小波は、迷っていた。 自分の、選ぶべき道を、迷っていた。 「…俺は、どうすればいいんだ?」 ヒーロー達を倒して、甲子園で優勝し、ドラフト1位でプロの世界に飛び込んだ。 …それが今や10年前の話なのである。昔のような事に思える。 今や、プロ野球界を代表する選手として活躍しているのだ。 立派な一軒家を構えて、…一家を支える主となって久しい。 「…今日も悩んでるの?」 「リコ… …ごめんな、リコには迷惑をかけたくないけど、こればっかりはマスコミもうるさくて…」 「いいんだよ。 あたしは、小波と一緒に、おんなじことを悩みたいんだからさ! …でも、あたしが何かを言う権利はない。決めるのは、小波だから。」 結婚して8年がたつ。小波もリコも、28歳になっていた。 リコはいまだに小波の事を小波、と呼んでいるが、子供が出来ればそれもまた変わるかもしれない。 「…でも、最後にはリコに聞くことになるかもしれない。」 「今日も、慰め物になってあげるね。」 「…すまない。」 結婚してからもしばらくは、リコはそうそうエッチをさせてくれなかった。 その強気な性格で、小波は強引に押し倒す、なんてことが出来なかったわけである。 それでもちゃんと数日に1回はやらせてくれたのだが、 …最近は小波のしたいときに、思うがままに体を預けてくれる。 小波のストレスを案じての事であり、小波はリコを性欲の発散のための道具のように扱う自分を憂いていたが、 実際、そうでもしないと心が持たなかった。 「んああっ!」 「で、出るぞっ!」 気持ち良くなるために、セックスをする。 リコも小波も、互いの『心』を重んじるため『体』の関係になるような事は良しとしなかったが、 それでも今の小波は『体』の関係にならなければやっていられなかった。 今の小波は、リコが好きだからではなく、ただ気持ち良くなりたいがためにセックスをしていた。 …それでも、リコは構わなかった。 「…気持ち良かった?」 「ああ。」 「良かった。」 「…ごめん、俺の性欲処理のような感じで…」 「いいんだよ。 …大事な、野球人生だからね。」 小波は、リコの胸の中で、眠りについた。 FA。 プロ野球を少しでも見ている人間なら、知っている言葉だろう。 彼も今年、9年間の一軍登録を満了し、権利を得ることが出来たのである。 小波の野球人生は紆余曲折だった。 1年目に6勝を挙げるも、その後2年間は故障との戦い。 だがそれらの困難を乗り越え4年目に9勝をあげると、その後6年間で5回2けた勝利を挙げる。 一昨年までは他球団のエースの陰に隠れていたが、昨年は最多勝をあげ全国から認められる存在になった。 そして今季は春先こそ不調だったが交流戦を終了し、FA権を獲得すると同時にぐんぐん調子を上げる。 8連勝し、防御率も1点台を記録、もはやオールスター相手でも止められない究極無敵状態になっていた。 だが、8月の下旬に右ひじを痛め、チームも下位に低迷していることから今シーズンはもう登板しないことになった。 …そして今、肘のケアに努めながら、自らの力で手に入れたFA権をどうするかで悩んでいた。 FAをどうするかは11月の頭には決めないといけない。 肘を痛めてからその11月まで約2ヶ月。登板予定がなく、暇で、孤独な時間を過ごし続けている。 …そばにいるのは、リコただ1人。 チームメイト達は、4番以外の主軸全員。今年チームに入って即レギュラーになった、新人王候補のショートストップ。 そして不動のエースである自分を欠いた状態で、必死に戦っている。 …エースとして、情けなかった。 (俺は、エースなのに…! これが、エースか?これが、チームのエースの姿なのか!?) 夜も朝も、悩み続けた。 だが、結論は出ないまま。段々とシーズン終了に近付いていく。 朝ランニングに出かけて、昼はトレーナーの下で肘のケアをして、その間も悩み続け、 夜はリコの手料理を食べ終わると、そのまま自室に籠る生活が続いた。 (俺はこのチームが好きだ…だから残るのは構わない、残りたい。) 小波はチームに愛着を持っていた。 ドラフトで自分を高く評価してくれた。ファンも温かく応援し続けてくれた。 そして何より、地元球団で、子供のころから応援し続けてきた、大好きなチーム。 (だからこそ、甲子園優勝投手と言う事でドラフトで競合が予想されたにもかかわらず、 彼がその球団に入る意思をマスコミに示した事で単独指名と相成ったわけである。) …だが、彼が入団してから10年。チームはずっとBクラスに低迷している。 今年も、新しい監督を迎えたがどうやら5位に終わりそうである。 優勝したい、そんな思いが、小波を苦しめていた。 たった1度の野球人生。このままでいいのか。このままこのチームに残って、何かあるのか。 年俸は安くたっていい。待遇なんてどうでもいい。 …ただ、優勝したい。しびれるペナントを戦いたい。 そう思いながら、ベッドにあおむけになっていた。 もちろん肘に負担のかからないように細心の注意を払う。 「…ん?メールか。」 ふと、音のする方を見ると、携帯が震えているのが見えた。 手にとって内容を読む。 『肘の状態はだいぶ良くなったと聞く。 君が公言していた通り、最終戦には何とか間に合うらしいね。』 球団からのメールだった。 小波は今シーズンはもう先発登板はしないと語る一方で、 なんとか今シーズン中にもう1度、マウンドに上がりたい、間に合わせたいともマスコミに語っていた。 『…最後に、もう1度、マウンドで投げてはもらえないだろうか、と思ってね。』 …最後に、か。 それも悪くないな。むしろ望んでいたことかもしれない。 最後にもう1度投げて、そして… 「…あれ、まだ起きてたの?」 リコが部屋に入ってきた。下着姿の刺激的な恰好だが、今の小波にはそんな事に興味は示さなかった。 「ああ、ちょっとメールが来ててね。 今シーズンの最終戦、投げないかってさ。」 「え、ホント? 小波、投げられるの?」 「一応今シーズンにもう1度投げたいって思いがあったからね、何とか間に合いそうだ。」 「そーだねー!このままシーズンが終わったら、なんかやだもん。 投げてこそ、小波!」 やっぱり、夢にときめく小波がリコにとって一番好きだった。 …夢、か。俺の今の夢は、…優勝… 「…ね、ちょっと思い出したんだけど。」 「え?」 「あたしがFAの事に割り込むのもあれだけどさ、少しばかり参考にならないかなーってね。」 小波は少し驚いた。 リコは今まで自分のFAには決して首を突っ込まないようにしてきたのである。 唐突に言われて、驚く。 「…まあ、迷惑だろうけど。 小波の事は小波で決めるべきだしね、外野が口を挟むもんじゃないか。」 「でも、断ったら俺は全身の骨を折られそうだな。」 「ううん、ミンチにしてあげよっか?」 「せっかく肘の状態が良くなったんで勘弁して下さい」 リコの目が光る。 うん、やっぱり今でもこの流れは健在だね。 「甲子園出場の時、甲子園で優勝したとき、小波はすっごく喜んでた。 あたしに何度、嬉しそうに『優勝したー!』って言ってたか。」 「懐かしいな。…もう、10年、か。」 「いやー、あの時小波があたしを押し倒そうとして、あたしが必殺空き缶バスターを決めたんだっけ♪」 「…思い出させるな。」 空き缶バスター。いったいどんな技なのであろうか。 「…でもさ、プロ入りの方が、もっと喜んでたよ。」 「ははは。甲子園で優勝する人より、プロにいける人の方が少ないからね。 なんだかんだ言って、プロを目指してやってきたわけだし。」 「そうかもね。 …でも、小波はなんか、そんな感じじゃなかった。」 「え? 俺、プロ入りを喜んでなかったっけ?」 「ううん。プロ入りできたことはすごく喜んでたよ。でもね…」 リコが一呼吸置く。そして言った。 「小波は、一番大好きな球団に入れたことを、喜んでたよ。」 リコの言葉。 それは、小波に心に大きく響いた。 「…え?」 「だって、ドラフトでそれが決まって、あたしへの第一声が、 『やったよ、俺、入りたかった球団に入れたよ!』…だったもん。」 「…そうだったのか?」 「まったくもー、物覚えが悪いよ、小波。その後喫茶店に移動した後も、プロ入りできたことなんかより、 行きたい球団に入れた、って強調した言い方だったよ。」 「…そうなのか。」 「そしてプロ入りのご褒美に、あたしの初めてをあげた…こんな風にね。」 小波の手首を持って、自分の秘部の辺りに触れさせた。 もっとも、まだ白い布地に覆われているが。 「…リコ?」 「いいから、あたしの事、好きにして?」 「…あんがとな。」 右手で陰部をいじくる一方で、左手でブラをずらして外す。 肘に負荷をかけないように、慎重に。 「…楽しい?」 「ああ。」 乳首にキスをして、そのまま吸い込む。 同時に陰部をいじくる指の動きも激しくする。 「ん…あっ…や…」 「…。」 小波は無言でリコを貪り続ける。 そして十分に濡らしたところで、 「はあんっ!」 奥まで入れる。何度もこうやってセックスしているのだが、不思議とまだ子供は生まれない。 …でも、今日はなぜか、生まれるような気がしていた。 「や…や…や…はああんっ!」 大量に出す。 流石は野球選手、精力は絶倫、と言ったところだろうか。 「…あれ、何の話をしていたっけ?」 「もう、すぐ忘れるんだから!小波が行きたい球団に入れて喜んでたって話!」 「え…あ、うん。」 「プロに入るって夢をかなえた時、あたしは次の夢を見据えた。 …それは、小波が大好きな球団のプロ入りが決まった時に見た夢と、おんなじ。」 「…俺の…夢…」 リコが小波の目の前にずいっと顔を出した。 「それを思い出して。 小波の、かなえたい夢は、なあに?」 「!」 リコは天井を向いて、目を閉じた。 それ以降、なにも小波に話しかけることもなく、そのまま眠って行った。 (俺の夢…俺の、夢は…) 数日後、その答えを出すために、小波は球場へ向かった。 (…小波!…小波!…小波!) 昼に少し用事があったので、球場入りしたときにはすでに試合が6回くらいまで進んでいた。 …そして、球場につく直前から、自分への声援が聞こえてきた。 (…俺への、声援?) (小波ー!こなみー!コナミー!) 急いで球場入りし、ユニフォーム姿に着替える。 そして、ベンチ裏から姿を現すと、…スタンドからの大声援が目に映った。 チームカラーで覆い尽くされたスタンド。 自分の背番号が書いてある旗。 1人1人、声をからしての自分への大声援。しかも敵チームの攻撃中にもかかわらず。 …そして何より、そこから感じ取れる、熱い想い。 …全く知らなった。 戦線から離れて、情報は全く耳に入ってこなかった。 情報を耳に入れなかったのは、FAの憶測をするマスコミから離れるという意図があったのだが。 「…コナミ。」 「か、監督、これは…」 「みんなが、君の事を、心配して、引き留めようとして、集まったんだ。 …こんなにもたくさんの、ファンたちがね。」 「!」 そうだ。苦しんでいたのは、俺だけじゃない。 ファンの皆も、俺のFAに苦しんで、不安になって、何とかしようとしているんだ。 そして、こんなにもたくさんのファンが集まった形が、これなんだ。 「…今うちがリードしている。9回まで、何としても、このリードを守り切る。 …そして、9回ツーアウト、…最後に、行ってくれるか?」 「はい!」 思うより先にブルペンへと足が動いた。 肘に怖さはない。完璧な肩を作って、マウンドに立つ。それだけだった。 …今俺がファンの皆にできることは、それしかないから。 「よし、リードしたまま9回だ! クローザーとして、2アウトを完璧に取ってくれ!」 「はい!」 チームのクローザーがマウンドに向かう。 必ず小波につなげるという、強い意志を持って。 「よーし、ナイスボール!」 「っしゃああっ!」 ファンも声を枯らして小波コールを続ける。 …もしかして、小波はこのまま登板しないんじゃないか、そういう憶測による不安がよぎるが、それでも声援をやめない。 このチームはFAで多くの主力を放出してきた。そのたびにファンは嘆いた。 …だが、ファンは気付いた。自分たちは、ただ不安になりながら見ているだけで、何もしてこなかった、と。 4年前も、何も出来ないまま、主力選手を手放してしまった。 …もう後悔はしたくない。その一心で、やれることはすべてやった。 「ストラックアウト!ツーアウト!」 …そして、その努力の結晶が、実を結んだ。 キャッチャーの交代アナウンスがされる。小波と相性のいい、キャッチャーの名前だった。 観客から期待の声が上がる。ざわつく。 そして、ピッチャーの交代が、告げられた。 「…に代わりまして、ピッチャー、小波!」 言い表せないくらいの歓声。大地が揺れるような響き。 その中で、小波は、ゆっくりとマウンドに向かって行った。 「小波!小波!小波!小波!」 応援太鼓の音頭に合わせて、小波コールが鳴り響く。 (ありがとな、リコ。おかげで、思い出したぜ!) 「ストライーク!」 1球目からいきなり152km。 観客が驚きの声をあげる。 (俺は、このチームに入団した時、決めたんだ!) 「ストライクツー!」 なんと157km。 小波にとっての自己ベストである。 (俺の夢は、優勝したいって事だと思っていた。そう思っていたから、迷っていた。 …だが、俺の夢は、優勝したいってことじゃねえ!) そして、大きく振りかぶる。 相手のバッターは完全にすくんでいた。 バットが空を切る。 147kmの、フォークボール。 「ストライーク、バッターアウト!ゲームセット!」 両手を高々と上げた。 スタンドのファンも、まるで優勝したかのように、大歓声を上げた。 …すごく幸せに感じた。 (そうだ、俺の夢は…) そして11月某日、球場内のスペースを借りて会見を開いた。 あの登板から半月。あれからも考え続けいた。 本当にいいのか。自分の選ぶべき道はどれなのか、1人で考え続けた。 …そして、決めた。自分の夢を、もう一度、はっきりと、胸に刻み込んで。 「FA権を行使せず、このチームに残留します。」 会見に来たマスコミたちがざわついた。 小波が入団を熱望していると報道されていた金満球団か、メジャーかは確実と言われていた。 だが、小波はそんな周辺でのざわつきには惑わされなかった。 「僕のために大声援を送ってくれた、シーズン最終戦のファンの人たちの姿。 あれが僕を残留させる決め手になりました。 僕を応援してくれるファンや、一緒に戦っているチームメイトの皆に対して、 来年以降どこかに移籍して、敵に回す、と言う事が考えられませんでした。」 小波は続ける。 「この球団が僕を指名してくれたとき、 僕はプロ入りしたことよりもこの球団に入れる方が嬉しかった、と言う様子だった事を、 僕の嫁…高校時代から付き合ってたんですけどね、が、思い出させてくれたんです。 そして、甲子園優勝、プロ入りと言う夢をかなえて、 僕はプロ入りしたとき、また新たに夢を掲げたんです。 僕は、その夢を、『優勝したい』っていうのと勘違いしていました。でも、それは違っていたんです。 僕が本当に叶えたい、と思った夢。それは…」 小波が一呼吸おいて、大声で言った。 「俺の夢は、」 …。 会見を終わって球場をでる。 すると、たくさんのファンが球場の前で小波を待っていた。 …どこから情報を手に入れたのか。「ありがとう」の横断幕があった。 …よく見ると、そのファンの集まりの中に、リコの顔も見えた。 (夢、絶対にかなえようね!) (ああ! そうさ、俺の夢は…) 目でそうやり取りを交わして、小波はファンに応えるためにファンのところへと走り出した。 (俺の夢は、『このチームで』優勝することなんだ!) .