NOVO MUNDOは、WW2の戦勝国となったナチスドイツが1955年までヨーロッパ・アフリカの覇権国として
『パクス・ゲルマニカ』を築いていました。1945年から55年までナチスドイツは絶頂の黄金時代を迎え、ヨーロッパの征服者でありドイツの威厳と繁栄を再び取り戻した英雄アドルフ・ヒトラーの誇大妄想による世界的公共事業を展開、仮想敵国だったアメリカと日本に対抗するための軍事技術や宇宙開発技術の高度発展、ドイツを中心としたヨーロッパ諸国の経済的統合化などを成し得た。
だが、ナチスドイツは
ヒトラーの後継者を巡っていた中央政府だけでなく国家弁務官区内でも激化していた権力闘争、
ファシズムのように融通が効かずカルト的な民族優位性を基本とするナチズムというイデオロギー自体の破綻、
誇大妄想を優先して目を逸らしていた巨額の負債などが原因で55年に崩壊した。「ゲルマニア経済危機」を迎え、ヒトラーの死による政治的内紛の激化で「ドイツ内戦」と領土奪還を目的にロシアの「復讐戦争」、フランスの「代償戦争」が勃発。『パクス・ゲルマニカ』は終焉を迎えた。
ナチスドイツは55年に一度は崩壊したが、再建に成功して現在まで存続しているのか、新しい体制のドイツとして生まれ変わったのかはプレイヤー次第である。

ナチスドイツ主要人物
アドルフ・ヒトラー
ナチスドイツの初代総統。1933年に政権を獲得後、1939年に第二次世界大戦を引き起こし勝利。1955年没。
詳しくは
アドルフ・ヒトラーを参照。
ヨーゼフ・ゲッベルス
国民啓蒙・宣伝大臣を務め、ナチスドイツの宣伝・広報を掌握していた。かつてはナチス左派の中心人物の一人でありグレゴール・シュトラッサーの部下で、保守派のヒトラーと対立し糾弾していたが、ヒトラーに懐柔されてからはヒトラーの忠実な部下となった。ナチスの政権獲得後は第3代宣伝全国指導者を勤めてナチスのプロパガンダを積極的に広め、ナチ党の勢力拡大に大きく貢献した。しかし、ヒトラー政権が年を経るごとに景気回復を実感し不満を持たなくなった国民が増えることに反比例してプロパガンダの価値が薄れていったことでゲッベルスの権力は減衰。45年以降は党新聞部長オットー・ディートリヒや外務大臣ヨアヒム・フォン・リッベントロップなどと宣伝の管轄を巡って権力闘争に明け暮れたが、大戦に勝利しドイツを覇権国とさせたヒトラー政権を国民はさらに熱狂的に支持するようになり、権力の低下は更に進んでいた。だが、米国との対立を深めていってからはゲッベルスはラジオや映画を使って米国を批判し国民に対立を扇動させて軍事力の強化などを国民に支持させるなど冷戦において重要な存在として再び重用され復権した。『ゲルマニア闘争』で後継者に名乗りを上げてからは親衛隊やボルマン派など対立勢力の遠回しな批判プロパガンダを行うようになった。
ヘルマン・ゲーリング
政府内で航空大臣や四ヵ年計画全権責任者などを務める国防軍最高位の国家元帥で、政治的・軍事的権力者であると同時にヒトラーから後継者として指名されていた。第一次世界大戦でエース・パイロットとして「英雄」の名声を得るもドイツ帝国は敗戦し、戦後の1922年にアドルフ・ヒトラーの唱える屈辱的なヴェルサイユ体制の破壊などに共感、そしてヒトラーのカリスマ性に惹かれて国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党。ミュンヘン一揆の失敗でモルヒネ中毒になるも、1933年のナチ党政権誕生後にはプロイセン州首相、航空相、ドイツ空軍総司令官、四ヵ年計画全権責任者、ドイツ経済相、森林長官、狩猟長官など要職を歴任し、遂にはヒトラーの後継者に指名されるなどナチスで随一の最高権力者になろうとしていたが、第二次世界大戦からはそんな絶頂から転落してしまう。ダンケルクの英仏軍の殲滅失敗、バトルオブブリテンの敗北、独ソ戦での航空機損失の拡大と長距離爆撃機の軽視による戦略爆撃の失敗、イギリスからの本土空襲、第二次モスクワ攻防戦の空輸作戦失敗。ゲーリングは失敗を重ね、ヒトラーから完全に信頼を失った。45年以降はゲーリングの国民的人気を考慮して地位は保全されたが実態は名誉職で政府内の重要な会議に呼ばれず代理人として副官が呼ばれる有様だった。ゲーリングは次第に自宅で引き篭もるようになり、唯一精力的に取り組んだのは彼の部下や新人パイロットが多かったオストラント空軍の訓練や整備だった。『ゲルマニア闘争』にはヒトラーからの直接の指名を根拠に正当な後継者に名乗りを上げるも親衛隊を除くほとんどの派閥から無視され軽んじられたことでさらに引き篭もりがちになってしまう。
アルベルト・シュペーア
NSDAP御用達の主任建築家として全国党大会会場などの設計を手がけてきた建築家。時には強引で非人道的な手段を用いながらもヒトラーの期待に応えた建築物を生み出す有能な建築家で、かつて建築家になることに憧れたヒトラーと建築について語り合える"友人"でもあるというNSDAPでは希少な人物だった。シュペーアは古代ローマ、古代ギリシアの廃墟のようにドイツは数千年先の未来において美学的に優れた廃墟となるよう建築されるべきだという「廃墟価値の理論」を唱え、ヒトラーからの支持を背景に「世界首都ゲルマニア」建設を目的とする帝国首都建設総監に任命された。第二次世界大戦の勃発によりゲルマニア建設は停止されるが、1942年2月7日に軍需相のフリッツ・トートが飛行機事故死し、ヒトラーがシュペーアに後任になるよう熱烈な要請をしたことで政治家の道も歩むことになる。シュペーアはトートが構想しながらも果たせなかった計画をヒトラーからの寵愛を武器に実現させ、ナチスにある程度戦争遂行能力の延命をさせることに成功した。43年、国防軍、財務省、外務省、ボルマンらと自分の政治的権力に干渉せず、建築家としての宿敵のヘルマン・ギースラーではなくシュペーアに帝国の重要な建築の一切を任せるのを支持することを条件にヒトラーへソ連との停戦を要請する密約を結び、独ソ休戦協定締結に貢献する。戦後は無任所大臣に就任し政治家兼建築家として帝国の有力者の一人になった。シュペーアは自身を建築家と自負し後継者には関心がなかったが、「帝国最高の建築家の地位の維持」と「廃墟価値の夢の成就」の為であれば積極的に権力闘争に加わった。ヒトラーの寵愛の下に権力を保障されるシュペーアは、後継者を巡る『ゲルマニア闘争』で名乗りは上げなかったがヒトラーに引退ではなく終身総統になるように説得し、ヒトラーの寵愛の依存から自立するための時間的猶予を得た。そして、シュペーアは密約を破りボルマン派に入るのを許されたヘルマン・ギースラーに対抗するべく政治的グループの「シュペーア派」を結成した。「シュペーア派」はテクノクラートで主に占められ、政治的信条は特に無く保身の為に集まった寄せ集めの派閥だが影響力も保有している。
マルティン・ボルマン
NSDAP官房長、総統秘書及び個人副官として常にヒトラーの近くに仕え、側近中の側近として暗幕に隠れた絶大な権力者。NSDAP入党後ルドルフ・ヘス副総統の秘書としてヒトラーの側に仕えるようになり、ヘスのイギリス飛行事件から事実上の副総統の権力を継ぐ官房長に就任してからはOKW最高司令官として軍務に集中するヒトラーの代わりにNSDAPの組織運営を行うようになる。ヒトラーをよく苛立たせていて無能だったヘスと比べてボルマンはヒトラーへの奉仕に徹し事務能力も非常に優れていたためヒトラーから人間性はさておき能力を高く評価され、ほとんどの人間はヒトラーへ伺いを立てるにはボルマンの許可が必要になった。ボルマンはNSDAPのヒトラーに次ぐ影の権力者となり、そのヒトラーからの信頼と権力を国防軍や外務省など休戦派に頼られるが、ボルマンも報告書から内心ドイツ経済の危うさを感じてはいたため自身の権力の承認と支持を条件にヒトラーの説得に協力した。戦後は『ゲルマニア闘争』を中立で傍観していたが人間の欲望の醜悪さに嫌悪感を抱きヒトラー引退後は自身の引退も真剣に検討していたが、権力を手放すのを惜しくなり新しい後継者が生まれたとき党内で恨みを買っていた自分が長いナイフの夜のように粛清されるのを恐れ、ヒトラーが終身総統に就任したことで引退はしなかった。終身総統就任後のヒトラーが衰弱し指導力を失っていくのを最も間近で見ていたボルマンは“ヒトラー離れ“をするため「ボルマン派」を結成。ヒトラーのナチズムを正統に継承する保守ナチズムを掲げ、ボルマンの権力に惹かれた党員やナチズムの歪な改革に反発する保守派などが集まりNSDAPの最大派閥となった。ボルマンは自分の権力と生命を維持するため後継者に名乗り出ている。
ハインリヒ・ヒムラー
親衛隊全国指導者兼全ドイツ警察長官として帝国の治安を維持し統制する恐怖、狂気、陰謀の頂点。ヒムラーが親衛隊全国指導者に就任した当初は突撃隊の下部組織に過ぎなかったが長いナイフの夜で突撃隊を粛清してからNSDAP内で勢力を拡大し、1939年にはドイツ国内の警察機構と諜報機関を支配する巨大な組織にへと変貌させた。第二次世界大戦の"人種戦争"の勝利で帝国がヨーロッパ・アフリカを支配すると同時にヒムラーの親衛隊もまた巨大な帝国を覆うように膨張した。ナチス・ドイツの有力者の一人であると同時にヒトラー以上のオカルティズムを妄信するナチズムの信奉者であり、「人種革命」と「民族共同体」の理念に基づき帝国の被支配地でヒムラー自身も耐えかねる恐るべき虐殺が効率性と親衛隊員の精神衛生を考慮しつつ行われた。『ゲルマニア闘争』では絶対に忠誠を誓うのはヒトラーのみで新総統次第で従わないと表明し、国防軍が新総統の行く末によっては軍事クーデターを検討していることを傍受すると47年に返還されるはずだった占領地域と保留地域で国防軍関係者を拘束して親衛隊が実効支配して「ブルグント親衛隊長官地域」の設置を一方的に宣言(なお本人は「神聖ブルグント血土騎士団国」を望んでいたがドイツへの明らかな反乱と判断されかねないため諦めた)。また、ゲーリングが後継者に名乗りを上げるとNSDAP幹部で唯一ゲーリングを警戒して自身も後継者を主張するようになる。ヒトラーの終身総統就任により矛を納めると共に改めて総統への忠誠を誓うがブルグントの解消は拒否し、最終的にヴィシー政府の抗議を無視してパリを含む北東部フランスを親衛隊が直轄管理する「ブルグント帝国大管区」の成立で妥協する。しかしヒムラーはヒトラーの衰退とナチズムの堕落から後継者になることを諦めておらず帝国内に留まらない世界各地で陰謀と工作に動いている。もう帝国の影でいるつもりはなく日の下で使命を果たそうとしているが、それは太陽を永遠に暗黒にしかねないだろう。
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