4991 : ◆TLDPZPDjO6 :2017/07/05(水) 18:46:10.12 ID:CgJMT2+b

ダラダラ考察垂れ流し。 

「楚漢戦争最終局面、なぜ劉邦は和議を結んでから 
 項羽を背後から襲うなどということをやったか」 


まず史記は最終局面の戦況について、 
「漢軍はいよいよ盛ん、対して楚軍は窮していた」などとのたもうているが、 
これはどう考えても違う。 

そんなに漢軍が盛んだったら、項羽をそのまま屠ればいいだけだろう。 
歴史上に輝くレベルのだまし討ちなんぞやる必要など無かった。 


4992 : ◆TLDPZPDjO6 :2017/07/05(水) 18:48:47.10 ID:CgJMT2+b

そもそも「漢軍」といったところで、どこまでを含むかが問題となってくる。 

まず斉を抑えた韓信は半自立状態で、劉邦の言うことを聞かなくなりつつあった。 

彭越は楚漢両方でコウモリをやり、斉の残党である田横を匿うことまでやってるんで、 
漢軍と分類していいか疑問。 

南方の呉ゼイなどは漢についた時期は不明。 
俺の予想だとたぶんまだこの時期、漢についてはいなかったんじゃなかろうか。 


4993 : ◆TLDPZPDjO6 :2017/07/05(水) 18:51:41.51 ID:CgJMT2+b

南方といえば盧綰らの別働隊が活動していたが、 
これもはっきりとした成果が出て来るのは、和議成立から三ヶ月経ってから。 

こうして見ると天下が一斉に漢へなびき出したのは、 
和議&だまし討をやった後な可能性が高い。 


4996 : ◆TLDPZPDjO6 :2017/07/05(水) 18:55:36.78 ID:CgJMT2+b

また、和議を申し出たのは劉邦陣営であり、 
かつ項羽は一度つっぱねたというのに注目したい。 
つまり和議を結ぶ必要性が大きかったのは劉邦サイドなのだ。 


これはおそらく関中がいい加減、限界に来ていたからだろう。 

何度も行ってるが楚漢戦争中の関中は、ジジィから子供まで徴発し、 
穀物がハイパーインフレを起こし、餓死者続出という悲惨極まる状況。 

ウルトラチートの蕭何をもってすら、もはや食料・兵士の供給が不可能なレベルで 
荒廃しまくっていたんじゃあるまいか。 


4999 : ◆TLDPZPDjO6 :2017/07/05(水) 18:58:56.39 ID:CgJMT2+b

つまり「これ以上の継戦は不可能」と判断した劉邦陣営が、 
和議を持ちかけ項羽を広武山という要害から下ろし、 
そのうえで項羽を一撃で屠るべく、後ろから殴りかかったというのが実情だろう。 


ちなみにこの和議。結んだ後で張良・陳平らの提言で初めて破ろうと劉邦は決意した、てなこと書いてあるが、 
どー考えても漢軍サイドは、最初っから破る気満々でござる。 
(その考察は長くなるから本編で) 


5008 :名無しさん管理スレその6の>>1-6をご覧ください:2017/07/05(水) 21:48:56.55 ID:ds6+aaVJ

司馬遼太郎は漢軍と楚軍の戦力差が最も縮まった時期だが、むしろこれ以降は楚軍が回復したら漢軍に勝ち目はないため、張良らは 
和議の違約をしてでも楚軍を追撃するべきだと献策したと描写している 

あと、劉邦と項羽の年齢の差も指摘しているな。劉邦は初老だが、項羽はまだ少壮だったため、時間は項羽の味方だったのではと 


5000 : ◆TLDPZPDjO6 :2017/07/05(水) 19:03:09.91 ID:CgJMT2+b

あとは「食料が届かず兵は飢えた」と書かれている項羽軍が 
どんぐらい窮していたかってのがミソか。 

まあ、記述がろくにないんで分かんねえんすけどね。 


ただ繰り返すが、項羽が和議を一度つっぱねたってことは、 
「漢軍も苦しい。ここが粘りどころ」という認識があったんじゃないかなぁ、と思う。 


5009 :名無しさん管理スレその6の>>1-6をご覧ください:2017/07/05(水) 22:17:18.90 ID:Ymm46M1H
劉邦さえ打ち取れば関係ないからと項羽が無視してた 
盧綰らの切り崩し工作がこの頃に実を結んでたのもあるかも 

これが史実かどうかは知らんけどw 


5010 :名無しさん管理スレその6の>>1-6をご覧ください:2017/07/05(水) 22:24:54.91 ID:jlh00TdZ
項羽って待ちの姿勢が苦手な印象あるから 
広武山の対陣もいい加減飽きてたんだろうなという気がする 


4995 :名無しさん管理スレその6の>>1-6をご覧ください:2017/07/05(水) 18:54:36.47 ID:P05Yplsu
急速に外交で項羽を包囲しきったみたいな感じやな 
昔彭城を落とした時にはこれで項羽は滅亡だって感じだったのに 


5001 :名無しさん管理スレその6の>>1-6をご覧ください:2017/07/05(水) 19:03:20.00 ID:P05Yplsu
宮城谷先生はコウコウ(字忘れた)って言う人は本気で和議を結びたかったので、劉邦が和議を破ったのが気に入らずに 
出奔したってあるけど、これだと劉邦陣営もやばくて和議結びたかったのが本音か、張良がそれはあかんと破らせた 


5002 : ◆TLDPZPDjO6 :2017/07/05(水) 19:11:13.38 ID:CgJMT2+b

侯公についてはおそらく最初っから劉邦に 
「項羽を騙して破る前提の和議を結ばせろ」と言い含められており、 
かつ劉邦が例の悪口癖(おそらく本人はジョークのつもり)でアレなこと言った結果、 
世人が「あいつが項羽を騙して殺したようなもんだ」と非難したため、 
耐えかねて逃げた、と俺は思ってる。 


5007 :名無しさん管理スレその6の>>1-6をご覧ください:2017/07/05(水) 19:32:39.49 ID:P05Yplsu
>>5002 
そう侯公は項羽に斬られずにちゃんと帰れているんだよな、レキイキさんと違って 


5003 :名無しさん管理スレその6の>>1-6をご覧ください:2017/07/05(水) 19:13:44.00 ID:KthxAlSM
劉邦はその悪口癖で結構自分の首絞めてるのに、自覚がなかったのか? 


5004 :名無しさん管理スレその6の>>1-6をご覧ください:2017/07/05(水) 19:15:03.88 ID:t2aFVX0/
>>5003 
曹丕「わかってても止められない悪癖ってあるんだね」 
























4994 :名無しさん管理スレその6の>>1-6をご覧ください:2017/07/05(水) 18:52:02.45 ID:t2aFVX0/
陳舜臣先生の「小説十八史略」だと張良が「もし項羽が徐福の財産をガメて再起したら手がつけられない勢力になります」って煽ってたな。

(ここまでの出典: ◆TLDPZPDjO6の時代劇スレ





荒廃する職場/ 反逆する従業員
田中堅一郎


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