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マウサネシア連邦共和国
Maeusāna Kamo‘örāi Yānmātomo
国旗
国章
詳細情報
国の標語
平等・民主・協力
国歌
同胞、マウサネシア連邦共和国 国歌
特色
熱帯の先進亜人国家
イデオロギー
太陽教社会主義
多党制(三大政党制)
戦う民主社会主義
世俗的太陽教政治
公用語
マウサネシア語
クシャール語
シャラ語
アーオ語
チェン語
その他、100を超えるマウサネシア諸語
首都
ジャヤカラタ
最大の都市
ジャヤカラタ
人口
2億8661万人
憲法
マウサネシア連邦共和国憲法?
国教
太陽教
通貨
リエーラ?
中央銀行
マウサナ人民銀行?
GDP
約8兆2727億USドル
一人あたりGDP
28,864ドル
国営報道機関
マウサナ国営放送?
政府首脳
国家元首(政治)
サマリラ・ヤパウレーヤック国家主席?
国家元首(宗教)
オレン・ムア国家導師?
内閣首相
アトモウ・トネイアムア首相?
国会議長
ウクリーン・フィーアリット議長?



概要


イオニア州のユトーサナ諸島(グリヤ諸島)に位置する、連邦制国家。複数の構成国からなり、主要な四島はサーッエ島、セリター島、ハリハラ島、シーヒン島。

国名の由来

マウサネシアという名称は国内ではあまり用いられず、単に「マァェウサーナ」と呼ばれる。
マウサーナの意味は「太陽神の土地」であり、太陽神はサ・アナ、太陽はアナ、マァェウは「土地を所有している状態」を表す動詞である
そしてマウサネシア語はVSO型の孤立語であるため、マァェウ・サ・アナで「土地を所有している状態・神が・太陽の」になり、よって「太陽神の土地」 という意味となる。
マウサネシア連邦共和国は、マァェウサーナ・カモッアェラーイ・ヤーンマートモと呼ばれる。
分解すると、マア(所有している)・エウ(土地)・サ(神)・アナ(太陽)・カモアェ(連邦)・ラーイ(である)・ヤーン(みんな)・マア(所有している)・トモ (国)

マウサネシア人

マウサネシア人(マウサナ人)
マウサネシア連邦共和国を構成する種族の中で9割の人口を占める種族で、マウサネシアにおける代表的なものである。

ネコ科の動物がダタール島のラマレン平野で独自に進化を遂げて高度な言語能力と更なる知能を手に入れ、マウサネシア人となった。
体長1.64メートルで道具・火。言語を使用し、文字や宗教を持ち、農耕を行う。その知能はホモサピエンスに匹敵する。
見た目は猫耳と尻尾を持った、髪と目の色が多種多様(髪の色は黄緑が最も多く、次いで水色、オレンジ、黄色、赤や桃色もある。目は茶色系か水色。)な美少女であるが、両性具有であるため性別の概念が無い。

種族の伝統衣装



熱帯なのと、両性具有なのもあって古くから、特に下半身の露出が多い。主要なものは以下の通りである。
  • ラナーテ(ニーハイソックス)
  • オロメ(浴衣の上半身のような形状をしている。最近はワイシャツに置き換わっている。)
  • エテロ(プリーツのミニスカート。膝上20〜25cmで、帯紐またはベルトによって固定する。)

国名

カーリストの探検家がマウサネシアを訪れた際に、現地人はこの土地のことを「マウサナ(太陽の土地)」と名乗った。そしてカーリストの言語で島を表すネシアが付けられ、マウサネシアとなった。

歴史

旧石器時代

ネコ科の動物がダタール島のラマレン平野で独自に進化を遂げて高度な言語能力と更なる知能を手に入れ、ホモ・サピエンスと同じレベルの種族、マウサネシア人が誕生した。
数万年前にはホモ・サピエンスの集団がダタール島に上陸した。彼らはマウサナ人より少なく、人口の7%ほどを占める程度であった。

▲最終氷期の最寒冷期(およそ2.1万年前)のマウサネシア周辺の地形図。
この時代、海面が約120メートルも低下したためこのような地形となった。熱帯雨林は大きく縮小し、大部分はグラスランド(熱帯性の大草原)や落葉林が広がっていたと思われる。
このような海水面の低下により多くの島が陸続きになったことで、マウサネシア人の1部がダタール島から出て、グリヤ諸島のほぼ全域に広がった。
マウサネシア人は早熟で多産だが寿命が短く、彼らの狩猟採集時代は過酷だったということが想像できる。
現在のマウサネシア人が持つカラフルな髪の色や目の色も、クジャクやオウムのようにジャングルに適応した結果である。

新石器時代〜青銅器時代

ダタール島にはラーリャ山脈とも呼ばれる中央高地が存在しており、降水量がとりわけ多い地域として知られる。
紀元前3000年頃、この地域でいくつかの植物が栽培化され、紀元前2000年頃までにダタール島のほぼ全域に広まると、新石器時代が始まった。
新石器時代の後期になると、それまでの部族社会から進化し、有力な部族が複数の部族を束ねるという、首長社会が形成された。(ただし、中央高地などダタール島の一部では現在まで部族社会が続き、彼らは森の民と呼ばれている)
この首長国は人口数千から数万人程度の規模であり、お互いに戦争をしていたということが、新石器時代の環濠集落から分かる。
これらの争いを優位に進めるため銅器時代が始まり、そして前500年頃には青銅器時代が始まった。
青銅器時代になると、有力な首長国が複数の首長国を束ねる、王国が各地で誕生し、群雄割拠した。
また、青銅器時代には大陸から稲作が伝来し、マウサネシアにおける最も主要な作物となった。

鉄器時代とシャロフ帝国


シャロフ王国は1世紀頃にラマレン平野で建国されたと伝わっており、当時から稲作が発達し、既に太陽教が信仰されていたと考えられている。
シャロフ王国は鉄器を独自に発明し、青銅器を用いるその他のマウサネシアの国々を圧倒した。
シャロフ王国は457年にラマレン平野を統一し、シャロフ帝国と名乗った。国教は太陽教で、土着の精霊信仰の要素を取り入れて、483年に現在の教義となり、正式にシャロフ帝国の国教となった。
この頃にはマウサネシア文字が発明されたことで、碑文や写本などで当時の歴史的な出来事を知ることが出来る。
そしてシャロフ帝国により鉄器が広まったことで、マウサネシアは鉄器時代となった。

エドラーノ帝国

6世紀前半にはシャロフ帝国の従属国であったエドラーノ王国は、シャロフ帝国が通商路の崩壊により弱体化したことで608年に独立を成し遂げ、最終的にはラマレン平野を統一、人々と文化を吸収していった。
615年、エドラーノ帝国の初代皇帝であったジャヤージュラル1世は現在のイシャーナプラに遷都した。
エドラーノ帝国はジャヤージュラル1世の治世の頃に最大判図となり、ラマレン平野の全域を支配下に置いた。
しかしジャヤージュラル1世の死後、後継者争いが原因で南北朝に分裂し弱体化した。

エドラーノ帝国の弱体化後、チェンパ王国などの国家がダタール島の各地で興り、例えばチェンパ王国の首都はシュリーヴィナーヤカ(後にヴィジャヤに遷都)とされる。

クシャール朝前期

初代国王 ジャヤージュラル2世(802–825)
802年頃、ジャヤージュラル2世がエドラーノ南朝を打倒し、プノン・カーレン丘陵で即位した。これがクシャール王朝の始まりである。
この時代、王都はハリハラーレヤ→ヤソーダラプラ→チョック・ガルギャー→ヤソーダラプラと転々としていた。
2代国王 ジャヤージュラル3世(825–847)
碑文には「狩猟中に野生の象を捕まえられなかったとき、神聖な場所を建てれば動物を確保すると約束された」とある。
3代国王 インドラジュラル1世(847–859)
国家の基礎を築いた王とされる。
「インドラタターカ」と呼ばれたバライを建設
4代国王 ヤショージュラル1世(859–870)
碑文には名君であり優れた建設者として「獅子の王」と讃えられている。
兄弟姉妹との王位継承争いの際にハリハラーレヤの王宮が破壊されたため、後にアンコール・トムが建設されるダゴン川流域に、第1次アンコール王都とされる新都「ヤソーダラプラ」を建設し、そこに遷都した。
また、ヤソーダラプラの東に「ヤソダラタターカ」と呼ばれた東バライを築いた。
また、未だに存続していたエドラーノ北朝を打倒したことでも知られる。
5代国王 ハルシャジュラル1世(870–885)
彼の治世は不安定で治世全体にわたって紛争が続いた。
6代国王 イシャナジュラル2世(885–888)
彼の統治はアンコールとバッタンバン周辺に限定されていた可能性がある。
7代国王 ジャヤージュラル4世(988–901)
一時チョック・ガルギャー(それまでの都ヤソーダラプラの北東約100キロに位置する)に遷都。
8代国王 ハルシャジュラル2世(901–904)
904年に甥のラージェンドラジュラル2世に王位を簒奪される。
9代国王 ラージェンドラジュラル2世(904–928)
彼の剣は頻繁に血に染まったが、一方で思いやりの心を持っていたとされる。
中央集権的な管理システムを確立し、州の領地をより直接的に管理できるようにした。
920年頃には、ラーゴ王国(エドラーノ帝国の弱体化後、興った国。クシャール帝国の西部に隣接していた。)を占領し属国化した。
10代〜14代は中略
15代国王 スーリヤジュラル1世(1006–1030)
領土を西部へと拡大、西バライを建設。
1010年から約十年間、ジャロファチャイ王国の攻撃が続いたがこれを撃退、そして1023年にクシャール軍はジャロファチャイ王国(エドラーノ帝国の弱体化後、興った国。クシャール帝国の西部に隣接していた。)の首都ランプーンを攻撃し、ジャロファチャイ王国は従属国となった。
16代大王 ウダヤデイッタヤジュラル2世(1030–1046)
この王が即位する際に後継者争いがあり、その混乱に乗じて最盛期のトァイ・トゥンガ国がダタール島に侵攻、一時は首都のヤソーダラプラに迫り、自ら指揮を執った大王も矢傷を受け戦死する事態となった。
17代大王 ハルシャジュラル3世(1046–1060)
軍事的な才があったため、それによってトァイ・トゥンガはようやく撃退されたが、以降ジャヤージュラル8世の代まで小規模な侵攻が散発的に起こり、歴代の大王を悩ませた。
18代〜20代は中略
21代国王 スーリヤジュラル2世(1113–1140)
最も偉大な王の1人と言われ、1113年、西隣のラオプラヤー川デルタの諸国や、東隣のチェンパ王国(エドラーノ帝国の弱体化後、興った国。クシャール帝国の東部に隣接していた。)と戦い、王国の範囲はラマレン平野の半分以上におよんだ。彼は寺院建築に熱心でアンコール・ワットなどの太陽教寺院を建築した。
22代国王 ダーラニンドラジュラル2世(1140–1146)
先王による戦争と大規模な建築事業により国内は疲弊し、反乱が起こったとされる。
23代国王 ヤショジュラル2世(1146–1155)
ヤショジュラル2世の統治は、部下の1人による暗殺によって終わった。
24代国王 トリブヴァナーディティヤ(1155–1167)
先王の暗殺後に王位を簒奪した役人であり、例外的にジュラルを冠しない。
1167年、ジャヤインドラジュラルIVが率いるチェンパ王国の侵略により、クシャールの首都ヤソーダラプラが略奪され、彼も死亡し数年間は空位となる。
25代 ジャヤージュラル7世(1171–1198)
1167年にヤソーダラプラがチェンパによって占領されたことを知った、ヤショジュラル2世の子供であるジャヤージュラル7世は、軍隊を連れてクシャールに帰国する。
クシャール軍がチェンパ軍に勝利し、戦争で荒廃した都城を復興した後、1171年にジャヤージュラルは王位に就いた。
1180年に再度侵入したチェンパを撃退、チェンパ領に進攻し、チェンパの首都ヴィジャヤを占領する。
再度のチェンパ王国の襲来に備えて防衛に重点が置かれ、新たに建設された首都アンコール・トムには高さ約8mの城壁と幅約100mの外濠が設けられた。
また王城の建設に付随してバイヨンなどの太陽教寺院が新たに建立された。

チェンパ軍から略奪を受けた寺院を再建したり、アンコール・トムの人口増加に対して、東西バライの北に新たなバライを建設した。
壮麗なアンコール・トムはジャヤージュラルの信仰心の表れとも言える。

首都を中心とした王道に沿って102の病院を建設し、主要な道路には16kmごとに宿駅が設置された。
整備された道路と石橋は地方で起きた反乱の鎮圧を容易にし、民衆の生活にも役立った。

しかし、寺院の建立のために民衆に重税と労役が課され、寺院で執り行われた祭礼には多量の費用を要した。加えて軍事賦役により、国の弱体化が進行した。
1198年にジャヤージュラル7世が死去するとクシャールの国力が衰退していくかのように思われた。
しかし、王朝はここで歴史の転換点を迎え、更なる発展を遂げることとなる。

クシャール帝国中期(五賢王時代)

この時代は五賢王時代とも呼ばれ、クシャール帝国はこの時代にマウサネシアにおける覇権を確立した。
26代大王 カヴァンジュラル1世(1198-1236)
1198年に即位したカヴァンジュラル1世には謎が多く、その出自や即位の経緯も不明である。
カヴァンジュラル1世は農業を重視し、堤防の建設など自然環境を改良する開拓を推進した。
国によって食糧の増産が推奨され、未開の土地の開拓と並行して灌漑、水利工事が実施された。
堤防、運河の工事が国によって推進され、その結果13世紀よりダコン川水系では雨季冠水地帯の水田化が進み、開発に伴って旱魃の被害は減少した。
また中国の科挙に類似した制度を作り、有能な人材登用や諸制度の整備など、王朝の土台を固める事に務めた。

また、徴兵は少数精鋭を選抜する方針に拠って実施され、平時の兵士は農耕に従事していた。

カヴァンジュラル1世の治世は38年間におよび、歴代クシャール王の中でも最長を記録している。
これらの改革によりジャヤージュラル7世の寺院建立による財政難を克服し、更に衰退した国力を盛り返すことに成功した。
27代大王 クァールジュラル3世(1236-1261)
1236年に即位したクァールジュラル2世は先王の政策を引き継ぎ、農地の開墾と治水工事を推進した。
1250年代、クァールジュラル2世は周辺の中小国を交渉や武力で勢力圏に組み込んだ。
1257年にチェンパ王国で王位継承を巡る内紛が起こるとこれに乗じてチェンパ王国を完全に属国化して編入した。

クァールジュラル2世は貧民の救済も行い、国民からの支持を集め国家は安定、国力は更に伸びた。
クァールジュラル2世の治世は25年ほど続き、1261年に死去するまで有能な王であった。
28代大王 スーリヤジュラル3世(1261-1292)
1261年に即位したスーリヤジュラル3世も基本的な政策は先王と変わらなかった。
しかしスーリヤジュラル3世は先王たちに劣らない数々の政治的・軍事的偉業を成し遂げた。
1377年にはスータイ王朝(エドラーノ帝国の弱体化後、興った国。クシャール帝国の西部に隣接していた。)の侵攻を受けたがこれを撃退、これ以降スータイ王朝では各地で離反が相次ぎ、スーリヤジュラル3世は彼ら離反者を懐柔して勢力圏に組み込み、そして1337年にはスータイ王朝の首都スータイを占領、旧スータイ王朝領を完全に編入した。

スーリヤジュラル3世は1292年に死去し、その治世は31年であった。
29代大王 ジャヤージュラル8世(1292-1320)

1292年にジャヤージュラル8世が即位した時、クシャール帝国は先王3代に渡る改革で農地は大幅に拡大し人口も増えており、大国となっていた。
1312年にはラマレン平野西端のサンラーン王朝(エドラーノ帝国の弱体化後、興った国。クシャール帝国の西部に隣接していた。)を懐柔した。クシャール帝国の統治方法は、必ずしも軍事力だけに物を言わせた強権的な政治ではなかった。
帰順した国主には基本的に今までと同じ統治を認め、副王として王朝の存続を許された。

この頃大陸から火薬や銃が伝来し、ジャヤージュラル8世は火薬を利用した銃火器の製造を開始し、独自に火器の改良を続けた。

ジャヤージュラル8世は1320年に死去し、その治世は28年であった。
30代大王 カヴァンジュラル2世(1320-1345)
カヴァンジュラル2世は1320年に即位した。基本的には先王の政策を引き継いだが幾つかの改革も行った。
具体的には有能な人材の登用、軍事力の強化、文芸奨励、戸籍制度の導入などである。
カヴァンジュラル2世は銃火器の配備を進め、銃火器専門の「トゥエントゥマイ」という兵科を創設して軍備増強に努めた。
また銃火器に必要な銅を確保するため、従来鋳造されていた銅貨に変えて紙幣を発行した。
カヴァンジュラル2世がダタール島を完全に統一したことで、マウサネシア文化圏では初となる島外への軍事遠征が行われた。

カヴァンジュラル2世は1345年に死去し、その治世は25年であった。

クシャール帝国後期

カヴァンジュラル2世の死後も比較的安定した時代が数百年ほど続いた。
この時代の領土拡大でグリヤ諸島のほぼ全域を支配下に置いたが、ラピタ王国だけは海流の関係で軍を派遣できなかった。

そして1509年にカーリスト国家の遠征隊がクシャール帝国に初めて到着し、クシャール帝国は交易と商館の建設の許可を与えた。
また16世紀後半にはカーリストの技術者の援助を受け、青銅製の大砲を製造した。

17世紀後半に即位したアラサンジュラル王は外国との貿易を積極的に推進し、17世紀頃から幅を利かせ始めた勢力と友好関係を結んだ。

これらの出来事を期にクシャール帝国は欧州技術・文化の吸収を図り、後期クシャール文化が成熟していった時代でもあった。
後期クシャール帝国の時代には対外的な融和政策が取られ、泰平を謳歌する雰囲気の中で北方の文物が取り入れられて文化の円熟期を迎えた。

クシャール帝国末期

18世紀中葉には産業革命が波及して急速な近代化への道を歩み始めたカーリスト諸国とマウサネシアの国力の差は決定的なものとなった。
かつてクシャール帝国の軍事的成功を支えたトゥエントゥマイ(近世初期に設立された銃兵隊)は隊員の世襲化が進み、もはや既得権に固執するのみの旧式軍に過ぎなくなっていた。
この時代には既に旧式軍であるトゥエントゥマイがクシャール帝国の反改革・保守派勢力の牙城と化しており、その専横は目に余るものが多く、すっかり帝国内における改革の妨げとなっていた。

さらにカーリスト諸国から波及した民族独立と解放の機運により、クシャール民族との同化が進んでいなかった地域の諸民族のナショナリズムが呼び覚まされ、各地で反乱が発生した。

そんな中、1777年に即位したタイルケジュラル2世はトゥエントゥマイを廃止して軍の近代化を推進し、外務・内務・財務3省を新設して中央政府を近代化させ、留学生を欧州に派遣して人材を育成するなどの改革を行った。
しかしながら、タイルケジュラル2世は1815年に暗殺されてしまい、さらに各地で反乱が発生した。もはや、どんな名君であっても帝制の維持は困難だったのである。
最後の王 カヴァンジュラル6世とマウサネシア連合国
1815年に即位したカヴァンジュラル6世は有能な人物であったが、もはや帝国の維持は困難であるということを悟り、生前退位を決断した。

1828年に「マウサネシア憲法(1828年憲法)」が成立し、新たにマウサネシア連合国が成立することが決定した。
憲法はクメール連帝国が法治国家であることを宣言し、議会の設置、国内諸民族の国民としての完全な平等を定めた。
その後5年かけて準備を行ない、1833年、マウサネシア連合国が成立。首都はこれまでのアンコール?から、新たに建設したジャヤカラタに遷都した。
そして、カヴァンジュラル6世は退位し、ここにクシャール帝国は滅亡した。

マウサネシア植民地帝国

数々の改革で近代国家となり、工業化に着手したマウサネシア連合国は、植民地化を免れ独立を維持した。
しかしながら、経済ではカーリスト諸国に到底太刀打ち出来るものではなく、経済的には従属していた。
しかしながら19世紀の後期には工業化が進みこうした経済的な問題が解消したことで、マウサネシア連合国は外国に目を向け、多少遅れたものの植民地獲得競争に参加した。

こうして「マウサネシア植民地帝国」が誕生し、デニエスタやアクシアに比べれば小さいもののある程度の植民地を獲得することに成功した。

現代


そして現在、マウサネシアは多くの人口と充分な資源、そして民主的で安定した政治体制を持った先進国として、日々経済成長をしており、世界からも注目されている。

地理


国土の全域が熱帯雨林気候に属する。最大の島はサーッエ島(マウサナ本島、ダタール島とも)でこれは「メインの島」という意味であり、グリヤ諸島でも最大の島である。
北部に位置するラマレン平野に人口の大部分が集中しており、首都もそこにある。平地の大部分は田畑として開墾されており、僅かな丘陵地に熱帯雨林が散在する。
中央高地では熱帯雨林が保存されており、その合間を縫うように集落が存在する。中央高地は降水量が特に多く、同国最大の河川であるダゴン川など、多くの川はこの中央高地を水源とする
中央高地が南側に寄っているため南側は斜面となっており、平地は僅かである。僅かな平地が開墾されている以外は熱帯雨林であり、奥地では「森の民」と呼ばれる部族社会が現在まで残っている。
南東部にはスク半島と呼ばれる細長い半島があり、山も低くなるが、平地が狭く大河も無いため人口が希薄である。

首都の気候


首都がある地域は熱帯雨林気候(Af)に分類され、年中多雨で気温の年較差は少なく、午後はスコールの影響を受ける。
気温が高いため蒸発量が多く、湿度が高い。また雲による遮蔽や夏も昼間があまり長くならないことなどから、日照時間はあまり多くない。
昼間を中心に海洋では積乱雲が発達し、スコールと呼ばれる突風と激しい雨に見舞われることが多い。冷たい空気が降りてくるため、適度な風もあってスコールの後は涼しくなる。
海岸に近いほど海洋性気候の特徴である朝の冷え込みの緩和が現れ日較差は比較的小さいが、一日を通して気温が高い。

島の人口

・サーッエ島(マウサナ本島・ダタール島):1億4209万人
・シーヒン島(ボストロ島):1547万人
・セリター島:8625万人
・ハリハラ島:2551万人
マウサネシア領ラーダニャルメ:758万人
・その他:971万人

文化

服飾

熱帯地域のため全員が薄着で、そして全員が女性のような服装をしている。伝統的な民族衣装はプリーツのスカートであった。

食事

主食は米と芋であり、米はインディカ米である。伝統的にはタロイモやヤムイモ、バナナを主食としていた。

太陽教の教義により、やむを得ない場合を除いて豚や牛のような大型の陸上動物は食べてはいけないことになっている。
その代わり、「プイ」と呼ばれる大型のネズミ(モルモット)が豚の代わりとして飼育されており、国内では一般的な肉である。

マウサネシア人民の朝は一杯のフォーから始まる。フォーとは米から作ったウドンの事で、彼らはこのウドンに魚醤や柑橘類の果汁を振り掛けて食い、仕事に向かうのである。

料理の一般的な特徴として、魚を塩漬けにして発酵させた魚醤という発酵調味料を使うこと、米食文化であり麺類や春巻の皮なども小麦ではなく米から作ることなどを挙げられる。
伝統的な料理は砂糖やハーブを多用し、全体的に甘い味付けや辛い味付けが多い。
ココナッツのジュース、ココナッツミルクなどの食材もよく用いる。このため虫歯が多いと言われているが詳細は明らかでない。

肉類としては鶏肉、鴨肉、のほか、モルモットやウサギの肉もよく食べられる。
飼育が容易で、繁殖力が強く成長が速いモルモットは、現在でも食肉用として野菜くずなどを与えて台所の周りなどで飼育されている。
味はウサギや鶏のもも肉に似ているといわれる。かつては祝い事の際のみに供されるご馳走だったが、現在では日常的に食べられる。
他に日本では馴染みが薄い食材に、食用のカエルなども市場で売られており、屋台などで食べられる。

海水魚やエビ、カニ、イカ、貝類も食材として一般的である。また川沿いではライギョやナマズ目の淡水魚、淡水エビも食用に用いられている。
マナー
食べ残すことはマナー違反であり、多人数での食事では大皿で料理が供され、親しい仲ではない場合でも(例えば長距離バスの同乗者同士などでも)取り箸などは用いずにそのまま直箸で食すことが多い。
庶民向けの屋台店は基本的に1種類の料理のみを供することが多いため、持ち込みも自由に行うことができる。雑貨屋で買った缶ビールなどを持ち込む場合、頼めばグラスや氷などは無料あるいは安価で提供される。

食器には主に箸とスプーン(もしくはレンゲ)が併せて供せられ、フォークも用意されていることが多い。
インディカ米や更にそれを砕いたものが主食に使われることが多く、汁物がある場合は汁掛け飯にすることが多い(これもマナー違反にはならない)ために、飯料理でもスプーンと箸が併用される傾向が高い。
食卓調味料
魚醤、ライム、醤油、チリソース、胡椒が常備される事が多い。庶民むけの食堂では、必要に応じて丸のままの生唐辛子が提供され、スプーンと小皿を使い、客が自分で刻んで調味に、あるいは丸かじりで用いることもある。

住居

都市では団地のような集合住宅が主流であり、これは社会主義国だからである。
農村部では伝統的な高床式の住居で、多くが木造であり、熱帯の気候においても快適に過ごすことができる。

行政

マウサネシア連邦共和国はいくつかの構成国と、131区の部族の自治区、連邦州、特別区からなる。

構成国としてはクシャール帝国時代の区分が元となっており、クシャール、ラーゴ、ジャロファチャイ、スータイ、サン・ラーン、チェンパの6ヶ国からなる。
部族の自治区は131区存在しており、中央の内政から切り離され自治が認められている。
連邦州は、かつて複数の小国が存在していた南部や西部の僅かな平地は併合されるとクシャール帝国の直轄領となり、それが連邦に移行されたものである。
特別区は首都とその周辺のベッドタウンが含まれており、中央政府の直轄地である。

政治

国家元首サマリラ・ヤパウレーヤック国家主席?
国家導師オレン・ムア国家導師?
首相アトモウ・トネイアムア首相?
議長ウクリーン・フィーアリット議長?
議会マウサネシア国会?
与党マウサネシア社会党?

政体は社会主義共和制。統治体制は多党制である。
国家元首である国家主席、宗教的指導者である国家導師、内閣の長である首相、立法府である国会の議長を国家の「四柱」と呼んでいる。

原則として、党と国家のトップを同じ人物が兼務することはなく、「四柱」を中心とした集団指導体制を取る。

太陽教社会主義を基軸思想とする各党は、現在の憲法に「国家と社会の指導勢力」と明記されている。建国以来、一貫して集団指導による国家運営を行なっており、レイン・ノル(初代マウサネシア連邦共和国主席)でさえも専制的な権力を有したことはない。

政府の運営は極めて官僚的であり、市場経済化しつつ政治の民主化は認めない中国共産党独裁下の中華人民共和国に類似している。近年では行政手続きを簡素化するなど、投資の透明性や効率性を向上させようとしている。

議会

マウサネシア国会には、太陽院と衆議院が存在している。
太陽院には太陽教関係者が立候補し、太陽教の神殿で信者による選挙(8歳以上の信者であれば誰でも参加できる)が行われる。任期は6年で3年ごとに半数を改選する。
衆議院は満15歳以上ならば誰でも立候補でき、投票権は10歳以上の国民、任期は4年で総選挙が行われる。
太陽院の定員は164名、衆議院の定員は430名である。

憲法第6条は、「国民は国会を通じて国の方針を決定し、国民の意志と願望を代表する国会議員は彼らによって選出され、彼らに責任を負う」と述べている。
国会の議員は、太陽院と衆議院を問わず、秘密投票によって民主的に直接選出される。
16歳以上のすべての市民は、民族、性別、社会的地位、信念、宗教、教育レベル、職業、居住期間に関係なく、選挙権を持つ。

司法

司法制度は法に基づいており、国の最高司法機関は最高人民法院である。司法は政治や宗教から独立しており、本人の政治的な信念とは関係なく判決が下される。

政策

政策一覧

宗教

太陽教
国教は太陽教である。マウサネシア人の多くは太陽教を信仰しており、都市部よりも農村部の方が敬虔な信者が多い。
各地に礼拝のための神殿(ピラミッドなど)が存在しており、晴れた日には賑わう。
なおマウサネシアには安息日の概念はなく、職場によって休日は異なっている。(しかしながら休日の数は同じです)

外交

条約・同盟

関係を持つ国家

憲法

マウサネシア連邦の憲法は前文と12の章からなる。
第1章:政治
第2章:人権、基本的公民権および市民の義務
第3章:経済、社会、文化、教育、科学、技術、および環境
第4章:祖国の防衛
第5章:国会
第6章:元首
第7章:内閣
第8章:司法
第9章:地方自治体
第10章:選挙
第11章:宗教
第12章:憲法の効果と憲法の改正

教育

公用語はマウサネシア語であり、国語となっている。マウサネシア語は、帝国時代の公用語クシャール語をベースに、シャラ語、アーオ語、チェン語の要素を取り入れた人工言語である。

会話言語ではそれぞれの地域で語彙も文法規則も異なる言葉が日常生活で使われている。
たとえば学校教育の現場では、授業はマウサネシア語で行なわれるが、生徒はシャラ語でおしゃべりするという、「公の言葉」であるマウサネシア語と「私の言葉」である地方語との使い分けは学校教育に限らず、あらゆる場面でみられる光景である。

そのためマウサネシア語が国語と言っても、日常で話す人は多くて3,000万人程度である。国の人口比にすると意外と少ないが、国語になっているため第2言語として話せる人の数はかなり多い。

ただしジャヤカラタなどの大都市ではマウサネシア語を母語とする人が確実に増えつつあり、出稼ぎに向かう人も多い為、地方の人でもマウサネシア語は必須であり、話せないと出稼ぎにも影響が出てくる。

マウサネシア語識字率:90%

交通

鉄道

マウサネシアは世界有数の鉄道大国であり、ラマレン平野では鉄道網が張り巡らされている。
特に3000万人の人口を掲げる首都圏において、鉄道は国民に撮って最も重要な交通手段であり、鉄道網が発達している。

沿岸警備隊

巡防艦や巡防艇を計127隻保有する準軍事組織の一種であり、平時はマウサネシア国内における内水、領海、接続水域、排他的経済水域、大陸棚の警備、海賊・麻薬・密輸の取締、人身売買阻止、海洋での廃棄物の不法投棄防止、救難救助を行う。戦時にはマウサネシア連邦国防海軍の指揮下に入り、戦時的軍事行動を行う。


貿易

各国との貿易

文化・世界遺産

  •  の農業?参照
  •  の世界遺産?参照

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