純丘曜彰教授博士の哲学講義室 - 古代3 ヘレニズム

---------------------------------------------------------------------------- 古代3 ヘレニズム時代(BC300〜1C)
      安心立命のための知恵

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時 代 背 景
 アレキサンドロスの大帝国無き後、イタリア半島の小国にすぎなかったローマが次第に勢力を拡大し、さらに、地中海沿岸各地へと進出して言った。前3世紀半ばから前1世紀に渡る《ポエニ戦争》によって、北アフリカを獲得し、また前2世紀半ばから、前1世紀にかけてギリシアやマケドニア、エジプトをつぎつぎと支配下におさめ、紀元直前には地中海を中心とする巨大国家となっていったのである。
 当初、ローマは貴族共和制であったのだが、初期の半島の統一戦争において平民たちが活躍したため、これに応じて彼らは発言力を強め、前3世紀初めには、平民も貴族とほぼ同等の権利を獲得するに至った。そして、このローマ市民としての自覚が、その後の対外戦争における士気の高さとなり、相次ぐ勝利へと導いたのである。
 しかしながら、ローマが地中海に発展するにつれて、一部の家柄のよい富裕な市民(閥族)が高位の官職や、征服した開発用公有地を独占するようになり、一方また、借財を返済できない下層市民が債務奴隷に転落し、一般市民も連年の従軍の負担や、閥族の大土地経営・属州からの安価な商品との競争に敗退して無産化し、ふたたび、身分の差、貧富の差が顕著になってきた。この状態を改革しようという試みも行なわれたが、閥族の反対によって失敗し、対外的にも領土拡大戦争が続けられつつ、国内においてもこの閥族と平民との対立に基づいて内乱抗争が繰返された。
 前1世紀半ば、ようやくカエサル(シーザー)によって混乱は収拾されるが、彼も暗殺され、その養子アウグストゥスによって帝制が施行され、かくして、ローマは地中海的都市連合国家からオリエント的領土専制国家へと変質していくのである。

哲 学 概 観
このような社会構造の大変革の渦中にあって、人々は突然にそれまでの思考基盤であった都市(ポリス)的枠組を奪い去られ、広大無辺な世界(コスモポリス)的に考えることを要求された。それはまさに足場のない、言わば思考の無重力空間であり、彼等はさまざまな相対的価値観にさらされて、絶えざる動揺に陥ったのである。

この時代の主な思潮と哲学者たち
A 懐疑派
B エピクロス派
C ストア派