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真如苑の水行:(すいぎょう)

<キーワード>寒修行 水行 沐浴 水垢離 みそぎ

水行 概要

ほとばしる冷水を、寒気を突いて身にいただく水行。
この浄めの行について考えてみましょう。


水行にとりくむ 

(時報449号)
ほとばしる冷水を、寒気を突いて身にいただく水行。この浄めの行について考えてみましょう。

沐(もく)浴のはじめ


仏教における水行は、ブッダ時代にはじまるといってよいでしょう。仏典にはつぎのように示されます。

「……六年間の難行苦行が、すべてムダであったと悟った太予は森を出て尼連禅河(にれんぜんが)に水浴をされた。つもった垢を流し、清らかな気に満たされるなかに、村娘から供養を受けた乳がゆに心身ともに回復し、一条の光をみてやがて成道へと進まれたのであった……」と。

この、私たちが祈念や心身の鍛練のために、冷水を浴びて身をそそぐことを水行といい、仏教ではふつう沐浴、漢(そう)浴、洗浴などとよび、神道の"みそぎ"とむすびついた“水垢離”を用いたりもします。

熱暑の国インドでは、聖なるガンジス河の水での洗浴が最高とされ、当時、仏教教団でも厳格な規律をもうけて水行を行っていたのでした。

水行の大切さ

さて、水行のとり方は、すべての修行の基盤になる大切な事相です。ですから、かつて双親さまがご修行のおり、教主さまが水行される前には、必ず摂受院さまが水行をおえ、すべてを整えられたと。またその際に教主さまの使われる桶に、けしてご自身の飛沫がかからのよう心するなど、法を尊び殉じるあり方を身をもって諭されたお姿がありました。

昔から“行者洗浴せば一切悪鬼も災悩をなさず”といわれるように、すばらしい効験のある水行も、事理二種あって、清水を浴びる事浴と、印咒で加持、持戒により心身を正す理浴が一体でなければなりません。

日ごろ、真如継主さまから「形の水行におわらず、心に水行を」といただくご指導は、そうした意をくまれてのお言葉でありましょう。

真実の浄め

たしかに形だけの水行で、自らの本質が変わるわけではなく、苑歌に

身を浄むみそぎの行に更にます
清めは身にて示す清めぞ

といただくように、水は、あくまで懺悔の水と観念し、利他に徹する身の行いの浄化の行であって、初めてみ仏に通じるといえましょう。

ここに真如法流につながる教徒は「まこと救わせたまえ」と氷を割って百度百杯の水垢離をつづけられたみ親の基に帰り、沐浴偶を唱えつつ信を洗い澄ませてまいりましょう。


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