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lgaim_mania 2022年07月26日(火) 17:53:00履歴
アルセチア共和国旗は1470年に制定された 詳しくはアルセチアの国旗と国歌?を参照 | ||
| 国名 | アルセチア共和国 | |
| 正式名称 | Zemfried ad Alcetia | |
| 公用語 | ルセット語 | |
| 国歌 | アルセチア万歳! | |
| 国の標語 | 時代とアルセチアの繁栄のために | |
| 首都 | ノルドバキア | |
| 首相 | エリカ=パークス | |
| 与党 | アルセチア自由党 | |
| 政治体制 | 共和制 | |
| 人口 | 3630万人 | |
| 面積 | 29.4万km² | |
| 通貨 | カール(現在) | |
| ソール(1992年まで) | ||
|---|---|---|
| ドメイン | .al | |
| 電話番号 | +68 | |
考古学者の推定からすると、この地にラシュフォンが住み着いたのは紀元前10000~9000年ごろである。当時は文明と言える文明は無いに等しく、同時期の他民族のように土器や石器を使った狩猟採集の生活を行なっていた。この頃には既にラシュフォンに特有の現象である「共振」が存在していたとされ、離れた場所で音波を使った意思伝達を行なっていたと考えられる。この時代に使われていた土器には決まって三角形と円を使った幾何学的な模様や印章が掘り込まれていたことでも知られ、低温で焼き上げられたそれは「黄紋土器」と言われる。ちなみにアルセチア王国(第二王朝、ゼーファール朝)の国旗に採用されていた三角形のシンボルはこの黄紋土器に由来し、王宮に置かれていた一際大きな土器の壺に描かれていた印章に由来する。後の調査により、この壺は南部のフリーム州で作られた神殿の水瓶だと判明した。ちなみに当時の化石として、山には石の刺さった動物の骨や鱗の残った魚の骨が残されており、これは採った肉や魚を一部だけ食べずに残しておいたことの証である。アルセチア史の研究学会では古くからこの理由が議論の的であり、当初は単に「食べきれない食物を保存しておくため」とだけ結論が出されていたが、のちに食料を保存する技術が当時はほとんどなかったことが発覚。このことからこの説は棄却され、さらなる議論の末に出た結論は「彼らの祖先と神に捧げるため」というものであった。ラシュフォンは狩猟採集の厳しい生活の中に救いの形を見出し、不毛の大地だったこの世に命を芽生えさせた神に感謝したのだ。
石器時代は獲物となる動物の多寡や木の実の出来具合によりラシュフォンの群れは住処を点々としながら平野を渡り歩いていた。それから時間が経つと他のカーリスト地域からの農業技術の流入により原住民の住処は安定し、一箇所に長年住むことができるようになった。しかし当時は肥料がまだ発見されておらず、南部のレイン地方に比べて養分の少ないアルセチアの土地は比較的すぐに痩せてしまったので完全に農業を行う生活スタイルに移行するまでには紀元前の2000年前に遡る必要がある。何はともあれ彼らの生活環境は目に見えて向上し、当然の帰結として紀元前1600年代には最初の都市国家である「nu-bu-flu」が誕生したとされる。この表記は当時の文字が母音を含有していなかったことに起因し、口伝えによりこの国が「ネーヴェル」という名前を持ったことが明らかになっている。この名前は「夜の霧」が語源のルーツにあると考えられ、今でもアルセチアの南部には夜の風と霧で有名な「ネーヴェル高原」という名称が残っている。この都市国家は数十の村が共同で寄り集まって構成されており、都市国家のリーダーは強権的な王ではなく調整者としての酋長として機能し、民衆の安定した生活基盤の確保に寄与した。
ネーヴェルに代表されるような都市国家は作物の育ちやすい沃土を中心として発展していたが、残りの諸村落は大きく二つに分かれて運命を分つこととなる。都市国家に倣い農業を始めた村落は比較的安定した食料供給により技術や文化を発展させることができるようになり、さらに部族の外部との交流ができたことで都市国家の建築技法や農業のノウハウを取り入れることでますます富むようになった。しかし最低限農作物すら育たないような弱い土地であったり、長らく旧来行ってきた狩猟採集に固執するなどして農業への食糧供給体系の変化を受け入れることのできなかった諸村落は紀元前1350年の冷害と旱魃による大規模飢饉「黒い風の秋」により人口の過半数を失い一気に衰退。一部のひどい村では住民同士の共食いや仲間割れが頻発し、その死の匂いに釣られてやってきた野犬が死骸を食い荒らす阿鼻叫喚の状態となったとも言われている。早期に農業への切り替えを行いある程度食料を蓄えていた農村は当然このようにはならず、殆どがなんとか切り抜けることができたが、それでも食糧不足により近隣の村と連合を組み合併するしか生き残る道はない状態へと追い込まれた。これを機にアルセチア文明圏での都市国家の糾合は比較的早期に進み、さまざまな策謀に伴う幾つもの争い、戦い、流血を経験した。そしてついに紀元前882年、アルセチア王国が文明圏の統一と「アルセチア」国家の樹立を宣言した。実は今までアルセチアという言葉は文献資料を探してもこのアルセチア王国(考古学や歴史学では便宜上これを「第一王朝」「ハンザ朝」と呼ぶ)成立以前は一切出てこず、この国家樹立宣言の時に初めて王や諸侯の会議によって作られた言葉と見られている。ちなみにアルセチアの語源は古代ラシュフォン語の「Al-luse-ti」、つまり「土を耕す者のための土地」であり、この国の成立の起源と全く符合するものである。
王国の成立後も順調に南部の未開拓地域へ進出し領地を広げていったアルセチアは、ある問題に煩わされる事になる。それは、国土の西端にあるサピン地方、今のドルチェノフグラードのある一帯の支配についての問題だった。彼らは紀元前910年のサピン戦役で敗北し占領されたが、一部の村落は未だに独立運動を続けており中には政府の徴税役人を追い返し「自由都市サピア」を名乗って武装する地域まであった。ここで登場するのは6代王のリューナスであり、中流の出身ながらも若くして武勲を上げたことで王の位を譲られた者だ。リューナスは二つの選択肢の中での決断を迫られていた。一つは武力によるサピンの制圧。これは成功すれば反対派を一掃できるという大きなチャンスを抱え込んでいたが、同時に大規模な内戦を引き起こしかねないという甚大なリスクを孕んでいた。もう一つは穏やかなもので、武装地域に対し「サピン立憲王国」の名義で独立と自治権を保障することで平和にこの問題を解決するものだった。一切の流血をすることなく領土問題を解決することを望んだリューナスの判断は後者だった。多少の経済的損失を堪えつつも平和に問題を解決した彼は人徳王と呼ばれ、名君として讃えられた。
しかし、彼は致命的な事項を見落としていた。誰もサピンがアルセチアに対し友好関係を結ぶとは一言も発していなかったのだ。それほどに誰もがそれは当然のことであり、今までもこれからもそうだろうと思い込んでいた。しかし大方の予想を見事に裏切り、サピン王国の狂王トレーズはアルセチアに対し殆ど略奪に等しい独立戦争を仕掛け、あっという間にアルセチア傭兵部隊を追い散らし街を占領。怒涛の勢いで旧サピン王国旧領を奪還してしまったのだ。しかもこの流れに乗じて都市国家イリヤ、ネーヴェル、フリームなどの数々の諸邦は一斉に蜂起しアルセチア中央政府を激しく攻撃。結果として第一王朝は事実上崩壊し、栄華を誇ったアルセチア王家も長男系のナルヴィーク王国、リューナスの次男系セグネーティア大公国、長女リジーナのベル=カストル大公国に分裂しその面影を失った。この3国は後に血縁関係による同盟を結んだことから、ハンザ諸国と言われる。
斯くしてアルセチアは再び小国の乱立する戦乱の世へと後戻りしてしまった。分裂して衰退したハンザ系国家は歴史の脇役へと後退し、破竹の勢いで旧王国領土を蚕食せんとしていたサピン王国も近隣の小国の意表をつくような攻勢によってあれよあれよと衰退、首都サピアとその近郊を占めるのみに後戻りしてしまった。ここで勃興したのは北部の大湖キルヒェンのほとりで力を蓄えていた面従腹背のノルドバキア大公国、そして南部の漁港を味方につけ交易で財力を蓄えた南方のマルビナス侯国であった。しかし中にはキルヒェンを隔ててノルドバキアと反対側にあるウェード、デニエスタ国境沿いに細く広がるバルドなどの中堅国も上記の二国の侵攻に激しく抵抗し、この騒乱の時代は長引いた。だが彼らの奮戦虚しく、ノルドバキアとマルビナスの二国がその殆どを食い潰してしまった。ハンザも力およばず、聖歴110年のトリアド会戦において敗退し滅亡した。
そうして大きく勢力を伸ばし、国土を二分するにまで至った両雄。しかし二国はお互いの力量を警戒し合い、なかなか手出しができない状況だった。実際に両者の国力は拮抗しあっており、下手に攻めるとそこから反撃を受けて兵力を大きく損なうおそれがあったからだ。
しかし張り詰めた糸はいつか切れる。聖暦121年の末(現在の暦法で言うと3月中旬)、ついに決戦の火蓋が切って落とされた。国土を南北に走る国境線の各部で剣がぶつかり、石が飛び交い、矢が降り注いだ。どちらも大損害を被り、人口の2割が失われたとも言われた。そして30日目の夜が開けた時、勝利したのは北部のノルドバキアだった。長らくに渡る膠着状態の末に彼らは防衛線を密かに潜り抜け、浜辺に上陸し、巧みな兵法で南部の首都マルビナスの目前に迫り、喉元に刃を突きつけるようにして降参させたのだ。斯くしてアルセチア地域はノルドバキア大公国によって二度目の統一を果たしたのである。
しかし張り詰めた糸はいつか切れる。聖暦121年の末(現在の暦法で言うと3月中旬)、ついに決戦の火蓋が切って落とされた。国土を南北に走る国境線の各部で剣がぶつかり、石が飛び交い、矢が降り注いだ。どちらも大損害を被り、人口の2割が失われたとも言われた。そして30日目の夜が開けた時、勝利したのは北部のノルドバキアだった。長らくに渡る膠着状態の末に彼らは防衛線を密かに潜り抜け、浜辺に上陸し、巧みな兵法で南部の首都マルビナスの目前に迫り、喉元に刃を突きつけるようにして降参させたのだ。斯くしてアルセチア地域はノルドバキア大公国によって二度目の統一を果たしたのである。
ノルドバキア大公国はその支配を確立するとともに、国の内外に自らの政府の正当性を強調するため国号を古くからの国名として「アルセチア王国」と改名。国旗も従来の紅白のものから赤、白、紫、金の四色に改訂した。時の初代アルセチア王グライム一世は外貨獲得と技術習得のために海上貿易に力を入れ、ニスカリマやガリアなどと交易して得た収益を教育に投資した。グライム一世は幼い頃からアルセチア一の学者団である「北方学会」を家庭教師に迎え、様々な知識や方法論を彼らから学び成功したという経験があったからである。結果としてこの試みは成功し、彼は国内の優秀な人材を身分を問わず広く登用し、さらに文化と技術を発展させるため学者サロン「農学院」を建設したが、このことで民衆も広く読み書きができるようになった。彼はその他に経済政策も成功し、歴史に名だたる王「グライム・カイザル(大王)」として畏敬された。彼の戦功と治世の評判は1700年近く経っても長らく語り継がれ、この国の国民的ヒーローとして今でも銅像が親しまれている。
アルセチア王国はその外交や戦争など対外政策の面からも大いに成功したと見ていいだろう。まず第一に、アルセチア王国は国の南の入り組んだ海域(今は公式に蒼海と命名されている)にある無人の島を買い取り漁業や貿易を行うための一大海上拠点とした。これが後のオストガリアである。また、王国の後期に「我らの神聖なアルセチアの領土は現状のものそのままであり、それ以上でもそれ以下でもない」という演説のもとに出された領土維持法は領地の不用意な拡大や不必要な拡張を避けることで内政での発展を促進した。またこの方針は共和政府になっても受け継がれ、近世になって当時のカーリスト系の各国がイオニアやアポルエに植民地を作り領土争いをしていた時も内部の繁栄のみを重視し安定した生活と政治運営を行うことにもつながった。さらに各植民地の独立戦争に対し武器や物資を供与することで「植民地を持たざるもの」として世界全体に独立と主権の重要性を訴えかけることもできた。
聖歴581年、アルセチアの遠い南に位置していたデニエスタ帝国はレイン地方への拡大を開始。「ソティル教徒によるカーリスト統一国家の達成」を掲げて各地に進軍し領土を拡張し、非ソティル教国のアルセチアとついに衝突した。彼らは手強く、素早い攻勢で南部の要衝イスタス城を破りネーベル高原の主要都市トレーゼンまで迫ったが、現地住民の激しい抵抗があったほか、アポルエでの領土拡大が難航し増援が必要だったことなどからデニエスタ軍は手を引きアルセチアは国土の維持に成功した。しかし、この事件こそがアルセチアとデニエスタとの間に募る不信感の最初のきっかけであり、この事件が深い遺恨の尾を引いて第一次世界大戦の切っ掛けとなるのである。
長らく安定した治世の元に豊かな生活を送ってきたアルセチア王国だったが、ここで後継者問題が発生する。第(数不明。40?)代王のサルバシウスはラシュフォン-Γであったが、Γやβのみが罹患し遺伝子障害による白血病のような症状を呈する難病シルバーストン病により子供を残す前に夭折してしまった。さらに王族も殆どが王位継承権を放棄するか早逝してしまっており、後継がいないまま血脈が絶たれたのだ。この事は公には内密にされ「行方がまだ見つかっていない」と隠蔽されていたが、半年も経つと統治機能に麻痺が現れ始めた。これに危機感を抱いた都市部の知識人階級や貴族は「国王の帰還まで国を預かる臨時政府を建設すべき」と唱え始め、いわゆる「国家回復会議」による共和制の樹立が行われた。よってアルセチアでは市民革命を経由しない形での民主主義が勃興したのだ。
王党派の要求、地方軍閥の増長、度々襲う不況と不作。様々な困難と苦労を乗り越え、新政府は難局を乗り切ってきた。そして新政府が成立して20年。ついに公式に「王は死亡した」と発表され、全ての主権が「国民による一般意志」に帰属すると明記された憲法の公布によって、アルセチアは名実ともに国民が舵を取る共和国と変身したのだ。しかしここでいくつかの問題が発生する。カーリスト諸国は殆どが依然として絶対王政や帝政を維持しており、王が不在どころか存在すらしないアルセチアは極めて異質な国として排斥されたのだ。国際貿易の場でも、学術の場でも、「この国の指導者は誰だ、支配者は誰だ」とアルセチアを非難する声が声高に罷り通った。本来なら行政の長である首相が指導者を自称しても良かったはずである。しかし彼らは言ったのだ。「この国は一人一人の人民で構成され、また人民の意志が轍を敷き、そしてゼムフリード(共和制)の女神が人民を領導するのだ」と。
近世になると各地で革命が起こるなどして王政が倒れ、世界各地に共和国が勃興した。しかしその後、近代共和制の原点であるはずだったアルセチアの民主主義は腐敗し後退していくこととなる。1760年にサーブ大統領による大規模な汚職が発覚すると民衆は暴動を起こし、各地に「自治コミューン」を建設するなどして政府の強権的支配に抵抗したり、武装組織である自警団を設置して武力での自治を目指そうとした。その後、サーブ政権は選挙で破れて民衆の期待を背負った実業家バシュケルが新しい大統領に就任するとこの騒ぎは収まった。しかし、政府と利権の繋がりを絶たれることを恐れた大企業群やそれと結びついた地方政治家の陰謀によりバシュケル大統領は就任の一年後に暗殺されてしまった。一方、大企業に政治の実権を取られて不満だった陸軍の急進派は南部において政府を打倒し軍政国家を建設する準備を進めるとともに、デニエスタやガリアなどの大国に対し密かに連絡を取っていた…
多くの小国が共和政になったとはいえ、未だにカーリスト諸大国の多くは絶対王政や帝政を保持していた。そして彼らは外側に向けて領土を拡張し、他大陸に植民してその範囲を際限なく広げていた。彼らの帝国主義は世界全体の潮流のようになり、アルセチアもそのカーリスト諸国として植民地を作るべきという論が巻き起こっていた。しかし時のグスヤニヴフ内閣は「現在のアルセチアにとって海外へ植民することは利点よりも欠点が多く、多大な労力と資金を要するので推奨される物ではない」と判断、武力による外部への拡張よりも内部への注力と外交による繁栄がアルセチアのあるべき姿だと示した上で、そのビジョンを簡潔に「陸の島国」という言葉で表した。この思想はグスヤニズム(グスヤニヴフ主義)として著書「脱植民地帝国論」によって示され、国民の大きな支持を呼んだ。この考えに基づきアルセチアの南東部にあたるカルト・リーン地方(極北レイン、ノルグーレイン地方のさらに北部を指す)では独立運動の機運も高まったが、カルト・リーンの接する国境部分の南には最大の植民地帝国であるデニエスタが控えていることもあり、政府はカルト・リーンに南アルセチア郡として自治権を強化するに留まった。
兼ねてより覇道を宗とする拡張主義政策を進めていたデニエスタに対してのアルセチアの心象は悪く、なかなか友好や和解は行われなかった。北方に位置する一介の中堅国であるアルセチアにとって、彼らの侵略の手が及ぶかもしれないという危惧があったからだ。しかしソトフ政権の際に世界各地で雪解けのムードが起こり、アルセチアは和解のためにデニエスタの皇太子夫妻を招くことにした。
しかし事件は起こった。皇太子夫妻がノルドバキア市に入り市街地を観光していた際、テロ組織「夜明けの光団」が車列を襲撃。負傷した夫妻は病院に担ぎ込まれたが手遅れであり、命は助からなかった。しかし、後の調査によりこれはアルセチア人の犯行ではなく、デニエスタ国内の政治闘争で敗北したヤシマ派が仇敵を抹殺し、さらにその罪をアルセチアに擦りつけるために起こした犯行と判明したが、これは戦乱の中で握りつぶされて国際社会には知られていない。
綴りは"Nordvakia"(意味:北の城下町)人口177.2万人
アルセチア最大の都市にして首都。アルセチア郡のほぼ中央に位置し、キルヒェン湖の南側に位置する。かつてはキルヒェン湖の北側にあったゼーブルクに首府が置かれていたとも噂されるが、信憑性は高くない。近くの火山から切り出された火山岩やキルヒェン湖で取れる珪岩などで家や建物が作られているので「白と灰色の街」とも言われる。市は中央にある「トライク」と通称のつく官公庁街を中心に同心円状に広がる道路で区切られた形をしており、さらにそこを放射状の道が横切っていることで上から見るとまるで鳥を飼うカゴのような形になる。このことからこの街は「鳥かご」と呼ばれ、またかつてアルセチア王国の首都ノルドバキア城があったことから高い城壁が市の中心部と郊外を円状に切り分けていることもこの街を「鳥かご」のように見せている。行き場のない若者たちはこの街を自分を縛る檻のように感じている。
一方トライクの中心部に注目すると、南北にこの地区を突っ切る一際広い通りがあるのがわかる。ここは「30メートル道路」と呼ばれている道で、人が多く行き交うことから歩道にも車道並みの広さが設けられているのだ。そこでバスに乗って大通りを北まで突っ切るとノルドバキアの城壁が見えて、かつてアルセチア王国の精鋭騎兵軍が謁見のために出入りした北の門「レクテ=ソルティーク」(北の端)が残っているのが見える。これはかつて国の政策で解体されそうになったが、市民たちの強い要望で今まで修復されて保たれ続けていたのだ。しかし、実はこの城壁にはある仕掛けがある。実は壁の上端が水路になっていて、市民の水道システムの一環として古代より使われていたのだ。もし壁を解体していたら大変なことになっていただろう。バスが北の門を抜けるとあたりの視界は一気に現代的なものに様変わり。古い城壁の外には川が走っていて、その川を用水として大規模な住宅用地やマンションが林立しているのだ。そしてこの新市街地の中心にあるのがアルセチア最大の鉄道駅、「ノルドバキア中央駅」だ。この周辺の地域は観光客や通勤客で毎日賑わっていて、何かと話題に事欠かない。
アルセチア最大の都市にして首都。アルセチア郡のほぼ中央に位置し、キルヒェン湖の南側に位置する。かつてはキルヒェン湖の北側にあったゼーブルクに首府が置かれていたとも噂されるが、信憑性は高くない。近くの火山から切り出された火山岩やキルヒェン湖で取れる珪岩などで家や建物が作られているので「白と灰色の街」とも言われる。市は中央にある「トライク」と通称のつく官公庁街を中心に同心円状に広がる道路で区切られた形をしており、さらにそこを放射状の道が横切っていることで上から見るとまるで鳥を飼うカゴのような形になる。このことからこの街は「鳥かご」と呼ばれ、またかつてアルセチア王国の首都ノルドバキア城があったことから高い城壁が市の中心部と郊外を円状に切り分けていることもこの街を「鳥かご」のように見せている。行き場のない若者たちはこの街を自分を縛る檻のように感じている。
一方トライクの中心部に注目すると、南北にこの地区を突っ切る一際広い通りがあるのがわかる。ここは「30メートル道路」と呼ばれている道で、人が多く行き交うことから歩道にも車道並みの広さが設けられているのだ。そこでバスに乗って大通りを北まで突っ切るとノルドバキアの城壁が見えて、かつてアルセチア王国の精鋭騎兵軍が謁見のために出入りした北の門「レクテ=ソルティーク」(北の端)が残っているのが見える。これはかつて国の政策で解体されそうになったが、市民たちの強い要望で今まで修復されて保たれ続けていたのだ。しかし、実はこの城壁にはある仕掛けがある。実は壁の上端が水路になっていて、市民の水道システムの一環として古代より使われていたのだ。もし壁を解体していたら大変なことになっていただろう。バスが北の門を抜けるとあたりの視界は一気に現代的なものに様変わり。古い城壁の外には川が走っていて、その川を用水として大規模な住宅用地やマンションが林立しているのだ。そしてこの新市街地の中心にあるのがアルセチア最大の鉄道駅、「ノルドバキア中央駅」だ。この周辺の地域は観光客や通勤客で毎日賑わっていて、何かと話題に事欠かない。
綴りは"Dorcenovgrad"(意味:ドルチェノフ将軍の城)
都市名の由来であるドルチェノフ将軍(Gustav Dorcenov)は第一次世界大戦でアルセチアのデニエスタ・ガリア同盟軍から死守した指揮官であり、退役後にその武勲を讃えてドルチェノフグラードと命名された。それ以前は「サフィア」「ムル特区」などと呼ばれて決まった名称というのが不安定だったこともありこの名前はよく定着した。
この街は海岸沿いに工場ブロックと市街地ブロックが並んでおり、ドルチェノフグラード港とそこへ伸びる国道が2つのブロックの境目となることで均整と一体感をもたらしている。工場では主に国内産の良質な鉄鉱石を世界最高峰の技術で製錬する製鉄工場が並び、そこから現地で工業製品レベルに落とし込んで直売する施設もある。
都市名の由来であるドルチェノフ将軍(Gustav Dorcenov)は第一次世界大戦でアルセチアのデニエスタ・ガリア同盟軍から死守した指揮官であり、退役後にその武勲を讃えてドルチェノフグラードと命名された。それ以前は「サフィア」「ムル特区」などと呼ばれて決まった名称というのが不安定だったこともありこの名前はよく定着した。
この街は海岸沿いに工場ブロックと市街地ブロックが並んでおり、ドルチェノフグラード港とそこへ伸びる国道が2つのブロックの境目となることで均整と一体感をもたらしている。工場では主に国内産の良質な鉄鉱石を世界最高峰の技術で製錬する製鉄工場が並び、そこから現地で工業製品レベルに落とし込んで直売する施設もある。
地方行政区分では下にあるように
・アルセチア郡
・ベルストル郡
・セグネート郡
の三つの郡と、ノルドバキア特別市に大別される。
さらに各郡はいくつかの市を内包しており、一部の市はさらに東西など原則二つの区に分かれる。
・アルセチア郡
・ベルストル郡
・セグネート郡
の三つの郡と、ノルドバキア特別市に大別される。
さらに各郡はいくつかの市を内包しており、一部の市はさらに東西など原則二つの区に分かれる。
アルセチアの経済規模は他のカーリスト諸国の中では中程度に所属する。世界を揺るがす力を持つ超大国ほどの経済規模は持っていないが、アポルエやイオニアなどを含めた世界全域で見ると高水準にあると言えるだろう。主な産業は金属資源と海岸沿いの立地を生かした金属材料加工であり、他にも天然ガスを世界各国に輸出している。この国の経済を語る中で欠かせない要素は、国営企業MCA?の存在だろう。この企業は元々第一次世界大戦の後の戦間期に他国に対して特に欠如していた工業規格の一本化や材料品質管理の厳正化を当初の目標として設立された企業であり、元々の名前が「マルビナス中央兵器廠」という名前だったことからも安易に想像が付くだろう。この企業はスプーンや皿などの大量生産できる食器からワンオフモデルの高級自動車、果ては最先端技術の粋を極めた超音速戦闘機まで作る幅広い業種の工場を内包している。かつてあった軍事政権時は企業自体を解体して政府の直接管轄で軍需生産を行おうとしていた頃もあったが結局政府転覆によりおこなわれなかった。
1.ラシュフォン・デルタ
一般的なラシュフォン。身長は190cmほどで痩せ型。男女ともに銀色の長髪が肩まで伸び、中性的な容貌。男性にも子宮がある。筋肉には筋繊維の働きを補助するジリウム粒子が含まれており、普通の人間と同等の体力を持つ。瞳の色は栗色。
2.ラシュフォン・イプシロン(ラシュフォン・ゼータ)
身長130cmほどの極端に小さいラシュフォンである。イプシロンは純白の、ゼータは空色の髪を持つ。それ以外にデルタとの相違点はない。
3.ラシュフォン・ガンマ
通常の耳がなく、「猫の飛行機耳」のような独特の形の耳を持つ。ガンマ以上の「イシュフォン」はジリウム粒子の結晶である「エマーン」を体の中に持っており、古くは戦士や警察として尊敬を集めていた。瞳の色は青。
4.ラシュフォン・ベータ
猫のような耳と金色の長髪が特徴。他のラシュフォンに触れたり指差したりすることで無条件に敵意を失わせて服従させる能力を持つ。瞳の色は黄緑。
5.ラシュフォン・アルファ
狐の耳と3本の長いしっぽを持っている最高位のラシュフォンであり、この世に一人か二人しかいないとされている。支配的なベータでさえも簡単に屈服させる精神干渉能力を持ち、ラシュフォンは彼(彼女)の下僕となることを最上の喜びとする。
一般的なラシュフォン。身長は190cmほどで痩せ型。男女ともに銀色の長髪が肩まで伸び、中性的な容貌。男性にも子宮がある。筋肉には筋繊維の働きを補助するジリウム粒子が含まれており、普通の人間と同等の体力を持つ。瞳の色は栗色。
2.ラシュフォン・イプシロン(ラシュフォン・ゼータ)
身長130cmほどの極端に小さいラシュフォンである。イプシロンは純白の、ゼータは空色の髪を持つ。それ以外にデルタとの相違点はない。
3.ラシュフォン・ガンマ
通常の耳がなく、「猫の飛行機耳」のような独特の形の耳を持つ。ガンマ以上の「イシュフォン」はジリウム粒子の結晶である「エマーン」を体の中に持っており、古くは戦士や警察として尊敬を集めていた。瞳の色は青。
4.ラシュフォン・ベータ
猫のような耳と金色の長髪が特徴。他のラシュフォンに触れたり指差したりすることで無条件に敵意を失わせて服従させる能力を持つ。瞳の色は黄緑。
5.ラシュフォン・アルファ
狐の耳と3本の長いしっぽを持っている最高位のラシュフォンであり、この世に一人か二人しかいないとされている。支配的なベータでさえも簡単に屈服させる精神干渉能力を持ち、ラシュフォンは彼(彼女)の下僕となることを最上の喜びとする。
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