朝鮮学校無償化問題FAQ - 朝鮮学校年表
現在の無償化問題など、朝鮮学校をめぐる問題について考えるには、朝鮮学校がどのように成り立ち、どのような変遷を経て現在に至るのかを知ることが不可欠です。そこでこのページでは終戦直後から現在までの朝鮮学校の歴史を便宜上四つの時期に分けてまとめてみました。尚、現在の無償化に関する事柄は随時更新の予定です。







第一期(1945〜1949) 朝鮮学校の始まり〜混乱と弾圧を潜り抜けて


1945年8月15日
日本敗戦(朝鮮人にとっての「解放<ヘバン>」)
9月〜
母国語を話せない日本育ちの青少年※のための国語講習所が日本各地で作られる(数年で学校数500以上、生徒数4万以上に達する)。
※戦時中は皇民化(朝鮮人の日本人化)が推進される一方、朝鮮語や朝鮮文化を教えるために自主的に設立された夜間学校は閉鎖に追い込まれた。そのため母国語を話せない青少年が数多く存在した。
10月15日
在日本朝鮮人連盟(朝連)結成。
11月1日
占領軍、朝鮮人を「解放国民として扱う」が「必要な場合は敵国人として扱うことができる」とする方針を打ち出す。
12月
選挙法改正。朝鮮人・台湾人は「日本国内に戸籍がないこと」を理由に選挙権が「一時停止」される。

1947年5月2日
朝鮮人・台湾人を「当分の間外国人と見なす」とする外国人登録令が「天皇最後の勅令」によって公布・施行。
5月3日
日本国憲法施行

1948年1月24日
文部省「朝鮮学校設立の取り扱いについて」の通達(一・二四通達)で、朝鮮学校に対し日本の学校教育法に従い、朝鮮語の授業や朝鮮語教育を正課から外すよう指示。学校側は民族教育の否定と見なし反発。
4月
通達に従わない学校に閉鎖命令、反発する学校側と警官隊が各地で衝突。特に大規模な抗議運動があった神戸では米軍憲兵隊が出動、多数の検挙者を出す。26日、これに対し大阪で行われた集会に警官隊が放水・発砲、当事16歳の金太一<キム・テイル>少年が頭に銃弾を受け、死亡(阪神教育闘争)※。
※なお、こうした当局の弾圧はアメリカ本土のメディアも「民族権の蹂躙」と非難した。

1948年4月
大韓民国政府樹立。
9月9日
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政府樹立。朝連は唯一正当な政府と支持を表明。

1949年4月4日
「団体等規正令」公布。
9月8日
朝連に解散命令。
10月19日
朝鮮人学校閉鎖令。各地で学校職員、父兄、生徒児童が抵抗したが、警察により排除。多くの学校が閉鎖し、残った学校の一部が自主学校として運営され、残りは公立学校への転換を余儀なくされる。都立学校となった東京都内15の朝鮮学校に対しては「朝鮮人学校取扱要項」が出され、朝鮮語や朝鮮史の授業は課外授業になり、正課授業は日本語で行うことが強要された※。
※これにより朝鮮学校には日本人教師が赴任してきた。当初朝鮮人側には彼らに反発する風潮もあったが、朝鮮人教師らが民族教育の重要性を説くことで理解を示した日本人教師もいた。そうした教師の協力もあり、一部の学校では民族教育がいわば「ゲリラ的」―表面的には都の指示に従いつつ、実質的に朝鮮人教師が主導権を握る―に維持された。


第二期(1950〜1954) 「“公立”朝鮮学校」時代


1950年6月25日
朝鮮戦争勃発。

1951年1月9日
在日朝鮮統一民主戦線(民戦)結成。民族教育の自立性の確保が要綱に盛り込まれる。
4月
朝鮮学校の民族教育や民戦の影響を警戒した文部省が「学校閉鎖令を遵守」するよう十項目からなる通達を発する。

1952年4月28日
サンフランシスコ講和条約発効。在日朝鮮人・在日台湾人は正式に日本国籍を喪失。外国人登録令、公布・施行。
9月
東京都教育委員会、「外国人となった朝鮮人に義務教育を受ける権利はない(ただし希望すれば『恩恵』として『許可』はする)」とする「朝鮮人子弟の公立小・中学校および高等学校への就学について」の通達を発する。都立朝鮮学校の私立への移管を表明。

1953年
文部省、通達「朝鮮高級学校卒業生の日本の大学入学資格について」で、「学校教育法上、当然各種学校の卒業生には大学への入学資格は認められない」「朝鮮学園、韓国学園等は各種学校であるから、その高級学校の卒業生であっても大学への入学資格はなく、大学入学資格検定試検を受けなければならない」との見解を示す。
7月27日
朝鮮戦争休戦。
12月8日
東京都教育委員会、朝鮮学校に対して「民族教育を課外にせよ」など(事実上自主的な民族教育を否定する)「六項目」の要求。

1954年4月7日
東京都教育委員会が朝鮮学校に対して「教育委員会の指示に無条件で従わなければ廃校にする」と通告。学校側はやむを得ず先の六項目を受諾。
4月9日
現場の民族教育を厳しく制限する指示「朝鮮人学校の運営について」が出される。
8月
北朝鮮の南日<ナム・イル>外相、日本政府の対在日朝鮮人政策を非難(南日声明)。
10月4日
東京都教育委員会、1955年3月31日をもって都立朝鮮学校を廃校にすると通告。

第三期(1955〜2001) 再スタートからの歩み


1955年4月
都立朝鮮学校、廃校。私立各種学校として再出発。
5月25日
民戦解散、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)結成。

1956年
朝鮮大学校創立(当初は二年制、1958年より四年制に)。

1957年4月8日
北朝鮮より初めての教育援助費と奨学金(約1億2109万円)が送られる。

1959年
北朝鮮への「帰国事業」が始まる。

1963年
チマ・チョゴリが女子生徒の制服になる。

1965年6月22日
日韓条約締結。
12月28日
「朝鮮学校を各種学校として認可すべきではない」とする文部次官通達「朝鮮人のみを収容する教育施設の取り扱いについて」が出される。

1968年4月17日
東京都が朝鮮大学校を各種学校として認可。
「外国人学校法案」が国会に提出されるが、反対運動などにより廃案(以降1972年まで、七度の提出→廃案を繰り返す)。

1970年
東京都により初めて朝鮮学校に対する公的補助が始まり、その他の地方自治体にも広がっていく。

1972年
北朝鮮より教科書が無料で送られる。

1975年
全ての朝鮮学校が各種学校として認可される。

1983年
日本での生活実情を考慮し、日本語(日本学校における「国語」)の授業数を増やし、日本社会に関する一般教養もより重視するようになるなど、教科書や授業カリキュラムなどを大幅に改編。

1991年
日本高野連が朝鮮高校を含めた外国人学校の大会参加を認める。

1994年2月22日
JRが朝鮮学校生徒の通学定期の割引率を一条校並みにすることを決定。
3月
全国高校体育連盟が朝鮮高校や専修学校などの高校総体(インターハイ)への参加を特例として認める。

1994年
北朝鮮核疑惑。チマ・チョゴリ切り裂き事件など、生徒や学校に対する嫌がらせ、脅迫が多発。

1998年
テポドン事件。生徒・学校への嫌がらせが再発。

1999年4月
チマ・チョゴリを着用する女子生徒への嫌がらせへの対策としてブレザーなどの第二制服が導入される。

第四期(2002〜現在) 拉致問題、そして無償化除外



2002年9月17日
小泉純一郎首相(当時)が北朝鮮の平壌を訪問。北朝鮮が日本人拉致を認める。これがきっかけになりマスコミの「北朝鮮バッシング報道」が過熱。
10月15日
日本人拉致被害者5人が帰国。当初一時帰国という合意が日本と北朝鮮の間で交わされていたが、日本政府は被害者を北朝鮮に戻すことを拒否。

2005年1月22日
60年代の京都を舞台に日本人高校生と朝鮮高校生の交流を描いた映画「パッチギ!」(井筒和幸監督)が公開。毎日映画コンクール最優秀作品賞など、その年の映画賞を多数受賞。

2006年7月5日
北朝鮮のテポドン2号発射を受け、北朝鮮−日本を航行する万景峰号に対し入港禁止の措置がとられる。これにより毎年北朝鮮への修学旅行に万景峰号を利用していた朝鮮高校は飛行機便を利用せざるを得なくなる。

2007年3月
北海道の朝鮮学校のドキュメンタリー映画「ウリハッキョ」が韓国で公開(日本では自主上映のみ)。釜山国際映画祭ドキュメンタリー部門最優秀賞、大韓民国映像大賞最優秀賞を受賞。

2009年12月4日
京都市内の勧進橋児童公園をグラウンドとして利用していた京都朝鮮第一初級学校(小学校に相当)に対し、これを不正占拠と主張する「在日特権を許さない市民の会(在特会)」のメンバーらが、同公園に学校側が設置していた朝礼台やゴールポストを取り外した上学校に乗り込み「朝鮮やくざ」「スパイの子供」「ゴキブリ、ウジ虫、朝鮮半島に帰れ」等と拡声器で怒号を浴びせる事件(京都朝鮮学校襲撃事件)が発生。翌年4人が逮捕・起訴される。

2010年1月
高校無償化法案が閣議決定。公立・私立高校の他、朝鮮学校を含めた外国人学校や専修学校の高校課程なども対象とされる。
2月
中井洽拉致問題担当相(当時)が拉致問題を理由に朝鮮学校を無償化対象から外すように川端達夫文科相(同)に要請。これらが発端となり、同年4月分からの支援金支給が凍結される。
3月
橋下徹大阪府知事、「不法国家の北朝鮮と結びついている朝鮮総連に朝鮮学校が関係しているなら、税金は入れられない」などとして、補助金支給の見直しを指示。府は「日本の学習指導要領に準じた教育活動を行う」「金正日・金日成の肖像画を教室から外す」ことなどを補助金支給の条件として学校側に提示。
11月23日
北朝鮮による延坪島砲撃事件。翌日菅直人総理が高木義明文科相に対し、朝鮮学校無償化手続きの停止を指示。
12月4日
前年の京都朝鮮学校襲撃事件を「記念」して在特会が渋谷で行ったデモに対し、27歳の在日韓国人青年が「民族教育の権利を守るぞ!」「阪神教育闘争の精神を受け継ぐぞ!」と書いた横断幕を掲げ抗議。青年は在特会メンバーらから暴行を受け全治三週間の怪我を負うが、渋谷署は無抵抗だった青年の身柄を拘束した後、暴行容疑の「現行犯」で逮捕(二日後に釈放、起訴猶予処分)。
12月24日
東京都が延坪島砲撃事件などを理由に都内の朝鮮学校に対する補助金支出を停止する方針を固めたことが明らかになる。石原慎太郎知事は「反日教育を行い、かつては拉致事件で朝鮮総連が動いた状況証拠もある。手当を出すことは外国では考えられない」と述べる。

2011年1月
大阪府、朝鮮学校への補助金を予算案に計上しない方針を固める。
2月
千葉県が財政状況が不健全であることなどを理由に、県内の朝鮮学校補助金の予算計上を見送る。
2月4日
高木文科相、朝鮮学校側から出された行政不服審査法に基づく不作為の異議申し立てに対し、「政府を挙げて情報収集に努めるとともに、不測の事態に備え、万全の態勢を整えるため」という理由([参照異議申し立てに対する通知])で無償化のための審査手続きを再開しないことを表明。
3月11日
東日本大震災。
3月31日
宮城県(村井嘉治知事)は、被災した東北朝鮮初中級学校(仙台市)に対し、当初予算計上されていた2012年度分の補助金取りやめを決定。
4月21日
京都朝鮮初級学校襲撃事件の刑事裁判で、京都地裁が被告4人全員に対し、懲役1〜2年の有罪判決(執行猶予4年)。
8月25日 
東京朝鮮中高級学校の生徒約20人が朝鮮学校への無償化適用の審査手続きを停止していることに対して精神的苦痛を受けたとして国家賠償請求訴訟を東京地裁に起こすことを表明。
8月29日
辞任直前の菅直人総理(当時)朝鮮学校への高校授業料の無償化適用について「昨年11月の砲撃以前の状況に戻った」とし、審査を再開するよう高木文部科学相(当時)に指示。
8月31日
自由民主党、朝鮮学校の無償化審査再開に抗議し、即時撤回を求める決議。
10月28日
京都朝鮮初級学校襲撃事件における京都地裁の有罪判決を不服とした被告1名の控訴審で、大阪高裁が被告の控訴を棄却、判決言い渡し(翌年2月上告棄却、刑確定)。

2012年3月19日
大阪府(松井一郎知事)は、「要件を満たした」として可決した大阪朝鮮学園(全8校分)の補助金予算を一転して「全て執行しない」と発表(大阪市(橋下徹市長)も同調して初・中級学校への補助金不支給を明言。3月22日)。
9月20日
学校法人・大阪朝鮮学園が、大阪府・市による2011年度の補助金不支給決定の取り消しと支給義務を求め、大阪地裁に提訴。
12月
総選挙で民主党下野。自民党安倍新政権(下村博文文部科学大臣)は、「朝鮮学校へは無償化を適用しない」方針を決定(国家政策として住民に対する事実上の民族差別宣言)。
12月26日
大阪市(橋下徹市長)は、大阪朝鮮学園に対し、無償貸与していた中大阪朝鮮初級学校の土地明け渡しを求めて大阪地裁に提訴。

2013年1月
「高校無償化」から朝鮮学校を除外するための省令改定案を検討。
1月24日
学校法人・大阪朝鮮学園が、高校無償化の条件を満たしているのに適用しないのは違法とし、国の適用を求めて大阪地裁に提訴。
愛知朝鮮中高級学校の生徒・卒業生5名が、就学支援金の不支給は憲法違反にあたるとして、精神的損害に対する慰謝料を求める国家賠償請求訴訟を名古屋地裁に起こす。
2月13日
神奈川県(黒岩祐治知事)は、北朝鮮の核実験が公表されたことを受け、「県民の理解が得られない」として、朝鮮学校への県の補助金を取りやめる意向を発表。
埼玉県(上田清司知事)は、2年間に渡り凍結していた埼玉朝鮮初中級学校への補助金を、2013年度から予算計上しないと発表。
2月20日
文部科学省(下村博文大臣)は、20日付で省令を改定し、全国の朝鮮高級学校を「無償化」から除外することを通達。
2月21日
広島県および広島市が、2013年度の朝鮮学校への補助金予算を計上しないと発表(広島県は、朝鮮学校を「一条校に準ずる」と認定していた)。
山口県(山本繁太郎知事)は、「国の考え方や他県の動向などから総合判断する」として、2013年度予算計上から朝鮮学校への補助金を見送るとした。
3月28日
東京都町田市は、新入生児童に貸与している防犯ブザーを、朝鮮学校児童にのみ貸与しない決定をし、学校側へ通知した(多数の抗議が殺到し、4月8日に撤回、ブザーを配布した)。
4月
埼玉朝鮮学園と福岡の市民団体が、両県による朝鮮学校への補助金凍結・停止に対し、それぞれ県の弁護士協会に人権救済申し立てを行なう。
8月1日
広島朝鮮学園と広島初中高級学校の卒業生、現役朝高生あわせて110人が原告となり、民族教育権を侵害する就学支援金不支給の取り消しと「無償化」対象の指定、および精神的苦痛に対する慰謝料を国に求める訴訟を広島地裁に起こした。
10月7日
京都朝鮮初級学校への一連の街宣活動に対する民事裁判で、京都地裁は被告のヘイトスピーチ活動を「人種差別」として違法性を認定し、1200万円あまりの損害賠償と移転先の朝鮮学校周辺における街宣禁止の判決を下した。
10月29日
神奈川県横浜市(林文子市長)は、外国人学校への補助金支給交付要綱を「国際情勢に応じて支給しないことができるように」改定し、市内の朝鮮学校3校に対し、「拉致と核開発問題」を理由に1980年代から続いていた補助金を2013年度分以降から支給しない決定をした。
12月6日
神奈川県川崎市(福田紀彦市長)は、市内の朝鮮学校(初級学校2校)への2013年度分の補助金支給を見送る方針を固めた。
12月19日
九州朝鮮中高級学校(北九州市)の生徒ら67人が「高校無償化」から除外され精神的苦痛を受けたとして、計737万円の慰謝料を国に求める訴訟を福岡地裁小倉支部に起こした。

2014年2月17日
東京朝鮮中高級学校高級部の生徒62人が、「高校無償化除外」による就学支援金の不支給は違法だとして、一人当たり10万円(計620万円)の損害賠償を国に求め、東京地裁に提訴。全国で5件目。
7月8日
京都朝鮮初級学校への一連の街宣活動に対する控訴審で大阪高裁は、1200万円余りの支払いと学校周辺における街宣を禁じた京都地裁判決を支持し、在特会の控訴を棄却した。
また「民族教育事業の運営に重大な支障をきたし、社会的評価を低下させた」と、初めて民族教育の意義についても言及した。
8月29日
国連人種差別撤廃委員会が、朝鮮学校に対する「無償化」からの排除など数項目にわたって「取り組みが不十分である」とする是正勧告を日本側に出した。
12月9日
最高裁が京都朝鮮初級学校への街宣活動判決に対する被告の上告を退け、在特会による1226万円の賠償と街宣活動の差し止めを命じた大阪高裁の判決が確定した。

2016年3月29日
文部科学省は、北海道と1都2府24県の知事あてに、各自治体が支給する朝鮮学校への補助金に対して「留意」するよう異例の通知を馳 浩大臣名義で出した。
5月24日
繰り返されるヘイトスピーチ・デモ、集会への対策として、日本国内初の反人種差別法といえる「ヘイトスピーチ対策法案」(本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律)が衆院で可決(6月3日施行)。
国や地方自治体が「差別解消に向けた施策を推進する責務がある」とする。
附帯決議として、「本邦出身者に対する不当な差別的言動以外のものであれば許されるという理解は誤り」「人種差別撤廃条約の精神に鑑み、適切に対処する」が盛り込まれている。
罰則規定の無い理念法。

2017年7月19日
広島地裁は「朝鮮総連による不当な支配を受け、支援金が授業料に使われない懸念がある」との国の主張を認め、「(除外した)裁量に逸脱はなく適法だ」として、「高校無償化」除外の処分取り消しなどを求めた広島朝鮮学校側の訴えを退けた。
(全国5か所の裁判における初の判決)
7月28日
大阪地裁は、国が文部科学省令を改正して朝鮮学校を無償化の対象から除外したことを、法律の趣旨(教育の機会均等)から逸脱した違法行為で無効とし、処分の取り消しと無償化対象にすることを命じる原告(大阪朝鮮学園)全面勝訴の判決を下した。
(高校無償化裁判2例目の判決)

2018年9月27日
大阪高裁は、朝鮮学校が朝鮮総連から「限度を超えた介入」「不当な支配」を受けている疑いがあるとして地裁判決を取り消し、朝鮮学校側の逆転敗訴判決を出した。

2019年8月27日
東京朝鮮学園の元生徒たちや大阪朝鮮学園が国を相手に起こした2つの訴訟(ともに高裁まで原告敗訴)について、最高裁判所は8月27日付で、双方とも原告の上告を棄却する決定を下した。
この決定に対し、原告・支援者側からは「政治的、外交的理由で朝鮮学校を排除した国の差別政策を最高裁は是認した」「最高裁がまったく理由を述べずに棄却したのは不当」「法理と人権救済の役割を放棄し安倍政権の政策に加担した」「生徒たちが街頭に立ち、差別是正を訴え続けた気持ちが踏みにじられた」といった批判が噴出している。