残された手記 - 霧を孕む港

1.はじめに

このシナリオは『新クトゥルフ神話TRPG ルールブック(以下『ルールブック』)』に対応したシナリオで、探索者3〜4人向けにデザインされている。
プレイ時間は探索者の作成時間を含まずに4〜5時間程度だろう。舞台は大正末期の横浜である。
探索者の年齢や職業に制限はないが、このシナリオでは暴力に訴えることが有効な場面も多いため、貧弱な者ばかりだと苦労するかもしれない。
しかし現代日本に比べて武器や危険物の入手が容易であるため、準備と工夫次第で有利に立ち回ることができるだろう。
大正時代の歴史的・文化的背景は、『クトゥルフ神話TRPG クトゥルフと帝国』に詳しくまとめられている。
そのほか、同時代を扱ったフィクション・ノンフィクション作品も数多く存在している。
もしキーパーが正確な考証やリアリティのある描写をしたいと望むなら、これらの書籍や作品にあらかじめ目を通しておくとよいだろう。
またこのシナリオは、ラヴクラフトの著名な短編『インスマウスの影(The Shadow Over Innsmouth)』と一部の設定を同じくしている。
まだ読んだことのないキーパーには、ぜひとも触れておくことをお勧めしたい。

2.キーパー向け情報

ポリネシアの小島に住むカナカイ族の一派は、古来より深きものと交流を続け、生贄を差し出す代わりに、種々の恵みを受け取ってきた。
彼らが1838年ごろに不可解な失踪を遂げたあとに、その背徳的な関係を引き継いだ者たちがいた。
インスマスのオーベッド・マーシュと、その部下たちだ。マーシュ船長は深きものたちがもたらす恵みによって、不景気に喘ぐインスマスの中興を成し遂げた。
やがて彼はダゴン秘密教団なる組織を作り、富と信仰を背景に権勢を拡大させていった。
また教団はインスマスの住民と深きものを婚姻させ、多くの忌まわしい交雑種を生み出した。
そのような交雑種のひとりに、ヴィクター・ブラウンという者がいた。
彼の父はマーシュ船長の部下であったが、ウェイト、ギルマン、エリオットといった幹部たちの家系に比べると、明らかに軽んじられていた。
ヴィクターは自らの待遇を不満に思い、教団における優位を占めようと画策したが、その試みは教団有力者の不興を買った。
まもなくヴィクターは妹のシェザともども、インスマスからの追放を言い渡されてしまった。

その後、ヴィクターは当時貿易港として成長著しかった横浜に移り、アメリカ商館で職を得ることになった。
彼は持ち前の野心と才覚で急速に富を蓄え、さらには近海にある深きもののコロニーとも交流を持つことで、ひそかに力をつけていった。
1910年ごろ、ヴィクターは独立して「ブラウン商会」を立ちあげ、その頭取の立場を利用しながら、
母なるハイドラを崇める教団の祭司として、深きものと人間との交雑を推し進めるようになった。
そしてヴィクター自身も、多くの子を作った。彼の血を受け継ぐ者は、成人になっても身体の変異が少なく、これは人間社会へ浸透するにあたって、非常に都合がよかった。

横浜港にほど近い伊勢佐木町で客を取る洋娼(外国人を相手にする娼婦)の銀も、ヴィクターの血縁者だ。銀の母親(マリッサ)は、ヴィクターとシェザの間に生まれた。
成長したマリッサは人間の男と恋に落ち、ヴィクターのもとを離れたが、その後、夫ともども心を病み、貧困のうちに相次いで死亡した。
若くして露頭に迷ってしまった銀は、かつて母が暮らしていたという伊勢佐木町に戻り、外国人相手に春をひさぎはじめた。
彼女の噂は、やがて人づてにブラウン商会へと届く。
ヴィクターにとって、変異の少ない血縁者は、自らの権勢を強めるための有用な道具である。彼はさっそく部下に命じて、銀と思しき洋娼を手当たり次第拉致させることにした。

3.主なNPC

松山銀(まつやまぎん)
ヴィクターとシェザの間に生まれた娘を母に持つ女性(つまり、ふたりの孫)。深きものの交雑種であるが、顔立ちや身体的特徴は人間と変わりない。
アメリカ人の血が混じっているため、日本人に比べると肌の色は薄く、目鼻立ちがくっきりしている。
2年ほど前に両親を亡くしてから伊勢佐木町にやってきて、外国人相手の娼婦をしている。

容姿の描写:身長の割に痩せている。裾の汚れたワンピースを着ている。
特徴:態度や言動は常に弱々しい。
ロールプレイの糸口:これまでに味わってきた悪意や理不尽に打ちのめされている。
多くのことを諦めているが、他者の思いやりや保護があれば、しばらくは絶望せずにいられるかもしれない。

松山銀(17歳)、伊勢佐木町の洋娼
STR 40 CON 40 SIZ 50 DEX 70 INT 60
APP 70 POW 50 EDU 40 正気度 35 耐久力 9
DB:0 ビルド:0 移動:8 
近接戦闘(格闘)25%(12/5)、ダメージ 1d3+DB
回避 35%(17/7)
技能:応急手当 40%、隠密 65%、心理学 40% 精神分析 30%、魅惑 30%

絹田夏子(きぬたなつこ)
関内に本社を持つ金港貿易新聞社に勤める女性。
記者としての好奇心に加え、社会的弱者を見過ごすことのできない正義感から、洋娼の失踪事件に関心を持つ。
社内での立場は使い走り同然だが、その分身軽に動くことができる。あちこち駆けまわっているため、伊勢佐木町や関内の事情に明るい。

容姿の描写:小柄でボーイッシュ。ハンチング帽にサスペンダー姿。色々な物が詰まった肩掛け鞄を身に着けている。
特徴:活発で社交的。お調子者だが、心根は正直。
ロールプレイの糸口:新聞記者として、洋娼失踪事件の真相を暴きたいと思っている。
またそれとは別に、虐げられる女性たちの助けになりたいと考えている。自分の力不足を認識しており、探索者たちとうまく協力関係を築こうとする。

絹田夏子(18歳)、新聞記者見習い
STR 50 CON 75 SIZ 45 DEX 80 INT 70
APP 65 POW 55 EDU 60 正気度 55 耐久力 12
DB:0 ビルド:0 移動:9
近接戦闘(格闘)40%(20/8)、ダメージ 1d3+DB
回避 60%(30/12)
技能:言いくるめ 50%、隠密 60%、鍵開け 30%、追跡 25%、登攀 35%、図書館 65%、他の言語(英語)10%

ヴィクター・ブラウン
かつてインスマスを追放された深きものの交雑種。ブラウン商会の頭取にして、母なるハイドラを崇める教団の祭司である。
ヴィクターとその血縁者は、ほかの交雑種に比べて人間離れした部分が少ない。
これは単なる遺伝上の偶然かもしれないし、大いなるクトゥルフの恩寵が薄いことを示しているのかもしれない。
ともあれ、ヴィクターはその特徴を利用して、深きものと人間との交雑を推し進め、自らの社会における基盤を確立しようとしている。

容姿の描写:大柄でやや肥満。皮膚はわずかに弛んでいるが、年齢よりはかなり若く見える。
特徴:野心と猜疑心が強く、強権的で短気。
ロールプレイの糸口:自らの勢力を拡大し、人間社会に確固たる基盤を築こうと考えている。そのために利用できるものは利用し、邪魔するものはなんであれ排除しようとする。

ヴィクター・ブラウン(78歳)、ブラウン商会の頭取
STR 90 CON 85 SIZ 85 DEX 40 INT 70
APP 40 POW 80 EDU 50 正気度 0 耐久力 17
DB:+1D6 ビルド:2 移動:8/泳ぐ8 MP:16
近接戦闘(格闘)50%(25/10)、ダメージ 1D3+DB
拳銃 40%(20/8)、ダメージ 1D10+2
回避 20%(10/4)
装甲:1ポイントの衣服と筋肉
技能:言いくるめ 85%、オカルト 70%、鑑定 70%、 経理 65%、クトゥルフ神話 13%、心理学 75%、他の言語(日本語)40% 
呪文:母なるハイドラとの接触、深きものとの接触


シェザ・ブラウン
ヴィクターの妹。名目上はブラウン商会の幹部であるが、実質的な活動にはあまり関わっていない。
兄に比べると平和や秩序を重んじている。深きものと人間が交わることに否定的で、それは両者にとっての不幸に繋がると考えている。

容姿の描写:豊かな黒髪を持つ長身の美女。つばの広い帽子に毛皮のコート姿。深きものの特徴はほとんどない。
20歳代のようにも、50歳代のようにも見える。はじめて探索者に接触するとき、彼女はミラーという偽の姓を名乗る。
特徴:冷静で慎重。ただし必要なときには断固とした行動をとる。
ロールプレイの糸口:ヴィクターの野心的な行動に歯止めをかけたいと考えている。しかし、彼が破滅することまでは望んでいない。

シェザ・ブラウン(75歳)、謎多き貴婦人
STR 70 CON 65 SIZ 70 DEX 45 INT 85
APP 75 POW 80 EDU 60 正気度 0 耐久力 13
DB:+1D4 ビルド:1 移動:8/泳ぐ8
近接戦闘(格闘)25%(12/5)、ダメージ 1d3+DB
回避 22%(11/4)
技能:クトゥルフ神話 8%、心理学 80%、説得 75%、他の言語(日本語)50%、変装 40%、魅惑 70% 

4.シナリオの導入

大正末期の1925年1月。探索者たちは伊勢佐木町界隈の洋娼であり、洋娼たちのとりまとめ役にもなっているウメという女性から依頼を受ける。
彼女らのグループは特定の店舗や後ろ盾を持たず、自ら客引きをおこなっている。
探索者たちは物好きな客やパトロンかもしれないし、顔の広いウメと商売上の付きあいがある者かもしれない。
あるいはそういった者から紹介されて、力になってやろうと考えたのかもしれない。

ウメに呼ばれて行くことになるのは、伊勢佐木町中心部からやや東にある「久良岐(くらき)屋」という店だ。
ここは界隈でも珍しい24時間営業の飲食店で、焼酎やビールをはじめとした酒類や種々の小料理を提供している。
店内は60席ほどと広く、客層は多彩である。また2階にはいくつかの座敷があって、ゆっくりと寛ぐこともできる。
探索者たちが久良岐屋に入ると、どのような時間帯であれ、人間の熱と猥雑な喧騒に迎えられる。
ウメはもっとも奥まった席にいて、呼びかけに応じてくれた探索者たちへ改めて感謝を示す。
しかし彼女が見せる表情は、怒りや悲しみがない混ぜになった陰鬱なものだ。
探索者たちが注文(ビールもあるが、庶民に親しまれているのは清酒や焼酎だ)を済ませたあとで、ウメは本題を切り出す。
 
■この2週間、ウメと顔見知りである洋娼のうち4人が行方不明となっている。
■転居や検挙、身請けなどで娼婦がいなくなることはよくあるが、ウメが把握している限りで、行方不明となった者たちにそのような様子はなかった。
■3日ほど前に姿を消した洋娼は銀という名で、ウメが特に目をかけていた可愛い妹分だった。
■ウメは地元の巡査にも相談し、近所にも聞き回ったが、所詮は娼婦と侮られ、まともに相手をしてもらえなかった。

ウメは探索者たちに銀の捜索を依頼する。彼女は報酬として、仲間たちから集めた100円(現代の価値にしておよそ5万円)を差し出す。
くしゃくしゃの紙幣や少額の貨幣を目にした探索者は、洋娼たちの厳しい境遇に思いを馳せるかもしれない。

5.伊勢佐木町での聞き込み

さしあたり、探索者たちは伊勢佐木町の周辺で聞き込みをすることができる。
デパート、活動写真(映画)館、ビリヤード場、カフェーなど、盛り場であれば、話を聞く相手には困らない。
特に当時のカフェーは文化人なども顔を出し、一種の社交場としても使われていた。
銀はどのあたりで仕事をしていたのか、とウメに尋ねれば、彼女は伊勢佐木町の北あたりを示す。



聞き込みの方法や場所によって適切な技能は異なるが、大抵の場合は〈魅惑〉〈説得〉〈言いくるめ〉〈威圧〉などが適切だろう。
ロールに成功するたび、探索者は次の情報を(上から順に)得ることができる。

本牧一家
洋娼たちが活動していたあたりは、もともと「本牧一家」というやくざの縄張りだった。
しかしひと月ばかり前に、組の幹部が殺され、若衆数人が病院送りにされてしまうという事件が起きた。
組は犯人に復讐を企てたが、どうやら返り討ちに遭ったらしい。
本牧一家は多くの構成員を失い、いまはろくに活動もできないでいるようだ。
組の事務所は伊勢佐木町南東の端にある。

愚連隊
数か月ほど前に伊勢佐木町へやってきた若者たちがいる。
彼らはそのうち愚連隊を組織して、本牧一家と争うようになった。
ここひと月ほどは、おとなしくなった本牧一家の代わりに、愚連隊の若者たちが幅を利かせている。
噂によれば彼らは旧居留地の外国人と結託して、なにかよからぬことを企んでいるらしい。

胡乱な大男
身長七尺(約210cm)、体重七十貫(約260kg)にも及ぶ大男が、夜霧に紛れて洋娼を攫ったようだという噂が流れている。
しかしながら噂には奔放な尾ひれがついていて、いまひとつ信憑性に欠けるところがある。
男は黄色い外套(コート)を着ていた、太くて長いトゲのようなものを持っていた、魚のような顔をしていた、果ては頭がなくて胴体と手足だけの姿だった、などという話まである。

6.記者見習いの少女

伊勢佐木町で聞き込みや調査をおこなう探索者たちは、その途中、誰かが自分たちを窺っているような気配を感じる。
〈目星〉か〈聞き耳〉に成功した探索者は、建物の陰に隠れ損ね、気まずそうにしている夏子の姿を見つける。
探索者たちが夏子と話す場合、彼女は自分が金港貿易新聞社の見習い記者であることを明かし、伊勢佐木町で発生している洋娼の失踪事件を調べているのだ、と口にする。
夏子は調査の最中、探索者たちが聞き込みしている姿を見かけ、立場や目的を推し量るために様子を窺っていたのだ。

夏子は自分ひとりで事件を調べるのは荷が重いと感じており、探索者たちと協力関係を築きたい、と提案する。探索者たちはこれを受け入れてもよいし、拒否してもよい。
協力関係が築かれた場合、夏子は「5.伊勢佐木町での聞き込み」で探索者たちが取りこぼした情報を集めてきてくれるかもしれないし、ちょっとしたお使いや伝令を務めてくれるかもしれない。
通信技術の発達していないこの時代、彼女のような存在は役に立つだろう。
探索者たちが協力を拒否した場合、夏子は独自に調査を進めるが、かなり高い確率で愚連隊やヴィクターの一派に捕まり、彼らの拠点に囚われてしまう。
キーパーがよりショッキングな展開を望むなら、夏子の死体が往来に転がっていたり、川面に浮かんでいたりといった展開を用意してもよい。

金港貿易新聞社
金港貿易新聞社は小規模ながらも、関内や伊勢佐木町の情勢や風俗に詳しく、海外の情報も扱う進取的な会社だ。
横浜公園に隣接する小奇麗なビルのワンフロアが、会社の事務所となっている。探索者たちは夏子の口添えで、彼女の勤務先に保管された資料を閲覧することができる。
中には茂木という40代の精力的な男性デスク(責任者)が詰めており、夏子に対して上司らしい尊大な態度で接する。
しかし探索者たちに対してはごく友好的で、記事のネタを提供してくれるのであれば、と資料室の利用を許可する。
資料室で〈図書館〉をおこなうには、1時間を要する。ロールに成功するたび、探索者は次の情報のうちどれかを得ることができる。

南洋諸島との交流
先の世界大戦によって大日本帝国の委任統治領となった南洋の島々には、1922年に南洋庁が設置され、移民の奨励と産業の振興がおこなわれている。
主な産品はサトウキビやリン鉱石であるが、アメリカの商会を経由して装飾品や金製品なども輸入されている。
今後、本国との交流は盛んになると予想されるが、懸念すべき点として、現地住民の一部が邪宗に類する奇怪な文化を有していることが挙げられる。
これによってたびたび起こる問題に現地当局は頭を悩ませており、教育の普及によって不道徳な迷信を取り払う努力が続けられている。

最新兵器の輸入事情
大日本帝国における軍事技術の進歩は目覚ましく、かつて外国からの輸入に頼っていた兵器類は、いまやそのほとんどを国産で賄えるようになっている。
しかし帝国陸軍は引き続き海外兵器の研究をおこなうべく、クルップ社の新式大砲を取り寄せたとの情報もある。
一方で、「これほどまでに各国の経済的相互依存が高まった現代において、ふたたび大規模な戦争が起こるとは考えにくい」として、軍備増強への予算配分に否定的な意見もある。

外国人との混血
本国と諸外国との交流が盛んになるにつれ、外国人の親を持つ子どもも増加している。
その中には充分な扶養や教育を受けられず、いかがわしい稼業や犯罪行為で食い扶持を得なければならない者もいる。
また容貌ゆえの差別も横行しており、社会不安を増大させる要因ともなっている。
混血児たちはいわば繁栄の落とし子であって、文明人たる我々によって、手を差し伸べられなければならない存在なのである。

7.本牧一家

「5.伊勢佐木町での聞き込み」で本牧一家の情報を得ていれば、探索者たちは彼らの組事務所を訪れることができる。
もし探索者たちが裏社会に精通しているならば、過去に事務所を訪れたことがあったり、組の誰かと顔見知りであったりするかもしれない。

本牧一家は横浜開港以降に誕生した組織で、三十人程度の構成員から成っている。
しかし現在は多数の負傷者、行方不明者が出ており、実働できるのは十人あまりとなっている。
伊勢佐木町南東の端にある事務所は、二階建てのこぢんまりとしたものだ。
一階には土間と座敷の広間があり、二階にも数部屋の和室がある。盛り場を縄張りとするやくざにしては、あまり羽振りがよくなさそうに見える。
また事務所内に詰めている数人の若衆たちも、どこか打ち萎れている様子である。

探索者たちが本牧一家の構成員とまったくの初対面であったり、警察官や敵対組織の人間であったりする場合は、かなり強い警戒の態度で迎えられるだろう。
それでも洋娼の失踪事件について調べているのだと伝えれば、余所者の手を借りることへの抵抗感を示しながらも、以下のような話をしてくれる。

本牧一家に起こったこと 
本牧一家はここ数か月の間、他所からやってきた愚連隊と争っていた。
この若者集団は血気盛んだったが、頭数や経験という点ではさほどでもなく、縄張りを切り取られるまでには至っていなかった。
しかしひと月前の夜、一家の幹部と愚連隊の人間が争っている現場に、見慣れない大男が姿を現した。
大男はどうやら愚連隊の助っ人だったようで、あっという間に幹部を捕まえて首を叩き折ると、ドスで応戦した若衆数人にも瀕死の重傷を負わせた。
暗かったため大男の顔はよく見えなかったが、少なくとも日本人ではない、異様な容貌をしていたという。
数日後、愚連隊が「ゐら満(まん)」という弁当屋に出入りしていることを知った本牧一家は、深夜に数人の若衆を向かわせ、襲撃をかけた。
しかし現在までに誰ひとりとして戻らず、組としては全員が殺されてしまったのではないか、と考えている。
以降、残った組員たちも愚連隊に手を出そうとはしなくなってしまった。

本牧一家は洋娼の失踪についても聞き及んでいて、愚連隊の関わりを疑っている。
しかしいまは体制を立て直すのに精一杯で、事件に関しては座して様子を窺うしかない状態となっている。
もし探索者たちが尋ねるのならば、ゐら満の場所を教えてくれる。

そのほか、本牧一家になんらかの手伝いをさせるためには、〈説得〉〈信用〉に成功する必要がある。
探索者たちが具体的な利益を提示・提供することができれば、このロールにはボーナス・ダイスが1つ与えられる。
ロールに失敗した場合、彼らは敵への恐怖に屈してしまったか、冷静に保身を優先した、ということだ。

本牧一家の構成員
STR 70 CON 50 SIZ 75 DEX 40 INT 50
APP 35 POW 50 EDU 30 正気度 40 耐久力 12
DB:+1D4 ビルド:1 移動:7 
近接戦闘(格闘) 40%(20/8) ダメージ1D3+DB
長ドス 40%(20/8) ダメージ1d6+1+DB
32口径リボルバー 40%(20/8) ダメージ 1D8
技能:威圧 60%、聞き耳 40%、心理学 30%、手さばき 40%、目星 40% 

8.弁当屋ゐら満

南京町のすぐ西にある、荒れた木造の平屋。軒先に掲げられた看板には「ゐら満」の文字とともに、銛を振りあげた半裸の男性が描かれている。
この店は半年前までまっとうな弁当屋として営業していたが、主人が賭博で借金を作り、夜逃げしたため空き家となった。
いまはそこに愚連隊の若者たちが入り込み、不法に占拠された状態となっている。



ヴィクターと愚連隊との関係
現在、愚連隊はヴィクターの支配下にある。もともと愚連隊の面々は特定の後ろ盾を持たず、方々に喧嘩を吹っかけて回っていた。
しかしあるとき、ヴィクターの一派とトラブルになった。ヴィクターは見せしめに愚連隊のリーダー格を殺し、子分たちを恐怖と報酬で支配するようになった。
ヴィクターは愚連隊が効率よく命令を実行できるよう、クトゥルフの寵愛を受けしものを送って寄越した。
これは深きものの交雑種であるが、よりおぞましく、強靭な存在である。
この怪物は普段、弁当屋の地下に掘られた湿っぽい穴倉にいて、洋娼の拉致や敵対者の排除といった、愚連隊の手に余るような仕事をおこなっている。

店舗
かつて弁当の受け渡しや料金の支払いなどがおこなわれていた場所。
玄関の引き戸には鍵がかかっている。静かに開けるなら〈鍵開け〉の成功が必要だが、多少音を立ててもよいのなら、〈機械修理〉かSTRロールの成功で鍵を破壊できる。
内部は埃や蜘蛛の巣に覆われていて、廃業してからしばらく経ち、その間ろくに手入れする者もいなかったのだろうと推測できる。
奥にはカウンター、その背後には棚があるだけで、特に役立つものや見るべきものはない。
調理場への入口に戸はなく、のれんがかかっているだけだ。探索者たちはそこから、こっそりと調理場の様子を窺うことができる。

調理場
かつては調理場だった板間の部屋。いまは愚連隊の寝ぐらとなっている。
弁当屋の設備としては辛うじて調理台が残っているくらいで、ほとんどが撤去されたり、売り払われたりしている。
そのほかにあるのは、愚連隊が持ち込んだ石油ストーブ(燃料は灯油)、寝具、木刀、酒瓶ぐらいのものである。
室内は汚らしく、饐えたような体臭とカビ臭さが漂っている。
ここには常時1d2+1人の愚連隊がいる。時間帯によっては眠っているかもしれないし、あるいは仲間内の賭け事に興じたり、酒を飲んでいたりするかもしれない。
探索者たちがなにか物音を立てたとき、愚連隊がそれに気づくかどうかは、彼らの〈聞き耳〉で判断する。
もし探索者たちが穏便な接触を試みたとしても、ほとんどの場合愚連隊は過激な反応を示し、すぐさま襲いかかってくるだろう。

愚連隊のメンバー
STR 60 CON 50 SIZ 65 DEX 55 INT 50
APP 40 POW 40 EDU 40 正気度 25 耐久力 12
DB:+1D4 ビルド:1 移動:7
近接戦闘(格闘) 45%(22/9) ダメージ1D3+DB
木刀 45%(22/9) ダメージ1d8+DB
技能:威圧 40%、隠密 35%、聞き耳 50%、目星 50%

愚連隊を殺さずに尋問した場合、彼らは洋娼を拉致していたと認める。
しかし同時に、自分たちはあくまで実行犯に過ぎず、拉致を命じた者は別にいると話す。
しかし彼らは依頼人の正体について、外国人であるらしいという以外ほとんど知らない。
愚連隊は攫った洋娼を関内近くの橋で引き渡し、報酬を受け取っているだけなのだ。引き渡しの際、彼らは符牒代わりに黄金のコインを使っている。
それは愚連隊の懐にあるか、もしくは調理台の上に置かれている。
このコインはブラウン商会に繋がる重要な手がかりである。
たとえ弁当屋の調査が不首尾に終わったり、愚連隊を全員殺してしまったりしても、なんらかの方法で入手できるようにするとよいだろう。

黄金のコイン
これは大日本帝国の貨幣でも、またアメリカやイギリスの貨幣でもなく、ブラウン商会が独自に鋳造し、特定の相手にのみ与えるコインである。
材質は主に金であるが、純金に比べるとわずかに白っぽい。
表面の意匠は、ほんの少し歪んだ円の周囲に、13本の曲線が配置されたものとなっている。
普通に見れば、これは太陽を表わしているように思えるが、実際には大いなるクトゥルフの頭部と、その口元に生える触手を表している。
ハード難易度のINTロールに成功すれば、少なくともこの意匠が太陽でなく、海棲生物らしきものを模していることに気づくだろう。
もし〈クトゥルフ神話〉に成功した探索者がいれば、かつて南洋で信仰されていた、おぞましい神格のイメージを頭に描くかもしれない。
またコインの裏面には、渦巻状に並んだルルイエ語で、「大いなるクトゥルフと母なるハイドラに永劫の栄えあれ」と刻まれている。
コインに対して〈知識〉もしくは〈経理〉に成功した探索者は、その意匠が旧居留地にあるブラウン商会のものであると分かる。
加えて、商館のあるおおまかな場所も知っている。
たとえロールに失敗してしまった場合でも、地元に詳しい、もしくは商売をやっている人間に尋ねればよさそうだ、と思いつくことができる。
コインに対するロールでハード以上の成功を収めたとき、あるいはブラウン商会について新聞社などで調べたとき、探索者たちは次項のような情報を得ることができる。

ブラウン商会について
ブラウン商会は20年ほど前に米国の貿易会社から独立し、以降横浜において順調な拡大を遂げている企業である。
主に扱っているものは南洋諸島からの輸入品で、その一部には金の装飾品も含まれている。
あまり定かでない噂によれば、商会は南洋の島に秘密の金鉱を所有しており、そこで精錬・加工した金を運んできているのだという。
現在の頭取はヴィクター・ブラウンという人物である。
ブラウン商会は旧山下居留地(関内の東側)に拠点を持っており、その建物は「花南海(かなかい)館」と呼ばれている。

物置
かつては食材や調理器具が保管されていた部屋。
いまは拉致や暴行に使っていたらしい麻縄や頭陀袋、犠牲者から奪い取ったと思しき物品、ストーブ用の灯油が入った缶などが転がっている。
また部屋の片隅には、地下の出入口を塞ぐ大きな上げ蓋がある。
 
地下
弁当屋が営業していたころ、この場所は小さな地下収納に過ぎなかった。しかし愚連隊が使うようになってから拡張され、六畳程度の広さを持つ地下空間になった。
普段は上げ蓋で塞がれているが、ひとたびそれを外すと、湿っぽい腐臭や磯のような生臭さが入り混じった、吐き気を催す空気が流れ出てくる。
探索者たちは同時に、なにか大きなものが身じろぎするような気配を感じ取るだろう。
むき出しの土でできた穴倉のようなこの場所には、クトゥルフの寵愛を受けしものが潜んでいる。
それは愚連隊が叩きのめされたぐらいでは顔を出さないが、探索者たちが上げ蓋を外せば、侵入を察知して襲いかかってくる。
クトゥルフの寵愛を受けしものは手強いクリーチャーだ。
しかしそれが狭い階段をのぼってくる1ラウンドの間に、灯油を流しこんで火を着けたり、銃弾をしこたま撃ち込んだりすれば、殺してしまうのは難しくない。
もちろん、探索者はすぐさま逃げ出してもよい。
どのような行動を取るにせよ、上げ蓋を外した探索者たちは、そのおぞましい姿に戦慄するだろう(1/1D8ポイントの正気度を失う)。

いかなる忌まわしい交合が、この存在を作り出したのだろうか。
膨満した肉体はぬらぬらとして青白く、ぞっとするような生臭さを纏っている。
顎や手先にあたる部分からは軟体動物の触腕めいたものが伸び、奇怪に蠢きながら、あたりの様子を探っている。
そしていま、顔面から突き出た、黒くぶよぶよとした眼球は、侵入者たるあなたたちの姿を、その中心にはっきりと映している!

クトゥルフの寵愛を受けしもの
STR 120 CON 90 SIZ 130 DEX 40 INT 30
POW 100 耐久力 25
DB:+2D6 ビルド:3 移動:6/泳ぐ 10
攻撃
1ラウンドの攻撃回数:1
攻撃方法:殴りつける。あるいは掴んで引き裂く
近接戦闘 35%(17/7) ダメージ 1D6+DB
回避 20%(10/4)
装甲:2ポイントの皮膚と筋肉
正気度喪失:クトゥルフの寵愛を受けしものと遭遇して失う正気度ポイントは1/1D8

脅威を排除した探索者たちが地下を調べても、役に立つものは見つからない。
せいぜい、貪り食われた犠牲者(本牧一家の若衆たち)の残骸と、目を背けたくなるような汚物があるくらいだ。
行方不明になった洋娼たちの手がかりも残されていない。彼女らはこの場所でなく、ブラウン商会の商館へ運び込まれたからだ。

9.旧居留地にて

ブラウン商会への接近
横浜の外国人居留地は、1858年に結ばれた通商条約によって設置が定められた。
1899年の条約改正によって居留地制度は廃止され、また1923年の関東大震災を経て街並みは大きく変化した。
シナリオの舞台である1925年時点では、まだ震災の傷が完全には癒えておらず、仮設の施設も多かった。
しかしヴィクターは震災後速やかに商館を建て直し、事業を再開した。それこそが、大さん橋からさほど離れていない場所に建つ花南海館だ。
 
花南海館の表玄関には屈強な中国人の用心棒がいて、探索者たちの侵入を阻む。
もし商会の取引相手として館内に立ち入りたいのならば、〈信用〉に成功する必要がある。
ちなみに、この中国人は客家(はっか)語(中国語)と片言の英語しか喋ることができない。
もちろん、裏口(施錠されている)や2階のベランダなどからこっそりと侵入することも可能だ。
ただしその際に大きな物音を立ててしまえば、ほかの見張りや官憲が駆けつけてくる。
花南海館の外観、内部の間取り、およびブラウン商会の活動については「11.花南海館」参照のこと。

屈強な用心棒
STR 75 CON 75 SIZ 75 DEX 50 INT 50
APP 40 POW 40 EDU 40 正気度 30 耐久力 15
DB:+1D4 ビルド:1 移動:8 MP:8
近接戦闘(格闘) 65%(32/13) ダメージ1D3+DB
技能:威圧 70%、聞き耳 35%、心理学 30%、目星 35%

探索者たちは用心棒によって門前払いに遭うかもしれないし、花南海館に入ったはいいものの、人目の多い中で充分な調査がおこなえず、すごすごと引きさがることになるかもしれない。
キーパーは適切なタイミングを測り、シェザ・ブラウンを登場させる。

謎めいた貴婦人
シェザ・ブラウンは上等なドレスに身を包み、つば広の帽子を被っている。帽子からはレースが垂れ下がっていて、顔立ちや表情を見えにくくしている。
シェザは遠くから探索者たちに合図を送り、自分についてくるよう促す。
探索者たちがそれについていくならば、彼女は花南海館から少し離れた場所(山下公園のあたり)で足を止める。

「あなたたち、ブラウン商会に興味があるのかしら?」

シェザは名前を明かすが、ブラウンという姓までは口にしない。どうしても答えなければならない場合は、ミラーという偽の姓を名乗る。
探索者たちが会話に応じるならば、シェザは流暢な日本語で、まず探索者たちの素性や目的を探るような質問をする。
この際、探索者たちも彼女の素性や意図、敵意の有無を探るために〈心理学〉を試みることができる(シェザが高い値の〈説得〉を持っていることに注意〉。
ロールに成功した場合は、シェザがブラウン商会の関係者であること、しかし商会の利益とは別の目論見があるらしいことが分かる。
もし探索者が〈心理学〉と〈人類学〉の組み合わせロールに成功したならば、上記に加え、シェザが日本人ともアメリカ人とも違う、なにか特異な文化的背景を持っていることにも気づくだろう。
これはインスマスという土地や、深きものの血といった、彼女の生い立ちを示唆するものだ。

探索者たちの目的が、ヴィクターの行き過ぎた所業を止めることに繋がると分かれば、シェザは下記のような情報を提供する。そして、銀の救出が自らの望みに適うものだと話す。
もちろん、彼女は自らが知っているすべてを明かすわけではない。探索者たちが情報を出し渋れば、彼女から知らされる情報も少なくなる。

■ブラウン商会の人間が洋娼を攫っているのは事実である。それを命じているのは、頭取のヴィクター・ブラウンだ。
■洋娼が監禁されているのは、花南海館の地下である。しかし銀という名前の娘だけは、2階の使用人室で拘束されている。
■ヴィクターは週に一度か二度、夜間に外部の人間を集めて淫靡な集会を主催している。その時ならば、従業員や用心棒の目も客の方に向いている。
■自分にも立場があるので、これ以上の具体的な助力は難しい。

シェザはヴィクターの目的(「3.主なNPC」参照)を知っているが、この時点でそれを明かすことはない。自分と銀の血縁関係についても同様だ。
シェザは上記のことを探索者に伝える意図について、商会を健全な状態に戻すためだ、と話す。
そして、物事が明るみに出れば商会は大きな打撃を受けるかもしれないが、このまま突き進んで破滅に至るよりはましである、と口にする。
ただしこれは彼女の完全な本音ではない。シェザの関心は兄とその血縁(銀も含む)に向いており、商会自体には大した思い入れを持っていない。

夜間に行われる集会の参加者には、あらかじめ金のコインが配布され、合言葉が伝えられている。
金のコインは弁当屋ゐら満で見つかるものと同じだ。もしこの時点で探索者たちがコインを持っていないのであれば、シェザから渡すことにしてもよいだろう。
彼女は探索者たちに必要な合言葉を伝える。それはコインに刻まれている文と同じものだ。

“For the eternal glory of Great Cthulhu and Mother Hydra(大いなるクトゥルフと母なるハイドラに永劫の栄えあれ).”

10.不道徳な集会

この項で述べるのは、探索者が花南海館でおこなわれる集会に参加したとき、目にしたり体験したりする出来事である。集会がおこなわれる日については、キーパーが任意に決定してよい。

深夜11時ごろから、20人ほどがバラバラに花南海館を訪れる。参加者には日本人もいれば外国人もいる。男性もいれば若干の女性もいる。
どちらかといえば富裕な者が多く、庶民は少ない。クトゥルフやハイドラへの信仰心のある者よりも、普通の娯楽に飽き、特別な刺激を求める者が主である。
参加者は玄関にいるヴィクターの配下にコインを見せ、合言葉を囁く。身体検査を受け、危険物を持っていないことが確認されると、入室を許される。
そして集会がはじまるまでの間、展示室で待機することになる。展示室には最低限の照明しかつけられておらず、参加者が互いの顔を判別するのは困難だ。
それでも過去の参加者同士が、提供された軽食や酒類などを口にしながら、密やかに談笑している様子を見ることができる。
このとき入館を許された探索者は、応接室やそのほか適当な場所に隠れることもできる。
参加者やヴィクターの配下が地下へ向かったあとは、単独で館内を調べてもよいし、仲間の侵入を手引きしてもよいだろう。

12時が近くなると、仮面をつけたヴィクターの配下が展示室に現れて、参加者たちを地下の礼拝所まで案内する。
礼拝所は展示室よりも暗く、照明として持ち込まれている数本のロウソクだけが光源である。
室内に4つ設置された香炉では、深きもののコロニーから取り寄せられた、強烈な催淫作用のある香が焚かれている。
また正面奥にあるハイドラ像(「11.花南海館」を参照)の傍らには、濃紺のローブを纏ったヴィクターが立っている。
ここではじめてハイドラ像を目撃した探索者は、1/1D3の正気度ポイントを失う。

参加者たちが礼拝所に収容されたのを見届けると、ヴィクターは厳かな口調で演説をはじめる。
これは場の雰囲気を醸成するためであり、また香が効きはじめる時間を稼ぐためでもある。

「港が開かれて60年あまり。外より来たるものとの交わりによって、この地にはかつてない繁栄がもたらされた」
「商品や文化の交わりだけではない。信仰の交わり、肉体の交わり、血の交わり。そのすべてが喜ばしきものである」
「交わりの果て、やがてすべての人々が同質となったとき、世界はより強固で豊かなものとなるであろう」
「この場は、そしてこの場にわだかまる闇は、その喜ばしき交わりによって生み出される繁栄の、温かな揺籃なのである……」

ヴィクターはその仰々しい演説を終えると、部屋Aに入っていく。それと同時に、すべてのロウソクの火が吹き消され、あたりは真の暗闇となる。
演説を最後まで聞いていた探索者は、POWロールをおこなう。これに失敗した場合、香の効果に抗うのが難しくなるだろう。
肉体と精神に異様な興奮を覚えた探索者は、1/1D4の正気度ポイントを失う。

どのタイミングであれ、探索者には礼拝所から脱出するチャンスがある。
部屋Aか部屋Bに入り込んでもよいが、そこには少なくともひとりの配下がいて、探索者を礼拝所に押し戻そうとする。
なお夜間に花南海館を警備しているヴィクターの配下は、すべて深きものの交雑種である。
また部屋Aへ入るタイミングによっては、暗渠から這い出してきた深きものの、おぞましい姿を目にするかもしれない(0/1D6の正気度ポイントを失う)。
1階へ戻るための階段付近にも、配下がひとり配置されている。
配下に対して〈いいくるめ〉〈説得〉あるいは体調不良を装う演技としての〈変装〉に成功すれば、そのまま花南海館の出口まで連れ出される。
ロールに失敗した場合は、ぞんざいに礼拝所へと押し戻される。
もし花南海館の中を探索したいならば、〈隠密〉でこっそりとすり抜けるか、〈近接戦闘〉で配下を気絶させる必要がある。
後者の場合、失敗すると戦闘になり、負ければ花南海館から叩き出される。
なお、礼拝所の近くにいる配下は全員マスクをつけており、戦闘などでそれが外れれば、変異した顔面や首元の皺があらわになる(探索者は0/1D2の正気度ポイントを失う)。

深きものの交雑種、ヴィクターの配下
STR 65 CON 65 SIZ 65 DEX 60 INT 60
POW 50 APP 40 耐久力 13
DB:+1D4 ビルド:1 移動:8/泳ぐ 8
攻撃
1ラウンドの攻撃回数:1
近接戦闘 45%(22/9) ダメージ 1D3+DB
回避 30%(15/6)
正気度喪失:深きものの交雑種と遭遇して失う正気度ポイントは0/1D2

ヴィクターの演説が終わった時点で、参加者たちは香によってほとんど理性を失っている。
そして明かりがなくなるやいなや、あちこちで交合をはじめる。相手の容姿は問題にせず、男性だろうが女性だろうがお構いなしである。
この狂乱を前にした探索者は、さらに0/1D6の正気度ポイントを失う。
探索者が狂気に陥ったならば、自らもこの狂乱の一部となるか、困惑と嫌悪感のあまり周囲の人間を暴力的に拒絶するか、
怖れをなして礼拝所から逃げ出すか、といった行動をとることになるだろう。

交合がはじまり、場の熱気が高まっていくと、やがて部屋Bに拘束されていた者たちが礼拝所に投入される。
それは攫われた(銀を除く)洋娼、身寄りのない女性や少年などである。彼らもまた香の効果に晒され、理性を失った状態になっている。
さらに混沌の度合いが高まると、部屋Aから深きものの交雑種や純粋な深きものが入り込んできて、交合に加わる。
部屋Aには海へと繋がる暗渠の出入口があって、深きものたちはここから花南海館を訪れることができるのだ。

互いの顔も分からない暗闇、極度の精神的・身体的な興奮、背徳的な陶酔によって、参加者たちは異形の存在が紛れ込んでいることを気にかけもしない。
集会にとことんまで付きあおうと決めた探索者がいたならば、このタイミングで〈幸運〉をロールする。
失敗した場合は、深きものとの冒涜的な交合を果たすことになるだろう。生臭さや手触りでそうと気づいた探索者は、1/1D8の正気度ポイントを失う。

この筆舌に尽くしがたい狂乱は明け方近くまで続く。
そのころになると参加者は体力を使い果たし、座り込んだり寝転がったりしている。中には完全に気絶している者もいるだろう。
適当な時間になると、参加者たちは手探りで1階にあがっていき、展示室や応接室で身体を休めたり、服装を整えたりする。
そして周囲が明るくなると、来たときと同様、ばらばらに花南海館を去っていく。

11.花南海館

この項では、探索者たちが侵入することになる花南海館について述べる。
花南海館はブラウン商会の本拠であり、内部では実際に南洋諸島との貿易に関する業務がおこなわれている。
しかし扱う商品の一部は、日本近海にある深きもののコロニーからもたらされている。
従業員のほとんどは、ヴィクターの血縁か、近海のコロニーにルーツを持つ深きものの交雑種、あるいは彼らと婚姻関係を結んだ人間である。
彼らは多かれ少なかれ、ヴィクターと彼の教団に忠誠を誓っている。商会の真実を知らない従業員も雇われているが、これはごく少数に過ぎず、花南海館の中に立ち入ることもない。

    
 
外観
ヴィクトリアン様式を採用した地上2階、地下1階の商館。急角度の屋根と外壁に施された種々の装飾が特徴である。
建造されたのは関東大震災後。赤褐色のレンガを多用しているが、骨組みには丈夫な鉄骨が使われている。

侵入経路
花南海館には正面出入口と裏口がある。昼間は裏口のみ施錠され、正面出入口に用心棒がひとり配置されている。
夜間は両方の出入口が施錠され、用心棒はいない。
ただし「10.不道徳な集会」での催しがおこなわれる際は、参加者を中に入れるため、深夜11時から12時の間まで、正面のドアには鍵がかかっていない。
(ただし、すぐそばにヴィクターの配下が立っている)
正面出入口と裏口のほか、各所にある窓も探索者たちの侵入経路となり得る。
探索者たちが〈グループ幸運〉に成功した場合、応接室の窓には鍵がかかっていない。
窓が施錠されていた場合は、〈機械修理〉で窓枠ごと外すか、窓ガラスを割る必要があるかもしれない。
窓を割る際、DEXロールに成功すれば、多少なりとも音を抑えられるだろう。
探索者たちは〈登攀〉で2階にのぼることもできる。その際、ロープや脚立などの道具があれば、ロールにボーナス・ダイスが1つ与えられる。
2階にあるすべての窓は施錠されているが、ベランダのドアは施錠されていない。
言うまでもないことだが、昼間の花南海館には大勢の従業員や客がおり、発見されずに内部を探索するのは極めて困難だ。
ただし〈変装〉や〈言いくるめ〉をうまく使えば、様子を窺うことぐらいはできるかもしれない。

各部屋について
1階および2階の部屋には、すべてフローリングが施されている。
地下は壁や天井も含めて石造りである。各部屋のドアについて、特に言及のある場所以外は、施錠されていないものとする。

1階
エントランス
花南海館を訪れた客がまず目にする空間。商会の富や権威を誇示ために、ほかの場所よりも豪勢な装飾が凝らされている。
左右の壁には油絵が飾られており、そこには荒波を乗り越える勇壮な船や、アメリカ東海岸の港町などが描かれている。 

展示室
ブラウン商会が扱う品々を展示している部屋。砂糖や缶詰やなどの食料品、現地住民が作った工芸品などが、木製の台や棚に陳列されている。
花南海館を訪れた小売業者は、この中から目ぼしいものを選び、買いつけの交渉をすることになる。
陳列されているものの中で特に目立つのは、ガラスケースに入った金細工である。
これらは南洋諸島からではなく、日本近海にある深きもののコロニーからもたらされた品だ。
曲線が多用された意匠はどこか生物的で、まっとうな感性を持った者にとってやや不気味に感じられる。
材質は探索者たちが入手したコイン同様、純金に比べるとやや白っぽい。
また展示室の正面奥には、高さ1メートル半ほどの像がある。古代ギリシャ風のトーガを纏った女性が、赤ん坊を頭上に掲げている姿を象ったものだ。
表面は白っぽい金で覆われているが、中身は青銅である。もし商会の従業員に像のことを尋ねた場合、「繁栄の喜びと未来への希望を表わしている」と説明される。
あるいはこの説明をするのは、偶然に居合わせたヴィクターかもしれない。

応接室
来客をもてなしたり、商談をおこなったりする部屋。2つとも同じ造りをしている。
床には細密な図柄のペルシャ絨毯が敷かれ、ソファセットのほか、洋酒とグラスの置かれた棚などもある。

化粧室
一般的な造りのトイレ。女性が化粧直しをするための大きな鏡も設置されている。

倉庫
商品を置いておくための部屋。薄暗く、ドアは常に施錠されている。
開けるための鍵は事務室で管理されている。保管されている物品自体は、展示室にあるものとほぼ同じである。

2階
ホール
広々としたホール。出入りする人間は限られているため、1階に比べると清潔で小奇麗な内装となっている。

事務室
貿易に関する事務がおこなわれている部屋。
室内にはいくつかの長机と椅子、書類を納めておくための棚、そして金庫が置かれている。日中はここで10人程度の事務員が働いている。
〈他の言語(英語)〉を30%以上持っている探索者は、棚の書類に対して〈図書館〉〈経理〉を試みることができる。
ロールに成功した場合、探索者は取引を記録する帳簿の中に、日本人でも米国人でも南洋諸島の住民でもなさそうな、奇妙な響きの名前を見つける。
実のところ、それは近海のコロニーに住む深きものの名前である。
またブラウン商会は、その奇妙な名前の相手と、物々交換で取引をおこなっていることが分かる。
さらには、商会がいくつもの婚姻を仲介しているらしい書類も見つかる。これらはいわずもがな、深きものと人間の間でおこなわれた営みの証拠である。
探索者たちが金庫を開けようとするならば、ハード難易度の〈鍵開け〉に成功しなければならない。
中には20万円ほどの紙幣および金貨と、英語版の『ルルイエ異本』(『ルールブック』P229)が保管されている。

給湯室
一般的な造りの給湯室。茶やコーヒーを淹れるための湯を沸かしたり、ごく簡単な調理をおこなったりするための設備がある。

使用人室
商会の中で比較的経験が浅い者、雑務や肉体労働に従事する者が使う部屋。
夜間に花南海館を見張る者が仮眠を取る場所でもある。室内には簡素なテーブルやベッド、清掃に使う道具類などが置かれている。
この部屋には夜間、ヴィクターの配下(能力値については10.不道徳な集会」参照)が2人がいる。
探索者たちが物音を立てれば、少なくとも1人が様子を見にくるだろう。
ただし「10.不道徳な集会」で述べた催しの最中、この部屋にいる用心棒は1人だけである。ほかの者は地下におり、よほどのことがない限り出てこない。

シナリオ開始から3日ほど前に攫われた銀は、この部屋に監禁されている。彼女はベッドのフレームと手首を縄で繋がれ、行動を制限されている。
その拘束はさして厳重でもないが、銀は恐怖と無力感に支配されていて、これまで逃走を試みることはなかった。
ヴィクターは自らの直系であり、比較的容姿の優れた銀を、人間の有力者と婚姻させるつもりでいる。
ほかの従業員もその目論見を認識しており、銀が逃げ出さないよう監視を続けている。
侵入者の気配を感じとると、銀はベッドの上で身を竦め、極度に怯えた様子を見せる。
しかし探索者たちが用心棒を排除し、救出と保護の意思を伝えれば、ほんの少し緊張を緩める。
そして人間離れした大男に拉致され、わけの分からないまま監禁されていた恐怖を吐露しながら、ぼろぼろと涙をこぼす。

ベランダ
大理石のタイルが敷かれたベランダ。金属の手すりは非常に丈夫で、ロープを使って昇降する際にも充分な支えとなる。

化粧室
一般的な造りのトイレ。1階のものに比べると少し狭い。

談話室
1階の応接室よりもやや寛いだ話をするための部屋。室内にはゆったりとしたサイズのひじ掛け椅子や、ビリヤード台などが置かれている。
いわゆるお得意さまと呼ばれる客だけが、ここで葉巻をふかしながら談笑したり、遊戯にふけったりすることができる。

地下
礼拝所
ヴィクターにとって非常に重要な空間である。礼拝所と1階に繋がる階段とは、分厚いドアで隔てられている。
儀式や礼拝のわずかな時間を除いて、ここには常時鍵がかけられている。
壁や床はわずかに青みがかった灰色の石材で造られ、波紋や水流、あるいは海棲生物を思わせるレリーフが施されている。
そのほか、室内には台つきの吊り香炉が4つと、強い存在感を放つ彫像がある。採光のための窓はなく、照明の類も設置されていない。
この場所では「10.不道徳な集会」で述べたような催しのほか、教団への入会儀式や、冒涜的な知識の教授などが行われている。
ヴィクターはそれらの行為によって、人間の有力者に教団への忠誠を誓わせたり、年若い交雑種に冒涜的な知識を植え込んだりしているのだ。

壁や床のレリーフに対して〈科学(生物学)〉〈自然〉〈目星〉に成功した探索者は、
彫刻されている海生生物の中に、明らかに現在知られている種以外のものが含まれていることに気づく。
香炉に対して〈芸術/製作(香)〉〈自然〉〈科学(薬学)〉に成功した探索者は、
竜涎香(マッコウクジラの結石)のほか、催淫性のありそうな香の残滓を嗅ぎとることができる。
このロールについては、ハード難易度の〈聞き耳〉〈目星〉で代用することもできる。

礼拝所の正面奥にある彫像は、灰緑色の石鹼石で造られた1メートル半ほどのものだ。
魚類と人間を融合させたような存在が、触手の生えた肉塊を掲げる姿が象られている。
これはヴィクターや深きものが崇めるハイドラの像にほかならない。
不気味で、しかしどこか艶めかしさもある石像を見た探索者は、1/1D3の正気度ポイントを失う。
この像に対して〈オカルト〉に成功すれば、南洋諸島の一部やアメリカ東海岸の港町で信仰されていた邪宗の存在を思い出せる。
もし〈クトゥルフ神話〉に成功した探索者がいれば、ダゴン、ハイドラ、クトゥルフ、ゾス=オムモグといった、
決して世に知られるべきではない、強大な存在の姿と名前が心に浮かぶだろう。

部屋A
この部屋にはブラウン商会が扱う一部の品や、儀式や集会に使用する香、強力な治癒効果のある青い軟膏などが置かれている。
このうち軟膏については、実際に使用するまで具体的な効果を知る方法はない。
軟膏を傷口に塗ると、即座に1D6ポイントの耐久力を回復することができる。
しかし純粋な人間に対して使った場合、不快で不可逆的な副作用が生じる(肉が異様に盛り上がる、鱗が生えるなど)。
部屋の奥には暗渠への入口があり、それは下水を通じて海まで繋がっている。近海のコロニーに棲む深きものは、この通路を使って花南海館に出入りしている。

部屋B
利用価値のある人間を監禁しておくための場所。シナリオ開始時点で、ここには攫われた洋娼を含む、五人程度の男女が閉じ込められている。
彼女らはいずれ深きものと強制的につがわせられたり、不道徳で冒涜的な儀式の生贄に捧げられたりする。
大抵は身寄りがなく、失踪してもほとんど心配されることのない人々である。
全員がひどく憔悴し、ひとりかふたりはほとんど狂気に陥っている。
彼女らを檻や麻縄、足枷などから解放するためには、〈鍵開け〉か〈機械修理〉が必要になる。

12.救出のあとで

以下で述べるのは、探索者たちが花南海館に侵入し、銀を救出したあとに迎える展開である。

依頼の達成
攫われた銀以外の洋娼は花南海館の地下に囚われており、救出するには危険が伴う。
もちろん、すべての洋娼を救出することができれば、ウメは探索者たちに最大限の感謝を示すだろう。
しかしブラウン商会が洋娼たちを攫ったことを明らかにし、銀を救出した時点で、依頼は達成されたことになる。
それに洋娼たちを救出するのは、必ずしも探索者たちでなくともよい。直接の被害者である銀の証言があれば、官憲も重い腰をあげるだろう。
探索者たちが〈信用〉〈説得〉〈法律〉に成功すれば、彼らはより迅速に行動してくれる。
なんにせよ依頼の達成を報告するために、探索者たちは久良岐屋を訪れる必要がある。
ウメはそこでまんじりともせず探索者たちを待っているかもしれないし、店主や夏子がウメを呼んでくることになるかもしれない。

銀の処遇
ウメは帰ってきた銀の姿を見ると、彼女を抱きしめたり、その髪をくしゃくしゃにしたりして、安堵と喜びを表現する。
そして探索者たちの大胆さと勇気を称え、何度もお礼を言うだろう。
とはいえ、これで銀の安全が保障されたわけではない。彼女が伊勢佐木町にいる限り、ふたたびブラウン商会の魔手を避け続けるのは困難だ。
もしかすると探索者の中には、将来に渡って銀を保護すると申し出る者がいるかもしれない。
しかしそのような決定は、状況が多少なりとも落ち着いたあとにするべきものだ。
ウメは探索者たちに対して、もうひと晩だけ銀と一緒にいてやって欲しい、と頼む。
ウメは銀が安心して眠れるよう、久良岐屋2階の座敷を確保する。ウメ自身はそのまま銀と一緒にいるかもしれないし、仲間に銀の無事を伝えにいこうとするかもしれない。

傷ついたシェザ
探索者たちが銀を救出してから数時間後(おそらくは早朝)、伊勢佐木町一帯には濃霧が立ち込める。
〈自然〉〈科学(気象学)〉〈サバイバル〉などに成功した探索者は、この霧が天候や地形によって説明できない、不自然で気味の悪いものであると感じるだろう。
事実、これはヴィクターや彼に従う深きものによってもたらされた、魔術的な霧なのである。

それから少しして、久良岐屋に現れる者がある。それは重傷を負ったシェザ・ブラウンである。
彼女は濃霧に包まれる通りに点々と血の跡を残しながら、久良岐屋の店先で倒れる。
1階で店主や客が騒ぐのを聞いた探索者たちは、その原因を調べに向かい、倒れている人物がシェザであると気づくだろう。彼女は拳銃で腹部を撃たれており、ひどく出血している。
探索者が〈応急手当〉に成功すれば、負傷による消耗を最小限に抑えられ、シェザは短時間の休憩でふたたび行動できるようになる。
ロールに失敗した場合でも、シェザは命を取りとめるが、数日の間は絶対安静が必要となる。
シェザはこの近辺で偶然に負傷したのではない。ひと通りの処置が終わったあとで、彼女は以下のように事情を語る。

ヴィクターは銀が攫われたことに気づくと怒り狂った。銀への執着もあったが、彼はもともと、計画を邪魔されると過激に反応するところがあった。
そもそも洋娼の拉致が明るみに出れば、商会の存続自体が危うくなる。
ヴィクターは侵入者を見過ごした従業員や用心棒たちを容赦なく処罰したあとで、シェザに疑いの目を向けた。
シェザは敢えて言い逃れをせず、逆にヴィクターの強引なやり方を批判した。
彼女は身寄りのない人間を拉致したり、不道徳な集会を開いたりするのをやめるべきだと主張した。
もちろん、ヴィクターが引きさがることはなかった。口論はエスカレートし、やがて暴力的な事態に至った。ヴィクターは衝動的に拳銃をとり、シェザを撃った。

この話をする中で、シェザはヴィクターのことを兄と呼ぶ。
探索者たちが聞き返したならば、彼女は自身がヴィクターの実妹であることを認めるだろう。
そして、自身とヴィクターの娘が、銀の母親であることを告白する。
銀とその母親は非常にそっくりであって、ヴィクターもシェザも、一目見て銀の素性が理解できたのだ。
そこまで話すと、シェザは苦しげな表情で、悔恨のこもった口調で次のように言う。

「私たちは人間と交わるべきではなかった。軽率なおこないのせいで、大いなるものの寵愛も、静かな暮らしも得ることができなくなってしまった」

銀がその場に居あわせたとしても、ただ戸惑いを示すだけである。
シェザは銀の態度を当然のものとして受け入れ、探索者たちに対し、銀を連れて伊勢佐木町から離れて欲しいと懇願する。
しかし夏子がその場にいれば、別の観点から意見を述べる。
銀さえ平穏無事であれば、それでよいのか。官憲は外国政府に遠慮して、主犯であるヴィクターを取り逃すかもしれない。
そうなったとき、伊勢佐木町で身を立てるしかない娼婦たちは、夜の闇に怯え続けることになる、と。
 
探索者たちは銀の安全を最優先してもよいし、夏子の主張に賛同してヴィクターの打倒を決意してもよい。
しかし探索者たちが具体的な行動を起こす前に、濃霧の中から異形のものたちが現れる。
 
13.追手

ヴィクターはシェザを衝動的に撃ったことで、タガが外れたようになっている。
彼は市街に多くの配下が放ち、商会の秘密を知った探索者たちを捜す。
また関内や伊勢佐木町一帯を混乱させて、官憲の目をブラウン商会から逸らそうとする。
この行動にはブラウン商会の従業員だけでなく、ヴィクターに近しい深きものも多く動員されている。
霧に紛れて通りを跋扈する異形の息づかいや、彼らの掠れた雄叫びは、住民たちを恐慌に陥らせる。

久良岐屋にやってくるのは、深きものが3体、クトゥルフの寵愛を受けしもの(能力は「8.弁当屋ゐら満」を参照)が1体である。
探索者たちは客の悲鳴や建具が破壊される音などで、迫りくる危機に気づくだろう。
魚類か両生類の特徴を宿し、ぬらぬらとした悪意を放つ深きもの。そして強大なクリーチャーであるクトゥルフの恩寵を受けしものは、やがて探索者たちのいる座敷に入り込んでくる。
異なるクリーチャーを同時に目撃した場合の正気度喪失については、『ルールブック』P165も参照のこと。

探索者たちはこの異形たちと戦ってもよいし、その場から逃げ出してもよい。逃げ出す場合は、チェイスのルールに則って処理をおこなう。

深きもの、ヴィクターの配下
STR 70 CON 55 SIZ 80 DEX 50 INT 65
POW 55 耐久力 13
DB:+1D4 ビルド:1 移動:8/泳ぐ 10
攻撃
1ラウンドの攻撃回数:1
攻撃方法:三叉の鉾で突き刺す
近接戦闘(槍) 45%(22/9) ダメージ 1D8+DB
回避 25%(12/5)
装甲:1ポイントの皮膚と鱗
正気度喪失:深きものと遭遇して失う正気度ポイントは0/1D6

もし戦闘において探索者たちが劣勢になった場合、本牧一家の構成員や地元の警察官を登場させてもよいだろう。
あるいは探索者たちが1、2体の敵を殺した段階で、深きものたちを撤退させ、戦闘を終わらせてもよい。
死に際(あるいは去り際)、深きものはヴィクターの目論見を口にして、探索者たちに絶望を与えようとする。

「どんな試みも役には立たぬぞ。いままさに母なるものが、すべてを波でさらおうとしているのだから」

チェイス
以下ではチェイスをおこなう上での制約や、起こりうるイベントについて述べる。
このチェイスにおいては、場所の数を10、ハザードの数を2、バリアーの数を1と想定している(それぞれの位置はキーパーが任意に決める)。
処理を簡便にするため、3体の深きものはひとまとめに扱う。しかしキーパーが適切だと考えるならば、これらの条件を自由に変更しても構わない。

同行者の扱い
おそらく探索者たちの近くにはシェザがいるだろう。探索者は傷ついた彼女を手助けし、一緒に逃走を図ることもできる。
ただし手助けをする探索者は、シェザに行動を制限されている間、肉体を使うロールにペナルティー・ダイスを1つ受け取る。
シェザのほかに行動不能な者がいた場合にも、上記のルールが適用できる。
ヴィクターはシェザの抹殺を命じていないので、探索者たちが彼女を置き去りにしたとしても、追手がシェザに攻撃を加えることはない。
しかし銀は別だ。探索者たちに見捨てられた場合、彼女は混乱の中で殺されてしまうか、ヴィクターのもとに拉致されてしまう。

バリアーとハザード
チェイスの舞台は霧と異形で混乱する市街地だ。伊勢佐木町は日本屈指の盛り場で、どのような時間帯でも多少の人通りがある。
次に述べるのは、このような環境におけるバリアーやハザードの例である。

■バリアーの例:自動車や馬車や荷車が多重事故を起こし、バリケードのようになっている。乗り越えるには〈登攀〉〈跳躍〉もしくはDEXロールが必要である。
■バリアーの例:遊び歩いていた学生の集団が、どうしてよいか分からず、通りを塞ぐように固まっている。邪魔されず通り抜けるには、〈回避〉〈近接格闘〉、DEXもしくはSTRロールが必要である。
■ハザードの例:恐怖に駆られた酔っ払いが、相手を確かめることもなく酒瓶で殴りかかってくる。〈幸運〉〈回避〉に失敗した場合、1D4ポイントのダメージを受け、1D3の移動アクションが失われる。キャラクターは〈近接格闘〉〈拳銃〉等を用いてハザードに対抗することもできる。ロールに成功した場合、キャラクターはダメージを受けず、なおかつハザードは消滅する。

チェイスの終了
探索者と追手が同じ場所にいる場合、追手は1度だけ攻撃を加えてくる。
しかしその後、本牧一家もしくは警官隊が現れ、深きものたちと戦いはじめる。助っ人の登場によってチェイスは終了する。
ただし追手と同じ場所にいた探索者は、助っ人たちが槍で貫かれたり、首をねじ切られたりする様子を目撃して、0/1D3の正気度ポイントを失う。
探索者全員がゴールまで辿り着いた場合にも、チェイスは終了する。
その際に追手が口にする言葉は、戦闘で彼らを打ち負かした場合と同じである。チェイスが確定せず探索者たちが逃げ切ったとしても、展開は変わらない。

その後の行動
戦闘あるいはチェイスが終わっても、まだ安全ではない。
状況がほんの少し落ち着いたとき、半狂乱になりながら逃げてきた男が、探索者たちに警告する。
「妙な男が、大さん橋で恐ろしいことをしようとしている」「海の様子が変だ。霧の向こうに、とんでもない怪物が見える!」
ここで、探索者たちはINTロールをおこなう。成功した者は、さきほど深きものたちが口にしたことと、男の言葉をもとに、これから起こる出来事を推察できる。
すなわち、ヴィクターが何らかの方法によってハイドラを呼び寄せ、この一帯を水に沈めようとしている、ということだ。
探索者たちには大きく分けてふたつの選択肢がある。ひとつは、高台に逃げて溺死の危機を逃れること。もうひとつは、大さん橋に向かってヴィクターの試みを阻止することである。
前者の行動をとる場合の展開は「14.致死的なうねり」で、後者の行動をとる場合の展開は「15.ヴィクターとの対決」で述べる。

14.致死的なうねり

探索者たちがいる場所によっては、異様な海鳴りが聞こえるだろう。あるいは空気が震えているような、耐えがたい圧力を感じるだろう。
周囲の人々も危険を察知して、高台に避難しようとしている。
伊勢佐木町から東南に移動すると、かつて外国人居留地となっていた山手町に至る。
ここは関内と違って商業活動の中心ではなく、比較的富裕な外国人たちの住居が建っている一帯である。
家屋のほかには、教会、病院、ビール工場などがある。海抜30m以上の場所が多く、水害を逃れるには最適だ。
しかしながら、ほかの大勢の人々も山手町に向かっている。おまけに、彼らはひどい恐慌状態にある。
探索者たちは安全な場所に辿り着くまでに、いくつかのロールをおこなわなければならない。

高台へ
山手町へと続く道では、「街が沈む」「怪物が襲ってくる」といった叫び声が混乱に拍車をかけ、人々が親切心や慎みをかなぐり捨てて、ひたすらに高台を目指している。
探索者たちはDEXあるいはCONロール、もしくは〈幸運〉での判定を2回おこなう。
これに成功した場合は何事もないが、1回失敗するごとに追加で1D6をロールし、下記の出来事に遭遇する。

1:助けを求める男
道の脇に座り込んだ男が、探索者たちに助けを求めている。足を挫いたか折ったかして、自力で逃げることができないのだ。
探索者は男を助け、安全な場所まで連れていくことができる。ただし彼に手を貸している間、探索者は肉体を使うロールにペナルティー・ダイスを1つ受け取る。
もちろん、探索者は男の幸運を祈るだけにして、先を急いでもよい。しかしその場合、非情な判断を強いられたことにより、0/1の正気度ポイントを失う。
 
2:転倒の痛み
打ち捨てられた荷物に躓いたり、群衆に押されたりして、探索者は転倒してしまう。
そこには尖った石が落ちていて、身体のどこかをざっくりと切り裂く。
幸いにして行動に支障が出るほどではないが、探索者は1D2ポイントの耐久力を失う。

3:海に向かう女
逃げる群衆に逆らうように、ひとりの女が両腕を広げ、異様な熱のこもった瞳で海を見つめながら、恍惚の表情でゆっくりと坂をくだっていく。
彼女はハイドラを崇拝しているのかもしれないし、狂気に陥っているだけなのかもしれない。
残念ながら、探索者たちはこの女を正気に戻したり、高台に連れていったりする余裕はない。
異様な行動を目撃した探索者は、0/1D2の正気度ポイントを失う。

4:将棋倒しの危険
密集した群衆は非常に危険な存在だ。気づけば、探索者は渋滞で行き場のなくなった人々の、過激な押しあい圧しあいに巻き込まれてしまう。
やがて群衆は将棋倒しになり、探索者は1D3ポイントの耐久力を失う。

5:踏みにじられた子ども
探索者は道に倒れて血塗れになった子どもを見つける。転んだあとでひどく踏まれたか、重いものに轢かれたのだろう。
頭は潰れ、中身が漏れ出している。この凄惨な光景を見た探索者は、0/1D3の正気度ポイントを失う。

6:暴走する車
探索者たちの背後から、猛スピードで車が走ってくる。自らが助かることしか頭にない運転手は、アクセル全開で人々を跳ね飛ばしてゆく。
探索者は〈回避〉か〈跳躍〉をロールし、失敗した場合は車と接触して1D6ポイントの耐久力を失う。

大いなる母の御姿
前項でのロールを終えたあと、探索者たちはようやく見晴らしのよい場所までやってくる。しかし安全地帯はまだ少し先だ。
そんなとき、周囲の群衆が叫び声をあける。低地の方を振り返ってみれば、わずかに霧が晴れ、港の景色が目に入る。
直後、そこでまったくもって信じがたい光景が展開される。キーパーは以下の文を読みあげること。

遠くの海面から、数十本もの水柱が伸びる。それらはヒレのついた腕のような形を持ち、意思があるかのように激しく渦巻いている。
やがて水柱は数百メートルの致死的なうねりとなって、白いしぶきをあげながら市街にのしかかった。
膨大な海水が建物を無残に叩き壊し、押し流してゆく。
しかしその光景よりも恐ろしいのは、海を漂う霧の中に浮かぶ、大いなる存在の輪郭だ。
いままで目にした怪物を、何百倍にも膨らませたような姿のそれは、低く歌うような声を響かせながら、次々に水柱を喚び出している……

ヴィクターの呪文によって喚び出されたハイドラの姿と、その力の片鱗を目にした探索者は、2/1D10+1の正気度ポイントを失う。
もちろん、振り返らず逃げ続けたところで、〈正気度〉ロールを免れることはできない。
この破壊は〈忘却の波〉(『ルールブック』P256)に似ているが、通常考えられるよりも遥かに大規模なものである。
ハイドラは数百体の深きものを引き連れ、呪文に加わらせることで、未曾有の災厄を引き起こしているのだ。

最後の一撃
ひとしきり市街を蹂躙したあとで、海に残っていた最後の、そして最大の水柱が、探索者たちのいる場所に襲いかかってくる。
空を覆うほどの絶望的な質量が地面に叩きつけられると、そこにあった建物や人間は滅茶苦茶になる。

探索者たちは運よく直撃を免れるが、その余波を受けることになる。
被害の有無を判定するためには、〈幸運〉〈水泳〉〈登攀〉、もしくはSTRロールを用いる。
探索者たちがこれらに成功した場合は、なにかにのぼったり、しがみついたり、あるいは水にさらわれかけながらも、ふたたび地面に戻れたということだ。
ロールに失敗した場合、探索者は水流に翻弄されたり、瓦礫にぶつかったりして、2D6ポイントの耐久力を失う。
このとき耐久力がゼロになったり、気を失ってしまったりした探索者は、そのまま流されてしまうかもしれない。
あるいは仲間に助け出され、〈応急手当〉を受けることができるかもしれない。

こうして、ヴィクターは港とその一帯を破壊する。結果に満足した彼は、ハイドラとその眷属たちを帰還させ、自らも横浜から姿を消す。
おそらくは別の国、別の地域に移って、ふたたび人間社会への浸透を試みるのだろう。ヴィクターは長命であり、その野心と精力はいまだ旺盛だ。
なんにせよ、探索者たちはようやく安全な場所まで辿り着くことができる。その後の展開については、「16.結末」を参照のこと。

15.ヴィクターとの対峙
 
久良岐屋に現れた異形を撃退し、あるいは振り切ったあと、探索者たちがヴィクターの目論見を阻止しようとするならば、関内の北東から海に伸びる大さん橋を目指さなければならない。
いまだ濃く立ち込める霧は、探索者たちにとってもよい隠れ蓑になるだろう。
道中、もしキーパーが適切と考え、なおかつ〈幸運〉に成功した探索者がいるならば、通りがかった武器商社の近くで役立つものが手に入ることにしてもよい。
たとえばドイツ製の歩兵砲(75mm野砲に相当)や、アメリカ製の重機関銃(30口径ブローニングM1917A1に相当)などだ。

クライマックスの舞台となる大さん橋は、1894年に建造された近代的な埠頭だ。
関東大震災で崩壊し、この時期にはまだ復旧の途上である(完成は1925年9月)。
根元からの長さは400mを超え、現代においても横浜を象徴する建築物として利用されている。
その大さん橋の先端に、ヴィクターはいる。彼は「14.致死的なうねり」で述べたように、すべてを破壊する目的で、ハイドラを喚び出したのである。
大さん橋の先端よりさらに先、霧の中には母なるハイドラの姿がある。そして大さん橋を囲む海面には、ハイドラが引き連れてきた、数百体の深きものがいる。
この情景を描写するにあたって、キーパーは以下の文を読みあげる。

海はうねり、ざわめき、母なるものの来臨を歓迎する。
その姿は離れた場所に在ってなお、見あげるほどに大きく、また尋常ならざる神性を纏っている。
子らは歌うように、あるいは叫ぶように、麗しき主を言祝いでいる。
いまだ人知の及ばぬ、広く深い領域から来たるものを前にして、あなたたちは災厄の訪れを強く、強く、強く予感するだろう。

母なるハイドラの姿と、おびただしい数の深きものを目撃した探索者は、2/1D10+1の正気度ポイントを喪失する。
しかしハイドラと深きものたちは、すぐに探索者たちを攻撃してくるわけではない。
常識を超えた存在の思考や動機を理解するのは困難だが、強引に説明を試みるならば、ハイドラはヴィクターを試していると解釈することもできる。
ヴィクターが探索者たちを退けられたならば、それはある意味において、強固な信仰の証である。
逆に、彼が探索者たちに敗れてしまったのならば、手を貸すに値しない、卑小な存在だったということだ。
もし狂気に陥っている探索者がいれば、これらのことに思い至るかもしれない(『ルールブック』P165、狂気のひらめき)。
もはや銀やシェザの存在も意味をなさない。ヴィクターは大いなる母の御前で、自らの力と信仰を証すため、そして邪魔だてするものをすべて押し流すため、探索者たちと戦う。

「たとえ商会を失ったとしても、またはじめればよい。私にはそれができる。何度でも、何度でもだ」
「しかしお前たちの愚かなおこないはここで終わる。その汚らわしい血のすべてで、罪の対価を支払っていけ」

戦闘には三叉の鉾を持った深きもの2体が加わり、ヴィクターよりも前に立って探索者たちとぶつかる。
探索者たちがヴィクターを攻撃するためには、30メートルの距離から射撃・投擲をおこなうか、深きものを排除したあとでヴィクターに肉薄しなければならない。
戦闘に際して、もし探索者たちが望むなら、100メートル先にいるハイドラを標的にしてもよい。
道中で手に入れた兵器を使ったり、船舶を操縦して衝突させたりすれば、ハイドラに傷を与えることができるだろう(もちろん、手痛い反撃は覚悟しなければならない)。
ハイドラの耐久力をゼロにして撤退に追い込めば、ヴィクターたちは激しく動揺し、しばらく呆然とするか、その場から逃げ出そうとする。

ハイドラ、深きものの支配者
STR 260 CON 250 SIZ 300 DEX 100 INT 100
POW 150 耐久力 55
DB:+6D6 ビルド:7 移動:10/泳ぐ 15 MP30
攻撃
1ラウンドの攻撃回数:2
攻撃方法:拳を叩きつける、小型の船を投げる
近接戦闘 80%(40/16) ダメージ 1D6+DB
投擲 50%(25/10) ダメージ 3D6+DB/2
装甲:6ポイントの皮膚
呪文:忘却の波、その他キーパーが望むもの
正気度喪失:ハイドラと遭遇して失う正気度ポイントは1/1D10

ヴィクターを殺すか撤退させると、ハイドラと数百体の深きものは、しばし失望したような沈黙を続けたあとで、ゆっくりと姿を消す。
探索者たちの勝利によって、危機は去ったのだ。これ以降の展開については「16.結末」で述べる。

16.結末

生存者たち
この項では「14.致死的なうねり」のあとで迎える結末について述べる。
ハイドラが喚び出した水柱は、関内と伊勢佐木町の一帯に甚大な被害をもたらした。建物は半数が完全に破壊され、残りもひどく損傷させた。
ブラウン商会も、花南海館ごと瓦解した。海水は内陸数キロの地点まで到達し、店先の商品や車を押し流した。
死傷者の数を正確に計算するには、おそらく何週間もかかるだろう。
探索者たちが全滅したのでなければ、そのうち市街へ戻ることになるだろう。あたりは惨憺たる有様で、運よく生き残った人々も呆然としている。
探索者たちに所縁のあるNPCたちは、生きていることにしてもよいし、死んでしまったということにしてもよい。
探索者たち以外に、なにが起こったのか理解できる者はほとんどいない。新聞等では後日、局地的な津波が起きたと報道されることになる。
ひとりの身勝手な男によって失われたものは大きい。
しかし1923年の大震災に比べれば、被害は局地的なものに過ぎなかった。この港町はさほど間を置かず、ふたたび活気を取り戻すだろう。
ウメと銀が生き残っているならば、ふたりはこの後、伊勢佐木町を離れて、新しい暮らしをはじめる。
探索者たちに伝手があるならば、彼女らに住処や働き口を紹介してやってもよいだろう。

なんにせよ、ウメの依頼を完遂し、恐るべき災厄を乗り越えた探索者は、報酬として1D10+1D6の正気度ポイントを獲得する。

混乱の収拾
この項では「14.ヴィクターとの対決」のあとで迎える結末について述べる。
ヴィクターを打ち倒したあとも、市街の混乱はしばらく続く。そのうち警官隊や帝国陸軍が投入されて、ヴィクターの配下や深きものたちは排除される。
大勢がハイドラや深きものたちの姿を目にしたにも関わらず、政府はこの事件を闇へ葬ることに決める。
対外的には、不満分子による過激な行動、と説明される。ただしブラウン商会の犯罪についてはきちんと捜査がおこなわれ、関係者には厳正な処分がくだされる。
もちろんシェザも捜査の対象となるが、探索者たちが彼女の逮捕を望まないのならば、弁護をすることは可能だろう。
事件のあと、ウメと銀はこれまでと同じような生活に戻る。もちろん、探索者たちがなにか援助を申し出るならば、それをありがたく受け入れる。

類まれなる勇気と断固たる行動によってヴィクターを排除し、恐るべき災禍から街を守った探索者たちは、報酬として1D10+1D6正気度ポイントを獲得する。
もし大胆にもハイドラと戦い、これを撃退していたならば、追加で1D10正気度ポイントを獲得する。
 
忘れるなかれ、埒外との交わりが産み落とすのは、輝かしき繁栄ばかりではない。
それが育つとき、冷たく生臭い混沌もまた、陰鬱な泣き声をあげ続けている。
忘れるなかれ、陽の差す道を歩む者も、自らに流れる血が清浄であるなどと、確かに言うことはできないのだ。

参考書籍・サイト

◆坂本雅之(2005).『クトゥルフ神話TRPG クトゥルフと帝国』, KADOKAWA/エンターブレイン
◆セオダテ・ジョフリー(1998).『 横浜ものがたり―アメリカ女性が見た大正期の日本 (東西交流叢書 9)』, 丸善雄松堂
◆中村高寛(2017).『ヨコハマメリー:かつて白化粧の老娼婦がいた』, 河出書房新社
◆横浜開港資料館ホームページ. http://www.kaikou.city.yokohama.jp/index.htm(2022-12-7)