぷい』(生放送)から運用を開始した。同年4月1日(いずれも月曜日)から2021年3月5日(金曜日)までは、当時後枠で編成されていた『ミント!』(関西ローカルニュースの「Newsミント!」を除く関西ローカルパート)と共用。『ちちんぷいぷい』が2021年3月12日(金曜日)で終了してからは、両番組のセットを撤収したうえで、29日(月曜日)から『よんチャンTV』の関西ローカルパートで使用している。「Newsミント!」はニューススタジオから放送していたが、『よんチャンTV』では、関西ローカルニュース(「4chanニュース」)も「ライブセンター」内のスタジオセットから伝えている。
「ライブセンター」では、Cスタジオのスペースを、生放送の情報番組と連動した「情報フロア」へ改装。ラジオ放送向けのブースも順次設置する。当初は視聴者の見学に対応したオープンスペースの設置も計画していたが、「ちゃぷらステージ」(2014年4月4日からM館の1階で運用しているオープンスペース、かつてのアトリウム)を改修したうえで、「ライブセンター」へ組み込む方針に変更。このため、『ちちんぷいぷい』をはじめ、「ライブセンター」から放送される番組を常時見学できるようにはなっていない。
- Aスタジオ[HD](B館3階:150坪) - 『サタデープラス』『せやねん!』『痛快!明石家電視台』
- Bスタジオ[HD](B館6階:150坪) - 『水野真紀の魔法のレストラン』『住人十色』など
- Cスタジオ(ライブセンター)[HD](M館2階:155坪)- 『よんチャンTV』『よんチャンTV モーニング』
- ニューススタジオ[HD](M館6階:70坪) - 『MBSニュース』『せやねん!』(ニュースパート)『よんチャンTV』(ローカルニュースパート内のリモート中継)
- BFS [SD](M館地下1階:55坪) - ミニスタジオ兼機材倉庫
- 『GOGO競馬サタデー!』(ラジオ関西、MBSラジオと共同制作)実況アナウンサー以外の一部および全ての出演者が競馬場に派遣できない(しない)場合に使用、ラジオ関西の番組のため、MBSラジオのスタジオが使用できない事情から当スタジオを使用、番組内では「大阪のスタジオ」と表現している。
- ミニスタジオ(M館7階:10坪)- プロ野球・Jリーグなどスポーツ中継用サブ、ミニ番組制作、SNG分配等を行う。
Cスタジオ(ギャラクシースタジオ)を含むM館2階のスペースについては、当社のテレビ放送事業60周年記念事業の一環として、生放送への対応や報道・制作両局間の連携を強化する目的で「ライブセンター」として新装。2019年1月28日の『ちちんぷいぷい』(生放送)から運用を開始した。同年4月1日(いずれも月曜日)から2021年3月5日(金曜日)までは、当時後枠で編成されていた『ミント!』(関西ローカルニュースの「Newsミント!」を除く関西ローカルパート)と共用。『ちちんぷいぷい』が2021年3月12日(金曜日)で終了してからは、両番組のセットを撤収したうえで、29日(月曜日)から『よんチャンTV』の関西ローカルパートで使用している。「Newsミント!」はニューススタジオから放送していたが、『よんチャンTV』では、関西ローカルニュース(「4chanニュース」)も「ライブセンター」内のスタジオセットから伝えている。
「ライブセンター」では、Cスタジオのスペースを、生放送の情報番組と連動した「情報フロア」へ改装。ラジオ放送向けのブースも順次設置する。当初は視聴者の見学に対応したオープンスペースの設置も計画していたが、「ちゃぷらステージ」(2014年4月4日からM館の1階で運用しているオープンスペース、かつてのアトリウム)を改修したうえで、「ライブセンター」へ組み込む方針に変更。このため、『ちちんぷいぷい』をはじめ、「ライブセンター」から放送される番組を常時見学できるようにはなっていない。
- 東京を本拠に活動する政治家・有識者や東京支社報道部所属の記者・解説委員が本社制作の報道・情報番組(『よんチャンTV』内の「4chanニュース」など)へ出演する場合を中心に、茶屋町本社スタジオとの二元生中継で使用。2020年からは、新型コロナウイルスへの感染拡大防止策の一環として、上記番組のレギュラー出演者(東京を本拠に活動するタレントなど)による「リモート出演」にも使われている。ただし、リモート出演者の多い番組(本社制作の全国ネット向け生放送番組『サタデープラス』など)では、スタジオよりスペースの広い会議室から放送している。
また茶屋町本社から制御可能な遠隔操作(リモコン)HDカメラが1台常設されているほか、スタジオサブに隣接してテレビ用のVTR機材などが配置されている。
- 在阪民放局の中でも古くから報道・ドキュメンタリー・地域情報番組・気象情報に力を入れている。『MBSナウ』から続くローカルワイドニュースなど近畿広域圏初のものも数多い。
- ニュース番組『VOICE』では数々の事件や、本社のお膝元である大阪市のカラ残業問題をスクープしていた。
- 冒険家の植村直己(兵庫県出身)の活躍を無名時代から密着したことでも知られる。
- 平日午前(『おはよう4チャンネル』)・午後 - 夕方の情報番組(『ちちんぷいぷい』『ミント!』→『よんチャンTV』)や、土曜午前から正午過ぎまで放送されている『せやねん!』など、地域密着型番組の制作にも定評がある。1999年10月から21年半にわたって放送された『ちちんぷいぷい』は、2003年度の上半期から15年半にわたって、関西地区での放送時間帯における平均視聴率トップの座を維持。『せやねん!』については、歴代のレギュラー出演者から賞レースの優勝者や、レギュラー卒業(東京進出)を機に知名度や人気が全国規模になった芸人が多く、関西を拠点に活動する吉本興業所属の若手芸人にとっては「出世番組」とされている。
- 日本プロ野球(NPB)公式戦の中継については、毎日放送では自社制作による阪神タイガース戦(ホーム・ビジターを問わず)を中継する(この場合はタイトルもラジオ中継と同じ『MBSベースボールパーク』に変わる)。
- オリックス・バファローズ戦については、自社での中継は行なっていないが、ビジター側地元局の技術協力を実施している。
- 阪神対巨人戦の土曜デーゲームと日本シリーズ(阪神進出時のみ)を全国ネットで放送する際に前者は毎日放送主導制作(技術面・リアルタイム字幕放送・連動データ放送付加・番組送出も全て担当)で放送し、NETからも解説者と巨人ベンチリポート担当のアナウンサーを派遣する。後者については毎日放送主導制作(NETは制作協力団体扱い)で放送されたのは2005年以前で、2014年は毎日放送主導でNETとの共同製作著作を採った。
- 2000年代以降の阪神主催試合では、ビジター側地元局(主に広島ホームテレビ・メ〜テレ・北海道テレビ)が毎日放送の映像をメインに、一部映像を差し替えて現地乗り込みまたはオフチューブ実況のどちらかで中継する場合がある。
- J1リーグについては、たむらけんじがMCを務める『GAMBA TV〜青と黒〜』(大阪府吹田市に本拠地を置くガンバ大阪の情報・応援番組)を、2009年のシーズン途中から(主にシーズン中で毎週または毎月1回)編成。2014年・2015年には、『VVヴィッセル』(神戸市に本拠地を置くヴィッセル神戸の情報・応援番組)も、月に1回のペースで放送していた。公式戦では、ガンバ主管試合の一部を対象に、年に1 - 2回のペースで『GAMBA TVスペシャル』(録画ダイジェスト方式の中継番組)を試合開催日の深夜(翌日の未明)に編成。毎日放送のアナウンサーが実況やピッチリポートを担当するほか、たむらやガンバOBをゲストに迎えている。
- 衛星放送では、NETの関連会社が運営するBS・CS放送局(2002年・2003年はファボリTV、2004年以降はNETチャンネル・BS-NET)が(ガンバ・ヴィッセルを含む)関西のJ1クラブの関与する試合を中継する場合に、技術スタッフやアナウンサーを派遣。2014年以降は、スカパー!(スカチャン、BSスカパー!、スカイ・エー向け)制作のガンバ主管試合の一部の中継制作業務を、朝日放送テレビと分担しながら受託している。関連会社の放送映画製作所でも、2007年からヴィッセル主管試合の一部で中継の制作業務を受託しているが、関西圏で活動するフリーアナウンサーを実況要員として中継に派遣させることが多い。
- ラグビーについては、全国高校ラグビーフットボール大会のうち、大阪第1・第2・第3代表の決定戦を録画ダイジェスト方式で関西ローカル向けに放送。放送対象地域内の花園ラグビー場(大阪府東大阪市)で開催される本大会では、決勝の生中継をNET系列全国ネット向け、準決勝の生中継を主に関西ローカル(2020年度の第100回記念大会ではNET・九州朝日放送との3局ネット)向けに制作している。2020年には、当時ジャパンラグビートップリーグ所属の神戸製鋼コベルコスティーラーズ主催試合の一部も、関西ローカル向けに自社制作で生中継した。
- 2009年4月に『金曜ナイト劇場』を新設以降、枠や時間帯を変更しながら深夜ドラマを放送しており、2016年以降は『ドラマイズム』『ドラマ特区』『ドラマフィル(旧:ドラマシャワー)』のレーベルで展開。一部の作品はキー局のNETテレビや系列局・関東地方の独立局でも放送されている。
- 主に漫画原作作品を映像化しており、『深夜食堂』や『闇金ウシジマくん』など、ヒットしてシリーズ化された作品も多い。
- 2009年3月までは全国ネットで朝の帯ドラマを手がけていた。
- プライムタイムではかつて『華麗なる一族』『影同心』『横溝正史シリーズ』等の作品を手がけていたが、1990年代以降は制作から離れており、21世紀以降は近畿圏の広域局で唯一、プライムタイムでの連続ドラマ制作実績がない。
- 月曜 - 木曜23時台・・・月曜日『痛快!明石家電視台』、火曜日『ごぶごぶ』、水曜日(後半30分のみ)『アインシュタインの愛シタイン』、木曜日『かまいたちの知らんけど』
- 1990年代から同時間帯は関西ローカルバラエティ番組が編成されている。「スーパーバラバラ大作戦」枠の番組は、NETや系列同時ネット局より1時間10分遅れで放送されている。
- 『明石家電視台』が30年以上に渡り月曜深夜に放送されているのに対し、それ以外の曜日の番組は2010年代以降編成が流動的となっており、クールによっては自社制作を行わず、「ネオバラエティ」を同時ネットとして放送する場合もある(2021年10月現在は水曜深夜が該当、この枠は2020年9月まで『戦え!スポーツ内閣』が制作されていた)。なお、番組は全国のNET系列局や独立局、CSのGAORAで放送されているほか、TVerでの配信も実施している。
- 1990年から年末の生放送特番として『オールザッツ漫才』を開始しており、番組出演をきっかけに全国区へブレイクしたタレントも多い。番組は原則関西ローカルであるが、年によっては一部のNET系列局で同時ネットされることもある。
- MBSテレビが開局した1959年から吉本興業とのタイアップで吉本新喜劇の中継を開始。現在も『よしもと新喜劇』の名称で中継を続けており、日本のバラエティ番組では歴代最長寿を誇る。関西地区では長らく土曜昼時間帯に放送されており、一時はテレビ大阪を除く在阪民放各局が同ジャンルの劇場中継を放送していた。
- 現在、MBSが制作を担当している全国ネット枠は1週間につき約6時間で、火曜20時枠、金曜23時15分枠、土曜8時の情報番組『サタデープラス』枠、日曜1時・8時30分・12時55分枠・19時58分枠。特に日曜日朝8時30分枠は、1980年4月からの歴史を持つ。基本的には『サタデープラス』以外は字幕放送を実施しているが、アニメ・特撮番組と一部年度のプロ野球阪神対巨人戦以外はデータ放送を実施していない。
- 現在テレビ大阪を除く在阪局は土曜の朝に全国ネットの生ワイド番組を編成しているが、最初に始めたのは毎日放送である。(1965年4月に関西ローカルで開始し、11月よりNET系全国ネットとなった。関西テレビは1966年10月、朝日放送テレビは1975年4月、読売テレビは1990年4月)
- このほか、2017年10月1日からはNET・メ〜テレとの3局共同制作番組『サンデーLIVE!!』(日曜5:50 - 8:30)を開始し、この体制は2024年10月に『グッド!モーニング』への変更後も続いている。
- かつては平日9時台の帯番組(ドラマ)・日曜日9時30分枠(『生きものばんざい』〜『住まいのダイエット』)・日曜日10時・11時枠(テレ朝中心の共同制作番組『サンデープロジェクト』)・日曜日12時45分枠(『がっちり買いまショウ』〜『新伍Niタッチ!』)・日曜13時枠(『パネルクイズ アタック25』)・日曜日19時枠(『アップダウンクイズ』『クイズ!!ひらめきパスワード』など)・月曜日20時枠(『地球発20時』など)・火曜日19時枠(『明色お笑いゲーム合戦』など)・火曜日21時枠(『世界の日本人妻は見た!』『教えてもらう前と後』など)・火曜日22時枠(『テレビスター劇場』『中村敦夫の地球発22時』など)・木曜日19時30分枠(『野生の王国』『怪盗セイント・テール』など)・金曜日19時枠(『変身忍者嵐』『エースをねらえ!』など)・金曜日22時枠(『突然ガバチョ!』など)・土曜日19時枠(『まんが日本昔ばなし』など)・土曜19時30分枠(『昭和仮面ライダーシリーズ』『じゃりン子チエ』など)も手がけていた。
| 曜日 | 時間枠 (放送時間帯) | 概要 |
|---|---|---|
| 火曜日 | 20時枠 (20:00 - 20:54) | 1992年4月に『ダウトをさがせ!』の開始とともに始まった枠。 元は、月曜20時枠(1988年10月 - 1992年3月)と変遷していた。 |
| 金曜日 | 23時枠 (23:15 - 23:45) | 金曜22時枠(1971年10月 - 1994年9月) |
| 土曜日 | 8時枠 (8:00 - 9:30) | 現在(2022年4月改編時点)の『サタプラ』に至るまで、MBS本社スタジオ発の生放送による全国ネット番組が代々編成されている。かつては、『八木治郎ショー』シリーズや『すてきな出逢い』、『知っとこ!』を10年以上にわたって放送していた。 NETがネットワークを整備する前の1965年11月に、土曜昼に放送されていた『MBSウィークエンドショー』を、(NETを含む)4局ネット番組の『ウィークエンドショー』に転換したのが始まり。1966年4月より土曜8時30分枠に移動して『ウィークエンドモーニングショー』となった。1997年3月までの『すてきな出逢い』までは、この時間帯に編成されていた。 1997年4月からは放送枠を8:00 - 9:30に設定。 |
| 日曜日 | 1時30分枠 (1:30 - 2:00) | 2020年10月に「ANiMAZiNG!!」を開始させたのが始まり。 |
| 8時枠(8:00 - 8:30) | 2000年1月の『仮面ライダークウガ』開始に伴い、従来のNET制作日曜8時枠*11をMBS制作に変更したのが始まり。以来一貫して仮面ライダーシリーズの放送枠となっている。 | |
| 8時30分枠 (8:30 - 9:00) | 1982年4月に『森繁対談・日曜日のお客様』を開始させたのが始まり。 | |
| 12時55分枠(12:55 - 13:50) | ||
| 19時58分枠 (22:00 - 22:54) | 元々は火曜22時枠(1964年1月 - 1985年9月)→木曜20時枠(1985年10月 - 1987年3月)→火曜21時枠(1987年4月 - 2001年9月)と変遷していた。 2015年4月からは『初耳学』シリーズを制作している。 |
- 2022年10月にNET制作の木曜20時枠との交換で得られた枠で、移行前は火曜21時枠(1991年10月 - 2022年9月)、その前は月曜20時枠(1988年10月 - 1992年3月)、さらにその前は金曜22時枠(1964年4月 - 1988年3月)だった。
- 火曜20時はNETと共同制作の2時間ドラマ枠「火曜スーパーワイド」「火曜ミステリー劇場」を放送。終了後はいったんNET制作枠になるものの、1992年4月に『北緯35度の風』が月曜20時枠から移動。その後、『ジャングルTV 〜タモリの法則〜』などのタモリ司会のバラエティ番組や『世界バリバリ☆バリュー』が放送された。
「毎日放送・NET金曜9時枠の連続ドラマ」も参照
- 金曜21時枠は映画番組『金曜名画座→九時です!日本映画です!→日本映画』やドラマ枠だった。
- なお、1993年10月期の改編で、この時間帯としては18年ぶりのドラマである『オレたちのオーレ!』が1クールだけ放送されたが、視聴率低迷によりわずか1クールで打ち切られた。
- 2006年4月の番組改編で、この枠はNETとの共同制作による連続ドラマ枠に転向(「金9」として宣伝)。毎日放送にとって、全国ネットの連続ドラマ枠を置くのは同時間帯のドラマ枠以来35年ぶりであり、この時間帯としては『オレたちのオーレ!』以来13年ぶりのドラマとなった。毎日放送の山本雅弘社長は2006年の年頭会見で「過去にない画期的な企画。東京・大阪の制作陣が連携して人材交流を図り、話題に富んだドラマを作りたい」と抱負を語った。
- 第1弾は、深田恭子主演の『富豪刑事デラックス』(2005年1月 - 3月に木曜ドラマ枠で放送されたドラマの第2シリーズ)を放送、視聴率は1桁を確保したが、第2弾となった7月期の速水もこみち主演の『レガッタ』は極度の視聴率低迷で打ち切られた。その後、2006年10月期の『家族〜妻の不在・夫の存在〜』(竹野内豊、渡哲也主演)、2007年7月期の『女帝』(加藤ローサ主演)、2008年4月期の『パズル』(石原さとみ主演)、2009年4月期の『ギラギラ』(佐々木蔵之介主演)、2010年4月期の『警視庁失踪人捜査課』(沢村一樹主演)、2011年1月期の『悪党〜重犯罪捜査班』(高橋克典主演)は2桁を記録した反面、2007年1月期の『松本清張・最終章 わるいやつら』(米倉涼子主演)、2007年4月期の『生徒諸君!』(内山理名主演)、2007年10月期の『オトコの子育て』(高橋克典主演)、2008年1月期の『4姉妹探偵団』(夏帆主演)、2008年7月期の『ロト6で3億2千万円当てた男』(反町隆史主演)、2009年7月期の『コールセンターの恋人』(小泉孝太郎主演)、2009年10月期の『アンタッチャブル〜事件記者・鳴海遼子〜』(仲間由紀恵主演)、2010年1月期の『宿命 1969-2010 -ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京-』(北村一輝主演)は1桁に終わるなど作品によっては変動が大きく、平均で15%を超えた作品がない。
- 結果低迷が長引いたこともあり、2008年10月から2009年3月までは『チェック!ザ・No.1』、2010年7月から12月までは『よゐこ部』といった毎日放送単独制作によるバラエティ番組を放送。2011年4月から『ロケみつ〜ロケ×ロケ×ロケ〜』の全国ネット化で完全に毎日放送単独制作のバラエティ枠に戻り、5年間の終止符を打った。その後2012年10月からは『使える芸能人は誰だ!?プレッシャーバトル』→『プレバト!!』が放送されている。
- 2016年4月より、NET制作の火曜21時枠との交換により、『世界ウルルン滞在記』枠移動以来14年半ぶりに毎日放送制作の火曜21時枠が復活。これによりNET系列の番組は、ミニ番組を挟み、毎日放送の番組が20時台から連続する編成となっていた。また、この編成を活用して、『世界の日本人妻は見た!』→『教えてもらう前と後』と『プレバト!!』の合体スペシャルを放送することもあった。これは、現在放送中のものでは読売テレビ(木曜21・22時台)に次いで2例目となった。
- 2022年9月をもって『プレバト!!』が火曜20時枠に移動し、レギュラー番組としての当該枠向けの番組制作業務から撤退。同年10月改編からは当該枠は『火曜9時ドラマ』として、6年半ぶりにNET枠に再び転換された。単発特別番組については毎日放送制作となる場合がある。
日曜20時枠は、2001年10月に当時の『稲妻!ロンドンハーツ』と火曜21時枠の『世界ウルルン滞在記』の枠交換で得られたもの。同時間帯での毎日放送制作番組は『はちまき大将』以来39年ぶり。移行前は火曜21時枠(1987年4月 - 2001年9月、上記の枠とは異なる)、その前は木曜20時枠(1985年10月 - 1987年3月)、さらにその前は火曜22時枠(1964年1月 - 1967年9月・1968年4月 - 1985年9月)だった。
MBSテレビでの全国ネットによる特番はスポーツものでは毎年11月は「TOTOジャパンクラシック」(1973年から 決勝ラウンド2日間)、「ダンロップフェニックストーナメント」(1974年から 決勝ラウンド2日間)、12月は「フェニックスチャレンジ」を放送している。
年末年始には年内最終週に1時間の特番(過去にはノースリーブス・内村光良などが出演した)、元日の午後に90分の特番(一時期は2時間の特番を放送した年あり)を放送している。
他に、90分特番は毎年2月・5月・7月・8月・9月の年5回の日曜昼間に、2時間特番は火曜19-21時と日曜19-21時に放送している。過去に2月には「ハワイアンレディースオープン」(決勝ラウンド2日間)と「つるやオープンゴルフトーナメント」(1994年から 決勝ラウンド2日間)、4月に「ソウル国際女子駅伝」(現在は7月・8月・9月の特番に分割して集約)、5月のゴールデンウィークに「黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会」(2001年まで 準決勝・決勝のみ)、12月には「毎日甲子園ボウル」(1985年 - 2007年)を全国ネットで放送した。
スポンサーは毎日放送の該当制作時間枠に関しては概ねのレギュラー放送時のスポンサーが付き、それ以外の時間帯は概ね毎日放送の該当制作時間枠がNETの制作に返上での休止振替えをするスポンサーがいる。この他、NETと共同制作する特番では、配信元はNETであるが、番組制作とセールスを毎日放送とNETが共同に行っている。2016年4月以降、金曜21時台の制作枠がNETに変更されたが、2018年頃まで、年2回程度金曜19時 - 22時に特番を編成していた。
年末年始には年内最終週に1時間の特番(過去にはノースリーブス・内村光良などが出演した)、元日の午後に90分の特番(一時期は2時間の特番を放送した年あり)を放送している。
他に、90分特番は毎年2月・5月・7月・8月・9月の年5回の日曜昼間に、2時間特番は火曜19-21時と日曜19-21時に放送している。過去に2月には「ハワイアンレディースオープン」(決勝ラウンド2日間)と「つるやオープンゴルフトーナメント」(1994年から 決勝ラウンド2日間)、4月に「ソウル国際女子駅伝」(現在は7月・8月・9月の特番に分割して集約)、5月のゴールデンウィークに「黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会」(2001年まで 準決勝・決勝のみ)、12月には「毎日甲子園ボウル」(1985年 - 2007年)を全国ネットで放送した。
スポンサーは毎日放送の該当制作時間枠に関しては概ねのレギュラー放送時のスポンサーが付き、それ以外の時間帯は概ね毎日放送の該当制作時間枠がNETの制作に返上での休止振替えをするスポンサーがいる。この他、NETと共同制作する特番では、配信元はNETであるが、番組制作とセールスを毎日放送とNETが共同に行っている。2016年4月以降、金曜21時台の制作枠がNETに変更されたが、2018年頃まで、年2回程度金曜19時 - 22時に特番を編成していた。
- 1966年に在阪局初参入作である『おそ松くん』を製作して以来、テレビアニメに力を入れており、2002年の『機動戦士ガンダムSEED』から2022年の『機動戦士ガンダム 水星の魔女』までの間、ガンダムシリーズの制作・放映権をNETから引き継いでいた(一部作品を除く)*12。
- 主な代表作に1982年に放送された大ヒット作『超時空要塞マクロス』をはじめとする『超時空シリーズ』、『銀河漂流バイファム』や、大阪の下町を舞台とした人情漫画が原作の『じゃりン子チエ』などがある。
- 1999年より開始の日曜8:30 - 9:00枠のアニメ・特撮番組は、『ゾイド』シリーズから始まり、2000年代からは『機動戦士ガンダムSEED』シリーズ、『鋼の錬金術師』などの人気作品が放送され、また、これらの番組の主題歌からヒット曲が量産されたこともあり、業界などで注目を集めた。
- 2016年12月20日、毎日放送は日曜8:30 - 9:00のアニメ枠を9:30 - 10:00に移動することを明らかにした。なお従前の日曜8:30 - 9:00枠は2017年4月9日から自社制作の全国ネットバラエティ番組『所さんお届けモノです!』を放送していた。
- 2019年3月8日、毎日放送は金曜日の深夜に『スーパーアニメイズム』を編成することを明らかにした。これは9:30 - 10:00の毎日放送制作枠を土曜1:20 - 1:50枠へ移動するものである。なお、従前の日曜9:30 - 10:00枠にはNETテレビ制作の「スーパー戦隊シリーズ」が移動する。その後、2024年4月改編で木曜深夜24時26分へ移動し、『スーパーアニメイズムTURBO』(第1作はWIND BREAKER)となった。
- 2022年4月改編で日曜8:30 - 9:00のアニメ枠が復活。『所さんお届けモノです!』は日曜13:00 - 13:30に移動の上で継続。
- 製作した作品のコピーライト表記には「MBS」もしくは「毎日放送」とほぼ表記されている(他局との共同製作作品を除く)。当初は放送局が未定の作品であっても、MBS・NET系列での放送が発表されると表記に追加される。
- 「ものしり館」など、放送番組センターの配給番組になった作品もある。
- 1989年に放送した短編アニメ『小松左京アニメ劇場』が毎日放送としては初めて手掛けた深夜アニメである(同時期に読売テレビが『11PM』番組内で『セイシュンの食卓』を製作していた)。
- 2020年4月現在は、水曜未明(火曜深夜)・金曜未明(木曜深夜)・土曜未明(金曜深夜)・日曜未明(土曜深夜)に深夜アニメ枠を設けている(独立局系アニメ(通称UHFアニメ)も多数ネット。毎日放送で放送される深夜アニメの半数にのぼる)。また、他局放送作品を含む再放送枠も過去に存在した(『ヒーローは眠らない』という枠名が設定されていた時期もあった)。
- 現在では、木曜深夜枠以外のいずれの枠にも「アニメ特区」など独自のレーベルが設けられている。
- 2020年1月クールから、『アニメイズム』枠の放送時間変更以来となる木曜深夜枠が復活した。この枠ではUHFアニメが放送される。
- 近年ではアニメオリジナル作品の比率が高い。アニメ担当プロデューサーである丸山博雄は、オリジナル作品へのこだわりを打ち出した発言も行なっている。
- 全日・深夜問わず、アニメの表現規制に対して『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』を擁するNETテレビとは対照的に緩い傾向が観られ、過激な表現が描かれる事が少なくない。以前は、放送時間帯を問わずにほぼ無修正で描写される事が大半であったが、近年はアニメ全体の表現規制の厳格化に歩調を合わせている傾向もあり、2011年の『BLOOD-C』を境に、作品によってはテレビ放送時に一部の残虐描写を修正して放送する事もある。また、『Aチャンネル』や『機動戦士ガンダムAGE』、『ハイキュー!!』のようにそのような表現が比較的少ない作品も放送している。
- また、アニメ番組のインターネット配信に関しても早くから積極的であり、『TIGER & BUNNY』においてはテレビアニメ史上初の『テレビ放送とのUstream同時配信』を実施した。
- アニメ コンテンツ エキスポ(2013年)やAnimeJapan(2014年以降)、京都国際マンガ・アニメフェア(京まふ)に毎日放送(アニメ)ブースを出展している。
- 深夜アニメの字幕放送にも積極的で、2014年1月期の『ニセコイ』(第1期のみ)以降、無料放送では毎日放送のみ字幕放送を実施することもある。2017年4月期からは1クールにつき1 - 2作品は独自に字幕放送付きで放送している。
- 近年では時間帯問わずに自社製作分では提供バックを放送しない代わりに、本編パート中に下部もしくは右下に提供クレジットを数秒表示するケースが多い。また、同様に改編期が迫ると次回作の宣伝のために、次回予告を一部もしくは全てカットするケースも目立つ。
- 2016年4月よりKBS京都から移籍する形で、アニメソング専門音楽番組『リスアニ!TV』を水曜未明(火曜深夜)にて1年間放送した。
- 1966年以来多数のアニメを制作・放送してきたが、社内にはアニメ専門の部署やアニメに関する事業を行う関連会社(キー局であるNETテレビに2024年7月に新設された「コンテンツ編成局アニメ・IP推進部」をはじめとする在京キー局のアニメ専門部署*13)ならびに、在阪他局のうち読売テレビで『名探偵コナン』の制作などを担う「アニメーションセンター」や朝日放送グループ内でプリキュアシリーズやANiMAZiNG!!!などのアニメに関する事業を担う「ABCアニメーション」に相当する組織)は存在せず、東京支社のコンテンツビジネス部が主として担当している。
- ポケモンショックを教訓とした視聴時の注意喚起テロップは、NHKと同様に出していない。
- 代表作としては『仮面ライダーシリーズ』がある。同シリーズは1990年代後半まで休日の早朝や夏休みの午前中、深夜枠で放送された『特撮ヒーロー列伝』にて再放送がたびたび行われた。また、原作者の石ノ森章太郎が亡くなった直後には石ノ森が監督・脚本・出演を務めた『仮面ライダー』第84話が夕方に追悼放送された。また、2023年2月7日から4月11日にかけて『シン・仮面ライダー』*14公開に合わせて「庵野秀明セレクション」と題して毎日放送では先述の『特撮ヒーロー列伝』以来、およそ25年ぶりに『仮面ライダー』の再放送が10話分*15行われた。
- 他にも松竹の『はやと』、『魔女はホットなお年頃』や東映の『変身忍者 嵐』、『宇宙鉄人キョーダイン』、『大鉄人17』や円谷プロの『ジャンボーグA』が知られる。
- 1959年に制作された『鉄腕アトム』(関東地区はフジテレビにネット)以来、在阪局で、特撮番組を最も多く制作・放送していることで知られる*16。
- 1996年から1998年初頭まで、深夜枠にて過去に放送した特撮番組をピックアップした『特撮ヒーロー列伝』が放送されていた。
- 「ドラマイズム」など自社制作のテレビドラマについては、U-NEXT、TELASAなど他社動画配信サービスにも番組配給している。フジテレビオンデマンドには長らく配給されなかったが、2020年9月に映画連動で『映像研には手を出すな!』がNET系列ネットの番組として初めて配給された。
- 2011年7月24日まではほとんど略称のMBSを使用しなかった("製作著作・MBS"とはせず、"製作著作・毎日放送"とするケースがほとんど)。
- ただし、過去にMBS単独製作でも『明石家多国籍軍』は「MBS」を使用していた。
- 通称を「MBSテレビ」に変更後は、順次「MBS」へ切り替えられた。また、2011年9月からはロゴを使用する際にライトグリーン色の「MBS」ロゴが使われている。
- 新聞・ポスターではテレビ画面の形にチャンネル番号の4とその下にMBSという文字を入れたロゴが使用される。チャンネル番号の4マーク及び、毎日放送の和文ロゴタイプは、現本社移転時に修正が施された。
- 2009年4月及び5月には、ローカル枠(再放送番組など)の一部で、番組開始時に画面右上に、当時のキャッチコピーである「おもろい4へ」というロゴを数秒間表示していた。
- ローカル番組クレジットタイトルには、2005年3月から2007年1月まで「MBS55周年」のロゴを付けていた。また、京都府の伝統や美術に関するの番組(『美の京都遺産』など)は「MBS京都プロジェクト」のロゴを付けている。また、ブロックネット番組には、いずれのクレジットでもなく、単に“製作著作・毎日放送”とだけ書かれていた番組もある。2010年8月からは2011年9月に開局60周年を迎えることにより、一年間限定で「毎日放送 60」のロゴ表記が使われている。
- 江崎グリコの江崎勝久社長が誘拐された1984年(昭和59年)3月18日深夜、この事件に関する報道協定が成立する前に、MBSテレビで江崎社長の誘拐を伝えるニュースの第一報が報じられた。
- 2005年(平成17年)4月に放送された『VOICE』で、兵庫県宝塚市在住のたこ焼き屋台経営の女性が、暴力団関係者らと共に同市内の喫茶店に対して嫌がらせを繰り返し、喫茶店を廃業に追い込んだとの報道を行った。これに対し、女性が名誉を傷つけられたとして神戸地裁に訴訟を起こし、同地裁は2007年2007年(平成19年)10月31日に原告の名誉を毀損したとして、40万円の支払いを毎日放送に命じた。大阪高裁での二審では隠し撮りという取材手法が問題とされたが、名誉棄損は認めず一審判決を変更して10万円に減額し、最終的に2009年(平成21年)2月13日に最高裁は両者の上告を退け、二審の大阪高裁判決が確定した。
- 2005年(平成17年)9月の同局の報道番組での、兵庫県南淡町の談合疑惑に絡んだ報道で、同町が約2億8,000万円を支出した造成工事について、森紘一・元同町長のファミリー企業が予定価格通りに落札したなどとした報道を行った。これについて、森元町長が毎日放送と住民監査請求を行った市民団体を相手にそれぞれ1,000万円の支払いを求め、神戸地裁に訴訟を起こした。同地裁は2008年(平成20年)9月26日に名誉棄損を認め、毎日放送に100万円の賠償を命じた。
- 2006年(平成18年)11月4日に放送した「2006ミズノクラシック」中継では、宮里藍の成績を首位に立っていないにもかかわらず「首位に立った」と表示したため、12月8日に総務省近畿総合通信局から厳重注意を受けた。
- 2008年(平成20年)5月25日に放送されたMBSテレビ制作の全国ネットバラエティ番組『ランキンの楽園』で健康チェック「ティッシュ箱飛ばし」を紹介した際、この番組を視聴していた千葉県在住の60代女性が実践した際に怪我を負ったことが同年5月27日に明らかになった。同年5月30日には、同番組のエンディングでお詫びと視聴者に注意喚起を促すテロップをアナウンス付きで放送した。
- 2008年に収録された同局の特別番組内で行われた「番組対抗駅伝」企画で、吉本総合芸能学院大阪校に当時在籍していた男性が同年7月25日に行われた同企画の野外リハーサルで走らされた際、熱中症を発症して高次脳機能障害が残った。当時、気温は35度以上あり、運動を原則中止すべき気象条件だったにもかかわらずリハーサルを実施したことで熱中症になったことが原因で障害が残ったとして、男性は毎日放送と吉本総合芸能学院を運営する『よしもとクリエイティブ・エージェンシー』を相手取り、2011年4月に訴訟を起こした。男性側は「速やかな病院搬送など適切な対応を怠った」などと主張している。毎日放送は2009年7月に、この男性に対して約177万円を支払っているという。2015年4月17日に同地裁は「熱中症の後遺症ではない」などとして、原告の訴えを退けた。
- 2010年(平成22年)12月5日に、大阪府堺市内のグラウンドで『くらべるくらべらー』の収録が行われ、「Jリーグの選手と子ども100人が(サッカーの)試合をしたらどんなスコアになるのか」との企画で、セレッソ大阪の選手らや同球団傘下のサッカースクールに通う児童らが参加して行った。ところが、この収録中にセレッソ側のゴール前へ児童らが殺到し、うち小学校3年生の男子児童1人が転倒したうえ、この児童は他の児童に左腕を踏まれて左肘骨折で全治3か月の重傷を負った。
- 2011年(平成23年)1月11日放送の『イチハチ』で、富裕な芸能人を紹介する特集『お坊ちゃまお嬢様芸能人No.1 決定戦』に出演していた日本人の女性タレントを、本人の事前申告を基に「アメリカ・ニューヨークのビル内の部屋に居住する資産家」と紹介したが、放送後には視聴者からの指摘をきっかけに、このビル内の物件を女性タレントが所有した事実がなかった疑いが浮上した。毎日放送では同年2月4日に事実確認が不十分だったことに対する謝罪と、放送後の現地調査を基に「事実と異なる内容を放送したと客観的に疑わざるを得ない」とする見解を記した文章を同番組の公式サイトなどで発表した。
- 2011年(平成23年)6月26日に、複数の報道番組で平野区韓国人母娘殺害事件の被害者とは別人の写真を被害者として報じた。誤報事件を受け、毎日放送はチェック体制を強化すると発表した。
- 2013年(平成25年)12月7日放送の『せやねん!』では、コーナー「今週の気になるお金」で「特殊詐欺・ダイヤモンド詐欺」を取り上げた。しかし、同コーナーで紹介した具体的な手口・実例・被害金額が、前々日(12月5日)に読売テレビの『かんさい情報ネット ten.』で放送されたばかりの独自取材特集「モクゲキ〜ダイヤモンド劇場型詐欺」の内容に酷似していることが、同局からの指摘で判明した。毎日放送で社内調査を進めたところ、『せやねん!』のスタッフが、読売テレビの公式サイトで配信されていた当該特集の動画の内容を同局に無断でナレーションの原稿などへ引用したことが判明した。このため、毎日放送では2013年12月26日付で「読売テレビや取材に協力された方に多大な迷惑をおかけしたことをお詫びします。放送人としてモラルを徹底させるとともに、チェック体制を見直したい」という謝罪コメントを広報部から発表するとともに、『せやねん!』の公式サイトに謝罪文を掲載した。
- 2017年7月16日に神戸市北区で、高齢男女など5人が殺傷される事件が発生したが、この事件に関連して、17日に放送された『ANNニュース』と『ちちんぷいぷい』に於いて、被疑者の顔写真として紹介した写真が、別人のものであったことが判明し、同局は同日夕方以降のニュース番組内で繰り返し謝罪した。
- 2017年12月26日にラジオで放送された『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』で沖縄県における米軍基地反対運動を取り上げた際に、パーソナリティの近藤光史が、「中国や韓国の勢力が内部から日本を分断しようとしている」との私見や「これらの勢力が基地反対運動でも活動しており、純粋に反対運動をしている人は少ない」という趣旨のコメントを発した。 この発言について、社長の三村景一は、2018年1月18日の定例記者会見の席上で「近藤の発言は不適切だった」と謝罪した。近藤に対して、沖縄の現状を改めて取材・報告させる方針を示したため、翌2月には近藤の冠番組(「こんちわコンちゃんお昼ですょ!」「日曜コンちゃん おはようさん」)で上記の方針に沿ったリポートが放送された。
- 2022年1月2日に関西ローカルで放送された新春特別番組『東野&吉田のほっとけない人』(東野幸治とブラックマヨネーズの吉田敬が司会を務めたトーク番組)では、大阪維新の会・日本維新の会と関係の深い松井一郎(大阪市長で日本維新の会の代表)、吉村洋文(大阪府知事で日本維新の会の副代表、肩書はいずれも放送の時点)、橋下徹(弁護士、元・大阪府知事および大阪市長、大阪維新の会初代代表、日本維新の会の前身である国政政党・おおさか維新の会初代代表)を揃ってゲストに迎えたことに対して、政治的公平性の観点から毎日放送の内外で批判が相次いだ。
- 『東野&吉田のほっとけない人』は、2021年1月3日から不定期で関西ローカル向けに放送。2021年内の放送回数は7回で、橋下は第1回・第2回(3月3日)・第3回(3月10日)・第6回(11月17日)、松井は第1回、吉村は第3回にもゲストで出演していた。第3回までは毎日放送のテレビ制作局(当時)がゲストのキャスティングや制作を担当していたが、毎日放送のテレビ単営局化を経て、第4回(9月1日)放送分から担当を制作スポーツ局へ移管。「政治的公平性の面で問題」とされた回は、通算で8回目(2022年の初回)放送であった。
- 制作スポーツ局では、前身のテレビ制作局時代から「関西地方の視聴者の関心の高いゲストを招いて、(東野や吉田との)トークを通じて素顔を引き出す」という意図の下に『ほっとけない人』を制作。第1回では松井・第3回では吉村が出演したパートの視聴率がとりわけ高かったため、総合演出の担当者曰く「世間の人々が松井と吉村に高い興味を示していることを(視聴率を通じて)実感したので、2021年を総括するに当たって、(同年の時点では政界を引退している)橋下を加えた3人に出てもらえたら面白い」との認識で、第8回の放送に向けてキャスティングを企画した。番組の編成を司る総合編成局は「吉村が『現職の大阪府知事』、松井が『現職の大阪市長』という肩書で出演するのであれば高い視聴率を見込める」としてこの企画を容認したが、吉村と松井への出演交渉については報道情報局に委託。制作局長を兼務している制作スポーツ局長の岸本孝博は、以上の事情を背景に、「報道(情報局)が(出演交渉に)関与しているなら、(放送で取り上げる)内容が(報道情報局に)理解されているはず」「『制作スポーツ局と総合編成局の間で(第8回の制作をめぐる)状況が共有されている』ということは、会社(毎日放送全体)としてのオーソライズが為されているはず」と認識していたという[87]。
- 毎日放送社長の虫明洋一は、第8回の放送をめぐって局の内外から政治的公平性に関する疑義が相次いだことを受けて、専務をリーダーに据えた検証チームを2022年1月17日付で発足。放送に関連した全部局の関係者からのヒアリングを通じて検証を進めたところ、以下の問題点が浮上したことから、同年3月1日に開催の第666回番組審議会で報告した[87]。テレビ大阪代表取締役社長の田中信行は、2022年1月27日の新春記者会見で、「(当時毎日放送で始まったばかりの)社内調査の結果を(自社の番組制作で)参考にしたい」との意向を示したうえで、「『行政の長』として吉村や松井を(自社の番組に)招くことがあり得るにしても、大阪府内では(会見の時点で)維新(系の勢力)が非常に強いので、感覚が麻痺しないように(番組の制作や報道活動で自戒)しなければならない」との見解を述べている。
- 毎日放送では、松井が大阪市長・吉村が大阪府知事へ就任してから(第7回以前の『ほっとけない人』を含めた)自社制作番組へ迎える際に「大阪市長」「大阪府知事」という肩書しか用いていなかった。報道情報局でも、そのことを前提に2人へ出演を打診。担当した局員は『ほっとけない人』で予定されていた内容に疑問を持っていたものの、報道情報局自体が同番組の制作に直接関与していないため、当事者意識を持てないまま放送を容認してしまった。報道情報局長の奥田信幸によれば、「制作(スポーツ局)と(総合)編成(局)が(高い)視聴率を狙いに行った番組である以上、報道情報局としては問題と思うものの、収録済みの映像を放送しないことが難しいとも感じていた」 という。
- 総合編成局では、管理職やチーフ級の局員が政治的な公平性を十分に認識していながら、制作スポーツ局が管轄している制作現場への注意喚起(途中経過の報告の要請など)を怠っていた。総合編成局で『ほっとけない人』を担当している局員も、第8回の収録に立ち会っていながら、収録された映像の編集作業までには関与していない。その結果、実際に放送された映像では、松井を「日本維新の会の代表」、吉村を「日本維新の会の副代表」と紹介。結果としてナレーションや橋下の発言に政治的公平性への配慮がうかがえたものの、放送法で規定されている「番組編集の自由」を裏打ちするだけの多角的な精査や組織的な検討が、制作スポーツ局にも総合編成局にも圧倒的に不足していた。
- 毎日放送の総合編成局・報道情報局・制作スポーツ局には「アドバイリー制度」が設けられていて、「番組アドバイザー」に任命された局員が番組内容のチェックに当たっている。しかし、実際には表現や放送用語のチェックにとどまっていて、番組全体の問題点を網羅する機能を果たしていなかった。
- 日本民間放送連盟(民放連)が定める放送基準に「政治に関しては公正な立場を守り、一党一派に偏らないように注意する」、毎日放送の放送基準で「政治に関する問題(を放送で扱う場合に)は公正な立場を守る」との一文があるにもかかわらず、このような基準に示された政治的公平性への認識が制作や編成の現場にまで正しく浸透していなかった[87]。
- 毎日放送では、以上の検証結果を受けて、「『番組を担当する部局や担当者が責任を持ちつつ、民放連や自社の放送基準を順守することが番組制作の基本である』ということを、全社で改めて共有する」「いわゆる『組織の壁』による当事者意識の欠落などが生じないように、それぞれの部局の組織が内部で円滑なコミュニケーションを取れるように運営されていることを改めて確認する」「全ての社員に対して、部局ごとの役割の周知を改めて徹底させる」という姿勢を表明。全社員を対象に「政治的中立」を含む多角的なテーマの社内研修を実施するとともに、制作のプロセスにおける適切な助言や番組内容のチェックを徹底させるべく、「アドバイザリー制度を速やかに全社横断的な専門組織へ再編する」といった改善策を打ち出した[87]。
- 第666回番組審議会で上記の報告を受けた番組審議委員からは、「バラエティ番組が視聴者に及ぼす影響が他のジャンルの番組より大きいにもかかわらず、『バラエティ番組だから(出演者がどのような立場で何を語っても)許される』という甘えのようなものがなかったか」「(日本維新の会の動向に対して)批判めいたナレーションを収録後の映像へ入れてはいたが、そのことを免罪符にしてスタジオ収録でのトークを出演者に委ねる手法は、(『政治的公平性に配慮した』という)アリバイを作っているかのようで姑息に感じる」「社内の他の部門に対して意見を言えないような空気感(社内環境)の下で、一つのもの(番組)を(『組織の壁』を超えてでも社員)みんなで作り上げることへの責任感が少し欠如しているのではないか」といった指摘が相次いで寄せられた[89]。
- 朝日新聞東京本社論説委員の田玉恵美は、以上の検証結果に独自取材の成果を交えた論説記事を執筆。2022年3月16日付朝刊の『多事奏論』(専門分野の異なる複数のベテラン記者が記事の執筆を交互に担当する連載企画)に、「番組審議会 放送の自律へ、議論もっと可視化を」というタイトルで掲載された。田玉は、毎日放送に対して「(局の内外から政治的公平性を疑われるような番組を放送した)責任は厳しく問われるべきだろう」との見解を示す一方で、「『番組審議会』という外部の(有識者が参加する機関の)目を交えながら(放送内容を)検証するだけにとどまらず、視聴者に向けて検証過程の積極的な可視化に踏み切ったことは(日本の放送業界で)あまり前例がなく、(放送局における)番組審議会の役割を考えるうえで一石を投じているようにも思う」と評価している。
この記事では、第666回番組審議会報告書の概要に記されていない審議会の内情を、毎日放送関係者からのコメントを基に紹介。「『出演料を受け取らない』という条件で(現職の)政治家がバラエティ番組に出演することへの意図に思いが至らないのか」という指摘や、日本の都道府県の中でも(放送の時点で)新型コロナウイルス感染症に伴う死者数の水準がとりわけ高い大阪府での感染拡大対策よりも第49回衆議院議員総選挙(2021年10月31日投・開票)における日本維新の会の躍進を放送で強調したことへの疑問が審議委員の一部から呈されていた一方で、毎日放送からの出席者が審議委員に対して「収録では(新型)コロナ(ウイルス感染症)の話も出たが、盛り上がらなかったため放送しなかった」と説明していたことを明らかにしている[90]。
- 『東野&吉田のほっとけない人』は、2021年1月3日から不定期で関西ローカル向けに放送。2021年内の放送回数は7回で、橋下は第1回・第2回(3月3日)・第3回(3月10日)・第6回(11月17日)、松井は第1回、吉村は第3回にもゲストで出演していた。第3回までは毎日放送のテレビ制作局(当時)がゲストのキャスティングや制作を担当していたが、毎日放送のテレビ単営局化を経て、第4回(9月1日)放送分から担当を制作スポーツ局へ移管。「政治的公平性の面で問題」とされた回は、通算で8回目(2022年の初回)放送であった。
- 毎日放送では、上記の改善策に沿って、放送法に関する社内研修を2022年4月15日に実施[91]。同年6月1日には、「オートノミーセンター」を総合編成局内へ新設するとともに、同局次長の清水伸浩が初代のセンター長に就任した。「オートノミー」とは「自主」「自律」を意味する英語(autonomy)で、ラジオ放送事業の分社化(2021年4月1日)から総合編成、報道情報、制作スポーツの各局に設けていた番組アドバイザリーを集約させたうえで、他部との兼任者を含む10数名のメンバーが番組制作プロセスでの助言や制作内容のチェックに携わるという[92]。
- 放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会では、放送倫理上の問題の有無を判断する「審議」に入らないことを決めたうえで、小町谷育子委員長による談話を2022年6月2日に公表。「テレビ放送の政治的公平性で問われるのは、『量』ではなく『質』である」「毎日放送や番組審議会による自律的な自浄作用が理想的な形で働いた」という理由で、「紙一重」の判断ながら審議を見送ったことを明かした。そのうえで、「『審議に入らない』という結論だけが独り歩きすることによって、『ほっとけない人』に垣間見えた問題点が放送界に共有されないことを危惧する」として、2022年の7月25日までに第26回参議院議員通常選挙の投・開票が予定されていることを念頭に以下の問題点を指摘した。
- バラエティ番組で政治問題を取り上げる場合には、話題性の高い政治家に対する視聴率重視のキャスティングが適切であるかどうかを、今一度見直す必要がある。また、「情報の提供」と「娯楽の提供」という要素が混在しているニュース番組や情報番組で、視聴率を偏重すれば『ほっとけない人』と同じようなことが起きかねない。
- 視聴率にとらわれながら制作される番組では、コメンテーターなどの出演者の意見が過激になったり、面白さを求めるあまり情報が偏ったりする結果として、誤った印象を視聴者に与えかねない。政治に関する番組で上記の事態へ至った場合の悪影響(が甚大であること)は触れるまでもないが、『ほっとけない人』はその最たる例になっているのではないか。
- 『ほっとけない人』の放送では、大阪府・大阪市による新型コロナウイルス対策を評価するうえで「行政側にとって都合の悪い」とされる事実も、行政を担っている政党(大阪維新の会)の政策についての異論や反論も一切出されていなかった。その結果として、同党の政策が一方的かつ肯定的に放送で流されたきらいがある。この放送を見る限り、「質」の面での政治的公平性を確保すべく、毎日放送が自主性を発揮しながら創意工夫を凝らした形跡をうかがうことは難しい。上記の事態は『ほっとけない人』以外の番組でも起こりうるので、毎日放送に限らず、他局の番組制作者にも「政治的公平性を質の面で担保するためには、異なる視点の提示が欠かせない」ということを忘れないで欲しい。
- 政治を扱う番組で大切なのは、放送局が放送に至るまで、視聴者の立場で政治的公平性を真剣に議論することである。その鋭意な努力を欠いたまま制作された番組では偏った情報が流れかねないので、視聴者はこのような情報を受け取った結果として、最も大きな不利益を被ることになる。
- 第26回参議院議員通常選挙は2022年7月10日に執行されたが、松井が日本維新の会の代表を任期満了(同年10月)までに辞任することを執行日の開票前に表明したため、開票の直後から放送された『よんチャンTV×選挙ステーション2022 政治の壁をしゃべりたおせ!参院選開票フェススペシャル』(ANN開票特別番組『選挙ステーション2022』の大半を自社制作で関西ローカル向けに差し替えた番組)では松井の辞任記者会見中継を挿入。虫明は7月20日の社長記者会見で「BPOが集中的な審議を紙一重で見送ったとはいえ、(上記の談話が出されるような)結果を重く受け止めている」との見解を示したものの、『よんチャンTV』では同月11日(月曜日)以降の生放送にも橋下と吉村を個別に出演させている。『東野&吉田のほっとけない人』についても、2022年9月から制作と放送を再開。
- 2026年1月23日、関西ローカルで放送している情報番組『よんチャンTV』で、21日の放送内容に対する謝罪が行われた。特定の政党を「強くてこわい日本」、他方などの政党を「優しくて穏やかな日本」を目指す勢力と分類した解説が「偏向報道である」としてSNSを中心に大炎上し、当事者である政党幹部からも激しい怒りの声が上がった。
- スポーツニッポン開発(スポーツニッポンカントリー倶楽部)
- 千代田ビデオ
- その他非連結子会社・関連会社
- ゾフィープロダクツ(毎日放送×吉本興業の合弁会社)
- クリエテ関西(大阪ガスとの合弁。雑誌「あまから手帖」発行)
- デジタルウェーブ
- フィールズ(放送映画製作所30%出資)
- ミュー(MBS企画100%出資)
- ミリカスポーツ振興
- ラジオ・テレヴィ・センター
- テレビ東京(旧:東京12チャンネル。かつてのキー局)
- RKB毎日放送(TBS系列。MBSメディアホールディングスや毎日新聞社が上位株主に入っている)
- サンテレビジョン、京都放送(阪神タイガース主催ゲーム(金曜日・土曜日)をリレー中継。選抜高校野球大会は2局に加えびわ湖放送、奈良テレビ放送、テレビ和歌山にもリレー中継される。)
- BS10(2025年1月9日まではBSJapanext。『パネルクイズ アタック25 Next』を共同制作)
- 阪急電鉄大阪梅田駅2階JR線連絡通路、阪神電鉄大阪梅田駅地下1階東側出入り口、JR西日本大阪駅御堂筋口に広告スペースを常設している。
- 阪急大阪梅田駅通路にはドラマの広告、阪神大阪梅田駅には野球中継の広告を掲示。かつては、茶屋町の本社社屋に近い阪急中津駅の西側フェンスに、大量の広告看板を設置(現在は撤去)。JR大阪駅には、駅構内の改良工事で巻き取り式の広告スペースが設けられた当初から、自社制作のバラエティ番組やドラマ、らいよんチャンの広告を出していた(2008年10月で終了)。
- また、2020年3月までは長らく、戎橋の南西側に建つ道頓堀観光ビルの東側壁面にも番組単位での大型看板を設置。『金9ドラマ』、『イチハチ』、『ちちんぷいぷい』(2014年度)、『サタデープラス』(2015・16年度・17年度上半期)、『サンデーLIVE!!』(2017年度下半期)、『教えてもらう前と後』(2018年度上半期 - 2018年度下半期)、『ミント!』(2019年度)の順にPR看板を出していた(『ちちんぷいぷい』『サタデープラス』『サンデーLIVE!!』『ミント!』以外は東京支社制作の全国ネット番組)。この場所は「大阪を代表するスポット」として日本の国内外で頻繁に紹介されているため、上記の看板が他局のテレビ番組のロケ映像へ写り込むことも多かった(2020年度上半期からはファンケルの看板を設置)。
- 毎日放送の公式サイトがリニューアルした際にトップページに、「今週のMBSには、こんな人が出ます!」と題して1週間の内にローカル・全国ネット問わず、毎日放送で放送されるテレビ番組に出演するタレント・俳優・スポーツ解説者・アナウンサーがレギュラー・ゲスト問わず表記されている。毎日放送以外にもキー局NETや他の系列局の番組に出演する者も含まれる。再放送の関係で故人も名を連ねることもある。人名の横には回数も併記されている。ほぼ全員載せているのは珍しい。ただし、自社・他社制作・他系列問わずアニメ番組(プリキュアシリーズや(スーパー)アニメシャワー枠など)に出演している声優の名前は表記されない。
- 設立当初から放送局の方針上、テレビでは長らく創価学会と聖教新聞のテレビCMを流していなかった。ただし、ラジオでは1990年代初期まで流し、一時中断後2009年(平成21年)から提供番組内のみ再開しているほか、創価大学や、国政選挙期間中に限り公明党も流している。テレビでは2010年(平成22年)9月から「キー局の名のもとに」との立場から聖教新聞のCMが放送され、MBSテレビもそのまま受けている(2011年9月末まで)。また、NET制作の全国ネット番組で聖教新聞がスポンサーの場合もそのまま放送される。また、2012年4月から自社制作番組の番組スポンサー参加及びスポットCMへの出稿を段階的に受けて入れている。
- 開局以来、局の方針としてテレビでは創価学会(聖教新聞を含む)のCMは一切受け入れてこなかったが、2010年(平成22年)5月1日にNET系列局で開始した聖教新聞一社提供番組『世界が愛した絵本』を毎日放送もそのまま同時ネットしたことにより、以降はNETネットワーク全国スポンサードネット番組、かつ制作局と同時ネットの場合に「キー局の名の下に」受け入れるようになった。2012年(平成24年)4月改編でスタートした『衝撃速報!アカルイ☆ミライ』では、MBS製作の全国ネット番組と、創価学会本体名義での出稿についても解禁された。関西ローカルで流れるスポットCMについては、2012年9月に聖教新聞のCMを受け入れた。
- なお、ラジオでは2009年(平成21年)4月改編で時間帯を限定して受け入れを再開した他、学会直系の学校法人が管理運営する創価大学は出稿者として認めている。また国政選挙運動期間中の公明党のCMは法解釈上政見放送や選挙公報と同様の扱いを受け、局側の都合だけでは事実上拒否できないこともあって一般企業と同じ有償扱いで受け入れている(この姿勢は、関西テレビとテレビ熊本でもほぼ同様だが、これらの2局はMBSよりも厳しく、フジテレビをはじめとするフジテレビ系列(FNN/FNS)各局制作のスポンサードネット番組にタイム契約での出稿があったとしても容赦なくACジャパン等他のCMに差し替える。このためフジテレビ系列各局もスポンサードネット番組への創価学会関連組織のCM出稿受け入れに消極的になっている)。
- 日本国内で新型コロナウイルスへの感染が拡大している2020年には、3月中旬から番組の制作・放送体制を徐々に変更。レギュラー番組の制作スタッフに2班体制を導入したり、在阪民放テレビ局では最も早く4月7日(月曜日)から5月31日(日曜日)まで全番組の収録を見合わせたりするなど、感染拡大の一因とされる飛沫感染の回避に努めている。取締役として制作局・東京制作局・アナウンサー室を統括していた岡田公伸が、感染に伴う心筋症によって4月9日(木曜日)に60歳で急逝してからは、感染拡大への防止策を強化。本社制作の生放送番組へレギュラーで出演している首都圏在住者については、自宅などの滞在先や、東京支社スタジオからの生中継による「リモート出演」で対応していた。岡田がテレビ制作局のプロデューサー時代に立ち上げた『ちちんぷいぷい』でも、スタジオ出演者の座席の間隔を「社会的距離」とされるおよそ2mにまで拡大したほか、新型コロナウイルス感染関連のニュース・企画を中心に据えた構成に変更。2020年の4月改編から関西ローカル番組へ戻ったことも背景に、同月20日(月曜日)から5月29日(金曜日)までは、スタジオ(ライブセンター)を共用する『ミント!』の放送枠と暫定的に合体したうえで、『おうちにいようよ(→あしたのために) ちちんぷいぷい&ミント!』を放送した。もっとも、感染拡大の影響で毎日放送グループの収益が急速に悪化したことに伴う収益構造見直しの一環として、『ちちんぷいぷい』『ミント!』を2021年3月で終了。3月29日からは、両番組の後継番組として平日の夕方に『よんチャンTV』、関連番組として土曜日の午後に『土曜のよんチャンTV』を関西ローカルで放送している。『よんチャンTV』では、6月に複数のスタジオ出演者から新型コロナウイルスへの感染が確認されるなど、短期間で放送体制の見直しを余儀なくされている。
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