元々江ノ島(モノクマ)は『2』で、どのようにして77期生を自分と同じ超高校級の絶望へと変えていったかを断片的に説明している。
具体的に抜き出すと
- 魅力とユーモア溢れる”絶望的な方法”を駆使して”超高校級の絶望”を作り上げていったこと
- 理念に狂った人間には人を惹きつける強大な力がある。これは歴代の指導者達の中にも見られる傾向であり江ノ島盾子もまたそういう人間であること
- 彼女は特有の層を惹きつけるカリスマ性で、権力者連中にまで影響を及ぼしていったこと
- 圧倒的な理不尽さによって江ノ島は”超高校級の絶望”達を引き込んでいった。愛も憎しみも恨みも復讐も何もかもを利用して、彼らの絶望を操り江ノ島の絶望は他のどんな絶望よりも恐ろしいと本能に叩き込んだこと
- (苗木に77期生を洗脳したと言われて)洗脳という表現はあまりに安っぽいのでやめてほしいとのこと
これらが江ノ島盾子が『2』で説明していた内容であった。
多くのファンはこの凄まじい内容を見て江ノ島は
77期生がそれぞれに抱える心の闇や暗い過去を巧みについて誘導し絶望へと導いていった、また
彼女自身の圧倒的なカリスマ性で彼らを魅了していったという真相を想像していた。
では実際はどうだったのかというと
超高校級のアニメーターである御手洗亮太を脅迫し洗脳映像を作らせ七海千秋をいたぶりながら見せつけることで77期生を洗脳したというもの。
…かなり江ノ島の説明と食い違っている。誇張表現どころではない。
まず、「洗脳という表現は安っぽいからやめろ」と言っておきながらどうみても普通に洗脳している。
そしてしつこいくらいに自分のカリスマ性や魅力をアピールしていたがこのやり方では江ノ島のカリスマ性などあってもなくても関係ない。必要なのは
御手洗の技術と
皆大好き委員長ぐらいである。
(実際七海と狛枝、罪木以外は江ノ島のことを知らなかったのではないだろうか)
理不尽さだけはあるが愛も憎しみも恨みも復讐も関係なかった。
長い間ファンに期待を持たせるような説明をしておきながら、蓋を開けてみればこのような真相だったため、江ノ島自身の持つ強大な力やカリスマ性を期待していたファンからは
「他人の才能を使っていただけのくせにあれだけ偉そうにしていたのか」という反感すら買ってしまった。
そこまで言わなくてもせめて”他人を絶望に堕とす才能くらいは江ノ島固有のものであってほしかった”という声もある。
ただこの展開については元々は
御手洗が皆に希望を与えたくて作ったアニメを悪用して大勢の人間を死なせ洗脳するという他人が希望のために作ったものをどこまでも貶めて悪用し絶望へ叩き落す江ノ島のえげつなさを表現しているとも言える。
実際江ノ島は『ゼロ』では松田夜助、『2』では不二咲千尋、『絶対絶望少女』では塔和モナカの技術を盗み(利用して)悪行をやらかしておりこの点については一貫している。
恐らく小高氏が思い描く江ノ島盾子という悪役像は、強大な力で他人を圧倒する存在というよりは、どこまでもえげつなく絶望に忠実な存在という感じなのかもしれない。この展開はファンの持つ
江ノ島盾子の悪役像によって評価が分かれるところだろう。
だが、どんなに好意的に解釈しようとも結局は
ファンの求めた江ノ島盾子から激しくずれていて幻滅したのは紛れもない事実であり、
アニメはファンなら絶対喜ぶという小高氏の発言はここでも相変わらず失望の一因となっている。
上の内容と若干被るところがあるが、
なぜ以前から他人の技術を盗んでいる描写があるのに、洗脳だけは批難が集まるのか?という疑問もある。
それはおそらく、過去作で盗んてきた技術(記憶操作、アルターエゴ、モノクマ)は
他人を絶望させる前段階の準備、補足的な意図で利用していたから、今回盗んだ技術(洗脳)は
他人を絶望させることそのものに利用していたからだと思われる。
江ノ島の他人を絶望に陥れるカリスマ性の正体が他人の技術を利用したものだなんて、ガッカリにもほどがある。
また、『ゼロ』では多くの予備学科を洗脳で絶望に変えているが、その点を「江ノ島にカリスマ性がない」と指摘されないのは、
ストーリーにおいてモブであるキャラの絶望堕ちの経緯を丁寧に描写しても面白くないからというメタ的な理由があるのだろう。
そしてなにより、『ゼロ』の時点では、その洗脳方法がまさか江ノ島自身の力ではなく、他人の技術をそのまま利用しただけのものだと判明していなかったからだろう。