スウェーデン=フィンランド連合王国(バルト連合王国) Großsvensk-finska unionen(Baltiska unionen) | |
| 国の標語:瑞:För kungariket, med tiden 芬:Valtakunnan puolesta, Timesin kanssa | |
| 国歌 古き自由な北の国 我等の地 | |
| 公用語 | スウェーデン語、フィンランド語 |
| 首都 | ストックホルム |
| 最大の都市 | |
| 政府 国王カール16世グスタフ 首相フレドリック・ラインフェルト | |
| 面積 総計 788,726㎢ | |
| 人口 総計 19,200,000人 | |
| GDP 1兆150億ドル | |
| 通貨 | スウェーデン=フィンランド・クローナ |
| 時間帯 | UTC+1 (DST:+2) |
| ISO 3166-1 | SF/SWF |
| ccTLD | .sf |
| 国際電話番号 | 46 |
西にノルウェー、東がロシアとなっておりバルト海を挟む形でバルトと面している。
成立してから現在に至るまで、社会民主労働者党が与党であり続けており、中央党との連立体制である赤緑連合は2013年時点で63年間続いている。
スウェーデンとフィンランド両方を代表できる政党が連立を行っている中央党と社会民主労働者党以外は弱く、そもそも対抗する政党が存在しない状況や、赤緑連合が左派、右派を包括した連立政権である事、63年間のノウハウを持っている中央党と社会民主労働者党の圧倒的な優位から、投票率は著しく低下しており、政治そのものへの無関心である層の増加を生んでいる。
これらの事から近年では、赤緑連合の50年体制はスウェーデン=フィンランドの民主主義を完全に破壊したと評価する専門家も出てきており。
正式名称はスウェーデン=フィンランド連合王国であるが長いためバルト連合王国と呼ばれる事が多く、2011年以前までは正式な略称としては認められていなかったが、2011年に連合王国議会でバルト連合王国が正式に略称として承認された。
◆歴史概要
1930年
世界恐慌の波を受けて、スウェーデン産業の主力であった鉄鋼輸出の激減やとそれに伴う輸出額の激減、
失業者の発生により社会が不安定化。
1931年
スウェーデンは金本位制を放棄し、通貨クローナを約30%切り下げ。
1932年
失業対策を最優先課題としました。農業支援や大規模な公共事業を通じて需要を創出を目指す。
イマトラ電力が設立される(後のフォータム)
1933年
スウェーデンの失業率がピークに(23%)
ヨーロッパ系やトルコ、バルカン諸国からの移民受け入れを開始。
公共事業として、移民用の家の建築と合わせて貧困層が密集して暮らす地域にある、老朽化した家々が取り壊され官営住宅地としてfunkisと呼ばれる集団住宅地の建築が開始。
1936年
スウェーデンでKinnevikが設立され、ステンベック財閥の始まりとなる。
1938年
サルトショーバーデン協約が成立。
1939年
フィンランドが冬戦争へ突入、史実通りに独立を維持しつつ敗北。
フィンランドでは対ソ連の観点からドイツ、ノルウェー、スウェーデンなどの国家との連帯が意識され始める。
1940年
ハンソン首相は、フィンランドのリスト・リュティ大統領やマンネルヘイム将軍と会談を行う。
この時、フィンランド側から国家連合の設立を提案されるが保留となる。
スウェーデンでは、ヨーロッパ系やトルコ、バルカン諸国からの移民受け入れが始まる。
また、移民用の家の建築と合わせて貧困層が密集して暮らす地域にある、老朽化した家々が取り壊され、代わりに、浴室と窓が付き、全ての部屋に日が差し込む、“funkis”と呼ばれる近代的な住宅が提供された。
1941年
フィンランドへ連帯感と同情、ドイツの優勢とフィンランドに対する影響力の拡大への危惧、
そして、ソ連への恐れと非交戦国の維持が不可能であるという政府内の結論から、スウェーデンはフィンランドから提案されていた国家連合を承諾した。
ハンソン首相はマンネルヘイム将軍との会談後、議会で「北欧民族の家」宣言し、フィンランドと国家連合を設立、
国家元首をグスタフ5世として外交権と軍事権を統一しつつ、それ以外の権限をフィンランド議会とスウェーデン議会に残し、連邦化に近い統合を行って、スウェーデン=フィンランド連合王国として成立することとなった。
継続戦争では、スウェーデンとフィンランドの鉄道路線の規格が合わない事から、最初期はスウェーデン軍による
大規模な軍事作戦は行われなかったが、共同交戦国であるドイツへの資源支援などを行って継続戦争へ貢献した。
また、断種法については改正され本人の同意が必要となった。
1942年
強力な技術輸出制限(禁輸措置)を受け続けていた事を背景にアセアやラジオ製造企業により、コンデンサや抵抗器などの受動部品を自給自足する目的でRIFAが設立。
1945年
ドイツとソ連の講和会議に参加し、カレリアを奪還。
国家連合は解体の案も出たものの、ドイツへの対抗へとシフトすることになり、連合国と枢軸国のどちらにも属さない中立的立ち位置に再度戻る事になる。
戦時中であったため停止されていた選挙も再開され、ハンソン率いるスウェーデン社会民主労働者党とパーシキヴィ率いるフィンランド国民連合党による連立政権が樹立。
引き続き、スウェーデン=フィンランド連合王国の首相をハンソンが務めた。
また、この時同時に行われた地方政府としてのフィンランド共和国の選挙ではマンネルヘイムが首長として選出された。
一方でスウェーデン社会民主労働者党とフィンランド国民連合党の二つの政党は連立を組んでいるが全く傾向が違う政党同士であった為、なんども対立する事となる。
また、経済面では終戦により戦後需要が発生、スウェーデンのキルナ鉱山の鉄鉱石やSSABの鉄鋼の輸出量が増加したことなど様々な要因により好景気へ突入。
スウェーデンそしてフィンランドの未開発の鉱山の開発やインフラ開発が進む。
また、人手不足を背景に移民受け入れ数が拡大され、秘密裏にユダヤ人でさえも受け入れを行った。
1946年
ストックホルム市内で路面電車から降りようとした際、心臓発作により急死し臨時でパーシキヴィが首相に就任。
ハンソン首相はフィンランド、スウェーデン両国の独立と民主主義を守った英雄として、出生地であるマルメに国葬された。
国民連合党と社会民主労働者党の対立はハンソンの死去後激化し連立が解消。
社会民主労働者党が少数与党になり、ターゲ・エルランデルが首相に就任した。
1947年
「国民の家」を運用する為に、パーソナル・ナンバーが導入され、データが一元化される
同時に、教育無償化についても推進され始め、大学までの学費について無償化される方針が決定した。
また、コンデンサ需要の高まりを受けてEricsonがRIFAを買収し完全子会社化。
1948年
社会民主労働者党が国民連合党が優勢である事を背景に中央党との連立交渉を開始、外交、国防、貿易、そして地方(特にフィンランド地域やスウェーデン北部)へのインフラ投資の政策の決定権を
中央党が持つ代わりに社会民主労働者党は内政、労働法制、社会福祉政策、教育政策などの政策の決定権を持つ。
という歴史的妥協を行い、中央党と社会民主労働者党が成立、この連立は赤緑連合と呼ばれる事になる。
国家労働市場委員会も設立され、企業と労働者の関係の調節役として活躍していくことになる。
1949年
中央党がフィンランドへの政府投資権を得て、本格的なフィンランドの工業化が開始。
スウェーデン地域へのフィンランド企業の進出、フィンランドへのスウェーデン企業の進出、好景気を背景とした莫大な投資により工業化が大規模に進み、
バルティオン社やステ石油などの国営企業を建て、重工業化を推し進める事となる。
スウェーデンのヴァレンベリ家はフィンランド民間・国営企業にも多額の投資を行い、多額の財と影響力を得る事になる。
工業化と両地域企業の相互進出により、スウェーデン経営者連盟とフィンランド使用者連盟が合体、スウェーデン=フィンランド経営者連盟が設立。
同時に両国の労働組合同士も統合しスウェーデン=フィンランド労働者組合が設立される。
新規に設立された2つの組合によりサルトショーバーデン協約についてもフィンランドでの適応と維持で合意した。
1950年
連合王国成立後二回目となる総選挙、社会民主労働者党と中央党の赤緑連合が勝利し、この選挙にて優勢であり勝利が予想されていた国民連合党は敗北する事となる。
この1950年から長い赤緑連合の時代が始まる。
首相はターゲ・エルランデルが務め、副首相はユホ・クスティ・パーシキヴィ
1951年
「レーン=メイドナー・モデル」に基づき完全雇用を目指し「新しい仕事に就くための教育訓練と移動を徹底的に支援する」方針を決定。
解雇規制などが緩くなる変わりに、社会保障がより強固になり、コンヴックスと呼ばれる生涯学習機関が設立され労働者への再教育と高付加価値産業への割り振りが開始。
労働市場の柔軟性を維持しつつ、労働者のセーフティーネットを強力にし、起業などにも積極的に挑戦できるようになる。
と同時に、女性の社会進出増加などの目標が立てられる。
1952年
スウェーデンとフィンランドの政党の合体が始まり、社会民主労働者党とフィンランド社会民主党が合流、
フィンランド中央党、スウェーデン中央党の2党も合流し『中央党』として再出発を行うことを発表した。
ヘルシンキ・ヴァンター空港がヘルシンキオリンピックに合わせて開港される。
キルナ鉱山が地下坑道採掘へ本格的に移行される。
1953年
スウェーデン計算機局によりBESKが開発される。
当時世界最速として君臨する。
1954年
総選挙、社会民主労働者党と中央党による連立で政権が樹立され、首相はエルランデル、副首相はパーシキヴィが二期目を務めた。
また、憲法が改正され、内政についても、統一連合王国議会にも権限が追加された。
1955年
復讐戦争が勃発、ドイツが内戦中であり絶望的な状態で開戦したこの戦争は、カレリアでの遅滞戦闘に失敗し
本気のロシア軍との戦闘において敗北を重ね、早期に単独講和を行う事となる。
これに対して、議会ではエルランデルに対して不信任案が提出されるも否決になった。
この戦争はスウェーデン=フィンランドでは北方戦争とカレリアの喪失など共通点が多い為、復讐戦争ではなく「第二次大北方戦争」と呼ばれる場合が多く、連合王国にとってのトラウマ的存在となった。
経済面では、戦争の勃発による損害とドイツの内戦による鉄鋼材料の輸出減少により、大不況に陥ることとなり。
戦後、不況への対策、失業者対策の為にフォルクヘメット(国民の家)の思想に基づき大規模な国家システムの改造が開始された。
具体的には、経済政策においてより「官民」による連帯を強める事を目的として政府の経済政策決定権を、国家戦略委員会設立し移管。
同時に「官学」の連帯強化の為に、科学研究助成金機構、国家研究投資機構、国家イノベーション庁を設立。
中小企業などが不況により弱体化した為、これの支援と中小企業の増加によるイノベーションを狙った「起業支援法」と「中小企業支援法」の制定。
パーソナル・ナンバーを利用した全行政を一元管理の実行、労働市場改革、ヴァレンベリ家との国家共同投資協定の締結など多岐にわたる改革が行われ。
現在の制度の骨組みが完成する。
思想の面では、ヨハン・ルドルフ・チェレーンの提唱していた「アウタルキー」への注目が集まりはじめる。
1956年
ユホ・クスティ・パーシキヴィが急逝、この世界でも回顧録を書き終わる事は無かった。
後任はウルホ・ケッコネンが務める事になる。
第二次大北方戦争からの復興が始まる。
Saab社が自社の研究所向けにBESKのコピー機としてSARAを製造。
ゲルマニウム・トランジスタ製造をSvenska Elektronrörが開始。
1957年
ドイツ内戦から復活したドイツの復興、アウトバーン再整備などの需要に相乗りする形で1955年より始まっていた不況を打破し、
この好景気に合わせ、王国でもフィンランド地域とスウェーデン地域を結ぶ鉄道や高速道路などのインフラの整備や、ケッコネンによる国家戦略委員会を通した開発独裁が開始され、
特に第二次産業を中心とする工業分野に集中投資を決定した。
また、LKAB、Stora Kopparbergs Bergslags AB、Gränges AB、Norrbottens Järnverk AB、Outokumpuなどの企業に働きかけ、未加工の鉄鉱石輸出を減らし、鋼鉄や製品へ加工しての輸出を増加させた。
フィンランド地域では、地方創生の為に国家共同投資協定に基づきウェンベリ家との協力を行って投資がされ、バルメット・オートモーティブやシスオート、
などのフィンランド地域の企業にも、スウェーデンの巨大資本であるウェンベリ家の資本が入っていくこととなった。
また、宇宙開発への投資もウェンベリ家と政府が主導し促進され、キルナ地球物理学観測所(現・スウェーデン=フィンランド国立宇宙物理学研究所)が設立された。
キルナ地球物理学観測所はスウェーデン=フィンランド初の本格的な宇宙科学研究の拠点として役割を果たしていくこととなる。
この、キルナ地球物理学観測所はスウェーデン=フィンランド初の本格的な宇宙科学研究の拠点として役割を果たしていくこととなる。
史実から遅れて、国民皆保険制度も成立し、1955年から行われていた国家システムの改造がひと段落する。
外交的にはケッコネン率いる中央党は中立国家として、米独露の3国と外交をしつつ、基本的にドイツ寄りの立場を取るという方針を固め、この外交方針は、ケッコネン路線と呼ばれる事となる。
Oy Mainos-TV-Reklamもこの時期に設立され、スウェーデン=フィンランド初の商業テレビ運営が開始される。
好景気に合わせて、Facitからスウェーデン=フィンランド初の国産量産型コンピュータが発売されデータ処理などに活用され始める。
1958年
総選挙、社会民主労働者党と中央党が勝利、ケッコネンの実力が評価され中央党が大勝し、首相はウルホ・ケッコネン、副首相はエルランデルとなった。
この2人のタッグは、長年続き、独裁体制とも揶揄される程長い物となる。
国家戦略委員会によりヴァーサでは、産業区が設立され外資などを積極的に呼び込み、ストックホルムとヴァーサ、ヘルシンキとヴァーサを結ぶ大規模な鉄道インフラの建設が始まる。
特に軍需産業企業に対して優遇処置を行い、Saabやヘグランド、Vammas、Lapua、Sisu Defence、Vihtavuori、Finavitecなどの後にパトリアとなる企業などが積極的に工場を設置した。
1959年
隣国ノルウェーからサーミ人や難民の受け入れを開始し、ストックホルムとヘルシンキを結ぶ鉄道が開通。
更に、移民受け入れ数を増やし、無償の成人向け語学教育などの移民向け教育などの制度を拡充。
社会民主労働者党と中央党は「国民の家」に基づく考え方で家に統合させるという方針を展開し、移民に対して、スウェーデン=フィンランドの文化や歴史についての教育を推進した。
更に国家戦略委員会から、都市近郊に増加する人口需要を満たすため、労働者階級のための住宅地区を建設する長期計画として「住宅100万戸計画」(Miljonprogrammet)が打ち出される。
大都市への集積、密集の加速により産業を活発化させる事を狙う。
1960年
ノキアのエレクトロニクス部門が設立。
研究炉(原子力)が稼働を開始。
ストックホルム・アーランダ空港が運用開始。
Svenska Elektronrörが史実よりも早くRIFAに吸収合併され、半導体製造などが強化される。
1962年
総選挙、社会民主労働者党と中央党の赤緑連合が勝利、首相はケッコネン、副首相はエランデル。
国民年金法が改正され、年金運営機関による年金の運用が開始、インベストール社やイルマリネン社、ヴァルマ社により運用され大規模な国内・国外へ分散投資を行う。
エリクソン社、スウェーデン王立工科大学、科学研究助成金機構による共同でストックホルム人工知能研究所を設立、スウェーデン=フィンランドでのAI研究において最初の一歩となる。
更にスウェーデン王立工科大学では電気・コンピュータ工学部人工知能学科が設立され、スウェーデン初の人工知能について学ぶことのできる学科となった。
国家研究投資機構ではAI研究についての特別枠を設置し、AI研究への投資を促進する。
機械学習についての研究を行っており、決定木モデルと多層パーセプトロンの研究が早速開始された。
1963年
オーゲスタに熱出力70 MWthの重水炉が建設される。
原油価格が低い為、経済性が悪く1973年に停止。
Saab「ビゲン」に搭載されるCK37のプロトタイプが完成。
Saabによる開発であったが、これに目を付けたEricsonがSaabと共に民間でCK37のような「リアルタイム処理」「高信頼性(耐障害性)」「イベント駆動型」
というような性質を持つ通信インフラ用システムの研究を開始。
1964年
EricsonとSaabの共同によりDatasaab-Ericsonが設立される。
CK37の性能を見た軍部の働きかけと当時はやっていた「アウタルキー」思想の影響、Ericsonによる早期のにより史実よりも
早くモノリシックICについての研究がRIFAとスウェーデン計算機局の共同で開始される。
1965年
キルナ近郊にあるスヴァッパヴァーラ鉱山が稼働開始。
RIFAの半導体を使用して史実とは違いDatasystemとスウェーデン計算機局によりTRASKを開発。
半導体(トランジスタ)を全面的に採用しゲルマニウム製・初期のシリコン製の半導体を使用した野心的な設計となる。
1966年
赤緑連合勝利,首相はケッコネン、副首相はエランデル。
ドイツの移民方針を模倣し、職業技術を持ったアラブ系の移民の受け入れを開始、
即時就労ビザや地方移住補助、国籍取得を5年で可能にする法案を成立させる一方で、
フィンランドとの統合で発生した社会統合の問題から学び、スウェーデン語やフィンランド語、
スウェーデン=フィンランドの文化や歴史を学ぶ意欲のある者に限定して、移民による人口増加を推進した。
Datasaab-Ericsonより、DSE-22(史実D22)が発表される。
1967年
モノリシックICの試作品が完成する。
1968年
アイティク鉱山が稼働開始。
銅、金、銀などが採掘される。
1969年
Saab社とScania社がヴァレンベリ家の企業グループの元で合併。
サーブの自動車部門がScaniaのエンジン生産設備を利用できるようになり、自社製造のエンジンの製造を始める。
RIFAによりモノシリックICの製造が開始され、CK37用のモノシリックICの開発も開始される。
1970年
赤緑連合が勝利、首相はケッコネン、副首相はエランデル。
1971年
Standard Radio & TelefonとSaab-Scania、Swedish Development CompanyのジョントベンチャーとしてStansaabが設立される
1972年
Swedturn(スウェドターン)がCNC旋盤を開発。
マルモ空港が運営開始。
RIFAによりCK37用のモノシリックICの製造が開始。
1973年
オウル市にノキアが進出。データ法が制定され国家戦略として通信インフラ整備を開始。
国家戦略委員会を通して、特に地方との格差是正を目的に政府・労働組合・企業(通信・製造)が協調し、全国への高速通信網整備を進め、
1990年代後半までにほぼ全国で高速通信が利用可能となる。
オウル市にも高度な通信インフラが整備される。
1974年
赤緑連合が勝利、首相はケッコネン、副首相はエランデル。
エリクソンとTeleverketが共同開発したデジタル交換機AXEが登場。
Datasaab-Ericsonにより製造された通信用途へ最適化されたICが搭載される。
スウェーデン現行法となる1974年憲法が導入される。
トゥオモ・スントラによりALD技術が提唱される。
1975年
ウラン需要の増加によりランスタッド鉱山の開発が再開。
EricsonとSaabのIC製造部門
断種法が改正され、本人の明確な同意なしには不妊手術を認めない方針へ
1977年
オウル市にEricsonが進出。
1978年
Stora Kopparbergs Bergslags AB、Gränges AB、Norrbottens Järnverk ABが統合し、SSABが設立。
StansaabがDatasaab-Ericsonに統合され、更にITエリクソンから自社2部門を追加で統合しエリクソン・インフォメーション・システムズ社
総選挙は赤緑連合が勝利、首相はケッコネンだが、エランデルは退任し弟子とも称されたオロフ・パルメに交代した。
この時代から投票率が低下し始め、スウェーデン=フィンランドの民主主義体制の弱体化が指摘され始める。
また、オイルショックの影響で、石油以外のエネルギー源が求められ始め、原子力や水力発電所の研究、建設が促進される。
1979年
タンペレ=ピルッカラ空港が運営開始
ストックホルム人工知能研究所がネオコグニトロンの影響を受け、畳み込みニューラルネットワークの研究を始める(成果は出ず…)
1980年
オウル市にEricsonが本社機能を移転
SFNETの開発がスウェーデン=フィンランドのコンピュータ科学者により始まり、フィンランド地域のコンピューター学者の
強い要望や、ストックホルムよりもオウルへとIT産業が集積し始めていた影響から、FUNETに近いオープンかつ自由度の高い設計のネットワークとなる。
1981年
エリクソンとノキアを中心に全自動移動体通信システム「NMT」を開始。
Datasaab-Ericsonをエリクソンが完全子会社化。
ステンベック財閥によりComvikが設立される、ヴァレンベリ家などからの支援も受けられた事から、史実のTeleverketとの大規模な対立は避けられる。
この結果、ComvikはEricsonの設備を購入する事ができ、早期に通信網を整備することができた。
ノキアとオウル大学によりオウル人工知能研究所が設立される。
1982年
総選挙において、赤緑連合が勝利し、史実とは違いケッコネンは引退をせずに継続。
首相はケッコネン、副首相をパルメが務める。
欧州最大のテクノロジーパークが設置、同時に国家共同投資協定を利用した重点的なIT投資が開始され、エリクソンとノキアに恩恵を与える。
軍事では、次世代MBT戦車開発計画であるstrv2000計画が始動。
1983年
ランスタッド鉱山が再稼働。
1980年にウランなどの採掘が行われ、原子力発電所などへの供給が行われる。
1984年
XA-180にサウジアラビアから890両の発注を受け、シスオートが工場を拡大、ヴァーサに工場が建てられる。
SFNETが稼働を開始。
また、NMTとの接続について着目され始め、研究が開始される。
特に軍部ではこれらの技術が次世代の戦争において不可欠になる者であるとの考え方が強まり、国家研究投資機構を通して
大規模な軍用SFNETやNMTを利用した移動端末によるSFNETへの接続研究への投資が開始される。
1985年
金融自由化、銀行の貸出枠規制を撤廃。
OutokumpuとNokiaの共同合弁会社としてOkmeticが設立。
オウルへ本社を置く。
1986年
RP8601プロジェクトがCarlstedt Elektronikにより開始される、このプロジェクトは科学研究助成金機構の目に留まり、支援金が出される。
また、2月28日の深夜にパルメ副首相が暗殺され、更にケッコネンが死去、赤緑連合が大混乱に陥る中総選挙に突入
赤緑連合が辛勝、エランデルのもう一人の弟子であった、イングヴァール・カールソンが首相に就任する。
Ericsonのコンピューター科学研究所で「数万代の電話を落とさずに繋ぐ」為の言語Erlangの開発が開始。
1987年
strv2000計画においてMBTの重量が80t級になる可能性がある事や大規模輸送に耐える事の出来る道路インフラが求められ始めた事から
Peab、YIT、GRK、NYABなどの企業によりフィンランドを中心として80t級MBTの移動に耐えうる橋そして道路の建設が開始される。
独立した広告収入型民放テレビ局としてステンベック財閥によりTV3が設立される。
SFNETを参考にステンベック財閥のTele2がSFIPNETを開始。
当初はUUCPを用いたメールやニュースを転送するだけのネットワークだったが、1991年に拡大し現在のような形へ
1989年
G.E.I.S.T. (ガイスト)に倣い、パーソナル・ナンバーを利用した電子政府化の研究が開始。
LeNetの影響を受けて畳み込みニューラルネットワークの研究がストックホルム人工知能研究所が強化。
Saab AutomobileがVolvo groupの傘下へ
1990年
高速鉄道(X2000)が運航開始。
ストックホルムとヨーテボリ間開通後
ストックホルムとヘルシンキを結ぶものやマルメ・カールスタッド・エステルスンド・ボロース・スンツヴァルなどへの路線網はもちろん
ヴァーサやエスポー、タンペレ、ヴァンター、オウル、トゥルクなどにも展開している。
また、環境負荷への配慮などの面から炭素税が導入され、暖房用燃料と輸送用燃料の税率に異なる税率を設定しており、暖房用燃料には4ドル/tCO₂、輸送用燃料6ドル/tCO₂
という設定となっている、現在では暖房用燃料には66ドル/tCO₂、輸送用燃料72ドル/tCO₂に増額されている。
同時に経営者連盟による要請から法人税の大幅減税と産業部門と工業部門に大幅な軽減税率の適応を実施。
1991年
住宅ローンなどの「利子控除」を大幅に縮小する抜本的な税制改革を実施、これにより、借金の負担(実質金利)が急激に跳ね上がり、不動産需要が冷え込んで価格が暴落し金融危機が発生。
この影響を受けたノキアが経営の悪化に伴い、比較的損害が小さい(統合しなければならない程には大損害)エリクソンへと合併され、Ericson-Nokiaが成立する。
大規模な経営最適化により失業者が多数発生するも、ベンチャー企業などへの挑戦産官学の強力な連携によりITクラスターが形成され始める。
金融危機への支援として、軍部がNMTを利用した移動端末によるSFNETへの接続技術、大規模な軍用SFNET研究への投資をさらに拡大。
政府はIT産業の急成長に合わせて、オウル市をIT企業都市として認定しIT系のベンチャー企業に対して支援を開始し、
ICや高度な通信機器、通信網を必要とする軍による強力な需要により不況を耐え抜く。
また、2G通信サービスがEricson-Nokiaの基地局インフラを使用しRadiolinjaにより開始される。
Bitboysが設立。
Linuxがリーナス・トーバルズにより公開され、サーバー運営からスマホにまで使える国内の独自のOSを欲していたEricson-Nokiaの目に留まり
スカウトされ、以後Ericson-Nokia傘下のLinux Foundationで開発をすることになる。
これによりMaemoやMeeGoなどのOS開発にもLinux Foundationが関わる事になる。
1992年
ヴァーサにStrv141B工場が設置される。
変動相場制へ移行し、不良債権の迅速な処理と銀行を国有化し処理。
1993年
ACREOで「半導体材料としてのSiC」の研究が開始。
Televerketが法人化されTeliaが設立される。
SFNET Finlandが設立され、インターネット産業へ参入。
IPネットワークの相互接続を行うFICIXが設立。
1994年
総選挙、赤緑連合が勝利、社会民主労働者党が大勝し、カールソンが首相に就任
フィンランド地域の電話局を源流としてTelecom Finlandが設立される。
Erlangがオープンソース化され、管理の為にEricson-NokiaによりErlang Foundationが設立される。
Stokabがストックホルム市により設立され、市自ら通信インフラの整備を開始。
これに続いて、オウル市でもEricson-Nokiaが中心となって通信インフラを整備。
1995年
アストラ社がファルマシアを買収、ファルマシアを子会社化した後、バイオ・抗がん剤部門に対して大規模な投資を行う。
ロセックによる莫大な富を使用して、続いてオリオン、レイラス、ガンブロを買収し、フィンランドでの活動などの面を考え、アストラ・オリオン・ファーマへ社名を変更。
アストラ社の業界再編の動きに合わせて、ウプサラとトゥルクを重要医療都市として指定し本社を構える医療関係企業に法人税などの減税を行う。
Saab-Scaniaが分離し、ScaniaとSaabとして別々の企業へ戻る。
MySQLが設立される。
1996年
IT法の制定、軍用のパケット通信システム網が完成。
SiCの半導体特性を研究する国家プログラムの中心拠点としてリンショーピン大学が指定。
回帰型ニューラルネットワークの研究がストックホルム人工知能研究所で開始。
電力の自由化が開始される。
1997年
G.E.I.S.T. を参考に北欧でEricson-NokiaやSaab、人工知能研究所、Telia、Telecom Finland、Radiolinja、Ericson-Nokia子会社のDatasaab-EricsonなどのIT関連企業や研究所が関わり
SFNETなど独自発展のインターネットやパーソナル・ナンバーを利用した電子政府システムとして「フォルク・ポータル」を開発。
国際協調などを気にする必要性が薄い環境であった為、Ericson-Nokia主導でGPRSのようなパケット通信システム「MPD(Bifrost)」2.5Gが開始される。
1998年
Teliaが2.5Gパケット通信サービスを開始、それに続いて同年に社名を変更しSoneraとなったTelecom Finlandや、Radiolinjaなども後に続く。
機能を搭載した携帯によるインターネット接続が可能に
Ericson-Nokiaによりオウルに製造拠点が設置され、大規模な生産が開始、瞬く間に国内に広がる。
「すべての国民にブロードバンドを」を標語に国家戦略委員会が主導しダークファイバー網の整備を整備。
更に企業が従業員に貸与するパソコンの費用を非課税とすることでPC普及を促進。
Symbian OSがEricson-Nokiaの出資により設立され、OSはNokiaphone+などに搭載された。
総選挙では、赤緑連合が勝利しヨーラン・ペーションが首相に就任
ストックホルムとトゥルクを結ぶ大規模鉄道道路併用橋および併用海底トンネルの建設が政府主導で、スカンスカやNCCなどのゼネコン企業が関わり、ドイツ資本からの投資を受けつつ開始。
軍事的な目的から80t級MBTを貨物1両あたり2両積んでも維持できる
ネステ石油とイマトラ電力が合併し、フォータムが設立される。
1999年
「フォルク・ポータル」が稼働開始される。
その後、ほとんどすべての行政的処理を「フォルク・ポータル」とSFNETを通してオンラインで行えるようになる。
VolvoがScaniaを買収し、Scaniaのモジュール化設計技術を入手。
ブランドとしては両方続けていく方針で、エンジンやシャーシなどの部品関係のモジュール化を開始する。
「フォルク・ポータル」の稼働に合わせて、Finansiell ID-Teknik BIDが史実より4年早く設立。
「フォルク・ポータル」への認証としてBankIDなどが使用できるようになる。
2000年
Ericson-Nokiaは新たにオウル市に半導体工場を設置、Nokiaphone+用の半導体製造を行う。
また、半導体製造部門を独立させ「Nordic FabCo」を設立、RIFAを設計へと集中させる。
BankID(PC向け)の発行が開始され、納税などの処理がオンライン上で完結するようになる。
インベストールの支援を受けてTeliaがSoneraとEuropolitanの買収を決行し、TeliaSoneraが設立される。
また、統合後はオウル市の環境が良い事から、本社機能をオウル市へ移転。
各地で出来たIT企業がオウルへ集積されていくという流れが本格化し始め、オウルのITクラスター化がより進む。
2001年
人工知能研究所がランダムフォレストの発表を受けて決定木をベースにした高速かつ高精度な機械学習アルゴリズムを目指し独自アルゴリズムの研究を開始。
勾配ブースティングを用いたモデルの開発を開始する。
2002年
総選挙、赤緑連合が勝利しタルヤ・ハロネンが首相に就任。
赤緑連合以外の全ての政党が否決するも赤緑連合の強行採決により統一条約へ加盟が決定。
この強行採決はスウェーデン=フィンランド民主主義の死亡診断書とも揶揄された。
BitboysがEricson-Nokiaに買収され、Ericson-Nokia Graphicsとして再建。
BankIDの発行銀行が拡大、さらに携帯でもBankIDが使用可能に。
2003年
ドイツ経済との連帯を強めるべく、オランダ、ドイツ企業などの統一条約の企業の進出に対して優遇処置を実行
更に同様にスウェーデン=フィンランドの企業にドイツ、オランダなどへ進出することを推進し、経済活動の活発化に努める。
統一条約加盟国の国民に対して就労ビザなどの制限を撤廃し、スウェーデンで働き、ドイツやオランダへ帰ることができるような体制を築く。
Ericson-Nokiaは史実とは違いアメリカ市場ではなく、ドイツやオランダなどの統一条約加盟国や中国の市場をメインターゲットとする方針に転換し
ドイツやオランダなどの統一条約加盟国や中国の市場向けの製品を開発し始める。
また、これに合わせて、市場の拡大を予測し、バッテンフォールは子会社であるフォータムを完全統合・ブランドを統一。
統一条約加盟国に対して安い水力発電などのエネルギー提供を目指す。
また、軍事面ではサウジアラビアからAMVに1730両、発注がかかり、パトリアグループは一気成長。
フィンランド内にCimcorpやValmet、Wapiceなどの企業によりオートメーション化された多数のパトリアAMV工場建設され、
サウジアラビアにも同様のオートメーション化された工場が建設された。
2004年
Picosunが設立。
Ericson-Nokiaやアストラ・オリオン・ファーマ社などの重要企業にビックデータ網への無制限のアクセスを許可。
2005年
Maemoがリリースされ、Nokiaphone+などに搭載され始める。
リンショーピン大学の研究成果を基に、SiCウエハー製造企業であるNorstelが設立。
Klarnaが設立される。
2006年
Spotify設立。
総選挙で赤緑連合が勝利、フレドリック・ラインフェルトが首相に就任。
Volvo傘下のSaab AutomobileがKoenigsegg傘下へ
多層ニューラルネットワークを用いたオートエンコーダを発表を受けてスウェーデン人工知能研究所とスウェーデン王立工科大学が
深層学習についての研究プロジェクト(オーロラ・プロジェクト)を立ち上げ、国家研究投資機構を通してEricson-Nokiaや王国政府、ウェンベリ家などの出資を受けながら研究を開始。
2007年
バッテンフォールがフォータムを買収し子会社化。
データセンターなどがEricson-NokiaなどのSFNETの運用者やアストラ社などの医療企業によって建設され始める。
2008年
米国発の金融危機が発生、通貨価値が暴落するも1992年の教訓を生かし
問題銀行の即座の「国有化」、最大の弱点「バルト三国リスク」の封じ込めなどを行う。
Ericson-NokiaによりMySQLが買収。
2009年
Ericson-Nokiaによりストックホルムで世界初の商用LTE(4G)サービスが開始。
同時に4Gに対応したNokiaphone+を発売しシェア拡大を狙う。
世界的な需要減退によりGDPは約5%減少し、Ericson-NokiaのNokiaphone+がアンドロイド搭載のスマートフォンやiPhoneに対して敗北し始め、
これへの対応としてアンドロイドを参考としたアプリストアの開設やSpotifyなどに対応させるなどの対策を打ち出す。
2010年
総選挙、赤緑連合が勝利し、首相にはラインフェルトが就く事となった。
Ericson-Nokiaが主導で5Gの研究を本格的に開始。
RautaruukkiがSSABに統合される。
2011年
Ericson-NokiaはASMLと契約しASML製の半導体製造装置を導入
オウルにある半導体製造工場に導入し、高度な半導体の製造を開始する。
Ericson-Nokiaにより飼い殺しにされることを嫌ったBitboysの技術者によりSiru Innovationsが設立される。
ACREOのSiC研究チームをスピンオフさせる形で、Ascatronが設立。
Ericson-Nokia Graphicsにより、Ericson-Nokia製スマートフォン用GPUやPC・データセンター用GPUの開発が開始される。
製造は「Nordic FabCo」が担当。
2012年
オーロラ・プロジェクトにScania(Volvo傘下)、Volvoなどが参入し自動運転などの研究開発を新たに進める。
Nokiaphone+シリーズへのAIアシスタント搭載を目指し、Ericson-Nokiaとスウェーデン王立工科大学、スウェーデン人工知能研究所が共同で開発を開始。
ストックホルムとトゥルクを結ぶ大規模海上鉄道が完成する。
Swishのサービスが開始、スウェーデン=フィンランド国内で
カウニスヴァーラ鉱山が稼働開始。
OkmeticがAscatronやPicosun、Norstelの買収を計画、素材市場において垂直統合を狙う。
インベストールとEricson-Nokiaがこれらの計画を後押し、12月に買収。
2013年(現在)
社会民主労働者党のハンソン政権の影響による国民の家に基づく政治体制を築いている。
第二次大北方戦争のトラウマから、軍事費は高い水準にある。
また中立国であった影響から、自国製、国産に拘る姿勢を見せており、MBTも史実とは違い独自開発の物を使用している。
軍事技術の民間転用も盛んであり、起業家精神の元で起業をする人間も多い。
R&D投資額がGDP比5.4%へ到達。
1930年
世界恐慌の波を受けて、スウェーデン産業の主力であった鉄鋼輸出の激減やとそれに伴う輸出額の激減、
失業者の発生により社会が不安定化。
1931年
スウェーデンは金本位制を放棄し、通貨クローナを約30%切り下げ。
1932年
失業対策を最優先課題としました。農業支援や大規模な公共事業を通じて需要を創出を目指す。
イマトラ電力が設立される(後のフォータム)
1933年
スウェーデンの失業率がピークに(23%)
ヨーロッパ系やトルコ、バルカン諸国からの移民受け入れを開始。
公共事業として、移民用の家の建築と合わせて貧困層が密集して暮らす地域にある、老朽化した家々が取り壊され官営住宅地としてfunkisと呼ばれる集団住宅地の建築が開始。
1936年
スウェーデンでKinnevikが設立され、ステンベック財閥の始まりとなる。
1938年
サルトショーバーデン協約が成立。
1939年
フィンランドが冬戦争へ突入、史実通りに独立を維持しつつ敗北。
フィンランドでは対ソ連の観点からドイツ、ノルウェー、スウェーデンなどの国家との連帯が意識され始める。
1940年
ハンソン首相は、フィンランドのリスト・リュティ大統領やマンネルヘイム将軍と会談を行う。
この時、フィンランド側から国家連合の設立を提案されるが保留となる。
スウェーデンでは、ヨーロッパ系やトルコ、バルカン諸国からの移民受け入れが始まる。
また、移民用の家の建築と合わせて貧困層が密集して暮らす地域にある、老朽化した家々が取り壊され、代わりに、浴室と窓が付き、全ての部屋に日が差し込む、“funkis”と呼ばれる近代的な住宅が提供された。
1941年
フィンランドへ連帯感と同情、ドイツの優勢とフィンランドに対する影響力の拡大への危惧、
そして、ソ連への恐れと非交戦国の維持が不可能であるという政府内の結論から、スウェーデンはフィンランドから提案されていた国家連合を承諾した。
ハンソン首相はマンネルヘイム将軍との会談後、議会で「北欧民族の家」宣言し、フィンランドと国家連合を設立、
国家元首をグスタフ5世として外交権と軍事権を統一しつつ、それ以外の権限をフィンランド議会とスウェーデン議会に残し、連邦化に近い統合を行って、スウェーデン=フィンランド連合王国として成立することとなった。
継続戦争では、スウェーデンとフィンランドの鉄道路線の規格が合わない事から、最初期はスウェーデン軍による
大規模な軍事作戦は行われなかったが、共同交戦国であるドイツへの資源支援などを行って継続戦争へ貢献した。
また、断種法については改正され本人の同意が必要となった。
1942年
強力な技術輸出制限(禁輸措置)を受け続けていた事を背景にアセアやラジオ製造企業により、コンデンサや抵抗器などの受動部品を自給自足する目的でRIFAが設立。
1945年
ドイツとソ連の講和会議に参加し、カレリアを奪還。
国家連合は解体の案も出たものの、ドイツへの対抗へとシフトすることになり、連合国と枢軸国のどちらにも属さない中立的立ち位置に再度戻る事になる。
戦時中であったため停止されていた選挙も再開され、ハンソン率いるスウェーデン社会民主労働者党とパーシキヴィ率いるフィンランド国民連合党による連立政権が樹立。
引き続き、スウェーデン=フィンランド連合王国の首相をハンソンが務めた。
また、この時同時に行われた地方政府としてのフィンランド共和国の選挙ではマンネルヘイムが首長として選出された。
一方でスウェーデン社会民主労働者党とフィンランド国民連合党の二つの政党は連立を組んでいるが全く傾向が違う政党同士であった為、なんども対立する事となる。
また、経済面では終戦により戦後需要が発生、スウェーデンのキルナ鉱山の鉄鉱石やSSABの鉄鋼の輸出量が増加したことなど様々な要因により好景気へ突入。
スウェーデンそしてフィンランドの未開発の鉱山の開発やインフラ開発が進む。
また、人手不足を背景に移民受け入れ数が拡大され、秘密裏にユダヤ人でさえも受け入れを行った。
1946年
ストックホルム市内で路面電車から降りようとした際、心臓発作により急死し臨時でパーシキヴィが首相に就任。
ハンソン首相はフィンランド、スウェーデン両国の独立と民主主義を守った英雄として、出生地であるマルメに国葬された。
国民連合党と社会民主労働者党の対立はハンソンの死去後激化し連立が解消。
社会民主労働者党が少数与党になり、ターゲ・エルランデルが首相に就任した。
1947年
「国民の家」を運用する為に、パーソナル・ナンバーが導入され、データが一元化される
同時に、教育無償化についても推進され始め、大学までの学費について無償化される方針が決定した。
また、コンデンサ需要の高まりを受けてEricsonがRIFAを買収し完全子会社化。
1948年
社会民主労働者党が国民連合党が優勢である事を背景に中央党との連立交渉を開始、外交、国防、貿易、そして地方(特にフィンランド地域やスウェーデン北部)へのインフラ投資の政策の決定権を
中央党が持つ代わりに社会民主労働者党は内政、労働法制、社会福祉政策、教育政策などの政策の決定権を持つ。
という歴史的妥協を行い、中央党と社会民主労働者党が成立、この連立は赤緑連合と呼ばれる事になる。
国家労働市場委員会も設立され、企業と労働者の関係の調節役として活躍していくことになる。
1949年
中央党がフィンランドへの政府投資権を得て、本格的なフィンランドの工業化が開始。
スウェーデン地域へのフィンランド企業の進出、フィンランドへのスウェーデン企業の進出、好景気を背景とした莫大な投資により工業化が大規模に進み、
バルティオン社やステ石油などの国営企業を建て、重工業化を推し進める事となる。
スウェーデンのヴァレンベリ家はフィンランド民間・国営企業にも多額の投資を行い、多額の財と影響力を得る事になる。
工業化と両地域企業の相互進出により、スウェーデン経営者連盟とフィンランド使用者連盟が合体、スウェーデン=フィンランド経営者連盟が設立。
同時に両国の労働組合同士も統合しスウェーデン=フィンランド労働者組合が設立される。
新規に設立された2つの組合によりサルトショーバーデン協約についてもフィンランドでの適応と維持で合意した。
1950年
連合王国成立後二回目となる総選挙、社会民主労働者党と中央党の赤緑連合が勝利し、この選挙にて優勢であり勝利が予想されていた国民連合党は敗北する事となる。
この1950年から長い赤緑連合の時代が始まる。
首相はターゲ・エルランデルが務め、副首相はユホ・クスティ・パーシキヴィ
1951年
「レーン=メイドナー・モデル」に基づき完全雇用を目指し「新しい仕事に就くための教育訓練と移動を徹底的に支援する」方針を決定。
解雇規制などが緩くなる変わりに、社会保障がより強固になり、コンヴックスと呼ばれる生涯学習機関が設立され労働者への再教育と高付加価値産業への割り振りが開始。
労働市場の柔軟性を維持しつつ、労働者のセーフティーネットを強力にし、起業などにも積極的に挑戦できるようになる。
と同時に、女性の社会進出増加などの目標が立てられる。
1952年
スウェーデンとフィンランドの政党の合体が始まり、社会民主労働者党とフィンランド社会民主党が合流、
フィンランド中央党、スウェーデン中央党の2党も合流し『中央党』として再出発を行うことを発表した。
ヘルシンキ・ヴァンター空港がヘルシンキオリンピックに合わせて開港される。
キルナ鉱山が地下坑道採掘へ本格的に移行される。
1953年
スウェーデン計算機局によりBESKが開発される。
当時世界最速として君臨する。
1954年
総選挙、社会民主労働者党と中央党による連立で政権が樹立され、首相はエルランデル、副首相はパーシキヴィが二期目を務めた。
また、憲法が改正され、内政についても、統一連合王国議会にも権限が追加された。
1955年
復讐戦争が勃発、ドイツが内戦中であり絶望的な状態で開戦したこの戦争は、カレリアでの遅滞戦闘に失敗し
本気のロシア軍との戦闘において敗北を重ね、早期に単独講和を行う事となる。
これに対して、議会ではエルランデルに対して不信任案が提出されるも否決になった。
この戦争はスウェーデン=フィンランドでは北方戦争とカレリアの喪失など共通点が多い為、復讐戦争ではなく「第二次大北方戦争」と呼ばれる場合が多く、連合王国にとってのトラウマ的存在となった。
経済面では、戦争の勃発による損害とドイツの内戦による鉄鋼材料の輸出減少により、大不況に陥ることとなり。
戦後、不況への対策、失業者対策の為にフォルクヘメット(国民の家)の思想に基づき大規模な国家システムの改造が開始された。
具体的には、経済政策においてより「官民」による連帯を強める事を目的として政府の経済政策決定権を、国家戦略委員会設立し移管。
同時に「官学」の連帯強化の為に、科学研究助成金機構、国家研究投資機構、国家イノベーション庁を設立。
中小企業などが不況により弱体化した為、これの支援と中小企業の増加によるイノベーションを狙った「起業支援法」と「中小企業支援法」の制定。
パーソナル・ナンバーを利用した全行政を一元管理の実行、労働市場改革、ヴァレンベリ家との国家共同投資協定の締結など多岐にわたる改革が行われ。
現在の制度の骨組みが完成する。
思想の面では、ヨハン・ルドルフ・チェレーンの提唱していた「アウタルキー」への注目が集まりはじめる。
1956年
ユホ・クスティ・パーシキヴィが急逝、この世界でも回顧録を書き終わる事は無かった。
後任はウルホ・ケッコネンが務める事になる。
第二次大北方戦争からの復興が始まる。
Saab社が自社の研究所向けにBESKのコピー機としてSARAを製造。
ゲルマニウム・トランジスタ製造をSvenska Elektronrörが開始。
1957年
ドイツ内戦から復活したドイツの復興、アウトバーン再整備などの需要に相乗りする形で1955年より始まっていた不況を打破し、
この好景気に合わせ、王国でもフィンランド地域とスウェーデン地域を結ぶ鉄道や高速道路などのインフラの整備や、ケッコネンによる国家戦略委員会を通した開発独裁が開始され、
特に第二次産業を中心とする工業分野に集中投資を決定した。
また、LKAB、Stora Kopparbergs Bergslags AB、Gränges AB、Norrbottens Järnverk AB、Outokumpuなどの企業に働きかけ、未加工の鉄鉱石輸出を減らし、鋼鉄や製品へ加工しての輸出を増加させた。
フィンランド地域では、地方創生の為に国家共同投資協定に基づきウェンベリ家との協力を行って投資がされ、バルメット・オートモーティブやシスオート、
などのフィンランド地域の企業にも、スウェーデンの巨大資本であるウェンベリ家の資本が入っていくこととなった。
また、宇宙開発への投資もウェンベリ家と政府が主導し促進され、キルナ地球物理学観測所(現・スウェーデン=フィンランド国立宇宙物理学研究所)が設立された。
キルナ地球物理学観測所はスウェーデン=フィンランド初の本格的な宇宙科学研究の拠点として役割を果たしていくこととなる。
この、キルナ地球物理学観測所はスウェーデン=フィンランド初の本格的な宇宙科学研究の拠点として役割を果たしていくこととなる。
史実から遅れて、国民皆保険制度も成立し、1955年から行われていた国家システムの改造がひと段落する。
外交的にはケッコネン率いる中央党は中立国家として、米独露の3国と外交をしつつ、基本的にドイツ寄りの立場を取るという方針を固め、この外交方針は、ケッコネン路線と呼ばれる事となる。
Oy Mainos-TV-Reklamもこの時期に設立され、スウェーデン=フィンランド初の商業テレビ運営が開始される。
好景気に合わせて、Facitからスウェーデン=フィンランド初の国産量産型コンピュータが発売されデータ処理などに活用され始める。
1958年
総選挙、社会民主労働者党と中央党が勝利、ケッコネンの実力が評価され中央党が大勝し、首相はウルホ・ケッコネン、副首相はエルランデルとなった。
この2人のタッグは、長年続き、独裁体制とも揶揄される程長い物となる。
国家戦略委員会によりヴァーサでは、産業区が設立され外資などを積極的に呼び込み、ストックホルムとヴァーサ、ヘルシンキとヴァーサを結ぶ大規模な鉄道インフラの建設が始まる。
特に軍需産業企業に対して優遇処置を行い、Saabやヘグランド、Vammas、Lapua、Sisu Defence、Vihtavuori、Finavitecなどの後にパトリアとなる企業などが積極的に工場を設置した。
1959年
隣国ノルウェーからサーミ人や難民の受け入れを開始し、ストックホルムとヘルシンキを結ぶ鉄道が開通。
更に、移民受け入れ数を増やし、無償の成人向け語学教育などの移民向け教育などの制度を拡充。
社会民主労働者党と中央党は「国民の家」に基づく考え方で家に統合させるという方針を展開し、移民に対して、スウェーデン=フィンランドの文化や歴史についての教育を推進した。
更に国家戦略委員会から、都市近郊に増加する人口需要を満たすため、労働者階級のための住宅地区を建設する長期計画として「住宅100万戸計画」(Miljonprogrammet)が打ち出される。
大都市への集積、密集の加速により産業を活発化させる事を狙う。
1960年
ノキアのエレクトロニクス部門が設立。
研究炉(原子力)が稼働を開始。
ストックホルム・アーランダ空港が運用開始。
Svenska Elektronrörが史実よりも早くRIFAに吸収合併され、半導体製造などが強化される。
1962年
総選挙、社会民主労働者党と中央党の赤緑連合が勝利、首相はケッコネン、副首相はエランデル。
国民年金法が改正され、年金運営機関による年金の運用が開始、インベストール社やイルマリネン社、ヴァルマ社により運用され大規模な国内・国外へ分散投資を行う。
エリクソン社、スウェーデン王立工科大学、科学研究助成金機構による共同でストックホルム人工知能研究所を設立、スウェーデン=フィンランドでのAI研究において最初の一歩となる。
更にスウェーデン王立工科大学では電気・コンピュータ工学部人工知能学科が設立され、スウェーデン初の人工知能について学ぶことのできる学科となった。
国家研究投資機構ではAI研究についての特別枠を設置し、AI研究への投資を促進する。
機械学習についての研究を行っており、決定木モデルと多層パーセプトロンの研究が早速開始された。
1963年
オーゲスタに熱出力70 MWthの重水炉が建設される。
原油価格が低い為、経済性が悪く1973年に停止。
Saab「ビゲン」に搭載されるCK37のプロトタイプが完成。
Saabによる開発であったが、これに目を付けたEricsonがSaabと共に民間でCK37のような「リアルタイム処理」「高信頼性(耐障害性)」「イベント駆動型」
というような性質を持つ通信インフラ用システムの研究を開始。
1964年
EricsonとSaabの共同によりDatasaab-Ericsonが設立される。
CK37の性能を見た軍部の働きかけと当時はやっていた「アウタルキー」思想の影響、Ericsonによる早期のにより史実よりも
早くモノリシックICについての研究がRIFAとスウェーデン計算機局の共同で開始される。
1965年
キルナ近郊にあるスヴァッパヴァーラ鉱山が稼働開始。
RIFAの半導体を使用して史実とは違いDatasystemとスウェーデン計算機局によりTRASKを開発。
半導体(トランジスタ)を全面的に採用しゲルマニウム製・初期のシリコン製の半導体を使用した野心的な設計となる。
1966年
赤緑連合勝利,首相はケッコネン、副首相はエランデル。
ドイツの移民方針を模倣し、職業技術を持ったアラブ系の移民の受け入れを開始、
即時就労ビザや地方移住補助、国籍取得を5年で可能にする法案を成立させる一方で、
フィンランドとの統合で発生した社会統合の問題から学び、スウェーデン語やフィンランド語、
スウェーデン=フィンランドの文化や歴史を学ぶ意欲のある者に限定して、移民による人口増加を推進した。
Datasaab-Ericsonより、DSE-22(史実D22)が発表される。
1967年
モノリシックICの試作品が完成する。
1968年
アイティク鉱山が稼働開始。
銅、金、銀などが採掘される。
1969年
Saab社とScania社がヴァレンベリ家の企業グループの元で合併。
サーブの自動車部門がScaniaのエンジン生産設備を利用できるようになり、自社製造のエンジンの製造を始める。
RIFAによりモノシリックICの製造が開始され、CK37用のモノシリックICの開発も開始される。
1970年
赤緑連合が勝利、首相はケッコネン、副首相はエランデル。
1971年
Standard Radio & TelefonとSaab-Scania、Swedish Development CompanyのジョントベンチャーとしてStansaabが設立される
1972年
Swedturn(スウェドターン)がCNC旋盤を開発。
マルモ空港が運営開始。
RIFAによりCK37用のモノシリックICの製造が開始。
1973年
オウル市にノキアが進出。データ法が制定され国家戦略として通信インフラ整備を開始。
国家戦略委員会を通して、特に地方との格差是正を目的に政府・労働組合・企業(通信・製造)が協調し、全国への高速通信網整備を進め、
1990年代後半までにほぼ全国で高速通信が利用可能となる。
オウル市にも高度な通信インフラが整備される。
1974年
赤緑連合が勝利、首相はケッコネン、副首相はエランデル。
エリクソンとTeleverketが共同開発したデジタル交換機AXEが登場。
Datasaab-Ericsonにより製造された通信用途へ最適化されたICが搭載される。
スウェーデン現行法となる1974年憲法が導入される。
トゥオモ・スントラによりALD技術が提唱される。
1975年
ウラン需要の増加によりランスタッド鉱山の開発が再開。
EricsonとSaabのIC製造部門
断種法が改正され、本人の明確な同意なしには不妊手術を認めない方針へ
1977年
オウル市にEricsonが進出。
1978年
Stora Kopparbergs Bergslags AB、Gränges AB、Norrbottens Järnverk ABが統合し、SSABが設立。
StansaabがDatasaab-Ericsonに統合され、更にITエリクソンから自社2部門を追加で統合しエリクソン・インフォメーション・システムズ社
総選挙は赤緑連合が勝利、首相はケッコネンだが、エランデルは退任し弟子とも称されたオロフ・パルメに交代した。
この時代から投票率が低下し始め、スウェーデン=フィンランドの民主主義体制の弱体化が指摘され始める。
また、オイルショックの影響で、石油以外のエネルギー源が求められ始め、原子力や水力発電所の研究、建設が促進される。
1979年
タンペレ=ピルッカラ空港が運営開始
ストックホルム人工知能研究所がネオコグニトロンの影響を受け、畳み込みニューラルネットワークの研究を始める(成果は出ず…)
1980年
オウル市にEricsonが本社機能を移転
SFNETの開発がスウェーデン=フィンランドのコンピュータ科学者により始まり、フィンランド地域のコンピューター学者の
強い要望や、ストックホルムよりもオウルへとIT産業が集積し始めていた影響から、FUNETに近いオープンかつ自由度の高い設計のネットワークとなる。
1981年
エリクソンとノキアを中心に全自動移動体通信システム「NMT」を開始。
Datasaab-Ericsonをエリクソンが完全子会社化。
ステンベック財閥によりComvikが設立される、ヴァレンベリ家などからの支援も受けられた事から、史実のTeleverketとの大規模な対立は避けられる。
この結果、ComvikはEricsonの設備を購入する事ができ、早期に通信網を整備することができた。
ノキアとオウル大学によりオウル人工知能研究所が設立される。
1982年
総選挙において、赤緑連合が勝利し、史実とは違いケッコネンは引退をせずに継続。
首相はケッコネン、副首相をパルメが務める。
欧州最大のテクノロジーパークが設置、同時に国家共同投資協定を利用した重点的なIT投資が開始され、エリクソンとノキアに恩恵を与える。
軍事では、次世代MBT戦車開発計画であるstrv2000計画が始動。
1983年
ランスタッド鉱山が再稼働。
1980年にウランなどの採掘が行われ、原子力発電所などへの供給が行われる。
1984年
XA-180にサウジアラビアから890両の発注を受け、シスオートが工場を拡大、ヴァーサに工場が建てられる。
SFNETが稼働を開始。
また、NMTとの接続について着目され始め、研究が開始される。
特に軍部ではこれらの技術が次世代の戦争において不可欠になる者であるとの考え方が強まり、国家研究投資機構を通して
大規模な軍用SFNETやNMTを利用した移動端末によるSFNETへの接続研究への投資が開始される。
1985年
金融自由化、銀行の貸出枠規制を撤廃。
OutokumpuとNokiaの共同合弁会社としてOkmeticが設立。
オウルへ本社を置く。
1986年
RP8601プロジェクトがCarlstedt Elektronikにより開始される、このプロジェクトは科学研究助成金機構の目に留まり、支援金が出される。
また、2月28日の深夜にパルメ副首相が暗殺され、更にケッコネンが死去、赤緑連合が大混乱に陥る中総選挙に突入
赤緑連合が辛勝、エランデルのもう一人の弟子であった、イングヴァール・カールソンが首相に就任する。
Ericsonのコンピューター科学研究所で「数万代の電話を落とさずに繋ぐ」為の言語Erlangの開発が開始。
1987年
strv2000計画においてMBTの重量が80t級になる可能性がある事や大規模輸送に耐える事の出来る道路インフラが求められ始めた事から
Peab、YIT、GRK、NYABなどの企業によりフィンランドを中心として80t級MBTの移動に耐えうる橋そして道路の建設が開始される。
独立した広告収入型民放テレビ局としてステンベック財閥によりTV3が設立される。
SFNETを参考にステンベック財閥のTele2がSFIPNETを開始。
当初はUUCPを用いたメールやニュースを転送するだけのネットワークだったが、1991年に拡大し現在のような形へ
1989年
G.E.I.S.T. (ガイスト)に倣い、パーソナル・ナンバーを利用した電子政府化の研究が開始。
LeNetの影響を受けて畳み込みニューラルネットワークの研究がストックホルム人工知能研究所が強化。
Saab AutomobileがVolvo groupの傘下へ
1990年
高速鉄道(X2000)が運航開始。
ストックホルムとヨーテボリ間開通後
ストックホルムとヘルシンキを結ぶものやマルメ・カールスタッド・エステルスンド・ボロース・スンツヴァルなどへの路線網はもちろん
ヴァーサやエスポー、タンペレ、ヴァンター、オウル、トゥルクなどにも展開している。
また、環境負荷への配慮などの面から炭素税が導入され、暖房用燃料と輸送用燃料の税率に異なる税率を設定しており、暖房用燃料には4ドル/tCO₂、輸送用燃料6ドル/tCO₂
という設定となっている、現在では暖房用燃料には66ドル/tCO₂、輸送用燃料72ドル/tCO₂に増額されている。
同時に経営者連盟による要請から法人税の大幅減税と産業部門と工業部門に大幅な軽減税率の適応を実施。
1991年
住宅ローンなどの「利子控除」を大幅に縮小する抜本的な税制改革を実施、これにより、借金の負担(実質金利)が急激に跳ね上がり、不動産需要が冷え込んで価格が暴落し金融危機が発生。
この影響を受けたノキアが経営の悪化に伴い、比較的損害が小さい(統合しなければならない程には大損害)エリクソンへと合併され、Ericson-Nokiaが成立する。
大規模な経営最適化により失業者が多数発生するも、ベンチャー企業などへの挑戦産官学の強力な連携によりITクラスターが形成され始める。
金融危機への支援として、軍部がNMTを利用した移動端末によるSFNETへの接続技術、大規模な軍用SFNET研究への投資をさらに拡大。
政府はIT産業の急成長に合わせて、オウル市をIT企業都市として認定しIT系のベンチャー企業に対して支援を開始し、
ICや高度な通信機器、通信網を必要とする軍による強力な需要により不況を耐え抜く。
また、2G通信サービスがEricson-Nokiaの基地局インフラを使用しRadiolinjaにより開始される。
Bitboysが設立。
Linuxがリーナス・トーバルズにより公開され、サーバー運営からスマホにまで使える国内の独自のOSを欲していたEricson-Nokiaの目に留まり
スカウトされ、以後Ericson-Nokia傘下のLinux Foundationで開発をすることになる。
これによりMaemoやMeeGoなどのOS開発にもLinux Foundationが関わる事になる。
1992年
ヴァーサにStrv141B工場が設置される。
変動相場制へ移行し、不良債権の迅速な処理と銀行を国有化し処理。
1993年
ACREOで「半導体材料としてのSiC」の研究が開始。
Televerketが法人化されTeliaが設立される。
SFNET Finlandが設立され、インターネット産業へ参入。
IPネットワークの相互接続を行うFICIXが設立。
1994年
総選挙、赤緑連合が勝利、社会民主労働者党が大勝し、カールソンが首相に就任
フィンランド地域の電話局を源流としてTelecom Finlandが設立される。
Erlangがオープンソース化され、管理の為にEricson-NokiaによりErlang Foundationが設立される。
Stokabがストックホルム市により設立され、市自ら通信インフラの整備を開始。
これに続いて、オウル市でもEricson-Nokiaが中心となって通信インフラを整備。
1995年
アストラ社がファルマシアを買収、ファルマシアを子会社化した後、バイオ・抗がん剤部門に対して大規模な投資を行う。
ロセックによる莫大な富を使用して、続いてオリオン、レイラス、ガンブロを買収し、フィンランドでの活動などの面を考え、アストラ・オリオン・ファーマへ社名を変更。
アストラ社の業界再編の動きに合わせて、ウプサラとトゥルクを重要医療都市として指定し本社を構える医療関係企業に法人税などの減税を行う。
Saab-Scaniaが分離し、ScaniaとSaabとして別々の企業へ戻る。
MySQLが設立される。
1996年
IT法の制定、軍用のパケット通信システム網が完成。
SiCの半導体特性を研究する国家プログラムの中心拠点としてリンショーピン大学が指定。
回帰型ニューラルネットワークの研究がストックホルム人工知能研究所で開始。
電力の自由化が開始される。
1997年
G.E.I.S.T. を参考に北欧でEricson-NokiaやSaab、人工知能研究所、Telia、Telecom Finland、Radiolinja、Ericson-Nokia子会社のDatasaab-EricsonなどのIT関連企業や研究所が関わり
SFNETなど独自発展のインターネットやパーソナル・ナンバーを利用した電子政府システムとして「フォルク・ポータル」を開発。
国際協調などを気にする必要性が薄い環境であった為、Ericson-Nokia主導でGPRSのようなパケット通信システム「MPD(Bifrost)」2.5Gが開始される。
1998年
Teliaが2.5Gパケット通信サービスを開始、それに続いて同年に社名を変更しSoneraとなったTelecom Finlandや、Radiolinjaなども後に続く。
機能を搭載した携帯によるインターネット接続が可能に
Ericson-Nokiaによりオウルに製造拠点が設置され、大規模な生産が開始、瞬く間に国内に広がる。
「すべての国民にブロードバンドを」を標語に国家戦略委員会が主導しダークファイバー網の整備を整備。
更に企業が従業員に貸与するパソコンの費用を非課税とすることでPC普及を促進。
Symbian OSがEricson-Nokiaの出資により設立され、OSはNokiaphone+などに搭載された。
総選挙では、赤緑連合が勝利しヨーラン・ペーションが首相に就任
ストックホルムとトゥルクを結ぶ大規模鉄道道路併用橋および併用海底トンネルの建設が政府主導で、スカンスカやNCCなどのゼネコン企業が関わり、ドイツ資本からの投資を受けつつ開始。
軍事的な目的から80t級MBTを貨物1両あたり2両積んでも維持できる
ネステ石油とイマトラ電力が合併し、フォータムが設立される。
1999年
「フォルク・ポータル」が稼働開始される。
その後、ほとんどすべての行政的処理を「フォルク・ポータル」とSFNETを通してオンラインで行えるようになる。
VolvoがScaniaを買収し、Scaniaのモジュール化設計技術を入手。
ブランドとしては両方続けていく方針で、エンジンやシャーシなどの部品関係のモジュール化を開始する。
「フォルク・ポータル」の稼働に合わせて、Finansiell ID-Teknik BIDが史実より4年早く設立。
「フォルク・ポータル」への認証としてBankIDなどが使用できるようになる。
2000年
Ericson-Nokiaは新たにオウル市に半導体工場を設置、Nokiaphone+用の半導体製造を行う。
また、半導体製造部門を独立させ「Nordic FabCo」を設立、RIFAを設計へと集中させる。
BankID(PC向け)の発行が開始され、納税などの処理がオンライン上で完結するようになる。
インベストールの支援を受けてTeliaがSoneraとEuropolitanの買収を決行し、TeliaSoneraが設立される。
また、統合後はオウル市の環境が良い事から、本社機能をオウル市へ移転。
各地で出来たIT企業がオウルへ集積されていくという流れが本格化し始め、オウルのITクラスター化がより進む。
2001年
人工知能研究所がランダムフォレストの発表を受けて決定木をベースにした高速かつ高精度な機械学習アルゴリズムを目指し独自アルゴリズムの研究を開始。
勾配ブースティングを用いたモデルの開発を開始する。
2002年
総選挙、赤緑連合が勝利しタルヤ・ハロネンが首相に就任。
赤緑連合以外の全ての政党が否決するも赤緑連合の強行採決により統一条約へ加盟が決定。
この強行採決はスウェーデン=フィンランド民主主義の死亡診断書とも揶揄された。
BitboysがEricson-Nokiaに買収され、Ericson-Nokia Graphicsとして再建。
BankIDの発行銀行が拡大、さらに携帯でもBankIDが使用可能に。
2003年
ドイツ経済との連帯を強めるべく、オランダ、ドイツ企業などの統一条約の企業の進出に対して優遇処置を実行
更に同様にスウェーデン=フィンランドの企業にドイツ、オランダなどへ進出することを推進し、経済活動の活発化に努める。
統一条約加盟国の国民に対して就労ビザなどの制限を撤廃し、スウェーデンで働き、ドイツやオランダへ帰ることができるような体制を築く。
Ericson-Nokiaは史実とは違いアメリカ市場ではなく、ドイツやオランダなどの統一条約加盟国や中国の市場をメインターゲットとする方針に転換し
ドイツやオランダなどの統一条約加盟国や中国の市場向けの製品を開発し始める。
また、これに合わせて、市場の拡大を予測し、バッテンフォールは子会社であるフォータムを完全統合・ブランドを統一。
統一条約加盟国に対して安い水力発電などのエネルギー提供を目指す。
また、軍事面ではサウジアラビアからAMVに1730両、発注がかかり、パトリアグループは一気成長。
フィンランド内にCimcorpやValmet、Wapiceなどの企業によりオートメーション化された多数のパトリアAMV工場建設され、
サウジアラビアにも同様のオートメーション化された工場が建設された。
2004年
Picosunが設立。
Ericson-Nokiaやアストラ・オリオン・ファーマ社などの重要企業にビックデータ網への無制限のアクセスを許可。
2005年
Maemoがリリースされ、Nokiaphone+などに搭載され始める。
リンショーピン大学の研究成果を基に、SiCウエハー製造企業であるNorstelが設立。
Klarnaが設立される。
2006年
Spotify設立。
総選挙で赤緑連合が勝利、フレドリック・ラインフェルトが首相に就任。
Volvo傘下のSaab AutomobileがKoenigsegg傘下へ
多層ニューラルネットワークを用いたオートエンコーダを発表を受けてスウェーデン人工知能研究所とスウェーデン王立工科大学が
深層学習についての研究プロジェクト(オーロラ・プロジェクト)を立ち上げ、国家研究投資機構を通してEricson-Nokiaや王国政府、ウェンベリ家などの出資を受けながら研究を開始。
2007年
バッテンフォールがフォータムを買収し子会社化。
データセンターなどがEricson-NokiaなどのSFNETの運用者やアストラ社などの医療企業によって建設され始める。
2008年
米国発の金融危機が発生、通貨価値が暴落するも1992年の教訓を生かし
問題銀行の即座の「国有化」、最大の弱点「バルト三国リスク」の封じ込めなどを行う。
Ericson-NokiaによりMySQLが買収。
2009年
Ericson-Nokiaによりストックホルムで世界初の商用LTE(4G)サービスが開始。
同時に4Gに対応したNokiaphone+を発売しシェア拡大を狙う。
世界的な需要減退によりGDPは約5%減少し、Ericson-NokiaのNokiaphone+がアンドロイド搭載のスマートフォンやiPhoneに対して敗北し始め、
これへの対応としてアンドロイドを参考としたアプリストアの開設やSpotifyなどに対応させるなどの対策を打ち出す。
2010年
総選挙、赤緑連合が勝利し、首相にはラインフェルトが就く事となった。
Ericson-Nokiaが主導で5Gの研究を本格的に開始。
RautaruukkiがSSABに統合される。
2011年
Ericson-NokiaはASMLと契約しASML製の半導体製造装置を導入
オウルにある半導体製造工場に導入し、高度な半導体の製造を開始する。
Ericson-Nokiaにより飼い殺しにされることを嫌ったBitboysの技術者によりSiru Innovationsが設立される。
ACREOのSiC研究チームをスピンオフさせる形で、Ascatronが設立。
Ericson-Nokia Graphicsにより、Ericson-Nokia製スマートフォン用GPUやPC・データセンター用GPUの開発が開始される。
製造は「Nordic FabCo」が担当。
2012年
オーロラ・プロジェクトにScania(Volvo傘下)、Volvoなどが参入し自動運転などの研究開発を新たに進める。
Nokiaphone+シリーズへのAIアシスタント搭載を目指し、Ericson-Nokiaとスウェーデン王立工科大学、スウェーデン人工知能研究所が共同で開発を開始。
ストックホルムとトゥルクを結ぶ大規模海上鉄道が完成する。
Swishのサービスが開始、スウェーデン=フィンランド国内で
カウニスヴァーラ鉱山が稼働開始。
OkmeticがAscatronやPicosun、Norstelの買収を計画、素材市場において垂直統合を狙う。
インベストールとEricson-Nokiaがこれらの計画を後押し、12月に買収。
2013年(現在)
社会民主労働者党のハンソン政権の影響による国民の家に基づく政治体制を築いている。
第二次大北方戦争のトラウマから、軍事費は高い水準にある。
また中立国であった影響から、自国製、国産に拘る姿勢を見せており、MBTも史実とは違い独自開発の物を使用している。
軍事技術の民間転用も盛んであり、起業家精神の元で起業をする人間も多い。
R&D投資額がGDP比5.4%へ到達。
◆北欧モデル、ネオ・コーポラティズム、そして「フォルクヘメット(国民の家)」
国民の家とは、ドイツのナチス、イタリアのファシストと並ぶスウェーデン=フィンランドの有機的民主主義の集大成である。
元々は、ハンソン首相が提唱した「政治的概念」であったが、やがてエルランデルやパーシキヴィ、ケッコネン、オロフ・パルメなどの人物達よって進化し
一つの「イデオロギー」として昇華された。
国民の家という思想の大きな特徴としては、特権階級も困窮層も居ない平等な社会を理想としており、ハンソン首相の「国家は家族のように組織化されなければならない。
家族の構成員はどんな傷害を負っていようとも、家族のために献身しようと思っている」という考え方の元、国家全体を家として捉えて設計している。
と言う点と、イノベーションの重視により「階級協調」路線が重視されており、対等な立場で「平和的な対話と交渉」を行い、
お互いに妥協点を見出すことを重視している点の2つがある。
個人よりも全体を重要視する点ではファシストやナチスと何ら変わりないが、純粋なナチスに比べて移民や他の民族に対して比較的融和であり、
国民以外でも統一条約諸国の国民や移民なども家族として迎え入れており、スウェーデン=フィンランド国籍を持つ人間に対しては税を収める義務の代わりに
高度な福祉を提供している、また移民達の代表機関が立てられており、これらの代表機関は政治への発言権を持っており、
スウェーデン人とフィンランド人の統合問題から学び、移民への教育を義務化・無償化しておりこれら2つの制度により移民の社会統合は比較的進んでいる。
この移民の統合についても、イノベーションを重視する考え方からの物であり、「多様な背景を持つ多様な人間達によってイノベーションは促進される」という思想に
基づいている、また、福祉や医療は「弱者への施し」ではなく、「国家という巨大な有機体を構成する細胞(国民)の機能維持・最適化」捉えられている。
◆アウタルキー・中立維持政策
「フォルクヘメット(国民の家)」思想が強まる中、国家有機体説の提唱者である、ヨハン・ルドルフ・チェレーンの人気が高まり
「地政学」や「アウタルキー」への注目が高まっていく、「地政学」では東方生存圏などドイツなどの影響もうけつつ、スウェーデン=フィンランドの地域一帯を連合王国の生存圏
「家」として考え、これらを境界として維持していくべきであるという「我らの家」思想が広まっていく。
「アウタルキー」への注目は第二次北方戦争による敗戦から始まり、第二次北方戦争への敗戦の根本的な原因がスウェーデン=フィンランドがドイツなどの他国への依存をしていた為
ドイツが内戦の影響を強く受けてしまった事が戦争への敗北を招いたとする考えが軍部そして一部の右派で強まった。
こうした考えの元1950年代以降のスウェーデンでは自律的な産業育成などを目的として軍部が軍用品などの購入を行うといった、国内産業への買い支えのような行動を取るようになる。
この結果、特にIT産業では軍による堅実な需要により、確実に成長していき、オウルなどは世界有数のITクラスターにまで発展することとなった・
一方、1990年以降では、全ての製品を自給することは北方の大地では不可能であり、その妥協として食料品や代替えの効く製品は輸入しつつ、生存圏である「家」を防衛する為に
重要性の高い物資は輸入へ依存すべきでは無く自給するべきであるという考え方が広まっていく。2000年代に入ると、統一条約内でのアウタルキーを目指すべきであるという考え方が優勢になり、
時期や流行りによって変化し続けている。
◆現在の政治的問題
少子高齢化
スウェーデン=フィンランドでは1950年代から「少子高齢化」が問題となっており、少子化対策として様々な子育て支援、出産支援が行われている。
1930年代初頭から始まった少子化に対して男女共同参画を推進する家族政策の強化、育児休業制度の導入、働き方の見直しやジェンダー平等の更なる推進など多くの対策を行い
一定の成功を治めて来たものの、長続きせず少子化が続いている、ヨーロッパ系移民の受け入れなどの代替えのような対策で人口を維持しているものの社会統合などを考えた場合頼り続けることはできず
早急な対策が求められ続けている。
最低レベルの幸福度
2000年代以降、スウェーデン=フィンランドの幸福度は低下の一途をたどっており、史実の幸福度TOP国家としての姿は微塵も存在していない。
◆具体的な制度
国家戦略委員会
コンセンサス方式により、国家経済の長期戦略策定、国家の産業投資方針の決定、労使協調の最終調整
イノベーション政策の優先順位決定、国家予算への勧告などを行う経済政策などの決定機関。
大まかな枠組みを決定することが役割であり、その後は省庁や民間企業、投資家、労働組合などが具体的な行動を行う。
参加者
首相
財務大臣
産業・科学技術大臣
スウェーデン=フィンランド労働者組合議長
スウェーデン=フィンランド経営者連盟会長
投資家代表(ヴァレンベリ家にほぼ固定状態)
中央銀行総裁
国立科学アカデミー代表
地方自治体代表
◆研究助成システム
大学・研究所の基盤研究費(研究者なら最低限使える資金)
科研費(競争的資金)
研究市場(大型・追加資金)
の三段階で支援を行う。
科学研究助成金機構
基礎研究、萌芽研究、若手研究などに少額〜中規模を助成する役割を持つ。
公共性の高い研究にも同様に少額〜中規模を助成金を出す。
国家研究投資機構
ヴァレンベリ家、民間企業、大学、財団、地方自治体、海外企業(条件付き)、国家、科学研究助成金機構の8機関により、成果、データ、論文、将来計画を踏まえて評価し
各自で投資先を決定する。
研究市場としての役割を持ち、国家イノベーション庁によって投資契約のルール、知的財産権。研究データ公開基準などのルールが策定される。
国家共同投資協定
国家もしくはヴァレンベリ家の要請により二者により共同投資会議を開き、市場の再生や新規市場開拓への共同投資を行う先を決定するとする協定。
武装中立の方針と第二次大北方戦争のトラウマから徴兵制が残っており、GDP比6%の防衛費が国庫から支出されている。
その為、軍需産業と軍需産業に支えられた自動車産業、IT産業、金属産業などが盛んであり、軍需製品の輸出も多く行われている。
その為、軍需産業と軍需産業に支えられた自動車産業、IT産業、金属産業などが盛んであり、軍需製品の輸出も多く行われている。
◆教育
史実とは違い、均等かつ平等に同等の教育を受けることのできる学区制が維持されており、教員の給料も比較的高い。
国立の工業系専門学校やドイツを模倣した実科学校のような職業教育学校なども存在し、私立学校も多い。
生涯学習や学び直し、失業後のリスキニングなどにも力が入れられており、失業者への高付加価値産業への転職などが推進されている。
史実とは違い、均等かつ平等に同等の教育を受けることのできる学区制が維持されており、教員の給料も比較的高い。
国立の工業系専門学校やドイツを模倣した実科学校のような職業教育学校なども存在し、私立学校も多い。
生涯学習や学び直し、失業後のリスキニングなどにも力が入れられており、失業者への高付加価値産業への転職などが推進されている。
IT産業、鉱業、重工業に秀でており、1957年からの積極的な投資が成果を上げ始めている。
◆スフィアとヴァレンベリ家
スウェーデン=フィンランドおいて、巨大資本はスフィアという独特の勢力圏を築き上げ、法的には完全に「独立した上場企業」の集まりとして企業をまとめ上げている。
王国内で特に巨大なスフィアであるヴァレンベリ、ハンデルスバンケン、エリクソン=ノキア、ノルデア、LKABの5つスフィアを5大スフィアと呼ばれており、国防についてはゆるやかに連帯しつつ市場では熾烈な競争を繰り広げている。
ヴァレンベリ・スフィア
「ヴァレンベリ家」のヴァレンベリ財団が中心となったスフィアであり、Saabやアストラ・オリオン・ファーマ、アトラスコプコ、ボフォース、コックムスなどの大企業に影響力を持っている。
超巨大スフィアであり、スウェーデン=フィンランドのほぼすべての産業に影響力を持っている、非営利財団が頂点である為、国家の為の投資や科学技術や教育の発展のために巨額の研究費として寄付を行うなど、
収益を国へ還元している事が大きな特徴でありこのために、巨大スフィアが許されている。
かつてはエリクソン-ノキアの株をハンデルスバンケンと共に保有し管理していたが、エリクソン-ノキアの巨大化に伴い放棄する事となった。
ストラ・エンソについては、ノルデアと共同で保有している。
また、ほぼ国家機能の一部となっており、他のスフィアにも投資を行ったり、株を保有したりしている為、実質的に国内スフィアのほとんどに影響力を持っている。
ハンデルスバンケン・スフィア
ボルボグループ、サンドビック、エッシティ、ヘグランド、スカンスカなどの企業を保有するスウェーデン系スフィア。
ボルボはScaniaと合併しており、モジュール化によりエンジンやシャーシ、電子装備などの共通化に成功しており
エリクソン=ノキア・スフィア
正真正銘の「怪物」であり、スウェーデン=フィンランドのIT産業の支配者として君臨している。
Nordic FabCo、RIFA、MySQL、Linux Foundation、ErlangFoundation、アセアなどの企業を影響下に持つ。
オウル市を中心とする巨大ITクラスター・エコシステム・サプライチェーンの頂点であり
アセアをヴァレンベリ・スフィアがら、ノルデア・スフィアからコネ、コネクレーンを吸収しており、IT化により強力なシナジーを発揮している。
ノルデア・スフィア
SYPスフィアとも呼ばれていたが、統合を繰り返し今のノルデアへ
ヴァルチラ、サンポ、SISU、パトリア、タンペラ、ヴァルメット、Forcit、SAKO、ランズウェルク、キミ・キュンメネ、ノキアンタイヤなどの企業を保有する。
フィンランド地域系の企業とSISU、パトリア、ヴァルメット、タンペラ、ランズウェルクなど軍需企業を多く保有していることが特徴。
LKAB・スフィア
ノルドカルク、オウトクンプ、テラファメ、SSAB、オバコ、ソトカモ・シルバー、エンドマインズなどを保有する民営化されたLKABを中心とするスフィアで
ステナ・リサイクリングやクーサコスキなどの金属リサイクル企業などの株も保有しており、国内のほぼすべての金属系企業を統合している。
国内の価格交渉などで大きな影響力を持っている。
またこれらの5大スフィア以外にもステンベック・スフィアやスウェーデン=フィンランド労働者組合・スフィア、ヴィフリ・グループなどがある。
多くの場合、スフィアごとに労働組合が存在し(既に労働組合が中心となっているスウェーデン=フィンランド労働者組合・スフィアなどは例外)中心企業との積極的な交渉が行われている。
◆スフィアとヴァレンベリ家
スウェーデン=フィンランドおいて、巨大資本はスフィアという独特の勢力圏を築き上げ、法的には完全に「独立した上場企業」の集まりとして企業をまとめ上げている。
王国内で特に巨大なスフィアであるヴァレンベリ、ハンデルスバンケン、エリクソン=ノキア、ノルデア、LKABの5つスフィアを5大スフィアと呼ばれており、国防についてはゆるやかに連帯しつつ市場では熾烈な競争を繰り広げている。
ヴァレンベリ・スフィア
「ヴァレンベリ家」のヴァレンベリ財団が中心となったスフィアであり、Saabやアストラ・オリオン・ファーマ、アトラスコプコ、ボフォース、コックムスなどの大企業に影響力を持っている。
超巨大スフィアであり、スウェーデン=フィンランドのほぼすべての産業に影響力を持っている、非営利財団が頂点である為、国家の為の投資や科学技術や教育の発展のために巨額の研究費として寄付を行うなど、
収益を国へ還元している事が大きな特徴でありこのために、巨大スフィアが許されている。
かつてはエリクソン-ノキアの株をハンデルスバンケンと共に保有し管理していたが、エリクソン-ノキアの巨大化に伴い放棄する事となった。
ストラ・エンソについては、ノルデアと共同で保有している。
また、ほぼ国家機能の一部となっており、他のスフィアにも投資を行ったり、株を保有したりしている為、実質的に国内スフィアのほとんどに影響力を持っている。
ハンデルスバンケン・スフィア
ボルボグループ、サンドビック、エッシティ、ヘグランド、スカンスカなどの企業を保有するスウェーデン系スフィア。
ボルボはScaniaと合併しており、モジュール化によりエンジンやシャーシ、電子装備などの共通化に成功しており
エリクソン=ノキア・スフィア
正真正銘の「怪物」であり、スウェーデン=フィンランドのIT産業の支配者として君臨している。
Nordic FabCo、RIFA、MySQL、Linux Foundation、ErlangFoundation、アセアなどの企業を影響下に持つ。
オウル市を中心とする巨大ITクラスター・エコシステム・サプライチェーンの頂点であり
アセアをヴァレンベリ・スフィアがら、ノルデア・スフィアからコネ、コネクレーンを吸収しており、IT化により強力なシナジーを発揮している。
ノルデア・スフィア
SYPスフィアとも呼ばれていたが、統合を繰り返し今のノルデアへ
ヴァルチラ、サンポ、SISU、パトリア、タンペラ、ヴァルメット、Forcit、SAKO、ランズウェルク、キミ・キュンメネ、ノキアンタイヤなどの企業を保有する。
フィンランド地域系の企業とSISU、パトリア、ヴァルメット、タンペラ、ランズウェルクなど軍需企業を多く保有していることが特徴。
LKAB・スフィア
ノルドカルク、オウトクンプ、テラファメ、SSAB、オバコ、ソトカモ・シルバー、エンドマインズなどを保有する民営化されたLKABを中心とするスフィアで
ステナ・リサイクリングやクーサコスキなどの金属リサイクル企業などの株も保有しており、国内のほぼすべての金属系企業を統合している。
国内の価格交渉などで大きな影響力を持っている。
またこれらの5大スフィア以外にもステンベック・スフィアやスウェーデン=フィンランド労働者組合・スフィア、ヴィフリ・グループなどがある。
多くの場合、スフィアごとに労働組合が存在し(既に労働組合が中心となっているスウェーデン=フィンランド労働者組合・スフィアなどは例外)中心企業との積極的な交渉が行われている。
第二次大戦後から、一貫して武装中立路線、中立外交を安全保障の基本政策としてきており、一定の軍事力を保有することで、自国の安全保障を守って来た。
2002年からは、統一条約へ加盟し親独的傾向が強くなった
2002年からは、統一条約へ加盟し親独的傾向が強くなった
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