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国土警備隊士官学校 | |
|---|---|
![]() 第2期卒業生記念写真(1938年5月15日) | |
| 標語 | 平和、愛国、勇気 |
| 種別 | 軍学校 |
| 設立年 | 1937年12月1日 |
| 設置者 | 治安省 |
| 学長 | |
| 所在地 | 上仙特別府文橋区 |
各種表記 | |
| 形紋文字 | |
| 豐彌雑字 | |
| 仮名転写 | オクソ チョウイナイ イクン セウジョウ |
| ラテン字転写 | Okuso chōinai ikun seujō |
| 漢字 | 国土警備隊士官学校 |
| 日語読み | こくど けいびたい しかん がっこう |
国土警備隊士官学校(こくど けいびたい しかん がっこう/オクソ チョウイナイ イクン セウジョウ)は、1937年12月1日から1952年8月1日にかけて豐彌国に存在した、国土警備隊士官を養成する軍学校である。
大豐彌帝国の敗戦に伴い、大陸で抗戦を続ける部隊を除いた大豐彌帝国陸海軍は1936年6月に解体された。トイティア進駐軍当局は、帝国軍に代わって豐彌の防衛と治安維持を担った進駐軍を補完する実力組織として南豐彌国土警備隊の発足を下令した。そうして1936年11月10日、総理府外局に治安省が設置され、同日に国土警備隊が発足した。
発足当初の国土警備隊は、進駐軍の方針により尉官以上の軍歴を有する旧軍士官が入隊できず、指揮官不在によって動揺を来した組織体制は貧弱なものとなった。発足から約1年が経過し、隊員数が7万4,000人もの規模となっても、国土警備隊の幹部不足による弊害は顕著に現れ、進駐軍は組織体制と指揮系統を万全とするためにトイティア軍将校を軍事顧問とする国土警備隊士官学校を開校した。
開校当初は幹部隊員の速成のため、教育期間は
に入校した
発足当初の国土警備隊は、進駐軍の方針により尉官以上の軍歴を有する旧軍士官が入隊できず、指揮官不在によって動揺を来した組織体制は貧弱なものとなった。発足から約1年が経過し、隊員数が7万4,000人もの規模となっても、国土警備隊の幹部不足による弊害は顕著に現れ、進駐軍は組織体制と指揮系統を万全とするためにトイティア軍将校を軍事顧問とする国土警備隊士官学校を開校した。
開校当初は幹部隊員の速成のため、教育期間は
に入校した
| 期別 | 期間 | 入校者 | 教育内容 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 第1期 | 1937年12月1日 - 1938年1月15日 | 内務警察出身者、旧軍下士官 | 制式訓練、基本教練、小銃訓練、分隊・小隊戦術、読図法 | 151名が任官。旧帝国軍将校の追放政策の下で編成されたため、実戦経験者が少なく、実務能力に乏しかった。7万4,000人規模の国土警備隊に対して幹部が著しく不足していたため、応急的な幹部養成課程として設置された。 |
| 第2期 | 1938年4月1日 - 1938年5月15日 | 旧軍佐官および尉官、旧軍下士官 | 制式訓練、基本教練、小銃訓練、分隊・小隊戦術、読図法 | 253名が任官。旧軍士官を本格的に採用した最初の期。第1期の能力不足を補うため、旧軍の実務経験を積極的に利用する方針へ転換された。後に第1・2期生は「創設世代」と呼ばれるようになった。 |
| 第3期 | 1938年8月1日 - 1938年11月1日 | 旧軍佐官および尉官、旧軍下士官 | 制式訓練、基本教練、小銃訓練、分隊・小隊戦術、読図法 | 157名が任官。教育期間が3か月に延長される。旧軍士官の採用がさらに拡大された。 |
| 第4期 | 1939年1月10日 - 1939年5月10日 | 推薦された下士官、旧軍佐官および尉官、旧軍下士官 | 制式訓練、基本教練、小銃訓練、分隊・小隊戦術、読図法 | 151名が任官。教育期間が4か月に延長される。国土警備隊生え抜きの下士官を士官へ転換する制度が本格化した。 |
| 第5期 | 1939年7月1日 - 1939年12月31日 | 推薦された下士官、民間志願者 | 制式訓練、小隊攻防訓練、分隊・小隊戦術、読図法、小銃・重機関銃訓練 | 218名が任官。教育期間が6か月に延長される。旧軍士官に依存しない幹部養成へ移行した。 |
| 第6期 | 1940年4月1日 - 1940年9月30日 | 推薦された下士官、民間志願者 | 制式訓練、小隊攻防訓練、分隊・小隊戦術、読図法、小銃・重機関銃訓練 | 821名が任官。1940年から始動した国土警備隊大増強に対応した最初期の大量養成世代。福石共賊暴動時には、多くが中尉〜大尉として福石島に派遣された。 |
| 第7期 | 1941年1月10日 - 1941年7月10日 | 推薦された下士官、民間志願者 | 制式訓練、小隊攻防訓練、分隊・小隊戦術、読図法、小銃・重機関銃訓練 | 1,462名が任官。大増強期の国土警備隊を支えた中核世代。 |
| 第8期 | 1941年10月1日 - 1942年4月1日 | 推薦された下士官、民間志願者 | 制式訓練、小隊攻防訓練、分隊・小隊戦術、読図法、小銃・重機関銃訓練 | 1,238名が任官。 |
| 第9期 | 1942年4月20日 - 1943年4月20日 | 民間志願者 | 一般学、制式訓練、小銃・機関銃訓練、分隊・小隊・中隊・大隊戦術、読図法、通信、諜報、治安作戦 | 934名が任官。本格的な1年制課程への移行第1期。反共諸法(国家保安法・公共秩序保安法)施行直後に任官した。福石島を含む国内暴動への対処を想定した教育が強化された。 |
| 第10期 | 1943年5月1日 - 1944年5月1日 | 民間志願者 | 一般学、火器学、戦術学、中隊・大隊戦術 | 892名が任官。 |
| 第11期 | 1944年5月15日 - 1945年5月15日 | 民間志願者 | 一般学、火器学、戦術学、中隊・大隊戦術 | 628名が任官。 |
| 第12期 | 1945年6月1日 - 1946年6月1日 | 民間志願者 | 一般学、火器学、戦術学、中隊・大隊戦術 | 677名が任官。 |
| 第13期 | 1946年6月15日 - 1947年6月15日 | 民間志願者 | 一般学、火器学、戦術学、中隊・大隊戦術 | 541名が任官。 |
| 第14期 | 1948年4月1日 - 1952年3月31日 | 民間志願者 | 一般学、軍事学、火器学、戦術学、読図、通信、工兵、諜報、軍事行政、指揮法、野外演習 | 563名が任官。従来の短期・一年制課程から完全な4年制正規教育に転換した第1期。 |
| 第15期 | 1949年4月1日 - 1953年3月31日 | 民間志願者 | 一般学、軍事学、火器学、戦術学、読図、通信、工兵、諜報、軍事行政、指揮法、野外演習 | 489名が任官。在学4年時の1952年8月1日に国土警備隊が国軍に再編された。国土警備隊から国軍への改組を在学中に経験した世代。 |
| 第16期 | 1950年4月1日 - 1954年3月31日 | 民間志願者 | 一般学、軍事学、火器学、戦術学、読図、通信、工兵、諜報、軍事行政、指揮法、野外演習 | 416名が任官。1952年8月1日時点で3年生。国土警備隊から国軍への改組を在学中に経験した世代。 |
| 第17期 | 1951年4月1日 - 1955年3月31日 | 民間志願者 | 一般学、軍事学、火器学、戦術学、読図、通信、工兵、諜報、軍事行政、指揮法、野外演習 | 438名が任官。1952年8月1日時点で2年生。入校時は国土警備隊士官候補生、卒業時には豐彌国軍陸軍軍官候補生となる。 |
| 第18期 | 1952年4月1日 - 1956年3月31日 | 民間志願者 | 一般学、軍事学、火器学、戦術学、読図、通信、工兵、諜報、軍事行政、指揮法、野外演習 | 440名が任官。1952年8月1日時点で1年生。国土警備隊士官学校最後の入学生。入校からわずか4か月後に国土警備隊が国軍陸軍へ改組された。 |


umiushilove123
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