本名:佐藤敏樹(さとーとしき)

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非電源系ゲームとの出会い(1984年)

小学校低学年くらいから人生ゲームやオセロなどの非電源系ゲームと触れ合っていましたが、それは友達との付き合いで遊んでいただけであり、積極的に自分から遊ぼうとしていたわけではありませんでした。自分から積極的に非電源系ゲームに関わるようになったのは、調布駅南口のロイヤルプラザ2階にあった三省堂書店で平積みになっていた『火吹き山の魔法使い』と出会ってからでした。自分の意思でストーリー展開が変わる表現形式に私は完全に魅了されました。
既存のゲームブックを遊んでいるうちに、自分で作ってみたいという気持ちが湧き上がり、自作のゲームブックを作るようになりました。最初はB4のルーズリーフに100程度のパラグラフを書いた簡単なゲームブックでした。こういったものは、だんだんエスカレートするもので、中学生になる前の春休み、厚めの日記帳を購入し、それに1ページ1パラグラフのゲームブックを作成しました。今もその自作ゲームブックは残っていますが、パラグラフの選択を1つ誤っただけで岩に押しつぶされて死んでしまうようなお粗末な作品です。でも、その当時の自分はひとつの作品を作り上げたことに満足していました。

中学での出会い(1985年〜1986年)

『火吹き山の魔法使い』のあとがきに、このゲームの元となったD&Dに関する紹介記事が書かれており、TRPGへの興味がふつふつと沸いてきました。しかし、このD&Dのルールブックを手に入れようにも手に入れ方がわかりません。普通の本屋さんには売っていませんし、インターネットもない時代です。
こうしてもんもんとする日々を1年ほど過ごしたところ、中学で同じ趣味の高松氏と出会い、高松氏に府中のおもちゃ屋さんで売っていることを教わりました。最初はルールを読み、ソロシナリオをするだけで満足でした。
ちょうどこの頃、ロードス島戦記がパソコン雑誌上で開始され、仲の良い友人もTRPGに興味を示し始めました。ルールを覚えることが面倒だったので、もっぱら戦士のプレイヤーでTRPGに参加していたことを覚えています。
新宿にイエローサブマリンができたのもこの頃です。通学で毎日新宿を通っていたので、週に一回はイエサブに通う日々が続きました。
振り返れば贅沢な時代でした。

PBMとの出会い(1987年〜1989年)

中学3年生の頃に『Game Graphix』という雑誌と出会い、読者参加型のゲームにどっぷりはまります。
この頃はコンプティークでも『ロボクラッシュ』などの読者参加型ゲームを主催し、様々な雑誌で読者参加型ゲームが流行していましたが、1ヶ月に1度のペースでは物足りず、草の根PBM(Play By Mail)といわれたゲームに両足を突っ込みました。
仮想国同士の戦争を描いたファンタジー物の『Pargarium』
いろんなゲームをごちゃ混ぜにした『ぶりの照り焼き』
著名な方々が参加されていた『ぽすたるてぃる』
などなどを遊んでいました。とくに『ぶりの照り焼き』のメンバとは実際に会って遊ぶことも多かったです。
そういえば『ぶりの照り焼き』紙上で、駅伝をテーマにしたゲームのコーナーを担当したのが第三者に対して初めて提供したゲームでした。

商業PBMの参加(1990年)

草の根PBMの流れで、遊演体の『蓬莱学園の冒険』、ホビーデータの『クレギオン』に参加しました。
『クレギオン』の中の「バトルクラック」というゲーム内ゲームで、初めて同人誌を主催しました。
「バトルクラック」で「ワークスいがや」というチームを高松氏と立ち上げ、そのチーム内広報誌として同人誌を作りました。
色々な草の根PBMをやってみて、自分もマスターをやってみたいと思っていたので、宴会、野球大会などのイベントを設けて各プレイヤーに行動を書いてもらい、次回の同人誌にみなさんからの投稿を元に小説を書くといったことをやっていました。7号くらい続いたと記憶しています。『クレギオン』にはそれこそ頭の先までどっぷりはまっており、オフィシャルイベントに参加するために18きっぷで大阪まで行ったり、各地のプライベートイベントに参加したりしていました。
この頃も草の根PBMは続けており、たまたま川人くん(現在はSNE所属)が主催するPBMに参加しました。
ゲーム終盤から参加したため、ゲーム内ではあまり活躍できませんでしたが、川人くんから「来月から東京の大学に行くからよろしく」とハガキで連絡があり、それが川人くんとの長い付き合いの始まりになりました。

大学時代(1991年〜1994年)

部活に参加するつもりはありませんでしたが、キャンパス内で『クレギオン』の「星間通信」という公式の交流誌を持っている人がいて、いてもたってもいられなくなり、その人に声をかけました。その人はクレギオンのとあるブランチでマスターをしていた赤旗さんで、それがきっかけでその方が所属してたSF研究会に入部しました。
部室には『アクワイア』『フンタ』『スコットランドヤード』『銀のタロット』などが転がり、ゲームし放題という環境でした。その頃流行していたホビージャパンや翔企画のカードゲームも買いあさり、片っ端から遊んでいました。
そして、休日になると上京してきた川人くんのアパートに入り浸り、毎週ゲームやTRPGを遊んでいました。いつもAlbert氏(SF研の同期)、私の2人でパーティを組み、川人くんが毎回マスターをやるという展開でした。川人くんとのTRPGの中で、一番記憶に残っているのは、コタツに寝っころがりながら遊んだオリジナルRPGです。なんだかまったりとした雰囲気の中はじまり、ゲームマスターもプレイヤーも全員横になってのプレイでした。戦闘の解決はジャンケン。横になったまま、手だけを挙げて戦闘解決(ジャンケン)していました。ストーリーは完全に忘れていますが、システム?は強烈に覚えています。
大学在学中に、川人くんから「PBMをやらないか」と持ちかけられマスターをやりました。
『Space Formula 1』というゲームで、ロケットブースターやシールドなどを購入して、自分の宇宙船を設計し、宇宙を舞台にレースをするというゲームでした。このゲームのためにプログラムを組み、全プレイヤーからの設計情報をパソコンに入力して、レース結果を算出してました。プレイヤーにも恵まれ、プレイヤーと世界観を一緒に構築していくことができました。毎回、とても楽しみながらマスタリングしていたのを覚えています。今でも好きなゲームのひとつなので、機会があればリメイクしたいです。
こんな感じで大学時代は骨の髄までゲームにつかっていました。

トレーディングカードどはまり期(1997年〜1998年)

大学卒業と同時にゲームから離れて就職しましたが、なかなか仕事がうまくいかず、つらい日々が半年くらい続きました。
仕事を辞めようかとも思ったのですが、たまたま存在を知った『SW:CCG(スターウォーズCCG)』にはまり、仕事のつらさがふっとびました。やはりゲームがなくては生きてていけなかったようです。
もともとスターウォーズが好きだったこと、日本語版が発売されたこと、プレイヤーやタカラ(日本語販売元)の担当者さんがみな気さくで遊んでいてとても楽しかったことなどが原因で、かなりはまっていました。大会に出たり、友人の家で合宿したり、とても楽しかったです。どうしても「ダースベイダー」のカードを手に入れたくて、アメリカから1万円でシングル買いしました。今となっては良い思い出です。
また、同時期に川人くんのデザインした『央華封神TCG』が発売されました。
最初は知り合いということでゲームを買い、イベントで上京する川人くんに会うためにイベントに参加していましたが、段々気合が入ってきて、気づけば『央華封神TCG』にもはまっていました。ガンダムのキャラデザで有名な安彦良和氏の描かれたキャラクターをこよなく愛していました。
ただ、2年ほどすると『SW:CCG』も『央華封神TCG』もメーカーのバックアップが減り、個人的にも仕事が忙しくなってきたことから、私のトレーディングカードゲームへの情熱は薄れていきました。

ゲームサークルへの参加(2002年〜2003年)

3年ほど仕事が忙しくてゲームから離れていましたが、仕事が落ち着いたことからゲームにまた戻ってきました。
今度はまったのはドイツゲームでした。この頃はインターネットで参加者を募るオープン型のゲームサークルが増え、それらのゲームサークルによく参加するようになりました。
良く参加させてもらったゲームサークルは「KGB」(るてんしとさん)、「藤沢ボードゲームサークル」(ナクトさん)でした。
中でも「藤沢ボードゲームサークル」の皆さんと意気投合し、ファミレスで「ホームページを作って何かしよう!」という盛り上がりから2003年に「ボードゲームのおもちゃ箱」を立ち上げました。ボードゲームのおもちゃ箱の参加者のみなさんに刺激されて、創作ゲームを作るようになります。また、プリンターの性能が上がり、個人でゲームを作れるようになったという技術の進歩も創作ゲームを作るきっかけになりました。

創作ゲームの手始め(2003年〜2004年)

2003〜2004年に作ったゲームは『F1 Circus』と『クトゥルフカードゲーム』でした。
F1 Circus
『F1 Circus』は『フォーミュラーディ』に触発されて作ったゲームです。
レースをするだけでなく、車体設計をゲームに盛り込みたいと考えて作りました。車体設計をゲームに取り込みたいと思ったのは、昔作った『Space Formula 1』の影響だと思います。このゲームでは「1」の目をクラッシュとして扱うというアイデアが盛り込まれていますが、これを発案してくれたのはりんちゅさんです。りんちゅさんと話しているとアイデアがどんどん沸き上がってくるので、すごい人だなぁと羨ましく思っています。
今は『Formula Circus』と名前を変えて呼んでいます。
クトゥルフカードゲーム
『クトゥルフカードゲーム』は、『ゴーストハンターボードゲーム』からクトゥルフとトリックティキングゲームの融合を思いつき、作ったゲームです。
「キャンセレーション」の要素と、大学時代大好きだった『銀のタロット』の要素をまぜこぜにして、クトゥルフのテイストを織り込んだゲームです。最初は色々なサイトからイラストを拝借して、プライベート用にカードを作って遊んでいました。

この2つはとにかく自分が遊びたいゲームを具現化したゲームでした。なので、オフィシャルに公開しようなどとは思いませんでしたが、2003年秋に開催された「ゲームパーティ」に誘われ、大勢の人に自分のゲームを遊んでもらう喜びを体感しました。このときの経験が、今後のゲーム創作につながっていきます。

ゲームマーケットへの初参加(2005年)

2004〜2005年に作ったゲームは『朝まで総選挙』と『テケリリ』と『シルバーコインズ』でした。
朝まで総選挙
『朝まで総選挙』を作るきっかけはいくつかありました。2002年にはじめてりんちゅさんと話をしたときに「日本を舞台にしたゲームって少ないね」と話していたことや、2004年6月に参議院選挙が行われたことが引き金になりました。目指したのは「1時間以内に終わる選挙ゲーム」「日本が舞台」「説明文をカードに書かない(特殊カードを使わない)」「競りはしない」「最後まで逆転のチャンスがある」「やるべきことが明確でゲーム初心者でも迷わない」「運の要素も結構ある」というゲームでした。『朝まで総選挙』という名前は、テストプレイをしてくれたタナカマさんにつけてもらいました。冗談のような名前でしたが、語呂がよく本採用しちゃいました。そして、2005年春のゲームマーケットで『朝まで総選挙』を1500円で発売しました。30個ほどのゲームは20分で完売しました。買ってくださった方々に改めて感謝です。
テケリリ
『テケリリ』は2003年頃に作った『クトゥルフカードゲーム』をセルフリメイクしたゲームです。
イラストはアサダレイナさんに描いてもらうことにしました。最初はA4から16枚のカードを切り出し、インクジェットプリンタで印刷することを考えていましたが、せっかくきれいなイラストを描いていただけることになったので、絵を大きくし、オフセット印刷を行うことにしました。 イラストレイターさんに気持ちよく仕事していただくために、「自由にやってください」とカード全体のデザイン、 裏面のデザインもトータルでお願いしました。イベントカードなどの見直しを行い、2005年の夏コミで『テケリリ』を発売しました。箱などは作らず、透明な袋に封入することでコストダウンをはかり1500円で発売しました。作った数は200個ですが、半分くらいは売れ残ってしまいました。
シルバーコインズ
『シルバーコインズ』は「ピルグリム・イェーガー」というマンガを読んでインスパイアされたゲームです。
コンポーネントは「カード14枚」と「8枚のコイン」「七芒星」だけという、非常に簡単なものになっています。システムは3手先にプロットしたカードを自分の手番に使うというものです。これは冬コミで500円で売りました。

この年から日本語版The One Hundredの集計を開始しました。これはmixiのボードゲームコミュニティの参加者に好きなゲームを15個挙げてもらい、その数を集計してTOP100のゲームを発表するという企画です。もともとはアメリカで生まれた企画なのですが、「日本でもやるべきだ!」となぜか一念発起し、私が主催する年末の恒例行事のようになりました。

ヤポンへの参加(2006年)

2005年〜2006年に作ったゲームは『朝まで大統領選挙』『エルスミーアの期末試験』『ルネッサンスの胎動』『テケリリ(商用版)』でした。
朝まで大統領選挙
『朝まで大統領選挙』は『朝まで総選挙』のアメリカ版です。
アメリカの大統領選挙のシステムを簡略化した選挙ゲームです。アメリカ大統領選の面白いところは、ウィナーテイクオール(各州で他の候補者より1票でも多くの票を獲得した候補者が、各州の全ての選挙人の票を得る)というシステムです。あまりにもゲーム的なシステムなので、それをそのままゲーム化しました。
共和党のイメージカラーが赤、民主党のイメージカラーが青なので、コマも赤と青にしました。
エルスミーアの期末試験
『エルスミーアの期末試験』はダイスを使ったバースト系ゲームです。
ナクトさんが作られた『エルスミーアの魔女』からアイテム生成システムを抜き出したようなゲームです。エルスミーアという世界観も好きでしたし、アイテム生成システムも好きだったので、ナクトさんの許可を得て作らせてもらいました。ライト感覚のゲームで今でも好きなゲームです。
ルネッサンスの胎動
『ルネッサンスの胎動』はボードゲームのおもちゃ箱メンバの共同制作で作成したゲームです。
イタリアを舞台にしたい、決算タイミングをプレイヤーがコントロールできるようにしたい。という白紙さんのコンセプトをもとに作成しました。いろいろな意見を調整しきれないまま、目標としていたゲームマーケットを迎えることとなったので、プロトタイプ版という位置づけでゲームマーケット2006で発表しました。

「2005年に作った『テケリリ』をエッセンに出展しませんか?」とたけるべさんに声をかけていただいたのが、『テケリリ(商品版)』を作るきっかけになりました。ちょうどこの頃、日本のゲームを世界に送り出そうというプロジェクト「ヤポンブランド」が発足し、そこに誘っていただいたことになります。『テケリリ(商品版)』は萬印堂さんに印刷をお願いすることにしました。この頃は、萬印堂さんも試行錯誤だったと記憶しています。このゲームの同人版と商品版の一番大きな違いはパッケージの有無です。カードイラストを描いてもらったアサダさんに引き続きパッケージを描いていただいきました。「ショゴスが天井から這いよる感じで」「男の人はランタンを持って」「女性はポニーテールで」と細かい注文に応えていただきました。

大量在庫による挫折(2007年)

2006〜2007年に作ったゲームは『ハーメルンのたて笛』『ZooBiz』『狂言の囃し』でした。
ハーメルンのたて笛
『ハーメルンのたて笛』は2007年春ゲームマーケットで発表したゲームです。
このゲームはカウントアップ形式の「ねずみ捕りフェーズ」とトリックテイク形式の「神隠しフェーズ」の2つのフェーズを持つ変則トリックテイキングゲームです。カードデザインをpuppiさんに依頼し、かなりかっこいいデザインに仕上がったのですが、ゲームシステムの練り込みが少なく、思ったより売れませんでした。原価を下げるために300部刷ったのですが、200部は在庫になってしまいました。安くても面白くないゲームは売れないということを強く認識し、大きな挫折感を味わいました。
ZooBiz
『ZooBiz』は動物園の経営者となって、13種類の動物を競りで買い入れ、人気度の高い動物園を作っていくことが目的のゲームです。
サイコロを使った競りシステムと、リアルな動物カード、オスメスのつがいによる出産が特徴のボードゲームです。イラストをうちの奥さんに描いてもらっています。このゲームは2007年秋テーブルゲームフェスティバルで試遊したのみで、販売は行っておりません。ゲーム時間が若干短く、物足りなさを感じるので、もう少しブラッシュアップしたら製品版にしたいと考え、ずーっと暖め続けているゲームです。
狂言の囃し
『狂言の囃し』は2007年秋テーブルゲームフェスティバルの際に、萬印堂の作道さんから「狂言のゲームを作りませんか?」と言われ、3日で作ったゲームです。
昔付き合ってた彼女が野村萬斎のファンで、何度か狂言を観ていたのでとっつきやすいテーマでした。手札から演者カードを出して、演目カードを手に入れていくことで演目カードに書かれた得点を競い合います。ただし、ゲームに突き抜けた面白さが見出せていないので、お蔵入りになっています。

小休止(2008年〜2010年)

結婚、出産、子育てなどが原因でプライベートが忙しくなり、なかなかゲーム会にも、イベントにも行けない状況になってしまいました。でもゲーム作りは1人でできるのが、この趣味の良いところです。
小休止の間にも『AquaBiz』『ブシミチ』『エコラミー』『戦国の胎動』『種まきゲーム』などを作ってました。
身内でテストプレイをしただけで、基本的には日の目を見ていないので、いずれ日の目を見せたいゲームたちです。

さとーふぁみりあの設立(2011年)

そろそろ子育てもひと段落したのでゲームつくりを再開しました。
とはいえ、子どもは上が3歳、下が1歳ですので、全然ひと段落してません。自分の奥さんにプレゼンを行い、何とかゲーム制作の許可をもらいました。
再開にあたって、まず思ったのが「サークル名を考えよう」ということでした。2007年まではボードゲームのおもちゃ箱名義で活動していたのですが、あれから4年も経ち、おもちゃ箱の活動も休止状態でした。
テケリリを作った時は、アートデザインの佐藤朗さんと「Sato Bros.」というサークル名で出したので、今度は家族ってことでファミリーにしよう。でも「さとーふぁみりー」ではネット検索しにくいだろうということで、ちょっとひねって「さとーふぁみりあ」という名前にしました。

ゲームマーケット2011春

ゲームの原価を下げるために2つのゲームを同時に印刷することにしました。それが『Tunnels&Tricks』『どうぶつめくり』です。
Tunneles&Tricks
『Tunneles&Tricks』は花札に着想を得たトリックテイキングゲームです。取ったトリックで役を作るゲームです。とにかくテンポを大事にして、役も懲りすぎないように最善の注意を払ってデザインしました。
で、イラストをどうしようかと考えた時に、りんちゅさんから教えてもらったのがmixiでイラストレーターを探す方法でした。それで応募してくださったのが長谷川登鯉さんでした。ホントにこれ以上ないという具合の偶然です。
おかげさまで『Tunneles&Tricks』は好評で、早い段階で在庫がなくなってしまいました。
どうぶつめくり
『どうぶつめくり』は坊主めくりゲームです。子ども向けゲームとして作ったのですが、「子どもに迎合してかわいらしい動物のイラストを使うのはポリシーに反する。リアルな写真。しかも動物の顔のアップを使うんだ」と息巻いて作りました。
しかし、ゲームマーケットでの成果は確か1ケタ台。子どもゲームの厳しさとマーケティングの難しさを思い知らされました。
このゲームをすごろく屋さんに持って行ったところ「子ども向けの動物はもっとシンボリックじゃなきゃダメだよ。キリンは首が長い、フラミンゴは1本足で立つ。そういうところを押さえておかないとダメだよ」と丸田さんからご指摘をいただき、取引はなしでした。でも、この丸田さんのご指摘は非常に心に残りました。
ただ、このゲームはいいゲームです。わかりやすいし、<<うんち>>カードがキャッチーだし、子どもと遊ぶとすごく喜ばれます。でも、売れないんだよなぁ。。。

ゲームマーケット2011秋

『コリントコンストラクション』『材木屋さんゲーム』

ゲームマーケット2012秋

『ふしぎの森のおんがくたい』

ゲームマーケット大阪2013

『ゴブリンとふしぎの森のおんがくたい』

ゲームマーケット2013春

『死神,コイン』

ゲームマーケット2014春

『死神,セクト』

ゲームマーケット2014秋

梶野さんのお声掛けで『ボードゲーム おぼえがき』に寄稿させていただきました。
普段、ゲームを作るうえで大切にしていることを書かせてもらいました。自分の考えをまとめることは楽しいことでした。

ゲームマーケット大阪2015

『もぐらのすごもり』

ゲームマーケット2015年秋

『忍ジャン!!』『ニンジャスタートリック』

名古屋 2016年6月

『ボ育て』執筆協力

2016年11月22日

TANSANの朝戸さんやジェリカフェの白坂さんが主宰した「ボードゲームの面白さを伝えるの大好き選手権(BOD)」にどうしても参加したくなって、「アクワイアと私」というテーマで飛び入り参加しました。プレゼンとかライトニングトークとか結構好きなんです。。。
この時にねいじまさんと初対面し、その後のダイスエイジ発売につながります。どこに出会いが待っているか世の中分からないものです。
https://www.youtube.com/watch?v=Tw6iilGEOsY

2017年

ゲームマーケット2017年春
『8ビットモックアップ』
大阪ボドゲフリマ 2017年9月
『ボ育てvol2』 執筆協力
2017年10月
『ダイスエイジ』ホビージャパンから販売開始
ゲームマーケット2017年秋
このゲームマーケットで出せる新作がなかったため、さとーふぁみりあとしての出展はなしでした。
そのため、4ヶ月前から家族と北海道へのスキー旅行を計画していました。
しかし、その年の春に発売した『8ビットモックアップ』がゲームマーケット大賞にノミネートされたからさぁ大変。何が大変って、ノミネート作品はゲムマ秋の授賞式に登壇しなければならないというもの! 4カ月も前から計画していた北海道旅行をキャンセルするわけにいかず、代理として登鯉さんに登壇していただきました。
そしたら、ありがたいことに大賞を受賞!
遠く離れた北海道のスキー場でTwitterを見ながらひとりガッツポーズをしてました。

2018年

2018年4月
『8ビットモックアップ』アークライトから販売開始
ゲームマーケット2018年春
『ハピエストタウン』
ゲームマーケット2018年12月
『ハピエストタウン』ホッパーエンターテイメントから販売開始

2019年

ゲームマーケット大阪2019 『ボ育て vol3』 執筆協力
執筆にあたり、サラダ館の大木さんのところに取材に行きました。
ハピエストタウンやレシピをそろえた、ホッパー専用スペースを作っていただいていたので、非常に感動しました。
ゲームマーケット2019年5月 『ケーキをつくろう』
ルール説明が物語と一体となった、おはなしとゲームが融合したゲームを作りたいと思い、説明書をマンガで表現することにしました。登場人物を子どもにしようと思い立ち、かわいらしい絵が得意な井上磨さんにイラストをお願いしました。イメージを合わせるために僕がマンガのネームを切りました。初めての経験でしたが楽しかったです。
2019年9月
『8ビットモックアップ』の海外版としてielloから『Legendary Forests(邦題:神秘の森)』が販売されました。8ビットの世界から、桜や楓が生える惑星を作っていくというテーマに変わりました。とてもきれいな見た目で、女性からも人気があるようです。
この年の10月に仕事の都合でドイツに行ったときに、ゲーム屋さんに自分のゲームが並んでいるのを見て感動しました。
ゲームマーケット2019年11月 『コリントコンストラクション』
構想から8年、北海道下川町の木工所さんのおかげで念願の量産をすることができました。
ただし、いろいろなトラブルがあったりして、最後の最後まで気の抜けない製作でした。箱のサイズが大きいと、輸送費や梱包、保管など想定外の費用がかさむことを実感しました。

2020年

ゲームマーケット2020年4月『ガニメデ戦記』
今回から台湾の印刷所を使うようになりました。3月には製造が完了する予定でしたが、コロナの影響で製造が5月くらいまで遅れることになりました。ゲームマーケット自体もコロナの影響で中止となり、ガニメデ戦記はボドゲーマさんやイエサブ産などを中心とした通販で販売することになりました。
ゲームマーケット2020年11月『ガニメデ戦記公式設定資料集』
ゲームマーケット2020年11月『デパートビルダー』

2021年

ゲームマーケット2021年4月『みんなでいただきマウス』
2021年5月『Happy City』
フランスのCocktail Gamesさんから『ハピエストタウン』の海外版として『Happy City』が発売されました。
海外ではコンビニになじみがないとか、 特殊効果を持ったカードをたくさん追加したいなどで、イラストが大量に変更・追加されています。BGA(Board Game Arena)にも登録され、オンラインでも遊べるようになっています。
フランスのほか、アメリカや、ロシア、韓国などでも発売されているようです。
2021年6月 『コリントコンストラクション』がSTEAM TOYコンテストのエンジニアリング分野優秀賞受賞
『コリントコンストラクション』がSTEAM TOYコンテストのエンジニアリング分野優秀賞を受賞しました。
玉のはじき方を想像して、観察して、ゲームの勝利に導くというコンセプトが受け入れられたと考えています。
https://steam-toy.com/award.html

2022年

2022年2月『Happy City』がフランスゲーム大賞2022年ノミネート
『Happy City』がアスドール・フランス年間ゲーム大賞(As d'Or)の一般部門にノミネートされました。
1988年から始められた世界的に著名なゲーム賞です。
残念ながら、大賞に選ばれたのはボザさんの『世界の七不思議:建築家たち』で、『Happy City』は大賞を逃しましたが、世界に認めてもらえたことは非常にうれしいことでした。
フランスとの時差との関係で、夜中の3時くらいにベッドの中で授賞式の様子をライブ中継で見ていたのはいい思い出です。
https://www.youtube.com/clip/UgkxYBVZ6DEAN4wv1Cq-f...
2022年4月『Happy City』がThe American Tabletop Awardsを受賞しました。
As d'Orでは悔しい思いをしたのですが、アメリカボードゲーム賞の初心者向けゲーム部門(Early Gamers)で優勝しました。アメリカでも受け入れてもらえて、非常に嬉しい限りです。この影響で日本でのハピエストタウンのセールスもちょっとだけ増えました。
https://americantabletopawards.com/happy-city/
ゲームマーケット2022年4月『ガニメデ戦記Zero』
透明カードを使ったらおもしろのではないか。そういう思い付きから始まったカードゲームですが、おかげさまで好評でした。
何より着せ替え出来るロボットを自分が欲しかったので、欲しかったものができた喜びが大きかったです。
ゲームマーケット2022年10月『ガニメデ戦記Zero2』『小説 ガニメデ戦記 木星からの福音』

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