純丘曜彰教授博士の哲学講義室 - オースティン

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オースティン

【「記述主義」的誤謬 'descriptive' fallacy】
 オースティン(『言語でいかにことをなすか』1955)
 言葉が、現実の中の性質を報告するためだけではなく、その陳述が行われた際の状況や、その陳述に関する留保事項や、その陳述がどのようなものとして受取られるべきかということ等を、表示するためにも利用できることを見過ごす傾向。これは、「発語内の力」の問題を「発語的用法」の問題と取違えることから生じる。

【言語行為 speech acts】
 オースティン(『言語でいかにことをなすか』)
 言語行為の特殊理論として言えば、発言には、真偽が言える実定的 constative なものと、そうではない遂行的 perfomativeなものがある。このことを一般理論として言えば、発語行為と発語内行為がある。発語行為 locutionary actには、音的 phnetic、句的 phatic、ミーニング、すなわちセンスとレファレンスを合せたものを伴った意的 rheticがある。しかし、言うことにおいて行われる、すなわち、発語行為を遂行することが遂行することになる発語内行為illocutionary act があり、ここにおいて「発語内の力」、すなわち、どのようなものとしてその発言が受取られるべきであるか、が問題となる。発言の持つ発語内の力には、宣告的、行使的、拘束的、態度的、解明的がある。さらに、言うことによって行われる、すなわち、発語行為を遂行し、それに伴って発語内行為を遂行することがさらに遂行することになる発語媒介行為 perlocutionary act もある。それぞれ、たとえば、言う、論じる、納得させる、にあたる。