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otonjji256 2022年09月30日(金) 08:40:51履歴
| フォーゲルヴァイデ大公国 | |
|---|---|
| Erzherzogtum Vogelweide | |
| 国旗 | |
![]() | |
| 詳細情報 | |
| 国の標語 | 身は別れても心は共に |
| 国歌 | 母なるヘルレの水面にて |
| 公用語 | デニエスタ語他 |
| 首都 | ナルデール? |
| 最大の都市 | ナルデール? |
| 人口 | 3,863人(大公国の領域に住む者) |
| 憲法 | なし? |
| 面積 | 約9.86㎢ |
| 通貨 | 帝国マルク 但し記念コインあり |
| GDP | 換算不可 |
| 公国政府 | |
|---|---|
| 公 | キルデリク3世? |
| 高等弁務官 | ヴァルター・フォン・モーンハウプト? |
公国の主要な領域は星形要塞ナルデールである。かつてはこの要塞の稜堡内部(中央の水に浮かんだ都市の部分のみ)が公国の全領域とされていたが、建国後しばらくして二重帝国政府より周辺地域の施政権を移譲された。
現在の大公の居住する館、及び公国政府は形式上要塞内部にあるが、二重帝国の代表者である高等弁務官庁舎は要塞の外に置かれている。
また、要塞の内部には病院や学校、商業施設が建設されており、独立した都市の役割を果たせる様になっている。(水道局などのインフラ設備は海外領土に存在し、また電気やゴミの収集はデニエスタに依存しており、完全に独立しているわけではない)
なお、大公家に因むいくつかの城館や、帝都周辺に構えられた大公国の経営する商業施設などには治外法権が認められており、観光収入は国の貴重な資金源となっている。(ガンドルフォ城、マルクト城など)
現在の大公の居住する館、及び公国政府は形式上要塞内部にあるが、二重帝国の代表者である高等弁務官庁舎は要塞の外に置かれている。
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また、要塞の内部には病院や学校、商業施設が建設されており、独立した都市の役割を果たせる様になっている。(水道局などのインフラ設備は海外領土に存在し、また電気やゴミの収集はデニエスタに依存しており、完全に独立しているわけではない)
なお、大公家に因むいくつかの城館や、帝都周辺に構えられた大公国の経営する商業施設などには治外法権が認められており、観光収入は国の貴重な資金源となっている。(ガンドルフォ城、マルクト城など)
フォーゲルヴァイデ大公国は、聖暦1588年、時の二重帝国皇帝ウンベルト2世の奇妙な遺言をきっかけにして誕生した。
ウンベルト2世は当時帝国の最長在位記録51年を有し、その間卓越した統治能力により帝国の平穏と繁栄を維持した非常に優れた為政者であったが、晩年に至って段々と奇矯な振る舞いが目立つようになり、ソティル教会への莫大な寄進や、独自の美学に基づく城や要塞の建設を相次いで行わせるなど、帝国の政治を傾かせつつあった。
公国の主要な領域たるナルデール要塞もまた、そうした彼の謎の建築熱によって造られたものである。
1581年、彼は60代近くに誕生した自身の末の息子、キルデベルトを溺愛し、未だ3歳に過ぎないこの皇子をフォーゲルヴァイデ大公に封じて領地を与えた。このキルデベルトこそ、初代大公として数奇な生涯を送ることとなる人物である。
初代公 キルデベルト・ヴァルター
1588年2月、ウンベルト2世が崩御。帝位はその長子で皇太子であったジギスムントが継いだ(ジギスムント6世)が、ウンベルト2世はその死に際して驚くべき遺詔を遺していたのである。
彼の遺した遺詔とは、「ジギスムントを北の君主に。キルデベルトを南の君主に。同格の君主を立てて帝国を分け合うべし」という内容で、事実上ジギスムントを北のノルグーレインに追いやり、デニエスタ本土をキルデベルトに委ねるものであった。
当然新帝ジギスムントは帝国を分裂させかねないこの詔書を無視し、キルデベルトの爵位を侯爵に格下げした上で地方に追放することで自身の地歩を固めようとしていたが、その目論見は頓挫してしまう。
同年4月、当時二重帝国内で数少ない領邦を持つ大貴族、オルトジフ・フォン・ロジュンベルク公爵が、「先帝ウンベルト2世の詔を執行する」と主張して抗議行動を起こし、これに同調したリヒテンベルク、ヴァルテンベルクといった歴史ある大貴族家門がキルデベルトを擁して叛乱を目論んだのである。
これらの貴族家は度重なる皇帝による領邦国家の粛清にも関わらず、その権勢と当主の才覚によってそれを免れてきた一族であり、影響力は帝国全土に及んだ。また、彼らはキルデベルトを事実上の傀儡とし、国政を壟断することを目的としていた為、帝国の弱体化を望む周辺諸国が介入してくる可能性も十分にあった。
これを受けてジギスムントは、対外的にはロジュンベルク公の要求する遺詔の執行を受け入れ、内部においては領邦貴族たちの切り崩しを図った。これが功を奏し、叛乱を目論んだキルデベルト派の貴族達は内部分裂により自壊、大義名分を失ったロジュンベルク公も矛を収めた。(後に彼はジギスムントの手で濡れ衣を着せられ、粛清されることとなる)
そして8月13日。ジギスムントは、約束通りキルデベルトを同格の君主とした。彼は父帝の築いた要塞ナルデールにキルデベルトを閉じ込め、彼にエルツォーク(本来は『共同統治者』の意味合いが強いが、便宜上大公と訳される)の称号を贈った上で、「帝国領土をデニエスタ皇帝領とフォーゲルヴァイデ大公領の二つに分割し、その統治圏内に完全な不輸不入権を認める」旨の宣言を行った。これが大公国の成立と一般には見做されている。(皇帝と大公が併存する奇妙な分割統治は現在まで続いているが、二人が分割する「帝国」が何かについては解釈が分かれており、独立国なのかどうかに論争がある)
ウンベルト2世は当時帝国の最長在位記録51年を有し、その間卓越した統治能力により帝国の平穏と繁栄を維持した非常に優れた為政者であったが、晩年に至って段々と奇矯な振る舞いが目立つようになり、ソティル教会への莫大な寄進や、独自の美学に基づく城や要塞の建設を相次いで行わせるなど、帝国の政治を傾かせつつあった。
公国の主要な領域たるナルデール要塞もまた、そうした彼の謎の建築熱によって造られたものである。
1581年、彼は60代近くに誕生した自身の末の息子、キルデベルトを溺愛し、未だ3歳に過ぎないこの皇子をフォーゲルヴァイデ大公に封じて領地を与えた。このキルデベルトこそ、初代大公として数奇な生涯を送ることとなる人物である。
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1588年2月、ウンベルト2世が崩御。帝位はその長子で皇太子であったジギスムントが継いだ(ジギスムント6世)が、ウンベルト2世はその死に際して驚くべき遺詔を遺していたのである。
彼の遺した遺詔とは、「ジギスムントを北の君主に。キルデベルトを南の君主に。同格の君主を立てて帝国を分け合うべし」という内容で、事実上ジギスムントを北のノルグーレインに追いやり、デニエスタ本土をキルデベルトに委ねるものであった。
当然新帝ジギスムントは帝国を分裂させかねないこの詔書を無視し、キルデベルトの爵位を侯爵に格下げした上で地方に追放することで自身の地歩を固めようとしていたが、その目論見は頓挫してしまう。
同年4月、当時二重帝国内で数少ない領邦を持つ大貴族、オルトジフ・フォン・ロジュンベルク公爵が、「先帝ウンベルト2世の詔を執行する」と主張して抗議行動を起こし、これに同調したリヒテンベルク、ヴァルテンベルクといった歴史ある大貴族家門がキルデベルトを擁して叛乱を目論んだのである。
これらの貴族家は度重なる皇帝による領邦国家の粛清にも関わらず、その権勢と当主の才覚によってそれを免れてきた一族であり、影響力は帝国全土に及んだ。また、彼らはキルデベルトを事実上の傀儡とし、国政を壟断することを目的としていた為、帝国の弱体化を望む周辺諸国が介入してくる可能性も十分にあった。
これを受けてジギスムントは、対外的にはロジュンベルク公の要求する遺詔の執行を受け入れ、内部においては領邦貴族たちの切り崩しを図った。これが功を奏し、叛乱を目論んだキルデベルト派の貴族達は内部分裂により自壊、大義名分を失ったロジュンベルク公も矛を収めた。(後に彼はジギスムントの手で濡れ衣を着せられ、粛清されることとなる)
そして8月13日。ジギスムントは、約束通りキルデベルトを同格の君主とした。彼は父帝の築いた要塞ナルデールにキルデベルトを閉じ込め、彼にエルツォーク(本来は『共同統治者』の意味合いが強いが、便宜上大公と訳される)の称号を贈った上で、「帝国領土をデニエスタ皇帝領とフォーゲルヴァイデ大公領の二つに分割し、その統治圏内に完全な不輸不入権を認める」旨の宣言を行った。これが大公国の成立と一般には見做されている。(皇帝と大公が併存する奇妙な分割統治は現在まで続いているが、二人が分割する「帝国」が何かについては解釈が分かれており、独立国なのかどうかに論争がある)
大公として、完全な統治権を認められたキルデベルトだったが、その境遇はほぼ完全に囚人であった。ナルデール要塞には彼と共に身の回りの世話をする者と、護衛を担当する者合わせて1,500人以上が住み込んだが、その全ては皇帝が選んだ監視役であり、また彼の謀反に備えて堀の向こう側では、常に警戒として一個師団が待機し、その砲門を大公の邸宅に向けていた。(この任にあたる師団は「鷹匠師団(フォーゲルヴァイデは鷹狩りのための施設も意味した為)」と渾名された)
なお現在では、この伝統を引き継いで近衛連隊の一個大隊が大公国の国籍を与えられ、同国の「正規軍」として務めることになっている。(デニエスタ帝国軍第10近衛連隊第1大隊"キルデベルト・ヴァルター"?も参照)
1590年に皇帝から大公に要求された条項は、それを如実に表している。
こうした牢獄の時代はキルデベルト以降、テウデリク1世、キルデベルト2世、クロドメール1世まで100年近く続いた。その間大公とその家族は一歩たりとも外に出ることは出来ず、一生を牢獄の様な公国の中で過ごした。
詩人として著名なクロドメール1世は、その虚しさと外への憧れを詩に残している。
なお現在では、この伝統を引き継いで近衛連隊の一個大隊が大公国の国籍を与えられ、同国の「正規軍」として務めることになっている。(デニエスタ帝国軍第10近衛連隊第1大隊"キルデベルト・ヴァルター"?も参照)
1590年に皇帝から大公に要求された条項は、それを如実に表している。
その後キルデベルトは狭い要塞の中で生涯を過ごし、1630年に亡くなった。彼が外国に送った書状はただ一枚、兄の死に際して悔やみを述べるもののみだったという。
1.フォーゲルヴァイデ大公はデニエスタ皇帝の同意無くその領土より出ぬこと
2.大公は皇帝の同意無く、外国(デニエスタ含む)に手紙を送らぬこと
3.大公は皇帝の同意無く、外国人を引見してはならない
4.大公は皇帝の同意無く、家族を外国に送ったり、また外国人を招き入れてはならない
5.上記に違反する事は、即ち帝国に対する重大な挑戦とみなす
こうした牢獄の時代はキルデベルト以降、テウデリク1世、キルデベルト2世、クロドメール1世まで100年近く続いた。その間大公とその家族は一歩たりとも外に出ることは出来ず、一生を牢獄の様な公国の中で過ごした。
詩人として著名なクロドメール1世は、その虚しさと外への憧れを詩に残している。
ああ、書庫の地図はあれほど大きいのに
何故に我が国はこんなにも小さい
世界はこんなにも広いというが
私にとっては掌よりも小さいのだ!
1681年、第5代大公に即位したクロドメール2世は、思わぬ人物からの祝辞を受け取った。それは、当時の二重帝国皇帝レオンハルト4世からのものであった。
レオンハルト4世はジギスムント6世の3番目の孫息子であり、当時の帝国の繁栄を象徴する人物だった。彼は「恩赦皇帝」と渾名される程頻繁に恩赦・減刑を行った事で後世に知られており、当時100人に及ぶ過去の大罪人の名誉回復事業を行っていた。
彼は、今から100年前に起きた帝国分裂危機と、その結果ごく小さい領域に幽閉されてしまった生き別れの一族のことを知り、心を大きく動かされ、両国間の和解に向けて大きく舵を切った。
翌年の1682年、レオンハルト4世はクロドメール2世に対して「出国同意書」を送付し、自らの下に招くと共に100年近く許されてこなかった大公とその家族の出国を認めた。
同年12月20日、クロドメール2世はミテルベルン宮殿で皇帝に面会し、正式に言葉を交わした。それは、かつてジギスムントが認めた様に、互いに同じ高さに立ち、同格の君主として行われたという。
1703年、レオンハルト4世が死去すると、クロドメール2世は弔辞を送り、さらにその5年後の1708年に彼が亡くなると、後を継いだレオンハルト5世からキルデリク1世宛に弔辞が送付された。以降大公と皇帝は慶事と凶事ある度に書簡を交換することが通例となり、大公は「皇帝にとってただ一人の友人」と渾名されることになる。
レオンハルト4世はジギスムント6世の3番目の孫息子であり、当時の帝国の繁栄を象徴する人物だった。彼は「恩赦皇帝」と渾名される程頻繁に恩赦・減刑を行った事で後世に知られており、当時100人に及ぶ過去の大罪人の名誉回復事業を行っていた。
彼は、今から100年前に起きた帝国分裂危機と、その結果ごく小さい領域に幽閉されてしまった生き別れの一族のことを知り、心を大きく動かされ、両国間の和解に向けて大きく舵を切った。
翌年の1682年、レオンハルト4世はクロドメール2世に対して「出国同意書」を送付し、自らの下に招くと共に100年近く許されてこなかった大公とその家族の出国を認めた。
同年12月20日、クロドメール2世はミテルベルン宮殿で皇帝に面会し、正式に言葉を交わした。それは、かつてジギスムントが認めた様に、互いに同じ高さに立ち、同格の君主として行われたという。
1703年、レオンハルト4世が死去すると、クロドメール2世は弔辞を送り、さらにその5年後の1708年に彼が亡くなると、後を継いだレオンハルト5世からキルデリク1世宛に弔辞が送付された。以降大公と皇帝は慶事と凶事ある度に書簡を交換することが通例となり、大公は「皇帝にとってただ一人の友人」と渾名されることになる。
1816年8月10日、大公国と帝国との間に俄に外交的な大問題が発生した。ことの発端は帝国軍より脱走した一人の兵士が、要塞の堀を泳ぎ渡って大公国に入り込んだ事件である。
彼、ハンス・ローゼンバウム一等兵は、当時16歳にして徴兵された年少兵だったのだが、戦地に送られることを極端に恐れるあまり兵営を脱走し、そのまま憲兵隊の追跡を振り切って大公国の領域まで逃げ切ってしまったのである。
堀から這い上がって城内に入り込んだ彼は、直ぐに「大公国民」(デニエスタから派遣された大公とその家族の監視役)に取り押さえられたが、ここで問題になったのは大公国領域内における帝国国民の扱いであった。
当時の大公であったデウデベルト2世は、この年少兵の境遇に同情し、大公国内での行動の自由を認めようとしたが、彼の行動がジギスムントの提示した条項に抵触することは明らかであり、それを放置することは危機を招き入れかねなかった。
8月12日、帝国政府は大公国に対し、逃げ込んだローゼンバウム脱走兵の引き渡しを正式に要求。帝国軍を要塞外縁部に展開させ、武力での威嚇を行った。
他方デウデベルト2世は、彼の扱いを公室評議会に諮問して対応策を協議したが、実際のところ政府は帝国の意向を受けて動く傀儡に過ぎなかった為、満場一致での引き渡しが結論となった。
しかし8月13日、デウデベルト2世は「当初提示された条項に、新たに大公国の国籍を認定する条項は無く、そうなれば当然その権利は大公に属する」と主張し、ローゼンバウムを大公国の国民に認定する意思を示した。
この事は大公国政府と帝国政府の双方を慌てさせ、直ちに水面下での話し合いがもたれた。その結果、ローゼンバウム脱走兵は軍隊から除隊として故郷に帰ること、また恩赦として脱走罪の適用を見送ること、また大公国の不可侵を犯した謝罪がなされることが決められた。
8月18日、デウデベルト2世は意思を取り下げ、ローゼンバウムの引き渡しに応じたが、このことは大公国が帝国の傀儡ではなく、同等の主権を有する事実上の独立国であることを世界に知らしめた。以降大公国は帝国を通じて各国と国交を結ぶと共に、国家としての活動を本格化させていく。
彼、ハンス・ローゼンバウム一等兵は、当時16歳にして徴兵された年少兵だったのだが、戦地に送られることを極端に恐れるあまり兵営を脱走し、そのまま憲兵隊の追跡を振り切って大公国の領域まで逃げ切ってしまったのである。
堀から這い上がって城内に入り込んだ彼は、直ぐに「大公国民」(デニエスタから派遣された大公とその家族の監視役)に取り押さえられたが、ここで問題になったのは大公国領域内における帝国国民の扱いであった。
当時の大公であったデウデベルト2世は、この年少兵の境遇に同情し、大公国内での行動の自由を認めようとしたが、彼の行動がジギスムントの提示した条項に抵触することは明らかであり、それを放置することは危機を招き入れかねなかった。
8月12日、帝国政府は大公国に対し、逃げ込んだローゼンバウム脱走兵の引き渡しを正式に要求。帝国軍を要塞外縁部に展開させ、武力での威嚇を行った。
他方デウデベルト2世は、彼の扱いを公室評議会に諮問して対応策を協議したが、実際のところ政府は帝国の意向を受けて動く傀儡に過ぎなかった為、満場一致での引き渡しが結論となった。
しかし8月13日、デウデベルト2世は「当初提示された条項に、新たに大公国の国籍を認定する条項は無く、そうなれば当然その権利は大公に属する」と主張し、ローゼンバウムを大公国の国民に認定する意思を示した。
この事は大公国政府と帝国政府の双方を慌てさせ、直ちに水面下での話し合いがもたれた。その結果、ローゼンバウム脱走兵は軍隊から除隊として故郷に帰ること、また恩赦として脱走罪の適用を見送ること、また大公国の不可侵を犯した謝罪がなされることが決められた。
8月18日、デウデベルト2世は意思を取り下げ、ローゼンバウムの引き渡しに応じたが、このことは大公国が帝国の傀儡ではなく、同等の主権を有する事実上の独立国であることを世界に知らしめた。以降大公国は帝国を通じて各国と国交を結ぶと共に、国家としての活動を本格化させていく。
191X年の第一次世界大戦において、当初大公国は中立を宣言したが、事実上デニエスタ帝国と同じ陣営に身を置いていると見做されていた。何故ならば、その位置と勢力を鑑みればデニエスタと敵対する事は考えられなかったからである。
が、一方でその領域は帝国の主権が及ばない中立の地域であったことから、戦争によって生命の危機に瀕したり、棲家を追われた人々の駆け込み寺となった。
大公クロドメール5世は、大公国の領域に複数の赤十字病院の開設や、敵性国民として有形無形の迫害を受けてきた人々を収容し、国外脱出への便宜を図る機関を設置するなど、揺れ動く情勢下で中立国たらんと努力を重ねていた。
他方帝国政府もそうした活動に理解を示し、その為の用地を「租借地」の形で用意するなど協力的であった。
しかし、大公国の中立を利用して、同国の領域を通じて工作員の浸透を図ったり、脱走した捕虜が侵入を試みるなどの行動が続くと帝国は態度を硬化させ、大公国に対し同じ陣営に加盟する様に圧力をかけた。
クロドメール5世はそれに屈し、大戦中期から旗幟を鮮明にし、中立国施設の閉鎖を断行した。また、公室護衛隊の一部を戦地に派遣し、大戦への貢献もアピールするなど積極的な姿勢に転換した。同国は大戦で最も軍人の死傷率の高い国となった。(20名のうち6名が戦死、4名が負傷した)
が、一方でその領域は帝国の主権が及ばない中立の地域であったことから、戦争によって生命の危機に瀕したり、棲家を追われた人々の駆け込み寺となった。
大公クロドメール5世は、大公国の領域に複数の赤十字病院の開設や、敵性国民として有形無形の迫害を受けてきた人々を収容し、国外脱出への便宜を図る機関を設置するなど、揺れ動く情勢下で中立国たらんと努力を重ねていた。
他方帝国政府もそうした活動に理解を示し、その為の用地を「租借地」の形で用意するなど協力的であった。
しかし、大公国の中立を利用して、同国の領域を通じて工作員の浸透を図ったり、脱走した捕虜が侵入を試みるなどの行動が続くと帝国は態度を硬化させ、大公国に対し同じ陣営に加盟する様に圧力をかけた。
クロドメール5世はそれに屈し、大戦中期から旗幟を鮮明にし、中立国施設の閉鎖を断行した。また、公室護衛隊の一部を戦地に派遣し、大戦への貢献もアピールするなど積極的な姿勢に転換した。同国は大戦で最も軍人の死傷率の高い国となった。(20名のうち6名が戦死、4名が負傷した)
戦争の終結後、大公国は戦中の振る舞いから、帝国と同格の一つの君主国と国際的にも見做される様になった。
帝国政府は、大公国に対して外交関係を開設した国々が大使館を建設する為の用地を新たに割譲し、これによって大公国の領域は大きく拡張した。(なお、大公国の外交関係はデニエスタ帝国大使館が代行した)
また、国民の中にも「フォーゲルヴァイデ生まれ」という人間が多数存在する様になり、帝国との取り決め上彼らが出生時から父母の帰国まで無国籍になってしまうことを鑑み、過去に締結された取り決めが改正され、大公国内で生まれ、かつ大公国民の父又は母を有する者には一律で大公国の国籍が付与されることになった。彼らは親が大公国での勤めを終えた後帰国した際は、自動的にデニエスタ帝国の国籍が付与され、その福祉を受けられる対象となったが、これは大公国と帝国が本来不可分の一つの国であることの象徴にもなった。
大公クロドメール5世は、第一次世界大戦から戦間期にかけての40年間にわたって大公国に君臨し、国を単なる傀儡国家ではなく、一つの独立国として世界に認めさせることに尽した。その誠実な人柄は多くの人の信望を集め、兄弟国である帝国からも優れた人物として、単なる共同統治者以上の敬意を払われた。
彼は第二次世界大戦の回避のため、戦間期において積極的な外交策を展開し、対立を深める世界各国の間を取り持った。
この事から、クロドメール5世は「デニエスタ最高の外務大臣」、「平和の使者」と渾名され、のちの帝国連邦のあり方にも大きな影響を与えることになる。
帝国政府は、大公国に対して外交関係を開設した国々が大使館を建設する為の用地を新たに割譲し、これによって大公国の領域は大きく拡張した。(なお、大公国の外交関係はデニエスタ帝国大使館が代行した)
また、国民の中にも「フォーゲルヴァイデ生まれ」という人間が多数存在する様になり、帝国との取り決め上彼らが出生時から父母の帰国まで無国籍になってしまうことを鑑み、過去に締結された取り決めが改正され、大公国内で生まれ、かつ大公国民の父又は母を有する者には一律で大公国の国籍が付与されることになった。彼らは親が大公国での勤めを終えた後帰国した際は、自動的にデニエスタ帝国の国籍が付与され、その福祉を受けられる対象となったが、これは大公国と帝国が本来不可分の一つの国であることの象徴にもなった。
大公クロドメール5世は、第一次世界大戦から戦間期にかけての40年間にわたって大公国に君臨し、国を単なる傀儡国家ではなく、一つの独立国として世界に認めさせることに尽した。その誠実な人柄は多くの人の信望を集め、兄弟国である帝国からも優れた人物として、単なる共同統治者以上の敬意を払われた。
彼は第二次世界大戦の回避のため、戦間期において積極的な外交策を展開し、対立を深める世界各国の間を取り持った。
この事から、クロドメール5世は「デニエスタ最高の外務大臣」、「平和の使者」と渾名され、のちの帝国連邦のあり方にも大きな影響を与えることになる。
大公はプロイツフェルン家の分家であるフォーゲルヴァイデ家により世襲されている。
原則として継承権を持つのは初代大公のキルデベルトの子孫であるが、仮に断絶した場合はプロイツフェルン家当主が大公位を兼ねることも可能であるとされている。
大公国においては形式上全ての政治上の権限を有する絶対君主であり、法律の交付や条約の締結、宣戦布告に至るまで全てを単独で決することも可能である。
現在の当主はキルデリク3世。なお、同家はデニエスタ帝国貴族の資格も持っており、帝国領内に大量の荘園や山林・土地を所有しており、純粋な資産の量は世界でも指折りである。
原則として継承権を持つのは初代大公のキルデベルトの子孫であるが、仮に断絶した場合はプロイツフェルン家当主が大公位を兼ねることも可能であるとされている。
大公国においては形式上全ての政治上の権限を有する絶対君主であり、法律の交付や条約の締結、宣戦布告に至るまで全てを単独で決することも可能である。
現在の当主はキルデリク3世。なお、同家はデニエスタ帝国貴族の資格も持っており、帝国領内に大量の荘園や山林・土地を所有しており、純粋な資産の量は世界でも指折りである。
1.キルデベルト・ヴァルター(キルデベルト1世)
2.テウデリク1世
3.キルデベルト2世
4.クロドメール1世
5.クロドメール2世
6.テウデリク2世
7.デウデベルト1世
8.クロドメール3世
9.フレデガリウス
10.ロタール1世
11.デウデベルト2世
12.キルデリク1世
13.アルヌール1世
14.ロタール2世
15.アルヌール2世
16.クロドメール4世
17.クロドメール5世
18.キルデリク2世
19.アルヌール3世
20.キルデリク3世
2.テウデリク1世
3.キルデベルト2世
4.クロドメール1世
5.クロドメール2世
6.テウデリク2世
7.デウデベルト1世
8.クロドメール3世
9.フレデガリウス
10.ロタール1世
11.デウデベルト2世
12.キルデリク1世
13.アルヌール1世
14.ロタール2世
15.アルヌール2世
16.クロドメール4世
17.クロドメール5世
18.キルデリク2世
19.アルヌール3世
20.キルデリク3世
現在の領土における人口は3,863人。(600人が護衛の軍人、400人が大公家の家臣、2,000人程がライフラインの維持にあたる一般職員)
彼らは本土である要塞の内部や施政権を与えられたナルデールの街に居住し、大公国の為の仕事に従事する。
国民の大部分は国外、デニエスタ帝国で生まれた者たちで、かつての取り決めに従って一時的な国籍付与の下、大公の護衛や身の回りの世話のために派遣された国家公務員、又はその子弟である。
彼らはかつては大公国に滞在する間のみその国籍を付与され、任期を務め終えて国を離れる際には、それを大公に「返還」することとなっていたが、クロドメール5世の頃にそれが改正され、一度大公国の国籍を有した者は、(その後に滞在する国が二重国籍を許容している場合)生涯それを保持することが認められた。
帝国連邦の発足後は、そこに住む人々の国籍が原則共通化された為、かつてのような国籍の付与剥奪に関する規定は削除されたが、それでも「大公国民」と言う意識は住む人々に強く残っている。
なお、元来国民はその全てが大公とその家族の監視役であった歴史を鑑みて、同国の居住にはデニエスタ帝国政府の審査が今も行われており、海外の出身者が居住することはかなり困難である。
一般的な公務員としての国民の滞在期間は5年から10年、公室評議員や弁務官のような要職でも20年を過ぎることは稀である。
彼らは本土である要塞の内部や施政権を与えられたナルデールの街に居住し、大公国の為の仕事に従事する。
国民の大部分は国外、デニエスタ帝国で生まれた者たちで、かつての取り決めに従って一時的な国籍付与の下、大公の護衛や身の回りの世話のために派遣された国家公務員、又はその子弟である。
彼らはかつては大公国に滞在する間のみその国籍を付与され、任期を務め終えて国を離れる際には、それを大公に「返還」することとなっていたが、クロドメール5世の頃にそれが改正され、一度大公国の国籍を有した者は、(その後に滞在する国が二重国籍を許容している場合)生涯それを保持することが認められた。
帝国連邦の発足後は、そこに住む人々の国籍が原則共通化された為、かつてのような国籍の付与剥奪に関する規定は削除されたが、それでも「大公国民」と言う意識は住む人々に強く残っている。
なお、元来国民はその全てが大公とその家族の監視役であった歴史を鑑みて、同国の居住にはデニエスタ帝国政府の審査が今も行われており、海外の出身者が居住することはかなり困難である。
一般的な公務員としての国民の滞在期間は5年から10年、公室評議員や弁務官のような要職でも20年を過ぎることは稀である。
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