| ゴトロス戦争 | |||
|---|---|---|---|
| 詳細情報 | |||
| 戦争 | ゴトロス戦争 | ||
| 年月 | 1950年6月25日〜1953年7月27日 | ||
| 場所 | ゴトロス連邦とその周辺 | ||
| 影響 | 産業施設の破壊、反共体制の強化 | ||
| 結果 | ゴトロス連邦の共産化失敗 | ||
| 交戦勢力 | |||
| ゴトロス連邦 | ソビエト主権国家連合 | ||
| フリンカ王国 | レファル民主共和国 | ||
| 国連軍 | 西レーネ帝国 | ||
| 指導者・指揮官 | |||
| スプジアナ | アナルスキー・ マンコフ | ||
| フラー3世 ソンテ・ストー | コンスタンチン・ トゥルシン | ||
| 戦力 | |||
| ゴ:234,000 国連軍:627,700 | ソ:2,700,000 | ||
| フ:8,300 | レ:70,000 | ||
| 損害 | |||
| 戦死:273,400 行方不明:32,582 負傷:528,600 | 戦死:193,700 | ||
| 戦死:601 行方不明:381 負傷:2,224 | 死傷者:12,150 | ||
ソビエト主権国家連合がゴトロス連邦を侵攻したのは、大きくわけて2つあった。1つ目は、ゴトロスが不凍港を抱えていたからである。ソビエト連邦は不凍港を求めていた。そこで目をつけたのがゴトロスである。ゴトロスは冷海沿岸部の中では暖かく、ゴトロスに存在した港湾はほとんどが不凍港であった。2つ目は、ゴトロスを共産化するためであった。当時ゴトロスは、資源も人口も少なかった。しかし、資本主義諸国などの軍駐留に資本主義国よりから攻撃されることを恐れたカリオニア・ソビエト社会主義共和国連邦はゴトロス連邦を共産主義陣営に取り込み、北方カーリスト地域から軍事的脅威を排除するためレファルと共に侵攻へ踏み切った。
1950年6月25日午前4時(ゴトロス時間)に、ソビエトとゴトロス連邦の国境にてソ連軍の砲撃が開始された。宣戦布告は行われなかった。30分後にはソ連軍が暗号命令「暴風」を受けて、約10万の兵力がゴソ国境を越える。ソ連軍の動向情報を持ちながら、状況を楽観視していた東側資本主義諸国は衝撃を受けた。
ゴソ国境で膠着状態となった為、1951年6月23日にソ連のヤコフ・マリク国連大使が休戦協定の締結を提案したことによって停戦が模索され、1951年7月10日からオビエストにおいて休戦会談が断続的に繰り返されたが、双方が少しでも有利な条件での停戦を要求するため交渉は難航した。
オビエストの支配者が二転三転する激しい戦闘の結果、ゴトロス軍は約10万人、国連軍全体では36万人の死傷者を出した。ソ連軍も多くの損害を出した。しかしこれらの推計は発表者によって数値にかなりの差がある。また約24万5000から41万5000人にのぼるゴトロス側一般市民の犠牲が明らかにされ、戦争中の市民の犠牲は150万から300万(多くの推計では約200万)と見積もられている。
レファルはゴトロス戦争でソ連に加担した国であり、そのような背景からゴトロス国民には反レファル感情、反共感情を持つゴトロス国民も少なくない。また、政府も「ゴトロスの赤化を虎視眈々と狙っている危険国家」としており、警戒心をあらわにしている。現在も、レファルからゴトロスに産業スパイなどが送り込まれているとされている。
ソビエト主権国家連合出身。大和語名は阿那琉好・万戸府。熱烈な反チンポ主義者である。ゴトロス戦争ではソビエト主権国家連合側に付き、圧倒的な軍事力のもと指揮を執った。
投入戦力は4個機甲師団・9個歩兵旅団・2個戦術ロケット旅団等9万8700人・戦死者2230人、負傷者9890人、行方不明者230人。指導者はレーネ皇帝 ヴァシレス4世ヴァルダン
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