純丘曜彰教授博士の哲学講義室 - 新カント派

---------------------------------------------------------------------------- E 新カント派

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 19世紀においては、自然諸科学はもちろん、政治学、社会学、経済学など、専門諸科学があいついで哲学から自立し、具体的な実績を挙げつつあった。このような状況の中で、さまざまな方面から形而上学批判が行われ、多くの哲学も実践的行動原理の提唱と化し、学としての哲学そのものの存在意義が見失われようとしていた。
 《新カント派》とは、ここにおいて、カント的《認識論》を復興し、哲学の専門諸科学に対する優位を回復しようとした反動的な一群のドイツ哲学者たちである。この派は、リープマンが『カントとその亜流』(1860)において各章の終わりを「それゆえカントに帰らなければならない」という文句でアジったことに始まり、前期においては、カントの感性論の形而上学性を排し、生理学的先天性に歪曲することで時代に迎合させようと努力した。
 後期は、《マールブルク派》と《西南ドイツ(バーデン)派》とに分けられる。コーエンを代表とする《マールブルク派》は、カントの構成的認識論を重視し、自然科学分野を中心として、唯物論を批判し、外部からの触発を待たずに悟性が論理的に客観を産出する〈純粋思考〉の観念論を主張した。ヴィンデルバント、リッケルト《西南ドイツ(バーデン)派》は、カントの事実問題と権利問題の区別を重視し、人文科学分野を中心として、やはり唯物論を批判しつつ、現実の多様の中から規範的価値を選択把握することを哲学固有の課題と考えた。
 彼らの最盛期はちょうど日本が哲学を輸入した時期であったため、日本で影響を受けた学者は少なくなかったが、哲学史的に言えば、カント学の整備という成果は残ったものの、彼ら自身の大半が結局は「カントの亜流」で終わってしまったのであり、いずれ歴史からも消え去ることになると思われる。

【法則定立的規則学 nomothetische Gesetzes-wissenschaft
  /個性記述的事件学 ideographische Ereignis-wissenschaft】
 ヴィンデルバント
 経験諸科学は、その方法に関して、大きく《法則定立的規則学》と《個性記述的事件学》とに分けられる。《法則定立的規則学》とは、自然諸科学に相当し、恒常的に同一である形式や法則を探究するものであり、方法的には抽象作用に重点がおかれる。《個性記述的事件学》とは、人文諸科学に相当し、歴史的に一回限りの個別を探究するものであり、方法的には直観作用に重点がおかれる。