真如苑 > 真如苑の修行 > 真如苑の水行
仏教における水行は、ブッダ時代にはじまるといってよいでしょう。仏典にはつぎのように示されます。
「……六年間の難行苦行が、すべてムダであったと悟った太予は森を出て尼連禅河(にれんぜんが)に水浴をされた。つもった垢を流し、清らかな気に満たされるなかに、村娘から供養を受けた乳がゆに心身ともに回復し、一条の光をみてやがて成道へと進まれたのであった……」と。
この、私たちが祈念や心身の鍛練のために、冷水を浴びて身をそそぐことを水行といい、仏教ではふつう沐浴、漢(そう)浴、洗浴などとよび、神道の"みそぎ"とむすびついた“水垢離”を用いたりもします。
熱暑の国インドでは、聖なるガンジス河の水での洗浴が最高とされ、当時、仏教教団でも厳格な規律をもうけて水行を行っていたのでした。
仏教における水行は、ブッダ時代にはじまるといってよいでしょう。仏典にはつぎのように示されます。
「……六年間の難行苦行が、すべてムダであったと悟った太予は森を出て尼連禅河(にれんぜんが)に水浴をされた。つもった垢を流し、清らかな気に満たされるなかに、村娘から供養を受けた乳がゆに心身ともに回復し、一条の光をみてやがて成道へと進まれたのであった……」と。
この、私たちが祈念や心身の鍛練のために、冷水を浴びて身をそそぐことを水行といい、仏教ではふつう沐浴、漢(そう)浴、洗浴などとよび、神道の"みそぎ"とむすびついた“水垢離”を用いたりもします。
熱暑の国インドでは、聖なるガンジス河の水での洗浴が最高とされ、当時、仏教教団でも厳格な規律をもうけて水行を行っていたのでした。
さて、水行のとり方は、すべての修行の基盤になる大切な事相です。ですから、かつて双親さまがご修行のおり、教主さまが水行される前には、必ず摂受院さまが水行をおえ、すべてを整えられたと。またその際に教主さまの使われる桶に、けしてご自身の飛沫がかからのよう心するなど、法を尊び殉じるあり方を身をもって諭されたお姿がありました。
昔から“行者洗浴せば一切悪鬼も災悩をなさず”といわれるように、すばらしい効験のある水行も、事理二種あって、清水を浴びる事浴と、印咒で加持、持戒により心身を正す理浴が一体でなければなりません。
日ごろ、真如継主さまから「形の水行におわらず、心に水行を」といただくご指導は、そうした意をくまれてのお言葉でありましょう。
昔から“行者洗浴せば一切悪鬼も災悩をなさず”といわれるように、すばらしい効験のある水行も、事理二種あって、清水を浴びる事浴と、印咒で加持、持戒により心身を正す理浴が一体でなければなりません。
日ごろ、真如継主さまから「形の水行におわらず、心に水行を」といただくご指導は、そうした意をくまれてのお言葉でありましょう。
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