どうしてそれがあるのか、という、個々の物事を存在させる力能に関する問いは、さらに、そもそも〈ある〉とはどういうことか、という物事一般の存在の意味への問いへと導く。ここでは、さまざまな物事の存在はもはや問題ならず、むしろ、その全体的な存在そのものが問われることになる。
クセノファネス、パルメニデス、ヘラクレイトスの3人は同一の派をつくっていたわけではないが、万物を〈存在〉そのものである一者の変様と見、この一者を探求するという同じ思想傾向を示していた。だが、このような一者は、いまだ日常的には語られたことのない、非常に抽象的な概念であり、彼らはこれを論じるために、その言葉からして工夫しなければならなかった。つまり、彼らは宗教詩の語彙と形式を借り、これを比喩的に駆使して、なんとかただ存在するだけの〈実体〉を語り出そうとしたのである。それゆえ、今日、多くの断片から彼らの言葉が復元されているものの、表面上はあくまで神話的、寓話的な語り口にすぎず、その真に意味するところを理解しようとするにはあまりに難解である。
クセノファネス (Xenophanes 6C BC )
クセノファネスは、ミレトスにも近い小アジアのギリシア都市に生まれ、ミレトス派的な新しい自然学の教養を身につけるが、その町がペルシアに荒らされたため、その後はギリシア各地を放浪し続け、その間に、啓蒙的な自由思想を広め、古臭い擬人的多神教を否定する新しい宗教詩を作った。彼は、ギリシア人は人間のように行いの下劣な神を考え、また、アフリカ人は黒い神を、北方人は赤毛の神を考えているそうだが、本来の神は唯一であり、このような具象的なものではありえない、とした。つまり、彼の新しい神学は、ギリシア神話的な、自然をつかさどる擬人的神々とは違って、非常に形而上学的であり、神学を日常の自然に関する知識とは切り離し、また、その多神性を排して、一元論的に説明しようとしたものであった。また、化石の観察から、地球があいつぐ洪水を受けたと推測するなど、彼には実証主義自然科学者的な側面もあった。
パルメニデス (Parmenides 544-501 / 515- BC)
パルメニデスは、南イタリアのエレアに生まれる。クセノファネスの弟子とも、ピュタゴラス派の弟子とも言われ、また、プラトンによれば、宗教詩人クセノファネスや弟子エレアのゼノンらとともに「エレア派」と呼ばれ、ソクラテスも若い頃、すでに老人になっていた彼から多くを学んだとされるが、生没年とともに真相は定かではない。彼は、理性の論理(ロゴス)のみを真理の規準とし、論証的に〈存在〉を探求した。その特徴は、論理の共通性に基づく思考と存在の同一視であり、いたってヘーゲル的である。彼の文章は、六脚詩という叙事詩的韻文で語られ、馬を駆り、日常世界をはるかに離れ、正義の国へと向かい、その門の女神からあるべき探求の道を聞き、存在の真理を学ぶ、というヘシオドスなどの多くの叙事詩のパロディの形式をとっている。
ヘラクレイトス (Herakleitos c540- BC)
ヘラクレイトスは小アジアの小国エフェソスの王家の出であるが、どうも廃王にされたらしい。というのも、彼は、当時から「暗い人」と呼ばれたように、ネクラの元祖とも言うべき性格であり、黄金よりもわらをつかみ、なぐられてしか働かないと言って、大衆を軽蔑し、また、ピュタゴラスやクセノファネスらの先人たちをも、子供だましだと言って、ばかにしていたからであり、彼自身は、ニーチェ的な、孤高独自の貴族倫理的教説と、ヘーゲル的な、生成流転する対立を統一的に見る一元論を論じた。しかし、その言葉は箴言風の苦渋な表現であり、非常に難解である。これは深遠とも悪文とも評されるが、一説には、人をバカにして、わざと難しい謎にしたのだとも言われる。ある学者によれば、そこに登場する人と猿や犬、ロバとの関係は、真理・善・神と人との関係に等しい、というように、比例的に解釈するのではないかとされる。