中国古代の南朝・宋と斉時代の「資治通鑑」の全訳に挑戦。日本の古墳時代に相当する「宋書」などは紀伝体で記述されているのに対して、後の「資治通鑑」は編年体で編纂されわかりやすい。日本には全訳がないので、挑戦。協力者と校正者を求めています。

資治通鑑日本語訳・古墳時代と中国

0岡將男 - 23/04/05 00:46:21 - ID:MRjbYCiOwA

古墳時代の日本を語る場合、倭の五王をはじめとした当時の支配層の動きを追えば、自然に南朝だけでなく北方遊牧民族の動きを知る必要がある。当時中華の伝統を引く南朝が正統とされたが、たとえば北京など中国東北部にあった、前燕・後燕・北燕などの所謂三燕の樹木冠や馬具などは日本列島に入ってくる。
思えば卑弥呼の時代からすこしして日本の古墳時代が始まるが、この時代は三国志の時代、また五胡十六国の時代で、中国は千々に乱れだ時代だ。三燕の歴史書は編纂されたかもしれないが、残ってはいないけれど、中国史全体を見ていけば、最新の発掘調査と照らし合わせれば、日本の古墳時代理解の手助けとなるだろう。そうした意図をもって、まず通史としての「資治通鑑」の現代語訳に取り組んだ。

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