時は2000年代、ナチスの「約束されし新世界−NeueNazi-Ordnung−」が崩壊してから45年以上が経った。

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ハンガリー共和国
Magyar Köztársaág

国旗

国章
国の標語
マリアの王国、ハンガリーの保護者
Regnum Mariae Patrona Hungariae
国歌
賛称
Himnusz
公用語ハンガリー語(マジャル語)
首都ブダペシュト
最大の都市
政府
大統領 ポール・シュミット
首相  オルバーン・ヴィクトル
面積
総計  120,176km²
人口
総計  1,373万人(2010年12月)
GDP
総計  5,304億USD(2011年)
建国オーストリア・ハンガリー帝国から独立 1918年10月31日
ハンガリー王国成立 1920年3月1日
第二次世界大戦 1939年9月1日
第三次バルカン戦争 1955年6月2日
国際連合に加盟 1970年12月15日
新憲法公布 1986年3月1日
摂政職の終了、第二共和国成立 1991年3月28日
通貨フォリント(HUF)
時間帯UTC+1 (DST:+2)
ISO 3166-1HU / HUN
ccTLD.hu
国際電話番号36
ハンガリー共和国(ハンガリーきょうわこく、ハンガリー語: Magyar Köztársaág)は、中央ヨーロッパ(中欧)の共和制国家。西にドイツ、北にスロバキア、東にルーマニア、ポーレン、南にセルビア、南西にクロアチアに囲まれた内陸国。首都はブダペストである。基本的には中欧とされるが、歴史的には東ヨーロッパ(東欧)に分類されたことがある。

国土の大部分はなだらかな丘陵で、ドナウ川などに潤される東部・南部の平野部には肥沃な農地が広がる。


国名

正式名称はハンガリー語でMagyar Köztársaság 。この発音を日本語の片仮名で表記すると「マジャル・ケスタールシャシャーグ」であり、略称・通称はMagyar(マジャル)となる。

英語ではHungary。日本語の表記はハンガリーで、20世紀中盤まではハンガリアと表記する例も散見された。漢字表記では洪牙利で、洪と略される。中国語では、ハンガリーのフン族語源説が伝えられて以降、フン族と同族といわれる匈奴から、匈牙利と表記するようになった。

「ハンガリー」の語源として一般に認められているのは、俗説にある「フン族」ではなく、7世紀のテュルク系のオノグル (Onogur) という語であり、10本の矢(10部族)を意味する。これは初期のハンガリー人がマジャル人7部族とハザール3部族の連合であったことに由来する。「ウンガーン」(独: Ungarn)、「ウンガリア」(希: Ουγγαρία)に見られるように、もともとは語頭のhがなかった。

第一次世界大戦に敗れたオーストリア=ハンガリー帝国が解体され、ハンガリー人民共和国(1918年-1919年)、ハンガリー・ソビエト共和国が短期で消滅した後の変遷は以下の通りとなる。

1920年 - 1991年:ハンガリー王国(Magyar Királyság(マジャル・キラーイシャーグ))
1991年 - 現在:ハンガリー共和国(Magyar Köztársaság(マジャル・ケスタールシャシャーグ))

歴史

第二次世界大戦

第二次世界大戦前夜、ハンガリーはトリアノン条約で喪失した領土の奪還のためドイツと協調し、ミュンヘン裁定やミューン裁定によって北部ハンガリーの一部と北トランシルヴァニアを回復することに成功した。このため1941年に、ドイツによるユーゴスラビア侵攻が発生すると侵攻に参加した。ハンガリー軍はユーゴスラビアからヴォイヴォディナを奪回し、占領を続けた。 同年6月22日に始まった独ソ戦においてもハンガリーはドイツ側につき、ソビエト連邦への攻撃を行った。ハンガリーはイギリスから他のドイツ同盟国とともに対ソ戦線における停戦を求められたが、ハンガリーはこれを拒否。同年12月5日、イギリスがハンガリーに対して宣戦を発表し、枢軸国側の一員として戦うことが決定づけられた。

ハンガリー軍は、主にウクライナ戦線においてドイツ同盟国として戦闘に参加した。占領地域では多数のユダヤ人が迫害・虐殺された。一方、戦前からハンガリー国内に居住していたユダヤ人の多くは、差別や迫害を受けながらも強制収容所への大量移送を免れ、生存することができた。第二次世界大戦を通じて、対ソ戦で戦死したハンガリー軍人は約10万人にのぼった。

1945年、ベルリン講和条約により枢軸国側の勝利が確定すると、ハンガリーはドイツの主要な衛星国としてその経済圏に組み込まれた。ドイツ主導の国際秩序、いわゆる「パクス・ゲルマニカ」の下で、国内の政治的安定は一定期間維持された。

第三次バルカン戦争

1955年に、セルビアが旧領奪還を目的にクロアチア、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリーに宣戦布告を行ったことで第三次バルカン戦争が勃発すると、ハンガリーの戦後体制は大きく動揺した。また同年、南スロバキアのカシャ(コシツェ)では民族蜂起が発生し、これに介入したスロバキア軍によって同地域は一時的に占領された。

対セルビア戦線においてハンガリー軍は劣勢であり、ヴォイヴォディナのほぼ全域を失陥した。加えて南スロバキアでの民族蜂起に対応する必要が生じたため、ハンガリーは戦争継続を断念し、1956年5月4日にヴォイヴォディナをセルビアに割譲することで講和した。



ウーイヴィデーク(ノヴィ・サド)を制圧するセルビア軍

「第二次トリアノン」の動揺

1957年に、長期に渡り国家を統治してきたホルティ・ミクローシュ摂政が死去し、後継としてホルティ・ミクローシュ・ジュニアが摂政職に就任した。

翌1958年、突如としてルーマニア軍がトランシルヴァニアに侵攻した。各地に駐屯していたハンガリー軍は散発的に抵抗を試みたが、即応体制の不備や、スロバキア民族蜂起への対応、セルビア方面に戦力を集中させていたことじから、ハンガリー軍はトランシルヴァニアからの退却を余儀なくされた。ハンガリーはドイツに救援を要請し、戦力を集結させた上での反攻を計画していた。しかし、ドイツは国内外の混乱を理由に問題への直接介入を拒否したため、ドイツ主導の調停会議を経てハンガリーはやむなくトランシルヴァニアの放棄を受け入れた。ヴォイヴォディナを含めて、これら第二次世界大戦前後に奪還した領土の再喪失は、ハンガリー国内において「第二次トリアノン」と呼ばれ、社会に大きな衝撃を与えた。

1963年には、矢十字党の後継勢力がクーデターを画策するなど、政治的混乱は長期化した。

自由化と大妥協

第二次トリアノン以降、ハンガリー国内において修正主義と戦勝神話は支持を失い、現実主義的な舵取りが志向されるようになった。1970年には国際連合への加盟を果たし、ハンガリーは国際社会へ参加した、また、前述の外交的失敗の責任を問われた摂政は次第に実権を失った。国内政治は体制派、民族主義派、改革派に分裂し、改革派のカーダール・ヤーノシュが首相として実権を掌握した。

70年代、カーダールは体制の枠内で限定的な自由化を推進した。検閲の一部緩和や地方分権の推進が行われ、政治参加の余地が徐々に拡大した。1972年には新経済メカニズムと称する経済改革が行われ、自由市場の一部導入が行われた。1975年には無所属候補のみを認めた限定選挙が実施され、議会では政党の非合法にも関わらず非公式の政治会派が形成された。ハンガリーは他の東欧諸国に比べて経済状態は良好であったが、カーダール政権が長く続くにつれ、徐々に停滞していった。

80年代に入ると、経済停滞と汚職問題が顕在化し、体制への不満が高まった。これに対応して、改革派の主導で主要な政治勢力間で包括的な妥協が模索される。その結果、政治犯の釈放、政党の合法化、憲法の成文化および改正を柱とする合意が成立し、体制転換への道筋が事実上整えられた。1985年には憲法裁判所が設置され、1986年には摂政によって新憲法が公布されて議会制民主主義が確立した。同年に実施されたハンガリー初の普通選挙では、かつて民主的反体制派であった自由民主同盟が政権を獲得した。

第二共和国の成立

1991年、ホルティ・ミクローシュ・ジュニア摂政が死去により摂政職は廃止され、国名も「ハンガリー共和国」に改められた(第一共和国(ハンガリー民主共和国)次ぐ共和政体として「第ニ共和国」と称される)。同年、大統領職が儀礼的役割を担う国家元首として新設された。1992年には国有企業の大規模な民営化が実施され、自由経済への転換が本格化した。1994年の地方自治法改正により、地方政府の権限も拡大した。

現在のハンガリー

民主化以降、ハンガリーはIT・数理系教育を国家重点分野に指定し、インターネット基盤整備を国家戦略として策定するなど、行政・産業のデジタル化が推進された。2003年には行政・物流システムの電子化政策が開始され、翌2004年には統一条約への加盟を通じて、国内行政システムがドイツのデジタル行政システムと相互接続されるに至った。

2000年代半ば以降、修正主義政党が再び台頭し、新保守主義的な言説が勢力を拡大した。2008年には、ドイツ経済の失速に伴うIT産業の混乱や汚職スキャンダルを背景に、「嘘の演説」事件が追い討ちとなり、自由民主同盟が急速に支持を失った。2010年に首相に就任したオルバーン・ヴィクトルは、極右・修正主義路線への回帰を進め、民主化期とは異なる政治姿勢を打ち出している。

政治

ハンガリーの大統領は任期5年で国会 (Országgyűlés)によって選ばれるが、首相を任命するなど、新憲法施行後の摂政と同じく儀礼的な職務を遂行するのみの象徴的な元首である。大統領官邸はブダ王宮に隣接するシャーンドル宮殿。実権は議院内閣制をとる首相にあり、自ら閣僚を選んで行政を行う。

立法府の国会は一院制、民選で、任期は4年、定員は386人である。国民議会は国家の最高権威機関であり、すべての法は国民議会の承認を経なければ成立しない。

純粋に司法権を行使する最高裁判所とは別に憲法裁判所が存在し、法律の合憲性を審査している。

国家元首

国家元首は大統領であり、任期は5年(連続2期まで)となっている。大統領は儀礼的な職務を遂行するのみの象徴的な元首である。大統領官邸はブダ王宮に隣接するシャーンドル宮殿。
新憲法成立以前は、元首たる摂政が実権を持っていた。
ハンガリーの摂政
ハンガリー王国(1920-1993)所属政党在任期間
2ホルティ・ミクローシュ
Horthy Miklós
なし1920年3月-1957年2月
37年
3ホルティ・ミクローシュ・ジュニア
Horthy Miklós
なし1957年2月-1991年3月
34年
ハンガリーの大統領
ハンガリー共和国(1993-現在)所属政党在任期間備考
--1991年3月-1991年10月暫定大統領
1ゲンツ・アールパード
Göncz Árpád
自由民主同盟11991年10月-1996年10月
21996年10月-2001年10月
2マードル・フェレンツ
Mádl Ferenc
無所属12001年10月-2006年10月
3ショーヨム・ラースロー
Sólyom László
無所属12006年10月-2009年4月
4シュミット・パール
Schmitt Pál
フィデス=ハンガリー市民同盟12009年4月-現職

首相

新憲法の施行後、ハンガリーは議会制民主主義制度を確立し、首相は政府の長として行政部門を指揮し、内閣を率いる責任を担うこととなった。
憲法上、大統領は国会の過半数の議席を獲得した政党党首を首相に指名しなければならない。
ハンガリーの首相
任期

国会

構成
政党名
略称
議席数
政治的立場
与党
FIDESZ=KDNP連立
フィデス=ハンガリー市民同盟
Fidesz - Magyar Polgári Szövetség
FIDESZ219/386右派
キリスト教民主人民党
Kereszténydemokrata Néppárt
KDNP33/386右派
野党
自由民主同盟=ハンガリー自由党
Szabad Demokraták Szövetsége – a Magyar Liberális Párt
SZDSZ70/386中道左派
ヨッビグ=より良いハンガリーのための運動
Jobbik Magyarországért Mozgalom
Jobbik37/386極右
新しい政治の形
Lehet Más a Politika
LMP16/386中道左派
ハンガリー社会党
Magyar Szocialista Párt
MSZP10/386左派
-無所属-1/386-

司法

ハンガリーの司法制度は大陸法系に属し、成文憲法を最高規範としている。裁判所は最高裁判所、地域上訴裁判所、地域裁判所、地方裁判所、行政・労働裁判所の5種類があり、三審制が採用されている。

憲法裁判所は法律の合法性の審査を行い、違憲を理由に立法を差し戻すことができる。15名の裁判員からなり、任期は12年。

金融

中央銀行であるハンガリー国立銀行が金融政策を担う。

国際関係

ハンガリーは1970年以来国連加盟国であり、統一条約に加盟している。

係争地については、スロバキアとは上ハンガリー(南スロバキア)、ルーマニアとはトランシルヴァニア、セルビアとはヴォイヴォディナの帰属問題が存在するものの、現在までにそれぞれ国境画定条約を締結している。一方で、請求権は依然として放棄していない。これらの国家とは、ハンガリー系少数民族の権利問題をめぐって国家間の緊張がしばしば高まっている。

軍事

正規軍として陸軍と空軍からなるハンガリー国防軍を持つ。総兵員は10万人程度で、徴兵制度を採用している。2004年には統一条約に加盟し、ドイツ同盟国と集団安全保障体制をとっている。

軍の歴史は長く、第一次世界大戦時にはオーストリア=ハンガリー二重帝国として中央同盟軍の一角を占めていた。戦後の独立後、ハンガリーは1920年のトリアノン条約により兵力を制限されていた。その反動もあって第二次世界大戦時には枢軸国として参戦し、独ソ戦にも兵力を出している。世界大戦の終結後は1955年の第三次バルカン戦争での敗北を最後に、大規模な戦闘は経験していない。


ハンガリー空軍のサーブ39戦闘機

地理

ハンガリーの国土はカルパティア山脈のふもとに広がるカルパート盆地のうちの平野部をなす。ハンガリー平原またはハンガリー盆地と呼ばれる国土の中心は、中央を流れるドナウ川によってほぼ二分され、東には大きな支流のティサ川も流れている。国土の西部にはヨーロッパ有数の大湖バラトン湖がある。
また各地に温泉が湧き出ており、公衆浴場が古くから建設・利用されてきた。首都ブダペストにもセーチェーニ温泉、ルカーチ温泉、ゲッレールト温泉などの有名な温泉がある。最も温度の高い熱水泉ヘーヴィーズ湖を有するヨーロッパ有数の「温泉大国」として知られ、多くの観光客が温泉目当てに押し寄せる。トランシルヴァニア地方など、ルーマニアとの国境係争地帯を持っている。

大陸性気候に属する気候は比較的穏やかで、四季もある。緯度が比較的高く、冬は冷え込むが、地中海から海洋性気候の影響を受け、冬も湿潤で曇りがちである。年間平均気温は10℃前後。


ティサ川


ヨーロッパ最大の草原のひとつ(ホルトバージ国立公園)


ハンガリー最高峰のケーケシュ山


中欧最大のバラトン湖

地方行政区分


ハンガリーの地方行政区画

ハンガリーは50の地方行政区分に区分される。うち21は郡とも県とも訳されるメジェ (megye) で、26はメジェと同格の都市郡という行政単位(megyei város)である。なお首都のブダペストはいずれにも属さない、独立した自治体である。また、カルパティア・ルテニア地方には自治県が設置されている。

行政単位

  • 西部
    • ヴァシュ県(ソンバトヘイ都市郡)
    • ザラ県(ザラエゲルセグ都市郡)
    • ショモジ県(カポシュヴァール都市郡)
    • ヴェスプレーム県(ヴェスプレーム都市郡)
    • ジェール・モション・ショプロン県(ジェール都市郡)
  • 中部
    • コマーロム・エステルゴム県(タタバーニャ都市郡)
    • ニトラ・バルシュ県(エールシェクーイヴァール都市郡)
    • フェイェール県(セーケシュフェヘールヴァール都市郡)
    • ペシュト県(ブダペシュト都)
    • ノーグラード・ゲメル県(シャルゴータールヤーン都市郡)
  • 南部
    • トルナ県(セクサールド都市郡)
    • バラニャ県(ペーチ都市郡)
    • バーチ・キシュクン県(ケチケメート都市郡)
    • チョングラード県(セゲド都市郡)
  • 東部
    • ベーケーシュ県(ベーケーシュチャバ都市郡)
    • ヘヴェシュ県(エゲル都市郡)
    • ハイドゥー・ビハール県(デブレツェン都市郡)
    • ヤース・ナジクン・ソルノク県(ソルノク都市郡)
    • サボルチ・サトマール・ウゴサ県(ニーレジハーザ都市郡)
    • ボルショド・アバウーイ・ゼンプレーン県(ミシュコルツ都市郡)
    • ウング・べレグ県(ウンヴァール都市郡)
    • カルパータリャ自治県
※県名(県都名)

主要都市

都市名人口(2010年)
1ブダペスト
-
1,733,685
2カシャボルショド・アバウーイ・ゼムプレーン県234,000
3デブレツェンハイドゥー・ビハール県211,340
4セゲドチョングラード県168,048
5ミシュコルツボルショド・アバウーイ・ゼムプレーン県167,754
6ペーチバラニャ県156,049
7ジェールジェール・モション・ショプロン県129,527
8ニーレジハーザサボルチ・サトマール・ウゴサ県119,746
9ウンヴァールウング・ベレグ県117,878
10ケチケメートバーチ・キシュクン県111,411

経済

統計では、2010年時点でGDPは2,015億ドル、一人あたりのGDPは1万6,435ドルである。

ハンガリーでは自由化に伴い、国営企業を解体して民営化する動きが加速した。投資や起業を推進し、経済の開放を進めたことで高い経済成長を達成した。しかしその後、インフレーションと失業率が増加して貧富の差が広がり、社会問題として常態化した。

伝統的な産業ではアルコールが強い。特にワインは有名で、ブルゲンラント、ショプロン、ヴィッラーニなど著名な産地があるが、中でもトカイのトカイワインは「ワインの王」と言われる。農業ではパプリカが名産品で、ハンガリー料理にもふんだんに使われる。ガチョウの飼育も盛んであり、ドナウ川西岸(ドゥナーントゥール地方)が主産地である。ハンガリー産のフォアグラもよく輸出されている。

工業

第二次世界大戦前のハンガリーは肥沃な土壌と計画的な灌漑設備により、農業国として成立していた。そのため、食品加工業を中心とした軽工業が盛んであった。第二次世界大戦後、ドイツ資本によって重工業化が進められた。特に車両生産、一般機械が優先され、化学工業と薬品工業がそれに次いだ。しかし、有機鉱物資源とボーキサイトを除くと工業原材料には恵まれておらず、輸入原材料を加工し輸出するという形を取った。1970年代には工業を中心とする貿易が国民所得の40%を占めるまで成長した。

経済自由化後、1990年代初頭においては、化学工業の比重が次第に大きくなっていく傾向にあった。2003年時点では全産業に占める工業の割合がさらに高まっており、輸出額の大部分を工業製品が占めるに至った。世界シェアに占める比率が高い工業製品は、ワイン、硝酸である。

鉱業

ハンガリーの鉱業は、燃料に利用できる亜炭とボーキサイトが中核となっている。有機鉱物資源では、世界シェアの1.5%を占める亜炭(1391万トン、2002年)、原油(107万トン)、天然ガス(115千兆ジュール)を採掘する。有力な炭田は南東部ベーチ近郊、首都ブダペストの西方50キロに位置するタタバーニャ近郊の2か所に広がる。油田は中央南部セゲド近郊と、スロベニア、クロアチア国境に接する位置にある。

金属鉱物資源ではボーキサイト(100万トン)が有力。バラトン湖北岸からブダペストに向かって北東に延びる山地沿いで採掘されている。ただし、採掘量は減少傾向にある(1991年には203.7万トンが採掘されていた)。このほか、小規模ながらマンガンとウランの採掘も見られる。

交通

ハンガリーの交通網は道路、鉄道、航空、水上交通いずれも高度に発達している。ブダペストにはブダペスト東駅(ケレティ駅)、ブダペスト西駅(ニュガティ駅)、ブダペスト南駅(デーリ駅)の3つのターミナル駅がある。ブダペスト以外ではソルノクが鉄道の要衝として最も重要で、そのほかミシュコルツのミシュコルツ・ティサ駅やソンバトヘイ、ジェール、セゲド、セーケシュフェヘールヴァールなども鉄道網の結節点となっている。

ブダペシュト、デブレツェン、ミシュコルツ、セゲドの各都市にはトラムがある。ブダペスト地下鉄は1号線の開業が1896年に遡る、世界で二番目に古い地下鉄で、4路線からなる。ブダペスト都市圏ではブダペスト郊外電車 (HÉV) が運行されている。国内の高速道路網は、総延長1,314キロメートルに達する。主要な港湾にはブダペストのほか、ドゥナウーイヴァーロシュやバヤが挙げられる。

国際空港はブダペストのリスト・フェレンツ国際空港、デブレツェン国際空港、ヘーヴィーズ=バラトン空港、ジェール=ペール空港、ペーチ=ポガーニ空港の5つがあるが、定期便が就航しているのはブダペストとデブレツェンのみである。リスト・フェレンツ国際空港は、格安航空会社のウィズエアーが本拠地としている。


ハンガリー国鉄の車両

科学技術

ハンガリーは歴史的に多数の科学者を輩出している。同国出身の科学者は核兵器やコンピュータの開発に貢献したことで世界的に知られており、ナイマン・ヤーノシュ(ジョン・フォン・ノイマン)はコンピュータの開発に貢献した。ケメーニィ・ヤーノシュは米国人計算機科学者のトーマス・E・カーツとともにBASICを開発した。

傍ら、ハンガリー人には様々な分野で後世に影響を与える発明をしている人物が多い。ハンガリー人の発明にはルビク・エルネーによるルービックキューブやブローディ・イムレによるクリプトン電球などがある。


ナイマン・ヤーノシュとノイマン型コンピュータ

国民

民族

ハンガリーの国民の86%以上はマジャル人である。マジャル人はフィン・ウゴル語族のハンガリー語を母語とし、ウラル山脈の方面から移ってきた民族である。マジャル人の人名は、正式に表記した際に姓が名の前につく。

マジャル人は旧ハンガリー王国領に広まって居住していたため、セルビアのヴォイヴォディナ、ルーマニアのトランシルヴァニアなどにもかなりのマジャル人人口が存在している。また、マジャル人の中にはモルダヴィアのチャーンゴー、トランシルヴァニアのセーケイ人や、ハンガリー共和国領内のヤース、マチョー、クマン人、パローツなどの文化を持つサブグループが知られるが、ヤース人がアラン人の末裔、クン人がクマン人の末裔であることが知られるように、これらはさまざまな出自を持ち、ハンガリー王国に移住してハンガリーに部分的に同化されていった人々である。

その他の民族では、有意の人口を有するロマ(ジプシー)とドイツ人、スロバキア人、ルテニア人、ユダヤ人が居住する。ハンガリー科学アカデミーの推計では、人口約1,000万人のうち約60万人がロマとされる。また、ドイツ人は東方植民地運動の一環としてハンガリー王国に移り住んできた人々の子孫で、トランシルヴァニアのサース人(ザクセン人)やスロバキアのツィプス・ドイツ人のように、ハンガリー王国の中で独自の民族共同体を築いた人々もいる。上ハンガリー(南スロバキア)にはスロバキア人も多く居住しており、特にカシャ(コシツェ)に集中している。そのため、コシツェでは特例としてハンガリー語とスロバキア語の両方が公用語として定められている。歴史的なカルパティア・ルテニア地方に位置するウング・べレグ県やカルパータリャ自治県ではルテニア人の住民が多い。ユダヤ人は第二次世界大戦を通して権利が制限され、迫害を受けたが、ホルティがユダヤ人の絶滅収容所への移送を拒否したため、ハンガリーに居住していた80万人のユダヤ人はホロコーストを免れた。終戦後もユダヤ人の権利は一貫して制限されていたこともあり、イスラエル建国後は約70万人のユダヤ人が国外に脱出した。

その他の民族では、チェコ人、クロアチア人、ルーマニア人などもいるが、いずれもごく少数である。

近年のDNA分析によるとハンガリー人はコーカソイドに分類されるが、わずかにモンゴロイド特有のアセトアルデヒド脱水素酵素D型が検出されることから、モンゴロイドとの混血により遺伝子の流入があったと考えられる。
民族統計
民族人口(2010年)割合
マジャル人1185万人86.3%
ルテニア人63万人4.5%
ドイツ人40万人2.9%
スロバキア人36万2.6%
ロマ32万人2.3%
ユダヤ人6万人0.4%
その他11万人0.8%

言語

言語的にはハンガリー語が優勢で、少数民族のほとんどもハンガリー語を話し、ハンガリー語人口は96%に上る。国内の少数民族としては、40万人を擁するドイツ人が最大で、このうちおよそ34万人(国内人口の2.4%に相当)が家庭内でドイツ語を使用する。ハンガリーは旧オーストリア=ハンガリー帝国の中核的地域でドイツ人との結びつきが強いうえに、第二次世界大戦時もハンガリーが枢軸国に加担した結果、ハンガリー人によるドイツ人追放がほとんど起こらなかったため、ドイツ人の居住人口が今なお多い。次いで多いのは36万人のスロバキア人で、カシャ(コシツェ)を中心にスロバキア語が使用されている。

宗教

宗教はカトリック(61%)が多数を占め、カルヴァン派もかなりの数にのぼる(22%)。その他、ルター派(6%)やユダヤ教(0.4%)も少数ながら存在する。

治安

ハンガリーの治安情勢は全般的に良好で、犯罪認知件数も減少傾向にある。全体としては財産犯が多くを占め、その中でも窃盗犯が多い。

マスコミ

ハンガリーでは、政府の統制の下である程度の報道や表現の自由を認められている。憲法では政府が与党の政治的な立場に基づいて表現規制や逮捕を行うことを禁止している。一方で、国家への攻撃や扇動は厳しく制限される。

文化

食文化

トルテやクレープに似たパラチンタなど、料理はオーストリアの食文化と共通するものが多いが、ハンガリーの食文化の特色は乾燥させて粉にしたパプリカの多用と種類の豊富なダンプリングにある。パプリカを用いた煮込み料理グヤーシュは世界的に有名である。ドナウ川西岸のドゥナーントゥール地方では、古くからフォアグラの生産が盛んである。

ワインの生産も盛んで、トカイワインなどが有名である。また、伝統的な蒸留酒にパーリンカがある。フランスのオー・ド・ヴィやイタリアのグラッパなどと似た、果実から造られる蒸留酒である。

ハンガリー固有種の豚マンガリッツァは国宝の指定を受けて保護されているが、保護のために利用を禁じるのではなく、むしろ高品質の食肉として利用することを通じて飼育頭数を増やす方針を採っている。飼育にあたっては伝統的な放牧または半放牧が行われているが、一頭一頭にマイクロチップや標識を取りつけて管理することでトレーサビリティを確保するなど、現代的な手法も取り入れられている。

音楽

ハンガリーは多様な民族性に支えられた豊かな文化を持ち、特にハンガリー人の地域ごとの各民族集団(ロマなど)を担い手とする民族音楽は有名である。

また、リスト・フェレンツ、フランツ・レハール、コダーイ・ゾルターン、バルトーク・ベーラなど多数の著名なクラシック音楽の作曲家も輩出した。多様な民族音楽にインスピレーションを受けて作曲した音楽家も多い。

温泉

ハンガリーでは温泉が湧き出し、温泉文化が古くから伝わっている。ブダペストにおける温泉文化は2000年近くある。ブダペストのオーブダ地区にある古代ローマ時代のアクインクム遺跡に、ハンガリー最初の温泉浴場が建設された。当時の浴場跡を今日でも見ることができる。オスマン帝国に支配されていたときに、ドナウ川河畔に発達した。

1937年国際沿療学会議ブダペスト大会でブダペストは国際治療温泉地に認定され、世界的に温泉に恵まれた首都と呼ばれるに至った。オスマン帝国時代の建物をそのまま残すルダシュやキラーイ温泉などの浴場は、今日でも親しまれている。1913年に作られたセーチェーニ温泉は湯量毎分3,700リットルという豊かな湯量と豪奢な建物で知られている。

温水湖であるヘーヴィーズ湖は、自然温水湖である。ハンガリーにおいてもっとも古くから知られており、古代ローマ時代の記録にさかのぼり、2000年の歴史がある。4.4ヘクタール、水深38メートル、泉質は硫黄、ラジウム、カルシウム、マグネシウムなどのミネラルを含む。泉からは大量に湧き出し、48時間で水が入れ替わる。水温は冬は23 - 25°C、夏は33 - 36°Cである。


ヘーヴィーズ湖は、ヨーロッパでもっとも温度の高い熱水泉だ

祝祭日

日付祝祭備考
1月1日元日
Újév
3月15日1848年の革命と自由戦争記念日
Nemzeti ünnep
1848年の3月革命を記念
3月28日共和国の日
köztársaság ünnepe
第二共和国の成立を記念
4月25日戦勝記念日
Győzelem ünnepe
対連合国戦勝を記念
移動祝日イースターおよびイースター・マンデー
Húsvétvasárnap, Húsvéthétfő
5月1日メーデー
Munka ünnepe
6月4日国民連帯の日
Nemzeti Összetartozás napja
移動祝日ペンテコステ
Pünkösd
復活祭から50日後
8月20日建国記念日(聖イシュトヴァーンの祝日)
Szent István ünnepe
11月1日諸聖人の日
Mindenszentek
12月25日、26日クリスマス
Karácsony

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