島島 - 会いたい会いたい会いたいな
 出演舞台の楽屋入りまでの空き時間に入ったカフェで、早貴はラテを啜りながらニュースサイトをチェックしていた。
やはり年齢なりの社会的な知識が余りにも欠落していると恥ずかしい、との思いから、最近は意識して政治や経済、一般的なニュースにも目を通すようにしている。
…とは言え、どうしてもお堅い文面を読んでいるうちに意識は散漫になり、早貴はあくびを噛み殺した。
スマホのディスプレイを滑る指先は、自然と「エンタメ」のタブをタップする。

若手俳優の熱愛、芸人の炎上トラブル、元アスリートの薬物使用疑惑…スワイプしながらつらつらと記事を斜め読みしていく。

…と、その時、ある記事が目に止まった。それは新しいドラマの宣伝を兼ねたインタビュー記事だった。

(これ…みぃたんが今度出るドラマだ)

 ヒロイン役の女優がドラマについて色々語っているらしい。
舞美は脇役の一人なので多分触れられてはいないだろう。だいたいこの手の記事でクローズアップされるのは主役級の役者と相場が決まっている。
しかし、舞美がどのような現場に身を置いているのか、雰囲気だけでも分かるのでは?と思い、早貴は記事を読み進めた。

(この子けっこう可愛いな)

インタビューに答えるヒロイン役の女優を微笑ましく思っていると、早貴の目にある一文が飛び込んできた。

『またそんな○○が撮影現場ですっかりメロメロになってしまったのが、ひさと敵対するくノ一・まつを演じる元℃-ute・矢島舞美』

唐突に舞美の名前が出て来て、早貴の心臓は音を立てて跳ねた。

(…なに?…メロ、メロ…?)

そこには無邪気に舞美の魅力を口にするヒロイン女優の言葉が書き連ねてあった。

『すっごいかっこいい! かっこいいんですよ』
『リハの時からアクションも完璧でしたし眼力がキリッとしていてすごい。きのう一緒にお昼を食べたんですけどその時の笑顔もギャップがあって素敵。』

 しばらくの間、早貴は身じろぎもしないでスマホを握り締めていた。
そして、ふううぅぅ…と肺の中の物を全て吐き尽くすような溜め息をつく。

「……さすがですな。矢島氏」

周囲に聞こえないような声で、そっと一人ごちた。少しおどけたトーンで。

…口に出してみた言葉とは裏腹に、早貴の心は言い様のないモヤモヤとした物に絡め取られていく。

『すっごいかっこいい! かっこいいんですよ』

(……だろうね)

『リハの時からアクションも完璧でしたし』

(得意だからね)

『眼力がキリッとしていてすごい』

(…知ってる)

『笑顔もギャップがあって素敵』

(…よく知ってる)

心の中で突っ込みを入れては、その侘しさに我に返り、いよいよ重く沈んでいく。

(……笑顔、か)

「あの」笑顔を、きっとこの子にも大盤振る舞いしたのだろう。
大きな瞳を思い切り細め、心から嬉しそうに破顔する、あの笑顔。
大袈裟ではなく、本当にキラキラと輝く特殊効果に縁取られたような、あの笑顔。

(あんなの向けられたらさ…しょうがないよ)

舞美に邪心はまるで無いのだ。心から嬉しい時に、誰彼かまわず惜しみ無く笑顔を振り撒く。無邪気で…そして、残酷な恋人。

もう、いちいちこの手の事で動揺しない、と決めはずである。そして舞美の事も信じている。だから、大丈夫。

いつの間にかかなり深くまで沈みこんでしまった心を無理やり引き上げて、早貴は席を立った。

 舞台会場までの徒歩5分くらいの道のりを、ゆっくりと歩く。
何かがつっかえたようなこの胸の内を、本番前までにどうにかしなければいけなかった。
無性に舞美の声が聞きたかった。
歩きながらほとんど無意識にスマホの電話アプリを開いていた。

(出るかな…)

呼び出し音を聞きながら、一瞬、早貴の脳裏に、ドラマの現場で他の出演者達と楽しそうに撮影に臨む舞美の姿がよぎった。
仕事中ならば当然出ないだろう。

『もしもし?』

少し低めの柔らかい声が、早貴の鼓膜を震わせた。

『なっきい?』

それは早貴の鼓膜にじわじわと染み渡り、心の奥をぎゅっと握りしめられたように、呼吸を奪われる。

「……みぃたん」

まるで迷子の子供みたいな情けない声が出て来て、早貴は自分で驚いた。こんな返事をする予定じゃなかったのに。もっとフランクに明るく、何してたのー?と…

『なっきい?どした?…なんかあった?』

早貴の声色を聞き、緊迫感を帯びる舞美の言葉を噛み締めながら、早貴は鼻の奥がツンとしてくるのを感じた。

「……ううん、なんでもないよ」

目をぎゅっと瞑り、慌てて込み上げてきた物を抑え込む。

「なんか、本番前に不安になっちゃって…突然ごめんね」
『だったらいいけど……』

まだ釈然としない様子の舞美に、声を聞きたくなっただけだと告げる。

雰囲気を変えるように、早貴は明るく言った。

「いやーマジでごめん。みぃたんは何してたの?撮影?」

自分で撮影?と切り出して先ほどの記事が頭を掠めて、胸の奥がチクリと痛んだ。

『今日の撮影はさっき終わったよ。これから会社で舞台の打ち合わせ…今移動中なんだ』

そこからはとりとめもない仕事の話をする。舞美の包み込むような柔らかな声を聞いているうちに、波立っていた心は平穏を取り戻しつつあった。

『今度、そっちも観に行くからね。』
「ありがと。みぃたんのも、楽しみにしてる」

突然、舞美の声が低く沈んだ。

『なっきい、舞台、来年やるやつさ』
「ああ、池田屋?」

来年の4月に外部の舞台が決定している。久々の外仕事で、今から緊張しているのだ。

『他のキャストさんとかとさ…やっぱり仲良くなるよね…?』
「そりゃ仲良くなりたいと思うよ。そうしなきゃダメだし、当たり前じゃん…え?どうしたの?」
『なんかさ、もちろん上手くいって欲しいけど…なんか、他の人とさ、…』

酷く言いづらそうに、舞美は言葉を詰まらせた。

『なっきいが…遠くに行っちゃいそうで、心配』
「……え?」

『…なんてね。うそうそ。じゃあ今度観に行くから、今日はしっかり頑張るんだぞ?なっきいなら大丈夫!』

早口で一気に言うと、舞美は電話を切ってしまった。

早貴は歩みを止めて、その場に佇んでいた。

(みぃたん……)

……これは、妬いてくれている、のだろうか?
多分、そうなのだろう。

滅多に見せない舞美のジェラシーを垣間見て、早貴は驚きと共に何とも言えない複雑な気持ちになった。

まず単純に、嫉妬の裏返しの自分への愛情を感じて嬉しかった。それに、この状態はいつも自分の専売特許だったので、たまには舞美も味わって欲しいという、少し意地の悪い気持ち。
…そしてもう一つ。
なぜ舞美がこんな心理になったのか。
℃-ute時代だって、それぞれ個々の仕事は有ったはずだ。それが今になって、お互いの仕事へ不安を感じるのは、あの頃よりも圧倒的に一緒にいる時間が少なくなったからだ。

都合をつけてはちょくちょく逢うようにはしている。それでもかつての家族よりも一緒にいる時間が長かった、特別で濃密な期間とは比べ物にならないくらい、二人で過ごす時間は少なくなっていた。

「……負けない」

誰にともなく早貴は呟いた。

負けないから。
舞美の共演者にだって。
そして逢えない時間にも、あたしは負けない。

 舞台の本番が終わったあと、もう一度電話してみようと早貴は思った。
「今夜、逢わない?」と。
実際に逢えるかどうかは分からない。でも、そう想像するだけで、早貴の心は暖かいもので満たされた。

逢えたら、今日の舞台の報告をしなくちゃね。楽しそうに頷きながら話を聞いてくれる舞美の顔を想像して、早貴は歩き出した。